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棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

かんぴょう

2018-08-11 18:44:58 | 山郷の暮し
雨の気配がある夕方の散歩でお婆ちゃんが「兄さん、干瓢もっていきましょ」とでっかいやつをつきだす。
「食べ方を知らないし、いいですよ」とご辞退したが、どうしてもと言うことになってしまった。
正直 それを持って帰路に着くには重過ぎる。
足元に小さいやつがあったので「お婆ちゃん、それでいいわい・・。」
「小さいやつはまずいから、コレにしましょ」と中型ものと小さなもの。

一度湯がいて灰汁を取るのだそうだ。

犬のハナが運んでくれるわけでなし・・。ありがたいがしんどかった。
家に着いたときは腕はビリビリと、しばらくは上げることもできなかった。

味噌汁・鉄火とういろいろ調理ができるようだが、晩酌には向きそうにも無い。

人類の愚行を観る私

2018-08-09 16:13:53 | 山郷の暮し
人類が絶対に忘れてはならない日です。
冒頭の作品は80年代に描いた「人類の愚行を観る私」F30です。
60-70年代にかけるベトナム戦争が終焉しても紛争は収まらず、中東地域へと広まっていった。
安保闘争からベトナム戦争反対とじっとしていられなかった時代、
絵を描く者として「人類の絶対してはならない愚行」
として戦争や紛争などをテーマとしとた作品を制作してきた。
残念ですが原子爆弾はますます拡散し平和は遠のいていきます。
この作品の題名を「人類の終焉を観る私」にならないようにしなければなりません。


2010年に「終戦65周年 人類の愚行を描く」と個展を開催した。
終戦75周年に向けて新たな作品と、展示会を練っている。

偽りのマリヤ

地獄図部分

話を作品に戻しますと、しっかりとした構図でよく練られている画面だと思えます。
制作当時は日展系の画壇に属していましたが評価はひくく、むしろ倦厭されたくらいでした。
政治的や宗教的な作品を嫌う日本画壇そのものを知らされていきました。

ある兵士の帰国・・蝉殻を使ったオブジェ

残念なニースがありました。
普天間飛行場の辺野古への移転阻止を貫いた翁長知事の死去に「あまりに急すぎる」と、
移設反対派らから惜しむ声が相次いだ。
気骨のある政治家であったと思います。


8月6日 白日夢

2018-08-06 09:38:00 | 山郷の暮し
18-8-6 広島原爆投下--平和記念
今日は広島原爆記念日。1945年と同じ月曜日だとニースでしりました。
同じような猛暑のなか、戦時下であえぐ人々を一瞬に地獄の業火に包んでしまった。
いまさら私がつたない言葉を綴っても虚しく、平和記念での阿部首相の挨拶と同じく実のない虚しさをんじます。

「8月6日 白日夢」F50
この作品は昨年に制作したもので、松本の町とアルプスが一望できる高台の畑地からのものです。
山梨から帰る中途のことで、今でもしっかり脳裏に焼きついています。
湧き上がる入道雲に雷がしきりと輝き、アルプス連山は黒雲に掻き消え集中豪雨が振り出す。
畑仕事をしていたご夫婦が雨風に押されるように帰路に着く。
思わず「すげーー。」と感じ、これは絵になると直感した。

当初は観た情景を描き出すことであったが、しだいに其れだけでは意図として満足ができなくなった。
そんなとき迎えたのが8月6日であった。
平和式典の中継を観ている内に閃いたのが、原爆投下をイメージした作品にすることであった。
雷雲のたれこめた黒雲は、原爆の黒い雲であり、最手前のヒマワリは、被災された人々を象徴した。
それで一応完成とした。


今年の春にこの作品をあらためて観ている内に、完成はしているのだがなにか物足りない。
高まる感情のまま描いてはいるが、体験者の描いた絵にトテモ及ばない。
ならば、もっとシュールにしようと、私の作品で時折登場する「分身」ともいえる少女を描き、構成を変える。
「8月6日白日夢」とした。
しかし、言うまでも無いが、原爆投下は現実のものであった。
被爆国である日本が核兵器禁止条約を批准せず、今日の首相挨拶にも触れることが無かった。 

早朝の田園

2018-08-01 10:27:44 | 山郷の暮し
熱いです。くそ暑いです。
先ほど宅急便のおっちゃんが「松本のさわやかな夏は何処へ行ったダイ!!!。」と汗を噴出し品物をとどけてくれた。
さわやか信州の夏は刺すような陽射しで、元気なのは油蝉のみ、一層暑く感じる。
それでも楽な方なのでしょうが、日中は犬のハナとともにグたーーとしています。

本当に暑い地方の方々にはもうしわけが無いのですが、朝は本当にさわやかで農道の散歩は信州ってイイなーーとしみじみ思います。
緑色の稲の絨毯が広がり、朝露が宝石のごとく輝き、柔らかな風でハラハラと消えていきます。
そんな田んぼにわが身を映してみれば、影の輪郭が後光のように輝きます。
光と水滴の微妙な現象なのでしょうが、これはなんとも心地よくなり、わが身に手を合わせてしまいます。
写真では判りにくいと思いますが、朝日が昇りきらない時間帯に見ることができます。
もし、田園地帯に出かけることがあったら、早朝の散歩をお勧めいたします。

話を少し広げますとわが身が後光のごとく光り輝く現象で有名なのが、山などで起きるブロッケン現象です。
私も数度経験がありますが、ボヤーとした輪郭が虹色になり、幻想的な神々しさに感動しました。




コレは高山に限らず、霧などが立ち込め背後から光を受けたときなど、霧の中に浮かび上がります。
実は我が家の玄関先数メートルさきは落ち込み、花畑になっています。
秋から冬にかけ一帯に濃い霧が立ち込めると、背後から受けた街灯でブロッケン現象が起きます。
写真に撮ったことはありませんが、今度機会があったらフラッシュでもたいて--笑い--挑戦してみましょう。


稲作

2018-07-29 06:48:34 | 山郷の暮し
台風12号の影響なのでしょうか、今朝の散歩は霧雨が流れ、まるで緑色の空気の中を歩んでいるようなまことに心地よいものでした。
連日の強い日差しも無く、小雨が降ったりと楽な一日でした。

アルプスが隠れています

 下記のものは昨日書いたものです。
朝一の散歩は直射日光が照らす前の農道を歩みます。
50センチほど成長した稲は緩やかな風になびき、朝日を受けるとキラキラと輝く風の足跡を創り、一句でも浮かび出ないかなーと思い立ち止まっても、
オシッコをしているのではないかと思われるくらいだ。
 
 よく行き会うおじさんに「毎日大変ですねー」と声かければ「草取りをしなくちゃー。」
私には????で、草刈でなくて草取りとは。
畦の草刈ではなく田んぼに生えている雑草(名前を忘れた)を抜くのだそうだ。
農協の指導のまま除草剤を撒くのだが3年ほど前から効きが悪い。
原因が気温の上昇なのか、雑草が対抗性をもったのかわからず次々と高い農薬を買わされる、とぼやいた。
「オラとこはマメに除草するけんど、そうでないところもあるもんでうまくいかねえわけせ」
田んぼの水は共有なので雑草の種などが流れ込んでしまう、ということだ。

 ハナの谷は100メートルに満たない狭い地形です。米どころ安曇野のような広い田んぼはありません。

 米以外の種が入ると等級が落ち安くなってしまう。
精米では雑草の種を選別するセンサーが開発されているようだが、農協では苦労をしているようだ。
 雑草ではないが、赤米で代表される色つき米も大いに問題で、いつのまにか入り込んでしまう。
始末の悪いことにそれが判らないことだと言う。
 
 いろいろと説明を受けたが、米作は安定しもっとも楽な農作物などと聞くことがあるが、一等米を生産するのはそりゃもー大変なことだ。
親父さんは最後に「農協の言われるまま肥料や農薬を買わされているが、米を買ってくれるときは難癖をつけられ安く買われるンネ。」

 私は話を聞いているうちに無農薬農耕を始めた友のことを思い出した。
可能な限り農薬を使わないようにしていたが、「害虫が出て困る。やめてくれ!!!。」と村八分になってしまった。
様々ないやがらせにあい、結局は自粛せざるを得なくなってしまったと・・。

稲作

2018-07-28 18:02:25 | 山郷の暮し
台風12号の影響なのでしょうか、今朝の散歩は霧雨が流れ、まるで緑色の空気の中を歩んでいるようなまことに心地よいものでした。
連日の強い日差しも無く、小雨が降ったりと楽な一日でした。

アルプスが隠れています

 下記のものは昨日書いたものです。
朝一の散歩は直射日光が照らす前の農道を歩みます。
50センチほど成長した稲は緩やかな風になびき、朝日を受けるとキラキラと輝く風の足跡を創り、一句でも浮かび出ないかなーと思い立ち止まっても、
オシッコをしているのではないかと思われるくらいだ。
 
 よく行き会うおじさんに「毎日大変ですねー」と声かければ「草取りをしなくちゃー。」
私には????で、草刈でなくて草取りとは。
畦の草刈ではなく田んぼに生えている雑草(名前を忘れた)を抜くのだそうだ。
農協の指導のまま除草剤を撒くのだが3年ほど前から効きが悪い。
原因が気温の上昇なのか、雑草が対抗性をもったのかわからず次々と高い農薬を買わされる、とぼやいた。
「オラとこはマメに除草するけんど、そうでないところもあるもんでうまくいかねえわけせ」
田んぼの水は共有なので雑草の種などが流れ込んでしまう、ということだ。

 ハナの谷は100メートルに満たない狭い地形です。米どころ安曇野のような広い田んぼはありません。

 米以外の種が入ると等級が落ち安くなってしまう。
精米では雑草の種を選別するセンサーが開発されているようだが、農協では苦労をしているようだ。
 雑草ではないが、赤米で代表される色つき米も大いに問題で、いつのまにか入り込んでしまう。
始末の悪いことにそれが判らないことだと言う。
 
 いろいろと説明を受けたが、米作は安定しもっとも楽な農作物などと聞くことがあるが、一等米を生産するのはそりゃもー大変なことだ。
親父さんは最後に「農協の言われるまま肥料や農薬を買わされているが、米を買ってくれるときは難癖をつけられ安く買われるンネ。」

 私は話を聞いているうちに無農薬農耕を始めた友のことを思い出した。
可能な限り農薬を使わないようにしていたが、「害虫が出て困る。やめてくれ!!!。」と村八分になってしまった。
様々ないやがらせにあい、結局は自粛せざるを得なくなってしまったと・・。

マンディー

2018-07-23 11:21:18 | 山郷の暮し
連日の猛暑で身の置き所に困っている事でしょう。
おかげで我が花の谷は、娑婆の酷暑よりははるかにしのぎやすいのですが、やはり例年と異なりクーラーが欲しいときがあります。
例年は寝苦しい熱帯夜はあっても数夜くらいですが、今年はすでに訪れています。
 先日クソ暑い山梨の友人宅にお世話になりましたが、クーラーでの就寝には苦手な小生、ノドにタオルを巻いていました.

 私の体験の中で一番暑かった記憶はパキスタンのラホールでのこと。
砂漠にあるお墓(遺跡でもある)に行こうとしましたがバスは運行せず、思い切ってタクシーと思いましたがこれが嫌がって拒否されてしまった。
通常は利用しない上級ホテルに行きチャーター。
遺跡では目まいをする暑さにとても見学どころではない。
焼き付ける暑さでサングラスのフレームで焼けどをしてしまった。
腕時計はしていなかったが、もし金属バンドをつけていたら同じ羽目になったことであろう。
そうそう、タクシーが炎天下の砂漠に出向くのを嫌がったわけは、対応が困難になるとはじめてわかった。
ズボン
ケッタイですね・

 話は急変しますが、中近東などの紛争地域で、ワイシャッツを長くしたようなブカブカな姿でロケット砲を担いでいる姿を見たと思います。
なんともチグハグでこっけいですらある民族衣装ですが、これは実にいいのです。
私も現地で既製品を購入してから日中の酷暑から幾分救われました。
名称を忘れてしまったが、幾つかの既製品がありました。
ブカブカなため風を呼び、また陽射しから守ってくれるのです。
日本よりははるかに湿度は低いので、日陰はかなり涼しく感じました。
 蛇足ながら寝具に便利ですが、今年はコレが正式に活躍しそう。

 書いていて思い出だしました。
安ホテルでの逗留は天井にぶら下がった扇風機がなによりもたより。
其れが毎度、停電で止まってしまうと室内は蒸し風呂になってしまう。
汲み置いた水を浴びながら耐え忍んだことがありました。

 そーー、水を浴びて耐えるというのは、インドネシアではマンディーと呼ばれ、安宿のバスルームにはそのための水瓶があります。
ともかく水冷が手っ取りはやい対処法。
川があればドボーーンと・・。
それゆえにかの地の庶民は熱い湯は苦手のようでした。

現在私も水を浴び、日々快適昼寝を楽しんでいます。

壁画制作をする私-2

2018-07-12 15:04:08 | 山郷の暮し
夏になると時には4時ころから眼パチクリになり、濃いコーヒーを飲みアトリエを覗く。
そのまま制作に入ることもあれば、また寝することも。
午前中はほとんどアトリエにうろうろしている。
同行するのは犬のハナで、この子はアトリエがいたく好きなようで「アトリエ」の一言ですっ飛んで行く。

 制作は順調に進んできたようだがさにあらず。
構図はまったく変わらず、変えようもないのだが、壁画の仏たちの平面と、よりリアルに立体的に描き出したい油彩の自画像とのバランスが難しい。
壁画は古典的日本画画法のように線によるボリュウム感にしたい。
油彩画を主な画法としてきた私にはセンス的に異なり、大変難しい。つい陰影を色または面にしてしまい目的と違ってしまう。
何よりも絵の具が異なるのであるが、油彩画の仕上げにするので、試し一工夫をしながらの制作だ。
 
下の部分が当初と大きく変わった。

 6月下旬には完成し、蛇足的な加筆を避けるために母屋に絵を移す。
所を変えれば違って見えることもあり大切な行程だが、晩酌で楽しむにはどうも油臭すぎる。
まーど真ん中に脂ぎったおっちゃんが眼をむいているからやむえまいが、背後の「空間設定は前面になるのだが」仏たちまで脂ぎって重すぎると気がつく。
そうならないように気を配っての制作であったが、何時しかリアルな描き出しの自画像に合わせていたのである。

第三者の意見を伺いたくなり、長年の絵描き友に来てもらう。
開口一番「集大成のような絵ですね。いいのだけれど観ていて不安になってくる。つまり観ているものの視線が定まらないからではないだろうか。」
そして、いろいろな意味があろうかとおもうが「わからない。判らない苛立ちを覚える」と。

それでは私が意図とした「誰でもが得る事ができる平安な心境」へのいざない、とでも言うべきであるのだが、真反対になってしまっている。
友は一二分に私の意図を承知の上で言ってくれたのであろう。
それから第三の制作段階へと移った。

壁画制作をする私

2018-07-11 11:34:43 | 山郷の暮し
主に西日本方面を襲った大水害はまだ全容が把握できないようですね。
私の所を心配して電話をくれた神戸の方がいましたが、その近くの川があふれ出たようです。
いやーーこのたびの大雨にはまったくの予想外と私はすみましたが、政府はそうわいかないはず。
点数稼ぎに目先のことを始めていますが、いつも腹立たしい対応です。
ネットニースによると韓国では災害大国日本の災害対応に冷ややかな報道とか。
災害は何時何処でおきるのか、本当にわからないことを知らされます。


4月より爆発的に創作を始めたことは前回投稿しました。まだサインも描きいれないキャンバスが重なっています。
6月の頭よりの制作作品は「壁画制作をする私」F50(91X117cm)である。
一種の自画像なのですが、描く内側から私を見る視線 なのです。(トップ写真 下書き)
鏡に向かって描くことと変わりがない作画法ですが、描く世界から自身を見るという意図はあまりない自画像では無いでしょうか。

10年ほど前に「不動明王を描く私・・f30」を制作しましたが、突然その制作意図を思い出し、今度は穏やかな心境の阿弥陀如来来迎の制作をする私を連想する。
来迎図は1990年に塩尻市善立寺でおさめており、2015年には世紀兄の協力を得て実物大-5x4Mの写真にて美術館にて展示「聖なる空間 りゅうおう丸画業50年展」をかいさい。
そのようなこともあり資料にはことかかず、来迎図制作意図にはさほど思慮することなくすんなりと取り掛かった。


まず、制作にあたりいつも迷うことは、既製の油彩キャンバスにするか私製の綿キャンバスか、
今や独自なものとなった「ナイロン入り障子紙」など、どのようなキャンバスに描くかであった。
それは仕上がりの状態や制作法にかかわる大事な選択であるのです。

スピードや描きよさ{必ずしも言い切れず問題もあるが}等からパネル貼障子紙にする。
にかわ・胡粉等で下地つくりをするが、水彩での制作は油彩への地描といえます。
時にはこれで8割り方描いてしまい、シーラという下地剤を塗る。まだ水彩は使用できるがアクリルがベターだ。
仕上げの油彩に移るときは前面に溶き油を塗りこむ。水彩が油彩的な透明感に変わる。

最終の仕上げは油彩画法と変わりがないが、兎も角油が吸い込まれてしまい難儀をすることもある。
ではどんな利点があるかといえば早いうえに、発色がいいことです。
通常のキャンバス地でこれを望むとなればしっかりと厚めの地造りが必要になる。
せっかちな私には面倒な工程で、いつも省いてしまいかえって難儀をしてきた末に生み出した画法である。

さて、本題の作品制作について。
まずは空間構成であるが想定ではややっこしい。自画像としての現空間と、その前面に描き出された絵画世界の異空間がる。
さらに私でもあり仏の目から観た「制作をする私」である。例えればガラス絵のように絵の裏側から透かし見るような構成だ。
どんな作品でも本人が意図とする世界に成りきって制作をするが、このテーマでは仏世界に住まなくては成らない。即ち私が仏となっているのである。
では、仏世界とは・・・と大問題であるが、そのことについては死ぬまでわかりはしないので{死んで仏になると言うことではない}記せないが、ともかく仏を身近に感じていることは確かです。
特に気張りもなく、また18番の仏画制作でもなく自然に、日記をつけるように毎日短時間でもアトリエに入っている。
これだけのテーマですといつもは夢に見ることが多々あるのですが、今回はまったくそれらしい兆候はない。
正に快食・快眠である

湧き上がる制作欲

2018-07-06 10:13:23 | 山郷の暮し
 記録的な早い梅雨明け宣言でしたが、2-3日前から梅雨の真っ只中に戻ってしまいました。
急な裏山を背にした我が家を心配して、お電話をいただきましたが正直「それほどなの??」と。
テレビでは長野県に大雨注意報が報じられていましたが、周辺は心配なさそうです。

 今年の冬は寒暖が激しく少々体調を崩してしまいましたが、早い春の訪れに桜も一気に咲き進み花見宴会をする間もなかった。
昨年に続き「はないかだ」をテーマにした制作をする予定が、田圃では花びらが漂うどころか青み泥がふつふつと沸いてしまった田植え前の田圃。
「美しいなー」と感じ、散歩のたびに写真を撮り構想を練る。
そんな私に「青み泥が沸くのが早くて困るンね。写真なんか撮ってどうするダイ。」と親父が言う。
田植えによくないと見えアオコを汲みだしている。


 制作を進めているうちに脳裏にありありと浮かんだのが、1970年代後半にバングラディシュからインドへのフライトでみた光景だった。
数知れぬ川が縦横無尽に流れる大地は光り輝き、息を呑むほどの光景に機内のパンフに夢中で描いた。
帰国して制作をしたわけではないが、そのパンフは今も保管されているはずだ。
探し出したわけではないが、40数年前のことを思い出し「そのイメージを描き出そう」と制作を始めた。
我ながら不思議とおもえるほどの鮮明さで、今年の本格的制作の初めであった。

 それ以後、体内に眠り込んでいた制作欲が爆発し、3ヶ月の間にF50(91-117cm)を5枚制作したが、まだ一枚も完了のサインは入っていない。
ともかく今は湧き出るままに新作に取り組んでいます。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本