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山梨県の保存車両巡り 前編【2018/7/8】

2022-11-26 23:14:07 | 鉄道撮影記

2018年7月8日。
長野県南牧村に「野辺山SLランド」という小さな遊園地のような場所があります。名前の通り蒸気機関車を売りにした施設なのですが、そこで使われている蒸気機関車は台湾糖業鉄道の軽便規格の機関車で、日本では珍しい物でした。
しかし、2018(平成30)8月末をもって閉園することが決まりました。今まで存在は認知していたものの、野辺山の方に用事がなかったことと電車で行くにも駅から微妙に離れているので行けていませんでした。閉園直前に訪ねるのは私のポリシーには合わないんですが、それにしたって行ってみたいので友人たちと一緒に最初で最後の野辺山SLランドへ行ってきました。
自家用車を乗り合わせて行ってきたので、野辺山へ行くまでの間にある保存車両を見ていくこともしました。
写真はJR身延駅前のしょうにん通りです。


最初に立ち寄ったのは、山梨県富士川町の利根川公園です。ここには山梨交通電車線で活躍していたモハ7形8号が静態保存されています。
山梨交通電車線は1930(昭和5)年~1962(昭和37)年の間、甲府駅前~甲斐青柳で運行されていた鉄道路線です。通称ボロ電。身延線が富士川左岸に路線を伸ばしていたのに対してボロ電は富士川右岸を走っていました。
この8号が保存されている利根川公園は、電車線の路線跡のすぐ横にあるので縁のある土地に保存されていることになります。


この前面。どこか他所の会社で見たことありますね。
7号は山梨交通が廃止された後に上田丸子電鉄へ譲渡され、そこからさらに江ノ島電鉄へ渡っていきました。そして江ノ電時代に車体の大幅な改造が行われて、3扉化と同時に前照灯と尾灯を前面腰部へ取り付けました。この灯具配置は当時の江ノ電の電車の特徴と言えるものです。この灯具と3枚窓と行先板の取り付け方という各パーツによりかなり江ノ電色の強い印象となっています。3枚窓は原型から変わっていないんですけどね。
8号は江ノ電で廃車になった後に当地へやって来て保存されたわけですが、その時に原型への復元はされていないということです。車体は大改造されているので復元するのは大変なんですね。車番の801号も江ノ電時代のままです。


8号は1948(昭和23)年汽車製造製です。
連結器は密着自動連結器で、連結棒部分はあまり見たことのない形状ですね。


台車は汽車製造謹製の板台枠台車です。


連結面側。8号は元々単車でしたが江ノ電で改造された時に2両編成に組成されました。ですが乗務員扉の撤去はされなかったみたいです。こちら側の前面のほうが比較的原型を留めているかもしれないです。
ちなみに、側扉は原型は片側2扉だったのを江ノ電で3扉に改造されています。扉を原型に戻すのは一苦労でしょうね。


集電装置はパンタグラフ。PT52型らしく、これも江ノ電時代の物。


大昔の電車ですが屋根付きで保存されているので状態は良好に見えます。所有や管理は自治体が担当しているようです。


公園前の道路には山梨県名物の警察官人形が佇んでいます。これを見たのは初めてです。
人形の造形はリアルタイプで、経年劣化の影響でやけにリアルです。


こんな感じで路肩に突っ立っています。初見でこの道を走る人は一瞬ビックリするでしょうね。ただし最初だけで2回目以降は平気になってしまいますな。

利根川公園からはこれにて撤収です。




次にやって来たのは、南アルプス市役所若草支所(旧若草町)です。ここには鉄道省ED16形15号機が静態保存されています。いや、この記事の執筆時点では過去形で、2022(令和4)年4月に解体されて現存しません。
ED16形は老朽化によるものという説明がされていますが、ここの跡地に建設された施設の用地を確保するためにお払い箱にされたんだと邪推しています。というのも、いうほど老朽化しているとは思えなかったのです。今更何を言っても・・・ですが。
車両の周りに写真のようにのぼりや横断幕がでかでか覆ってあるような状態なので、訪問時から扱いは良くなかったのかもしれませんね。


横断幕が邪魔なので反対側に立ってみても、こっち側は立ち木が邪魔です。なんだかなぁ、という違和感を覚えたものです。
さてED16形は、1931(昭和6)年に18機が製造された直流電気機関車です。初めての国産電気機関車EF52形を縮めたような形態となっています。中央本線、上越線といった直流電化された勾配線区のある路線で運用されました。晩年は南武線・青梅線での貨物輸送が代表的です。最後の機体が廃車になったのは1984(昭和59)年で、50年以上活躍を続けた長寿機でした。
この15号機は1978(昭和53)年10月に廃車されています。その後の詳細の経緯は簡単に調べたところでは出てこなかったですが、廃車直後に当地へ移動されてきたのだと思います。SLブーム華やかし時期に電気機関車を保存したのは珍しい事例でしょう。旧若草町は中央本線と接しない自治体でしたが、地元に縁のある車両を選定したというのもグッドでした。


車体は見ただけでは腐食や目立つ部品の欠損などが無く、良い状態のように思えました。塗装が色褪せているのと薄い苔が生えたようにわずかに緑色に変色したような状態でした。その点では見た目はあまり良くなかったでしょう。


残念ながら車体ともども手入れはされていないようですが、台車も良好な状態を維持しているように見えました。やはり戦前製の鋼鉄は良質で丈夫ということでしょうか?


反対側から。やはり車体が苔っぽいですね。
少し調べた感じだと、機体を引き受けた当初の旧若草町時代には当然自治体にも担当部署があって、地元の保存会の手入れもされていたみたいです。それがこういう放置状態になったのは、保存会の消滅と自治体合併に伴う部署の統廃合による機関車の所管が宙に浮いたという、割とお決まりの結果じゃないかと推測しています。
保存会に関しては、機体の譲渡直後に結成されたとすると今日までに40年近く経過しています。これもおそらく保存会人員の世代交代や跡継ぎに失敗したのかもしれないです(これも確証無し)。この課題はこれからも全国の保存車両の保存会で起きるはずです。


ナンバープレートと製造銘板はどうやら本物っぽいですが。

ED16形15号機が解体されてしまったのは残念です。どう動いていれば解体を回避することができたのか、それを考えて今まだ残っている保存車両を少しでも長く生き延びさせることがこの機関車のためにもなるんだと思います。

南アルプス市からはこれで撤収して次へ行きます。




3箇所目は、韮崎市にある韮崎中央公園です。広い公園で、球場やライブスチーム(ミニSLや)なんかも備えています。そしてここには複数の車両が保存されています。


C12形5号機蒸気機関車です。閑散線区用のタンク機関車です。
1932(昭和8)年2月汽車製造製。新製配置は宇都宮機関区で、北海道の複数の機関区を転勤した後、1969(昭和44)年5月甲府機関区に転属して、翌年4月に廃車されました。廃車後は甲府城で静態保存されて、ある日韮崎中央公園へ移設されたそうな。


露天保存ですがきれいな外観です。手入れされているみたいです。


後部前照灯には破損防止用と思われる網が付けられています。前部前照灯には網が付いていないですが、レンズが原型ではないからでしょうか?


公園にはライブスチームの設備があります。春から秋の日曜日に運転しています。


今日はちょうど運転日でした。小さくても動くSLは見てても乗っていても楽しいものです。


韮崎中央公園にはもう1箇所保存車両が置かれています。しかも5台も。


EF15形198号機とトラ70000形4台、ヨ5000形が連結された状態で静態保存されています。


EF15形は1947(昭和22)年から202機が製造された直流電気機関車です。同時期に製造されたEF58形とは兄弟形式で、EF15は貨物用、EF58は旅客用と棲み分けされていました。
この198号機は、1958(昭和33)年10月東洋電機/汽車製造製です。直流電化区間各地の機関区を転々として、甲府や八王子の機関区にも所属していた時期がありました。1986(昭和61)年に廃車になりました。EF15形としては現役最後の1機でした。
車体の塗装は、色褪せているというよりそもそもぶどう色で塗られていないらしく、パンタグラフも同様に塗られていることから考証にやや難ありといったところです。重厚的なデッキ付き箱型電気機関車のスタイルは素晴らしいのですが。


同一形式が一箇所になんと3台も保存されている珍しい例のトラ70000形。それぞれ72379号、74778号、75013号です。


これらの保存車には足場が置かれていて、足場越しに機関車の室内をのぞけたり貨車の荷台に立ち入ることができます。


最後にヨ5000形14041号。
このように電気機関車、複数台の貨車、そして車掌車が連なっていることで貨物列車の様子が頭に浮かび上がってきます。これらを譲り受けた当時の担当者は、保存車両を車両単一で見ることをせずに1本の列車として保存したかったのだろうと考えられます。広い視野だと思います。


車掌車の車内。劣化は進んでいますが原型度は高いかもしれません。


韮崎中央公園を後にして、野辺山方面へ向かいます。

というところで今日はここまで。


中編へ→



 
 
 

電車急行の代走と静岡空港 後編【2018/6/16】

2022-11-20 21:16:08 | 鉄道撮影記
かわね路号を撮影後は電車急行代走のEL急行の復路を撮影するため新金谷駅まで降りてきました。
EL急行がやってくるまでの間、新金谷駅の車両基地を観察してみます。


7200系の赤帯無し。電車急行の常連選手ですがどうやらこれが検査中のようで、それでEL急行が代理を務めた、ということのようです。


留置線には、2018(平成30)年3月にやってきたばかりの12系客車がいました。JR西日本の「SLやまぐち号」で使用されていた客車です。2017(平成29)年にJR西日本で廃車されたあと、大井川鐵道のいつものクセである「出物が現れたらとりあえず確保しておく」が発動させてこの客車を取得しました。
この記事を書いている4年経った今も運用開始の予定は立っていないです。半ば放置状態とも言える状況に批判的な意見もありますが、こういうSL観光列車向けの中古車が放出される機会は滅多に無いので、確保できるうちに取っておいて使う機会が来るまで寝かしておくのはアリでしょう。
もっとも「やまぐち号」や「はまなす」の客車の出番が回ってくるということは、今使われている旧型客車の勢力が減少することを意味すると考えられるので、手放しでは喜べないですかね。



長いこと休車状態のいぶき501号。


7200系の赤帯が奥にいました。


3000系は倉庫代わりに使われています。車輪が付いているので線路上を行ったり来たりしているみたいです。


大代側線へ繋がる線路にはスイテ82形とオハ35形がいました。


展望デッキの柵の高さはこのくらいがいいですね~。やまぐち号のは柵というか檻です。


16000系の普通電車が通っていきました。


その折り返し列車はあじさいと一緒に撮影。


そして本命のEL急行です。何度も書いているように電車急行の代走なのですが、電車急行は金谷駅発着です。なので代走である以上客車列車でも金谷駅に乗り入れないとなりません。現在、SLやEL列車は原則新金谷駅発着と決まっているので、今回の代走ではその原則を外れることになります。昔はそれなりに見られる光景でしたが最近ではそれが珍しいことなので、復路の撮影は金谷~新金谷間を決めていたのでした。


後追い。後ろにもE31形E32号機がくっついています。
EL急行は単機で運転されますが、金谷駅の構内は機関車の機回しと付け替えができません。なので運行を終えて金谷駅から新金谷駅へ折り返し回送するために反対側にも機関車を連結しています。これは往路の金谷駅への送り込み回送の時にも順序を逆にしてやっています。つまりひと区間だけプッシュプル運転するわけです。プッシュしているのかただぶら下がっているだけか分かりませんけど。


そして、大代川橋梁でEL急行の返却回送を撮影します。編成が短いのが幸いして全車フレームに収められました。
これで今日の大井川鐵道の撮影は終わりです。



金谷を去った後は、静岡空港で旅客機の撮影へ出向きました。滑走路の海側の端の少し先にあるだいだらぼっち広場へ行きました。
ここで飛行機の撮影をすると、真正面から機体を捉えることができます。


着陸してきたのは、フジドリームエアラインズJH174便札幌丘珠発です。


機材はエンブラエルE175のJA08FJ(ティーグリーン)でした。
機材を引き寄せてから撮影すると割と迫力があります。


さらにFDAのJH185便出雲行が離陸。機材はE175のJA11FJ(グリーン)でした。
離陸機の撮影だと、ほぼ真下からの画角になってしまうんですね・・・。


さらに全日空NH1261便那覇行が離陸。


後追いだと最低限は様になるかなあ。ついでに海の方は雲が晴れてきました。
機材はボーイングB737-800のJA67ANでした。


最後にFDA JH134便鹿児島発が着陸してきます。


ちょっと横風に揺られているような感じでした。


機材はE175のJA05FJ(オレンジ)でした。


これの着陸の撮影を終えたら撤収して帰宅しました。

おしまい


電車急行の代走と静岡空港 前編【2018/6/16】

2022-11-16 07:41:00 | 鉄道撮影記
2018年6月16日。
この年も大井川鐵道のきかんしゃトーマス号の運転が始まって、それに伴う多客期の臨時電車急行も運行されます。ですが今季の序盤は通常とは異なる展開でした。
電車が検査入りしているため通常の普通電車に加えて急行電車まで走らせるだけの本数が不足していたのです。そのため電気機関車と客車を使った代走の電車急行、、、もといEL急行が走ることになりました。
あくまで電車急行の代走ということなのか、電気機関車1機と客車2台の3両編成。まるで昔の国鉄ローカル線の客車列車にも見えるようなこじんまりとした列車でしたが、長編成の客車列車の走ることが多い大井川鐵道では却って珍しい列車でした。
そういうわけで、これは記録しておこうと思い車で出掛けてきました。


当日の天気は曇りなので太陽光線はあまり考えなくてもよかったです。なので、下り列車はテキトーに家山~抜里の直線で待ち構えることにしました。
時間になると短い列車がやってきました。機関車はE31形E34号機、客車はナショナルトラストのスハフ43形2両です。プッシュプルでも重連でもない正統な客車列車で大変好ましいです。客車もスハフ43形が登板するのはやや珍しいことです。


後追い。後ろからでも様になるなあ。
ちなみにこの列車実質はEL急行ですがあくまでも電車急行の代走なので、EL急行では必要な急行料金が不要なオトクな列車でした。


代走急行撮影後は塩郷~下泉の区間まで北上。21001系の下り電車を撮影。


もう一発、16000系の上り電車も撮影。6月の茶畑は一番茶を刈ってからまだ日が経っていないので、茂り方が寂しく写真には今ひとつ。刈られる直前の青々としたところを撮影したいものです。


さらに青部駅まで北上。青部駅へは、2018(平成30)年3月20日に国道362号青部バイパスが全通したため容易に到達できるようになりました。バイパスされた旧道の隘路も通行しなくて済むようになりましたしね。


駅舎です。変わらずの姿。


バイパスを挟んだ向かいにあった旧青部小学校。廃校後も山間の合宿所なんかに使われていたようですが、ふと見てみると旧校舎を解体している様子でした。後日訪ねてみると更地になっていて今は跡形もありません。


老朽化で通行禁止になった青部吊り橋です。バリケードで通行できないようになっていますが、橋自体は残っています。


青部駅では特に撮影しないで、結局困った時の千頭駅手前の第四橋梁で構えることにしました。道の駅に駐車して歩いて橋へ。待っているとバスのバーディが通り過ぎていきました。どうやらバーディのほうが先着するそうです。


んで、トーマス号を迎撃。



駐車場へ戻ります。
遊覧列車のラスティ号が動いていたので柵越しから撮影。今までちゃんと見たことなかったのよ。


ラスティを動かしているのは本当はDD20形なんですけどね。旧塗装の6号機HIJIRI号でした。


千頭駅から南下して、田野口駅でSLかわね路号を撮影。C10形8号機でした。あじさいを絡めての撮影です。


後補機はE10形2号機でした。これもあじさいを一緒に。あじさい撮影といえば田口駅なのです。

というところで今日はここまで。


後編へ→





【1/60】ARX-7アーバレスト(フルメタル・パニック!)【ギャラリー】

2022-11-14 09:57:00 | 模型ギャラリー
キット:アーバレスト Ver.IV(バンダイ)
仕 様:相良宗介搭乗機(素組)
製作記はありません

「フルメタル・パニック!」より、主人公機のアーバレストのプラモデルを作りました。主人公機なので複数社から立体化されています。
バンダイのこのキットは、TVアニメ第4期制作に合わせて開発された最新モデルです。縮尺は1/60ですが、アームスレイブは全高が低いのでガンプラで言うところの1/144縮尺相当の規模です。
機体塗装が同じということでサベージ・クロスボウと同時に作りました。こっちは主人公機ということでキレイめな仕上げにしました。


リアルロボットのメカの中でもアームスレイブは二番目に好きなメカです。一番は戦術機ですが。


後ろ。やはり陸戦型人形兵器は良い・・・。






バンダイのキットにはオリジナル武器が付いてきます。グラーツ・マンリッヒャーAWS2000だそうな。原作はもとよりアニメ劇中にも出てこなかった、キットの説明書にはアーバレスト本体の記載はなくて丸々この銃の説明ばかり。頭から尻尾までよく分からない部品でした。見た目はかっこいいけど。





銃は無駄に3色も使って塗装しています。


単分子カッター抜刀。








このくらいの刃渡りが取り回しやすそうですよね。



銃をボクサー散弾砲に交換。ボクサーはいい。ボクサーは最高だ。



フォアエンドと銃床は可動します。





やっぱりボクサーが様になります。散弾銃が主武装の主人公機も珍しいのです。


最後はラムダ・ドライバ発動時。


特にこれといったエフェクトパーツは入っていませんでした。
放熱板が展開されるのはアニメ化時に追加された設定なのだそうですが(視覚的に分かりやすくなるとかで)、これはプラモデルにおいても恩恵がありますね。





以上、アーバレストでした。

<使用塗料>
機体白:C97灰色9号
機体紺:H5ブルー(7割):H2ブラック(2割):H39パープル(1割)
機体紫:H69 RLM75グレーバイオレット(7割):H39パープル(2割):H49すみれ色(1割)
関節:H32ダークグレー
排気口:H4イエロー
放熱板:C28黒鉄色
銃本体:C602佐世保海軍工廠標準色
銃グリップ:C317グレーFS36271
弾倉:C325グレーFS26440




【1/60】Rk-91サベージ・クロスボウ(フルメタル・パニック!)【ギャラリー】

2022-11-09 06:37:21 | 模型ギャラリー
キット:MODEROID サベージ クロスボウ(グッドスマイルカンパニー)
仕 様:相良宗介搭乗機(素組)
製作記はありません

「フルメタル・パニック!」より、量産型メカの鑑ことサベージのプラモデルを作りました。フルメタのプラモデルはこれまで数多く製品化されてきましたが、量産型でやられメカのサベージは完成品フィギュアを除いて製品化に恵まれませんでした。ところがアニメ第4期の制作に合わせてグッスマからついにサベージのプラモデルが製品化されて歓喜!量産型らしく数種類のバリエーションキットが出ましたが、全部買っておきました。
手始めにアーバレストと塗装工程を同一化できるクロスボウを作ることにしました。劇中で相良宗介が搭乗した機体です。キットはひょうきんなカエル顔とでっぷりした卵型の体型がよく表現されています。関節の可動範囲も良好です。ただし過剰に関節を動かし続けているとすぐにバカになりそうな気はしました。


こういう気だるげな立ち姿の似合う人型ロボットなのです。
キットは素組で作りましたが、デカール貼りはオリジナリティを出しました。
クロスボウは競技用のASという劇中設定なので、アニメ版では機体にスポンサーのマーキングが貼られていました。そこに着想してそれを膨らませて、スポンサーマーキングを全身に貼りました。マーキングはご覧の通りプラモデルメーカーばかりです。今まで作ってきたプラモデルのデカールの余りは、この先も何かに使えるかもしれないと思って保管してあるのですが、今回その時が来ました。デカールには大抵の場合メーカーのロゴマークも印刷されているので、それを流用しました。


正面から。


後ろ。お尻にはボン太くんの落書き。


背中や後頭部にもスポンサーマーキングを貼りましたよ。


宗介の乗る機体なのでやはりボクサー散弾砲が似合います。ボクサーのストックは非可動で、収納状態のみの形状です。





弱小チームなので競技用ですが幾度の試合で機体全身には傷を入れました。舞台が高温多湿の東南アジアなので、サビ表現も盛り込んでいます。


サベージといえばAK-47風のアサルトライフルもよく似合います。





劇中で決め手となったHEATハンマー。


いい機体だ。





<使用塗料>
胴体:C97灰色9号
頭部:H5ブルー(7割):H2ブラック(2割):H39パープル(1割)
関節:H68 RLM74グレーグリーン
機関砲:H76焼鉄色
銃:C602佐世保海軍工廠標準色
銃持ち手:C317グレーFS36231
弾倉:C325グレーFS26440

以上、サベージ・クロスボウでした。



 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その22【2016/6/15~22】

2022-11-06 22:45:43 | 海外旅行記
2016年6月16日(木)16時59分
オンタリオ州ハミルトン バーリントン・アット・ジョン バス停
記念艦HMCSハイダを後にしたら、路線バスでの移動を再開して今日の宿泊先へと移動します。 
HMCSハイダから最寄りのバス停Burlington at Johnバス停からハミルトン・ストリート・レイルウェイ(HSR)の路線バス4系統ベイフロント行に乗ります。車両はNFI F40LF (#0804)でした。


Barton at Nashバス停で4系統のバスを降ります。ここは角地にショッピングモールのある交差点です。ここではHSRからGOトランジットのバスに乗り換える荒業をします。
HSRとGOトランジットとの乗り換えのできるバス停ですが、別に接続しているわけではないのでHSRのバスが延着したりGOトランジットのバスが早発したりすると予定が崩れてしまいます。一応乗り換え時間は10分くらいありますが・・・。
HSRは数分遅れた程度で着きましたが、GOトランジットの方は・・・?両者のバス停は交差点を挟んだ向かいにあるので急いで横断歩道を渡りました。バス停の方へ行ってみると、乗車待ちの列が出来ているのでどうやらまだバスは来ていないようでした。
そこから5分くらい待っていると、GOトランジットのバスが来ました。12系統ナイアガラフォールズ行に乗り換えます。車両は二階建てバスのAD Enviro500 GO-Anywhereでした。
このバスはトロントから鉄道でバーリントン駅を経由して、そこからバスでナイアガラフォールズへ向かう中距離系統です。割りと乗車率は良くて、1階席はほぼ満席、2階席も半分以上は埋まっていました。2階席のよきところに座りました。


同日18時46分
オンタリオ州ナイアガラフォールズ ナイアガラフォールズ・バスターミナル
ほぼ2時間の乗車を経て12系統の終点ナイアガラフォールズへ到着しました。路線バスですが座席はハイバックシート(非リクライニング)になっているので長時間乗車にも一定の配慮がされています。
今日はナイアガラフォールズで宿泊します。宿泊場所はバス停から近いです。


バスターミナルのすぐ横には、VIA鉄道のナイアガラフォールズ駅があります。バスだけでなくて鉄道もあるんですよね。
ナイアガラフォールズ駅という名前は、当然ナイアガラの滝から取られた駅名です。こういう有名景勝地から取られた駅名というものは、壮大な響きがあって好きですね。天橋立駅とか天竜峡駅とか親不知駅とか、あんな響きに似ていると思います。
当駅は1879年にグレートウェスタン鉄道(イギリスの同名鉄道とは関係無し)が開業させたもので、駅舎も開業時に建築されたものだと言われています。見た目キレイだからそうには見えませんな。



ナイアガラフォールズ駅は現役で、トロントとアメリカのニューヨークを結ぶ国際列車「メープルリーフ」号が1日1往復停車します。基本的にそれだけ・・・。
他には夏の多客期の週末にGOトランジットの臨時列車がハミルトン駅から延長運転されるっぽいです。それに乗ってみたかったところですが、日にちが悪かったのでこれは叶わず。



駅前はこんな感じ。バスターミナルもあるので交通結節点の役割があるんですが・・・。カナダ側のナイアガラフォールズ市街地は賑やかと聞いていたんですが、こっちは街の外れなんでしょう、寂しいっすね・・・。鉄道や路線バスの利用率は推して知るべし。バスの乗客も若者ばかりでしたしねー。


駅のすぐ先にはナイアガラ川が流れています。結構高さのある段丘崖の下を川が流れています。そしてここはナイアガラ川がカナダとアメリカの国境になっているので、この川を渡るのは色々な意味で面倒です。
ちなみにアメリカ側にもナイアガラフォールズ駅があって、両方に税関施設があります。アメリカから川を渡ってやって来た「メープルリーフ」の乗客はカナダ側の駅で税関検査を受けます。逆方向の時はアメリカ側で税関検査を受けます。
どっちの駅も川岸近くにあるので、両者の距離は1kmくらいしか離れていません。国境ならではの光景かもしれません。国境駅の割には普通にホームに入れてしまったんですが・・・。

そして写真に写っている水色のアーチ橋が鉄道の線路です。「ワールプール・ラピッズ橋」という名前で1897年竣工です。長生きな橋ですこと。鉄道橋としては2代目で、初代はナイアガラ川吊り橋でした。はい、吊り橋の鉄橋です。吊り橋式の鉄道橋というのはあまり実例がありません(瀬戸大橋みたいなのは例外)。列車の重量制限が厳しいためです。なのでアーチ橋に替えて輸送力を増やそうとしたのです。なおアーチ部分には人道橋も併設されていて、歩いて国境を渡れるようになっています。
なお上流側(右側)に写っている錆びついたアーチ橋は、「ミシガンセントラル鉄道橋」です。名前通りこれも鉄道橋ですが、こっちは廃線となって橋だけ残されている状況です。線路は剥がされていて橋の前後も土地改良されて痕跡が薄いですが、線形までは消せていないので橋の先へ延びる線路の跡を追いかけることが出来ます。この橋はいつかは撤去される運命でしょう。
ここへは列車撮影のロケハンに来たようなものですが、ちゃんと撮影できそうな場所なので明日また来てみようと思います。


なにやら違うところのバスが。これはナイアガラフォールズ・トランジットのバスです。ナイアガラフォールズ市の市営交通です。車種はOBI Orion VII NG EPA10 07.501 (#2193)です。
弊ブログではほとんど出て来ないバスなので少し説明。OBIというのはオリオンバスのことで、Orion VII NGが車種名です。オリオンバスは2013年にアフターマーケットを除いて事業を終了して現存しない会社です。Orion VIIはオリオン最後のモデルです。
EPA10というのは2010年の排ガス規制対応済みを示していて、07.501はサブタイプです。07がモデル名、501は全長40ftを表しています。


本日の投宿先、ホステリング・インターナショナル・ナイアガラフォールズです。つまり、ユースホステルですね。今回、宿泊費をケチる方針なのでこういうところに泊まるわけです。建物は鉄道駅と鉄橋の間にあります。アクセス至便。でも街に繰り出すには不便。


なお個室に泊まる模様。1ダブルベッド1オタクです。結局、過去にユースホステルの相部屋に泊まった時に貴重品管理に神経を使ったのが疲れたので、その負担を無くすために個室を取ったわけです。
ホステルの中では料金高めですが、市内の他の宿泊施設に比べたら割安です。というか日本みたいに1人用個室のあるホテルってそんなに無いしやっぱり割高だし、ちょっと不便よねー。
ベッドは硬めで、そこはまあホステル並みの寝心地なんよな、っていう。


ナイアガラの街の夜はこれからですが、今日はもう疲れたので夕飯だけ食べに行って今日の行動は終了にします。ホステルなので台所で自炊できるんですが、徒歩範囲にスーパーマーケットが無いので適当に外食してきます。グーグルさんに聞いてみると近くにピザ屋があるのを見つけたのでそこに行きます。ピザだとそんなに値段かけずにお腹を満たせるコスパのいい料理です。
通り道にバスターミナルがありますが、バスが停まっていたので寄り道。GOトランジットのEnviro500が停まっていました。


もう1台。コーチカナダのMCI J4500 (#86006)がいました。コーチカナダはオンタリオ州の貸切バス会社です。他には中長距離の定期路線も運行しています(市内運行するいわゆる路線バスは運行していない)。これはたぶんトロントへ向かう定期路線バスでしょう。


徒歩5分くらいで着きました、Frank's Pizzeriaです。町ピザ屋って感じ。


ペパロニのピッツァだ、激ウマだで!
ピザだけなのもアレなので、バッファローチキンウィングも注文。これの発祥は隣町バッファロー市なので、ほぼ本場ですよ。隣町と言ってもアメリカにあるんですが。
あとはセロリスティックはピザを頼むと自動的についてきました。マヨをつけて食べる簡単なものですが、生野菜不毛地帯カナダにおいて貴重な生野菜の摂取です。ありがたいなあ。
あと飲み物にはルートビア。これは欠かせません。
味にも値段にも満足行く内容でした。当たりを引きましたなあ。

夕食を食べたらホステルに戻って明日の行程を詰めて就寝しました。これにて初日終了。
というところで今日はここまで。


その23へ→



 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その21【2016/6/15~22】

2022-11-03 07:12:54 | 海外旅行記
HMCSハイダの続きです。今回で最後です。


ここは浴室です。士官用の部屋でしょうな。


これも揚弾機です。


廊下内の張り出し。砲塔かしらね?


士官用ギャレーです。
HMCSハイダが航行中でない時にこの厨房が使用されて、料理人が艦長や士官に食事を振る舞うのだそうな。


第2無線室です。
この部屋には3台の高周波送信機と2台の高周波受信機があって、モールス信号やテレタイプに使われました。通常時は第1無線室の制御下ですが緊急時は独立して運用できるんだそうな。


操舵手の執務室です。操舵手は下士官の中でも特別扱いされていて、個室の執務室を割り当てられていました。他には郵便物の仕分けと発送をこの部屋でやっていました。


艦長の居室です。
居室と同時に執務室でもあるので、艦長はここから艦内の業務管理をしていました。部屋には他にもダイニング、寝室、私用の洗面所があります。
HMCSハイダが現役だった頃、航海中にこの部屋で緊急手術が行われた実績もあります。


艦長専用のトイレと浴槽です。


甲板に出ます。そろそろ見学路も終わりです。
さっき上から見た魚雷発射管を今度は同じ高さから見ます。HMCSハイダは近代化改修で多くの兵装を交換されていますが、この魚雷発射管は唯一就役時から原型を留めている兵装です。魚雷には磁気、音響、接触で反応する3種類があるんですが、HMCSハイダに搭載されていたのは接触反応する魚雷でした。


意外と細かい部品で構成されています。プラモデルだと省略されている形状が多いのだなと分かります。


反対側からも観察。


魚雷を通り過ぎると艦内見学は終了です。陸へ上がります。
最後に陸からHMCSハイダを眺めてみましょう。


艦橋付近。


右舷船体。このシワの付いた船体が歴戦艦の雰囲気を出しています。それにしても結構きれいな外観を保っていますね。


最後に全体を見て締めます。


これでHMCSハイダの見学はおわりです。
HMCSハイダはカナダ海軍の軍艦、イギリス系軍艦、かつ第二次世界大戦期建造の駆逐艦の現存例として貴重な存在です。それ以上によく手入れされている艦だと思いました。いい余生を送っていますね。
トロントからのアクセスも悪くないので、近くまで来たときには行って見る価値アリです。

というところで今日はここまで。


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