黒鉄重工

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北方project ~Welcome to Hokkaido. その11【2017/5/3~7】

2019-01-30 22:49:36 | 旅行・イベント記
2017年5月4日(木)11時42分
 北海道三笠市幌内町 三笠鉄道記念館
711系を見た後は、ほど近くにある三笠市の三笠鉄道記念館という鉄道博物館に来ました。ここに来るのは2010年以来2度目です。前回来た時の雪辱をようやく晴らすことができるのか・・・?
昨日見た小樽市総合博物館に匹敵する、道内どころか全国でも屈指の規模を持つ鉄道博物館です。北海道最初の鉄道、幌内線の廃線に伴い開館しました。道内で活躍した鉄道車両をこらしょと収蔵していて、一見の価値あり。

幌内線は、元を辿ると幌内鉄道を国有化したものです。幌内鉄道は幌内~小樽(手宮)までを繋いでいました。昨日訪れた小樽市総合博物館が旧手宮駅の土地を活用した博物館でしたので、ちょうど幌内鉄道の起点と終点を渡ってきたことになります。なんだかステキですね~。

鉄道駅では岩見沢駅が最寄りですが、駅から離れた位置にあるので自動車で来るのが楽。でも路線バスでも来るのはそう難しいことではないです。前回もバスで行ったので。
ここも蒸気機関車の動態保存を行っていて、今日はそれの運転日です。今日は蒸気機関車目当てに来ました。前回来たときは平日だったので蒸気機関車は休みでしたからね。


手早く順番に見ていきましょう。収蔵車両のほとんどは屋外展示されています。展示場は旧幌内線の旧幌内駅の跡地を活用したものです。ただしあまり幌内駅の名残はないです。


ワム60000形ワム66172
15t積みの2軸有蓋車です。車扱いの急行列車によく使われていたとかで。
前回来たときは再塗装の最中で足場を組まれていたので、ようやく見られたという感じ。
そう前回の雪辱とは、整備中のため満足に見ることの出来なかった車両たちの7年越しの再履修なのです。


セキ6000形セキ6657
小樽でも見た石炭を積むホッパ車。


DE10形1072号機
未だに全国で見ることのできる汎用ディーゼル機関車。1000番台は0番台のエンジン強化版です。蒸気暖房発生装置を積んでいるので旅客列車にも使われていた・・・ハズ。


キシ80形キシ80-31
これは珍しいもので、キハ80系の食堂車です。小樽でも見たじゃん、って思うでしょうけど、食堂車自体の現存数が極めて少ないので貴重なわけです。
キシ80-31は博物館の食堂として使われていて、まさに食堂車の面目躍如といったところ。車内で食事を摂ったわけではないので、中がどの様になっているのかは未確認。
前回は白と緑に塗られていて塗り分けも独特なものでしたが、いつの間にか塗り分けは変わらないものの色が国鉄っぽくなりました。気動車特急色ではなくて一般型気動車の色味ではありますが。この塗り分けも、国鉄末期~JR初期に流行った斜めストライプ塗装に近いものを感じるので、意外と馴染んでいる感があります。
車両の位置というかキシ80の前後に連結されていた客車がどこかに行きましたね。


DD15形17号機
小樽でも見たDD13形を原型にしたラッセル式除雪機関車。
ラッセルヘッドには車輪がなく、機関車に完全に取り付けている状態です。これが祟って着脱には結構手間がかかったんだそうです。なので夏場は普通の入換用機関車として使えるのがウリのはずだったのに、着脱が面倒なんで雪が降らなくなったら車庫で遊ばせてたなんて話もあったかと思います。


DD14形1号機
ロータリー式の除雪機関車。見た目が全く違うのですがこうみえてDD13形(DD15形)を原型に開発した機関車です。ここには1号機が保存されているのですね。


アメロコスタイルな見た目。車体の下部にはロータリーヘッドを回すためのドライブシャフトがあるので、それを避けるようにエンジンと運転室を上に上げる必要があったのです。
運転室を前方に寄せたのは、除雪作業時の視界を確保するため。何度も言ってますけど、こっちが前側です。正直カッコ悪いからそうは見えないけど。
前回来た時は完全に足場が組まれてたんであんま見られませんでした。で、この時は後ろ側を前側と思って写真を撮ってました。この時がDD14の存在を知った最初の瞬間だったのですが、いくら視界が悪そうだとは思いつつもボンネットのほうが前という先入観がありましたね。あの時は若かったのさ、フフフ・・・。


ソ80形ソ81
扱重65tの操重車。1956年製で、こちらははじめからディーゼルエンジンを動力とします。手前に連結されているのは、クレーンブームを収納しておくための控車チキ6147。
ソ80の現存車はここの他に静岡県の佐久間レールパークにもあったんですが、同園の閉鎖に伴い解体されてしまったので、ソ81が唯一の現存車になっています。


キハ22形キハ22-52
北海道専用の寒冷地用気動車。小樽のはクリームとオレンジのツートンカラーでしたけど、三笠のはたらこ色に塗られています。


キハ56形キハ56-16
急行形気動車キハ58系の北海道型。といっても外観はあまり変わっていませぬ。
気動車の運転席窓の下には通行票のタブレットを受け取るための展開式の棒が付いています。


キハ27形キハ27-23
キハ56とよくペアを組むやつ。キハ56は2エンジン車ですがキハ27はエンジン1基だけ積んでいます。


スユニ50形スユニ50-505
50系客車の郵便荷物合造車。


スハフ44形スハフ44-12
スハ42系門下生の一人。動態保存でおなじみの旧型客車。12番ってのはずいぶん若い番号ね。


オハフ33形オハフ33-451
オハ35系門下生の一人。これも動態保存でおなじみの旧型客車。車端部の扉部分の車体に絞りがないので戦後製造分ですね。
この2台は撮影が苦しい。


DD51形610号機
幹線用のディーゼル機関車。一部地域でまだ現役。


DD51とキハ22。


DD16形15号機
軸重制限の厳しいローカル線でも走れるように小型化したディーゼル機関車。DD51やDE10と同じスタイルながらさらに小さいのでかわいいです。
この15号機は、煙突周りにある手すりが前から謎に思ってるんですけど、なんなんでしょう?


スエ32形スエ32-1
DD16の後ろには救援車が連結されています。小樽でもそうでしたが、救援車が残っているのも大変貴重なのですよ。救援車という車種もそうですが、救援車の種車になったのは、オハ35系やスハ42系等の旧型客車よりもさらに一世代前の車両の場合が多いので、車両的にも資料的価値があるのです。

スエ32は、オハ35系のひとつ前の客車であるスハ32系の荷物車マユニ31から改造された救援車です。おそらく外観はほとんど改造されてないんじゃないかなと思います。
荷物車ながら窓配置は座席車と同じだったようで、スハ32系で最後になった小型窓がよく分かります(オハ35系から窓が大型化された)
スハ32系の現存車はなかなか希少です。有名なところではJR東日本が動態保存で1台保有していますね。


スエ30形スエ30-41
オハ31系の荷物3等合造車のオハニ30から改造された救援車です。これも扉配置は種車時代から変わってないと思われ。客室部分はそのままなのか改造して資材置き場にしたのかはちょっと外からじゃわからないですね。見た感じ物置になってますが、あのブルーシートは冬季に車両に被せるやつですかね?

オハ31系も貴重な客車です。スハ32系よりも一世代前の客車ですし。
オハ31系よりも前に製造されていた木造客車ナハ22000系の車体を鋼体化したような客車です。車体を鋼体化しただけの客車みたいなものなので、二重屋根、妻面のアンチクライマー、魚腹式台枠など、当時の木造客車の構造を引き継いでいて、オハ31系の特徴にもなっています。
あとは、鉄道模型のKATOが初めてNゲージを生産した時の車種がオハ31系だったので、そういう意味でも知られた客車です。

というところで今日はここまで。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その10【2017/5/3~7】

2019-01-29 19:50:30 | 旅行・イベント記
2017年5月4日(木)8時47分
 北海道札幌市中央区 西18丁目駅
北方projectも2日目のスタートです。一晩過ごしたホテルの最寄駅の西18丁目駅から札幌市営地下鉄東西線に乗ります。


JR札幌駅に着きました。でかい駅だよなぁ。
ここから駅前にあるレンタカー屋に行って車を借ります。写真は撮り忘れましたが日産のノートeパワーでした。エンジンで発電した電気でモーターを回して走る電気式ディーゼルカーみたいなやつです。(ノートはガソリンエンジンですが)
今回は結構な距離を走ったんですが、途中の給油は無しで走りきったので燃費はたいしたものなのかもしれません。eペダルはずっと踏み続けていないとたちまち減速してしまうのでちょっといらないかな・・・と思いましたけど(足をペダルから離して足首を解せないのが特に高速道路を巡航中ではアレ)


2017年5月4日(木)10時50分
 北海道岩見沢市栗沢町 大地のテラス
車を走らせて1時間半ほどで岩見沢市の大地のテラスに着きました。地のものを使ったレストランです。シュラスコが名物なんだとか。開店前ですがすでに行列できてます。美味いんだろうね。


ベンツのリムジンがいました。送迎で使うんでしょうねぇ。


でまあ、我々の目的はアレです。


JR北海道711系電車。函館本線の電化に合わせて登場した電車です。
2015年に引退しましたが、その前から保存の機運が高まっていて、同年8月から大地のテラスで公開されました。
保存に際してはクラウドファンディングを利用して車両の移送費用が集められました。確かこの711系がクラウドファンディングを使った鉄道車両保存のはしりだったと思います。以降も同様の手法で移送費や修繕費を集める例が増えていて、711系のこれは鉄道車両保存の転換点のひとつと言えるかもしれません。
私も以前にこれで札幌から旭川まで乗ったことがありますから、その時を思い出して懐かしくなります。保存されてよかったなと思います。


ここの711系の展示の特徴として、雪の降る冬季でもブルーシートを掛けないことが挙げられます。レストランで食事しながら電車を電車が見られる、というのがウリのひとつでしょうから、通年電車が見られることは大事なのでしょう。
ただし、その分車体の傷みの進行が早いらしく、塗装が剥がれたり補修の跡も目立ちました。所有者もその点は認識しておられるようなので、ほったらかしにされることは無いと思います。


車内にも入れます。あ~、こういう感じだったなあといろいろ思い出してきます。状態は極めて良いです。
今までの保存車両というと、自分が電車に乗るようになる前に引退してるような車がほとんどでしたので、711系のように現役時代に乗ったことのある電車が保存されるというのはこれが初めてなくらいです。
年配の人が保存車に乗って懐かしむ気分がようやく分かってきたような気がしました。


北海道型の車両といえば二重窓ですね。今の電車は普通の固定窓になっているので、この二重窓をギリギリ体験できました。
車窓も函館本線のそれっぽい感じですので、いいですね。


運転台。こっちはあんまりよく見てなかったのでそれほどでも。


711系は2台保存されていて、クハ711-103とクハ711-203。3両編成の中間のモハは無いです。電車なのにモハがないのか・・・と思うのはいつものことですが、やっぱりまあ顔のある方がいいってことですよね。自分でもそうすると思います。
このクハ711-103の車内ではグッズ販売をしてました。募金がてらDVDを買いました。気に入った保存車があって募金できる手段があるならしといたほうがいいですね~。


短い時間でしたが懐かしみに浸れる電車でした。今後も末永い保存を願います。

今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その73【2016/03/04~10】

2019-01-20 22:53:17 | 海外旅行記
館内の一角に羽のついたカヌー飛行艇を集めたコーナーがありました。コマンドー飛行艇好きのスタッフがいるのかな?


マーティンPBM-5Aマリナー(1939年・309機目)
一角を大きく占拠するでかい哨戒飛行艇。二式大艇ほどじゃないけどでかい。丸っこい胴体やガル翼も合わせて、一度見たら忘れられない形状をしてます。
エンジンナセルの後方は爆弾倉になっていて、通常爆弾、爆雷、機雷、魚雷を積むことが出来ます。胴体にはレーダーも銃座もあります。
輸送、哨戒、偵察、救難救助任務などをこなしていました。アメリカ海軍の飛行艇と言うとPBYカタリナが有名でPBMは知名度が低いんですが、結構手広い任務をやっていました。この手の機体としては少なくない数の1,400機が生産されてイギリスにもレンドリースされてますし。


V字型の水平尾翼とその先端に付けられた双垂直尾翼も特徴的です。


5A型の特徴は引き込み式の主脚を採用した水陸両用機であること。これより以前の型式には付いていない装備です。
40機足らずしか造られていないんで貴重です。まあ脚が付いている方が汎用性高いんでだからこそ現存したんだと思いますけどね。

このPBMは1948年に海軍に納品された機体ということで、戦後にも生産されていたんですね。海軍のアカデミーの教材として使われていました。1956年に民間に売却されて1971年にラストフライトだったそうな。


グラマンJ4F-2ウィジョン(1940年・310機目)
知らない機体ですが、5人乗りの双発飛行艇。ウィジョン(Widgeon)とはアメリカヒドリのこと。北米では身近な水鳥です。
もともと民間向けに販売していた機体で、民間向けの型式はG-44でした。グラマンはこれより以前より本家羽のついたカヌーとして知られる民間向け飛行艇のG-21グースを販売していますが、ウィジョンはそれよりも小型の機首として開発が始まりました。
1940年に初飛行して1941年に量産に入ったんですが、その間にどうも戦争になるっぽいぞってことで、軍に納品する方を優先することになりました。
初めに納品されたのはアメリカ海軍で、J4Fという型番も海軍のものです。海軍では沿岸警備や救難救助、連絡機として使用されました。さらに対潜哨戒の任務にも就き、実際にアメリカ東海岸の沿岸にやってきたドイツのUボートを撃沈した報告もあるそうな。

この機体は1943年9月20日に就役し、1948年に第一線を退きますが、新型飛行艇の設計テストに使用されることになりました。1954年4月に退役した時には海軍最後のJ4Fになっていました。その後は博物館入りしてピマには1987年にやってきたようです。


ペレイラ モデル2 オスプレイ2(311機目)
オスプレイ2号はオスプレイ1号の改良型で、外観はほぼ同じながらコックピットの密閉化と水陸両用帽子の追加が施されました。なので飛行艇コーナーに居るんですね。
元々のオスプレイ1号は、またの名をX-28と呼びます。つまり、アメリカ軍のX-1とかX-15とかX-29とかX-32とかの並々ならぬ実験機軍団「Xプレーンズ」の一員なのです。そう、こんな見た目でもXプレーンズ。悪い冗談はよしてくれって感じですが。
X-28は東南アジア各国の現地警察のパトロールのために開発されたんだそうで。小さくて安い機体が求められたんで、機体はホームビルド機からの流用になりました。Xプレーンズがホームビルド機ですか・・・。
機体は超小型でレシプロエンジン1発、胴体は水陸両用の飛行艇という仕様です。1971年に行われた飛行試験は良好で採用待ったなしという状況だったんですが、その年になるとベトナムあたりで敗色が濃くなってきていて、X-28どころではなくなってしまい計画中止になってしまいました・・・。

結構いい線いってた飛行機なので、軍の計画が中止になった後の1975年にはオスプレイ2号の改良をした機体の商用販売をはじめました。もちろんホームビルド機なのでキット形態での販売です。販売数は不明です。


ヒラーUH12C(1948年・312機目)
UH12はヘリコプター黎明期に登場した小型ヘリです。特に民間機としては初めてのヘリコプターだそうな。後にアメリカ陸軍にも納品されてOH-23と呼ばれてました。
C型は密閉型コックピット機能を追加した型式です。UH12は息の長い機種らしく、現在までに2,300機以上が生産されたそうな。


コロンビアXJL-1(1946年・313機目)
知らない機体ですが、なんだこれは、すごい形をした飛行機だなぁ・・・一度見たら忘れんぞ。今まで顎のついた飛行機は色々見てきたけど、こいつが優勝だなぁ。
グラマンのJ2Dダックを更新するためにコロンビア航空機により開発されました。聞いたことのない会社です。まず3機が生産されて1947年海軍に納品されます。こう見えて戦後生まれなのね。
納品後は試験飛行が行われますが、当初の期待とは裏腹に構造的欠陥が相次ぎ、1948年に試験は中止になります。機体も用途廃止になりました・・・。南無。

機体は格安で売りに出されます。誰が買うねん・・・と思いきや拾う神ありで、マーティン社の技師が買いました。彼は1955年に亡くなってしまいますが、それまでレストアが続けられました。彼の死後にまた売りに出されて、今度はシカゴ在住の男に買われます。技師の整備のおかげで飛行可能状態になっていて、1957年10月には再び飛行しました。
その後も色々なオーナーの元を渡り歩いて2000年にピマに寄贈されました。


エンジンからコックピットにかけては普通なんですけどね。艇体の部分がインパクト大きすぎなのである。


胴体に窓があるのが分かるでしょうか?
この異常に縦に長い胴体は、この中に人間を乗せるためだったんですね。乗員2名の他に6名の乗客を乗せることが出来ました。窓もちょっとしかないし、乗るというか詰め込まされるという感じですけど。
あとは垂直尾翼が小さいけど少し心配になる。


以下、装備品コーナー。興味深いので見ていきませう。

これはレイセオンGBU-24ペイブウェイIII。いわゆるスマート爆弾で、既存の2000lbs自由落下爆弾にレーザー誘導装置を追加することで精密爆撃を可能にする航空爆弾でごわす。
中央の膨らんでいるのが爆弾本体。その前の茶色い細長いやつがレーザーのシーカーで、シーカーに付いている羽は落下する角度を調節するカナード翼です。爆弾のお尻に付いているのは安定翼です。
GBU-24は最初からシーカーが固定で取り付けられているタイプです。シーカーの性能もペイブウェイIIよりも良くなってるとかで。


Mk.82爆弾 w/Mk.15スネークアイ高抵抗フィン。
Mk.82はご存知最も一般的な500lbsの航空爆弾です。1940年代末に登場しながら現在もバリバリに現役です。本来は無誘導爆弾ながらペイブウェイやJDAMといった外付けの精密誘導装置を取り付けることで誘導爆弾になるので、今でも使われている面はありましょう。
スネークアイというのは、爆弾投下時に展開する落下時の抵抗を増すための外付けのフィンです。低空爆撃時に取り付けられる装備です。フィンのない状態で低空爆撃すると機体と爆弾が同時に破壊目標に到達してしまい、爆風やその破片を自分が食らってしまう恐れがあります。なので、スネークアイを付けて機体と爆弾の速度をずらして、ダメージを受けるのを防ごうという狙いです。
蛇の目に見えるからスネークアイっていうんですけど、あんまそうには見えない・・・。


M36訓練用誘導弾。
AGM-114ヘルファイアの訓練弾です。ヘルファイアは攻撃ヘリに装備される対戦車ミサイルです。


マーズ2ロケットポッド。
ソ連のUB-16-57UMPロケットポッドのライセンス生産品。なのでアメリカ軍ではなくて東側諸国の装備です。
対人、非装甲車両に有効なロケット弾を発射します。


CBU-75。クラスター爆弾です。CBU-75には中に1800発の小爆弾が入っていて、これが空中で飛散し広範囲に着弾し人間を殺傷するエグい爆弾です。1950~1970年代に使用され、ベトナム戦争でも投入されました。


BDU-50模擬弾。
Mk.82爆弾の模擬弾です。


YASM-N-7ブルパップ。1959~1980年代まで使用。
AGM-12ブルパップ空対地ミサイルはアメリカで初めて大量生産された空対地誘導弾です。機体から発車後にコックピットのコントローラーでラジオ信号を介して操作します。


レイセオンAGM-154Aジェイソウ。Joint Standoff Weapon(統合射程外兵装)の頭文字を取ってJSOWです。今も現役。
GPS誘導のクラスター爆弾で、羽を展開して約95~110km(60~70miles)滑空することができるのだ。145発の小爆弾を搭載していて、非装甲車両も装甲車両も破壊できます。


これでひとまず本館の収蔵機は全て見終えました。次回からは暴力的な数の屋外展示機を見ていきますよ。ここからが本番だ。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その72【2016/03/04~10】

2019-01-19 21:37:13 | 海外旅行記
ロッキードSR-71Aブラックバード(1日ぶり2機目・306機目)
不幸せを呼ぶ黒い鳥~。
CIAの要請で、ソ連の地対空ミサイルをかわすために高高度をマッハ3で飛んでレーダーにも探知されづらいことを目標に開発された戦略偵察機です。昨日も見たんであんまツラツラと書きませぬ。
2日連続で見るともうお腹いっぱいです。派生型含めて32機しか造られてないんで数としては貴重な機体なんですが、有名どころの博物館に散らばって保存されているので意外と見かける機会はあるんです。


SR-71の腹。平べったいのだ。


SR-71のパイロット。宇宙服みたいなパイロットスーツで、自分だけでは着用できず介助してもらわないといけないような代物。
パイロットも体内の窒素を抜くために純酸素に4時間以上掛けて体を慣らします。任務終了後も同じくらいの時間を掛けて地上の空気に体を慣らします。えらく大変。


グッドイヤーエレクトロニクマッピングシステム(GEMS)という地図作成装置。
機体搭載ではなく地上で運用されます。SR-71のレーダーが捉えた情報を元に画像に転換します。
SR-71が撮影した写真を元に作成されます。写真の解像度は約10mで、つまり10m以上の物体を撮影できるということです。結構すごいことだそうだぞ。


エンジンポッド。
ショックコーンがかっこいい。


主脚のタイヤは3連です。あんまり見ない構造ですかね。


J58エンジンです。


ロッキードD-21B(1日ぶり2機目・307機目)
SR-71(を改造してD-21の母機にしたM-21)から射出されて飛行する無人偵察機です。前にも書きましたがまあ開発した連中狂ってますわな、という機体です。
D-21はM-21の背中に乗っかる形で搭載されて、空中で分離されて偵察飛行を行います。なんでそんな面倒なことすんのよって感じですが、D-21に搭載されているラムジェットエンジンは超音速飛行時でないと動作しない特殊なエンジンだったので、母機に載せて助走をつけてから発射させる必要があったのです。
で、この背中に搭載という方式がまずく、4回目の射出実験の時に母機と接触する事故が発生します。背中に乗せてりゃそりゃそうだって感じですが、これで母機ともども墜落してしまいパイロットも殉職する事態になってしまいます。

これ以降はM-21を母機に使うのを止め、代わりにB-52爆撃機の主翼下に吊るしてそこから発射する方式に変えました。機体にも仕様変更が加えられて、それがこのB型です。
本体はあんま変わってないんですが、B-52に吊るされるようになったこと、あとはロケットブースターを取り付けられるようになったことです。B-52は超音速飛行できませんので、ロケットブースターでさらに助走をつけてやる必要があったわけですね。
1967年から試験を始め、その後何回かの実戦に投入されましたが、1971年に運用を止めました。
この機体は退役後デイビスモンサンの飛行機の墓場に置かれていたのを借りてきたとのこと。


ノースアメリカンF-107A(1956年・308機目)
名門ノースアメリカンが送り出した最後の戦闘機、つまりノースアメリカンの断末魔、遺作・・・。これを最後にノースアメリカン製戦闘機は表舞台から消え去ってしまいました。南無。
これも珍しいやつです。アメリカ空軍博物館にいるのは知っていましたがまさかここにいるとは・・・。出会いはいつも突然だね。

センチュリーシリーズのひとつですが、これはリパブリックさんチームのF-105との採用競争に敗れてしまい、制式採用を逃してしまいました。なので本来はYナンバーのYF-107が適当なはずなんですが、どういうわけか制式ナンバーのF-107で通っています。謎ですね。


F-107といえば空気取り入れ口がアレなことで有名。キャノピーの上にあるんですよ。これは笑いを取りに来てますよ。
F-105がライバルだったということから分かる通り、F-107は全天候型戦闘爆撃機を目指して開発されてものです。
イチから開発されたのではなくて、既に実績のあるF-100を元にしています。しかし、戦闘爆撃機の要求には胴体内に爆弾倉を設けることがあったんですが、F-100の機首の空気取り入れ口から胴体を貫通してエンジンに吸気する構造では爆弾倉を配置できないのです。
なので、空気取り入れ口を胴体上部、コックピットの上の真後ろに持ってきて、爆弾倉を上から躱してエンジンまで持っていくというかつてない方法を採っています。

この配置、パイロットが緊急脱出した際に取入口に体を吸い込まれてミンチよりひでぇや、ということになりかねん...というのがテストパイロットから不評だったらしく、これが不採用の一因にもなったらしいです。あとは爆弾倉が完全に胴体内に埋め込まれなかったのも敗因です。腹をよく見るとお腹がぽっこり出ているのが分かると思います。
どちらの要素も完全新規のF-105に比べるとF-100の流用のF-107では不利な面があります。設計もムリヤリ感やいい加減感があり、ノースアメリカンさんチームもどこまで本気だったのか怪しいところです。


空気取り入れ口から後ろがなかなか異形です。
F-107は3機が試作されたんですが、F-105に敗れた後は2機がNASAで運用されて、ノースアメリカンの高速実験機X-15の操縦システムのためのデータ収集や高速飛行試験に使用されていました。

短いですが今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その71【2016/03/04~10】

2019-01-18 22:28:10 | 海外旅行記
2016年3月7日(月)12時20分
 アリゾナ州ツーソン ピマ航空宇宙博物館
ボーンヤードツアーから戻ってきて、再び博物館の見学を再開します。ところで見学時間はあと2時間ちょっとしか残っていないんですけど、結構不安です。駆け足で行きましょう。

まずは博物館のロータリーにゲートガード的に置かれているダグラスA-4Cスカイホーク(1日ぶり5機目・301機目)
A-4の中で全天候攻撃能力が付与された最初の型式です。塗装は民間のフライトシステム社のものになっています。


館内に戻りまして、ツアーで中断したところ・・・フェアチャイルドA-10AサンダーボルトII(1975年・302機目)から見学を再開しましょう。
アメリカ空軍の導入した攻撃機です。主に陸軍の地上部隊への上空からの近接航空支援攻撃(CAS)を目的として開発された機体です。これの開発史はなかなかおもしろいんですが、脱線が過ぎるので割愛。気になったら調べてみてね。これも見てみたい機体でしたので、感激でございます。

F-15と同世代のジェット機でありながらレシプロ戦闘機並みの700km/hしか出せない速度、分厚い直線翼、格納しきれない主脚、ろくな電子装備も無いなど、いろいろ変わった機体なのです。これも被弾の可能性の高い近接航空支援任務とからの生存性確保のための設計で、とても興味深いのです。


頭から尻尾まで面白い構造なんですが、まずはしっぽから。
エンジンはTF34ターボファンエンジンを採用しています。これ、速度面で不利のある高バイパス比エンジンで、戦闘用の軍用機でこれを採用するのは異例です。はなから速度なんて求めてはいないのだ、ということです。代わりに高燃費を実現しています。
エンジンの配置位置も興味深く、胴体の上に背負うように双発で装備しています。被弾時の被害を低くするためにポッド式で機外に配置しています。高い位置にあるので砂埃の舞う前線基地でも故障の原因になる砂や石を吸い込むことも低くなるのです。さらに双発にすれば片方がやられても生存性が高まります。

垂直尾翼も左右2枚になっています。これも双発エンジンと同じで生存性向上が目的です。さらにジェット噴流が出す赤外線を遮る効果もあるとかないとかで。赤外線を抑えられれば赤外線誘導の地対空ミサイルを防ぐことが出来ますからね。


WWII期の練習機かな?ってくらい分厚い直線翼。大きい上半角が付いているのも特徴。低速でも揚力を確保できるし、武装の搭載でも有利です。
主翼の翼端は下方に曲げられています。旅客機のウィングレットのようなもので、翼端渦流発生を抑えて誘導抵抗を減らすのが目的だとかで。


正面。WWIIの双発攻撃機かいなって感じ。
なんといっても固定武装の30mmガトリング砲GAU-8アベンジャーが目を引きます。発車口が機首の中心線に来るように、中心線からやや左側に配置されています。
で、変わっているのが中心線から右側に配置されている前脚です。クソでかいアベンジャーを機首に置いたがために前脚をしまう空間がなくなってしまったのです。なのでやむを得ずオフセット配置にしたのです。


A-10の代名詞、GAU-8アベンジャー。強力な30mm劣化ウラン弾をお見舞いするぞ。対戦車兵器で、肉厚の薄い上面装甲をぶち破るのだ。対人兵器に使うには威力過剰です。
弾倉や給弾装置も含めるとクソでかい武装になるんで、A-10の主翼より前方はだいたいアベンジャーを収めるのでいっぱいいっぱいになっているのです。
なお開発したのはゼネラルエレクトリックです。軍用機方面ではジェットエンジンで有名な会社ですが、こんなのも造ってるんね。


給弾部。


こっちはGAU-13 30mmガトリング砲。アベンジャーは7砲身ですがGAU-13は4砲身で発射速度も低いアベンジャーの廉価版です。
これを外装化して機関砲ポッドとしたのがGPU-5で、F-16に装備されました。あんまり使い所がなかったのか、1990年代には用途廃止になっています。


超巨大紙飛行機・・・の破片。
子供向けの巨大紙飛行機コンテストの一環で作られたものだそうな。大きさは全幅7.3m、全長13.7m。
ヘリコプターで高度800mまで運ばれてそこから飛ばして160km/h手前まで速度が出ました。ただし着陸がうまく行かなくて損壊してしまいました。


フリート モデル2 バイプレーントレーナー(1928年・303機目)
アメリカ陸軍の練習機PT-3とアメリカ海軍の練習機NYを原型にした民間用の複座練習機です。1930~1940年代にかけて人気のある機体でした。


リパブリックRF-84Fサンダーフラッシュ(2日ぶり2機目・304機目)
戦闘爆撃機のF-84Fを写真偵察機に再設計したやつです。F-84は機首に大きい空気取り入れ口が1つあるんですが、RF-84Fでは機首にカメラを配置したので、空気取り入れ口をそれぞれの主翼前縁の根本に移設しています。
何度も書いてますが、そんだけ形を変えてるのに同一形式にするのは無理があるんじゃ・・・。

これの初飛行は1952年で、1970年前半まで現役でいました。機種の置き換え速度の早い当時としては意外と長生きでしたね。塗装的にベトナム戦争にも参戦していたんでしょう。
この機体は4つの飛行隊を渡り歩いてきていて、在日米軍の飛行隊に配属されていた時期もあったようです。こんなところに訪日歴のある機体がいるとはね。


ここのRF-84Fの見どころは、偵察カメラが内蔵されたまま展示されていることです。大抵の場合、偵察機のカメラは抜き取られて展示されているので、これは珍しいです。
まあレプリカの可能性もありますが、こういう展示はうれしいです。


機首の先端の他にもカメラが展示されています。RF-84Fは全部で8台のカメラが有りました。


ロッキードYO-3Aクワイエットスター(1969年・305機目)
アメリカ陸軍が使用した小型観測機です。これの初飛行の少し前の1967年に陸軍の固定翼機はほぼ全て空軍に召し上げられてしまったはずですが、これは例外だったんでしょう。
クワイエットスター・・・静かな星という意味ですが、名前通り静粛さがウリの飛行機です。ちなみに「◯◯スター」というのはロッキードお得意の命名規則で、スターには特に意味はないと思います。

グライダーにエンジンとプロペラを付けたような機体で、主翼はやたら幅の広いものになってます。上空400mの低空を飛行しても地上から機体の音が察知されないような飛行機という要求仕様に応えたものです。
エンジンの排気音を抑えるために排気管は胴体後部まで延びていて、その先には特殊な消音装置があります。さらにプロペラも低回転で回せたようですし、半分滑空しながら飛んでたと思われ。
音によるステルス航空機と言えましょうぞ。


YO-3Aの任務は砲撃の着弾観測もあったそうですが、主任務は夜間に飛行して北ベトナム軍の特殊訓練を受けたゲリラの動きを観測すること。そのために機首下部に取り付けられたのが赤外線探知機と暗視装置です。
これを使えば、夜間でもジャングル越しでも北ベトナム軍の動きを捉えられるのです。人間の熱を捉えるのは無理だったようなんで、車両などの排熱を頼りにしていたんでしょう。


透明な突起は何なのかよく分かりませんが、目標照射装置の可能性はあります。
結局試作機を表すYナンバーが取れないまま10機ちょっとしか作られなかったんですが、実戦投入されていたようです。試作機で実戦って、ガンダムみたいだね。

というところで今日はここまで。



【1/72】ゼネラルダイナミクスYF-16【ギャラリー】

2019-01-16 21:22:09 | 模型ギャラリー

キット:ハセガワ 1/72 YF-16/CCV
仕 様:YF-16
[製作記はこちら]

YF-16はゼネラルダイナミクスが開発したアメリカ空軍向けの軽量戦闘機の試作機です。YF-17との競作になりましたがYF-16が勝利し、F-16として制式採用されたのです。ちなみにYF-17はアメリカ海軍が関心を示してF/A-18になりました。

キットはハセガワが1984年に発売したもので、普通のYF-16とYF-16/CCV(Control-Configured Vehicle)とのコンパチになっています。現在は絶版になっているキットです。

F-16は好きな戦闘機ですので、それの試作機のプラモデル(しかも絶版品)を手に入れられて製作することが出来たのは幸運です。俄然、他のF-16のプラモデルも作りたくなってくるというものです。






ガンダムみたいな色使いは現実の試作兵器ではありえないうそっぱちだ、という意見が散見されるようですが、YF-16を見る限りではそういうわけではないというのが分かります。もろガンダムのトリコロールカラーです。兵器の型番もデカデカと書いています。









以上、YF-16でした。



【1/72】YF-16 製作【ハセガワ】

2019-01-15 21:30:26 | 航空機模型製作記

ハセガワのYF-16を作りました。
むちゃくちゃかっこいい戦闘機で知られるF-16の試作機で、YF-17と覇を競いました。
これを見つけた時から、最初に作るF-16のプラモデルはこれにすると決めていたのです。

キットはYF-16/CCVで、1976年発売のYF-16のキットにカナード翼の部品を追加して1984年に発売したバリエーションもの。カナダのプラモ屋で売られていたやつで、相当古いキットなのだ。箱絵的には初回ロット説があります。
バリエーション展開の効かない試作機のプラモデルをよう出せたもんで。当時はなんでもプラモデルにしていたのねぇ。
現在は絶版になっているんでオクで売りに出せばそこそこの値段がつくかもしれませんが、軽率に組み立ててしまうぞよ。


成形品は珍しく白色で成形されています。せっかくなんで機体の白い部分は成型色を生かして無塗装でいきませう。



風防とデカール。デカールはさすがに黄ばんでいました。
とはいえ替えが効くもんでもないので、このまま使用しました。幸い、貼り付ける際にデカールがぼろぼろと崩壊することはありませんでした。



塗装図。YF-16とCCVの2種類を作れます。F-16の原点であるYF-16の方を作ります。



仮組みします。古いキットとはいえ、まだ金型が痛みだす前に生産されたものでしょうから状態は良いのだ。特に直すところもなくサクサクと組み立てていくぞ。



エアインテークは奥が壁になっているので開口します。
口に沿ってドリルで穴を開けていきまして、穴と穴の間をニッパーでちぎっていって、壁を取ってしまいます。



大穴を開けたところで、表面をカッターやヤスリできれいに整形してやれば完了です。

なおインテーク側面にはCCV用のカナード翼を取り付けるための穴が空いています。YF-16には必要のないものなのでちゃんと作るなら穴を埋めてやる必要があるんですが、無視しました。



コックピットはチョー簡単な表現です。F-16独特の背もたれの角度が深い座席はちゃんと表現されているようで。



塗装に入ります。上記の通り白は塗らないので、紺色と赤色の塗装です。赤を塗ってから紺を塗ります。
赤色のマスキングは楽なんですが、紺色のマスキングはガイドとなるようなものがないので難儀します。組立図とにらめっこです。



塗り終えました。ガンダムカラーですね。



デカールを貼りました。デカールのニス自体もやや黄ばんでいたので、白の上に貼ると黄ばんでいるのがちょっと見えてしまうんですが、まあ遠くから見ればばれないと思います。
ところで、F-16は風防と天蓋が一体化しているのでガラスの枠が極めて少なく、塗装するのにはとても楽な戦闘機なのです。



クリアコートして、ほどほどに表面の研ぎ出しをしました。あんまりツヤツヤにするのも好きではないんで。



はい、完成しました。サクッと完成できる良いキットでした。
完成品はギャラリーにて。

<使用塗料>
■本体赤:Mr.カラー C327レッドFS11136
■本体紺:Mr.カラー C328ブルーFS15050
■機首:アクリジョン N12つや消しブラック
■エンジン:アクリジョン N18黒鉄色
■排気ノズル:アクリジョン N76焼鉄色
■タイヤ:アクリジョン N77タイヤブラック
■ピトー管:アクリジョン N8シルバー

北方project ~Welcome to Hokkaido. その9【2017/5/3~7】

2019-01-12 20:27:29 | 旅行・イベント記
小樽市総合博物館から撤退しました。帰りは歩いて小樽駅まで戻ることに。
途中、近代建築物を眺めながら歩きます。


謎車。ヨーロッパっぽいなと思ったんですが、バンデン・プラス プリンセス1300なんだそうな。
体格は小さいですが高級車の部類に入る車でした。


小樽運河にある謎の建物。ちょっと魅力。
倉庫か工場でしょうかね?


人の気配がないですが、廃墟になってしまったんでしょうか?


滑り台もありますぜ。


このあと駅の向こう側まで歩いてお土産屋を物色したら、駅前まで戻って、近くにある焼肉屋でジンギスカンを食べました。


たまたま見つけた店でしたが、美味でした。
少し癖のある肉でしたが、ラム肉を食べている感じがするんで癖のある方が良いですね。


小樽駅へ戻ってきました。もう真っ暗よ。


小樽駅で少し撮影。函館本線の小樽以西で使われるキハ150形とキハ40形1700番台。小樽~長万部も1回乗っただけですね。小樽~倶知安あたりまでは列車本数もそこそこあるんでまた乗ってみたいものです。


キハ201系とキハ150形。


733系の普通電車で小樽を後にしました。
この日は札幌市内の小さなホテルの4人どうにか寝られるような大部屋で一泊しました。

次回から2日目に入ります。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その8【2017/5/3~7】

2019-01-11 21:46:06 | 旅行・イベント記
2017年5月3日(水)15時0分
 北海道小樽市 小樽市総合博物館
時間は少し遡って屋外展示を見学し始めて少し経った頃。アイアンホース号が動いているのが見えたので、少しの間これの見学に専念することにします。

前回でも少し触れましたが、アイアンホース号は小樽市総合博物館で動態保存されている蒸気機関車です。1909年にHKポーターで製造された2-6-0車輪配置の小型機です。特徴的なのは軌間で、914mmという日本ではほとんど例のないゲージです。というのもこの機関車、もともと日本にゆかりのある機体ではなく、小樽市総合博物館の前身の北海道鉄道記念館開館に合わせてアメリカから購入した異色の経歴の持ち主。しづか号と製造工場も車輪配置もパッと見の大きさもおおよそ同じ(アイアンホースの方がやや小さい)なのが選ばれた決め手になったんだろうと思います。

アメリカのどこから来たのかはよく分かりませんが、保存鉄道かテーマパークあたりらしいです。あとは製造番号4515は分かっているのでこれから製造後の納品先くらいまでは辿ることができるかもしれません。
914mmゲージ・・・つまり3ftゲージはアメリカでは森林鉄道や工場専用線みたいな簡易的な鉄道で使われていた軌間です。しかしそんな路線は生まれては消えていったり機関車も転職を繰り返したりで、簡単に経歴を追えるもんじゃないです。


ちょうど列車が中央駅へ入ってくるところに遭遇したので、静態保存車の見学を中断してアイアンホースの撮影に切り替えます。
まずは無難に編成写真を撮ります。


側面。典型的なアメロコという外観でして、実に素晴らしい。こう見えてもテンダー機なのだ。
ボイラーを緑色に塗っているのはアメロコでは意外に見えますが、20世紀初頭あたりまではカラフルに塗られている例は結構ありました。これもその時代を想定しての塗装だと思います。あとはテンダーにライニングがされてればもう文句なしのかっこよさになります。
まだ蒸気機関車が高価で珍しい時代だった頃の話で、その頃は機関車1機ずつに愛称をつけるくらいには丁重な扱いを受けていました。次第に機関車の数が増えてくるといちいち名前をつけている余裕も無くなり、管理するにも不便なので数字だけ付けられるようになってしまいました。
なおアイアンホースの番号、3号機の由来が説明されているところは見当たらず、由来が分からず。アメリカ時代の番号だったのかなぁ?


客車は多分博物館が独自に製作したものだと思います。緑色の密閉型客車1両と赤色の開放型客車2両が連結されています。
台車は小型アーチバー台車を履いています。3ftゲージの特殊性から、台車は機関車と一緒にアメリカから輸入されたものかもしれません。


数百mの路線ですが、ちゃんと機関車の方向転換をします。まあカウキャッチャーが付いているんで向きを変えないと連結できないですしね。
この転車台は手宮線で使われていたものなんだそうな。


方向転換を終え、機回し線に入ります。


機回しを終えて客車と連結。
ナローゲージの保存鉄道の雰囲気が存分に充満していて素晴らしい。


手宮駅行きの列車を撮影。地面から撮影してみることに。
客車はご覧のように盛況でございます。


手宮駅での機回しの様子を縦面で撮影。
機関士と機関車の大きさを比べてみると、機関車の小ささが分かると思います。


走行中のところをもう一度撮影。アウトカーブからの撮影です。柵がアレですがまあ仕方ないです。


桜の花が咲いていたので入れてみましたが、まあそうね・・・。


最後に引きで撮影。
これでアイアンホースの見学はおしまい。今回乗らなかったんで、次回は1回乗っておきたいところ。

そしたら中断していた車両見学を再開しました。


車両見学をすべて終える頃にはもうぐったりです。
本館2階の展示を軽く見学して、最後に2階からしづか号を撮影して締めました。



北方project ~Welcome to Hokkaido. その7【2017/5/3~7】

2019-01-09 22:36:56 | 旅行・イベント記
小樽市総合博物館の続きです。まだ見る車両があるんですよ。


レンガ積みの扇形機関庫。これも相応に古い建物だったはず。


博物館のアイドル、アイアンホース号。動態保存されている蒸気機関車で、館内の線路を往復してます。今日はもう一日の運行を終えて入庫しています。
アイアンホースについては次回にて詳しく。


キ600形キ601ロータリー式除雪車
前方に付いた巨大な回転翼で雪を吹き飛ばすタイプの除雪車です。キ601はアメリカのアルコ社で1923年に作ったものを輸入したアメ車なのです。
全部で十数台造られましたが、アルコから輸入したのは最初の2台だけで、残りは構造を丸パクリして国内製造にしました。アルコもよくブチキレなかったな。

雪を吹き飛ばすような巨大な動力は蒸気機関により生み出されます。なのでこの車両には蒸気機関のボイラーがまるっと乗っかっています。この写真は後ろ側ですが、ボイラーの火室やら燃料投入口なんかが分かると思います。屋根が見られれば煙突があるのも分かるそうな。さらに本来は水と燃料を入れておく炭水車も連結されます。
ただし動力は全て回転翼を動かすのに振っているので自走は出来ませぬ。後ろから機関車に押されながら走ります。


キ800形キ800マックレー式除雪車
線路の左右に溜まった雪を崩すための除雪車。写真の向きから見た場合(これは後ろ側から見た向き)、V字形に雪かきする羽が展開して、雪を線路に掻き込みます。線路上に寄せられた雪は後ろを走るキ600みたいなロータリー式除雪車によって遠くへ飛ばされ除雪完了となるのです。
これも無動力なので前に連結した機関車に引っ張ってもらいます。このマックレーとロータリーを組み合わせた除雪方法をキマロキ編成と呼んどりました。車両の連結順になっていて、キは機関車、マはマックレー、ロはロータリーですね。名寄に行けばこの形態で保存展示されている車両を見ることが出来ます。一度行ってみたい。

ロータリー式と次に出てくるジョルダン式はアメリカ製のをコピーして国内製造したんですが、マックレー式はカナダの技術を参考にしつつも独自開発したやつです。というか北米にはマックレー式って無いらしいですね。


キ700形キ718,キ752ジョルダン式除雪車
操車場や駅の留置線など線路が何本も敷いてあるようなところを除雪するための車両です。幅広の羽を持つので何本もの線路を一度に除雪できるのだ。
ちなみにこの窓の付いている方が前側です。羽の付いてるほうが後ろ側。右と左で先頭の顔つきが違いますが、左のキ752は仕様変更が加えられた改良型の750番台なんだそうな。
なおこれもまずアメリカ製を輸入してそれをコピーして国内生産したもの。


こっちがキ718。細っい!


ト形30号/7150号
30号は北海道炭礦鉄道時代の、7150号は国有化後の名前です。さらに大勝号の和名もあります。お好きな方でどうぞ。
これまで輸入に頼っていた日本の蒸気機関車において、2番目に国内製造された蒸気機関車です。第1号は神戸で造られた860らしい。


狭いところに置かれているんで全景を撮るのは無理。
国内製造した蒸気機関車ですが、これも輸入機のコピーです。さっき見たしづか号こと7100形を参考にしています。


煙突とか細かいところは違いますが、基本的には7100形の同様です。


キャブ内もそっくりです。


キハ03形キハ03-1
1956年製のレールバスこと小型気動車です。キハ01形の派生型で、耐寒耐雪構造を施した北海道専用車。ちなみに製造は当時まだ駆け出しの東急車輛。
全長10mちょっとの車体で、エンジンはバス用のディーゼルエンジンを転用、他にも各所にバス用部品を流用しています。80年代に富士重工が開発したレールバスLE-Carよりもだいぶ早く開発されていたのです。

ローカル線輸送の収益改善の切り札として投入されましたが、小型すぎて汎用性に欠けることが露呈。通勤ラッシュ時には収容力が足りなくなるし、複数台連結時の総括制御運転は出来ないし、トイレもない、座席も狭い...等々。
おまけに耐用年数も低かったので、寿命が来た段階でソッコーで廃車になってしまい、10年ちょっとの短命に終わりました。


キ550形キ1567ラッセル式除雪車
除雪車の中でも一般的な種類です。正面に雪かきする排雪板を付けて線路上の雪をどかすのだ。
キ550は複線用のラッセル車で、隣の線路に雪が溜まらないように排雪板が片側の向きにだけ取り付けられているのです。


キ100形キ270
こっちはよく見る単線用のラッセル車です。排雪板が楔形になっているのです。


DD14形323号機
ほぼ除雪専用のディーゼル機関車。アメロコみたいな外観がステキ。
ロータリー式のヘッドを装着できて、蒸気機関車時代にキマロキ編成を用いて除雪していたのがこれ1機で済むようになったのです。
雪が降らない季節は用無しになってしまうんですが、そうならないように雪かきのヘッドは外して入換機程度には使えるようになっています。


通称ザリガニの愛称で知られるロータリーヘッド。雪の巻き込みと遠方投射を同時に行えるのだ。


機関車とロータリーヘッドの連結部。
灰色の棒状のものが羽に動力を伝えるプロペラシャフトです。たぶん。


後ろ側。たまにこっち側の写真をバーンと載せていることがありますが、蒸気機関車の炭水車を正面だと思って撮っているようなもので。
まあボンネットがドカンとあるこっちの方が迫力あるんで分からんでもないですが。


DD15形37号機
DD13を除雪用機関車に再設計したやつです。ラッセル式の雪かきを取り付けられるようになっています。従来の専用の除雪車を使うよりも方向転換や機回しが不要になるので効率的に運用できるのがウリでした。


機関車本体はDD13とほとんど同じです。

今日はここまで。