黒鉄重工

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大阪→東京 サイコロの旅4 第5夜【2017/08/10~12】

2017-03-29 22:18:44 | 旅行・イベント記
~前回までのあらすじ~
大阪から東京まで、その経路をサイコロの出た目だけで決めるサイコロの旅。
2日目は姫路からスタートし、守山、亀山と順調に東への目を出し続けた。ところが亀山で出した目はなんとゴールとは真逆、しかもやたらと時間の掛かる若やめkん新宮だった。
急転直下、暗転する状況を前にいぶき君はここから脱出できるのか。



2016年8月11日(木)17時15分
和歌山県新宮市 JR新宮駅

なんでまたこんな最果てみたいな所に来るかなぁ。



1.普通で 名古屋
2.特急で 名古屋
3.日本一短い駅名 津
4.絶望への入口 和歌山
5.    〃
6.時間を大金で買え! 東京


はい、ゴールの目が出てきましたね。
他に東へ行く目が3つ。西に行く確率は1/3。これは大丈夫やろ~(フラグ



4!!
フラグ即回収!!



4.絶望への入口 和歌山
乗車時間4時間29分、乗車距離200km。
17時55分発特急「くろしお」34号に乗車し、途中の周参見駅で普通電車に乗り換え。和歌山まで目指す。
紀伊半島を一周するという最悪のシナリオがこの瞬間完成した。いぶきくんのメンタルはもうボロボロ。



第15走者:JRきのくに線 特急「くろしお」34号新大阪行き(283系) 新宮17:55→周参見19:14
ここまで普通列車で散々おみまいされてきたのでこの先も鈍行はやめちくり~、ということで今回初の特急課金です。
とはいえ全行程乗るとお財布が死んでしまいますので、先行している普通列車に追いつく周参見駅までの乗車です。今後どのような課金をするか分からないのであくまでケチでいくスタイルなのだ。

283系に乗るのは初めてでして、数少ないプラスポイント。車窓は夕暮れ時ということもあって素晴らしかったのですが、撮る余裕なんて無かったもんでね。1枚もないんだ。



周参見駅。いやぁ、薄暗いし辺りに何も見えないし・・・。
隅っこで停まっている普通電車に乗り換えます。
なおZBSがここで財布を特急に忘れてきます。ちくしょう!台無しにしやがった!お前はいつもそうだ!



第16走者:JRきのくに線 普通紀伊田辺行き(105系) 周参見19:19→紀伊田辺20:11
ローカル線っぽい電車に乗り換えます。これは単色化されてもあまり違和感がないですよね。
これに1時間揺られて紀伊田辺駅へ。道中話すことはもう無いです。



第17走者:JRきのくに線 普通和歌山行き(117系) 紀伊田辺20:37→和歌山22:24
紀伊田辺駅。ZBS、ここで失くした財布を回収。流石だメイトリクス。
で、ここで乗り換えて和歌山まで。電車はアタリのやつでした。
結局亀山駅から和歌山駅まで紀勢本線を乗り通すわけになったんですが、紀勢本線にはもうひと区間、和歌山から和歌山市までがあり、あと一歩及ばずでした。まあこの後乗ることになるのかも分かりませんが。



2016年8月11日(木)22時37分
和歌山県和歌山市 JR和歌山駅

もう真っ暗よ。昨日の今頃はホテルでくつろいでいたのにどういうわけだ。・・・サイコロに人権なんて無いんですねぇ~。
ササッと7投目振って寝床に入ろうぜ。



1.一泊 和歌山
2.  〃
3.  〃
4.まだまだ移動 大阪市内
5.    〃
6.南 海 フ ェ リ ー


もう今日はこれ以上動きたくないのでサクッと1~3出してほしいですね。6なんて以ての外ですよ、ええ。



5!!
夜  は  ま  だ  続  く
い ぶ き 君 完 全 敗 北




5.まだまだ移動 大阪市内
乗車時間66分、乗車距離60km。
JR阪和線「紀州路快速」で天王寺まで乗車する。
ここでいぶき君、完全に自信を無くす。すでに精神的にキている。



第18走者:JR阪和線 紀州路快速京橋行き(225系) 和歌山22:50→天王寺23:56
はい乗りますよ。さすがにこれ以上は行動できないので(深夜バスも時期柄抑えることが出来ない)、協議の結果天王寺で今日は一泊ということに。



着きました。つら。

駅の外に出て、そういえばまだ夕飯を食べていなかったので駅前のやよい軒で済まして、ネカフェを今夜の寝床にして2日目は終了。伊丹空港をスタートしてからだいたい丸1日半経って、大阪から何も進んでいないという事態に。
思えば、我々のサイコロの旅ではどこかのタイミングで必ず大回りをして最初のスタート地点に戻ってきていたんですが(米原、盛岡、岡山・・・ウッ)、今回も発動してしまいました。もう十分ジンクスだよね。

果たしてゴールできるのか?、次回最終夜!


最終夜へ→

カナダの航空祭コモックスエアショーを堪能する その2【2015/08/15】

2017-03-26 21:37:27 | 旅行・イベント記

「コモックスエアショー」のゲートでチケットの確認と手荷物検査を受けて入場。入場時に紙製の腕輪をもらうので付けておきましょう。
ゲートから少し歩くと、駐機場に展示されているたくさんの飛行機が見えてきます。これはわくわくしますよ。



あー、なんかクソデカいのがいますね・・・。



おなじみアメリカ空軍の超大型爆撃機ボーイングB-52Hストラトフォートレスですよ!はぇー、すっご・・・。
クソデカい主翼、長ったらしい胴体、8基も付けたジェットエンジン。ソ連と核戦争でもやる気か?っていう機体です。あんまり大きいんでここまで引かないと全身入らないというね。

B-52を運用しているのは後にも先にもアメリカだけなので、カナダの持ち物ではないです。これはアメリカからのゲスト参戦です。
所属は空軍予備役軍団第10空軍第917航空団第917作戦群第93爆撃飛行隊・・・長い。要は予備軍で運用されている機体なので、暇だったんでしょうかね。
第93爆撃飛行隊は1917年創設の歴史ある部隊でして、最初期は戦闘機を運用していましたが1939年にB-17が配備されて以降は一貫して爆撃機を運用しています。第二次世界大戦では日本ともドンパチしていて、末期にはB-29で日本の各都市を火の海にしています。多少とも因縁のある部隊ということですか。
現在の基地はバークスデール空軍基地で、ルイジアナ州にあります。どこやねんと思って調べたらアメリカ南東部にあって、コモックスまでほとんど大陸横断してるじゃんっていう。少し前は予算不足でこの手のエアショーの展示はできなかった時期もあったのに、よくそんな遠いところから来ましたねぇ。



外板の一部だけ塗装されておらず養生されたような部分がありました。
遠目にはガムテープ補修に見えてしまったのですが、あとでよく見ると「吸収板 塗るな」と注意書されていました。調べても要領を得なかったので結局不明。とりあえず写真だけ載せときます。



機体の周りにはロープが張られているんですが・・・みんな平気で爆弾倉の中に入ったりフラップを触ったりしているな。別に入ってもいいんだ・・・。



機首の下に付いている低光度テレビスキャナー Low-light television scanner。どんな装置なのかは知らん。



エンジンはプラット・アンド・ホイットニーTF33(JT3D)ターボファンエンジンが8発。1基2発のポッド4つに収めています。
ターボファンエンジンでは初期のモデルであり、発注がかかったのは1959年。これを搭載した機体は他にボーイング707やダグラスDC-8など。相当に古いですよ。2040年代まで使う気でいるとするとエンジンの寿命がヤバそうに思えるのですが、換装しないんですかね?



主翼パイロンに吊るされているAN/AAQ-33照準ポッド。
前方赤外線監視装置(Foward Looking Infra Red; FLIR)でして、爆撃時の目標指示、特にレーザー誘導爆弾やGPS誘導爆弾を誘導できるんだそうな。色々な戦闘機に装備できるので見かける機会は多そう。
別に爆撃するわけでもなし、なんで付けているのか疑問です。固定装備化してしまっているのか、これが航法装置の一部も兼ねているのか。



主脚。配線地獄。うへぇ。



日本よ、これが核の傘だ。
B-52の爆弾倉に潜り込むなんて日本にいたら滅多にできないことなんじゃないかな?と上機嫌でいましたが、その翌月の三沢基地の航空祭でB-52が飛来して爆弾倉も見せてくれたので割とがっくし。
それはさておき、これが爆弾倉の中です。機体がデカい割には意外と狭いなというのが第一印象。それでも11t運べるんだから大したもんですね。



やや正面から。
右にタラップが見えますが、コックピットの横まで近づくことが出来るんですね。せっかくなんで行ってみましょう。



タラップの上から。まだこれだけいるからな・・・。



ドゥーリットル・レイダーズの紋章が。「ドゥーリットル空襲の者たち」ということでしょうが、これについてはあまり分からず。



肝心のコックピットですが反射してよく分かりませんでしたとさ。



最後にカナダ軍塗装のノースアメリカンT-6ハーバード。
B-52だけですいぶん割きましたんで、今日はここまで。他の機体はそんなに枚数撮っていないのでペースを早められるはず・・・。


その3へ→

北米project 4 ~Is the order a warbird? その9【2016/03/04~10】

2017-03-25 22:24:24 | 海外旅行記

2016年3月4日(金)
カリフォルニア州ロサンゼルス 戦艦USSアイオワ博物館

艦内に入ります。艦内はあまりよく知らないのでサラッと行きますよ。



やけに広い空間が・・・ということは食堂ですね。さすが戦艦、広い。



厨房もあります。ここは食器洗い場です。
食洗機もあって自動化が進んでいます。何せ乗員が2000人とか3000人とかの世界ですから、こうでもしないと。



こっちは厨房。
軍艦の厨房は艦内でも安全とされる艦橋周辺の直下に配置されると聞いたことがありますが、USSアイオワもそんな感じの位置にありました。



USSアイオワの軌跡。
USSアイオワは連合国の首脳会談テヘラン会談へ赴くルーズベルト大統領を乗せて大西洋を渡ったのも有名ですが、やはり太平洋戦線の動きが気になるもの。
USSアイオワが太平洋に展開したのは1944年1月からで、もうアメリカが戦争を主導していた時期。結構あちこちでドンパチやっていますが、ほとんど全て上陸部隊への支援攻撃だったかと。ちなみに1944年12月に整備のため一度本土に帰還していて、よく4月から戦列復帰しています。
それと、日本の降伏した日が9月2日となっていて、日本で一般に浸透している8月15日と異なります。要はどこを終戦日とするかという解釈の違いなのですが。
日本の8月15日は、日本が8月14日にポツダム宣言を受諾したことを玉音放送を通じて国民に公表した日です。一方アメリカの9月2日は東京湾のUSSミズーリの艦上で降伏文書に調印した日です。こうしてみるとなんだか8月15日というのは歴史の節目的にはどうも・・・という気がしなくもないですが。



食堂を出て艦内を進みます。通路は駆逐艦よりは広いんだろうなと。



こんなものがありましたのでついでに説明。
これは「ブルズ・アイズ Bull's eyes」といういわば艦内の現在地が分かる住所みたいなもの。牛の目ン玉・・・という意味ですが、よく分からん。要点、急所という意味もあるそうですが。現在地が分かる要点という意味か?
私も完全には理解していないのでアレですが、例えばこれだと・・・。

1-77-1-L
最初の「1」は階層を表しています。木甲板のある主甲板を1として下へ向かって2,3...という風に数えていきます。これだと主甲板と同じ階層ですね。ちなみに甲板から上の階層だと頭に「0」を付けて01,02...という風に数えます。
次の「77」は艦内の区画番号。艦首から艦尾に向かって番号を振るんだそうですが、どういう振り方をしているのかは知らないです。数は151までは確認できました。さすが戦艦と言うべきか、やたら多いなと。これを覚えるのが一番大変そう。
次の「1」は右舷側か左舷側にあるかという意味らしいです。0~3までの数字を確認できましたが、よく分からず。
最後の「L」はどういう場所なのかを表しています。Lだと居住区(Living)という意味でし。あとは「C」がありましたが、これは艦橋で見かけたので戦闘区画(Combat)ですかね?

FR77-78
これは住所のより正確な番号。番地に相当するもんですかね。この文字の表す所は全く分からず。

S-5
これは大戦期に使っていた昔の旧住所。住所変更後もシステム上必要だったんですかね。

とまあこんな感じです。なんだか日本的な住所の付け方でした(区画で住所を付番する日本と違いアメリカは道路沿いに番地を振る)
法則を覚えれば使いやすいんでしょうね。
今後もちらほら出てくるんで、だいたいここなんだなと位置感覚を掴んでいただけたらなと。



副指揮官用の個室。執務室、ベッド、シャワー付きのバスがありまする。広いなおい。リビングがある時点ですでにびっくりですが、艦長クラスになるともっと広いのか・・・とこの後もっとびっくりするわけです。
副指揮官だとたぶん佐官クラスでしょう。このくらいの階級になると1人用個室が割り当てられるそうな。ただ他の佐官クラス~大尉までは2人部屋、大尉~少尉の下級士官でも3人部屋だったそうな。



これ誰の部屋だったかな・・・(忘れた



上級士官用の2人部屋でしょうね。
右に見切れているのが2段ベッドで、上段ベッドはすぐ上に配管が通っていて天地の余裕がなく座ることが出来ない悲惨な状態でした。



通路。
右側にあるやつは何かの隔壁ですかね。煙突かしらね?



これもなんでしたかねぇ・・・。貴賓室のような気も。



高官用寝室。執務室は別にあるんだろうなこれ。



おトイレ。
なぜか真ん中のトイレだけ仕切りが内開き。



トイレの隣りにあるシャワー室。
まあ水回りはまとめて置いたほうがいいんですけど、隣で人がクソしている横でシャワー浴びたくないわな・・・。
シャワーは温水が出るのかとか、そもそも真水使っていたのかとか、ローテーションはどうなっていたのかとか、知らんどす。
艦内の説明書きは漏れなく記録しているはずなので、それがないということは説明もなかったんでしょう。



これも上級士官用のお部屋。



通路の一角に見覚えのある筒が。主砲のところで見た装薬袋を入れる筒(Canister)ですね。



4層下までブチ抜いているハッチが。砲塔内にある弾薬庫へ装薬を降ろすためのハッチがここにあったんですね
筒には装薬袋3つ(110lb*3)が入ります。弾薬庫は全部で20室あり、そこに合計3,000発収納できたということですから、一体何往復したんやらと。



装薬筒の移動に使うチェーンブロック。チェーンブロックを移動させるレールが延びているので、主甲板から下ろしてきた装薬筒は一度ここでクレーンを付け替えるということですね。

ちなみに装薬袋の袋の素材には絹が使われていました。高級品かよ・・・。消耗品にこれですから、お金掛かるわねぇ。
なお1980年代以降はさすがに維持できなくなったのか、化学繊維のレーヨンに変更されています。
分かりませんが、絹もレーヨンも吸湿性が特徴ですからそれが装薬袋に適していたんですかね。



また高官室ですか。なんだか多くないかね。

とまあ、今日はここまで。次回はまた表に出ます。


その10へ→

大阪→東京 サイコロの旅4 第4夜【2017/08/10~12】

2017-03-22 23:33:33 | 旅行・イベント記
~前回までのあらすじ~
いぶきくんを騙して4度目となるサイコロの旅を始めた黒鉄重工一行。
大阪をスタートして最初に訪れたのは東京とは真逆の姫路。次の目で姫路一泊を引き当てた我々は、ホテルの一室で翌日の行動について論議していた。



1.1日ぶり 岡山
2.7時5分発 予定通りに 津山
3.7時33分発 ばんたん!! 和田山
4.6時55分発 加古川線 福知山
5.南に行く 和歌山
6.山シリーズ 守山


3投目はご覧の通り。「山」ばっかだね。
問題となるのは翌日いつから行動を始めるのかということ。2~4目は列車本数が少ないこともあって上記時刻の列車に乗らないと次は数時間後になってしまいます。行き先が行き先だけに1本でも早い列車に乗りたいわけで。逆に1,5~6なんかはもっと遅い時間に出発してもいいわけで。
我々としては少しでも長い時間寝てゆっくり朝飯を食べてから行動を始めたいところでありまして(だいたい8時くらい)、一番時刻の早い行動に合わせるのはごめんだったのです。

なので我々が取った行動は、今のうちに次の目を決めてしまうこと。倫理的にはグレーゾーンの気がするので少し気が引けたのですが、こっちも寝たいので。
はい振りますよ。



6!!



6.山シリーズ 守山
乗車時間1時間59分、乗車距離157km。
8時25分発JR神戸線新快速に乗車して一気に守山まで。
2日目は振る前の疑念を一掃する良い出だしとなった。



2016年8月11日(木)8時18分
兵庫県姫路市 JR姫路駅

余裕の睡眠と朝食を摂って始まった2日目。守山へ行くためJR姫路駅へ。
姫新線ホームにキハ40形の団体列車がいました。竹田城へ行く列車なんでしょう。座席が転換クロスシートだったのに少し驚きました。



第9走者:JR神戸線 新快速近江塩津行き(223系) 姫路8:25→守山10:24
これ1本で守山。
姫路からだったので余裕の着席でしたが、2時間も乗るのはなかなか辛いものも。



着きました。
普段は新快速で通過するばかりの駅です。



駅前。ベッドタウンの駅って感じ。



近江鉄道のバス。日デUA+富士重7E。



こんなちょっとおしゃれなところで4投目を振ります。



1.伊勢も近い! 亀山
2.最早ゴールも確定 名古屋
3.北陸が呼んでいる 敦賀
4.のうりん!! 美濃太田
5.少しは観光を 奈良
6.戻る 大阪


東海圏が本格的に見えてきましたがさあ果たして。



1!!



1.伊勢も近い 亀山
乗車時間1時間17分、乗車距離61km。
10時48分発新快速に乗り草津駅へ。草津線を経由して柘植駅から関西本線に乗り換えて亀山を目指す。
またも東の目を出したいぶき君。今日は調子が良い。これは今日中の帰還もありうる。



第10走者:JR琵琶湖線 新快速姫路行き(223系) 守山10:48→草津10:52
新快速でちょっと戻って草津へ。



第11走者:JR草津線 柘植行き(113系) 草津10:57→柘植11:40
草津駅からは草津線に乗り換え。乗るのは初めてです。
緑色の113系に乗りましたが、新快速と較べて乗っている時ボヨンボヨン縦揺れが激しかったですね。軌道が悪いのか車両が悪いのか。



第12走者:JR関西本線 亀山行き(キハ120形) 柘植11:42→亀山12:05
今回初の非電化路線、関西本線に乗り換え。こいつにはなんだかんだよく乗っている気がします。
そんで亀山駅に到着。もうお昼よ。



1.東進せよ 名古屋
2.いや西進だ 奈良
3.最近電化 武豊
4.お伊勢さん 鳥羽
5.どこでしょう 伊勢奥津
6.やめてくれ 新宮


ちょっと調子に乗ってるのか辛口の目。まあ大丈夫やろ。



6!!

い ぶ き 君 命 運 尽 き る




6.やめてくれ 新宮
乗車時間4時間48分、乗車距離180km。
亀山駅12:16発鳥羽行きに乗車し、途中の多気で紀勢本線新宮行に乗り換えて終点まで。
乗車時間は5時間弱とかつてない苦行である。
いぶき君、ここ一番で最大の躓き。



第13走者:JR紀勢本線 鳥羽行き(キハ25形) 亀山12:16→多気13:13
乗りますよ。乗りたくないけど。
キハ25は初めて乗るのかな。1000番台なのでロングシート。



第14走者:JR紀勢本線 新宮行き(キハ25形) 多気13:22→新宮17:04
ここからが本番!200分超えの修行!ロングとかクロスとか関係なしにつらい!!殺す気か!!

ちなみにチョンボしたいぶき君はここら辺で荷物を失くしたことに気づきます。どうやら前に乗っていた列車の中に忘れてきたようです。
彼一度悪いことが起きると立て続けに起きる傾向があるよな。



14時38分。紀伊長島駅でバカ停。
車内では話すこともなくただただ時間が過ぎるのをやりすごしているだけ。ずっと車内で座っていたら死んでしまうので表に出て気分転換します。



15時2分。次の駅、三野瀬駅でもバカ停。
ここでキハ25形と交換。



さらにキハ85系特急「南紀」ともすれ違い。
鹿除けのクッション型スカートは初めて見たかもしれない。幸いにも我々が乗った列車は鹿とぶつかることはありませんでした。



15時30分。尾鷲駅でもバカ停。ここでは長めに停車するので駅の外に出ることに。
昼飯を食べていなかったので何か補給しようと思ったのですが、田舎の駅なのでそういう親切な設備なんて無かったですね。無能。
ただし少し歩いた所にスーパーマーケットがあったのでそこで食料を調達しました。有能。
いぶき君は荷物をどこで失くしたのかでそれどころでは無かった模様。



国鉄を感じるサイン。



ここでも「南紀」と交換。こっちは鹿よけが付いていないですね。
ここから1時間かけて一気に終点まで・・・。



17時。新宮駅に到着。
「うぐん志」の看板がお出迎え。そしてなぜか古典蒸気機関車と燐寸箱客車の絵が。そういえば明治村のSL客車には新宮出身がいたような。
そんなことより今日はもう疲れたよ。もう帰りたいよ・・・。



そして行くか戻るかの6投目!


第5夜へ続く→

カナダの航空祭コモックスエアショーを堪能する その1【2015/08/15】

2017-03-18 23:35:07 | 旅行・イベント記

バンクーバー島のおおよそ真ん中にある町コモックスバレー。ここで8月15日に航空祭コモックス・エアショー Comox Airshow が行われると聞き、いてもたってもいられず行くことに。海外の航空祭とはどんなものなのか。とても興味があります。
会場はコモックスバレー空港/コモックス基地。ここは民間空港と軍事基地が一箇所に同居している飛行場です。小松空港や三沢空港とおなじようなものですね。
コモックスまではグレイハウンドの高速バスでも行けますが到着時間が遅いので端から当てにせず、レンタカーを借りました。いつも通りビクトリア空港にあるレンタカー屋で借りました(ダウンタウンのレンタカー屋は夕方で閉店してしまうため、早朝から夜まで運転するという使い方には不向きなのだ)。
借り方としてはエアショー前日の夜21時から借りて24時間以内に返却するという運用です。こうすると1日分の料金で収まる。

借りたのはトヨタ・カローラ。まーた日本車か・・・。トヨタは日本仕様と北米仕様で自動車の名前をよく変えますが(ヴィッツ/ヤリス等)カローラは日米で同名なのですね。
ステアリングがかなり軽くて最初の30分くらいは運転に手間取りました。軽すぎるのもアレだと思いますよ。

当日朝6時にビクトリアの自宅を発って、途中中間地点のナナイモで休憩がてら朝飯を食べてコモックスに着いたのは9時前。
自衛隊の航空祭なんかだと公共交通機関での来場を呼びかけていますが、広域の公共交通機関なにそれ美味しいの?というカナダではマイカーでの来場が可能です。ただし会場に直接乗り付けるのではなく少し離れたところのパーク&ライド駐車場に駐めて、そこからシャトルバスで会場へ向かうという方式です。これなら行きやすくていいです。
今回駐めたのは牧場だかどこかの空き地。入場開始が9時からだったので着いたのが9時前なのは遅いかなと思ったんですが、まだ車は数台しかいませんでした。



シャトルバスはBCトランジットが請け負っていました。
今回乗ったバスはコモックスバレー所属の(BCトランジットは地域により管轄が異なる)AD Dart SLF + Plaxton Pointer 2 (0102)でした。中型バスです。
"Park and ride"という表示がいいですね。



他に"Air show"という表示も交互に出していました。
パーク&ライド駐車場は2箇所あってこのバスも途中1箇所停車します。私が乗ったバス停は始発だったので余裕の着席ができましたが、もう1箇所の駐車場ではバス停に列が出来ていて、通勤ラッシュのような大混雑になりました。まあこうなるだろうと予測してバスの始発になるだろう遠くの駐車場に駐めたのですが、この予測は正解でしたね。


基地への入口はメインゲートではなくこのバス停の向かいにある駐車場からでした。



入場口はこう。ここで手荷物検査と入場券の確認を行います。
自衛隊の航空祭と異なり入場料がかかります。2015年の時は$20でした。まあ安くはないですが、ケチっている場合でもなかったのでホイホイと購入。私の場合さらに、より前方で展示を観覧できるBox Seating Upgradeを課金して購入。こちらは$10します。ただおかげでより近くで撮影することが出来たのでこの課金は全くもって正解でした。やはり課金する分環境が良いです。今後エアショーに行くことがあって課金席があったら積極的に使っていこうと思いましたね。



で、入場口の真横にはこんなものが!あれ、開いてんじゃん!ε=ヾ(*・∀・)/
もう誰も覚えていないと思いますが半年前の2015年2月にコモックスを訪れた際にコモックス空軍博物館を見学したのです、したんですよ。
そこには屋外展示場もあったのですが、「冬の間は閉鎖してるやで」という無慈悲な措置を食らったため泣く泣く柵の外から眺めるだけで終わりました。
ところが今は8月!夏真っ盛り!開いていない!はずが!ない!!と踏んでいたわけですが、見事にガバガバです。これでリベンジ成功。というわけで寄り道です。今日の記事はここだけで終わっちゃうぞ。



マクドネルCF-101Bブードゥー Voodoo
アメリカ空軍狂気の戦闘機軍団「センチュリーシリーズ」のうちの1機。最初はソ連を火の海にする核爆撃機の長距離護衛戦闘機および戦術核爆撃機として開発されていたんです。が、護衛対象であるB-52は意外と高性能で護衛要らず、爆撃機の方は本命とも言えるF-105が実用化されてしまい、発注元の米空軍戦略航空軍団(SAC)は急速に興味をなくしてしまい存亡の危機に。ところがなぜか長距離迎撃戦闘機(F-101B)として敗者復活してしまいます。ついでに偵察機(F-101C)としても使われました。この三者、全然役割違うんだけど・・・。迷走してたんだなと。
カナダ空軍もこれを迎撃機として採用して130機ほどを運用します。ただカナダは最初からこれを運用するつもりはなく、本命は自国で開発していたCF-105アローでした。戦闘機の中でも5本の指に入るデカさと思われる迎撃機なのでしたが、開発がおじゃんになってしまいます。
さあ困ったぞ空いた穴をどう埋めるか、という時に選ばれたのがF-101だったんですね。ただほとんど消去法で選んだに近かったと思います。F-106はSAGEとのリンクがないとあまり意味がない上にアメリカも輸出させてくれなかっただろうし、F-106の原型になったF-102は失敗作だし、F-104は使い物になるかよく分かんねぇだろうしで、残ったのは爆撃機からジョブチェンジした迎撃戦闘機?みたいなやつでした。少なくともCF-105の穴を埋めるには不足していたと思います。



後ろ。
開発はマクドネルということで、後のF-4ファントムIIと全体的な形状が似ています。私も性能はともかく見た目は好みです。上部に配された水平尾翼で少し減点食らっていますが。
この塗装はシンメトリカル・マーキング。左右対称の塗装をしているのです。じゃあ非対称時代があったの?となるわけですが、ありました。胴体左側に英語で“CANADIAN ARMED FORCES”、右側にフランス語で“FORCES ARMÉES CANADIENNES”と書かれていました。でも左右で表記が異なるのはイカンでしょ、となって左右の表記を"CANADA"で統一することで解消しました。



エンジン排気口。エンジン自体は撤去されていました。やっぱり盗難にあってしまうのだろうか。
センチュリーシリーズでは唯一の2基エンジン機になっています。



アブロ・カナダCF-100カナックMk.5 Canuck
カナダが初めて自国で独自開発して実戦配備まで行ったジェット戦闘機です。そして独自開発した最後のジェット戦闘機という冠も今後ずっと付くでしょう。
カナダ各地の航空博物館の常連で、大抵の博物館で見かけることが出来ます。
全天候戦闘機、つまりは迎撃機として開発されました。初飛行は1950年でして、アメリカ空軍のF-89、F-94、F-86Dといった第一世代全天候迎撃機と同時期の(正確にはCF-100がやや遅い)機体です。
冷戦時代、ソ連の爆撃機がアメリカを火の海にやってくる場合採られる針路はいくつかあるんですが、北極圏を経由する大圏航路で飛行してくる場合もあります。そうなるとカナダの領空を通っていくわけでして。北米のNORADに配備された他に欧州のNATOにも数個飛行隊が派遣されていました。
Mk.5はエンジンを強化した高高度型。最終量産型でもあります。この機体(S/N 100790)はコモックスを拠点にしていた第409戦闘飛行隊(現在はコールドレイク基地所属)で飛行していた機体だそうな。



機首。
1950年代の全天候型なので機首には大きなレドームがあります。黒い部分ですね。恐らくその後ろには火器管制装置(FCS)が収まっているはずです。ただアメリカのF-89やF-94と比べるとやや短め。
これで闇の中だろうが雲の中だろうが敵の爆撃機を見つけ出して撃墜できる能力がある戦闘機のことを全天候型と呼びます。ただし現用機はそういう能力を持っていて当たり前なので現代においては敢えてそういう呼び方はしません。こういう但し書きがされるのはすでに昔の話なのです。

曇っていて分かりづらいですが、コックピットは複座です。前席は操縦席、後席はレーダー士官/航法士が乗ります。当時のレーダーはパイロット一人だけではとても操作が追っつかなかったのだ。



主翼端のチップタンク、すなわち燃料タンクです。1940~50年代頃に登場した戦闘機で一時期流行った配置です。やじろべえみたいであんまり好きじゃないんですけどね・・・。
CF-100は固定武装を持ちません。最初は腹にガンポッドを取り付けて機関砲で武装していました。ただ機関砲だと爆撃機撃墜しにくいなぁと感じ始めて、今度はロケット弾マイティマウスを装備しました。
ロケット弾は胴体下の他に翼端にも装備できたのですが、これはチップタンクですねぇ。



後ろから。
まあ正直かっこいい!とは思わないです。ただ、カナダ産の戦闘機ということで他人事ではなくなってくる程度に愛着も出てきていますね。

この機体は1959年5月19日にカナダ空軍に納品されて、最初の配属はケベック州バゴットビル基地第413飛行隊でした。その後1961年にオンタリオ州ノースベイ基地第414全天候戦闘飛行隊に転属。さらに1967年にケベック州セント・ヒューバート基地第414電子戦闘飛行隊に転属しました。この時に機体は対電子戦練習機(ECM機)のMk.5Dに改造されました。
第414飛行隊は1972年8月にノースベイ基地に転属し、当機は1981年10月13日に退役しました。その翌月6日にここまで輸送されました。塗装は1970年のカナダ統合軍発足前の塗装に塗られているとのこと。



カナディアCT-133シルバースターMk.3
元は航空博物館の常連オブ常連ロッキードT-33練習機で、それをカナディアがライセンス生産したものです。型式もカナダ空軍独自のものが付番されています。
就役期間は1952~2005年と大変長いです。とはいえ最も機齢の少ない機体で37年ですから、まあそうね・・・。
練習機としての役目は1976年まででしたが、連絡機、標的曳航機などで引き続き使用されました。息の長い機体なので塗装も様々なものがありますが、この機体の塗装は晩年に見られたもので、CF-18戦闘機と同様の灰色の塗装をしていました。おかげで結構若く見えます。

この機体は1953年に就役してはじめに第409戦術飛行隊に配属されました。1983年に第VU33飛行隊に転属。1992年に第VU33飛行隊が解隊されると第414飛行隊に転属。2002年に隊の解散とともに退役しました。CT-133就役期間のほぼ全てを過ごした機体ですね。いやはや。

注目すべきは機首先端に付けられた黒い小さな突起状の小さなレドームです。この中にはASQ-503電子戦装備が入っています。
元々T-33はAN/ARN-6無線航法装置を装備しています。他のT-33を見てみると機首先端の上半分が黒くなっているのがわかると思いますが、この黒いカバーの中にAN/ARN-6が収まっています。
練習機としての役割を終えた後は電子戦の練習機に使われていたということですかね。このレドームが晩年のCT-133の特徴となっています。



カナディアCF-104スターファイター
アメリカ空軍狂気の戦闘機軍団「センチュリーシリーズ」第2弾。元はロッキードF-104でそれをカナディアがライセンス生産したもの。マッハ2クラスの最高速度に高い上昇力が自慢の直線バカ機体。航空自衛隊でもおなじみ。
迎撃機という種類に分類されていますが、いやそれにしたって機体が小さくてまともな電子機器積めないのに迎撃機ってうっそだろお前と思うんですが、また話が長くなるのでバッサリと割愛。

カナダ空軍では1961年から運用を始めたCF-104ですが、迎撃機としては同年にCF-101を運用し始めていて、いや2機種もいらないでしょ・・・と不思議に思っていました。実はCF-104はNATO軍として西ドイツに派遣されていたカナダ軍の機体として採用・配備されていたのでした。なるほどね。
在独カナダ軍には6個核攻撃飛行隊があり(フランスにも偵察飛行隊が2個あった)・・・っておい、核攻撃っておい。確か西ドイツ空軍にはF-104に核爆弾抱えさせて核攻撃させるとかいうキチガイな運用をしていましたけど、カナダ君、君もかい。F-104って迎撃機じゃなかったんかい・・・(呆れ
1988年にCF-18(F/A-18)に置き換えられる形で退役しました。

元より国外基地向けの機体だったので国内での運用はパイロットの訓練部隊程度と少なく、コモックス基地でもCF-104が運用された実績はありません。
この機体(S/N 104731)は、カナダ最後のCF-104の飛行隊、第417攻撃/偵察訓練飛行隊の独自塗装を再現したもの。この個体がその塗装で塗られた実績があるのかまでは分からず。



ダグラスDC-3ダコタMk III
有名な第二次世界大戦前の傑作旅客機。数か国で軍用輸送機としても使われたので(生産数としてはそっちの方が遥かに多い)名前がやたら多いです。DC-3、C-47、C-53、R4D、ダコタ、スカイトレイン、スカイトルーパー、ダック、グーニーバード、零式輸送機、Ли-2・・・お好きなのをどうぞ。
この機体の場合軍用機なので型式はC-47とすべきなんでしょうけど、博物館の表記がDC-3なのでそれに倣います。
輸送機の役割の他に空挺部隊の母機としても運用されていて、1942年11月の北アフリカでの作戦(トーチ作戦を指していると思われる)に始まり、有名な1944年6月のノルマンディー上陸作戦、インド~中国間のヒマラヤ山脈越えの「ハンプ作戦」でも投入されました。

戦後のカナダでは物資と空挺部隊の投下、標的の曳航、輸送、救難等の様々な任務に活躍しました。



後ろから。塗装は戦中のものでしょう。

このダコタ(S/N FZ671)は1944年2月4日にイギリス空軍第48飛行隊に配備、マーケット・ガーデン作戦に投入されました。
1945年9月にカナダ空軍第437飛行隊に転属して、以降数個の飛行隊、救急隊、航空学校の機体として活躍。BC州シーアイランド(現バンクーバー空港)の第123救難飛行隊、コモックスの第121混成飛行隊にも所属したこともあり。
機体番号は1970年のカナダ統合軍発足時に S/N 12944に改番。1975年にサスカトゥーンの第429飛行隊に、1979年にウィニペグの第429通信飛行隊に転属、そして1989年4月14日に戦力外通告を受けて退役しました。結構遅くまで使われていたんですねぇ。



パイアセッキH-21Bワークホース
回転翼が前後に2つ付いたタンデムローター式の輸送用ヘリコプターです。ぎっくり腰みたいな逆への字の胴体が特徴でして、その形から「フライングバナナ」と呼ばれています。たぶんワークホースよりもフライングバナナの方が名前が通っていると思います・・・。
見るからに乗り降りや積み下ろしがしにくそうな形をしていて、設計がまだまだ洗練されていない機体なのだなと見えます。
B型はA型の出力向上型で、後は同じです。

カナダでは1954年から導入。主な使途は救難救助で、他に1950~1960年代に構築された、北米大陸を横断する対ソ連爆撃機用の一大早期警戒レーダー網「ミッドカナダ・ライン」と「パインツリー・ライン」の建設にも使用されたとか。H-21は寒冷地でも性能を発揮できる点から特にカナダでのレーダー網構築に好適だったと思われます。
この機体(S/N 9641)は1955~1965年まで就役していて、シーアイランド基地の第121連絡救難飛行隊および第121混成飛行隊に所属していました。



ボーイング・バートルCH-113ラブラドール
上記のH-21の直径の進化系のタンデムローター輸送用ヘリコプター。アメリカ海兵隊のCH-46シーナイトや自衛隊のKV-107としても知られています。アメリカ海兵隊ではまだ現役だったような。
先代のH-21と比べると機体形状が変化していて、胴体後部にはカーゴランプを付けるなどH-21よりも設計が洗練されているのが分かります。
胴体は着水できるように設計されていて、水密扉も持っています。定員は18名、積載量5000kg、航続距離1,100km。
カナダ空軍ではもっぱら救難救助隊で使用されて、塗装も写真のような派手な黄色で塗られています。救難捜索のために機首にレーダーを備えて燃料容量も大型のものを採用しています。
一方カナダ陸軍でも採用されていて、兵員・物資輸送に使われました。陸軍機は「ボイジャー」という愛称がありましたが、カナダ統合軍発足時に「ラブラドール」に統一されています。
このラブラドール(S/N 11310)はシーアイランドとコモックスの第121混成飛行隊に配属。2004年にアグスタウェストランドCH-149コルモラントに置き換えられて退役しました。



グラマン(デ・ハビランド・カナダ)CS2F-2(CP-121)トラッカー
カナダ海軍の対潜哨戒機グラマン「アベンジャー」を置き換えるために1955年から導入。デ・ハビランド・カナダがグラマンからライセンス生産したみたいです。
元はグラマンのS-2哨戒機。米空海軍の航空機命名規則の統一前の旧姓はS2F。CS2Fもカナダ統合軍発足後はCP-121に名称変更しているので注意。ちなみにアメリカのS2F-2とカナダのCS2F-2は形式が似ていること以外に関連性は無さそうで、これも注意。
元が空母の艦上機として開発された機体なので、カナダ海軍でも空母「HMCSボナベンチャー」の対潜哨戒機として運用されました。空母持っていたんですよ、カナダ。
機体にはMADブーム、水上レーダー、爆弾、爆雷、魚雷、探照灯、その部位、主翼パイロンなどを小さな機体にこれでもかというくらいに詰め込んでいます。哨戒機とは言いますがその実は潜水艦絶対殺すマンです。
先述の通り空母で運用されていたんですが、その後空母を退役させてしまったのでCS2Fは陸上機にジョブチェンジして沿岸警備や漁業監視なんかに1994年まで使われました。機体は晩年のロービジ塗装に塗られています。



カナディアCP-107(CL-28)アーガスMk.I
展示機の中で一番の大型。CL-28というのは開発メーカーのカナディアでの社内呼称で、運用していたカナダ空軍ではCP-107という形式がありました。
エンジン4発の大型対潜哨戒機です。カナダ原産の機体なのですが、完全な独自開発ではなくイギリスの鳴かず飛ばずだった旅客機ブリストル175「ブリタニア」をベースにしたものです。ただし流用したのは主翼、尾翼、降着装置で、胴体は自社開発、エンジンはアメリカ製を使用しています。なので元のブリタニアと見比べてみてもあまり似ていないのです。
初飛行は1957年3月28日。その年に運用を開始して、ランカスターとロッキードP-2ネプチューンを置き換えています。そして1988年までにロッキードCP-140(P-3)オーロラに置き換えられて退役しました。



エンジンはライトR-3350を4発搭載。B-29に搭載されていたものと同型のレシプロエンジンです。ただしB-29搭載型ではなく戦後に改良されたものだと思います。改良型はロッキード「コンステレーション」やダグラスDC-7にも採用されています。
ちなみにベース機のブリタニアにはブリストル・プロテュース765ターボプロップエンジンが採用されていました。
まだこの世に出てきたばかりのターボプロップでは信頼性に不安があったとかでしょうか?海上で長時間哨戒任務をするCP-107にとってエンジンの故障や敵潜水艦からのエンジン被弾は死を意味するので、冗長性確保は大事なことなのです。



CP-107といえば機首下部にある黒いこのデカいレドームでして。こいつのあだ名絶対「アゴ」だったと思うんですけど。
このデカい顎の中にはアメリカ製AN/APS-20早期警戒レーダーが入っています。この顎はアーガスMk.Iの特徴でして、後期型のアーガスMk.IIではイギリス製ASV-21に変更。このレーダーはAPS-20より小型だったので顎も小さくなりました。ちなみにアーガス Argus というのはギリシャ神話に出てくるアルゴスの英語読み。アルゴスは100の眼を持つ巨人なので哨戒機にはぴったりな名前ですな。
機首の先端が透けているのはあそこに航法士が座るからですね。
あとは胴体に潜水艦を殺すための爆弾を入れる爆弾倉があるんですが、そこはすっ飛ばしてしまいました。



正面から。
この機体(S/N 10712)は1968~1981年にコモックスの第407長距離哨戒飛行隊に一貫して所属していました。
ちなみに同飛行隊はカナダ軍最長の無補給飛行記録31時間超えをCP-107で打ち立てたそうな。この機体で達成したのかは分かりませんが。トイレとかどうしてたんだろうね。
高高度で飛ぶことを想定していない機体(機内が与圧されていないのだ)でこの記録はすごい・・・のかな?(空気の薄い高高度の方が抵抗が少なく燃費が良いのだ)

生産数が33機と少なく海外輸出もされていませんから、見る機会は意外と少ないです。それでも6機保存されていて、残存率1割8分ですからいい線いっていると思います。
問題があるとすれば、海上哨戒機という機体特性から保存機の大半は大西洋・太平洋沿いの博物館に保存されているということで、言ってしまえば僻地まで行かないと見れないことですね。私もCP-107を見たのはこれっきりでした。内陸でもオタワやトロントオタワの中間にあるトレントンの博物館で見られるそうな。

博物館の屋外展示機は以上です。他にも通常非公開のデ・ハビランド「バンパイア」、コートニーの観光案内所に串刺しにされているカナディアCT-114チューターがありますよ。
戦闘機から大型哨戒機まで種類が豊富な展示が良かったです。まだ敷地には余裕があり今後も展示機が増える可能性は十分あるので、また時間が経ったら行きたいですね。翻って敷地内いっぱいいっぱいの展示をしてしまう(というより収蔵品を増やすことを想定していない設計をしている)日本の博物館は本当に発展性が無いなと思うわけですが・・・。

さて次回からエアショーに入場しますよ!


その2へ→

大阪→東京 サイコロの旅4 第3夜【2017/08/10~12】

2017-03-15 22:48:53 | 旅行・イベント記

前回までのあらすじ。
ZBSと結託してぼくを騙して山陰へ拉致ろうとしていたいぶき君。実は騙されていたのはいぶきくんの方で、四国から山陰へ向かうつもりが松山空港から飛行機で大阪伊丹空港へと送還されてしまう。
この先の展開も予想できないままいぶき君に手渡されたのは、明治サイコロキャラメルと6つの行き先が書かれたフリップボードだった。
ここに至り彼は悟る「サイコロの旅だ・・・」と。


<サイコロの旅とは>
北海道発の某バラエティ番組でおなじみの企画である。
6つの選択肢が書かれたボードに現在地・現時点で乗車可能な交通機関と行き先をリストアップ。
どこに行くのかは運命のサイコロを振って決定。
出た目に書かれた行き先がたとえ東京と逆方向であっても、そこに行かなければ次のサイコロは振れない。
つまり、交通機関があるかぎり東京にゴールするまでは常に移動し続けるという超過酷な企画なのだ。

すなわち、サイコロを振る→出た目の行き先に移動→着いたらサイコロを振る→出た目の行き先に移動→・・・
というのをゴールの東京に着くまで延々と繰り返すのである。

今回8月10日から大阪をスタートして、ゴールは東京。期限は2日後の8月12日。
例によって予算が少ないので、移動には青春18きっぷを使用。つまりJR線の普通列車での移動が基本となる。
ただし状況に応じて特急・新幹線や他の交通機関も選択肢に入ってくる。

いぶき君は今回が初めてのサイコロの旅。彼の采配は吉と出るか凶と出るか。



1.大阪環状線・奈良線 奈良
2.また阪和線か! 和歌山
3.東海道・山陽本線 姫路
4.東海道・福知山線 福知山
5.東海道・湖西・北陸本線 福井
6.東海道本線 名古屋


まずはこれからの方向性を決める1投目。あらゆる方向へと向かえます。
なおサイコロを振るのは全ていぶきくんです。



3!!



1投目:3.東海道・山陽本線 姫路
乗車時間1時間14分、移動距離101km。
大阪空港駅16時33分発の大阪モノレールに乗り、途中阪急線を経由して大阪駅へ。大阪からはJR線に乗り換えて姫路を目指す。
1投目は東京とは逆方向に移動することになった。



そうと決まればもう移動するだけです。伊丹空港へ早々に別れを告げます。



第6走者:大阪モノレール 門真市行き(1000系) 大阪空港16:33→蛍池16:35
まずは大阪モノレールに乗ります。乗るのは初めて。



第7走者:阪急宝塚線 急行梅田行き(1000系) 蛍池16:41→梅田16:55
蛍池で阪急電車に乗り換え。乗ったのは新鋭の1000系でした。



梅田駅からはJR大阪駅へ。



大阪駅では207系更新車(左)がいました。321系(右)みたいな雰囲気になりましたね。



さらに683系更新車も。顔が濃くなりました。



第8走者:JR神戸線 新快速播州赤穂行き(223系) 大阪17:15→姫路18:19
おなじみ新快速で一気に姫路へ。混雑していたので座れなかったぞ。



着きました。
おら2投目を振るぞ。



1.12時間ぶりの 岡山
2.ふりだしにもどる 高松
3.明日中に帰れる 名古屋
4.そのまま戻る 大阪
5.今日はここまで 姫路
6.    〃


昨日は夜行列車で一晩明かしたので今日は布団で寝たいところ。
四国も目の前ですが果たして・・・。



5!!



というわけで姫路で一泊。今日はもうおしまい。まだ18時半、やったぜ。



松屋でめし。



東横インで一泊!



ホテルの一室で次の目を考えます。その頃いぶき君はやけ酒していました。
で、出来たのがこれ。

今週はここまで。


第4夜へ→

北米project 4 ~Is the order a warbird? その8【2016/03/04~10】

2017-03-14 23:14:15 | 海外旅行記

甲板前方から主砲と艦橋を収めます。絶景ですよ。
結構細長い砲なのだなと感じます。まあ口径が大きい方がよく飛ぶしね。



第2主砲とレーダー塔。
射撃する時というのは個々の主砲がそれぞれ勝手に撃つということはなく、射撃管制装置の管理下に置かれます。これでどこに主砲弾をぶっ放すのかをアレコレ決めるのだ(手抜き解説
アイオワ級は射撃管制にレーダーを使っていました。レーダーは何も遠くから来る敵を発見するためだけに使うのではなく、射撃照準にも使われるのです。

で、アイオワ級の主砲の射撃管制装置は、完全に退役するまでほとんど更新されないまま運用されていたんだはないかなぁと思います。第二次世界大戦で使われていたMk.38射撃管制装置がいまこの瞬間にも付いていますし、湾岸戦争での射撃時の写真を見ても、主砲が向いている方向と同じ向きにこの射撃管制装置が向いているのです。そもそも戦艦主砲なんて第二次世界大戦後は開発が行われなくなってしまったので更新しようもないのです。
つまりアメリカ海軍さんは1990年台においても1945年の装置で主砲を運用していたことになるのではないかと。戦後こんな兵器に実用性なんて無かったでしょ・・・。

射撃管制装置の写真はまた後々・・・。



主砲の砲口。フタがされていますね。
中心に星のマークがあります。これで制式なものだそうな。



第1砲塔の左舷側には主砲弾の展示がされていました。弾は全てつくりものでしょう。まあ雰囲気は伝わります。

余談ながら主砲の装甲から展開されている白い布。これはもちろん日除けのためなのですが、甲板の日除けというよりもその下、船内の室温上昇を防ぐためのものです。船内全てに冷房があったわけではない時代ですしろくに舷窓もないですし(ていうか無い?)で、軍艦ではUSSアイオワにかぎらずよく見られるものです。甲板が可燃物であるところの木甲板なのも日除けに効果があるからだそうな。



左から装薬袋、砲弾、装薬袋搬入用筒。砲弾は模擬弾という弾種です。



砲弾にもいろいろ種類がありまして、これはHC弾 High Capacity。榴弾の一種で、通常の榴弾(COM; common)よりも爆発力を高めたものです。対地攻撃の面制圧に使ったのかな?重さは1,900lbs (860kg)。



このスツールみたいなものは装薬袋。砲弾発射用の火薬がこの布の袋の中に詰まっています。
実は戦艦の主砲のような大型砲には薬莢、つまり装薬の入った金属の入れ物が存在しません。なので射撃時は砲弾の後ろに装薬袋をその都度詰めてから発射します。
アイオワ級では1発につき6個の袋を使います。これだけ使うと薬莢だとやはり重くなるのかしらん。砲弾よりは軽いと思うけど。
ちなみにこの装薬袋は16inch/50口径用 110lbs(50kg)の装薬袋です。こんなのが砲塔に目一杯入っているんだから引火爆発すれば戦艦も沈む。



装薬袋の使用例。6個使うのが通常のようですが、おそらく弾種や射撃距離に応じて装薬袋の数は減らすことも出来たはず。装薬袋の存在は今まで知らなかったので、これだけでもかなりの収穫でした。



クレーンに吊るされている砲弾。
これは、艦外から搬入された砲弾を砲塔内にある弾薬庫へ格納するためのクレーンです。甲板に砲弾が通れるだけの大きさのハッチがあるのですが見当たらず。無いってことはないのでどこかに隠れているんだと思いますが。



「砲塔」というと戦車のアレのようなものを想像しますが、軍艦の砲塔はそれとはだいぶ趣の異なるものです。
外からは見えない部分、すなわち甲板の下にもこれだけのものが根を生やしていて文字通り塔のような代物なのです。弾薬庫、給弾装置、あとは砲塔回転用機関もあるはずです。図解を見ると甲板の下に5層あります。甲板に露出している主砲は砲塔のほんの一部なのですよ。
なおこの図解は砲弾の弾薬庫への入れ方。一度最下層へ下ろしてからまた上げるという方法だそうで。



この砲弾はBL&P弾(Blind Load & Plug)。重さ2,700lbs (1,225kg)。演習用弾です。

ちなみにアイオワ級の砲弾で一番キてるのはMk.23弾頭弾でしょう。威力は15~20キロトンでリトルボーイ相当。1956~1963年まで配備されていました。この時期のアメリカ軍はどこもトチ狂って何にでも核兵器を装備していたからアレデスよネ・・・。



第2砲塔。1段上にある分、威圧感は第1砲塔よりもあります。
第2砲塔には、第1砲塔では無かった大きい測距儀が残っています(主砲側面の後ろ張り出している四角い棒のようなもの)。第1砲塔にも元々は付いていたんですが、まあ要らないですし外されたんでしょうかね。
上で書いたとおりアイオワ級には射撃管制レーダーを実装していたので測距儀による光学照準は行われていませんでした。それでも万が一ということも考えられますので、レーダーマスト上の射撃管制装置と主砲に測距儀を付けていました。
ただどうも測距儀は第二次世界大戦時においても本当に万が一の時にしか使うつもりがなかったとしか思えず。
詳しい原理は飛ばしますが(自分でもあまり分かっていない)測距儀は横に長いほど精度が良いのです。戦艦の主砲だったら10mは必要になるんですが(大和型は15mのクソ長い測距儀を持っていた)、アイオワ級のそれは10m行っていないだろ~という程度の長さでして。
主砲の測距儀は横幅こそ長いですが、高さが低すぎて話しにならないです。アイオワ級の主砲の最大射程は38kmですが、だったらその距離まで見える高さに測距儀を持ってこないと意味ないです。主砲の高さだと水平線の距離はせいぜい数kmでしょうか。
レーダーを使って索敵・射撃照準するというのがアイオワ級の基本戦術なのだな・・・というのが分かります。



前部甲板を一周して、左舷から艦内に侵入します。

今日はここまで。


その9へ→

バンクーバーの近郊列車に乗る 最終回【2015/08/11】

2017-03-12 19:18:01 | 鉄道撮影記

ウェストコースト・エクスプレス(WCE)の次の列車を待っていると、ミッションシティ側からカナディアンパシフィックの貨物列車が入ってきました!
こんなに編成がスッキリと入る構図で撮ったことは今まで無かったので、ここぞとばかりにシャッターを切りまくります。



機関車はGE AC4400CW形重連(CP9761号機+CP8648号機)。他に中間補機が1機見えました。
クソかっこいいな!この力強さがやはりいいですよ。



貨車は(たぶん)全てゴンドラ車。日本語だと無蓋車です。日本では想像もつかないくらい背の高い無蓋車ですね。
積み荷は恐らく石炭で、この列車はコールポーターという石炭輸送列車なんだと思います。カナダは石炭産出国なのでこの列車はそこら中で見られるらしい。



うねうねうね。ちなみに途中で停車してしまったので全長を知ることはありませんでした。



コールポーターを眺めていると、WCEの2番目の列車(16:54発)が到着しました(列車番号は分からなかった)。



それっぽく撮ろうとするもイマイチ・・・。
ところでホームが一段高くなっている部分がありますが、あれは車椅子用の乗降口です。



縦で撮ってみますがうーん・・・。
初めてその姿を見ることになる機関車はEMD F59PHI形WCE902号機。通勤列車ではおなじみの機関車です。



やはり先頭の機関車ははみ出る模様。ついでに次位の客車も先頭寄りの扉がはみ出ていて、締切になっています。そこら辺は柔軟に対応できるらしい。ていうかホームの長さ延ばせばいいんじゃ・・・。



発車。コールポーターが邪魔になって後追いできませんでした。最初の列車でちゃんと撮っておいてよかった・・・。
コールポーターのバイレベルコーチに匹敵する高さにも注目です。軽く平屋客車の高さは超えていますねこれ。1両でどんだけ容積あるんだこいつ。ところで、これの中身ってどうやって降ろすんですかね?ウワサじゃ貨車を固定してそれさら回転させて石炭を落とすらしいですがホンマかいな。



次の列車が来るまでまた駅前をぶらぶら。バスロータリーにはNFI XN40 (P14004) がいました。天然ガス車です。



NFI C40LFR (P3349)。これも天然ガス車。



連結面とか。
連結器の他に繋がっているのはブレーキ管だけですかね。連結器もよく千切れませんよね。



17:24発の第3列車も到着しました。牽引機はF59PHI形WCE904号機。
特に変わった構図も思いつかなかったので、さっきと同じような写真に。



乗客はまあまあ降りていきます。
この次の列車のウォーターフロント始発が17:30なので、その列車が時間的に一番混むのではないでしょうか?
ちなみに終電は17:30の次のウォーターフロント18:20発でして、日本の感覚からするとかなり早いです。17:30から50分も間が空くのも不思議に感じますし。みんなこの列車が発つまでには仕事上がれるんだなぁ・・・。

扉横にはトランスリンクのロゴの他にカナダ政府、ブリティッシュコロンビア州、それとWCEのロゴも貼られています。WCEはともかくカナダとBC州のロゴはすなわちそこから補助を受けているよということです。日本だとこういう主張は見かけないですが、あってもいいと思います。



後追いも撮ります。制御客車はWCE101号。たぶんトップナンバー。



まだ陽は明るいので撮影自体は出来るのですが(夏の時期は20時くらいまでは普通に明るく、21時を過ぎてようやく薄暗くなり始める)、ここで切り上げないとビクトリアのお家に帰れなくなってしまうので、これで撮影終了にします。
なんとなくGMC 5500 + ElDorado National Aero Elite (S351)のC38系統を撮影。系統番号の冠にCが付くバスはコミュニティバスなのですが、車両が小型バスを使う以外は他の系統と乗る分には変わったところはありませんかね。比較的短距離だったり住宅街の中を走ったりするのが特徴かな。



で、前回書いたとおり160系統のバスでバンクーバーのダウンタウンまで直行しました(2017年現在は系統分断されて不可能;前回参照)。
途中渋滞にハマって遅延が発生して帰りに間に合わなくならないか心配になりましたが、元々バンクーバーで夕飯を食べていく時間を取っていたのでそれが緩衝材になって帰りのスカイトレインのデッドラインにはギリギリ間に合いました。
スカイトレイン・カナダ線でブリッジポート駅まで乗って620系統ツワッセン行きのバスに乗り換えて、無事最終のフェリーに乗り込むことが出来ました。お預けにされた夕食はフェリーの食堂で食べることが出来ましたとさ。

WCEは運行日と運行時間帯、列車の運行そのものが使いづらい部分がありますが、現地の日常的な通勤列車、LRTではない本格的なカナダの鉄道を味わうことが出来るので鉄道が好きな方にはおすすめできます。
そんな感じの日帰りバンクーバーでした。

実は大ウソ! 夏を満喫、うどんといで湯 ぶらり四国の旅 その2【2016/08/10~12】

2017-03-08 22:35:41 | 旅行・イベント記

2016年8月10日 10時54分
香川県高松市 うどん本陣山田家

山田家に着くと、そこに現れたのはZBS(と自称ハワイ出身の運転手)!
ここで僕は迫真()の演技で今まだ騙されてきたという演技をします。いないはずのZBSがいるってことはそういうことなので。
とりあえずうどんを食わせろ話はそれからだと山田家の店内に入ります。



名物ざるぶっかけうどん。これが食べたかった。いつもながら美味い。
ここでも「おいどこに連れてくんだ」「もし山陰に連れて行ってみろ、テメエ宍道湖に沈めんぞ」とまるで知っているかのような口ぶりでまくし立てます。



一方いぶきくんはとても楽しそうにしています。わはは、今のうちに楽しんでおけ。



うどんを食べた後は車に詰め込まれて高松/松山自動車道に乗って西へ向かいます。
山陰拉致計画(大ウソ)では松山からフェリーに乗って本州へ上陸、その後山陰へ向かうという段取りになっています。行きませんけど。実際には松山空港へ行きます。
途中の豊浜SAでいぶき君が目を離したスキにZBSと軽くネタバラシについて打ち合わせ。とりあえず途中何箇所かあるチェックポイントを見て様子見。

関係ないですが、写真に写っている青いシャツの男がハワイ出身の運転手パテイシです。死ぬほど疲れている。



チェックポイント1 空港通り2交差点
フェリーのある高浜港へ向かう場合この道を直進しなければなりません。が、ここを南吉田方面へ進んで空港へ。
あれ、なんで空港へ走ってるんだ?となるのか・・・?





いぶき君、気づかず。
まあここで気づかれたらマズいのでよかったんですが。
まあいまはワイを騙すのに成功して注意力散漫だし。



チェックポイント2 青看板
松山空港は直進、松山港は右折。当然車は直進。
前を見ていれば分かるはずです。ちょっとサービス問題だったかな。





いぶき君、気づかず。
もしかしてこの人アレなんじゃないか。



チェックポイント3 松山空港
あちこちに松山空港の看板が見えてきます。ていうか建物が見えてきた。

これにはさすがのいぶき君も気づく。すず虫よりは勘がいいらしい。

ここで我々も「パテイシ氏はここから飛行機に乗って帰る」という少々苦しい言い訳を発しますが、これをまるっと信じる。
「見送りするから車は駐車していく」とのダメ押しの一言も鵜呑みにします。この人騙され芸人の才能がある。



チェックポイント4 「荷物を全部持っていこう」の一言
これも疑うこと無く従う。
見送るだけなら荷物を全部持っていく必要なんて無いのです。ここまで来ればもはや王手をかけたも同然。



展望デッキで少しばかし飛行機を撮影しますがいぶきくんからの展開がちっとも無いので、痺れを切らしておもむろに航空券を手渡す。
以下彼の反応。



大☆成☆功



第6走者:全日空NH1642便(DHC-8-Q400) 松山15:20→伊丹16:10
いぶき君は何があったか理解できないまま保安所を通り搭乗ロビーへ。
そしてあのプロペラ機に乗って大阪へ返されます。彼は機内では何を考えていたんでしょうね。



プロペラの真横の座席を取りました。カナダ仕込みのエンジン音を味あわせてあげたかったのだ。



飛行中はあえて話しかけませんでした。席も離れてたし。



2016年8月10日 16時13分
大阪府豊中市 大阪伊丹空港

四国から大阪へ戻ってきました・・・。
この後空港ターミナルビルの入口で、今回の企画が一発で分かるアレが登場します。






お   ま   た   せ
い   つ   も   の
2 年 ぶ り 4 度 目


大阪→東京 サイコロの旅4 開幕です!


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北米project 4 ~Is the order a warbird? その7【2016/03/04~10】

2017-03-06 22:35:44 | 海外旅行記

2016年3月4日(土)15時32分
カリフォルニア州ロサンゼルス 戦艦USSアイオワ博物館


はいいきなりドーン!!
西部航空博物館を見た次は、そこから近いところにあるアメリカ海軍の戦艦「USSアイオワ」を見ていきます!
車だと20分かからず移動できる感じでした。バスだとどうなるか知りませんが、一応博物館の目の前にバス停があるので(本数もそこそこある)行けないこともないです。アメリカのバスに自信ニキはチャレンジしてみよう!

何?写真が細長いだって?そりゃ普通の広角だと船体が収まりきらなかったからパノラマモードで撮影したからなんだぜ・・・。
そんな真横から撮るからそうなるんだろマヌケ?そりゃこっちだって斜め前からバシィッ!とアイオワのスマートで美しい姿を決めたいのだぜ。でもさぁ・・・。



意外!それはフェンス!
艦首よりも前に回り込めないのだ。回り込めないのだ・・・(大な事二言



ほら、これだもの。何か建設工事をしているようだったので一時的なものなのかもしれません。
とはいえこれにはガッカリ・・・。再履修です。



これが精一杯ですよ。



気を取り直して入館料を払って艦内に入ります。閉館時刻は17時なので見学時間はすでに90分もありません。忙しいですね全く。
入館料はほぼ$20といい値段をします。ただし予めインターネットで券を購入すると$2引きされますのでうだうだ言わずにネットで買っておこう。
まあ維持費がすごそうだし妥当な値段設定だと思います。言うなれば城をひとつ維持管理するようなもんです。その代わり財布の紐がキツくなったのでさっきの博物館のように寄付の類はしませんでした・・・。

で、ざっと遠目から艦を観察してみたのですが、「デカいな!!」とはあまり思いませんでした。いや、大きいと言えば大きいのですが、空母やコンテナ船のようなデカい鉄の塊がドン!ではないのです。
特に背が低いです。艦橋なんてあんなに低いです。これは艦橋とレーダー塔を分けて配置していたからですね。両者を1つにまとめて天守閣のようになっている「大和」とは対称的なのです。
戦後の改修でレーダー塔は高さが少し抑えられて、第1煙突の上に新しくレーダーマストが建てられているんで形はだいぶ違っていますが。
長くなりそうなので一旦この話題は切り上げることにします。



Mk.12 30口径5inch連装砲。こういうのを見ると条件反射的に艦これの連装砲ちゃんが浮かんでくるので、本当にアレはすごい刷り込みをしていきましたよね。
駆逐艦だと主砲ですが、戦艦にもなると副砲扱いになります。USSアイオワには片舷3基、計6基12門装備しています。アイオワ級に装備されていたMk.12はその中でもMk.28 mod.2という型式。まあよくは知らん。
対空砲だとか10km圏内に接近してきた小型艦などを撃ち落とすために使われていました。遮蔽物のない海上では10kmなんて接近戦もいいところです。



乗船後はまず前部甲板に誘導されます。するとどうですか、堂々とした主砲がお出迎え。わかりやすい暴力的な兵器です。この主砲こそが戦艦の存在意義なのです。
アイオワ級の主砲は50口径16inch(40.6cm)砲(Mk.7)で、アイオワ級のひとつ前のノースカロライナ級のMk.6砲の改良型。これを1基3連装として3基計9門搭載しています。写真は第2砲塔ですね。



それの前方にある第1砲塔の脇には3種類の弾が置かれていました。
これは副砲の5inch連装砲とその薬莢ですかね。



中小2種の弾体と薬莢。小さい方は70口径20mm対空砲、大きい方は56口径40mm対空砲の弾でしょう。
両対空砲は1983年の近代化改修時に撤去されてしまったので、現在はありません。搭載時は20mmが49門、40mmが80門(連装40基)というこれまた暴力的な数がありました。



主砲についている測距儀?
測距儀にしてはちっちゃいような。


主砲の装甲。
正面と側面の装甲との間に繋ぎ目があるのが分かると思います。装甲板がとんでもなく分厚いのが分かるかと。432mmあるんですって。この砲塔1つ(弾薬込み)で同時期の駆逐艦1隻と同じ重さ(約2000t)があるというんですから、そりゃ戦艦は重いわ。
でも上面装甲は184mmしかないようで。砲弾や爆弾は上から降ってくるんだから水平防御を厚くしたほうがいいような気がしますがそこら辺はよく知りませぬ。
砲身の付け根にあるのは防水カバーです。色が茶色っぽいですが元からこうなのか経年で汚れてしまったのかはよく分からず。
ついでに、いま見た砲弾の大きさも砲塔と比較して感じてみてください。



艦首方向を見る。
甲板は艦首へ向けて結構きつい傾斜角がついています。



艦首を見る。
博物館船ではよくあることなんですが、艦首の先っちょまでは入れてくれないです。なので主砲2基と艦橋を真正面からドンと入れるには近すぎてダメでした。せめて錨の鎖の手前まで入れてくれるとだいぶ撮りやすくなると思うんですが。
真正面からの画は宇宙戦艦ヤマトなんかで何度も観たこともあってやっぱりかっこいいんですけどね。



USSアイオワの対岸を見る。
係留されている桟橋側からは艦の全体像が撮れなかったのでじゃあ対岸からならと思って見てみたのですが、見事なガントリークレーンのコンテナ積み下ろし施設でした・・・。こりゃだめだ。



タグボートみたいな格好をしていますがこれは消防船ですね。ワーナー・L・ローレンス丸 Warner L. Lawrence です。背中を前にして巡回していました。

今回はここまで。


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