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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その5【2018/9/19~23】

2023-09-29 06:29:03 | 旅行・イベント記
鳥栖駅で乗り換え待ちの間に駅の外へ出ました。博多から鹿児島中央までの切符なので、途中下車ができるのです。
改札口を出て跨線橋を渡って駅前の反対側へ向かうと、跨線橋の上から大きい競技場が目に付きます。あれがサガン鳥栖のホームである鳥栖スタジアムです。駅前に競技場があるとは恵まれていますが、この敷地は元々鳥栖駅の機関区と操車場だったものです。


留置線に止まっていたキハ220形200番台(220-205)。


見に来たのはこれ、逓信省230形268号機です。230形は当初はA9形と呼称され、1902(明治35)年から製造が始まったわが国初の記念すべき国産蒸気機関車です。ただし実態はイギリス製A8形に改良を加えた模倣であることは付け加えておきます。まあはじめはそんなもんよ。
つまり、とても貴重な明治時代の古典蒸気機関車なのです。ここにその1機が保存されているとは、驚きなのです。来てよかったー。


1909(明治42)年までに41機が製造されましたが、保存され現存するのは鳥栖市の268号機と京都鉄道博物館の233号機だけです。
233号機と違ってこちらは屋外保存されているものの、屋根付きで周りに柵も囲ってあります。


初めに逓信省230形と書きましたが、この機体に限って言えば北越鉄道が1908(明治35)年に汽車会社へ発注した同型機、G形18号機です。北越鉄道は現在のJR信越本線の直江津~新潟を建設した会社で、1907(明治40)年に国有化されました。それに伴って18号機は230形268号機に編入されたのです。
それからの経歴は一時期空白になっていて、その後昭和10年代(1935年~1940年)に鳥栖機関区へ転属してきました。鳥栖機関区では入換機として従事し、1954(昭和29)年に除籍されました。貴重な古典機の価値を認めてくれたのか、廃車後も機関区内に保存された後、1970(昭和45)年に鳥栖市役所へ移設、さらに2005(平成17)年に現在地へ移設、市の重要文化財に指定されて今に至ります。


機体の形態としては、廃車時の状態をそのまま維持していると思われます。具体的には、自動連結器装備、空制化後の装備等です。鳥栖市の文化財としての保存なので、妥当と言えます。京都にある233号機は製造当初の形態に復元されているので、新造時と除籍時の形態差をその目で確かめることができるのは嬉しいものです。


新造時のきらびやかな姿も素敵ですが、時代に合わせて装備を追加した姿も捨てがたいのです。


一通り見終えたので、駅に戻ります。


機関区、客貨車区、操車場が消えて熊本方面の特急列車も新幹線に遷移して最盛期よりも小さくなった鳥栖駅ですが、それでも長いホームがいくつもあるのは貫禄を感じさせます。


大きな構内に似合わず小さな駅舎です。九州鉄道時代の1903(明治36)年築の古い駅舎なのです。


この時代の建築はこういう軒下の飾りなんかが凝っているので好きなんですよね。


軒下はツバメのマンションになっているようでした。ご丁寧にフン避けの板が貼られています。
ツバメはたくみに人間の生活圏の中に巣を作って普通に迷惑掛けているはずですが、巧みに人間の心を掌握して市民権を得て優遇を受けています。これも生存競争なのかも。


ホームに戻ってくると、イカ釣り漁船が止まっていました・・・。821系(U002)という新型車両です。試運転の様子でした。思いがけない遭遇なのでした。


鳥栖駅は駅舎も古ければホーム上屋も古いので、上屋の柱には古レールが使われています。特にここの柱はイギリス・キャンメル社の1885(明治12)年製の製造刻印が残っています。刻印の部分だけはペンキが塗られておらず、読みやすくしてくれています。


こういう説明板も吊るされています。珍しいですね。


817系1000番台(V112)の鳥栖止まりの電車。


885系(SM1)特急「かもめ」24号博多行が到着。


というところで今日はここまで。


その6へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その36【2016/6/15~22】

2023-09-27 06:19:27 | 海外旅行記
トロント鉄道博物館の続きです。
前回記事でも紹介したトロント・ハミルトン&バッファロー鉄道のカブース70号です。デッキに登ってみてくださいと言わんばかりの足場があるので、すすっとデッキへ。


車内には入れなかったですが、窓から車内を覗くことはできました。カブースに詳しいわけじゃないですが、原型度が高いような気がします。
ご覧のように、ベッド、机と椅子、ストーブ、簡易調理台、あとは便所もあります。日本の車掌車と比べても居住性が高いのが分かります。特にベッドがあるのはいいですね~。職場にベッドがあるのは誘惑に耐えるのが大変そうだ。


トロント鉄道博物館は、車両だけでなく地上設備も多く移築保存されているのが特徴です。
この掘っ立て小屋は、踏切小屋 (Watchman's shanty) です。有人で遮断機を制御する踏切(日本で言うところの第2種踏切)で列車や歩行者の往来を監視するために建てられた監視小屋なのです。特に列車の往来を監視するには、地面から線路を見ていては遮断器を下げるのが遅くなってしまうので、現役時は高さ5mの鉄塔の上に建てられていたのです。


キャビンDという建物。DということはAからCまであって、さらにEまで存在したそうな。
トロント市内の複雑化した線路、駅、車両基地の連動装置のあった建物です。連動装置 (Interlocking) というのは、駅、信号場、操車場などにおいて分岐器や信号機に連鎖関係を持たせて、ヒューマンエラーを防止する装置のことです。まだコンピューターによる集中制御装置がこの世に出てくるより前の話です。


これがキャビンDの本体。ご丁寧に名前を書いてくれています。この建物の形と言い、つまりは信号所の小屋というわけですよ。線路を監視しやすいように事務所は2階にあるのです。
ところで、鉄道の管制制御は現代ではだいぶ自動化・集中化されましたが、民間航空においてはまだ航空管制官に頼る部分が多いですよね。鉄道よりも複雑で高度化されているんでしょうかね。民間航空もいずれは自動化される時代が来るのかも。


キャビンDの1階に入ることができました。
めかめかしいものが据え付けられていました。これが連動装置の制御機の中身といったところでしょうか。
古い設備が残っている駅を訪ねると、分岐器を制御するレバーがたくさん生えている物を見たことがあるかも知れませんが、その下へ伸びているのがこれなのです。


連動装置、横文字だとインターロックとも呼ばれる機構です。正直素人にはわからないですし、移築保存にあたって部品も抜かれてたりかけていたりするかも知れないです。


これはややアナログ操作的な集中制御盤でしょうかの。


2階に上がって、連動装置の操作レバーを見つけました。


1976年3月のユニオン駅の配線図です。右上にあるのがユニオン駅で、これは現在と同じ位置に存在します。
駅の下側に2箇所の車両基地があるのが分かります。左側がCN、右側がCPの車両基地でして、なので2箇所も必要なのです。そして、CN車両基地にある転車台と扇形車庫こそが、今いるトロント鉄道博物館なのです。
現在は転車台と扇形車庫だけしか残っていませんが、そこの周りには2社分の広大な車両基地の敷地がかつて存在したのです。その敷地は全て再開発に回されたのです。トロントの一等地にある土地を車両基地に使っておくのはもったいないというものでしょう。都心の車両基地を郊外へ移転して跡地を再開発するというのは、日本でも何度も見られた流れです。


1954年のトロント近郊の路線図です。ユニオン駅を中心に概ね放射状に線路が伸びています。というか、ユニオン駅は巨大駅でありながら頭端式ではなくてスルー式のプラットホームを採用しているのが珍しいような気がしました。


ドン駅(後述)のホーム線路に置かれている客車、カナディアンパシフィック (CP) のJ形寝台車の1台、ジャックマン号 (Jackman) です。
1931年、カナディアン・カー&ファウンドリー社で製造され、CPの自社アンガス工場で艤装した全鋼製寝台車です。寝台は14区画定員28名あります。J形は4台製造され、ジャックマン、ジェフレー、ジェリコー、ジョリエット (Jackman, Jaffray, Jellicoe and Joliette) と、全て頭文字Jの名前が与えられていました。いずれも地名や地形が由来です。
ジャックマンは1960年に旅客運用から退いた後、保線用車両に転用されました。おそらく職員の過ごす事業用客車として使われたのではないでしょうか。転用時にジャックマンの名前は抹消されて、411281号という無味乾燥な番号に変わりました。


元来は上級寝台車ということで、3軸ボギー台車を履いています。いわゆる重鋼製客車の造りをしていて、これは最大30トンのコンクリートの死重を追加しています。客車の自重と合わせると約90トンの重量となります。日本の鉄道からするととんでもない重量です。この重さによって、走行中でも台車と線路が確実に接するようになり安定感が増すとされています。
その後登場するステンレス客車などでは死重を積まなくなったそうな。


ジャックマン時代はつやつやのマルーン車体でしたが、今は保線用車らしい風貌です。内装も原型から大きく変わってしまっているようですが、いずれはジャックマンへ復元する構想があるのです。


どこの馬の骨とも知れない操重車と控車。操重車としては小さめで、救援用じゃなくて保線用なのかなと思います。


ホームにおいてある台車。乗客の手荷物などを駅舎から列車へ運ぶときに使います。バンクーバーの駅で見たような記憶です。


CPのドン駅駅舎 (Don station) です。トロント市郊外にある駅で、1896年開業、1967年閉業です。
モントリオール方面からトロント・ユニオン駅へ向かう場合、昔はスイッチバックする必要があり不便でした。CP1892年にこれを解消させるための短絡支線のドン線を完成させて、その路線上にドン駅は建てられました。
一時期はドン線を通過する全列車が停車する駅でしたが、1933年にCPとCNの乗り入れ協定が始まるとドン線を走るCPの列車はCN線を経由するようになって、地位が低下していき1967年廃止になりました。


ピストンエンジンの展示。なんでしょうね、これ。


給水塔です。6万ガロン(22万リットル)の容量の水槽があり、水は井戸水のようです。もちろん蒸気機関車の走行に欠かせない水を補給するための設備ですが、写真によれば客車の洗車にもここの水が使われていたようです。

トロント鉄道博物館はこれで撤退します。
扇形車庫を中心に据えた鉄道車両と建築物の展示は見に行く価値があります。また、市街地中心部にある立地の良さも魅力的です。観光客でも気軽に立ち寄ることのできる鉄道博物館でしょう。
ここの訪問後に収蔵車両を増やしていて、VIA鉄道のLRC機関車とGOトレインの旧型制御客車を新たに収蔵しています。どちらも興味深い車両なので、また見に行かないといけないです。

というところで今日はここまで。


その37へ→


 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その35【2016/6/15~22】

2023-09-22 07:16:00 | 海外旅行記
トロント鉄道博物館の続きです。前回に続き屋外展示車両を見て回ります。
これは前回記事で紹介したCPのアルコS-2形7020号機の第2エンド側。



これはカナディアンパシフィック鉄道 (CP) の188625号ファウラー有蓋車。
一口に有蓋車といっても色々奥が深いわけですが、これはファウラー有蓋車 (Fowler boxcar) という種類に当たります。これはいわば、軽量と低価格を実現するために開発された有蓋車で、カナダ国内で大量に製造、運用された貨車です。
1900年代の有蓋車の荷室部分、つまり箱の構造は、骨格の周りに木製外板を骨格の外側と内側の両面に貼り付けて構成されていました。骨格は19世紀までは木製でしたが、20世紀に入ると衝突安全性の観点から鋼製の物が登場してきました。
CPの技師W・E・ファウラーは、車両メーカーのドミニオン・カー&ファウンドリー社と協同して、1908年に3種類の36ft長、積載量40tの穀物輸送用有蓋車のプロトタイプを開発しました。その中から、車体側面のN字形の鋼製骨格に外側の外板を省略した物が選定されました。これが「ファウラー有蓋車」です。外板を内側のみとすることで製造費用の削減と軽量化を実現しました。また、修理も容易だったと言われています。
1908年の初回発注では500両が製造されましたが翌年には1,000両が追加発注されました。CP向けの貨車でしたがカナディアンナショナル鉄道 (CN) にも製造され、さらに第一次世界大戦による需要増でカナダ向けに70,000両以上が大量製造されました。そのうちCP向けだけでも30,000両以上製造されました。36ft長に加えて40ft長の貨車もラインナップに加わり、経済性の高さもあってかアメリカでも普及していったそうな。
その後1950年代には全金製有蓋車が登場し、穀物輸送は荷役の手間の減るホッパー車に取って代わられるようになりましたが、ファウラー有蓋車はしぶとく走り続け最後の車は1980年代まで現役だったそうです。

さてこの188625号は、第一次世界大戦真っ最中の1917年に製造された個体です。廃車時期は分かりませんでした。


どこの馬の骨とも知れない貨車移動機、もといこの博物館所蔵の1号機です。
カナディアン・ロコモティブ社が1950年にライセンス生産した50トン級入換機です。ライセンス元はアメリカのウィットコム・ロコモティブ社 (Whitcomb Locomotive Co.) で、ご存知ボールドウィン社の子会社でした。
これは石灰石採石場用に製造されたものでした。他にも骨材や建設資材運搬等で活躍して1997年廃車。2007年にトロント鉄道博物館が購入しました。

典型的なセンターキャブの貨車移動機で、ロッド式の動輪が古めかしくて素敵です。
博物館がこれを取得後、エンジンの復元を行って見事再稼働状態へ。この博物館の1号機関車として収蔵車両の入換作業に従事しているのです。ちなみに塗装は、トロント・ハミルトン&バッファロー鉄道をモチーフにしているとかで。


これも電気式ディーゼルなので、ロッド式の動輪に目が行きがちですが電車っぽい台車なのです。


カナディアンナショナル鉄道 (CN) の蒸気機関車U-2-g形6213号機です。当館の目玉車両であります。
車輪配置は4-8-4ノーザン(呼び方は会社により異なるがCNではこれ)です。8輪の大直径動輪(U-2-g形の動輪直径は1,854mm)を活かした牽引性能と高速性能を兼ね備えた配置なのです。
6213号機は1942年CNのモントリオール工場で製造され、カナダ東部ハリファックスからサスカチュワン州までを主な運用範囲としていました。1959年に退役し、部品取り車となります。蒸気機関車時代の終焉が近づいていた当時、トロントの鉄道愛好会が6213号機の価値を見出しトロント市に寄贈する動きを見せます。1960年、現存する中でトロント地域で運用されていた最後の蒸気機関車として6213号機が選ばれます。剥ぎ取られた部品は復元されて、同年トロント市に寄贈されて今に至ります。
当館で唯一の蒸気機関車で、転車台の反対側からでも伝わってくる大きさと存在感があります。しかし近づくことができなかったのでちょっと残念でした。


どこの馬の骨とも知れない貨車移動機。現地にもホームページにも特に説明がないのでよく分からない機関車です。
銘板を見てみたら1948年ボールドウィン製で、CPのDS-10g形とありました。あとはググってみると7069号機で、ボールドウィンの社内型式はDS-4-4-1000-SC形なんだそうな。DS-10gは、CP内の型式だと思います。
DS-4-4-1000-SCは、4軸動輪、1,000馬力エンジン搭載車のスイッチャーです。前期型の8気筒NAエンジンの608NA型と後期型の6気筒ターボ付きエンジンの606SC型がありにけり。7069号機は後者だと思われ。

CPの機関車は、このマルーンと灰色の2トーン塗装がやっぱり好きなんですよ。気品があるじゃないですか。


CNのGMD製GP7形のGR-15a形4803号機です。
GP7形はEMDが開発したロードスイッチャーです。ロードスイッチャーの元祖はアルコのRS-1形で、エンジンフードとセミセンターキャブの形態です。GP7形は当時のロードスイッチャーの決定版として普及していき、使い勝手の良さから従来のキャブ型ディーゼル機関車に代わって北米のディーゼル機関車の標準型の形態となっていくのです。製造機数は7,000機!
エンジンは16気筒、9000cc、1500馬力で、発電した電気で4台の電動機を回します。発電ブレーキも備えています。最大で8機を総括制御できます。

この4803号機は、EMDのカナダ法人であるGMDで1953年に製造されました。CN線内のあらゆる場所を走っていたそうですが、台車が軽量化されていたので西部の低規格路線でも走れたらしく、秋の穀物収穫期には優先的にそこで運用されていたそうな。1984年廃車で、その直後にトロント市150周年事業として同市に寄贈されて今に至ります。


ロードスイッチャーなので前後どちらにも走行できるんですが、フードの短いほうが前方とされています。
GP7形は、前後のエンジンフードの高さが揃っています。特に前方側のフードが高いのです。高さが揃っているので見た目は美しいですが、前方視界は悪いですよね。このようなフードをハイノーズと呼びます。
ハイノーズになったのは、労働者対策とも言われています。GP7形は蒸気機関車の置き換えにも使われたのですが、2名乗務だった蒸気機関車から1名乗務のディーゼル機関車に代わると片方の乗務員は職にあぶれてしまいます。そこで、わざと前方視界を悪くして2人目の乗務員にも前方監視の仕事を与えたのだ・・・ということらしいです。
そんな非効率的なことも長くは続かないので1名乗務に移行していくんですが、そうなるとやっぱり前方視界が悪いのでノーズ高さを切り詰めたローノーズに改造される事例が増えました。ハイノーズはこれに対する言葉なのですね。
大半のGP7形がローノーズに改造されたらしく、4803号機のようにハイノーズで現存する個体は貴重なのだそうです。それ以外にも、4803号機は比較的原型をよく留めていると言われています。ただし電動機は撤去されています。


緑と黄色を基調としたCNの1960年代以前の塗装です。これも好きなんですよね。4803号機は塗装もピカピカで素晴らしいです。


台車は2軸ボギーです。B-B配置、日本で言うところのD級機です。EMDのGP系機関車は以降も一貫して4軸機として製造されています。ちなみにGPというのは「汎用」を意味します。現地のギークは「ジープ」と呼んどるそうな(Jeepとは発音が違うんでしょうけども)。
当時はなんとなく撮影していた台車ですけど、一般的なGP7形とは違う台車を履いています、これ。
一般的にはブロンバーグ台車 (Blomberg truck) という物を履いてるんですが、これはフレキシコイル台車 (Flexicoil truck) という種類だそうな。肝心のコイルばねが見えないのであまりはっきりしたことは言えんですが、枕ばねにコイルばねを使った台車のことなんじゃないスカね。ブロンバーグ台車は板バネだし。
フレキシコイル台車は1952年に登場したGP7形の6軸版(C-C配置)であるSD7形用に開発された3軸台車が最初です。SD7自体はほとんど売れませんでしたが・・・(製造数150機未満)。
その後2軸台車版も開発されて、GP7形にもオプションで付けられるようになっています。前述の通り、どういうからくりか知りませんがブロンバーグ台車と比べて軽量化されていたので、軸重を低くしたい目的で履かせていた可能性はありますな。


キャットウォークは歩くことができました。そこからキャブを覗き見。運転機器を斜めに配置するのはこの頃からなのね。日本のDE10も斜めに置けば首の疲労も低減されたのでは。


CNの木製カブース79144号です。カブースというのは日本で言うところの車掌車です。
1920年製の有蓋車424669号を1957年に改造して造った物。貨車改造のカブースって初めて聞きましたけど、そういう事例ってもしかして結構あるんですかね。
1970年代に廃車になって、個人が引き取って事務所兼住まいとして置いていたそうです。カブースは保存車両としては実用性ありますし。2014年に当館に寄贈されて2015年までに復元されて今に至ります。なのでまだ復元されたてといっていいでしょう。


手ブレーキ。


台枠や足回りは改造されていないそうなので、当時物の板バネ台車を履いたままです。


CNのロゴマークです。


反対側から。


もう一台のカブース、トロント・ハミルトン&バッファロー鉄道(TH&B)70号です。
TH&Bが1921年に製造したカブースで、その時の車体は木造でした。1950年代に外板を鋼製にして半鋼製車となっています。
TH&Bは、1892年設立の鉄道で、名前通りハミルトン地域のローカル鉄道です。1895年にはCPとニューヨークセントラル鉄道により買収されて両社の傘下になります。1987年にCPに吸収されて会社としては消えてしまいました。今も路線はCPが保有してるほか、ハミルトン駅はGOトランジットの旅客駅として使用されています。

というところで今日はここまで。


その36へ→




【1/48】ノースアメリカン・ハーバードMk.4 カナダ空軍「ゴルディロックス」【ギャラリー】

2023-09-11 21:06:00 | 模型ギャラリー

キット:1/48ノースアメリカン・ハーバードMk.4(モデルクラフト、リーディングエッジモデルズ)
仕 様:カナダ空軍「ゴルディロックス」7番機
[製作記はこちら]

カナダ空軍のハーバードMk.4を作りました。ハーバードというのは、アメリカのT-6テキサンのイギリスでの名前です。カナダはイギリス連邦の一員なのでハーバードで呼ばれていました。Mk.4はT-6G相当の機体です。
ゴルディロックス (Goldi Loks) というのはカナダ空軍の曲技飛行チームです。ゴルディロックスは1962年に同軍の正規の曲技飛行チーム、ゴールデンホークスのセルフパロディとして結成されました。ただしゴールデンホークスがF-86ジェット戦闘機を使っていたのに対して、ゴルディロックスはレシプロ練習機のハーバードと天と地の差でしたが。
使用機体がハーバードからジェット練習機のチューターに転換されたのに伴って1964年にゴルディロックスは解散しました。


カナダのモデルクラフトから発売されたキットを作りましたが、成形品はオシデンタル・レプリカズというメーカーのOEMです。オシデンタルの1/48テキサンは決定版と言われていますが、あまり流通していない幻のキットです。
デカールは、カナダのリーディングエッジモデルズというサードパーティのデカールメーカーを使用しました。品質の良い印刷やニスの薄さに定評があります。








T-6といっても色々あるんですが、ハーバードMk.4は窓枠の少ない風防、アンテナの形状、強化された尾輪、長い排気管等が装備された物です。後期型とでも言えばいいんですかね。


ゴルディロックスの機体の黄色は通常の練習機カラーですが、カウルや尾翼にアクセントカラーとして青が使われています。
ゴルディロックスは7機編成だったみたいで、カウルに1~7の機番が書かれていました。



































以上、ハーバードMk.4でした。



【9月10日】こみっくトレジャー42にサークル参加します【告知】

2023-09-09 07:02:00 | 日常記
こみっくトレジャー42にサークル参加します!

2023年9月10日に大阪府のインテックス大阪で開催される「こみっくトレジャー42」に黒鉄重工がサークル参加します。3年半ぶり2度目の参加です。
サークルの配置は「4号館・C62b」です。


ウェブカタログは9月6日から一般公開で、それまでは有料の限定公開です。


頒布物は、コミックマーケット102と同じです。こみトレで初頒布する新刊はありません。


新刊「安房トンネル工事の置き土産 奥飛騨の謎車両の正体を探る」
頒布価格800円
長野県と岐阜県に跨る安房峠の岐阜県側にある駐車場に置かれている鳶色の謎の車両(表紙に写っているやつです)をたまたま見つけた筆者は、得体の知れぬ正体を詳らかにするためにあれこれ調べたのでした。
謎の車両の正体はもちろん、その後の調査や駐車場に置かれた経緯まで調査分析をしました。また、この車両と密接な関係にある安房トンネルについても少し書いてあります。
初めは鉄道ネタとして取り組み始めた題材ですが、終わってみればドボク成分多めの内容に仕上がりました。ある意味当サークル史上最も濃い題材となっています。是非会場で手にとってお読みになってください。
B5サイズ、グレースケール印刷(口絵あり)、30ページ(表紙含む)です。



既刊「ゆるキャン謎解きタイムアタック」
頒布価格300円

2023年3月「鉄道&交通同人誌まつり」 での新刊です。コミケでは初頒布です。
2022年7月~8月に開催されたゆるキャンをモチーフにした屋外周遊型の謎解きゲームイベントがありました。自分もこのゲームをプレイしてクリアしました。
静岡県と山梨県の各地を移動してゲームを進行するんですが、移動手段は自動車が最適解となります。そこをあえて公共交通機関縛りで遂行した時の最短時間を自身のプレイ実績と机上調査で紐解いていきます。
コピー本、B5判、表紙込24頁、本文白黒印刷です。コピー本なので少数発行です。お早めにー。



既刊「北アメリカの路線バス車両 2014年~2016年」
頒布価格1,500円

北米のバス車両に焦点を当てました。大別して路線バス、高速/観光バス、スクールバスに分けることが出来ますが、今回は路線バスについてまとめました。例によって、カナダ在住時に撮りためたバスの写真を体系的にまとめたものです。
内容は、B5判、68頁(表紙含)、フルカラー印刷です。


上記頒布物や過去の頒布物の電子版は、下記のBOOTHサイトからも購入できますので、のぞいてみてくださいね。

また、メロンブックスの通販でも新刊の取り扱い・販売を始めています。

それでは当日インテックスでお会いしましょう!

【モデルクラフト】1/48ノースアメリカン・ハーバードMk.4【プラモデル製作】

2023-09-07 21:46:00 | 航空機模型製作記
今回はモデルクラフトの1/48ノースアメリカン・ハーバードMk.4を作ります。
モデルクラフトというのは聞き慣れないメーカーですが、これはカナダのメーカーです。自分で調べた限りでは、自社で金型開発はしておらず、他社で開発された製品の成形品を使って再パッケージしたり、開発元とは異なる独自パッケージに仕立てて販売しているメーカーのようです。
このハーバードもオシデンタル・レプリカというポルトガルのメーカーの成形品を使っています。
日本でかつて流通していたかは分かりません。私は知人から譲ってもらいました。


ランナーです。キットをくれた方が途中まで組んでいたので一部の部品はランナーから外れています。


主翼のランナーです。
ちなみに、ハーバードというのはアメリカで言うところのT-6テキサンのことです。


透明のランナーです。


細かい型式違いにも対応しているようで、車輪が複数あります。


ランナーに彫刻されたオシデンタル・レプリカの文字。このプラモデルの出自を示しています。
オシデンタルの1/48 T-6は決定版と言われています。けれども流通量が少ないんですな。日本には出回っているんでしょーか。


コックピットから作ります。内部の骨格も再現されていていいですねー。


決定版と言われているだけあって形状は良いと思います。が、機首のエンジンの空気取入口が不完全な形状です。穴になっていないわけです。


そんなわけでプラ板で形状を修正します。プラ板を切り出して折り曲げます。


空気取入口の形状に合わせてプラ板を貼り付けて、カッターで整形して完成です。このくらいなら私でも出来ますねー。


胴体に貼り付けます。付け根の部分に隙間があったのでラッカーパテで埋めました。


コックピットを完成させました。シートベルトはファインモールドの物を使いました。T-6専用品は無いので、近しいものを選んで使いました。


塗装をしました。黄色なので塗料のノリが悪いです。


デカールはカナダのデカールメーカー、リーディングエッジモデルズの「カナダ空軍ハーバードMk.4 ザ・ゴルディロックス」を使います。
これも貰い物ですが、このメーカーは越境ECをやっています。このハーバードのデカールは絶版になっているみたいですが、いま販売されているデカールは日本からでも購入可能です。


デカールは薄くて固めという感触でした。でも全体的に品質は高いと感じました。


デカール貼付け後つやありクリアのトップコートで保護した後、最終組み立てして完成です。


主翼下面。
決定版と言われるだけの中身でした。しかし組み味は時代相応のものだったので、現代の設計開発技術でもって新版を出せば上回ることもできるだろうなと思いました。


1個前に造ったレース機のジービーとハーバードを比較。実はエンジンはどちらも同じですが、片やチョッパヤを追求した機体、片や操縦訓練のために安定性が求められた機体で、形状がガラリと変わる好例です。

<使用塗料>
機体:C113RLM04イエロー
防眩:LP3フラットブラック
プロペラ:LP38フラットアルミ
プロペラスピナー:C8シルバー
プロペラ先端:H4イエロー
エンジンカウル・翼端:LP78フラットブルー
操縦席:N58機体内部色
計器盤:N12つや消しブラック
エンジン:H38赤鉄色
排気管:H76焼鉄色
シートベルト1:N81カーキ
シートベルト2:N85セールカラー
タイヤ:N77タイヤブラック

完成品はギャラリーにて。


九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その4【2018/9/19~23】

2023-09-05 06:16:10 | 旅行・イベント記
2018年9月19日(水)13時11分
福岡県朝倉郡筑前町 大刀洗平和記念館
というわけで大刀洗平和記念館に来ました。前回も書きましたがここは日本陸軍の飛行場があったところで、パイロットの教育や内地と中国大陸を行き交う中継基地として用いられてきました。大戦末期には沖縄へ向かう特攻隊の中継基地にもなっていたそうな。
その跡地に建てられた平和記念館ということで、戦争時の資料等を収蔵展示して平和へのメッセージを発信している施設です。九州は土地柄このような施設がいくつもあります。私も万世や知覧や鹿屋に行ったことがあります。


外には戦争とは関係のなさそうなヘリコプターが置いてありますね。三菱のMH2000ですな、これ。1996年初飛行した国産ヘリコプターです。この頃といえば新世紀ブームで、何でもかんでも2000とか2100とか21とか新世紀とかを型番やタイトルに付けていた時代です。丸っこいところは新世紀感ありますけどね。
なんだかんだあってびっくりするほど売れず、これも三菱の黒歴史になりました。開発中止時に現存していた機体は当館のように各地に引き取られて黒歴史を晒しています。
MH2000の頃はそういう動きもしていたんですが、スペースジェットはどーなるんでしょうね。葬り去られてもおかしくないと思いますけど。


館内は基本的に撮影禁止なのですっ飛ばします。太刀洗飛行場の歴史とか特攻兵の遺書や形見とかの展示が主でした。
売店でハセガワの九七式戦闘機とゼロ戦の当館限定版プラモデルが売っていてお持ち帰りしたくなりましたが、まだ旅行の初日からプラモデルの箱を持ち歩くのは邪魔すぎるので、諦めてます。

それで、館内で唯一撮影が許されているのがゼロ戦の実機(Y2-128)です。正確には零式艦上戦闘機三二型です。まともに残る三二型としては唯一と言われています。


三二型はエンジンを栄二一型に換装して馬力を強化し、翼端を角型に切り詰めて速度向上を狙った物です。


この個体もマーシャル諸島のジャングルに墜落していた残骸を日本で復元したものです。
Y2-128は、サイパン島で保存されていた個体を福岡航空宇宙協会が交渉の末譲り受けたものです。日本へ移送して復元後には太宰府天満宮や名古屋空港や朝倉市の音楽館を渡り歩いてここにたどり着いたようですぞ。


角型に詰められた主翼です。従来の二一型と比べて航続距離が減ってしまったそうな。三二型の登場時期がガダルカナル島への長駆任務と重なったこともあって、この航続距離減少はいい評価を受けなかったとされています。
他国の機体と比べてお粗末だったロール性能は三二型になって改善されたといわれてるんで、悪い話ばかりじゃないんですよ。


このときはゼロ戦の他に九七式戦闘機の実物大模型が置かれていました。なんでか九七戦は撮影禁止だったんですけども。
2022年には震電の実物大模型も追加されています。また行かなくちゃですね。


大刀洗平和記念館からはこれで退散します。60分ほどの滞在でした。ちょっと立ち寄るにはほどよい規模でしたな。


表に出てみると駐車場に観光バスが5台止まっていました。観光ツアーでも立ち寄る場所なんですな。
手前のバスは長崎県営バスの日野セレガHD (A452) です。


第9走者:甘木鉄道・基山(AR300形)太刀洗14:26→基山14:42
それでは甘木鉄道に乗って鹿児島本線へ復帰します。車両の入れ替えがあったようで、やってきたのは急行色のAR305号でした。


乗り換え待ちの間に基山駅の駅舎を撮影しておきます。


折り返し待ちのAR300形も撮影。LE-DCと急行色は案外似合うものです。
ちなみにAR300形は富士重工のLE-DCシリーズですが、製作当時富士重工は鉄道車両事業から撤退していたので、実際にこれを造ったのは事業を引き継いだ新潟トランシスです。製造銘板も新潟トランシスになっています。


第10走者:JR鹿児島本線・区間快速鳥栖(813系)基山14:56→鳥栖15:03
鹿児島本線に乗り換えて南下します。


鳥栖駅に着きました。古い造りの駅だなという印象で、ホーム上屋の柱は古レールを使っているんですな。


鳥栖駅で八代行に乗り換えますが、乗り換えの電車を1段落としてその間に列車撮影とかします。
783系 (CM14) 特急「みどり」18号博多行が来ました。


783系の反対側。815系に似た形状なのは御存知の通り。


鹿児島本線から来た815系 (N007) 区間快速鳥栖。現在まで続く九州顔の元祖です。久しぶりに見ましたね。


長崎本線から来た817系0番台 (V030) 鳥栖。


N007は折返し八代行になります。けどもこれには乗りませんでその1本後の列車に乗ります。

というところで今日はここまで。


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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その3【2018/9/19~23】

2023-09-02 06:23:50 | 旅行・イベント記
JR鹿児島本線の基山駅で乗り換え待ちをしているところです。程なくして甘木鉄道AR300形(AR303)が基山駅に入ってきました。これの折返しに乗ります。


AR300形はこのところ車体の塗装を変えていて、303号は国鉄キハ20系風の塗装になっています。


甘木鉄道は国鉄甘木線を引き継いで運営している第三セクター鉄道です。沿線人口の多さに裏打ちされた高頻度運転により第三セクター鉄道としては運行本数が多いです。朝夕は15分間隔、日中も30分~40分間隔で走っています。これだと動きやすくて良いです。


第7走者:甘木鉄道・甘木(AR300形)基山11:55→甘木12:22
車内は一般的な富士重工製LE-Carという感じ。


甘木線は全長13kmの短い路線なので30分ほどで終点に着いてしまいます。この短さも良いんだと思います。


甘木駅は車庫がありまして、運用に入らない車両が留置されています。
これは青のツートンカラーに塗られたAR302号です。


唯一登場時の塗装を残すAR301号。80年代の塗り分けという感じはします。


AR305号は国鉄キハ58系風の塗装をしています。


甘木駅の外へ出ます。少し離れたところには西鉄甘木駅があります。駅舎は国鉄時代に建てられた物だと思いますけど、一般的な駅舎よりもちょっと凝った造りになっているような気がします。
ちなみに甘木にも卑弥呼伝説があるっぽいです。


甘木観光の路線バスで、一般路線バスと市街地循環線用の2台がいます。どっちもふそうエアロミディMJですかね。


甘木駅から先の西鉄甘木線とか秋月とかも気になるところですが、今日のところはここで退散します。
駅舎の通路もちょっと凝った造りの国鉄風です。石川県の穴水駅を思い出しました。


朝倉市観光協会の事務所も入っています。観光には困らなさそうです。


第8走者:甘木鉄道・基山(AR300形)甘木12:31→太刀洗12:41
ここまで乗ってきた列車で折り返します。横にいるのはイベント用車両のAR400形です。


大刀洗駅で下車します。


大刀洗駅の駅舎は掘っ立て小屋のような物が建っています。というか隣に建っている大刀洗レトロステーションの建物に取り込まれているような感じです。


その大刀洗レトロステーションは開いていなかったのでどんな中身なのかよく分かりませんでしたけど、入り口にはジェット練習機が置いてありますね。あれもレトロの範疇なんですかね。古いっちゃ古いですけど。


航空自衛隊で使われていたロッキードT-33シューティングスター練習機です。どこにでもある飛行機ですけど、こんなところにもあるとは。
不安定そうな足場の上に置かれているので機体の下面を観察できるのは良いですよね。


そろそろ昼ごはんと行きたい時間です。ローカル線の途中駅にしては意外にも駅チカに飲食店が複数あり、しかも久留米ラーメン屋とあっては入らずにはいられないでしょう。
ということで「丸八」で昼ごはんとします。


本場の豚骨ラーメンです。しっかりと炊かれたスープがうまいのです。満足ですぞ。


大刀洗駅下車後の目的地「大刀洗平和記念館」へ来ました。ここを見学しますよ。
写真の門柱は、第五航空教育隊正門の跡です。ここは日本陸軍の太刀洗飛行場があった場所なんです。主に操縦教育を行っていたと言われています。飛行場は農地やビール工場に転用されて跡形は残っていないそうです。

というところで今日はここまで。


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