棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

25-友の遍路便り--番外編

2009-05-23 11:48:48 | 四国遍路
娑婆の悩みが深いこそ、心から弘法大師に帰依する旅が遍路なのであろうが、人間そおわ行ききらないもの。
以前にブログで「衆生愛欲曼荼羅」を連載しましたが、人の世のカルマについて考えたものでもありました。
大小どんな社会(人がいれば)でも、を張る人がいます。信仰の世界になると、醜き我が、信仰の証しであり、正しい行為だと信じている。他者からは、こっけいではあるが恐ろしく強い。彼らの信仰はなによりも強い盾(小宇宙化)であり、槍になってしまう。
いつも引き合いに出す「高田慎快」さんの著書からですが、46番浄瑠璃時の記載に、門前に長珍屋(ちょうちんや)という遍路宿がある。
寺で出会った女遍路と話すうちに、悩みを聞いてほしいといわれた。たくさんの遍路たちが集まり、身の上話を嘆き会い、いたわり合う。
そんな仲に、筋ジストロフィーの18歳の息子を連れた親子がいた。母親が息子を背負い、父親が運転をしながらの遍路であった。
「和尚さんはどおお考えですか」と、そのこの将来のありかたを問われ、私は頭を抱えてしまった。・・・・・

遍路が観光化したとはいっても、テクテク歩く遍路は多くの人間模様をみることでしょう。
いよいよ松山に近ずいてきたようです。娑婆世界にどっぷりつかりながら、その娑婆地獄を眺めてみる精神力を養っていきましょう。
写真はお隣の花壇から

24-友の遍路便り-へばりついてる娑婆世界

2009-05-23 09:19:44 | 四国遍路
昨夜11時にはいったメールから紹介しましょう
遍路ジャンキーおやじにきおつけよう。
寺の通夜堂などの無料宿泊施設などに、遍路ジャンキーなおっちゃん連がいたりします。
聞きたくも無い自慢話が延々と続き 、自分がそこの主のように振る舞います。 全く迷惑で、自分たちのやるべき事が全く出来無い。
何かと講釈を語り、疲れ果てても泊めてくれようともしません。まるで牢名主きぶんだ。
『ここは疲れ果ててたどり着いた遍路たち皆が使う施設であり、寺の善意のところだ。貴方たちの私物でわ無い!』
酷いのはそこに住んでいるような奴もいる。そして『俺は何回も回っている。と 講釈がはしまる
『そうゆう遍路ジャンキーおやじ 本当に仏教知ってるの!何回も回って何悟れたの?一生輪廻の輪をグルグル回る、遍路の皮を被ったホームレスになり 宿で会った人に延々と 自慢話と講釈してるでしょう… 。
写真は昨夜22日の宿泊地--47番八坂寺


ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本