黒鉄重工

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初めての岐阜基地航空祭へ その9【2016/10/30】

2018-01-30 23:07:08 | 旅行・イベント記

異機種間大編隊の続き。飛行展示を終えて着陸する機体を撮ります。
まずXF-2が着陸。しばらく前脚を浮かしたまま滑走するのが何だかおかしくて面白いのだ。



F-15Jも着陸。今のF-2と比べるとF-15ってやはり大きいのだなと。



トリはC-1の試作1号機です。



着陸しました。



誘導路を走行して定位置へと戻っていきます。



T-4。T-4の天蓋って横に開くんですね。知らなんだ。
パイロットは天蓋を開けて来場者にサービスします。



F-4EJ改。



柔らかな西日に当てられるF-4良いです。



それっぽい写真。



F-15J。



正面どーん。






F-2A。



F-2の脚ってなんだか着陸した瞬間折れちゃいそうですよね。



XF-2。



それっぽい写真。



機付き整備士の前で停止。彼らがXF-2の整備士だったのでした。

今日はここまで。
次回で航空祭から撤収します。


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初めての岐阜基地航空祭へ その8【2016/10/30】

2018-01-29 23:56:27 | 旅行・イベント記

異機種間大編隊飛行展示の続き。
大編隊は数回に渡り行われます。別の隊形に組み直している間、F-15Jが単機で飛行展示します。



第2形態。C-1を先頭に、アローヘッド隊形で航過。



いいですね~(小並






XF-2の単独展示。



ロール機動。



星の形をした隊形で進入。戦闘機5機が横一列に並んでいるのが贅沢です。



ヒャースゴい!



最後にC-1の単独機動。
輸送機の動きなのかあれは。



だいぶ寄ってくれました。感謝。






これで残るは着陸をして飛行展示はおしまいです。まずはT-4が4機。



続いてF-4EJ改。F-4の編隊しゅごい。



F-4もかっこいいねぇ。



制動傘を展開して減速。いやこれはかっこいいわ。



最後にF-2とF-15Jが着陸態勢に。



今日はここまで。

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初めての岐阜基地航空祭へ その7【2016/10/30】

2018-01-28 19:54:29 | 旅行・イベント記

再び滑走路側へ戻ってきました。そろそろ最後の演目、飛行開発実験団による大編隊飛行展示の時間です。



午後になって光線が変わったので地上展示機の撮影をば。今日はもう出番のないF-16C。しつこいですがクソかっこいい。



XF-2 2号機。飛行展示で飛ぶのでスタンバっています。



F-2A。これも待機中。



離陸のためタキシングをはじめました。観覧席からは黄色い歓声が飛び渡ります。



C-1輸送機の試作1号機が離陸していきました。通常のC-1は迷彩塗装ですが、これだけは銀色で塗られているので、銀ちゃんとか銀様とかそんな呼ばれ方をされているはず、たしか。



図体の割にアクロバティックな飛行を見せることに定評のあるC-1。



機首から飛び出たとても長いピトー管が特徴的です。銀色なのもあってイッカクにも見えますかね。



続いてF-4EJ改も離陸。



F-15Jも空中へ。



F-4EJ改。みんな左側の方へ向かいます。



F-4がもう1機。



はいそして、異機種間大編隊を組んだ飛行機たちが会場左手から進入。
なんだか大きさも形もバラバラだ。



C-1を先頭に、次にT-4が2機、3列目にF-4が左右に2機と中央にF-15、4列目の左右にF-15、中央にF-2が2機という編成。空自で運用されているジェット機の大半が一同に会しているので豪華です。



速度差のある機体同士で編隊を組むのは大変なんだろうなと言う想像はつくので、ただ飛んでるというわけではないんでしょうね。

今日はここまで。編隊飛行はまだ続きます。


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北米project 4 ~Is the order a warbird? その31【2016/03/04~10】

2018-01-25 23:56:15 | 海外旅行記

POFの3回目。
別の格納庫へ向かいます。
次はポンド格納庫へ入りますが、ひとまずここは後回し。



その隅にひっそりと入口のあるUSSエンタープライズ格納庫へと行ってみましょう。
あんまり入り口がちっさいので、下手すりゃ見過ごすんじゃないかっていう。



この通り、空母の格納庫のような演出がされた格納庫にアメリカ海軍機がここに集結しています。
来場者が立ち入れるのはこの妙な演出の通路までで、それより先は行けません。なので機体をじっくりと見ることは出来んのです。いらん演出だなー。



ゼネラルモーターズ(イースタン)TBM-3Eアベンジャー(1941年・累計103機目・2時間ぶり2機目)
アメリカ海軍の雷撃機です。グラマンが開発した機体なんですが、程なくして自動車メーカーのゼネラルモーターズ内の航空機部門「イースタン航空機」でライセンス生産されることになります。製造会社が違うので、グラマン製の型式はTBFですがGM製はTBMと異なる型式になっています。
F4F(GM製名称;FM)のところでも書きましたが、ノースアメリカンやリパブリックと較べてグラマンは生産能力が低く、F6F戦闘機を生産するので手一杯だったのです。TBF/TBMは約9,800機が造られましたが、その内75%はGM製だったのです。

搭乗員3名、12.7mm機銃3門(前方*2、後方*1)、7.6mm機銃1門、その上魚雷を腹の中に抱えて飛ぶようにした結果、大柄な機体になりました。
よくこんなデカいのを空母で運用できたね、という印象で、エンジンに物を言わせて力づくで飛ばしたんじゃないかしら。



主翼を折り畳めるように設計されたのはTBFが初めてなんだそうな。
魚雷を機内の爆弾倉に仕舞い込んで飛行できるのも特徴で、胴体がバカでかくなったのもこれが要因。

この機体は1945年7月に就役、空母USSフランクリンに配属されますが実戦は経験せずに終戦。1959年にPOFに取得されて1983年に動態保存化され現在に至ります。当然今も飛行可能。

見づらくて仕方ないんで、今回はこんなところで。
また2日後に見るんで、詳しくはそこで書きましょうか(ブログ上で書くのがいつになるかは知らない



ヴォートF4U-1コルセア(1940年・累計104機目・2時間ぶり2機目)
ヤンクスでも見たF4Uです。柱が邪魔で見にくい・・・。
主力として採用されながら最初は不遇の扱いを受けていたものの、後にそこに返り咲くというこっちはこっちで十分シンデレラストーリーだなというのは前にも書きました。
戦後も1953年まで生産が続けられたということで、これは知りませんでした。恐竜的進化が続いたこの時代の飛行機としては長期間生産されていたのですね。
この個体は1943年8月に就役、太平洋上で実戦にも参加しています。



ノースアメリカンSNJ-5テキサン(105機目・2時間ぶり3機目)
やっぱり居た、博物館の常連テキサン。アメリカ海軍では海軍の命名規則に則ってSNJという型式になっています。Sは偵察、Nは練習、Jはノースアメリカンです。
練習以外に偵察にも使うつもりだったということですね。そのせいか、塗装は海軍の練習機伝統の黄色一色ではなく青の迷彩色です。イエローペリルという名前も引き継がれていないようです。



航空魚雷・・・なんだと思います。



ダグラスSBD-5ドーントレス(106機目)
ヤンクスでも見た急降下爆撃機。アメリカ海軍/海兵隊の機体の迷彩って、ネイビーブルー一色だけかと思いきや、時期によって色々種類があるんですね。考証が大変そうだなぁって。その代わり陸軍航空軍のような派手なペイントやノーズアートは無いです。規律が厳しかったんだろうか?
1943年10月にアメリカ海兵隊に配属されて、翌年3月にニュージーランド空軍に転属したそうな。実戦も経験済み。



ライアンFR-1ファイアボール(1944年・107機目)
誰だコイツ・・・。たぶん試作機なんだろうと思いきやうっかり66機造っちゃったみたいで、ちゃんとした制式機なのか。保存されている1型はまさに量産型ですからね。ちなみに現存するのはこの1機だけだそうな。POFのにしては珍しく静態保存機です。貴重な現存機であんまりいじり倒すのもよくないと思いますし、この状態で良いと思います。
パッと見普通のプロペラ艦上戦闘機に見えるんですが、これの真髄は尾部にあります。



これがFRの後ろ姿。別に普通じゃんって?
よく見ろ、尾部の先端。DANGERって書いてある部分。その先っぽを見てみろ・・・。



ここ。よく見るとこの部分、ジェットエンジンの排気口!つまりこいつ、レシプロエンジンとターボジェットエンジンのハイブリッド戦闘機なのだ!
1940年代に入るとジェットエンジンが実用化されてきたんですが、まだ信頼性が低いし燃費も悪いし出力も低い。滑走距離も長くなるので空母の飛行甲板では短すぎ・・・。そんな事情があったので、離着艦時や巡航時はプロペラ、加速時や上昇時はジェットを使い分けることでどうにかしようと思い付き、この複合戦闘機を開発させたのでした。
ライアンはあんまり耳にすることのない会社です。代表作はリンドバーグが大西洋横断飛行に使ったスピリット・オブ・セントルイスですかね。

機体は奇をてらわず、普通のプロペラ戦闘機のケツにジェットエンジンを付けたという感じ。
レシプロエンジンはR-1820サイクロンで、ジェットエンジンはゼネラルエレクトリックJ31です。でもR-1820はこの年にしては低性能な1500馬力級だし、J31もまあ性能低いし、どこまで本気だったのかという感じはします。
それでもうっかり量産された66機が実戦部隊に配備されました。対日戦も目前となったところで、日本が降伏したので気が抜けてしまいそのまま実戦の洗礼を受けること無く1947年に全機退役。ジェット機の発達も早かったので、FRみたいなまさに過渡期の機体はすぐに用無しになってしまったのです。



こういう過渡期の機体は割と好きです。今にしてみればおかしな機体ですが当時の人達は大真面目に考えついた機体なわけで。
ちなみにジェット機に不可欠な空気取入口ですが、主翼の付け根にあります。こんな小さい口で大丈夫だったのかな・・・。

もうちょい見やすいところに置いてくれればなー・・・。やっぱこの通路要らないんじゃ。



ダグラスA-4Fスカイホーク(1956年・108機目)
アメリカ海軍のジェット攻撃機。傑作機です。POFにはB型とF型の2機がいるんですが、ここにいるのは背中にラクダのこぶがあるので後者でしょうね。
風防がマスクされてたりするんで、整備中といったところでしょう。というかとにかく見にくい位置に置かれているのでこれについてはここまで。その後も何機も出てくるし。



グラマンF9F-SPパンサー(109機目・90分ぶり2機目)
左に写ってるMARINESの表記が眩しいやつがそれです。めちゃくちゃ撮りづらい・・・ほんとこの空母の演出邪魔だ。エンタープライズなんてミッドウェー海戦で沈んじゃえばこんなことには・・・。この点だけを見ても当時の極東の島国の海軍は無能と言わざるを得ませぬ。

主翼の折り畳みの角度が外に開いていてちゃんと畳めてないじゃんと思いきや、これで正解なんですね。


海軍機をやっつけたところで今日はここまで。


その32へ→

新年の野鳥撮影【2016/01/03】

2018-01-24 23:12:57 | 日常記

2016年1月3日。前回ようやく2015年の出来事を全て片付けて2016年にやってきました。
カナダ ビクトリアで迎える2回目の新年。例によって寝正月なわけですが、どこにも行かないのも難なのでなんとなくビーコンヒル公園へ行きました。適当にぶらついて野鳥撮影でもしましょうかね。
公園には池があるんですが、表面が凍っていました。ひえー。朝ならまだしももう午後なのに。確かにこの日は寒かったのです。それでも雪は降らないので比較的快適なわけですが。



池に架かる橋を渡っていると、1羽の鳥を発見。あのお姿は・・・。



オオアオサギ先輩じゃないですか!新年から幸先がいいですね。
他の鳥と違ってピクリともせず佇む姿は貫禄たっぷり。







チャリと一緒に。
この直後、飛んでいってしまいました。



アメリカヒドリの群れ。



アメリカヒドリはカモと同じ大きさをした水鳥ですが、頭部がまるで違うので識別は容易です。
雌雄間でも容姿が異なりますが、これも識別できます。後頭部が緑っぽくて眼の周りが黒く縁取られている方がオスです。この個体はちょっと地味なんですが・・・。



メスのアメリカヒドリは全体が褐色です。羽毛の模様もオスと違いますね。



ヒドリとカモメ。カモメと言っても種類も色々なんですが、特にそこまで調べてないです。たぶんシロカモメだと思います。



カモメのくちばしって赤い斑点が付いてるんですが、なんでこうなったんでしょうね?



カモメ on the ice。さすがに着地時は少し滑走する。



餌やりに群がるカモの群れ。



大混雑です。
ちなみにこの中に自分をカモと思っているヒドリがいますが、見つけられるかな?



カモメ「餌に釣られるワイではないで・・・」



カモメ「なんてね」

いい感じに羽がブレたな。



氷の上を闊歩するカモとヒドリの混成旅団。いやなんていうかその・・・泳げよぉ。



餌に群がる水鳥ども。嗚呼、食欲には逆らえないのよ・・・。



一面の水鳥。これ全員餌の方向見てるんだぜ。私が餌を持っていたらみんな正面向くんだろうなぁ。



氷の張っていない池もありました。こんなに鳥が泳いでいると風情もクソもないような。



カモメがよく飛んでいるので飛行中の写真を撮ることに。ただまあ、成功率は低い。



カモは中々飛ばないし、飛んだとしても超低空飛行をするので、数が多い割に撮影が難しいです。そんな中で捉えた貴重な飛行写真ですが、くそださいカットになってしまった。
寸胴、デブ、変な格好・・・。



お、見切れもなくうまく撮れましたね~。
カモメはやっぱり撮りやすい。



カモを真横から捉えた貴重な写真。でも小さいし背景うるさいし。



カモメって身体は傾けても首は傾けないので、こういう瞬間を撮るとなんだか変な格好に。



最後は水面がいい具合に反射したのがいい感じになって撮れたカモ。
今日はこんなところで。

【1/700】大日本帝国海軍 球磨型軽巡洋艦「北上(重雷装艦)」【ギャラリー】

2018-01-21 23:15:03 | 模型ギャラリー

■使用キット:アオシマ 1/700WL軽巡洋艦北上(重雷換装時)
■仕   様:超重雷装艦仕様
[製作記]



前。
アオシマの北上のキットにピットロードの5連装魚雷発射管を取り付けて雷撃性能を上げたいわゆるハイパー北上様を作ってみました。
魚雷発射管を交換して、金属の張り線を張った以外は素組みです。



横。



後ろ。



艦首。主砲はここに集中しています。4門ありますが実際使えるのは片舷3門だけ。ていうかもう砲戦する気、無いよね?







魚雷の森。5発*10基なので計50発撃てます。
こんな専用の巡洋艦を拵えて高価な魚雷をたくさん積んでも実際当てられるのは数発だけなんでしょうから、えらく非効率的だよなぁって。



魚雷本体と発射管が分割されていたので魚雷は銀色に塗ったんですが、上から見たんじゃ分からないですね。横から見てもよく見えません。塗り分けてもしょうがないな・・・。



後ろには内火艇がたくさんあります。内火艇は軍艦色で塗った後タンや白を筆でじゃぶじゃぶ塗っているんですが、さすがに見苦しいなと最近思い始めたので、次からはちゃんとエアブラシで塗ろうかなって思います。

以上、重雷装艦北上でした。

【1/700】重雷装艦北上 製作【アオシマ】

2018-01-20 21:44:31 | 艦船模型製作記
アオシマのウォーターライン北上を作りますん。
北上は最初は普通の軽巡洋艦だったのが、後に何度も改造されて何回も形態を変えているんですが、今回は魚雷をたくさん積んだ重雷装艦という形態で作ります。
なのでアオシマのキットも重雷装艦形態を選択します。


数年前に発売された新しいキットなので、出来は十分です。手を加えるまでもないし、加えるつもりもないです。


重雷装艦では4連装魚雷発射管を片舷5基、計40発の魚雷を装備していました。そんなに積んでどうするんじゃっていう。
キットでもその形態なわけですが、今回は発射管を5連装に増強させてみました。
これは艦これの北上改二(通称ハイパー北上ともいう)の装備に5連装発射管が付いてきたことに由来するものです。史実では5連装は島風にだけ装備されて、北上への装備は計画すら無かったはず・・・。
アオシマのは史実の4連装だけなので、5連装化にあたりピットロードの日本海軍艦船装備セット9を調達。これに入っている発射管を流用します。
ちなみに、この武器セットだけ先に購入して北上本体は後々調達しようと思っていたんですが、その後ピットロードが北上本体とこの武器セットを抱き合わせて発売したので、今は無理してアオシマの本体とピットロードの武器セットをニコイチする必要は無いです。


武器セットの中身はこんな感じ。これが4枚分入っています。なので北上に使うと魚雷は後2基分余ります。何か適当な陽炎型にでも載せよう。
発射管には防盾が付属していますが、これを付けない状態でも使えます。
発射管の防盾は各々スライド金型を使っています。スライドコマは小さいですけど都合6個分でして、意外と金かかってそうだなと。
発射管と魚雷本体が分割されているのもうれしいですね。せっかくこういう気遣いをされたので、きちんと弾頭部分も色分けしてしんぜよう(いつもは灰色一色
魚雷は本体を銀で塗装して、弾頭部を黒のマーカーで塗りました。


部品はランナーからバラバラにしてしまいます。エアブラシ塗装しやすいように取っては残しておくのがミソ。あとマストや艦橋など組み立てられそうなところは先に組み上げてしまいます。


塗装は甲板をリノリウム色でまず塗ります。


そしたらマスキングして、その上に軍艦色を塗ります。北上は佐世保色を塗装してやります。
北上の船体は赤色の船底部品も一体化して成形されているので、塗り分けてやる必要があります。最初に船底の赤を塗ってから軍艦色を塗りましたが、船体側面数mmだけをマスキングするのは剥がれやすくて結構難しく、上手くいきませんでした・・・。
次からは軍艦色→赤色で塗ろうと思います。


なんやかんや塗って、その後艤装を組み立てて完成です。
軽巡の細身な船体にいくつもある魚雷発射管が異様です。


ズラズラと並ぶ魚雷。艦隊決戦時の活躍を期待されていたそうです。
魚雷は発射後の移動速度が遅いので結構避けられやすかったらしいです。そこで避け切れない数の魚雷を散布してどれかに命中させるという戦術だったそうな。
なので、これだけ魚雷を積んでいても実際当てられるのは数発ってところじゃないでしょうか。魚雷は高額な兵器なんですが、その割に効率悪いんだなぁ~って。


今回はこれで終了。
完成品はギャラリーにて。



初めての岐阜基地航空祭へ その6【2016/10/30】

2018-01-16 22:53:32 | 旅行・イベント記

岐阜基地航空祭では格納庫のある北会場と庁舎等のある南会場に分かれています。
南会場は滑走路を動く飛行機の様子は遠くて見にくいのですが、飛行中の機体を順光状態で見られるので撮影目当てで来たスポッターなんかには人気です。
逆光側で撮影することの多い航空祭で、開催側が公式で撮影場所を用意してくれるのは嬉しいことです。今度は撮影メインで岐阜基地航空祭に行きたいとか思いますね。
両会場内の往来にはシャトルバスを使います。基地と鉄道駅の間にシャトルバスがいらない分、ここで使えるのかな。



シャトルバスの委託先は岐阜バスなんですが、神奈中かよってくらいエアロスターばっかでした。
中には新MP35もいました。地方のバスでは今も新車にワンステップ車を入れる場合がありますね。



乗ったバスはやはりエアロスター。



新旧エアロスターの並び。
変更が加えられたのってフロントガラスよりも下だけなんだなって。



南会場に着きました。
退役した飛行機が保存されているんですね、知らなんだ。ちょろっと見ていきますか。



カーチスC-46コマンドー。第二次世界大戦頃に使われていた輸送機で、自衛隊にはアメリカのお古が供与されていたはず。
円筒形の胴体じゃなくて円筒を上下2つ組み合わせたような太くて短い胴体なので、やけにずんぐりむっくりしています。かっこよくはないなという印象。
大きい機体なのですが、浜松、所沢、河口湖、美保等、意外と各地で保存されている輸送機です。



主翼は少しだけ上反角が付いているように見えます。
エンジンの外側に主翼の接合部があります。C-46もDC-3と同じように主翼の外翼を桁ごと取り外せるようになっているんですね。



保存機の代名詞、ロッキードT-33Aシューティングスター。
ジェット練習機のベストセラーで大量生産されまして、退役後は各地の基地や航空博物館で保存されましたので、たいていの基地や航空博物館にはこいつがいます。デゴイチもやたら保存されてますがそれと同じような感じです。もう見飽きたぞっていう。



ビーチT-34Aメンター。最初にパイロットが操縦する初等練習機です。自衛隊のT-34はオレンジの印象なんですが、銀色の機体もいたんですね。
機体の周りはロープで規制されていたので360度見て眺めることは出来ませんでした。



ロッキードF-104Jスターファイター。これも日本の保存機の常連。
見た目はイマイチで実際の能力もちょっと疑問だなぁって印象。



エンジンは抜き取られているんですが、後ろをフタされてるわけじゃなかったので中身が丸見えでした。これはこれであまり見れるもんでもないです。
結構ガランドウで、こうしてみると戦闘機というのは操縦席と翼が生えただけの筒状の物体なのだなと。



ノースアメリカンF-86Fセイバー。おなじみの朝鮮戦争時のアメリカの傑作ジェット戦闘機です。
自衛隊のF-86F、F-86D、F-104は銀色無塗装だった時期もありましたが、途中から銀色の塗料を塗るようになったそうな。保存機も銀塗装時代を再現しているのでしょうね。それか、無塗装で保存すると維持の手間がかかるから銀の塗装で誤魔化しているのかもしれませんが。



バスと戦闘機。
保存状態はまあまあという感じでした。2016年に静浜基地の保存機がほとんど解体された事がありましたので、他の基地の保存機も安泰というわけではない状態だといえます。見れる機会があったら見ておきましょう。

この後南会場からは離脱して北会場に戻ったところで今日はここまで。


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初めての岐阜基地航空祭へ その5【2016/10/30】

2018-01-15 22:58:11 | 旅行・イベント記

格納庫内の展示を見てきましょう。エンジンや兵装の展示が多いです。
これはゼネラルエレクトリックCF6-80エンジン。XC-2輸送機用のエンジンです。
CF6は早期警戒管制機E-767や空中給油機KC-767にも使われているエンジンで、すなわちボーイング767旅客機のエンジンでもあります。



後ろ側。
既に何度か書いていますが、旅客機用ターボファンエンジンがやたら直径が大きいのはだいたいファンのせいで、エンジン本体自体は比較的細いです。



J79エンジン。F-4ファントム用のエンジンです。ターボジェットエンジンなのですごくうるさいと高い評価を受けています。



ノズル側。



F-2用のゼネラルエレクトリックF110-IHI-129エンジン。F-2にはこれをIHIがライセンス生産したやつを載せています。



F-15用のF100-IHI-220エンジン。これもIHIがライセンス生産したやつです。
エンジンは金属地剥き出しなんですが、使っている種類が色々あるんでしょう、ファンの部分だけ見ても色味が部品ごとに異なっています。でもプラモデルではガンメタ一色で済ませてしまいます。どうせ見えないし。。。



F100の後ろ側。斜めの格子状になっている部分はアフターバーナーの燃焼室だったと思います。
ノズルは可動式になっていて、噴射量を調節するノズルの腕が中々複雑というか絶対プラモデルで作りたくない部分であります。キットではよほど精密なキットでないと省略されている部分ですので、再現するには自力で部品を作り上げていく必要があるんですが、よくやるなと思います。



F-2の操縦席を近くで見られるやつ。例によって大行列なので遠くから見るだけ。



何の変哲も無いF-15J (12-8928)ですが・・・。



主翼から巡航ミサイルっぽい何かが吊るされていました。なんじゃこりゃ。
正体はミサイルではなくて無人偵察機TACOMなのだそうな。飛行中の母機のF-15から空中で分離して、子機であるTACOMは目標の偵察をした後、自分で基地まで帰投して情報を持ち帰ってきます。TACOMは繰り返し使えるのだとか。
無人偵察機と言えばアメリカ空軍の狂気、D-21を思い出しますね。

その上の細いミサイルは04式空対空誘導弾(AAM-5)です。



AAM-4空対空ミサイルの試験時にF-15に搭載してあれやこれやを計測するための計測ポッド。
先端の黒い部分に秘密がありそうですが、



ミサイル2種。本物っぽく見えますがたぶん模擬弾でしょう。
奥がAAM-5(改)で、既存のAAM-5の誘導制御装置を改良することで能力向上を果たすとか。最近正式配備されたらしい。
手前はAAM-4Bで、やはり既存のAAM-4の改良型。こっちはすでに正式配備されているらしい。



ASM-2B空対艦ミサイルの試験時に使う計測ポッド。F-4に取り付けて使います。
本体が紅白になっているのはT-2の油槽を再利用しているから?



XASM-3空対艦ミサイル。まだ開発中のミサイルなので型番にXが付いております。退役して標的艦となった護衛艦「しらね」にぶつけるのがコイツです。
これは戦闘機に装備した時に機体の飛行特性なんかを調べるための模擬弾です。市松模様になっているのは変形した時の状態を観測しやすくするため。



AAM-3の形をしたカメラポッド。前後の先端にカメラが収めされていて、翼下の外装装備品を分離した時の動きをカメラで撮影するのだとか。



反対側の主翼にもTACOMが装着されていました。
さっきのは実践向けっぽい塗装でしたがこっちはおなじみの紅白の試験塗装仕様ですね。

この格納庫はこれでおわり。
ミサイルひとつ開発するにも色々な試験装備や検測装備が付随するんだなって。



ちなみに大手サークルX-2の待機列はすごい膨れ上がっていました。なんと3時間待ちとなっています。
ここまで長くなるとさすがに諦めていたと思います。朝イチで並んでよかったぜ。

今日はここまで。


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北米project 4 ~Is the order a warbird? その30【2016/03/04~10】

2018-01-13 22:00:00 | 海外旅行記

プレーンズ・オブ・フェーム(POF)のつづき。動態保存機の飛行展示イベントは早々に終えたので、館内に収蔵されている機体を片っ端から見ていくことにします。
ほとんどの機体は格納庫の中に置かれています。格納庫は複数ありますので、手近なところから順番に見ていきましょう。
まずは、フリードキン復元格納庫 Friedkin restoration hangar から。ここでPOFの機体の整備や復元を行っています。POFの最前線ですかね。



初っ端からパッとしないやつだな。一番手前にいたのがこれだったから仕方ない。
パイパー601Pエアロスター(1967年・95機目)と言います。バスみたいな名前しやがって。
普通の軽飛行機なわけですが、この博物館の機体なのかちと疑問。どこかのオーナーがここに整備を委託したとかそんなところじゃないでしょうか?



次も知らないやつだ・・・。セバスキーAT-12ガーズマン(1934年・96機目)というのだそうな。・・・と、ここでセバスキーの名前を聞いて「もしかしてP-35の系列機かしら?」と気付いてよく見たらその通りなのでした。
セバスキー社の開発した戦闘機P-35(愛称は無い)を複座練習機用に再設計したもの。型番がATなので高等練習機(Advanced Trainer)ですね。
日本じゃP-35なんてどれだけ認知されてるか知ったもんじゃありませんが(私も知らなかった)、アメリカ陸軍初の全金属製、単葉、密閉式操縦席、引込脚といった新機軸をふんだんに盛り込んだ意欲作で当時としても先進的な機体なのでした。それでもアメリカの第二次大戦参戦時には旧式でしたので、後方のフィリピン送りになっていたところを零戦にけちょんけちょんにやられてた模様。

その練習機型であるAT-12ですが、アメリカ陸軍は初め採用するつもりはありませんでした。本当はスウェーデンに52機を輸出するつもりだったものを、1940年6月のイギリスを除くアメリカ製航空機の禁輸措置が命じられたため、最初に輸出した2機を除いて売れなくなってしまいました。残りの50機は既に生産済みだったようで、どういう経緯か知りませんがアメリカ陸軍航空軍に押し付けられて運用されたそうです。
ちなみにセバスキーという会社は1939年にリパブリック社に改名、後にP-47サンダーボルトを生み出すことになります。そう言われると機体形状が何となくP-47に通ずるところがあります。

復元格納庫にいるということで、これも動態保存機で飛行ができます。



また知らないやつじゃん。ヤコブレフYak-52TW(1976年・97機目)です。
ソ連機はよく知らないので、これも第二次大戦時の機体なんだろうなぁと思っていましたが、初飛行40年前の機体でしたか。見た目によらないもんですね。
ソ連や東側諸国向けの練習機として造られましたがその割にエンジンが強力なので曲技飛行にも使われているらしい。これもその口でしょうか。
生産は今も続けられているロングセラーです。



整備しているおっちゃんに「零戦はどこでござるか?」と聞いたら、「それよりバルを見せてやんよ」と奥に案内されました。バルって誰やねんと思いながら奥へ進むとこいつがいました。
初めは合点が行きませんでしたが、ほどなくして「これ九九艦爆じゃん」って気づきました。現存機、いたんだ。



愛知 D3A2九九式艦上爆撃機二二型(1938年・98機目)です。
日本海軍の航空隊で運用されていた艦上爆撃機ですね。みんな知ってるだろうから残りの説明はパス(手抜き
九九艦爆といえば、映画「トラトラトラ」の撮影用に別の機体を改造して仕立てたやつが有名なんですが、そいつじゃなくてこれは本物です(POFはその改造機も持っているのだが今回は邂逅できず
来歴はハッキリしたことは言えませんが、他の日本機同様ジャングルの残骸から回収して復元したものだそうです。
格納庫の奥底に仕舞われているので復元作業は中断しているんじゃないでしょうか。復元完了までの道のりもまだまだかかりそうです。POFだと恐らく動態復元すると思うので、いつの日かチノの空を飛ぶ日が来るのを待っています。

いいもの見れたので今度こそ零戦をと聞いたら「この中のあそこにあるよ」と言われました。
ん?室内は入った時一通り見回したけど零戦なんてなかったよ?と思いつつあそこに行ってみる。



!?
あ、もしかしてコレっすか・・・?
奥に見覚えのある零戦のエンジンとプロペラもあるし、これですね・・・。いやまさか、分解整備中とはね。トホホ・・・。
まあ、前に所沢で同じ個体を見たからいいんだけどさ。



別のところには尾部とエンジンカウルが。形状からしてやっぱり零戦でしょう(99機目)。しかし、塗装も全て剥がして大掛かりな整備ですね。これたぶん、5月のエアショーまでやってたんじゃないかな?

ついでなんで脱線すると、POFの零戦は、世界で唯一オリジナルのエンジンで飛行する個体であることが売りです。他の飛行可能機は全て原型とは異なるエンジンで飛んでいます。
じゃあとても状態の良い機体なんだね、と思われがちなんですが実際は真逆です。飛行可能な状態を維持するため原型を削いでいる部分があります。
例えばこの地が出た外板は復元に当たりほぼ全面に渡って新しく作り直されていると見て間違いないでしょう。他の詳しい相違点は、まあ他のサイトや書籍に任せるとして(丸投げ
それでもいい加減な復元では全く無いので、雰囲気を楽しむには十分です。かくいう私もこの手合いなので、あまり気にしたことはないです(

なので、復元した機体とされますが、実際のところはよく出来たレプリカと言ったところでしょうか。であるのに、なぜレプリカ扱いされないのかと言うと、なんやかんやこの個体は現役時に日本海軍の戦闘機であったという得難い来歴を持っていて、それがこれをレプリカ以上の価値にしているのです。形の見えにくいものですがやはり説得力があるのです。



また脱線が過ぎてしまった。続きやりますよ。午前中も見たノースアメリカンB-25Jミッチェル累計100機目・B-25単体2時間半ぶり2機目)ですね。
カーキ色のイメージしか無いんですが、無塗装のB-25っていたんですね。
この個体はPOFで1964年からずっと運用されている古株で、航空写真撮影に使われたり、テレビや映画の被写体になったりしたとか。なのでファニーの写真号(Photo Fanny)という愛称が付けられてます。もちろん博物館入り後に付けられた名前ですが。
このファニーというのは女性の名前なんですが、他に女性のケツとかアソコとかの意味もありにけり。ノーズアートにはファニーちゃん(仮名・30代)の絵が描かれていますが、お尻が強調されてました。

今回の旅行で見た飛行機を順番に数えているんですが、このB-25でまずは100機目突破でございます。早すぎでしょ・・・。200機300機とか行きそうで今から怖い・・・。



復元の最中のベルYP-59Aエアラコメット(1942年・101機目)
あまり知られてないですが、実はアメリカ軍で初めて制式採用されたジェット戦闘機なのです。栄誉ある肩書なのに知名度低いのは、アメリカ軍的には無かったことにしたい機体だから・・・。
採用したのはいいんですが性能が低くて使いもんにならなかったため、実戦配備されること無く生涯を終えました。それでもうっかり66機造っちゃったのが恥ずかしいのであまり表立って言われないんです、コイツ。
それでも見所のある構造をしているので憎めないヤツ。そこら辺はまた今度話しましょう。

ちなみにその後採用されたのがロッキードF-80シューティングスターで、こちらは1,700機くらい大量生産されました。なのでF-80には「アメリカで初めて本格的に量産されて実戦配備されたジェット戦闘機」という回りくどい言い回しの肩書を持っています。

この通り復元中で、復元が完了した暁には飛行もするつもり。そうなれば唯一の飛行可能なP-59になる予定。



近年は初期のジェット戦闘機の動態保存も行われていて、F-86やMiG-15が飛んでいる写真を見かけます。
大したものだよねほんと。



格納庫は見終えたので外に出て別の格納庫へ移動。その途中で外に置かれていたグラマンOV-1Aモホーク(1959年・102機目)
全く知らなかった機体ですが、アメリカ陸軍用の飛行機です。ベトナム戦争世代の機体で、地上部隊との連携を取るための偵察や観測が主な役割。簡単な武装も出来ます。短距離離着陸性能も高いので前線での運用もバッチリ。
POFの中では若い機体だと思われ。これも動態保存されています。

今日はここまで。次回は別の格納庫へ行きます。


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