棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

1-破壊と再生

2020-01-15 14:51:50 | 山郷の暮し
1-破壊と再生
ヒマラヤ遠征のことを書くのが目的ではないのですが、前置き長く目的地は遠いのです。

厳寒が過ぎた2-4月あたりの乾期が登山シーズンで、当然であるが3千メートル以上は真冬である。
花の谷と称される標高3千メートルの谷は、横殴りの雪と氷漬けで色失せたところだった。
迫るV字の上部は7000メートル以上の高峰が覆いかぶさる。そんな斜面を一気に登り、4200メートルのBCに到着。
飲み屋も何にもない谷に一か月以上滞在する。

ドカ雪にテントがつぶされそうになったり、吹き飛ばされたりと大変だったがおもしろかった。
蛇足ですが私は登山家ではありませんから、登山隊の好意と多少の記録のお手伝いでの参加であった。
特に登山テクニックを要しないC1{5000Mくらい}まで登り、どでかてい氷壁には感動をした。

4月末日、登頂成功をしたころは腰まであったBCの雪も地肌を見せ、登ってきた巨岩が折り重なる急斜面は、雪解け水の濁流になっていた。
雪崩ばかりではなく大岩が砕け落ちる。いたるところから水が噴き出て、山登屋たちは「登山よりもやぺーー」と。

3500メートル以下になっると岩の間に「雪割草」を見たときは宝石を見た思いだった。
降るに従い花の種類が増え、中でも背の低いアイリスの群生が出現したのには驚いた。
一見岩だらけの斜面に咲く花々。まさに花の谷、花柄のじゅうたんがひろがっていた。
「極楽を描くとしたらこの光景、この感動だ」と日記に書いた。

昨年の春、我が家の花畑に咲くアイリスを描く中で、まざまざと浮かんだ光景なのです。
やっとアイリスの制作意図ににたどり着いたのですが、その前に「破壊と再生」100号について記しておきましょう。
この作品は昨年の制作ではなく数年前のもので未完でしたが、アイリスの制作の時に突然思い出し加筆をしたものです。

まさに、ひらめきは過去の凝縮の一瞬 と言えます。
前記したヒマラヤでの体験をベースに描いた作品は数多くあり、これからも制作意図の根底をなしていきます。

「満ち満ちる命」110-80センチ 2005年 油彩

きれいではない花の絵制作

2020-01-14 10:23:31 | 山郷の暮し
目を見張るような花柄模様のことを投稿したついでに、今日は昨年描いた花の絵をご紹介いたします。

私はあまり「きれいだ」という意図での花の絵を制作をしたことがなく、強いメッセージをたくせる画題だった。
それはもっぱら「ひまわり」で、それも花瓶に生けられた室内の花ではなく、真夏の日差しに毅然と力ずよく咲く「ひまわり」が主だった。
湧き上がる生命の表現として最大2M角の大作などから、小品までかなりの枚数を制作をした。
中央画壇に出品したおりなど委員から「ゴッホを研究しろよ・・。」などと言われ、内心この人は咲き誇る野の「ひまわり」を知らねーとおもったり・・。
折しもゴッホの「ひまわり」が購入されたころだった。
写真の整理がついていないので掲示することはできなのは残念です。
昔のことはこれくらいにしておきましょう。
2000年の制作 180-160-センチ

昨年は我が家の花畑に雑然と咲くアイリスを描く。
初めてではなく今までにかなり描いてはきたが、自作のひまわりの作品ほど思い浮かぶ秀作は少ない。

アイリスといえばいの一番に思い浮かぶのは、尾形光琳の屏風絵だろう。
展示会ではガラスケース内であったが、屏風のつづれ織りが創り出す不思議な空間が日本美術の独自性を感じた。
そんな空間を生み出せないものかと、何枚も描いてきたのである。

蛇足ですがゴッホにもアイリスの作品があり、おそらく光琳に刺激を受けたりではないかとおもいます。

さて、私のアイリスの作品は制作をしながら思いが煮詰まっていき、思いは20年ほど以前にヒマラヤ遠征に同行したときに遡った。
横殴りの雪と氷から解放された4月下旬、下りついた標高3000mのV字谷は様々な花が咲き乱れ、まさに花の谷であった。
その日の日記には「極楽を描くとしたらこの光景、この感動だ」とある。

ビックリ 布団柄

2020-01-11 16:59:53 | 山郷の暮し
お天道様がピカピカで寝正月の布団が日光浴。
布団干しは暖かさの象徴ともいえる日本的な光景。
ボケーーと観ていると「アレ!!! ミュシャではないか。」と気が付いた。
ご存じの通りミュシャは優れた装飾美術から絵画・彫刻等多彩な芸術家である。
私の制作にも多大な影響を受けている。


{ミュシャとはぜんぜん違うぞ}という声が聞こえそうですが、見た瞬間にそうひらめいたことで詰められてもこまってしまう。
布団柄をよく見ると花の輪郭の色、赤と色の調子が実にいい感じだ。
輪郭線が多彩な色どり、影を付けずに色の濃さで決めている。
言い換えれば単純なプリント柄なのではあるが・・・。



その布団はずっと以前からあったのであるが、シーツに隠れていたりしてわからなかった。
幸い羽毛の布団カバーだったので剥がしとってしまった。
まずは洗濯機に放り込み、物干にかけてさらにびっくりした。
光が透けてさらに美しさがました。
これをどう料理をしたらと乾いてから算段をしょう。

ついでですが30年以前に西ドイツで曼荼羅展をしたことがある。
その応援者の一人に「フトン」という寝具店があった。
ドイツの方だが日本に来た折に布団柄のダイナミックなデザインに見せられ、輸入販売を始めたとか。

その店に行けば、低いベット式に大胆なデザインの布団がかかっている。
室内装飾も兼ねた感じで実に良かった。
すっかり忘れていたことを思い出しました。

令和--年賀状

2020-01-09 10:59:19 | 山郷の暮し
令和最初の投稿です。
正月も終わり通常の動きになっていることでしょうが。年賀状と格闘をしている方も少なくはないとおもいます。
各いう私は一年中お正月気分ですが、中でも一月いっぱいはお正月と決め込んでおります。
とわ申してもそんな気分も薄れ、淡々とした日々になっています。
当然 年賀状の返信もこれからの仕事になりますが、年々おざなりになっていき、枚数も減りました。
当然 いただく年賀状も減ってしまいましたが、勝手なもので少し寂しい気分ですね。

今年も長いながーーい交信の方からいただいておりますが、中で「ブログ心配していました」という書き込みの年賀がありました。
ありがたいですねーー。
心にとめている方がいると思うと、今少し気合を入れて投稿をしなくてはいけないと思いました。

明治の少女の絵--模写

2019-12-23 12:34:19 | 山郷の暮し
 原画のアップ
この絵を画像で見たときパッと浮かんだのはあのポスターだ。
そうです、朝ドラで蘇った「赤玉ポートワイン」の写真である。
さらに、大正ロマンの美少女絵の旗手ともいえる竹下夢二の作品。
そのほか名前は出てこないが、少女雑誌の挿絵など数々浮かぶ。
当たり前ですがそんな時代に育ったわけではないが、昭和半ばまではどことなく明治大正が漂っていたと思います。

手に入れたこの油彩画の作者「すさび良一」も、資料としてみてきた中の一人ではないだろうか。
描きなれた筆の運びに、今でいうイラストレーターではなかったのかと思うのです。
本業の制作からチョットはなれ、遊び(すさび)で描いたかもしれません。

模写をしていて「描きなれているナーー」と特に感じたのは背景の浮世絵です。
塗重ねはあまりなく、さらりとした筆の運びはのびやかである。

情景を想像するのに、明治・大正期には浮世絵などが自然に室内に貼られていたのであろうか。
画面を演出すお膳立てとは思えない背景に、言い難い良き空気、空間を感じる。

私がこの絵の模写を制作したいと、さりげなく始めてしまったが、少し注意不足があった。
それは、キャンバスのサイズが元絵は細長のP-8型であるのに対し、私は手元にあったM-8と幅広である。
それゆえに空間が異なり、少し変えざるを得なかった。

制作中はたいして気にも留めなかったが、完成をし見比べると多少は気になっている。
正直、何とも優しい目つきは描き切れない・・。降参である。
それはともかく、楽しい制作ができました。


17年に制作した「華華成人」F50





3--模写・・明治の少女の絵

2019-12-21 12:04:58 | 山郷の暮し
3 模写

お絵描きの技術的なことを延々と記とても面白くはないのですが、今少し参考までにおつきあいください。
仕上がった色(表面の色)に至るまで思わぬ色から始まっています。
画家は最後の仕上げの色をイメージして重ね塗りをしてゆくのです。

筆塗りの厚みは0.1-0.2ミクロンくらいだそうです。
下の色が透けてゆくことにより、深い色合いになってゆくのですがこれが難しい。
色付きセロファンを重ねると色が変わっていきます。これとおなじで、実際にセロファンを参考に使うこともあります。
また、溶油との関係や絵の具の軟度などもあり、とても書ききれませんが、画家の技量が問われるものです。

さてこの絵の場合ですが、顔の部分はかなりジンクホワイトを塗り重ねたと思われる。
ヨーロッパの肖像画に見られるつややかな肌の技巧です。
そして、水色系で影などを地塗りとして描いているようだ。
私はこの下地塗はしたことがなく、戸惑いながらの制作となった。
また黒色は使われておらず、おそらく濃いインディゴをベースにした混色であろう。
それゆえにどことなくぼけた感じがする。
それが不思議な効果を生み出しているのかもしれない。
少女の何とも言えない穏やかな情緒ある顔は、現代の美少女とはかなり異なる輝きだ。

3

2-模写

2019-12-15 09:56:36 | 山郷の暮し
2 模写
絵を描く者にとって模写は若いころばかりでなく、生涯続く勉強だ。
私も20歳代から多くの名画を写し取ってきた。
しかし、ヨーロッパの美術館でよく見られるように、天下の名画を目の当たりにして描いたことはない。
40歳代の記憶の中で、ドイツの美術館でそんなチャンスがあったが、正直かの地の画家に気後れをしてしまい辞退したことがあった。

美術書を参考に描いてきたのであるが、なんとしてもわからないのが地塗りの色やタッチである。
それでも多くのことを学び取って来たのである。


話を落札をした明治の少女の絵に戻ろう。
経年の汚れを取らなくてはならないが、その本格的な技術は知らない。
なんとなく全面に薄茶色がかっており、仕上げニスの黄変なのか汚れなのか定かではない。
隅を綿棒にてアルコールや水でこすってみたが汚れらきものはない。
ひび割れた箇所を拡大すれば地塗りの白が鮮やかだ。
また、描かれていない木枠の部分を見ると茶色のニスらしきものも認められる。
使用されている油絵の具だが、よく練りこまれた上質のものと思われる。
明治晩期に日本製の絵の具があったのかわからないが、輸入されたものかもしれない。
色合いが混色をして作り上げた色でもないような・・、私は持っていないものだ。


余談だが、フランスの画材店ではオリジナルの色を作り上げてくれるのだ。
ともかく、使ったことがない色調に少々戸惑ってしまった。
今回、始めて原画を前によくよく研究をしながらの制作であった。
当たり前のことではあるが、描く手順が私とはかなり異なる。
仕上がった色彩と無関係と思われる筆跡があったりし、もしかしたら重ね描きされているのかもしれない・・・。

長らくさぼっていました--模写

2019-12-12 10:52:27 | 山郷の暮し
先日3年ぶりに友と大酒を飲んだ。
とりとめのない話の中でブログの投稿がないので心配をしていた、というのであった。
その彼も、メールなどめったによこさない不精加減は私と同じこと。
しかし、気を付けてくれている友がいると思うと嬉しくなってしまった。
何もしていなかったわけでもなく、それなりに新作に取り組んでいたが、年賀状と同じでブログがめんどくさくなっていたのである。
これは老化現象かもしれぬ。
ということで、目新しい制作で、明治41年作 明治の少女 模写の取り組みをお話しいたします。

暇つぶしにヤフオクを特に目的のものもなく検索していると、自然に絵画になってしまった。
超有名な物故画家の作品が「本当かッ。」と思うような値段で落札されていたりする。真贋の確かめようもないのだが、明らかに偽物または研究のために模写をされたものなどがあったりて
面白い。なかにわが師の作品が往年と一桁違いの安値であったりする。なんだか物凄くがっかりした気分になってしまった。
検索をしているうちに明治晩年の少女の絵があった。
作者は「すさび良一」とあり全く未知の画家ではあるが「いいなーー」と感じた。
全く知らない名前で検索したが不明。「すさび」とは遊びという意味の古語で何とも粋な名前をつけたものだ。

明治・大正時代のポスターやイラスト的な作風であるが、経年からくるひび割れや黄変は当然だがわたくしの好きな赤系の色合いが誠に良い。
この明治の少女の絵も当初は私のみで、注目もされまいと思っていたが、最終日にはぽつぽつと現れたのである。
欲しいと思ってもイクラでもいいというわけにもいかず、上限を決めて夜中の10時頃まで頑張る。
入札者の対抗馬が現れると「欲しいなーー」程度の思いは「」どうしても落とすぞッ」と決意に代わるものだ。
オークションの体験者は誰しもが自分が高揚してゆくを感じるものですが、楽しいひと時でもあるし後から馬鹿をしたと思うこともしばしある。

予算より安く競り勝つことができ、その夜は再び晩酌を始めた。

オークション購入は一種の賭けみたいなもので、品物が届いてがっかりすることがあったりする。
何よりも事前にしっかりとチェックしなくてはならないのが送料だ。
中には頭にくるような送料だったりするので落札前にチェックをしなくてはならないが、絵画となるとべらぽーに高くなってしまうので当方の要望をメール。
幸いに出品者も了承をしてくれ、金のかからない梱包で送られてきた。
オークションで日本人画家の作品を購入したのは初めてで、ワクワクしながら開梱した。
現物を見た瞬間 [この一瞬が肝要で全てが決まってしまうものだ] 明治の可憐な少女に行き会った気がした。
そして、この作品を模写してみようと思い立った。

マムシ

2019-05-12 16:46:49 | 山郷の暮し
犬のハナがけたたましく吠え続けている。
怪しき人間に対した吠え方と違う感じがしたので、覗き見るといつも出入りをしている縁側の土台に向かい飛び跳ねている。
「もしかしたら」という予感があり、鍬を手にする。
いました。でっかいマムシがとぐろを巻いて威嚇をしている。

バシッと頭をめがけて鍬を打つ。
首か吹っ飛ぶ。・・とはいかないのだが、ともかく首の辺りは切れた。
マムシは逃げ隠れしないから、退治はしやすいのだと今までの経験でわかっているが、それでも怖いものだ。
ハナが負けずと吠え立て、噛み付こうとするがまだまだ危険である。


以前にYUO Tub e 「マムシ退治」で投稿しているが、今回はカメラを持っていなかった。

太い胴にもしかしたら子供が居るかもしれない。
と言うのは以前に殺したマムシから7匹も子供が生まれ出た。さらに威嚇のポーズをしたのには驚いた。
というよりも恐ろしくさえあったことを思い出し、水に浸ける。

一時間ほどして「あのまま殺すのももったいないなーー。食ってみるか」と、またまた妙な思いが。
頭を切り落としても、モソッと動き、ギョッとしてしまった。
皮は簡単に引張り剥がせる、と聞いたことがあったので挑戦したが、現実はなかなかうまくいかなかったがともかく剥がした。
それでもモソッと動くのはあまりいい気分ではなかった。


本体は透き通った筋肉質で硬い。
コレはどのように調理したらよいのかわからない。
発想としては蒲焼だが、それもワカラナイ。
ハンマーで叩きやわらかくしなくてはいけないかも・・。
ともかく、乾かしてみることにした。
それ故にまだ食ってはいない。
食えば精力モリモリになったとしても、その性力を使う相手なし。お粗末。



ケッタイなキノコ

2019-05-10 11:30:57 | 山郷の暮し
1週間ほど前になりますが、外の宴会テーブルの下にケッタイなキノコがニョコリ。
そのままで3-4日後のことですが、キノコがごっそりとした感じに増えている。
けっして食ってみようという気にはならぬ風体ですが、何者か図鑑で調べてみた。

抜粋してみますと、春から初夏にかけ、腐食質の多い庭地や空き地、あるいは林内に発生する。
ヨーロッパでは春に取れる最高の食菌としてモレルの名で親しまれるが、日本ではかなりの茸通でも食用になると試していない。
ということから始まっています。

 食えるものなら試してみようと思いたつ。
茎の内は空洞で、全体にもろい感じだ。
油いためによさそうなので、昼飯に野菜たっぷりの炒め物にする。

香りも・味もたいしたことがなく、存在感がないので全部入れる。
正直、多少不安があったので少なめにしておいたのだ。
ヨーロッパでは春一番の珍味らしいが、それらしき味わいはなかった。

さて・・・、この茸の名前は「アミガサタケ」といいます。
編み笠というよりも虚無僧の被るざるの様なものに似ています。
たしかコムソウタケという茸があった気がしますが、図鑑にはのっていません。
老婆心かもしれませんが、コムソウとはチャンバラ映画に登場する、尺八を奏でて諸国を行脚する怪しい存在。
おそまつさま・・・。

食べる気になりますか・・・。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本