黒鉄重工

プラモ製作、旅行記執筆をやっています
同人誌通販始めましたhttps://603kurogane.booth.pm/

伊豆箱根鉄道とバスの撮影へ 【2014/07/31】 

2014-08-31 23:39:59 | バス・航空機撮影記

また三島で電車とバスを撮る機会があったのでカメラを構えてみました。
まずは沼津登山東海バスのレインボーHR。東海バス系と箱根登山バス系の折衷塗装のようなデザインになっています。



西伊豆東海バスのブルーリボン。西伊豆特急松崎行きです。



その後、伊豆箱根鉄道駿豆線に乗って大場駅へ。駅近くの線路沿いで電車を撮影します。
まずは7000系。



3000系。上り下りどっちを撮っても正面が陰るという微妙な光線。



伊豆箱根バスの7E。旧塗装の復刻版でした。



3000系のステンレス版。



この3000系はさらにスカート付き。



そして185系特急「踊り子」がきたんですけどね、5両入る余裕なくてですね、切れましたね。
来るのわかってたのにね、これはバカとしか言いようがない。



大場から修善寺まで乗りました。ここに用があったのです。



絶滅危惧種といえるプラットホーム上の洗面台。私は今までにここと琴平駅でしか見たことありません。もう少しあるとは思いますが、それでもそうそう見かけません。



駅めっちゃ綺麗になってる。こんなんだっけ?と思ったらやっぱり改築したそうで。



用事を済ませたらバスの撮影。
西伊豆東海バスのセレガ。フロントは東海バス色、サイドは小田急グループ標準色という中途半端な塗装。



エアロスター。エアロスターのトップドアはなんか想像しづらいですね。
エアロスター=都会のバス、トップドア車=田舎のバスというイメージなので、噛み合わないわけです。



東海バス色のレインボーRJ。



箱根登山バス色のエアロミディ。



東海バス色のエアロスター。塗装が今風になった分よけい違和感ががが。



三島に戻ってきました。沼津登山のキュービックが並んでいてうひょー。



単体でも撮影。
キュービックは数台しかいないので見れたらラッキーですな。静岡辺りだとここでしか見られない車種ですし(しずてつバスのキュービックは予備車らしいし)。

こんな感じで撮影していました。



おまけ。
後日、8月某日にも三島に行きましたが、そこで東海バス色をしたキュービックと遭遇しました。東海バス色のキュービックはいないと認識していたので意外でした。
ネットで少し調べたらこの車は少なくとも今年の3月までは箱根登山バス色だったそうなので、おそらく最近塗り替えられたのだと思います。他の車にも波及するのか気になります。
まあバスオタじゃないんでよくわかりませんというのが正直なところです。

以上です。おわりです。

東海project ~Time Travel of 100 years. 最終回 【2014/03/07~08】

2014-08-25 23:14:55 | 旅行・イベント記

名古屋駅であおなみ線から名鉄に乗り換え、神宮前駅で名鉄の電車を撮ってみます。
最初に来たのは2200系の快速特急。



2000系のミュースカイ。うーんこの成田エクスプレス。



5300系。5000系・5200系の走行機器を再利用した機器流用車です。左右非対称のフロントが特徴。



3500系。6000系の後継車でVVVF・電気指令式ブレーキを装備。
近代的な顔つきで結構好み。



1700系+2300系。これを見れたのはうれしい。
1700系は1600系を改造した特別車で、フロントに1600系の面影があります。2300系は1600系の一部機器を再利用した一般車。
登場経緯がややこしいのでそこは割愛・・・。



5000系。1000系「パノラマスーパー」の機器流用車。
本線は6両ないと構図がスカスカですなぁ。望遠足りないです。



6000系。偉大なる平凡車というイメージ。実際はわかりませんが。



1000系パノラマスーパー。名鉄唯一の展望車です。3両目以降は一般車の1200系です。
1000形が撮れて満足したので神宮前からは撤退。



上小田井駅に移動し、名古屋市営地下鉄鶴舞線の撮影をば。
いきなり新型のN3000形と遭遇。貫通扉の隅が中心からずれているのが気になりますなぁ。



3050形。鶴舞線全線開業時に投入されました。これも貫通扉がずれてるんだね。



名鉄100系。正確には100系200番台。鶴舞線は名鉄と相互乗り入れしているので、名鉄側も直通用の車両を用意しています。
ステンレスの飾り帯が渋いっすね。

ここら辺で撤退します。鶴舞線の古参車両3000形が撮影できなかったのは残念でしたが時間切れです。あとはもう暗くなってきて撮影不可能です。



名古屋駅に戻ってJRのホームでいつもの住よしのきしめんを食べます。今回は中央線のホームの店舗で食べましたが、天ぷらがちょっと見劣りするようなしないような。
やっぱり東海道線上りホームの店舗が一番ですかね。



帰りの新幹線の時間までJRの車両の撮影を。
クハ211-5300。トイレ付きの211系5000番台ですね。



313系1300番台。前パンがかっこいい。



クロ383。



クモハ313-8500。元セントラルライナーのアレ。ちなみにトップナンバー。

この辺りで切り上げて新幹線ホームへ。「ひかり」に乗って帰りました。
これで2013年度の旅行は全て終了です。

浜松の鉄道・名所をめぐる 最終回 【2014/07/29】

2014-08-24 22:20:38 | 鉄道撮影記

遠鉄バスの7Eに乗って浜松駅へと戻ります。



浜松駅から東海道線に乗り換えます。211系と311系の並びをば。よく似ています。




ふと思い立って途中の袋井駅で降りて、静岡鉄道駿遠線の車両(レプリカ)が置いてある公園に行こうと思ったのですが、歩いて行くには無理だろうという距離(旧浅羽町に位置)だったので断念。
ちなみに袋井駅は今、駅舎の橋上化工事中でごちゃごちゃしています。



このまま帰るのも癪なので、秋葉バスサービスの車両を撮影していきます。とりあえず7E。
塗装の通り静岡鉄道の子会社ですが、行き先表示器の書体が明朝体だったり英字が併記されていたり細かな違いがあります。
明朝体表示のバスも珍しいんじゃ。



西工96MC。低床車はしずてつジャストラインの色違いの塗装です。しずてつだと青い部分が緑色になっています。
クリスマスカラーっぽくてなんかいいですね。



ブルーリボンシティ。秋葉バスは基本的に中古車で占められていますが最近は新車も導入している、とのこと。
しずてつ車と違ってフロント行き先表示器は黒ではなく緑色。



遠鉄バスの7E。
ちなみに秋葉バスは秋葉山には乗り入れておらず、遠鉄バスがそれを担っています。秋葉山に行かない秋葉バス。



エアロスターK。



レインボーII。新車です。



エアロミディ。イオンパティオラッピングがされていて、行き先もイオンパティオ。可睡の杜線に重点的に充当されているのかもしれません。
行き先表示器の文字がイオンパティオのロゴになっているのが楽しいですね。


しばらくバスが来ない時間になったのでここらへんで撤退。お家に帰りました。

東海project ~Time Travel of 100 years. その6 【2014/03/07~08】

2014-08-23 23:28:54 | 旅行・イベント記

3月8日。ホテルを後にします。男子大学生の集団が泊まるには場違いな感じでしたねw



岐阜バスのエアロスター(ワンステ)。織田信長のイラストが目を引く市内ループ線専用のラッピングがされています。車内も座席定員が多くていい感じです。
これに乗ってきました。



後追いになってしまいましたが、岐阜バスの連節バス「清流ライナー」です。
車種はメルセデス・ベンツのシターロG。神奈中のツインライナーと色使いが似ているのでかなり親近感が。
海外では割と一般的ですが、日本だと法令手続きが面倒くさいらしくてなかなか普及してくれませんね。



岐阜駅から電車を乗り継いで、名古屋のリニア・鉄道館にやってきました。3年ぶり2度めの訪問。
展示車両については前回訪問時にほとんど紹介済みですので、前回来た時から変わったところだけご紹介。



C62-17。特急「つばめ」のヘッドマークが付いています。



一番内容が変わった展示物。700系C1編成。試作車ですね。最近展示されるようになりました。700系が博物館入りする時代・・・。まだ現役なんですけどねぇ。あと10年したらZ0くるで。
ちなみに搬入にあたり300系量産車が犠牲となりました。となりもう1線空いてるんだし、どうにかならんかったのか。
試作車よりももっと量産車を展示して欲しい・・・。



歴代新幹線ラインナップ。かなり様になる。500系?知らない子ですね。



モハ63形。「三鷹」行きのヘッドマークが付けられています。中央線かな?



165系。急行「伊那路」のヘッドマークが付けられています。飯田線かな?



巨大レイアウト。前回はごった返してて見る余裕なかったんですけど、今回は割りと空いていました。



小ネタが仕込んであるのが楽しいですね。地元ネタで行くと、登呂遺跡。



由比の桜えびの天日干し。



三保の松原。
ネタの内容はいたって真面目ですね。東海らしい。僕だったら殺人事件起こしたり原発建てたり迷惑撮り鉄立たせたり・・・。



ちなみにこの後、EX企画として名古屋→東京サイコロの旅をやるつもりだったようですが残念ながらこれは幻に。ちなみに自分は行かないつもりだったんですけどね。
これの救済として先に掲載したサイコロの旅3が行われたワケですね。これには見事拉致られました。
それにしても選択肢半分がフェリーでしかも行き先がわからない。考えたの自分ですけど。
ちなみに、太平洋フェリーが仙台、ジャンボフェリーが高松、大洋フェリーが門司になっています、はい。
この後の顛末を知りたいという人はZBSにお乗り換えください。

この後解散となり、私は名駅へと向かいました。


最終回へ→

浜松の鉄道・名所をめぐる その3 【2014/07/29】

2014-08-22 23:09:52 | 鉄道撮影記

浜松城見学後はお昼にしようと思ったのですが、近くに飲食店が見当たらない・・・ならば隣接する市役所になら食堂があるだろうと思って行ってみれば、食堂はないと言われ詰みました。
役所に食堂ないとかどこの田舎だよ・・・。
仕方ないので小さな売店でパンを少し買って済ますことにしました。朝飯もコンビニパンだったのでこれは辛い。

そして、市役所前のバス停から遠鉄バスに乗ります。エアロスターですね。



バスに乗ってやってきたのは、航空自衛隊浜松基地にある浜松広報館。航空自衛隊の広報施設です。
バス停から歩いてくるまでの間にT-4がバンバン離陸していきましたがどれも逃しましたね、はい。



当然、自衛隊の実機が展示されているわけですね。これはC-46輸送機。



XF-2。F-2の初号機カラーです。モックアップですが。



他にも格納庫内には航空機がずらりと展示されています。
特に見たかったのがこの零式艦上戦闘機五二型甲。20mm機銃をドラム給弾からベルト給弾に変更したもので、装弾数が増加しました。
この43-188機は1963年にグアム島で発見されたものです。鹵獲機だったんですかね?
アメリカだったら飛ばせる状態にまでレストアするんでしょうけど、日本だと静態保存が限界なんですかねぇ。技術的というよりも文化的な背景のせいで。

以下、一部をかいつまんでご紹介。



DH115バンパイア。
1943年に初飛行した戦闘機バンパイアをベースにした練習機で、航空自衛隊では1956年に国産練習機T-1開発のためのデータ取りとして1機を導入。1960年に退役しました。

なんか横に広くてSFやロボット物に出てきそうな機体ですねー。



B-65連絡機。ビジネス機としても使われていました。



F-86F戦闘機。
米空軍初の後退翼戦闘機で、1955年から米軍からの供与で180機、三菱のライセンス生産で300機が導入されました。
展示機のように「ブルーインパルス」の初代機としても知られています。

機首に空気吸入口のある機体はまあアレですよね・・・ださいよね。特にブタ鼻のような奴はもう・・・。



F-104J戦闘機。F-86の後継として1962年から210機を導入。



T-2超音速高等練習機。
初の国産超音速高等練習機として1975年から96機を導入。若干の改修で対地支援戦闘機としても使用可能。
展示機の通り「ブルーインパスル」の2代目機体としても使用されていました。
T-2の塗装が歴代で一番かっこいいですね。


屋外にもブルーインパスル仕様のF-86が展示されています。浜松基地はブルーインパスル発祥の地ですしね。

ひと通り見たところで、浜松駅へと戻ります。


最終回へ→

東海project ~Time Travel of 100 years. その5 【2014/03/07~08】

2014-08-20 23:31:23 | 旅行・イベント記

【川崎銀行本店】
川崎銀行本店は、当時の銀行・会社の本店建築の中でも本格的銀行建築です。
鉄筋コンクリート造、外壁は御影石積で地上3階、地下1階建、間口約38メートル、高さ約20メートルでした。
移築の際には、正面左側角の外壁部分が明治村へ移築されました。

巨大な川崎銀行本店のほんの一部が保存されています。無いよりはマシとはいえね。
あと、裏に回ってみるとハリボテでした。



【内閣文庫】
内閣文庫は、赤坂離宮内に1873(明治6)年に開設された明治政府の中央図書館です。
1971(昭和46)年に国立公文書館が設立されるまで、内外の古文書研究家に広く利用されました。
その蔵書は、和漢書籍、旧徳川幕府ゆかりの書籍を中心とし、さらに明治政府が集めた古文書・洋書を加えた貴重な内容です。
建物は本格的なルネッサンス様式のデザインです。特にその姿は古代ギリシャ・ローマの新殿建築を連想させます。

館内は書物があるわけではなく、紙で作った近代建築物のミニチュアが展示されていました。とても緻密でした。



【鉄道寮新橋工場】
機関車修復所として建てられた建物で、鋳鉄柱をはじめ外壁の鉄板、サッシ等、全ての材料をイギリスから輸入し、イギリス人技術者の指導の下に建設されました。
工場内には鉄道とは関係ない別の機械が保存されています。



【リング精紡機】
リング精紡機は、アメリカのジョン・ソープにより考案された綿紡績の最終工程に使用される機械です。
特にプラット社製のリング精紡機は、当時の紡績機械の中で最も優秀なものといわれました。この機械は三重紡績会社で使用され、日本の近代化に大きく寄与しました。

他にもいくつかの機械がありましたが省略。



【尾西鉄道蒸気機関車1号】
尾西鉄道開業時に、アメリカのブルックス社から輸入した機関車です。形式は2B1のタンク式です。尾西鉄道は名古屋鉄道の前身で、名古屋鉄道に所属していた時もありました。その後、新潟県の信越本線二本木駅に隣接する日本曹達株式会社内の工場専用機として稼働していました。

煙室扉がアメリカっぽいですよね(小並感



【ハワイ移民集会所】
日本人牧師岡部次郎氏によって日本人のために建てられた教会で、その後教会の役目を終えると現地の日本人の集会所となり、さらに現地の英字新聞社の倉庫として使われていていました。
その頃は姿がかなり変わっていたが、その後の調べで古写真が発見されたため、屋根を創建時の姿にもどし、建物周囲の柵や入口の橋などを補いました。

明治村では珍しい海外の建築物です。



【ブラジル移民住宅】
日米紳士協約によりアメリカへの新規移民に制約を受けるようになると、代わって南米への移民が開始されるようになりました。笠戸丸ではじめてブラジルへと渡航し、サンパウロ周辺でコーヒー栽培に従事しました。その後もブラジルへの移民は年々増加し、昭和初年の最盛期にはその数は年間二万数千人にも及んだといいます。
この建物はある日本人移民が、密林を拓いて造った家の一つです。小屋組、継手、仕口等には和風の工法が使われている一方、二階に設けたベランダや、片開き板戸を付けた窓、スペイン瓦を葺いた屋根等、土地の風土も取り入れています。

おおまかなレイアウトは一昔前のアパート住宅とよく似た感じです。



京都市電の終電を撮影します。そう、もうなんだかんだで閉園時間です。
全部は回れなかったですね。また来たいと思います。



明治村から離脱。門前に停まっていたのは近代的なエアロスター。現代に戻ってきたのです。
というわけで、名鉄バスのエアロスタートップドア仕様で名鉄バスセンターと向かいます。
見た目は路線バスですが座席は高速バス仕様です。



到着。通りすがらバスを撮影していきます。
基幹バスのエアロスター(ゲテノン)。やっぱりドアの上を黒く塗りつぶせばゲテモノ感は薄まるもんですね。



三重交通のガーラ。伊賀上野行きの高速バスです。



名古屋でラーメン食べようということになったんで、じゃあ台湾ラーメンだよねということに。
やたら辛かった。



この後は岐阜に移動してそこにあるホテルで一泊。
駅からバスに乗り換えるほど遠いのですが、そのせいか結構豪華でした。これで並みのビジネスホテルくらいのお値段だったかな?



深夜アニメ見ながらだらだらしてました。ニセコイだったかな?

こんな調子で初日終了です。


その6へ→

【1/700】 アオシマ 駆逐艦初霜製作 & コミックマーケット86お疲れ様でした

2014-08-18 23:04:06 | 艦船模型製作記

4隻目の駆逐艦、初霜を作ります。キットはアオシマ製です。これで艦船モデルを出している国内主要メーカーのキットはひと通り作ったことになります。



はいできました。過程の写真をすっかり撮り忘れていましたね。
キットは近年リニューアルされたものなので、作りはしっかりとしています。艦橋の窓がクリアパーツなのには恐れ入りました。そこまでしなくてもええやろ・・・。



初霜の竣工によってついに念願の駆逐隊を揃えることができました。
史実無視の俺艦隊ですが、愛着がわきます。それに駆逐艦といえど4隻も集まれば壮観です。

詳細は次回以降のギャラリーにて。




以下おまけという名の本編。
2014年8月15~17日にかけて開催されたコミックマーケット86に参加してきました。
まずは参加された皆さんお疲れ様でした。

私は1日目と2日目に参加してきました。
1日目は静岡を8時に出て会場についたのは11時半くらい。鈍行で行ったんですねー。このくらい意識低いほうが体力を温存できていいのです。夏コミで並ぶなんてゴメンなのです。

艦これ島と鉄道・バス・旅行・ミリタリ系の島を回ってきました。
いくつか回りたかったサークルで完売の文字が踊っていて、遅く出たことを軽く後悔。



戦利品を得た後は会場外で都営バスのコミケ臨を撮影していました。
まず一大勢力っぽいエアロスター(ゲテノン)。



kmフラワーバスのゲテノン。聞いたことないです。系統はkm01系統浜松町駅。



エルガの急行東京駅行。レインボーかもしれない。



西工96MCの急行東京駅行。殆どの場合シャーシまでは分からないし調べもしませんゆえ。



ブルーリボンシティハイブリッド。



東京空港交通の西工02MC。シャーシは多分日デでしょう(投げやり



京急バスのエアロエース。
ここら辺で撤退。秋葉原へ寄っていき、模型を少々買って静岡へ帰りました。



1日目の戦利品。
普段、吹雪型の同人誌がないと嘆いていますが、コミケにもなるとありますね。
何サークルか取りこぼしているのと2日目でも2冊ほど手に入れました。
吹雪の改二、来るといいね(遠い目



陽炎型本。特に初期から実装されている陽炎・不知火・黒潮の本ですね。
陽炎型本も同人ショップでは不毛なのでここぞとばかりにですね、集めましたね。



鉄道むすめ本。コミケ初参加時からせっせと出向いているジャンルですね。
最近は公式からのアクションがないので自分の中ではすっかり下火なのががが。

あとはバス本が3、C級観光地本が1、ガルパン本が1、水曜どうでしょう本が3でした。
鉄道本が無かった代わりにバス本が増えましたね。ここ最近の当ブログのバス写真の急激な増加という状況を如実に表しているといえます。



あと秋葉原での戦利品。東急8000系の先頭車と井の頭線3000系の先頭車、それと軽巡五十鈴。
8000系は、大井川鉄道に来た7200系の模型を作るべく豊橋鉄道1800系の鉄コレから改造するためのパーツとして購入。3000系は岳南電車8000形用として購入。
五十鈴はボークスのポイントカード延命のために購入。ちなみに防空巡洋艦の設定。




2日目。
先日の宣伝記事では2日目は参加しないと書きましたが、ZBSワロス鉄道の売り子として参加することが急に決まったのです。
サークル入場時刻までに会場に居ないといけないので、初電で出撃。
いつも思うけど、大垣の313系Y0編成って汚いよな。なんなんだろう。



ZBSのZeBon氏とIORI工房のIORI氏と合流し、サークル入場。コミケでサークル参加は初めてのことです。
こんな感じでやたら頒布していました。
意気込んで新刊作った割には思うほど飛ばなかったので、今後のイベントで随時頒布していくそうです。次のイベントは秋例大祭らしいです。
ワイの描いた22頁と23頁が全て持って行くともっぱらの評判ですので気になった方はぜひぜひ。

なお戦利品は、東方本8、艦これ本7、ガルパン本1、無料頒布物16でした。
東方本は紅魔郷と風神録が多かったですね。やっぱこの2作が好きなのね。



終了後は川崎の風風亭で打ち上げ。炎上なうしていました。



そして静岡までの終電(川崎21:05発)で帰ることに。始発で出発して終電で帰るという強行軍でしたが、意外と疲れてませんでした。基本、サークルスペースに居たからかな?
翌日は昼まで寝てましたが・・・。

駅前でエアロキングのドリーム号を見ながら帰宅。静岡でもエアロキング見れるんやな。
これで3日目行ったという人もいたのかもしれませんね。


以上です。
今後コミケにはしばらく参加できそうもないので、最後かもという気持ちで参加しましたがおかげさまで楽しめました。ではまたいつか。

浜松の鉄道・名所をめぐる その2 【2014/07/29】

2014-08-17 22:28:24 | 鉄道撮影記

終点の西鹿島駅に着きました。思っていたほど車窓に変化はなかったですかねぇ。
遠州鉄道の車庫があると同時に、天竜浜名湖鉄道との乗換駅になっています。

ちなみにこれで、静岡県下の未乗鉄道路線は大井川鉄道井川線の奥泉~井川間のみとなりました。
どうにか夏中にケリをつけたいですね。



乗ってきた遠鉄の電車がちょうど天浜線と接続するやつだったので、時間を置かずに天浜線のTH2100形を撮影出来ました。逆光ですがコレはコレで。



後追いはどアップでちょっとそれっぽく。



10分ほどで下り列車も来るのでそれも撮影。今度は順光で撮れましたぞ。



天浜線ホームから遠鉄30形を見ます。
奥にいる編成は先ほど撮影したものですが、手前の編成は既に廃車か休車になっているのかだいぶ色褪せていて錆も浮いていました。



さぎの宮での撮影ではド逆光だった30形のラストナンバーも順光で撮影出来ました。
湘南顔と1000形の過渡期のようなデザインをしていますが、見たものに与える衝撃では3者の中で一番だと思います。
なかなか見たら忘れられなさそうな顔していますぜ。



西鹿島駅の駅舎。結構デカい。



なんとなく遠鉄バスのブルーリボンを撮影。



ひと通り見終わったところで西鹿島から撤退、新浜松駅に戻りますが途中の遠州西ヶ崎駅で下車します。
少し待って1000形を撮影した後・・・。



留置線に停められているED28形電気機関車を見学します。
このED28-2は、豊川鉄道が1925(大正14)年に英国イングリッシュ・エレクトリック社から輸入した電気機関車で、1959(昭和34)年に遠州鉄道に譲渡されました。現在では夜間の工事列車の牽引機を務めています。
英国電気機関車、こんなに簡単に見られるとは思わなかった。いわゆる凸型電機ですが、ずいぶんと細い印象ですね。



工事列車で牽引されるホキ。国鉄浜松工場製です。ED28よりも大きな貨車というこのアンバランスさ、ですね。



この箱型の保線モーターカーも気になりましたね。
かわいらしい。



西ヶ崎駅から撤退して、今度は遠州病院駅で下車。そこから歩いて浜松城へと向かいます。
地元の城、駿府城と違って小高い山の上にあるのでちと迷いましたね。



浜松城の天守へとやってきました。あちぃ(気温が)。

浜松城は今川氏によって築城されたものですが、今川氏が衰退すると徳川家康により攻略され、以降家康の拠点となります。
ちなみにこの頃起こったのが、家康と武田信玄がぶつかった1573(元亀3)年の三方ヶ原の戦いです。敗走している時に家康がクソ味噌を漏らしたり逃げ帰った浜松城で空城の計をしたりしたアレですね。
その後1586(天正14)年に家康は本拠地を浜松から駿府へ移し、ここを去りました。

その後、様々な城主がここを治めていきましたが、その多くが後に老中を始めとした幕府の重役になっていったことから「出世城」の別名があります。



2014年の4月に、天守門が復元されました。
浜松城の天守門は天守を囲む石垣の一角に造られた木造平屋建て。上部に櫓があり、内部は復元の模様を映像で紹介する展示室になっています。
後述する天守閣と違ってちゃんと当時の工法で復元されているようです。



櫓内。まだ木材のいい香りがします。



なぞの祠。鳥居が3つもあるということは結構な神様なんでしょう(小並感



天守閣と天守門と。天守門が石垣沿いに建てられているのでどうしても真横に来てしまうのはしゃーない。



続いて天守閣に入りますが・・・あっ(察し)。
浜松城の天守閣は江戸時代初期には取り壊されていたそうで、現在はこの模擬天守が建てられています。
しかしまあ、ここまでコテコテに模擬模擬しているとは思いませんでした。ていうか模擬天守に入ったことってほとんど無いか初めてなので、かなり衝撃強かったです。これじゃあB級観光地じゃあないか。



最後に天守門を表から。正面から撮るのは無理です。


その3へ→

東海project ~Time Travel of 100 years. その4 【2014/03/07~08】

2014-08-13 23:22:07 | 旅行・イベント記

【帝国ホテル中央玄関】
20世紀の建築界の巨匠、フランク・ロイド・ライトによって設計され、1923(大正12)年に完成した帝国ホテルの中央玄関部です。
帝国ホテルは皇居を正面にして建てられ、総面積34,000㎡、中心軸上に玄関、大食堂、劇場、左右に客室棟が配されていました。
この中央玄関は建物の特色をよく表していて、軒や手摺の白い大谷石の帯が水平線を強調し、またその帯が奥へ幾段にも重なっています。大谷石には幾何学模様の彫刻を施し、レンガには櫛目を入れて、柔らかで華麗な外観を現出しています。

メインイベントである鉄道の乗車はひと通り終えたので、ここからは村内の近代建築物をゆっくりと見ていきます。
まずは帝国ホテルの中央玄関へ。厳かな雰囲気を感じます。それになんかとても凸凹しています。



玄関は3階までの吹き抜けになっています。
この中に部屋や空間があるのですが、それぞれ微妙に高さが異なっていて、場所ごとにいろいろな視界が見えてきてとても立体的でおもしろいです。




内壁の彫刻もとても凝っています。こういう仕事が入っているといい感じが出ますよね。



【金沢監獄中央看守所・監房】
金沢監獄では洋式舎房が採用されていて、八角形の中央看守所を中心として左右及び正面奥と左右斜め奥に五つの舎房が放射状に伸び、右の舎房から順に第一、第二...第五舎房と名付けられていました。
移築の際に先の正門と中央看守所、第五舎房の一部だけが遺されました。

看守所を中心に独房が放射状に配置されるというのは、東京拘置所などで現在も見ることが出来ますね。
外にでる際にどうしても看守所を通らねばならないので脱獄が困難になるという寸法です。



【前橋監獄雑居房】
「監獄則並図式」(1872)に沿って、前橋監獄でも十字放射型配置の舎房が造られました。その構造は和洋折衷で、洋小屋に越屋根を載せています房廻りの構造は江戸時代以来の日本の牢屋の形式になっています。
飲食から排便に至るまで同じ狭い房内で行われるため、不衛生になりがちな監獄ではありますが、ここでは全て吹きさらしになっているため風通しが大変良く、その面での心配は少ない。
移築に当たっては、左右合わせて21房あったものを切り縮め、9房と洗い場を復原しています。



内部はこんな感じ。雑居房の中に入ることも出来ます。
どうでもいいことですが同行していた最低野郎ことライザーくんに入ってもらい、色々してもらいました。



【菊の世酒蔵】
1895(明治28)年、愛知県刈谷にあった菊廣瀬酒造の仕込み蔵として建てられたもので、もとは三河湾近くの新川(碧南市)に穀物蔵として造られたものを移したといわれています。

西洋建築の多い明治村では珍しい和風建築ですな。



酒造に使われる道具も保存されていました。実際の酒造方法などについてはその手の資料館のものと比べると一歩及ばずといったところですかね。



菊の世酒蔵の近くには蒸気機関車12号の沿線撮影スポットがありまして、ここから簡単に12号の走行写真が撮れてしまうわけです。
ややインカーブ気味で編成全体が入る構図的には素晴らしいポイントです。いやもうバッチリですね。



【三等客車ハフ13】
1912(明治45)年製。新宮鉄道で使用され、同鉄道の国有化に伴い鉄道省の所属に、その後1942(昭和17)年雄勝鉄道に移りました。
いわゆる燐寸箱客車。よくも残っていたものです。



【三等客車ハフ11】
1908(明治41)年製。青梅鉄道で「メ4」として使われた後、1924(大正13)年に山形県高畠鉄道に譲渡され「ハ2」となり、さらに1936(昭和11)年秋田県雄勝鉄道で「ハフ11」として使用されました。
こっちはデッキがないタイプの客車。



【三等客車ハフ14】
経歴はハフ13と同様。



後追いでも。



【聖ザビエル天主堂】
聖フランシスコ・ザビエルを記念して1890(明治23)年、かつてザビエルがいたことのある京都の地に献堂されたカトリック教会堂で、フランス人神父の監督の下に、本国から取寄せた設計原案に基づき、日本人の手で造られたものです。

長崎の大浦天主堂なんかにはさすがに敵いませんがそれでもかなりの存在感。京都にこんなもろ西洋チックな建築物があったら相当目立っていたと思います。



お、なかなか神秘的ですね。
フランス人神父が監督したというせいか、パリのノートルダム大聖堂と規模は違えどおおまかなレイアウトが似ていますね。バラ窓もありますし。ていうか協会はどこもこんなようなレイアウトですね。



祭壇。
コレの前で、ライザーくんに懺悔してもらいました。どうでもいいですね。



【隅田川新大橋】
新大橋は、1912(明治45)年五大橋の最後の橋として日本橋浜町と深川安宅町の間に架けられました。五大橋は、隅田川上流から順に吾妻橋、厩橋、両国橋、新大橋、永代橋を指します。
設計監理には東京市の技術陣が当たりましたが、鉄材は全てアメリカの製品が使われています。
竣工後間もなく、橋を渡って市電が開通し、橋の役目は一層高まりますが、1923(大正12)年の関東大震災の折には、他の鉄橋が落ちる中で、この新大橋だけが残り、避難の道として多数の人命を救いました。

橋の先っちょだけ残されています。入り口の装飾とかは凝っていますね。ちょっと錆びついてきているけれど。



【大明寺聖パウロ教会堂】
この建物は1879(明治12)年頃、長崎湾の伊王島に創建された教会堂です。
大明寺教会堂は、フランス人宣教師ブレル神父の指導のもと地元伊王島に住んでいた大渡伊勢吉によって建てられました。
内部こそゴシック様式ですが、外観は鐘楼を除けば普通の農家の姿であり、いまだキリスト教禁制の影響を色濃く残しています。

というわけで、見た目はちょっと立派な農家の家ですが・・・。



内部はしっかりとゴシックしています。お前のような農家があるか。
ここでもライザーくんに懺(ry

まだ続きます。

(記事内の説明文は明治村ホームページより引用)


その5へ→

浜松の鉄道・名所をめぐる その1 【2014/07/29】

2014-08-12 23:47:06 | 鉄道撮影記

OVA「ガールズ&パンツァー これが本当のアンツィオ戦です!」を観に浜松までやってきました。
なんで静岡でなく浜松なんや!と若干の不満はありますが、これは逆に好機。ついでに遠州鉄道を乗ったり撮ったりしてあとは他の名所も回ってみることに。

というわけで、静岡を始発の新幹線で発ち浜松へ。新浜松まで歩いて遠鉄電車に乗り換えます。
今まで乗ったことも見たこともなかった鉄道です。真っ赤やな・・・。
ガルパンを観る前にまずはササッと遠鉄の撮影をしてきます。時刻は7時前。ガルパンの上映が8:40~と早いのもありますが、他にも目的があるわけです。



途中のさぎの宮駅で降りて、新浜松寄りの沿線に陣取って撮影します。
最初に来たのは遠鉄の主力1000形。30年以上前の車両ですが、いま見ても新型車と間違えそうな近代的なフロントデザインが特徴です。
新京成8800形やJR東海ユーロライナーにも似たデザインで、おそらくそれらのベースになったのかもしれません。

遠鉄は12分間隔という高頻度運転であまり飽きずに撮影できます。それと、平日ラッシュ時には車両を増結して4両編成で運転するというのも、電車を運行している地方私鉄では珍しいんじゃないでしょうか?



そして西鹿島方面から目当ての車両が来ました。30形です。
遠鉄の最古参車両で、徐々に活躍の幅が狭まっています。現在では平日のラッシュ時にのみしか運用されていません。
地の利を活かせる静岡でなら容易に撮影可能ということで一度撮影しておきたかったわけですね。



後追い。これも30形、というかこの湘南顔をしているのが一般的な30形といえます。私はこっちが目当て。
先頭に立っていた30形は最終増備車で、フロントデザインが異なっています。説明する順番が逆なのでややこしいですね。

その古めかしいフロントも貴重ですが、これはなんといっても駆動方式が吊り掛けという今では珍しい方式を採っています。要はやかましい音がする電車です。
それにしても、バリ順で撮影出来て、折り返しを待つまでもなくもう満足してしまいますねぇ。



続いて2000形がきました。見た目は1000形とそっくりですが、制御方式にVVVFを採用しています。
1999年の初製造からじわじわ増えていて、2012年にも増備されました。30形に引導を渡さないといけないから、きっとまだ増える。



撮影の合間に航空自衛隊浜松基地から離陸する自衛隊機(たぶんT-4)を見るんですが、突如E-767(85-3504)が飛び去って行きました。
ボーイングのB767を母体としたAWACS機です。なんといってもレドームです。かっこいいですな。



そして何本か電車を撮影後、30形が折り返してきました。
折り返しもばっちりと頂きました。もう満足ですねぇ。



30形は朝ラッシュは2往復するのですが、2往復目を撮っていたらガルパンに間に合わないため、渋々撤退します。
あくまで主目的はガルパンなのです。
新浜松行きの電車に乗ると、車内は結構混雑していました。2両編成だったら都会並みの混雑度だったかもしれません。結構利用されているんですね。



新浜松駅に戻ってきたら、少し時間があったのでバスターミナルで遠鉄バスの撮影をば。
シルバーを基調に緑の帯を巻いています。個人的にはあんまカッコいい取り合わせではないかなぁ・・・と。
まずブルーリボンII。



富士重工7E。



ブルーリボン。ノーステ・ワンステ車は「オムニバス」の愛称が付けられていて、フロントにヘッドマークが装着され、塗装もツーステ車と比べて緑が明るいです。



エアロスターM。



エルガ。もしかしたらレインボーIIかもしれない。



エアロスター。
ぱっと見で遠鉄バスのエアロスターは一大勢力っぽいのですが、ゲテノン以降は導入してないようですね。



エアロエース。浜松~中部国際空港を結ぶe-wing号ですね。



JR東海バスのセレガ。



そして適当なところで切り上げて、映画館へ。ガルパンを鑑賞します。
感想としてはまずドゥーチェ(アンチョビ)かわいい。もっと下衆い性格かと思ってたらそんなことなかった。かわいい。
それにイタリア豆タンクの軽快な戦闘がかなり新鮮で、マジであんな機動をするのか?と思いました。
あとは映画館だと音響が違いますね。砲撃音とか腹に来ますね。
そんな感じでした。また観たいと思いました。



ちなみに入場特典でもらったフィルムは終盤のアンチョビとみぽりんのツーショットでした。これは大当たりと言ってもよいのでは?では?
この手の特典ではハズレばかり引かされてきた身としては大勝利です。



鑑賞後は再び新浜松駅へ。終点の西鹿島駅まで乗り通します。


その2へ→