カナダ軍用機歴史博物館の続きです。
こちらはダグラスC-47ダコタ。さっき牽引車で動かされていたやつね。
御存知、第二次世界大戦で大量生産されたアメリカの輸送機です。アメリカ軍はもとよりイギリス軍を始めとした連合国にも供与されたこともあってチーム1万機の一員です。ソ連と日本でライセンス生産されたものも含めるともう5千機くらい膨れるみたいですけど。
この手の輸送機・旅客機の供給はアメリカがほぼ独占していたようなものですから、戦後の旅客機製造ビジネスでの覇権をアメリカが握れたのも納得のいくものです。
カナダ空軍では最大169機が配備されて、カナダ国内には4個輸送飛行隊と数個の回航飛行隊で編成されていたそうな。海外の前線ではインドやビルマといったアジア戦線で数個の飛行隊が編成されておりました。
最後の1機は1989年まで使われていました。結構長生きだったのね。
この個体はアメリカ製で、はじめイギリス軍向けに納品されたものが1944年にカナダ空軍へ移管された機体です。戦後もカナダ空軍で使用されカナダにゆかりがあります。
1973年にカナダ空軍から退役した後、環境省(当時)に天下り再就職して鉱物や環境の調査活動を仕事としました。2014年に環境・気候変動省を退職して当館に寄贈され現在に至ります。
どのくらい実働状態だったかは知りませぬが一応最近まで現役にあったはずで、随分長いこと稼働状態だったことになります。そのおかげかここに寄贈後も飛行可能状態を維持しています。登録記号C-GRSBも有効な状態です。
機体塗装は天下り環境省時代のもの。ただし2022年時点では塗装が塗り替えられていて、カナダ空軍第437飛行隊時代の茶色の迷彩色(機体番号FZ692)になっているそうな。
C-47なので大型貨物扉の付いたやつです。
C-47は双発輸送機なのでまあそれなりに大型なんですが、それがすっぽり収まってしまってまだ余りあるこの格納庫の広さよ、ということです。
C-47の脇にあるこのでかいドラム缶みたいなやつ。これはランカスターの逸話の中でも有名な「ダムバスターズ」で知られるドイツのダム破壊任務「チャスタイズ作戦」で使われたアップキープ反跳爆弾のレプリカです。C-47の脇に置いてありますが、本来は今は表でエンジンをぶん回しているランカスターに関連する展示物でしょう。
反跳爆弾というのは、爆弾が爆撃機から投下され水面に着水後、回転しながら水面を跳ねて前進して目標を破壊する兵器です。水切りで使う石をめちゃくちゃでかくしたようなもの・・・かな。そう、俗に言う「英国面」のひとつ。
英国面というと失敗兵器だったり欠陥兵器だったりしますが反跳爆弾は実戦で成果を挙げています。英国面にだって立派なものもあるんだぞ。
アップキープの寸法は長さ152cm、直径142cmで、炸薬量は4.2t。投下前には爆弾が水切りするように高速回転をかけていたそうな。なお爆弾倉の広いランカスターと言えどもアップキープは規格外の大きさだったので、爆弾倉の扉を外して機外搭載せざるを得ず、しかも回転を掛けるための専用の器具も付けていたそうな。
チャスタイズ作戦のジオラマですね。ダムの上流からランカスターが迫ってきて超低高度からアップキープを投下しようとしているところです。
この水力発電用のダムを破壊する目的は、近代産業網構造の中枢を破壊することで産業網全体を機能停止に追いやることです。近代産業網は巨大化しているため単独で工業製品なり兵器なりを製造生産することは不可能です。その結果その産業網の集中する場所、つまり中枢が発生します。それは例えば製造業なら製鉄所、陸運なら鉄道の貨物ヤード、海運なら港湾施設、そして近代産業には必要不可欠な発電所もです。
この中枢を叩かれてしまうとその影響は極めて甚大です。製造業は操業できないし運輸だったら輸送網は麻痺してしまうでしょう。この産業網の中枢を破壊するあるいは敵から防御することが戦争において肝要なのです。
今回の場合は、ダムを破壊すれば水力発電が不能になってしまうので、この発電所から電力の供給を受けているルール工業地帯はたまったものではありません。
・・・脱線してしまいましたが、そういうことです。敵の弱点を突いた作戦なわけですが、こういうのはアメリカ軍の得意技で、イギリスは特にそういうことやらない印象です。どうしたったんだろ。
ていうかダムを破壊するのに普通に水平爆撃するんじゃダメなの?って話なんですが、たぶんそれをやるには相当な精密爆撃が必要で、当時の技術ではそりゃ無理じゃろうというところですかね。現代のスマート爆弾とかがあれば別でしょうけど。
であれば低空侵入して魚雷でも打ち込めばいいんですけど、そんなことはドイツも想定済みで魚雷防御用の網をダム湖に張り巡らせているのでした。そこで考えられたのが網の上を飛び越える反跳爆弾だったわけです。
アップキープは超低空で投下しないと水切りしないみたいで、水面から18mっていうえぐい低高度で侵入して爆弾を投下したみたいです。未帰還機もそりゃ出たそうな。
作戦は成功してダムは決壊したわけですが、それがルール工業地帯にどういう影響を与えたかを言及しているところは見つからず。そこが大事でしょーに。英語かドイツ語の文献漁れば見つかるかもしれませんが、そこまで脱線したくないので次に行きます。
これは4,000ポンド大容量Mk I爆弾ブロックバスターです。
爆弾というか爆薬の入った筒という具合で、空力的には悪いと思います。ちゃんと狙ったところに落とせるものなのかしら。
あーまたテキサンね、知ってる知ってる・・・いやなんか微妙に違う。
よく見るとこれはノースアメリカン・イェール(1936年初飛行)でした。初めて見たわね。ノースアメリカンの社内型番だとNA-64と呼びます。
イェールの次に開発される練習機がテキサン/ハーバードなので、似ているのはある意味当然です。
まずアメリカ陸軍のBT-9という初等練習機が有りにけり。胴体が鋼管羽布張りの古臭い構造でしたがスタイリングはイェールと酷似するものでした。というかBT-9の胴体を全金製にしたのがイェールとも言えますが。アメリカ陸軍もBT-14という型番で採用したらしいですが、ここらへんの経緯はなんだか複雑そうなのでパスします(手抜き)
主翼を見ると胴体のすぐ横の部分にフチが出っ張っています。これはこのフチを境に主翼を分解することができるようになっています。これ、ダグラスDC-3を始めとした当時のダグラス機によく見られる手法です。もっというと、イェールの主翼の平面形はDC-3のそれと酷似した形状となっています。どういうことなの・・・。
テキサンよりも少し胴体が細いかな?
イェールは、元々フランス向けに生産されていた機体でした。230機の大量発注だったんですが、納品の途中1940年6月にフランスはドイツのちょび髭に降参してしまい、残りの120機ほどが行き場を失ってしまいました。ひどい話だ。
で、在庫と化したイェールはイギリスに押し付けることにして、イギリスは当時パイロット養成を行っていたカナダにイェールを送りつけて中間練習機として運用することにしました。
しかし数年後に中間練習機はいらないねと判断されてしまい、練習機からは撤退して無線訓練機に再就職した模様。持て余してたような気もして、戦後になるとすぐに退役しました。
このまま全部廃棄処分のつもりでしたが、アーニー・シモンズという農場主が何を考えたか39機のイェールを大量購入して農場に保管しました。39機ってまじでどういうつもりなの。結局彼の存命中には有効活用されないままでしたが、亡くなった後に機体はオークションに掛けられて売却、散逸していきました。しかし彼が購入しなければこれだけの数は現存しなかったと言われています。おかげで現在も10機程度が動態保存されている模様です。
この個体は中間練習機として使用されていた時代の形態を再現しています。20年掛けて飛行可能状態に復元したということですから、農場から購入した時は状態が悪かったんじゃないでしょうか。とはいえ形が残っていればどうにかなるということでもあると思います。
御存知、スーパーマリン・スピットファイアLF Mk XVIe(1936年初飛行)です。派生型が多すぎて、その全容を把握できるのはイギリス人くらいだろというスピットファイアですが、これはその好例と言えましょう。
スピットファイアだけ数えてもマークナンバーが24まであるのははっきり言って異常だと思いますが、それに加えて搭載エンジンと武装の仕方、あとは場合によっては主翼の形状によって細かく型式を分けることができます。全身が痒くなりそう。
とりあえずこのスピットファイアの型式を見てみると、LF Mk XVIeですな。まずLFですが、これは搭載しているマーリンエンジンが低高度戦闘用にチューンされたことを示しています。低高度では最強クラスのドイツ空軍のFw190戦闘機対策といったところでしょう。低高度型がLFということで、通常型はF、高高度型はHFというのもあります。
なお、これは私含めて勘違いされがちですが、LF、F、HFというサブタイプはあくまでエンジンの性能を示したもので、主翼の形状(短翼、通常翼、延長翼)を指すものではありません。LF型でも通常翼で運用されていた機体もあったみたいですよ。
なので、ぶっちゃけ機体をただ見ただけではLF、F、HFの違いはよく分からないわけです。よって表記が省略されることもしばしば。
一方この個体は分かりやすいもので、主翼形状がLF型用の短翼になっています。主翼の端を切り落として面積を少なくしたものです。面積減少によってロール性能が向上したのです。ちなみに翼端形状はちょっとした交換作業で換装できるらしい。
型式のMk XVIはマークナンバーです。ローマ数字で書いてあるので分かりにくいですが要はMk.16です。かっこつけてマークナンバーをローマ数字で書いたのはいいけどここまで派生型が増えるとはイギリス人も思ってなかったはず。
その後ろ、最後についているeは主翼に収められている機関銃の種類を示しています。A翼からE翼までの5種類があります。ただしD翼は武装を降ろして空いた空間に燃料タンクを詰めた偵察機用の装備なので実質4種類ですが。なのでこの個体の場合E翼となります。
E翼は20mm機関砲と12.7mm機関銃を2門ずつ(片側各1門)装備あるいは20mm機関砲4門装備という内容です。この機体の場合は前者かな。
機関砲は本当なら主翼の内側に収まっている方がいいんですけど、さすがに入りきらないか。主翼から飛び出た銃身は本来は覆いが被せられているんですが、これはなぜか覆いが外れていました。銃身の様子がわかるのでこれはこれで良いですが。
Mk XVIのエンジンはパッカード・マーリン266型。266型は、66型をアメリカのパッカード社がライセンス生産したものです。66型は61型の低高度型です。61型はインタークラー付き2段2速過給器を備えたマーリンエンジンの完成形と言えるものです。
Mk XVIというのは、Mk IXとほぼ同型の機体です。Mk IXがマーリン61型を積んだのに対してMk XVIはそれのパッカード版を搭載したものです。
Mk XVIは1944年7月から生産を始めています。そこから1年経たずにドイツは降伏するわけですが、そんな状況でも1,000機造っちゃってるんで、すげえなと。同型のMk IXは1942年から1945年夏までの間に5,900機くらい生産したんで、どえらい数だなと。
正面から。スピットファイアの完成形をご覧あれ。
説明板の左にある白い箱は募金箱です。ここだけに限らず館内のあちこちにこういう募金箱があります。航空博物館や鉄道博物館にいくと募金箱はよく目に入ります。
この飛行機を気に入ったなら募金してクレメンス、というところでしょうか。なにせ機体の維持にはお金が必要ですので、このくらいがめつくて良いと思いますけどね。日本でもこのくらい積極的でもいいんじゃないかといつも感じます。
脚ですね。
この個体は、1945年ビッカース製です。どうも実戦投入はされなかったらしく、戦後にイギリス空軍の飛行学校で使われていたようです。最後は事故を起こして破損して終えます。その後1960年にイギリスからカナダ航空宇宙博物館に寄贈されました。そこから、当館に貸与されています。これは静態保存機です。
塗装はカナダ空軍第416飛行隊シティ・オブ・オシャワの仕様なのだそうな。
Mk XVIは製造時期によって風防が従来のファストバック型と後方視界を良くした涙滴型に分けられます。これは後者です。涙滴風防への設計変更は1945年に入ってからの製造分で実施されたみたい。このとき同時期にE翼への変更もされたみたいです。
涙滴風防に変更すると直進安定性が低下したんで、それを補うため垂直尾翼を大型化しています。
類的風防型までなるともう原型のスピットファイアとは似て非なる形状になっているのです。
短翼の形状はこんな感じです。
というところで今日はここまで。
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