黒鉄重工

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東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その2【2018/6/9~10】

2022-02-23 06:46:00 | 鉄道撮影記
末広橋梁を渡るDD51形のJR貨物の貨物列車を撮影後すぐに陣地転換、橋梁の先の専用線へ。
踏切を渡ろうとしたらすでに閉まってて、貨車を引っ張ってきたDD51形1156号機が通っていきました。


踏切の横の機回し線で列車が停車。
踏切を渡って道路側から。タキ1900形(タキ71997)の形式写真をば。


ここまでセメントを運んできたDD51は列車の到着後すぐに貨車から切り離されて機回し線を通って反対側まで戻ってきました。


さらにそのすぐ後に太平洋セメントのディーゼル機関車が貨車を受け取りに参上。DD511号機とでも呼ぶべきか。専用線の入換機としては大きめで、本線を走っていても遜色がなさそうです。


貨車と連結します。


連結完了。工場へ向けて出発します。
このJR貨物から太平洋セメントへの貨物の受け渡しはとても手早いもので、なんとも手慣れたものでした。のんびり移動していたらもう終わっていたでしょうね。


踏切を渡ります。


煤煙を出しながら工場へ走っていきました。


さよならさよなら~。


今思えば工場の発着場まで追いかけてもよかったかもしれませんけど、早く次に行きたかったので今日のところはこれで撤収します。また来ます。


関西本線の踏切を渡る時に伊勢鉄道イセIII形102号が通っていきました。ラッキー。
伊勢鉄道の列車をまともに撮影したのは初めてなのでした。


JR四日市駅を通り越して近鉄四日市駅へ向かいます。歩いていけないこともないけど自転車で走ると楽に移動できますね。
途中通った道にはこういう川というか用水路が。今どき柵のない用水路も珍しいですね。


近鉄四日市駅へ着きました。自転車は駐輪場に停めてきました。
駅前には三重交通のいすゞ・エルガミオ。


三重交通のバスといえば、車体に取り付けられた広告の枠ですね。とにかく車両1台あたりの広告枠が多いなという印象です。


さて、乗り鉄☆たびきっぷでは近鉄電車は乗れません。競合しているからだと思いますけど。同じような理由で名鉄も乗れないです。あとはなぜか大井川鉄道にも乗れません。
じゃあ何しに来たのという話ですが、今から四日市あすなろう鉄道に乗ります。・・・いや、この鉄道にも乗れないんですけどね。近くまで来たのでついでに寄っていくことにしました。


四日市あすなろう鉄道は、近鉄内部線・八王子線の運営を引き継いだ鉄道路線です。移管前に一度乗りに来たことがありますが、移管後は初めてです。
四日市駅の駅設備は近鉄時代をよく残していますね。


四日市あすなろう鉄道は、国内の残る3社の軌間762mm特殊狭軌路線のひとつです。いわゆる軽便鉄道規格で建設された鉄道です。
その昔は全国各地にこういう軽便鉄道がありましたが、ほとんどは1067mm狭軌に改軌されるか廃止に追い込まれるかしています。それがどっこい現代まで生き延びているので、生きた化石みたいな印象も持ちます。

今日はここまで。


その3へ→




東海project 2 ~with Noritetsu☆Tabi Kippu. その1【2018/6/9~10】

2022-02-20 08:02:44 | 鉄道撮影記
2018年6月9日。
今日は1泊2日でお出かけします。目的はいくつかありますが、主に3つ。
  1. 近江鉄道ガチャコンまつりに行く
  2. 関西本線のDD51形の撮影
  3. 四日市らへんのナローゲージ路線に乗る

第1走者:JR東海道新幹線「ひかり」493号(N700系)静岡6:41→名古屋7:25
ということで名古屋方面へ向かいます。


今回はこの「JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ 」という企画乗車券を使います。名前に☆なんてついてますがこれが正式です。JR東海にしてはずいぶんはっちゃけた名前だと思います。
土休日の2日間、JR東海全線と管内で接続する16社の私鉄の普通列車が乗り放題となる切符です。
JRに関しては特急券を買えば特急にも新幹線にも乗れます。ただし新幹線はなぜか4回までの回数制限があります。
私鉄は、ローカル私鉄を中心に東海地方の路線はほぼ乗れるようになっています。競合している名鉄、近鉄には乗れませんけども。あとは大井川鉄道にも乗れないんですね。
これでお値段8,480円(当時)なり。まずこの静岡~名古屋を往復するだけで切符の額面の大半は消化できてしまうので、あとは東海三県を適当にぶらつくだけでも元は取れてしまうんですね。割と元は取りやすいと思うぞ。


名古屋駅に着きました。在来線ホームのきしめんを朝ごはんにします。


第2走者:JR関西本線快速「みえ」51号伊勢市行(キハ75系)名古屋7:43→四日市8:18
まずは2つ目の目的の関西本線DD51形の撮影へ向かうべく四日市へ。


四日市駅に着きました。四日市市は三重県最大都市ですが、御存知の通りJRの駅は乗客は閑散として寂れています。


残念これはDE10形。1581号機です。


JR四日市駅にはレンタサイクルの貸し出し施設があります。徒歩と比べて機動力が抜群に良くなるので列車撮影に際しては非常に助かります。
駅のすぐ横の駐輪場で自転車を借りて亀山方面へ走ります。


阿瀬知川踏切を渡ったところで遮断器が降りたので、カメラを構えて列車を待ちます。313系1300番台(B504+B509)の普通列車でした。



そしたらDD51形825号機+DE10形1562号機が通っていきました。入換作業でしょうかねえ?


今度は211系0番台(K51)の普通亀山行が通っていきました。JR東海最後の国鉄製車両です。一見ただの211系ですがJR東海の0番台は2本しかいない珍しいやつです。



またDD51形825号機が来ました。DE10は捨てていったそうです。


四日市駅から延びる支線を辿っていって、末広橋梁へ。
末広橋梁は、千歳運河に架けられた鉄道架道橋です。1931(昭和6)年に建設されて、現役では最古の鉄道架道橋です。国指定重要文化財です。
歩いて行くには少し遠いのでやはり自転車で来て正解。


末広橋梁は2度目の訪問となります。前回とは違って運河を渡った先からDD51を迎え撃つことにしました。
可動橋の桁が門型の柱へ向かって跳ね上がる跳開式の橋です。釣り合い重りは案外小さいかな。


列車が来るまではまだ時間があったので、少しの間末広橋梁の先の線路をロケハンがてら散歩してみます。
ここは太平洋セメントの四日市臨港線で、線路の奥に生コン工場や出荷センターがあります。
これは機回し線の分岐ですね。この奥に末広橋梁からの線路の合流点があります。


倉庫ですね。線路のすぐ横に積み下ろし場所があります。2階と3階からも直接積み下ろしできるような構造になっていますけど、どうやって上げ下げするんでしょうねこれ。


奥に行くと工場があります。工場までは行きませんでした。


9時35分頃になると可動橋が下がり始めました。可動橋の上げ下げのシーンはメカメカしさの塊なのでわくわくしますねぇ!


橋はものの数分で下がりきりました。
ここから列車が通り過ぎるまで20分くらい待つことになります。


そしてDD51形1156号機が通過しました。よきかなよきかな。


運んでいる貨車はタキ1900形で、中身はセメントです。三岐鉄道の東藤原駅から関西本線を経由して四日市港までやってきているのです。

というところで今日はここまで。


その2へ→



 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その10【2016/6/15~22】

2022-02-15 06:33:37 | 海外旅行記
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。
こちらはダグラスC-47ダコタ。さっき牽引車で動かされていたやつね。
御存知、第二次世界大戦で大量生産されたアメリカの輸送機です。アメリカ軍はもとよりイギリス軍を始めとした連合国にも供与されたこともあってチーム1万機の一員です。ソ連と日本でライセンス生産されたものも含めるともう5千機くらい膨れるみたいですけど。
この手の輸送機・旅客機の供給はアメリカがほぼ独占していたようなものですから、戦後の旅客機製造ビジネスでの覇権をアメリカが握れたのも納得のいくものです。

カナダ空軍では最大169機が配備されて、カナダ国内には4個輸送飛行隊と数個の回航飛行隊で編成されていたそうな。海外の前線ではインドやビルマといったアジア戦線で数個の飛行隊が編成されておりました。
最後の1機は1989年まで使われていました。結構長生きだったのね。


この個体はアメリカ製で、はじめイギリス軍向けに納品されたものが1944年にカナダ空軍へ移管された機体です。戦後もカナダ空軍で使用されカナダにゆかりがあります。
1973年にカナダ空軍から退役した後、環境省(当時)に天下り再就職して鉱物や環境の調査活動を仕事としました。2014年に環境・気候変動省を退職して当館に寄贈され現在に至ります。
どのくらい実働状態だったかは知りませぬが一応最近まで現役にあったはずで、随分長いこと稼働状態だったことになります。そのおかげかここに寄贈後も飛行可能状態を維持しています。登録記号C-GRSBも有効な状態です。


機体塗装は天下り環境省時代のもの。ただし2022年時点では塗装が塗り替えられていて、カナダ空軍第437飛行隊時代の茶色の迷彩色(機体番号FZ692)になっているそうな。


C-47なので大型貨物扉の付いたやつです。



C-47は双発輸送機なのでまあそれなりに大型なんですが、それがすっぽり収まってしまってまだ余りあるこの格納庫の広さよ、ということです。


C-47の脇にあるこのでかいドラム缶みたいなやつ。これはランカスターの逸話の中でも有名な「ダムバスターズ」で知られるドイツのダム破壊任務「チャスタイズ作戦」で使われたアップキープ反跳爆弾のレプリカです。C-47の脇に置いてありますが、本来は今は表でエンジンをぶん回しているランカスターに関連する展示物でしょう。
反跳爆弾というのは、爆弾が爆撃機から投下され水面に着水後、回転しながら水面を跳ねて前進して目標を破壊する兵器です。水切りで使う石をめちゃくちゃでかくしたようなもの・・・かな。そう、俗に言う「英国面」のひとつ。
英国面というと失敗兵器だったり欠陥兵器だったりしますが反跳爆弾は実戦で成果を挙げています。英国面にだって立派なものもあるんだぞ。

アップキープの寸法は長さ152cm、直径142cmで、炸薬量は4.2t。投下前には爆弾が水切りするように高速回転をかけていたそうな。なお爆弾倉の広いランカスターと言えどもアップキープは規格外の大きさだったので、爆弾倉の扉を外して機外搭載せざるを得ず、しかも回転を掛けるための専用の器具も付けていたそうな。


チャスタイズ作戦のジオラマですね。ダムの上流からランカスターが迫ってきて超低高度からアップキープを投下しようとしているところです。
この水力発電用のダムを破壊する目的は、近代産業網構造の中枢を破壊することで産業網全体を機能停止に追いやることです。近代産業網は巨大化しているため単独で工業製品なり兵器なりを製造生産することは不可能です。その結果その産業網の集中する場所、つまり中枢が発生します。それは例えば製造業なら製鉄所、陸運なら鉄道の貨物ヤード、海運なら港湾施設、そして近代産業には必要不可欠な発電所もです。
この中枢を叩かれてしまうとその影響は極めて甚大です。製造業は操業できないし運輸だったら輸送網は麻痺してしまうでしょう。この産業網の中枢を破壊するあるいは敵から防御することが戦争において肝要なのです。
今回の場合は、ダムを破壊すれば水力発電が不能になってしまうので、この発電所から電力の供給を受けているルール工業地帯はたまったものではありません。

・・・脱線してしまいましたが、そういうことです。敵の弱点を突いた作戦なわけですが、こういうのはアメリカ軍の得意技で、イギリスは特にそういうことやらない印象です。どうしたったんだろ。

ていうかダムを破壊するのに普通に水平爆撃するんじゃダメなの?って話なんですが、たぶんそれをやるには相当な精密爆撃が必要で、当時の技術ではそりゃ無理じゃろうというところですかね。現代のスマート爆弾とかがあれば別でしょうけど。
であれば低空侵入して魚雷でも打ち込めばいいんですけど、そんなことはドイツも想定済みで魚雷防御用の網をダム湖に張り巡らせているのでした。そこで考えられたのが網の上を飛び越える反跳爆弾だったわけです。
アップキープは超低空で投下しないと水切りしないみたいで、水面から18mっていうえぐい低高度で侵入して爆弾を投下したみたいです。未帰還機もそりゃ出たそうな。
作戦は成功してダムは決壊したわけですが、それがルール工業地帯にどういう影響を与えたかを言及しているところは見つからず。そこが大事でしょーに。英語かドイツ語の文献漁れば見つかるかもしれませんが、そこまで脱線したくないので次に行きます。


これは4,000ポンド大容量Mk I爆弾ブロックバスターです。
爆弾というか爆薬の入った筒という具合で、空力的には悪いと思います。ちゃんと狙ったところに落とせるものなのかしら。


あーまたテキサンね、知ってる知ってる・・・いやなんか微妙に違う。
よく見るとこれはノースアメリカン・イェール(1936年初飛行)でした。初めて見たわね。ノースアメリカンの社内型番だとNA-64と呼びます。
イェールの次に開発される練習機がテキサン/ハーバードなので、似ているのはある意味当然です。


まずアメリカ陸軍のBT-9という初等練習機が有りにけり。胴体が鋼管羽布張りの古臭い構造でしたがスタイリングはイェールと酷似するものでした。というかBT-9の胴体を全金製にしたのがイェールとも言えますが。アメリカ陸軍もBT-14という型番で採用したらしいですが、ここらへんの経緯はなんだか複雑そうなのでパスします(手抜き)


主翼を見ると胴体のすぐ横の部分にフチが出っ張っています。これはこのフチを境に主翼を分解することができるようになっています。これ、ダグラスDC-3を始めとした当時のダグラス機によく見られる手法です。もっというと、イェールの主翼の平面形はDC-3のそれと酷似した形状となっています。どういうことなの・・・。


テキサンよりも少し胴体が細いかな?
イェールは、元々フランス向けに生産されていた機体でした。230機の大量発注だったんですが、納品の途中1940年6月にフランスはドイツのちょび髭に降参してしまい、残りの120機ほどが行き場を失ってしまいました。ひどい話だ。
で、在庫と化したイェールはイギリスに押し付けることにして、イギリスは当時パイロット養成を行っていたカナダにイェールを送りつけて中間練習機として運用することにしました。
しかし数年後に中間練習機はいらないねと判断されてしまい、練習機からは撤退して無線訓練機に再就職した模様。持て余してたような気もして、戦後になるとすぐに退役しました。
このまま全部廃棄処分のつもりでしたが、アーニー・シモンズという農場主が何を考えたか39機のイェールを大量購入して農場に保管しました。39機ってまじでどういうつもりなの。結局彼の存命中には有効活用されないままでしたが、亡くなった後に機体はオークションに掛けられて売却、散逸していきました。しかし彼が購入しなければこれだけの数は現存しなかったと言われています。おかげで現在も10機程度が動態保存されている模様です。

この個体は中間練習機として使用されていた時代の形態を再現しています。20年掛けて飛行可能状態に復元したということですから、農場から購入した時は状態が悪かったんじゃないでしょうか。とはいえ形が残っていればどうにかなるということでもあると思います。


御存知、スーパーマリン・スピットファイアLF Mk XVIe(1936年初飛行)です。派生型が多すぎて、その全容を把握できるのはイギリス人くらいだろというスピットファイアですが、これはその好例と言えましょう。
スピットファイアだけ数えてもマークナンバーが24まであるのははっきり言って異常だと思いますが、それに加えて搭載エンジンと武装の仕方、あとは場合によっては主翼の形状によって細かく型式を分けることができます。全身が痒くなりそう。
とりあえずこのスピットファイアの型式を見てみると、LF Mk XVIeですな。まずLFですが、これは搭載しているマーリンエンジンが低高度戦闘用にチューンされたことを示しています。低高度では最強クラスのドイツ空軍のFw190戦闘機対策といったところでしょう。低高度型がLFということで、通常型はF、高高度型はHFというのもあります。


なお、これは私含めて勘違いされがちですが、LF、F、HFというサブタイプはあくまでエンジンの性能を示したもので、主翼の形状(短翼、通常翼、延長翼)を指すものではありません。LF型でも通常翼で運用されていた機体もあったみたいですよ。
なので、ぶっちゃけ機体をただ見ただけではLF、F、HFの違いはよく分からないわけです。よって表記が省略されることもしばしば。
一方この個体は分かりやすいもので、主翼形状がLF型用の短翼になっています。主翼の端を切り落として面積を少なくしたものです。面積減少によってロール性能が向上したのです。ちなみに翼端形状はちょっとした交換作業で換装できるらしい。



型式のMk XVIはマークナンバーです。ローマ数字で書いてあるので分かりにくいですが要はMk.16です。かっこつけてマークナンバーをローマ数字で書いたのはいいけどここまで派生型が増えるとはイギリス人も思ってなかったはず。
その後ろ、最後についているeは主翼に収められている機関銃の種類を示しています。A翼からE翼までの5種類があります。ただしD翼は武装を降ろして空いた空間に燃料タンクを詰めた偵察機用の装備なので実質4種類ですが。なのでこの個体の場合E翼となります。
E翼は20mm機関砲と12.7mm機関銃を2門ずつ(片側各1門)装備あるいは20mm機関砲4門装備という内容です。この機体の場合は前者かな。
機関砲は本当なら主翼の内側に収まっている方がいいんですけど、さすがに入りきらないか。主翼から飛び出た銃身は本来は覆いが被せられているんですが、これはなぜか覆いが外れていました。銃身の様子がわかるのでこれはこれで良いですが。


Mk XVIのエンジンはパッカード・マーリン266型。266型は、66型をアメリカのパッカード社がライセンス生産したものです。66型は61型の低高度型です。61型はインタークラー付き2段2速過給器を備えたマーリンエンジンの完成形と言えるものです。
Mk XVIというのは、Mk IXとほぼ同型の機体です。Mk IXがマーリン61型を積んだのに対してMk XVIはそれのパッカード版を搭載したものです。
Mk XVIは1944年7月から生産を始めています。そこから1年経たずにドイツは降伏するわけですが、そんな状況でも1,000機造っちゃってるんで、すげえなと。同型のMk IXは1942年から1945年夏までの間に5,900機くらい生産したんで、どえらい数だなと。


正面から。スピットファイアの完成形をご覧あれ。
説明板の左にある白い箱は募金箱です。ここだけに限らず館内のあちこちにこういう募金箱があります。航空博物館や鉄道博物館にいくと募金箱はよく目に入ります。
この飛行機を気に入ったなら募金してクレメンス、というところでしょうか。なにせ機体の維持にはお金が必要ですので、このくらいがめつくて良いと思いますけどね。日本でもこのくらい積極的でもいいんじゃないかといつも感じます。


脚ですね。
この個体は、1945年ビッカース製です。どうも実戦投入はされなかったらしく、戦後にイギリス空軍の飛行学校で使われていたようです。最後は事故を起こして破損して終えます。その後1960年にイギリスからカナダ航空宇宙博物館に寄贈されました。そこから、当館に貸与されています。これは静態保存機です。
塗装はカナダ空軍第416飛行隊シティ・オブ・オシャワの仕様なのだそうな。


Mk XVIは製造時期によって風防が従来のファストバック型と後方視界を良くした涙滴型に分けられます。これは後者です。涙滴風防への設計変更は1945年に入ってからの製造分で実施されたみたい。このとき同時期にE翼への変更もされたみたいです。


涙滴風防に変更すると直進安定性が低下したんで、それを補うため垂直尾翼を大型化しています。
類的風防型までなるともう原型のスピットファイアとは似て非なる形状になっているのです。


短翼の形状はこんな感じです。

というところで今日はここまで。


その11へ→



 
 
 

北米project 5 ~How do you like Canada? その9【2016/6/15~22】

2022-02-12 07:57:00 | 海外旅行記
カナダ軍用機歴史博物館の続きです。次はホーカー・ハリケーンです。とは言ってもこれはレプリカであります。なので資料的にはあまり見るところはないですが、こんな形だというのはよく分かるのでヨシ。
たぶんMk IIBか、それのカナダ製であるMk XIIを模して作られたものだと思います。この型式は7.7mm機銃を12丁も装備した重装備型です。7.7mm機銃弾自体は威力が比較的低めですが、12丁も撃ちまくると流石に効くと見られます。ただし重量増とコストで不利なのもあって、対策として後に20mm機関砲4門装備の主翼が造られるようになっています。


胴体の後半は鋼管羽布張りというこの時代にしては旧来の工法。


実機を見るたびに感じることですが、戦闘機の主翼の厚さじゃないよな・・・。練習機かな?
赤い部分に機関銃が隠されています。この赤いものは封印シールで、機関銃をホコリから保護する目的があります。ただのシールなので、機銃を撃てばシールを貫通してそのまま使えるようになります。


機体の記号はYO◎Aになっていて、これは第二次世界大戦に初めて参加したカナダ空軍部隊のものですね。第1飛行隊だったと思います。


コンソリデーテッドPBY-5Aカンソーです。アメリカ海軍の傑作飛行艇PBYカタリナのカナダ空軍での呼称です。
カナダのカナディアン・ビッカースでライセンス生産もしていてそれはPBVという型式名です。ついでに書くとボーイングでもライセンス生産していて、それはPB2Bという型式名。どれも同じ機体なんですけど、複数メーカーに跨って生産されると識別がややこしいのがアメリカ海軍式の型式命名規則なのです。これ、少量多機種の航空機を保有していた戦間期には適していたんでしょうけども、第二次世界大戦になるとちょっと無理が出てきましたね。なお似たような命名規則をしていたのが日本海軍であります。アメリカ海軍のを真似たんじゃないかなぁ。


この博物館のカンソーの個体は、カナディアン・ビッカース製です。なので正確にはPBVという型式名になりますが、ここは博物館の表記にならいますかね。1944年製で1961年までカナダ空軍に就役していました。その後民間に払い下げられて1995年まで使われた後、博物館入りした模様。たぶん博物館入りするまでの間に外観が改造されていると思われ、機首の機銃座が無くなっています。機首の先端にはゴムのバンパーが付けられているように見えます。


主翼と胴体は密着しておらずに1本の柱を介して少し離した位置にあります。支柱が4本あるとはいえ少し不安になりそうな構造をしています。これはエンジンが海水をかぶらないようにする対策だろうと思いまする。
ちなみに博物館入りするまで現役やってたからか、このカンソーは今も飛行可能な状態を維持しています。


PBYは唯一無二と言っていいスタイリングをしているし素敵。


水上機には、水面で機体が横転しないよう主翼の端にフロートが付いているものです。PBYにも当然付いています。しかしフロートとそれを主翼と繋ぐ柱は飛行中は空気抵抗になる邪魔者でしかないです。そこでPBYでは、フロートと柱を折りたたんで主翼と一体化させてしまうという超素敵装置を持っているのです。
ただ、PBYは最高速度300km/hしないくらいで言うほど高速機ではないので、折りたたみ機構がどこまで効果があったのかは疑問でありますが。まあかっこいいのでヨシ。
PBYは今まで何機か見ましたが、フロートを畳んでいる機体は初めて見たのでちょっと感動です。


第二次世界大戦時、カナダ空軍のPBYは11個の飛行隊で運用され、沿岸警備、船団護衛、Uボート狩りなど多様な任務をこなす雑用機でありました。戦後は救難救助や写真偵察で活躍して1962年11月に全機退役しました。


デ・ハビランドDH.100バンパイアFB.6です。イギリスで2番目に開発されたジェット戦闘機です。2番目ですけど、1番目のミーティアよりも広く普及しましたね。2番目の方が成功する法則です。
カナダ空軍でも第二次世界大戦後のジェット戦闘機にバンパイアを採用しました。バンパイアMk.3 (F.3) を1947年に輸入して1948年1月に初飛行、同年後半に第401飛行隊に配備されたのを皮切りに85機が配備されました。ただしすぐに性能が陳腐化してしまい1951年にはF-86セイバーに取って代わられています。その後は6個の予備飛行隊に配備されて1956年末で退役したみたいです。


この個体はカナダ空軍とは関係なくて、スイス空軍で使用されたFB.6型なのです。1960年にスイスで製造されたバンパイアの最終製造機だそうな。ライセンス生産機でも胴体はベニヤ製だったのかしら?見た感じ、リベットのようなものは見受けられないので木製のような感じがしますが・・・。
スイス空軍では長いことバンパイアを使っていて、これは1995年に退役しました。退役当時から見ても化石みたいな存在だったでしょう。
スイスのFB.6型の外観の特徴として機首の鼻が長いことが挙げられます。なんで長いのかはちょっと調べても分からんかったです・・・。長鼻なのでピノキオノーズと呼ばれてたとかそうじゃないとか。


前脚とか機関銃とか。


空気取入口ですね。


ジェット排気のロスを無くすために胴体をめちゃくちゃ短くしました、という形状。大胆なこと考えます。
ちなみにですけど、バンパイアはアメリカの航空博物館ではまず見ることのできない機種です。一応ごく一部の博物館で静態保存展示されていますが(こことか)、スミソニアンやデイトンのアメリカ空軍博物館といった有名所にはいないのはなんだか意外だと言えます。隣国のカナダにはぼちぼちいるので、地域性が出てるなという印象。


スイスの機体ですが、カナダ空軍の塗装で展示されています。第400予備飛行隊「シティ・オブ・トロント」の再現なんだそうな。


後ろから。双ブームの尾翼がやはり大胆な設計だなと。

というところで今日はここまで。


その9へ→



【1/144HG】STH-05R漏影(機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ)【ギャラリー】

2022-02-05 22:38:55 | 模型ギャラリー
キット:HG-IBO#32漏影(バンダイ)
仕 様:素組
製作記はありません

「機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ」から、テイワズのMS漏影です。テイワズのMSは個性的なものばかりですが、この漏影や百錬は重MS的な重厚さがお気に入りです。
製作にあたっては完全に素組で仕上げました。塗装は、使用を止めたアクリジョンの在庫処分を兼ねたこともあって、筆塗りで仕上げています。


前側。


後ろ側。


設定的には漏影は百錬を偽装するために装甲を換装したものです。偽装するために百錬の顔にお面をつけて素性を隠しているところが素敵です。顔ごと変えるというわけにはいかなかったか。
結構印象的なパーツなので、お面は黒鉄色に塗って目立つようにしています。


百錬の流れをくむMSなのでプラモの方も一部百錬の部品を流用して作ります。そのため余る部品も出てくるのですが、百錬用の武器が丸々余るのは美味しい点です。
漏影用のハンドガンは似合わないなと思ったので、右手に輪胴式グレネードランチャー、左手に百錬用ライフルを付けました。グレネードランチャーはMSオプションセットから持ってきました。








エイハブリアクターは銅色で塗るのがマイルール。


以上、漏影でした。