黒鉄重工

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静鉄1002Fのラストランを見に行く 後編【2017/03/17】

2018-07-31 23:56:43 | 鉄道撮影記
静岡鉄道1000系の1002F引退を記念した臨時列車を撮るべく長沼工場から移動。
古庄~県総合運動場の間にあるJRを跨ぐ栗原跨線橋を渡るところをまずは撮ります。数百m東に道路橋が架かっているのでその上に陣取ります。空がドン曇りで暗いですが、まあ・・・。
最初に来たのは1011Fちびまる子ちゃん電車。遠くからでもよく目立ちます。
ところでピンクは電車の色遣いとしてはほとんど無いですよね。後は白とか紫とか。白はベース色に使うことはよくありますけど「白い電車」という言い方をされる車両はあまり無いような印象です。大抵はその上に巻かれた帯の色を指されます。


1009F。


そして1002Fが通過していきます。ちょうど1009Fとすれ違うところでした。東海道線の電車も写り込んでくれるとよかったんですけど、そうはいかず。


次は長沼~柚木の間で撮影。通常塗装の1008F。
前面の3色ストライプは、一時期静鉄のコーポレートカラーみたいな部分があり、昔はあちこちでこの色遣いを見たような記憶があります。妙に田舎臭い使い方だなぁとその時は思ったものです。最近は全く使われないのでそういう印象は今はないです。


午後の紅茶1012F。
何度も書いていますが午後の紅茶の広告ラッピングは色遣いが秀逸なので昔の黄色いやつの時から好きです。いずれA3000形でも秀逸な広告を出してくれるのを期待しています。
でも、地元企業の広告ならともかくキリンほどの企業が静鉄の電車ラッピング広告を出そうと思って、それをずっと続けているのはなんでだと前から気にはなっています。そんなに広告効果大きいのかな?


ちびまる子ちゃん1011F。


そして1002F。
かねてより引退ヘッドマークは付けていますが、それ以外に追加の装飾も無いので、花束は見えますが後はまあ何時も通りというか。方向幕も普通ですし(臨時列車自体は誰でも乗れる普通の電車として運行されていた)


新静岡駅へ。1002Fは3番線に停車しています。昼間は使わないからね。


回送幕で最終列車まで待機。静鉄の回送も意外と見ないのだ。
ここで蒼風クンとばったり鉢合わせたのでこの後一緒に動くことにする。


車内。まあ長沼で見たのと一緒。車内で最終列車の出発までしばし待機。


そして18時17分に柚木行きの最終列車が出発します。
先頭はちょっとした人だかりができていてアレなので後ろの車両に乗ります。こういうのは静かに過ごすもんだ。


18時21分柚木駅に到着。たった4分のラストランというのも珍しい・・・。兎も角にもこれで1002Fの運行は終了。あとはこのまま長沼工場に回送します。お疲れ様でした。
発車時は大声で最後のねぎらいの言葉を掛ける鉄道ファンもいましたが、ちょっとアレな雰囲気だったなー・・・。東京のラストランイベントみたいでアレだ・・・。やっぱりこういうのは静かに過ごすもんだ(個人の意見です)
ちょっと動物園な雰囲気だったので、次の引退イベントからはまた距離を置こう・・・と思った次第です。

この後は蒼風クンと夕飯を食べて解散しましたとさ。
おしまい。

静鉄1002Fのラストランを見に行く 前編【2017/03/17】

2018-07-30 23:11:23 | 鉄道撮影記
2017年3月18日。
少し前に静岡鉄道1000系1002Fに引退ヘッドマークが装着されたのでそれを見に行ったわけですが、3月18日をもってA3000形と交代する形で引退しました。
この日はまず長沼工場で1002FとA3002Fを並べて展示。次に新静岡~新清水を往復する1002Fの臨時列車を運行。新静岡のホームでしばし展示後、柚木行きの臨時列車を以て最終列車、という行程でした。
いわゆるラストランイベントはあまり食指が動かないのですが、今回はゆーて地元やし、ということで行ってみることにしました。


引き継ぎという形で並べられた1002FとA3002F。
A3002Fの塗装は既に知られている通りパッションレッドです。「いちご」がモチーフなのですが、静岡のいちごは栃木や福岡のに比べるといまいち知られてないので、もうちょいどうにかならんのかなと。「章姫」言われても知らんやろ君たち。


この日はA3001Fも車庫の車庫にいました。


1502号のヘッドマーク。


コルゲート板がこの時期のステンレス車の特徴。一大勢力を誇る東急8500系と南海6000系の牙城もいよいよというかようやく崩れるのでコルゲート車もあと十年したら貴重な形態になるでしょうね。


なんだかんだ慣れ親しんだ顔なのだ。


A3000形は今までまじまじと細部を見たことがなかったので、コレを機に観察してみます。
台車はTS840/TS841です。写真はTS841。ちゃんと改良してあるようですが、1000系と基本的には同じ台車だったはずです。原型は40年以上前の台車なので、これを採用するとは思いませんでした。
A3000形の最初のプレスリリースで出た形式図の台車がこれだったので初めは1000系から台車を流用するのでは?とか果ては車体更新でお茶を濁すのでは?と予想も立てたものです。


検査表記類。
クハA3500形の自重は29.9tで、クハ1500形の23.5tなのでたいぶ増えました。クハにも床下機器が多く積まれているからでしょう、というか見た目上はクモハよりもクハの方が床下機器が多いです。それでもクモハA3000形も34.3tあって1000系の32.7tよりもやや重いです。
てっきり軽量ステンレス車体で軽量化されてるかと思っていましたが、当時よりも搭載機器が増えているということでしょうか?




警笛は空気笛とミュージックホーンの2種類です。ミュージックホーンの旋律は1000系と同じです。


横から見ると、A3000形は1000系の楔形の前面形状を継いでいるんだなとか思います。


車内にも入れました。中吊り広告などはほとんど撤去されていて、1002Fの写真が飾られていました。


運転室には花束。
勤続44年、お疲れ様なのです。


東急車輛のステンレス車両がまだバッド社の技術ライセンスで造られていたことを示す板。英語で書いてあるところがミソ。
今は東急車輛もバッドもどっちも名前は消えてしまいました。


最後に並んでいるところを撮影して長沼工場からは撤収します。

今日はここまで。



目玉の多かった2017年春の大鐵SLフェスタ 後編【2017/03/11】

2018-07-27 21:47:12 | 鉄道撮影記
この後の予定もあるので、機関車を見たらそそくさと千頭駅へ戻ります。
帰りは3両編成の試乗列車でした。乗るのはもちろんスハフ4。


天井は低いし幅も狭いしで軽便鉄道の車両に乗っている感覚です。内張りもほとんど木造です。


車掌が使う装備も付いていますが、専用の車掌室は無いので客室内で操作します。これは井川線の他の車両でも同じだったか?

ひと駅だけなのであっという間の到着。また乗りに行きます・・・と思っているうちに土砂崩れが起きてしまいました。行くならやっぱり終点まで乗りたいので、復旧したらまた行きます。


千頭駅に戻ると先に着いていた蒸気機関車2機が留置線に停まっていました。これも恒例のSL3並びです。
専用線の入換機時代を再現したトラ柄のC10形に注目です。猛虎魂を感じる。


少しするとかわね路1号が到着しました。機関車はC11形190号機です。
今更ですけどこの日のSL急行にはSLフェスタのヘッドマークを付けています。イベント後は競売に掛けられます。



C11190は到着後すぐに入換と転回を行って先発のSLと合流して晴れて3並び実現。
190号機が到着したかと思ったらすぐに新金谷行の出発が控えているので並んでいる時間はそんなにないです。


ちなみに21001系の南海風ヘッドマークがこちら。
行き先が地味に大井川鐵道仕様になっているのでした。


帰りのSLの発車までの間、ちょっと歩いて井川線の撮影へ。千頭駅のすぐ近くには撮れる箇所がないのですこし歩くことになります。
結局大井川に架かる橋から撮影。試乗列車が走っていきました。
左に木が掛かるのが難点ですが、たぶんあれは桜の木なので花が咲く季節に撮るには良いかもしれません。


次に帰りのSL急行を撮影。最初に発車するのはC11形190号機。キミ、すぐ来てすぐ帰るのね・・・。
千頭駅のすぐ先で撮影しました。


残りのSL急行は家山で撮影しますが、その前に来る21001系の普通列車は途中の地名駅で待ち伏せて撮影。ホームからトンネルのところを撮影します。ここはトンネルの先がカーブでなくて直線だと文句無しなんですけど、まあしょうがないですね。

ちなみに家山に行く途中で抜里の様子を見に行ったんですが、案の定マルチメディア化していました。最近の近づき難い撮影地筆頭です。


家山川橋梁で撮影。こちらは至極平和。まあこちらは側面逆光になりますからね。
まずは7200系を後追いで撮影。個人的には車庫で検査を受けてばっかであまり走っていない印象が強い。


C56形44号機のSL急行。黒いSLにぶどう色の客車の正統派。今日の相方だったC10は今日は千頭でお泊まりだそうで。


最後にSL急行。E10形2号機の牽引。いぶき501はC56のSL急行の補機をやってました。


これで撤収。
新金谷駅で大鐵博士いぶき君を拉致して島田のさわやかでハンバーグ食べて解散しました。
おしまい。

目玉の多かった2017年春の大鐵SLフェスタ 前編【2017/03/11】

2018-07-23 23:53:54 | 鉄道撮影記
2017年3月11日。
この日は大井川鐵道の毎年恒例春のSLフェスタの開催日なのです。2017年は例年よりも凝った列車が多かったです。通常のSL列車に加えて、蒸気機関車の重連列車、電気機関車の重連列車まで運転されるのです。さらに井川線の方でも企画があります。

これはいかなということで、朝にいつものZBSに拉致されて362号線とかいう険道を走って山登り。川根へ行く道ってほぼ例外なくこんなところを走らされるよね。362号線もなかなか香ばしい道でした。

362号線を走っていくと千頭に出るのですが、初めは試しに崎平あたりの第二橋梁を見に行ってみようと車を走らせたのですが、足の踏み場もない激パという言葉がピッタリの混雑でした。路駐も多く、通報を受けたのか警察も出動しているのを見かけました。


かなり悪い状況にあっ...(察し)とソッコーで退散。千頭駅のSLフェスタ駐車場に駐めて歩いて千頭駅近くの第四橋梁へ。
千頭駅には21001系が南海電鉄風のヘッドマークを付けて停まっていました。先日の企画列車で好評だったので調子に乗って今日のイベントでも付けたんだと思いますが、他のイベント列車と合わせて撮り鉄を過熱させる原因になったんじゃないかなぁって。


第四橋梁は人がまばらで、どうとでも撮れるような感じでした。
21001系の金谷行を後追いで。


今日の目玉、電気機関車重連列車です。
EL重連は相当久しぶりだったようで、これ目当てに撮り鉄がたくさん来まして、さっきの第二橋梁ではちょっと騒ぎになりました。



機関車はE10形2号機といぶき500形。


客車も合わせて保存鉄道の列車みたいな雰囲気。


次の目玉、蒸気機関車重連列車です。
機関車はC10形8号機とC56形44号機。注目すべきはC10で、この日が東日本大震災と同じ日だったことから、かつて岩手県宮古市の専用線で入換機をやっていた時の塗装に復元されました。前後に書かれたトラ柄の警戒色がそれです。


煙の流れが良くていい感じになりました。客車も茶色で統一されていて良いですね。


千頭駅に戻って今度は井川線の方を攻めます。ひとつ隣の川根両国駅で機関車の展示があるのだ。
駅舎の改札からではなく、外のテントで切符を買って裏口から入場。


井川線に乗るのはいつ以来だってくらい久しぶりです。
この日は井川線が土砂崩れによる長期不通から復旧して全線再開した日でしたので、再開祝いのヘッドマークが付けられています。
なお翌年にまた土砂崩れに遭ってまた一部が不通になった模様・・・。


川根両国駅で下車。ほとんどの人たちが降りていきました。


隣の線路には3両編成の列車。SLフェスタに合わせて運転する千頭~川根両国を往復する井川線の試乗列車です。小さくて可愛らしいのだ。


試乗列車に連結されているスハフ4号。これだけは未だに赤とクリームの旧塗装を堅持していますね。
1950年代製の古い客車で、今日みたいなイベント時や多客時くらいにしか姿を見せない珍しい客車です。見かけたらラッキー。


川根両国駅ではディーゼル機関車3機が展示されています。個人的にはこれが今日一番の目玉。
線路へは入らず、駅からすぐのところにある線路をまたぐ吊橋から見下ろす形になります。近くで寄っては見れないですが、屋根がよく見えるのと人が写り込まないのは良いですね。


DB1形8号機。
こう見えて昔は本線用機関車だったこともある機関車。今も入換機として現役。
DB1はもう1機いるんだけど、ここ数年行方不明になっています。廃車になったのかも・・・。ただし入れ替わるようにオレンジ色の機関車が夏になると千頭駅で子供たちを乗せている姿を見るようになりましたね。


DD100形7号機。
こいつが見たかったんだ。
凸型のディーゼル機関車で他では見ない形状をしています。これは既に引退済みで保存されている状態ですが、通常は非公開です。車庫の外に置かれているようですが見づらい位置だったりカバー掛けられていたりって感じらしいので歯がゆい思いだったのが、今回のイベントでついに表に姿を表したのです。しかも今日に合わせて再塗装してくれたようです。ありがたいことで。
実質軽便鉄道の井川線の中でも大柄で近代的な車体でなかなか魅力的。これが貨物列車で走っているところ見てみたかったねぇ。


DD20形6号機。
おなじみ現在の主力ディーゼル機関車です。実は馬力はDD100よりも小さい。
なんと上記の不通区間の復旧に合わせて赤とクリームの旧塗装に塗り替えられていました。これは事前には知らなかったことで、驚きました。この日以降も旧塗装のまま走っています。

素敵な並びを見ることができて満足です。
というところで今日はここまで。



東武ワールドスクエアで世界旅行 最終回【2017/03/05】

2018-07-16 23:54:44 | 旅行・イベント記
前回まで割と丁寧に紹介してきましたが、さすがに飽きてきたし内容も薄いんでこっから飛ばしていきますね。
一気にアジアまで戻ってきて、アンコールワットです。結構好きなんで、実際に見てみたいものです。


ワールドスクエアの案内では故宮とされていますが、紫禁城の方が通りがいいんじゃなかろうか。中国は北京の宮殿すな。
広場が広い。大陸なのね~と。


めっちゃ人形が整列されていますけど、これは映画「ラストエンペラー」の撮影中という設定なのだとか。
人形を規則正しく配置するの大変だったろうな。


雲崗石窟という、下ネタに走らずにはいられない名前の洞窟。うんkせっk・・・。
それはともかく、ここも絶対面白いところだよなぁ。最近趣味の対象が産業革命~現代と狭いのですが、近世以前も面白いよね。
どうでもいいですが、下ネタ観光地と言えば棒と穴の形をした岩が中国の何処かにあると聞いたので、それも一度行ってみたいですね。


御存知万里の長城閣下。全長は2,400kmもあるのだ。北海道から鹿児島まで陸路で行くとそのくらいになります。
アメリカとメキシコの国境の柵もこれくらい洒落たものにしてほしいです。


万里の長城には西遊記御一行がいることが一部で有名です。猿と河童はともかくしゃべる豚はやべぇなって昔は思ってました。
どこにいるかは探してみてね。


日本に帰ってきました。
超大手観光地金閣さんです。一年365日の内500%は混んでいるので食指が伸びず、修学旅行以来行ってねぇんじゃないか。金閣寺に限らず京都の有名所全部そんな状態だと思います。


アメリカの砂漠みたいなずいぶんと険しいところを走る東武日光線。鉄道模型ここにもあったのか。

といったところで東武ワールドスクウェアは以上です。2時間あれば回れると思っていましたが、全然足りませんでしたね。また見誤りました。
あとは、建築物を知らんとあんま楽しめないなというのもあります。実物を見たことあるなら「ここ行ったことある懐かしー」という感傷に浸れます。海外旅行に行ったあと、その時を思い出すのにいいかもしれませんね。
逆に、ここ行ってみた~いと旅行欲を沸かせるところでもあるのである意味危険なところだ。
なので世界中を旅したらまた来よう・・・なんて思ってたんですが、日光かどっかで使われていた遊覧鉄道の蒸気機関車が後日ここに移設されて静態保存されているようなので、近い内にまた行かなきゃならない理由ができてしまいました。今度は3時間取りたいと思います。


帰りはバスに乗って鬼怒川温泉駅まで。日光交通の日野ブルーリボン。


鬼怒川温泉駅に来ました。降りるのは初めてですが、建物は普通かな。


この時はSL大樹用の転車台の建設の真っ最中でした。


待機中の日光交通のバス。古い貸切ブルーリボンがおりますね。


鬼怒川温泉駅にやってきた理由はこれ。この頃はまだ全国制覇の熱意に溢れていた鉄道むすめスタンプラリー。


ここには鬼怒川みやびさんがいます。東武鉄道(グループ会社含む)の鉄道むすめは彼女で8人目ですってね。会社別ではダントツです。まあ、数が多くてもちゃんと仕事させてないと意味ないと思いますが・・・。


帰りの電車は特急「スペーシアきぬがわ6号」に乗ります。JRに直通する方の特急です。
ちなみに嫌な予感がしたので栗橋駅で席を取っておいたのですが、鬼怒川温泉駅に着いてみたら満席でした。危なかった・・・。
車両は100系スペーシアの日光詣塗装です。初めて見ました。金色が一見派手ですが落ち着いているので、思ってたほどケバくない。スペーシア全部がこの色だとくどいけど1本くらいならいいんじゃないかしら。


1時間半くらいでJR大宮駅に着きました。バブル期の特急は快適なのだ。
ここで一旦降ります。


歩いてトミックスワールドへ。ここにも立石あやめのスタンプがあるのです。肝心の鉄道模型には食指が動かんでした。


大宮で飯を食べたらお家に帰ります。18きっぷで来ていたので、帰りも鈍行です。
ちょうど東海道線の沼津行きが来たこともあってグリーン車課金。途中では上野東京ラインの上野~東京の高架線を走りました。ここを乗るのはこの時が初めてでしたので、暗いのに写真とか撮っていました。
この後は特に何もないまま帰宅しました。おしまいです。

東武ワールドスクエアで世界旅行 その6【2017/03/05】

2018-07-11 23:16:37 | 旅行・イベント記
イタリア旅行のつづきです。ミラノ大聖堂(1386~1577年)はイタリアを代表するゴシック建築なのだ。屋根の像がすごい。あんまり見えないだろうに。


サンマルコ寺院(1063~1090年)
これイタリアにあるのか(無知


次にフランスに行きましょう。フランスは数少ない行ったことのある国なので見覚えのある建物がちらほら。
まずは御存知エッフェル塔。これ見たことあります。


シャンボール城(1519~1550年)
聞いたことない建物でした。


ベルサイユ宮殿(1661~1772年)
これも行ったことのある建物。


ノートルダム大聖堂(1163~1225年)
これも行ったこと(ry


正面。ああ、見たことあるねぇ。また行きたいねぇおフランス。


凱旋門(1806~1836年)
これも(ry
1805年のナポレオンの戦勝を記念して造られましたが何せ完成に30年掛かったのでその間にナポレオンは死んでしまいました。


サクレクール寺院(1875~1919年)
行ってみたいな~と思ってるところ。意外と最近の建物なのだな。



ドーバー海峡を越えてイギリスへ。
ドーバー城(1179~1191年)ですね。めっちゃ要塞だ。


タワーブリッジ(1894年)
ロンドンの跳ね上げ橋ですな。


ウェストミンスター寺院(1245~1519年)
完成に300年掛かったとかで。


別角度から。
ロンドンはそのうち行ってみたいところです。


ビッグベンですね。映画でよく破壊されるイメージ。


テムズ川からの景色はよく見ますね。


サグラダファミリア(1884年~)
今度はスペインへ。
スペインの横浜駅として私の中で有名な建物。あと10年くらいでついに完成するようで。でも横浜駅はその先も工事が続くんだろうな。


ミニチュアも工事中の様子を再現しています。
無事完成したら竣工後の姿に更新されるんでしょうかね?


アルハンブラ宮殿(13~15世紀頃)
ヨーロッパっぽくない建物だと思いましたが、この頃のスペインはイスラムの影響下にあったので、それが反映された建物ということでしょうか。


グエルパーク(1900~1914年)
グエルって人が造らせた公園で、設計士はサクラダファミリアも設計したことのある例のガウディです。


カサ・ビセンス(1878~1888年)
ガウディの初期の作品です。ちょっとした屋敷ですかね。


バルセロナ大聖堂(1298~1448年)
名前だけ知ってるやつ。

今日はここまで。



北米project 4 ~Is the order a warbird? その49【2016/03/04~10】

2018-07-06 22:12:06 | 海外旅行記

アトランティック・リッチフィールド・カンパニー#813タンク車(1917年製)
こう見えて100年前のタンク車なのだ。フレームレス構造のタンク車が開発されるまでは形状にほとんど変化がなかったのだなと。ちな積載量は8,096米ガロン。
アトランティック・リッチフィールド社はアメリカの石油会社です。現存する会社で、今は社名を頭文字を取ってARCOに変えています。機関車メーカーのアルコとはびみょーに綴りが違う。



GATX#70529タンク車(1941年自社製)
タンク車はどの車を見ても見た目はそれほど変わりがないですが、中身はただの水から濃硝酸などの危険物まで様々です。
これの中身は何かと言うとワインだったそうな。タンクへの投入口も6つある賑やかな車両です。



サンタフェ鉄道#189783燃料水車(1939年自社製)
英語だとfuel & water carとされていますが、いわゆる謎車。なんだこれ・・・。
何処の馬の骨とも知れない長物車を種車に改造した車でしょうが、長物車に水槽と燃料タンク、あとはボイラーらしき円筒形の物がただ乗っかっているだけという無造作な車両です。手前が燃料タンク、奥が水タンクでしょうかねぇ?なんだこれ・・・。
思いつく限りでは蒸気暖房車・・・とするには使いづらそうな感じですし、私の発想を超えた使い方をしていたんでしょうね。よくこんなの残したよね。いやほんとなんだこれ。



GATX#453タンク車(1930年自社製)
これもワイン輸送用のタンク車です。



アムトラック#1467速達荷物車(製造年不明)
英語だとexpress carと書くのですが、なんのこっちゃ・・・となります。見た目にはただの有蓋車だし。
その正体は高価値の少貨物を早く運ぶための車両です。高価値の貨物を運ぶため通常の荷物車よりも頑丈である必要があることからよく有蓋車などが転用されるようです。
また、速達荷物車は旅客列車に連結されます。旅客列車の方が速度が速いので、通常の貨物列車よりも早く輸送できるのです。連結位置は荷物車と同じだったそうな。DHLやUPSが展開している航空貨物輸送の鉄道版と言えます。
有蓋車ですが客車用の台車を履いているのにも注目。客車用台車を履くことで高速性能を確保したということでしょうか?
貨車の持ち主は不明とされていますが、塗装からしてアムトラックが持っていたのではないでしょうか・・・?



コメットI形。とても電車的な客車です。



これも珍品でして、アメリカ陸軍#89631厨房車(1953年製)です。
食堂車のように供食設備は無いので厨房車(kitchen car)です。通常の客車よりも短い全長でカーキ色の塗装がコテコテの軍隊感を出しています。
車内がどんななのか興味深かったんですが、当然見れず。こんな留置線の片隅にのさばらせておくにはもったいない。



台車の横には水槽がありにけり。



反対側も同じような感じ。



留置線の遠景。何度も言っていますが、土地が広い。あと100台は余裕で並べられるだろという。



博物館の中心の方へ戻っていきます。



3ft鉄道の転車台です。グリズリーフラッツ鉄道で使われていたもののようです。
木造で手動式。



転車台の回転軸ってあまり見たことないというか見にくいので記憶が薄いわけですが、この転車台はこうなっています。割と簡単そうな構造なのだ。



サザン・パシフィック鉄道#157家畜車(1915年製)
グリズリーフラッツが持っていた家畜車。これだけ外に置かれていて、車体も半分崩れかけている状態。どうしてこんなことに。
地面に直置きされているように見えますが、一応砂に埋れたレールの上に乗っかっています。

今日はここまで。


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