山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

学力を矮小化するな

2008年10月30日 01時48分44秒 | Weblog
10月28日の文章で、知事の発言と教育の諸問題について書いたが、書き残したことにふれたい。
 知事は、1年で大阪の学力を上げるといっている。人格の一部である学力、その学力の一部である例の学力調査の成績。これが上がるに越したことはない。だが目標に達しなかった場合、クソ教員のせいというのは目に見えている。なにしろ、今年の結果をみて「このざまは何だ。教員の給料を減らすのは当たり前」といったからもうわかっている。もし上回ったら、だれのせい?にするかも想像がつく。
 でも山積する大阪の教育課題を放置してテストの成績だけが上がるのか。上がったとしても他県も同様のことをしている。順位を問題にしているのだから、これはなかなかむずかしい。
 現在の学力問題で、気になることがある。それは、学力の向上が人格の完成につながらない傾向が一部で顕著になっていることだ。20年、30年も前は、学力がつくとともに、人格が向上するのは、いわば自明のことだった。勉強できる子が、クラスをまとめ、クラスのいい雰囲気をつくるのに貢献していた。担任の片腕だった。だが、今は、トップの成績の子が、そうでもなくなってきた。中学進学塾でわずか10歳のときから人をけおとしてのし上がる哲学?をたたきこまれ、勉強を道具視するようになる。9時半、10時に家に帰る電車に向かい、駅のホームを運動場代わりにかけまわる(遊んでいないから)。塾の宿題で忙殺され、学校を息抜きの場にする。すでにわかっているからと学校では勉強しない。勉強がわからず授業を遊ぶ児童と学校の勉強をないがしろにする児童がドッキングする。かつては担任の片腕だった児童がいまは正反対の働きをするとすれば、教師の負担は極限に達する。僅かのいきちがいが大きな傷に拡大するのは目に見えている。
 本来、学力がつくことは、知的な世界が広げることにつながる。自然についての認識がひろがる。社会の矛盾にも目がむくようになる。かつては豊かな家庭に生まれたものでも、社会の不正義、不公正、不平等に敢然と立ち向かう人が多く生まれた。人間的やさしさと、人権と言う言葉は知らなくともその精神を獲得していった。勉強の意味をねじまげるゆがんだ教育観・学力観がはびこり、こどもの人間成長をゆがめる傾向に危機感を覚える。
 だが、ゆがんだ学力は、人間的成長を阻害し、金儲けがすべてという人格的ゆがみを促進する。

だが人格形成(教育基本法では人格の完成)につながらない学力には肌寒さを感じる。
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知事への提言

2008年10月29日 01時33分40秒 | Weblog
 この春以来、何度となく、知事への提言をしてきた。だが、それらはことごとく裏切られてきた。でも、落ち込んではいけない。
 月曜の朝、知事への提言をした。橋下知事が中国の上海・南京へ出張するという報道に接したからだ。
 内容は、南京で、「南京大虐殺記念館」を見学することは政治家としても日本人としても必要なことだから、検討してほしいというものだ。ただ、今さら日程を組みかえることは大変だとは思う。もちろんすでに計画されているなら、たいしたものだと思う。
 なんでこんな提言をおくったのかといえば、事情がある。それは数年前、橋下弁護士が、「たかじんのなんでもいって委員会」という読売テレビの番組の南京大虐殺を取り扱った回に出演したときのことだ。彼は、高校のとき南京大虐殺を教えられて信じていたが、最近本を読んで、うそを教えられたことを知った、ということを公の電波をつかって公言したのだ。彼は弁護士だ。法律のことでは専門家だが、日本近現代史で発言するときはそれなりに注意するなり、遠慮するのが普通だ。しかも、高校の教師にうそを教えられたと軽々しくいっていいのか。名誉にかかわることだ。
 その先生は、日本史のエキスパートで、深く勉強されている方だ。もちろん橋下発言には大変怒っておられる。
 テレビで発言する以上、責任をともなうう。彼はすすめられて南京大虐殺否定論(学問的には破綻したもので決着済み)を読んで「目覚めた」のだろう。でも彼の出身大学の故・洞富雄教授のたくさんある南京事件の書物の1冊でも読むべきだった。
 このような事情があったので、あわてて、記念館見学の提言をしたのだが。
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壇上から罵倒はあまりに品がない橋下知事

2008年10月28日 03時33分01秒 | Weblog
 26日「大阪の教育を考える府民討論会」がひらかれた。私も申し込もうかと考えた。橋下知事によって、教育予算削減日本一になっているからだ。だが、参加者1000人募集の中で発言は15人、いずれも事前申し込み。発言できるなら、しかし可能性低いし、忙しいので申し込みはやめた。だが、申し込みが少ないため、府教委は申し込み期間を延長していた。
 橋下さん、体罰肯定発言。これだけでも教育に口出しする資格なし。この程度の発言は風呂屋談義以下。体罰は暴力。必ず恨みを内向させる。恨みは消えない。当たり前のことだ。体罰で教育しようとすると、必ず破綻する。よくあるのは、一部の体罰教師が、体罰をして自分には生徒がこびへつらうようになる、これが自分の力だとうぬぼれる。ところが、体罰をしない教師や女性教師に一部生徒が傍若無人の限りをつくすようになる。体罰教師は、抑えられない教師は力がないといいつつ、自分だけに従えばよいと思う。これは、教育ではないし、教育のリーダーとしては最低のパターンだ。こういうところは、よりひどくなる。力で押さえつけようとすると、徹底して押さえつけなければならない。中1より中3、高1より高3になると、このやり方は効き目がなくなる。生徒が、死に物狂いで暴力的に反抗してきたらどうするのか。その教師は、それを上回る暴力で対抗するのか。半殺しにする覚悟でやるのか。教師がそんなことできるはずがない。だから、必ず破綻する。例えば、定時制でそんな暴力的なことをやったら、半年どころか1月ももたない。学校につながることが最高の価値でない生徒にとって、学校を首になることを覚悟すれば、どんなことでもできる。だから、定時制では、体罰などしない。生徒との信頼を築くことに力を注ぐ。これが、どんな学校でも教育の基本だ。力があるとうぬぼれている教師は、自分の体罰で面従腹背の人間らしからぬ精神を子どものなかに育てているだけだ。
 昔、渋谷高校に勤めているとき、木村俊夫先生という英語の先生がいた。剣道もつよかった。木村先生は、生徒がふるえあがる先生だった。終礼は長かった。毎日のように諄々と諭していた。でも暴力とは縁がなかった。礼儀正しく謙虚な先輩教師だった(私がいうのもおかしいが)。この先生の指導をうけた生徒は、どんな先生にも同じ態度で接した。私などはこの先生の足元にも及ばない。でも、精神は受け継ぎたい。体罰にからんで、ごく一部、体罰を受けたけど感謝しているというのがマスコミに紹介される。これで騙されてはいけない。実は、これ以外の99%以上が恨みを抱いているのだ。恨んでいるというのは、表に、美談としては出るはずがない。あなたが、私が殴られたら、喜んでいられるか。私は、しがない農家のこせがれだが、親になぐられたことがない。大体、暴力は古くは武士の世界、近代以後は軍隊での秩序維持の装置だったのだ。権力の対極にある農民の世界に暴力は本来無縁だった。だが、軍隊帰りの男によって一般庶民の世界にも暴力がもちこまれるようになった。
 橋下知事の教育論は、全くの素人談義だ。彼は、「何か注意すれば、わーわー叫んでくるそんな親はやっつけろ」みたいなこともいった。今の御時勢、とくに小中学校では、モンスター的な親の存在は、昔の教師には想像できない大きい問題だ。大阪大学の小野田先生によれば、いちゃもんの背景には、親の生活の困難やわが子への愛情に基づく正当な願いがかくされているという。教師は、そこに思いをめぐらせ、そのような親とも子どもを育てる一点で理解しあえる、マイナス方向の力がプラスの力になりうると説いている。そのような実践もたくさんある。組合の教師がそのような立場で取り組んでいる。でもそのような立場に立つのはなかなかのことだ。橋下さんのおうちでは、学校とどう関係をむすんでこられたのだろうか。学校や先生への信頼をはぐくむようにお子さんを指導してこられたのだろうか。あのような激しい教師批判、というより罵倒に近い発言を公の場でしておられるのが、家では、先生を信頼してとなるのだろうかと、心配してしまう。
 橋下知事は、小学校の教師の発言に激しい批判をした。中山元大臣の発言支持について問うたのに激しい怒りをあびせた。発言者の言葉づかいは、常識的だったが、知事の言葉は全く品がなかった。しかも壇上から大声で、強権的に押さえつけるような言い方だった。多分このときにヤジがとんだのだろう。先生を増やしてくださいというのが聞こえたがあとはわからなかった。橋下知事は、「こんな先生にまかしてられない」とか「会社で社長のいうことを聞かない社員はクビ。私は大阪のトップ。従わない部下はクビですよ」などどいった。
 選挙で選ばれた知事だから、その知事のいうことを部下である職員や教員はそのまま従えということらしい。
 知事部局のことはふれない。教育に関しては、間違いだ。教育は多様な内容を、多様な個性をもった教師が、さまざまな教育方法をもちいて教育する。相手の生徒は、実に個性はさまざまだ。それぞれに目配りしながら、共通の目標・内容を生徒にあわせて対応していく。教育方法、指導方法は多様であり、どれが一番で他はダメだということはいえない。日本の教育方法と対極にあるのがフィンランドだ。少人数学級、教え合い、試験をしない。でもフィンランドは学力世界1といわれる。なぜ、フィンランドの方法に学ばないのか。アジア的発展途上国的な方法は、形式的詰め込み的教育だ。日本でも時代が古くなればなるほどそうだった。ことほど左様に方法は多様で、時代とともに発展する。
 それなのに、知事のいうことにそのまま従え、従わない部下(教師)はクビだと脅す。まるで戦時下の日本の姿だ。戦時下、自由主義的、個性尊重の教育を実践した進歩的教師は、権力ににらまれ、逮捕投獄され、教職を追われた。つまり国家権力のいうままの軍国主義・超国家主義の教育に少しだけ児童中心主義の教育をもちこんだだけで、激しい弾圧をうけたのだ。
 商売の世界と教育実践とは質がちがう。共通目標は大切にしつつ、教師の個性、方法の自由も認める(体罰の自由はありえない、人権侵害だから)ことが大切だ。もちろん教職員の討論で共通点をふやして取り組むよう努力すべきだ。
 学力調査で、点数を上げることを知事は至上命題としている。だが、そこには、同時に取り組むべき、あるいはそれ以上に力を入れるべき課題がある。生活困難、勉学条件が満たされない家庭への援助の問題、朝ごはんも食べずにいらいらしているこどもへの対応。モンスター的問題に精神的に持ちこたえられなくなっている教員への応援、小学校中高学年からの学級崩壊、それが中学校にそのままスライドし中学校の状況が深刻化している問題、これら緊急の課題に対応することが求められる。学力とともにこれらに取り組まなければならない。これらに本格的にとりくまずに、学力だけが伸びることはありえない。
 学校現場ではこれらに必死に取り組んでいる。これに府は、知事は、手をさしのべないのか。教職員を増やす、最低限減らさないことがもとめられる。だが、知事は、大阪の教師は楽をしていると断言した。ほんとに楽をしているのか。現場に聞いたらいい。楽をしているのだったら、こんなに疲れきってはいない。こんなに精神を病んで休職してはいない。でも、知事は、これにダメ教師のレッテルを貼り、「こんな教師が」というのだろう。知事は小学校1,2年の35人学級を嫌悪し、人数はもっと多いほうがいいといっていた。だが、PTAあげての反対でしぶしぶ35人を維持した。フィンランドがなぜ1位なのか、1クラスの人数が少ないこと。これが第1。日本で1位の秋田県も30人学級だ。予算を増やすどころか、知事は学校予算を20%減らした。手をさしのべるのではなく、手をひっこめた。かわりに、大声で、上からしかりとばす。
 教育の根本は信頼関係の確立だ。これは、教育だけでなく、組織の運営の要だ。いい上司と悪い上司。悪い上司の条件は、部下を信頼せず、悪意をもって見る、部下を分断・差別的にあつかう、人の面前で罵倒し恥をかかせるなど。これは、意欲を引き出すより、力を発揮するのを阻害する。人は、自分が信頼されていると感じるときもっとも力を発揮し、成長する。これが組織を発展させる。
 罵倒、脅し、強制などは、いっとき効力を出すかもしれないが、絶対長くは続かないし、組織全体がつきしたがうことはありえない。戦時中のように投獄という究極の脅しをもってすれば思うようにできるだろう。しかし、これは歴史が断罪した。橋下知事の大声の教師批判・罵倒に対して、多くの教職員が心をかきむしられるような思いをしている。教職員が安心して児童生徒と係わりあえる日が1日も早く来ることを願う。
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修学旅行のひとコマ

2008年10月26日 02時09分48秒 | Weblog
 木曜、金曜は伊勢志摩方面への修学旅行だった。北野定時制廃校間際の最後の修学旅行だった。9名が参加した。11名のうち9名で、実に空前の参加率だった。それで空前の?と思われるかも知れないが、定時制ではかつてないことだ。さまざまな事情で1泊2日の日程だ。みんな喜んでくれてよかった。
 旅行中の体験で、私自身初めてのことをひとつ紹介しよう。それは、鳥羽・佐田浜港からイルカ島を経て真珠島への遊覧船でのことだ。出発するとともに、カモメが追いかけて来た。そのうち、乗組員の方が、えさをやったからか、カモメがふえて来た。私が生徒のポテトチップのかけらを手に持ってかざすと、風圧に抗して、カモメがえさを取ろうと近づく。一瞬にしてポテトチップをくちばしではさんでいった。生徒は自分もとポテトをもって手をかざした。イルカ島のあたりでは、上空にトンビが5羽ほどくるくる回っていた。
 ところがそのうち気がつくと、トンビが下のほうに降りていた。売店でカッパえびせんのような細長いお菓子を他の客が買って、空中に放り投げ始めた。するとトンビがそれを足でさっと取った。滑空しながら、頭を下げてつかんだ菓子を食べた。羽を広げたら1.2メートルはゆうにあろうかというトンビを目の前で見たのは初めてだ。昔、子どもの頃は、田舎にはトンビはたくさんいた。でも、人間の近くに来ることは絶対なかった。ところが、どうだ。2メートルから5、6メートルのところで野生のトンビが、羽を広げて一瞬止まるようなしぐさに入る。茶色を主に黒、やや白い色の羽が入り混じったトンビを間近で何十回と見ることができた。いまだかつてない経験だ。
 なんで、トンビは小さな菓子を足でつかむのか。カモメのようにくちばしでつかめば、目に近いから確実なのにと思った。でも、よく考えると、野球のキャッチボールでも、目からずいぶん離れたグローブでボールをキャッチする。だから、不思議なことではない。それよりも、カモメのくちばしが真っ直ぐなので前へ飛びながらくわえるのに適しているが、トンビのくちばしは、下へ曲がっているので、くちばしでくわえるのに適していない。トンビは田んぼにいるねずみなどを上空で見つけて、急降下して足でつかまえる。くちばしで突っ込んだら、地面に激突する。この解釈に自分で納得した。
 それにしても、トンビはいつの間にか、10羽以上15羽近くに増えていた。上空にはいなかったのに、どこからきたのだろう。えさは、完全にトンビに独占された。カモメもなんとか餌にありつこうとするが、排除される。とり損ねて水面に落ちたのも、別のトンビが降下し、まだ浮かんでいるえびせんをつかんで飛び上がる。飛び上がりながらそれを食べる。
 人間には近寄らないトンビだったが、楽にえさを取ることができる魅力というより魔力に負けて、人間の前にむらがるという姿を演じることになってしまった。鳥羽のトンビは、トンビの道からはずれていると、全国のトンビから指摘されているかもしれない。
 
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隠しきれなかった資産の公開

2008年10月25日 08時00分25秒 | Weblog
 閣僚の資産公開があった。トップは鳩山邦夫総務相、2位が元麻生セメント社長の麻生太郎首相、3位が舛添要一厚労相。舛添さん、3億6千万ですごいとおもって詳細をみて、あれ!?と思った。土地建物なし、なのだ。公社債などで3億2千万。赤旗新聞に目を移すと、舛添さんの湯河原の別荘(土地950㎡、建物270㎡)と自宅の写真がある。そういえば、自宅の階段をおりて新聞を取りにきたとこが何度かテレビカメラに映ったことがあった。別荘まであるやないか!しかも別荘の床面積が270㎡もある。なんという広さ。料亭を買ったのか?赤旗記事では、両方とも舛添政治経済研究所の名義になっているという。研究所はテレビ出演、講演のマネジメントをする株式会社だ。テレビ出演で稼いだのか。そういえば、わが橋下さんも1年で3億円稼いでたのに、資産公開はえらいすくなかった。あれは不思議な発表だった。舛添さんは、自宅を自民党支部事務所にしており、政党助成金の自民党内の配分3500万円を支部がうけとり、そのなかから720万円を事務所費としてうけとっている。税金から家賃を取っている。やるねえ。
 資産4億円の麻生さんの家、同じ赤旗の写真では、ドラマに出てくるような背の高い洋館。この家は、土地2500㎡、高級住宅街で800坪!土地代だけで、時価20億円は下らないらしい。車が外車2台をふくめ計5台(なんで5台もいるのかなあ?私の車はこすっても修理しない、10万キロを越した古車)。陶磁器44点(地震のとき気をつけろよ)。こんな心配あほらしい。毎夜のように、高級料理店に行き、ホテルのバーでしめをするのがライフスタイルの麻生さん。ところが、解散総選挙の際は、対極の生活環境にある若者があつまる秋葉原で第一声をやるらしい。こんな麻生さんに騙されるアキバの若者も目を覚ませ、いいかげんに。首都圏青年ユニオンの若者を見習え。
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いってきます

2008年10月23日 06時59分05秒 | Weblog
 修学旅行にいってきます。もちろん付き添い勤務です。問題の食事代は、今度の府議会でも出さないというのが、知事の態度でした。冷酷。今日はこれだけです。
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朝日新聞なくなるのが世の中のため?

2008年10月22日 02時07分11秒 | Weblog
 弁護士の資質にあるいは資格にかかわる弁護士懲戒をあおった事件での朝日の社説にかかわって、橋下知事は、さらに発言をエスカレートさせて、「朝日新聞みたいな新聞社は、なくなったほうが世の中のためになるんじゃないか」と語った(10月20日)。
 社説の「『弁護士資格を返上しては』は、からかい半分じゃないか。今回の(山口県光市の母子殺害事件をめぐる)発言は資格剥奪になるような内容なのか」ともいった。
 まず、弁護士懲戒は資格剥奪をも含むということ、彼はそれをテレビであおって8000人もに懲戒請求をさせたのだ。それで彼自身も逆に懲戒請求されている。弁護士会の審査で最悪の場合、資格剥奪もありうる。今回は800万円の損害賠償が命じられた。裁判としては橋下氏の完敗だ。このような損害を与えた行為が弁護士の資格と両立するか疑わしい。朝日が、自ら返上してはと言うのは、的外れとはいえない。
 私は、朝日新聞を擁護するためにいっているのではない。朝日には、2005年までは幻滅を感じていた。郵政選挙では小泉氏に完全に追随し社説で3度ももちあげた。新自由主義を謳歌し、構造改革を足踏みさせるなとくりかえし書いていた。だが、2006年からジャーナリズム宣言をして、少し反省をした。私は、朝日の記事に付いても事実にあわない記事について長い文章をかいて指摘したこともある。
 だが、朝日新聞がなくなることが世の中にとっていいことだという橋下知事の発言は黙過できない。民主主義にかかわる重大問題だ。産経新聞がなくなればというのと同じだ。多様な意見、多様な言論機関が活動することこそ、民主主義にとって不可欠だし、それ自体が民主主義を形づくる。朝日新聞がなくなるのが世の中のため?こんな発言は、自民党代議士の皆さんでも決して言わないだろう。随分、幼稚な発言のようにも感じる。とにかく、橋下氏の連日の発言には、民主主義、人権の観点からは相当問題がある。
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橋下さん、自分と他人で基準がちがうよ

2008年10月21日 01時30分30秒 | Weblog
 産経新聞20日付けによると、橋下知事が、自衛隊の式典に参加した「祝辞」のなかで、「口ばっかりで、人の悪口ばっかり言っている朝日新聞のような大人が増えれば、日本はだめになる」といった。
 祝辞としては品がないのはおくとして、朝日は悪口ばかりなのか、新聞は本来権力に食い下がるものだ。私人をやり玉にあげるのは注意しなければならないが、知事は第1級の公人だ。批判にさらされるのは当たり前だ。
 その後、取材に応じて、あれは10月3日の「橋下TV発言弁護士資格を返上しては」と題した社説への批判だったそうな。「からかい半分や一線を越えた批判に対抗する。怒りを感じる」と述べたそうだ。
 発言をじっくり読むと、あれ?変だな?と思う。
 朝日の、裁判の判決をふまえての論評に対しては、「悪口ばかり」「からかい半分、一線を越えた批判」で「怒りを感じる」という。祝辞を利用して反撃をしたくらいだから、相当お怒りの様子だ。
 だが、自らの発言についてはどうなのか。教育委員や教員を「くそ」とか「ばか」とか、あからさまにののしった。しかも何回も、波及効果が最大のテレビカメラを意識して。橋下知事の発言は、公の場での発言としてはとうてい許されない。
 自分は免罪しておいて、他人の発言には怒りを爆発させる。公人としては最悪である。石原東京都知事と同レベルだ。
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やったね!反貧困世直し一揆

2008年10月20日 10時50分09秒 | Weblog
 東京・明治公園で、08・10・20、「反貧困世直しイッキ!大集会が」開かれ2000人が参加した。前に青年中心の4600人の集会があったが、今度は生活保護受給者など高齢の方も参加したようだ。
 びっくりしたのは、前の集会を1行も書かなかった朝日新聞が、社会面で写真入で大きく報道したことだ。当たり前とはいえ、ようやく載るようになったかという感想をもった。
 赤旗新聞は、1面と社会面で大きく扱った。赤旗新聞で注目したのは、その記事の下に、「性的少数者が共生訴え行進・大阪」という見出しの記事があったことだ。関西一円から1120人も集まりデモをした。確かにセクシャル・マイノリティの人は生きづらいと思う。でも、沿道からは盛んに手が振られたという。こういうのも報道していくことは大切だ。
 「反貧困」は、尊敬する宇都宮健児弁護士が中心になって、雨宮かりんさんや、首都圏青年ユニオンの河添さんらがかかわっている。宇都宮弁護士は、サラ金被害者の救済活動に奔走し、サラ金の利息制限法をつくるのに頑張った人だ。
 宇都宮弁護士のことをいえば、その対極にある弁護士のこともふれないわけにはいかない。そう、わが大阪府知事・橋下弁護士だ。いわずと知れた、零細業者むけ高利貸しの顧問弁護士である(今はやめている)。弁護士は、社会正義と弱者救済が責務のはずなのに、高利貸しの顧問をし、悪徳の指南をする。常識では考えられない。
 宇都宮弁護士の活動がもっともっと大きくなるように願わずにはいられない。
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橋下知事の放言

2008年10月19日 20時51分57秒 | Weblog
 わが橋下知事、発言がその場その場で明らかに変わる。学力調査の成績公表問題での彼の発言はその場をとりつくろう発言に終始している。本人でない私が、あれ?おかしい!こないだいったことと論理的にずれてるじゃないか!と思う。本人ならば、当然、わかっているはずだが?どうも分かっていないのかもしれない。というのは、知事選挙の候補者討論会で、彼の発言が他から批判されて、終わりのほうでは初めにいったこととは別のことを平気で言っていたというのだから。そういう信じられない現象を、市町村の成績を公表したことにかかわる一連の発言で確認することができた。今、新聞で見た発言を並べて確認する余裕がないので、感想的な指摘にとどめる。
 とにかく、知事という、大阪の最高権力者が前に言ったことと明らかに矛盾することを平気で言うということが放置されるなら、由々しき事態だ。しかも、自覚していないならば、放置できない。
 報道された範囲で、彼の発言にふれてきた大阪府民として感じるのは、ああいえばこういう、その場その場でとりつくろう、批判されたらむきになって前後の脈略なしに抗弁する、こういう言論スタイルだということは確認できた。それは、光市の事件で、テレビで相手の弁護団を懲戒にかけようとあおって、そのあと懲戒請求した何千と言う人が請求を申し立てた当該弁護士会から請求の根拠を提出することなどを求められて、えらいめんどくさいやないか、気に入らんから申し立てたのに、それを証明することを求められて動揺と不安が出たのに対して、いやいや、「ばか弁護士会などの求めは無視したらいい」と、まったく弁護士としては無責任極まりないことを自身のHPで書き散らしていたことを思い出す。懲戒請求は弁護士の資格を奪うことも含む行為、人を警察に告発すると同等の行為だから、その非行事実を示さなければならないのは当たり前だ。だが、彼はそのことを弁護士として当然知っていながら、口車に乗って請求したひとをあざむいた。
 橋下知事・弁護士の発言には注意をはらって(気分悪いが)、告発しなければならない。
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テレビ政治の落とし穴

2008年10月18日 09時55分44秒 | Weblog
 門真の保育園の畑の行政代執行の件で、子どもが泣いたのがテレビで放送され、問題になっている。「子どもが笑う大阪」をかかげたのに「子どもを泣かせた」橋下知事ということで注目されたのだが、これに対し、いや、子どもをつれてきて利用した保育園が悪いという流れもつくられている。
 橋下知事も、17日、「園の所有者は園児たちの涙を利用して阻止しようとした。一番卑劣な行為だ」と批判した。これに対し、園は「子どもには畑がなくなることも避けてきた。涙を利用したととられるのは心外」と話す。
 実際は、祖母に連れられて通園途中に畑に立ち寄った園児が一人いたが、5分ほどいただけで祖母がすぐに保育園に送ったというのが本当のようだ。(朝日新聞17日付・夕刊)
 知事は、園が子どもを集団でつれてきて、政治的に利用したから卑劣だというのだろう。だが、私が画面を見た限りでも、子どもは一人だった。子どもは一人で、おばあさんが連れて立ち寄ったのであれば、園が子どもの涙を利用したというのは成り立たない。これは大事な点だ。
 だが、私が関心を持ったのは、なぜ橋下知事が過剰に反応して、事実もあやふやなまま一番卑劣などといったのかということだ。自分の命じたことによって、子どもが泣いてテレビで広く知らされたことへの過剰反応だ。政治家は普通、自分の政治行為の正当性を説明するだけでとどめるのが格が上だとみられる。政治家でもない人を卑劣とまでいって自分を正当化するのは、やはり、はしたない。
 ここでいえるのは、橋下氏がこれまでテレビを十二分に利用して、その上にのっかって政治をしてきたが、今回は初めてテレビで失敗したということだ。橋下氏は、小泉郵政選挙と同じようにテレビを引き連れて政治をしてきた。その際、公務員・教育委員・教員をやり玉に上げ、テレビの前でこれらを攻撃することで、視聴者の支持を獲得してきた。議会で議論する前に、テレビ世論で多数派を形成し、異議を差し挟めない状況をつくる、政治的多数決をテレビの舞台でおこなうというやり方で、成功してきた。我々教育現場では、太田知事時代から予算をへらされてきたのに、橋下政治で一気に20%も学校予算が削られて、疲弊しきっている。しかし、そのことはテレビはもとより新聞も知らせてくれない。たかだか、どこかの教員が投書したのがたまたま採用されて、現場の実態の一部が新聞にのる。しかし、こんなもの橋下応援の大合唱に対して何の力もない。これが大阪の橋下政治と現場の関係だ。
 テレビを100%利用しつくしてきたのに、今度はじめてテレビで失敗した。テレビの落とし穴にはまった。テレビ政治は民主主義の危機だ。テレビの圧倒的な力で世論をどうにでも操作できる。しかしテレビカメラは子どもの存在に敏感に反応した。テレビのあつかいに精通した橋下知事もこんどばかりはしっぺ返しをうけたといえよう。
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田舎で法事・その3

2008年10月16日 09時57分36秒 | Weblog
先日、田舎の兄から宅配便が届いた。中身は新米だった。ありがたい。おいしいご飯が食べられるぞ!米の上に、『現代文 御文(第5帖)』という本が乗せられていた。
 9月25日の「田舎で法事・その2」で書いた蓮如上人の『御文(おふみ)』だ。浄土真宗大谷派の小松教区で発行したものだ。敬虔な真宗門徒である兄は、法事で読み上げられた御文を筆記した私に、それならと送ってくれた。現代文は、蓮如の文の味わいが少し薄れているように思うが、わかりやすくすることは大事なことだ。暇をみて読んでみよう。
 
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憲法からなにを学ぶのか

2008年10月14日 23時58分44秒 | Weblog
 朝日新聞の声欄に投稿した原稿である。添付ファイルで送ったため、ウイルスがあるかもということで、添付ファイルは開けないことになっているそうな。そんなことで日の目をみなかった(いままでいくつも送ったけど一度も日の目をみていない)原稿が学校の引き出しのフロッピーにあったので、何らかの意味もあろうと思い掲載する。
  「憲法からなにを学ぶのか」
 次期大阪府知事の橋下氏に一言いいたい。
 2日付けの本紙に、伊原前岩国市長に対し、橋下氏が「もう少し憲法を勉強していただきたい」といったという記事をみた。米軍艦載機の岩国移転を住民投票での圧倒的反対意見をうけて拒否したことを、橋下氏が「国の防衛政策に地方自治体が意義を差し挟むべきではない」と批判したことから、井原氏が「主権者である市民、国民が国政にものを言うのは当然だ」と反論した。これに対し、橋下氏が「憲法が間接民主制をとっている以上、住民投票の対象も絞られるべきだ」とのべ、冒頭の憲法発言がでた。
 間接民主制を間接代表制と、これまできいたことのない同義反復的用語ととりちがえるのは、単純まちがいとしても、井原氏に憲法を勉強せよとは筋違いではないか。
 間接民主制のもとでも直接民主制の要素を拡大することは、民主主義の当然の発展方向であり、憲法の国民主権の原理にかなう。国策に関することであっても、特別の負担をしいられることの是非を住民に問うことは、自治体の本来のあり方である。
 井原氏に憲法を勉強せよというが、では、橋下氏の核武装論は憲法を勉強した結果なのか。憲法のどこから核武装がでてくるのか理解できない。
                        北野高校教員 山上俊夫
                        大阪市港区(60歳)

 橋下氏は他人にはほんとに厳しい。他人への筋違いともいえる批判が、自分にはねかえってくることをわからないのか。このケースでいえば、伊原氏こそ憲法を学び実践していた人なのだ。その井原氏に憲法を学べといちゃもんをつけた端下氏ははたして憲法を学んだのだろうか。司法試験に合格したのだから知識の点では我々もかなわないが、憲法の精神を彼は身につけているのか大いに疑問だ。保守的な政治家でも核武装をとなえる人はめずらしい。民主党の西村慎吾氏は有名な核武装論者だ。西村氏も違法行為をとがめられた弁護士という点で、橋下氏と共通する。でも、西村氏は人を批判するときに、憲法を勉強しろとはいわないだろう。自分を知っているから。 
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私がブログを開設した理由

2008年10月12日 10時49分32秒 | Weblog
 私がなぜブログを開設したか。
 私はもともとインターネットを好ましく思っていなかった。とくにネット右翼が南京や従軍慰安婦などであまりにひどい言辞をもてあそび、2チャンネルなどでの言論のルールをわきまえない横暴に嫌悪感を覚えていた。
 だが、そんなことにひきずられて避けていてはいけない、自らもブログを開くことで長い目で見て社会進歩に役立つのではないかと思い立った理由は2つある。
 ひとつは、かつての小泉劇場、いまは橋下知事のテレビ政治の現実を前にして、このままではいけないと思ったことである。橋下氏は、テレビをひきつれで行動し、小泉氏とおなじくカメラを意識して短い刺激的なことばで視聴者に食い込みつづけた。公務員を敵として設定して、困窮生活をしいられている多くの人をテレビを通じて同調させた政治手法は、小泉郵政選挙とまったく同じだ。事実、あまりテレビを見ない若者にくらべ、1日中テレビをつけている年配層の橋下支持が高かった。こうして、橋下氏が思いつき的に政策案のようなものを打ち上げ、テレビで浸透させて、テレビ世論のレベルで政治的決定が整うというスタイルをつくりあげた。まさに、新しいテレビ政治である。一見、世論にうったえ、世論を大切にしているかのようにみえるが、これは、民主主義とは縁もゆかりもない。そこでは多様な意見の交換が徹底して排除され、仕組まれた舞台に市民は受動的に組み込まれるだけである。
 この手法がこれからさまざまな場面で展開されるだろうし、テレビ政治がいっそう広まる危険性が強い。これは、日本の民主主義を考えるとき座視できない重大問題だ。
 これに対抗するに、テレビ、マスメディアに対し、法によって割り当てられた電波を、世論を操縦するために利用するようなことは許されないという運動を広げることは当然やらなければならない。
 テレビ、とくにワイドショーに取り込まれていない青年層が橋下政治では比較的冷静であることを考えると、テレビを少しでも相対化する、テレビの地位をさげる
ことが、どうしても必要だと思う。そのために、私が、自ら発信する人間にならなければと思ったのだ。私だけでなく、多くの心ある人が積極的な発信者になることを願う。もちろん、さまざまな方法で発信しているとは思うが、インターネットを通じた発信はこれから可能性がうんと広がることは明らかだから大事だと思う。
 第2に、韓国の青年の政治的自覚とインターネットとが強くむすびついてることを知って、日本のこれからは韓国とと同じ方向に必ず行くと確信したことがある。
 アメリカ産牛肉輸入問題がきっかけになり、反政府運動が青年を中心に大変な盛り上がりをしたことは、日本のマスコミも詳細に報道した。韓国の青年が政治的意見を集会やデモという形でで表現することに躊躇しない人たちだということは、5年ほど前韓国に行ったとき、ソウルでイラク戦争反対のデモに沿道から随行した経験からすごく感じた。韓国では、今年の何十万という大集会の組織者となったのがインターネットでの結びつきだった。韓国では95%の人がネットをやったというNHKのレポートがあった。多くがネットシチズン、つまりネチズンだ。韓国がなぜそうなのかはわからないが、日本もかならずそうなる。そのときに、多くの心ある人がネットをつうじての系統的な発信者として実績を積み、訓練されていなければならないと思うのだ。
 以上のことから、私は、自らブログを開いて、名前を公表した上で、責任ある意見を発信する活動をしようとおもったのだ。思っていたけど、学校の72年史を書く仕事の重圧があって踏み切れずにいたのだが、9月15日、佐伯祐三展を見に行って、妙に心が軽くなり、今日からブログはじめようと思い立った。幸いにも、以前からのgooメールの関係で、NTTのgooは無料でブログ開設を手助けしてくれたので、展覧会を見たその日にブログを開くことができた。「佐伯祐三展を見に行こう」というのが最初の文章だ。いとも簡単にすべりだした。
 韓国の青年は、集会の現場から動画映像さえも発信した。私にはでない芸当だ。10月5日、東京明治公園での、人間の使い捨てをゆるすなというスローガンで4600人の青年が集まったのは、韓国とは規模が違うが、これからの日本にも希望があることを示した大事件だった。だがテレビは無視、朝日新聞は1行も報道しなかった。テレビ・新聞にかわって、集会の動画映像を流し、市民記者がルポを発信するようにしなければならない。なにしろ、NHKの真横の代々木公園で6万人の反政府集会をやっても1秒も報道しないのだから。インターネットを使った映像報道で、意図的な操作をするテレビの地位を引き下げなければならない。
 ただ、発信するものについては、責任と倫理がもとめられる。ネット右翼の事実にもとづかない懲りない発言とは全く別の世界をつくろう。時とともに信頼を広げる活動を、それぞれが細々とでも着実につづけることが大切だと思う。
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「冷たい橋下改革」新聞にのりました

2008年10月11日 10時19分50秒 | Weblog
 『朝日新聞』にこの数ヶ月、5、6回も、橋下知事批判の投書した。掲載しかかったことが1度あっただけで結局のらなかった。橋下知事の教育破壊について、同じ高校教員で親しくさせてもらっている前田光男さん、田中嗣弘さんの投書がのった。説得力があった。
 こんど、私の投稿が新聞にのった。『港新聞』だ。そんな新聞知らない?港区を中心に5万部も発行している。社会的な問題にきりこんだり、弱い立場の人のことを積極的にとりあげて、信頼を得ている。
 「叫んでいいとも!」という欄だ。1200字。写真ものったが、いまひとつだった。全文を『港新聞』から引用紹介する。
 
 今月の提言者・山上俊夫さん(60・市岡)
 「冷たい『橋下改革』で子どもも先生も大変」
 橋下知事が学校を激しく非難している。やる気がないから大阪は学力低位なのだと。だがやる気が全てというのは戦時中の発想だ。 
 教育は手立てなしによくはならない。秋田県は学力調査で1位になった。1位の理由は30人学級にあると断言している。
 知事は、小学校1、2年生の35人学級はいらない、逆に人数は多いほうがいいと削減を宣言した。だがPTAの猛反発、署名運動でしぶしぶ復活させた。
 ところが今、府下各市の教育委員会が自分に従わないのに腹を立て、従わない市には予算をつけないと脅している。子どもをあからさまに差別するのは行政の公平性から許されない。
 ▼背景に生活の困難
 大阪の子どもの学力が低いのは低位の子どもが相当数いるからだ。この背景には一人親家庭など生活の困難が広く横たわっている。学校や親を責めるだけでは解決にならない。手を差し伸べることが何より必要だ。
 これらの子が勉強がわかるようになれば確実に順位は向上する。1、2年だけでなく6年生まで35人学級にする、あるいは1学級を2人で教え、つまずいている子に個別指導できる体制をつくれば確実によくなる。が、現実に進めているのは秋田とは逆の方向だ。
 ▼高校も予算削られ
 高校の例をあげよう。府立高校では各学校の予算が一気に20%削られた。太田知事の時にも削られた上に今度の大幅削減だ。
 各学校ではやむなく、宿泊行事の付き添いを8学級16人から11人にする、進路指導の予算をへらす、図書の購入費を大幅にへらす、あるいは電気ポットをひきあげるという涙ぐましいものまで、ありとあらゆる措置をとっている。
 府立高校には350人の非常勤職員がいる。膨大な量の印刷や理科・家庭科の実験実習補助など大事な役割をしている。ところが知事は、350人全員解雇するというのだ。首切り問題であるとともに、教育条件の切り下げそのものだ。生徒とゆっくり対応する時間がとれなくなる。実験実習を減らさざるをえない、などの事態をまねく。
 ▼水抜いて稲が育つか
 知事は、350人の賃金5億円より御堂筋のイルミネーション20億円の方が大事なのかと問われて、それが私の政策判断だと言った。金を削って教育がよくなるのか。水田から水を抜いて稲が育つのか。
 修学旅行などの付き添いの食事代が8月以後出なくなった。付き添うと8千~1万円自腹を切る。が、「同じ釜の飯を食う」のが宿泊行事の大事な点でもあるので当然食事はともにする。
 私立高校生への助成も大幅に削っている。知事は公立へいけばいいというが、受験で落ちて私学へ行っている生徒も多い。知事のやり方はあまりに冷たい。
 これが「教育日本一」の具体策だ。教育予算はどんどん削り、勇ましい掛け声と恫喝ばかりが聞こえてくる。
 文責=山上俊夫(大阪府立北野高校定時制教員、市岡4丁目在住)

 
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