バンクーバー島のおおよそ真ん中にある町コモックスバレー。ここで8月15日に航空祭
コモックス・エアショー Comox Airshow が行われると聞き、いてもたってもいられず行くことに。海外の航空祭とはどんなものなのか。とても興味があります。
会場はコモックスバレー空港/コモックス基地。ここは民間空港と軍事基地が一箇所に同居している飛行場です。小松空港や三沢空港とおなじようなものですね。
コモックスまではグレイハウンドの高速バスでも行けますが到着時間が遅いので端から当てにせず、レンタカーを借りました。いつも通りビクトリア空港にあるレンタカー屋で借りました(ダウンタウンのレンタカー屋は夕方で閉店してしまうため、早朝から夜まで運転するという使い方には不向きなのだ)。
借り方としてはエアショー前日の夜21時から借りて24時間以内に返却するという運用です。こうすると1日分の料金で収まる。
借りたのはトヨタ・カローラ。まーた日本車か・・・。トヨタは日本仕様と北米仕様で自動車の名前をよく変えますが(ヴィッツ/ヤリス等)カローラは日米で同名なのですね。
ステアリングがかなり軽くて最初の30分くらいは運転に手間取りました。軽すぎるのもアレだと思いますよ。
当日朝6時にビクトリアの自宅を発って、途中中間地点のナナイモで休憩がてら朝飯を食べてコモックスに着いたのは9時前。
自衛隊の航空祭なんかだと公共交通機関での来場を呼びかけていますが、広域の公共交通機関なにそれ美味しいの?というカナダではマイカーでの来場が可能です。ただし会場に直接乗り付けるのではなく少し離れたところのパーク&ライド駐車場に駐めて、そこからシャトルバスで会場へ向かうという方式です。これなら行きやすくていいです。
今回駐めたのは牧場だかどこかの空き地。入場開始が9時からだったので着いたのが9時前なのは遅いかなと思ったんですが、まだ車は数台しかいませんでした。
シャトルバスはBCトランジットが請け負っていました。
今回乗ったバスはコモックスバレー所属の(BCトランジットは地域により管轄が異なる)AD Dart SLF + Plaxton Pointer 2 (0102)でした。中型バスです。
"Park and ride"という表示がいいですね。
他に"Air show"という表示も交互に出していました。
パーク&ライド駐車場は2箇所あってこのバスも途中1箇所停車します。私が乗ったバス停は始発だったので余裕の着席ができましたが、もう1箇所の駐車場ではバス停に列が出来ていて、通勤ラッシュのような大混雑になりました。まあこうなるだろうと予測してバスの始発になるだろう遠くの駐車場に駐めたのですが、この予測は正解でしたね。
基地への入口はメインゲートではなくこのバス停の向かいにある駐車場からでした。
入場口はこう。ここで手荷物検査と入場券の確認を行います。
自衛隊の航空祭と異なり入場料がかかります。2015年の時は$20でした。まあ安くはないですが、ケチっている場合でもなかったのでホイホイと購入。私の場合さらに、より前方で展示を観覧できるBox Seating Upgradeを課金して購入。こちらは$10します。ただおかげでより近くで撮影することが出来たのでこの課金は全くもって正解でした。やはり課金する分環境が良いです。今後エアショーに行くことがあって課金席があったら積極的に使っていこうと思いましたね。
で、入場口の真横にはこんなものが!あれ、開いてんじゃん!ε=ヾ(*・∀・)/
もう誰も覚えていないと思いますが半年前の2015年2月にコモックスを訪れた際に
コモックス空軍博物館を見学したのです、したんですよ。
そこには屋外展示場もあったのですが、「冬の間は閉鎖してるやで」という無慈悲な措置を食らったため泣く泣く柵の外から眺めるだけで終わりました。
ところが今は8月!夏真っ盛り!開いていない!はずが!ない!!と踏んでいたわけですが、見事にガバガバです。これでリベンジ成功。というわけで寄り道です。今日の記事はここだけで終わっちゃうぞ。
マクドネルCF-101Bブードゥー Voodoo
アメリカ空軍狂気の戦闘機軍団「センチュリーシリーズ」のうちの1機。最初はソ連を火の海にする核爆撃機の長距離護衛戦闘機および戦術核爆撃機として開発されていたんです。が、護衛対象であるB-52は意外と高性能で護衛要らず、爆撃機の方は本命とも言えるF-105が実用化されてしまい、発注元の米空軍戦略航空軍団(SAC)は急速に興味をなくしてしまい存亡の危機に。ところがなぜか長距離迎撃戦闘機(F-101B)として敗者復活してしまいます。ついでに偵察機(F-101C)としても使われました。この三者、全然役割違うんだけど・・・。迷走してたんだなと。
カナダ空軍もこれを迎撃機として採用して130機ほどを運用します。ただカナダは最初からこれを運用するつもりはなく、本命は自国で開発していたCF-105アローでした。戦闘機の中でも5本の指に入るデカさと思われる迎撃機なのでしたが、開発がおじゃんになってしまいます。
さあ困ったぞ空いた穴をどう埋めるか、という時に選ばれたのがF-101だったんですね。ただほとんど消去法で選んだに近かったと思います。F-106はSAGEとのリンクがないとあまり意味がない上にアメリカも輸出させてくれなかっただろうし、F-106の原型になったF-102は失敗作だし、F-104は使い物になるかよく分かんねぇだろうしで、残ったのは爆撃機からジョブチェンジした迎撃戦闘機?みたいなやつでした。少なくともCF-105の穴を埋めるには不足していたと思います。
後ろ。
開発はマクドネルということで、後のF-4ファントムIIと全体的な形状が似ています。私も性能はともかく見た目は好みです。上部に配された水平尾翼で少し減点食らっていますが。
この塗装はシンメトリカル・マーキング。左右対称の塗装をしているのです。じゃあ非対称時代があったの?となるわけですが、ありました。胴体左側に英語で“CANADIAN ARMED FORCES”、右側にフランス語で“FORCES ARMÉES CANADIENNES”と書かれていました。でも左右で表記が異なるのはイカンでしょ、となって左右の表記を"CANADA"で統一することで解消しました。
エンジン排気口。エンジン自体は撤去されていました。やっぱり盗難にあってしまうのだろうか。
センチュリーシリーズでは唯一の2基エンジン機になっています。
アブロ・カナダCF-100カナックMk.5 Canuck
カナダが初めて自国で独自開発して実戦配備まで行ったジェット戦闘機です。そして独自開発した最後のジェット戦闘機という冠も今後ずっと付くでしょう。
カナダ各地の航空博物館の常連で、大抵の博物館で見かけることが出来ます。
全天候戦闘機、つまりは迎撃機として開発されました。初飛行は1950年でして、アメリカ空軍のF-89、F-94、F-86Dといった第一世代全天候迎撃機と同時期の(正確にはCF-100がやや遅い)機体です。
冷戦時代、ソ連の爆撃機がアメリカを火の海にやってくる場合採られる針路はいくつかあるんですが、北極圏を経由する大圏航路で飛行してくる場合もあります。そうなるとカナダの領空を通っていくわけでして。北米のNORADに配備された他に欧州のNATOにも数個飛行隊が派遣されていました。
Mk.5はエンジンを強化した高高度型。最終量産型でもあります。この機体(S/N 100790)はコモックスを拠点にしていた第409戦闘飛行隊(現在はコールドレイク基地所属)で飛行していた機体だそうな。
機首。
1950年代の全天候型なので機首には大きなレドームがあります。黒い部分ですね。恐らくその後ろには火器管制装置(FCS)が収まっているはずです。ただアメリカのF-89やF-94と比べるとやや短め。
これで闇の中だろうが雲の中だろうが敵の爆撃機を見つけ出して撃墜できる能力がある戦闘機のことを全天候型と呼びます。ただし現用機はそういう能力を持っていて当たり前なので現代においては敢えてそういう呼び方はしません。こういう但し書きがされるのはすでに昔の話なのです。
曇っていて分かりづらいですが、コックピットは複座です。前席は操縦席、後席はレーダー士官/航法士が乗ります。当時のレーダーはパイロット一人だけではとても操作が追っつかなかったのだ。
主翼端のチップタンク、すなわち燃料タンクです。1940~50年代頃に登場した戦闘機で一時期流行った配置です。やじろべえみたいであんまり好きじゃないんですけどね・・・。
CF-100は固定武装を持ちません。最初は腹にガンポッドを取り付けて機関砲で武装していました。ただ機関砲だと爆撃機撃墜しにくいなぁと感じ始めて、今度はロケット弾マイティマウスを装備しました。
ロケット弾は胴体下の他に翼端にも装備できたのですが、これはチップタンクですねぇ。
後ろから。
まあ正直かっこいい!とは思わないです。ただ、カナダ産の戦闘機ということで他人事ではなくなってくる程度に愛着も出てきていますね。
この機体は1959年5月19日にカナダ空軍に納品されて、最初の配属はケベック州バゴットビル基地第413飛行隊でした。その後1961年にオンタリオ州ノースベイ基地第414全天候戦闘飛行隊に転属。さらに1967年にケベック州セント・ヒューバート基地第414電子戦闘飛行隊に転属しました。この時に機体は対電子戦練習機(ECM機)のMk.5Dに改造されました。
第414飛行隊は1972年8月にノースベイ基地に転属し、当機は1981年10月13日に退役しました。その翌月6日にここまで輸送されました。塗装は1970年のカナダ統合軍発足前の塗装に塗られているとのこと。
カナディアCT-133シルバースターMk.3
元は航空博物館の常連オブ常連ロッキードT-33練習機で、それをカナディアがライセンス生産したものです。型式もカナダ空軍独自のものが付番されています。
就役期間は1952~2005年と大変長いです。とはいえ最も機齢の少ない機体で37年ですから、まあそうね・・・。
練習機としての役目は1976年まででしたが、連絡機、標的曳航機などで引き続き使用されました。息の長い機体なので塗装も様々なものがありますが、この機体の塗装は晩年に見られたもので、CF-18戦闘機と同様の灰色の塗装をしていました。おかげで結構若く見えます。
この機体は1953年に就役してはじめに第409戦術飛行隊に配属されました。1983年に第VU33飛行隊に転属。1992年に第VU33飛行隊が解隊されると第414飛行隊に転属。2002年に隊の解散とともに退役しました。CT-133就役期間のほぼ全てを過ごした機体ですね。いやはや。
注目すべきは機首先端に付けられた黒い小さな突起状の小さなレドームです。この中にはASQ-503電子戦装備が入っています。
元々T-33はAN/ARN-6無線航法装置を装備しています。
他のT-33を見てみると機首先端の上半分が黒くなっているのがわかると思いますが、この黒いカバーの中にAN/ARN-6が収まっています。
練習機としての役割を終えた後は電子戦の練習機に使われていたということですかね。このレドームが晩年のCT-133の特徴となっています。
カナディアCF-104スターファイター
アメリカ空軍狂気の戦闘機軍団「センチュリーシリーズ」第2弾。元はロッキードF-104でそれをカナディアがライセンス生産したもの。マッハ2クラスの最高速度に高い上昇力が自慢の直線バカ機体。航空自衛隊でもおなじみ。
迎撃機という種類に分類されていますが、いやそれにしたって機体が小さくてまともな電子機器積めないのに迎撃機ってうっそだろお前と思うんですが、また話が長くなるのでバッサリと割愛。
カナダ空軍では1961年から運用を始めたCF-104ですが、迎撃機としては同年にCF-101を運用し始めていて、いや2機種もいらないでしょ・・・と不思議に思っていました。実はCF-104はNATO軍として西ドイツに派遣されていたカナダ軍の機体として採用・配備されていたのでした。なるほどね。
在独カナダ軍には6個核攻撃飛行隊があり(フランスにも偵察飛行隊が2個あった)・・・っておい、核攻撃っておい。確か西ドイツ空軍にはF-104に核爆弾抱えさせて核攻撃させるとかいうキチガイな運用をしていましたけど、カナダ君、君もかい。F-104って迎撃機じゃなかったんかい・・・(呆れ
1988年にCF-18(F/A-18)に置き換えられる形で退役しました。
元より国外基地向けの機体だったので国内での運用はパイロットの訓練部隊程度と少なく、コモックス基地でもCF-104が運用された実績はありません。
この機体(S/N 104731)は、カナダ最後のCF-104の飛行隊、第417攻撃/偵察訓練飛行隊の独自塗装を再現したもの。この個体がその塗装で塗られた実績があるのかまでは分からず。
ダグラスDC-3ダコタMk III
有名な第二次世界大戦前の傑作旅客機。数か国で軍用輸送機としても使われたので(生産数としてはそっちの方が遥かに多い)名前がやたら多いです。
DC-3、C-47、C-53、R4D、ダコタ、スカイトレイン、スカイトルーパー、ダック、グーニーバード、零式輸送機、Ли-2・・・お好きなのをどうぞ。
この機体の場合軍用機なので型式はC-47とすべきなんでしょうけど、博物館の表記がDC-3なのでそれに倣います。
輸送機の役割の他に空挺部隊の母機としても運用されていて、1942年11月の北アフリカでの作戦(トーチ作戦を指していると思われる)に始まり、有名な1944年6月のノルマンディー上陸作戦、インド~中国間のヒマラヤ山脈越えの「ハンプ作戦」でも投入されました。
戦後のカナダでは物資と空挺部隊の投下、標的の曳航、輸送、救難等の様々な任務に活躍しました。
後ろから。塗装は戦中のものでしょう。
このダコタ(S/N FZ671)は1944年2月4日にイギリス空軍第48飛行隊に配備、マーケット・ガーデン作戦に投入されました。
1945年9月にカナダ空軍第437飛行隊に転属して、以降数個の飛行隊、救急隊、航空学校の機体として活躍。BC州シーアイランド(現バンクーバー空港)の第123救難飛行隊、コモックスの第121混成飛行隊にも所属したこともあり。
機体番号は1970年のカナダ統合軍発足時に S/N 12944に改番。1975年にサスカトゥーンの第429飛行隊に、1979年にウィニペグの第429通信飛行隊に転属、そして1989年4月14日に戦力外通告を受けて退役しました。結構遅くまで使われていたんですねぇ。
パイアセッキH-21Bワークホース
回転翼が前後に2つ付いたタンデムローター式の輸送用ヘリコプターです。ぎっくり腰みたいな逆への字の胴体が特徴でして、その形から「フライングバナナ」と呼ばれています。たぶんワークホースよりもフライングバナナの方が名前が通っていると思います・・・。
見るからに乗り降りや積み下ろしがしにくそうな形をしていて、設計がまだまだ洗練されていない機体なのだなと見えます。
B型はA型の出力向上型で、後は同じです。
カナダでは1954年から導入。主な使途は救難救助で、他に1950~1960年代に構築された、北米大陸を横断する対ソ連爆撃機用の一大早期警戒レーダー網「ミッドカナダ・ライン」と「パインツリー・ライン」の建設にも使用されたとか。H-21は寒冷地でも性能を発揮できる点から特にカナダでのレーダー網構築に好適だったと思われます。
この機体(S/N 9641)は1955~1965年まで就役していて、シーアイランド基地の第121連絡救難飛行隊および第121混成飛行隊に所属していました。
ボーイング・バートルCH-113ラブラドール
上記のH-21の直径の進化系のタンデムローター輸送用ヘリコプター。アメリカ海兵隊のCH-46シーナイトや自衛隊のKV-107としても知られています。アメリカ海兵隊ではまだ現役だったような。
先代のH-21と比べると機体形状が変化していて、胴体後部にはカーゴランプを付けるなどH-21よりも設計が洗練されているのが分かります。
胴体は着水できるように設計されていて、水密扉も持っています。定員は18名、積載量5000kg、航続距離1,100km。
カナダ空軍ではもっぱら救難救助隊で使用されて、塗装も写真のような派手な黄色で塗られています。救難捜索のために機首にレーダーを備えて燃料容量も大型のものを採用しています。
一方カナダ陸軍でも採用されていて、兵員・物資輸送に使われました。陸軍機は「ボイジャー」という愛称がありましたが、カナダ統合軍発足時に「ラブラドール」に統一されています。
このラブラドール(S/N 11310)はシーアイランドとコモックスの第121混成飛行隊に配属。2004年にアグスタウェストランドCH-149コルモラントに置き換えられて退役しました。
グラマン(デ・ハビランド・カナダ)CS2F-2(CP-121)トラッカー
カナダ海軍の対潜哨戒機グラマン「アベンジャー」を置き換えるために1955年から導入。デ・ハビランド・カナダがグラマンからライセンス生産したみたいです。
元はグラマンのS-2哨戒機。米空海軍の航空機命名規則の統一前の旧姓はS2F。CS2Fもカナダ統合軍発足後はCP-121に名称変更しているので注意。ちなみにアメリカのS2F-2とカナダのCS2F-2は形式が似ていること以外に関連性は無さそうで、これも注意。
元が空母の艦上機として開発された機体なので、カナダ海軍でも空母「HMCSボナベンチャー」の対潜哨戒機として運用されました。空母持っていたんですよ、カナダ。
機体にはMADブーム、水上レーダー、爆弾、爆雷、魚雷、探照灯、その部位、主翼パイロンなどを小さな機体にこれでもかというくらいに詰め込んでいます。哨戒機とは言いますがその実は潜水艦絶対殺すマンです。
先述の通り空母で運用されていたんですが、その後空母を退役させてしまったのでCS2Fは陸上機にジョブチェンジして沿岸警備や漁業監視なんかに1994年まで使われました。機体は晩年のロービジ塗装に塗られています。
カナディアCP-107(CL-28)アーガスMk.I
展示機の中で一番の大型。CL-28というのは開発メーカーのカナディアでの社内呼称で、運用していたカナダ空軍ではCP-107という形式がありました。
エンジン4発の大型対潜哨戒機です。カナダ原産の機体なのですが、完全な独自開発ではなくイギリスの鳴かず飛ばずだった旅客機ブリストル175「ブリタニア」をベースにしたものです。ただし流用したのは主翼、尾翼、降着装置で、胴体は自社開発、エンジンはアメリカ製を使用しています。なので元のブリタニアと見比べてみてもあまり似ていないのです。
初飛行は1957年3月28日。その年に運用を開始して、ランカスターとロッキードP-2ネプチューンを置き換えています。そして1988年までにロッキードCP-140(P-3)オーロラに置き換えられて退役しました。
エンジンはライトR-3350を4発搭載。B-29に搭載されていたものと同型のレシプロエンジンです。ただしB-29搭載型ではなく戦後に改良されたものだと思います。改良型はロッキード「コンステレーション」やダグラスDC-7にも採用されています。
ちなみにベース機のブリタニアにはブリストル・プロテュース765ターボプロップエンジンが採用されていました。
まだこの世に出てきたばかりのターボプロップでは信頼性に不安があったとかでしょうか?海上で長時間哨戒任務をするCP-107にとってエンジンの故障や敵潜水艦からのエンジン被弾は死を意味するので、冗長性確保は大事なことなのです。
CP-107といえば機首下部にある黒いこのデカいレドームでして。こいつのあだ名絶対「アゴ」だったと思うんですけど。
このデカい顎の中にはアメリカ製AN/APS-20早期警戒レーダーが入っています。この顎はアーガスMk.Iの特徴でして、後期型のアーガスMk.IIではイギリス製ASV-21に変更。このレーダーはAPS-20より小型だったので顎も小さくなりました。ちなみにアーガス Argus というのはギリシャ神話に出てくるアルゴスの英語読み。アルゴスは100の眼を持つ巨人なので哨戒機にはぴったりな名前ですな。
機首の先端が透けているのはあそこに航法士が座るからですね。
あとは胴体に潜水艦を殺すための爆弾を入れる爆弾倉があるんですが、そこはすっ飛ばしてしまいました。
正面から。
この機体(S/N 10712)は1968~1981年にコモックスの第407長距離哨戒飛行隊に一貫して所属していました。
ちなみに同飛行隊はカナダ軍最長の無補給飛行記録31時間超えをCP-107で打ち立てたそうな。この機体で達成したのかは分かりませんが。トイレとかどうしてたんだろうね。
高高度で飛ぶことを想定していない機体(機内が与圧されていないのだ)でこの記録はすごい・・・のかな?(空気の薄い高高度の方が抵抗が少なく燃費が良いのだ)
生産数が33機と少なく海外輸出もされていませんから、見る機会は意外と少ないです。それでも6機保存されていて、残存率1割8分ですからいい線いっていると思います。
問題があるとすれば、海上哨戒機という機体特性から保存機の大半は大西洋・太平洋沿いの博物館に保存されているということで、言ってしまえば僻地まで行かないと見れないことですね。私もCP-107を見たのはこれっきりでした。内陸でもオタワやトロントオタワの中間にあるトレントンの博物館で見られるそうな。
博物館の屋外展示機は以上です。他にも通常非公開のデ・ハビランド「バンパイア」、コートニーの観光案内所に串刺しにされているカナディアCT-114チューターがありますよ。
戦闘機から大型哨戒機まで種類が豊富な展示が良かったです。まだ敷地には余裕があり今後も展示機が増える可能性は十分あるので、また時間が経ったら行きたいですね。翻って敷地内いっぱいいっぱいの展示をしてしまう(というより収蔵品を増やすことを想定していない設計をしている)日本の博物館は本当に発展性が無いなと思うわけですが・・・。
さて次回からエアショーに入場しますよ!
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