山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

韓国日記(15) 帰国へ

2009年11月30日 22時15分56秒 | Weblog
 迎えのワゴン車がホテルに来るのが3:20。それまでの40分、ホテルの喫茶でコーヒーをのんだ。8000ウオンのコーヒー。この4日間で一番の割高だ。
 椅子に座って、コーヒーをのみながら、この日記を書いた。路上でも書いたが、さらに書き足した。
 時間が来て、ワゴンに乗って、インチョン空港に向かった。空港の近くでみやげ物店に連れて行かれた。そこでキムチを買った。買うように仕向ける仕組みがうまくできている。説明と試食、自社の品物間の比較しかできない状況の中では、買うしかなくなる。
 私は最後にキムチを買おうと思っていたのだが、余計に買うことになったかも。これは、飛行機の荷物室に入れないとだめだ。客室に持ち込むことはできない。
 空港では案の定、コンビニで買ったチューブ入り歯磨きが没収となった。歯磨きを持っていたがゆえに、怪しまれて、すべてのポケットのなかのものを出せといわれた。むっとしたが、しかたない。小銭が床に散らばった。運が悪い。慌てずにゆっくり拾う。
 インチョン空港のなかは広い。免税店が並んでいる。ミョンドンなどの免税店で注文した品物を受け取る店もある。
 私は、無料インターネットコーナーで、インチョン空港からアンニョンハセヨと書いた。ホテルでは何度やっても、さっぱりダメだったのに、インチョンではうまくいくのはなぜか?
 日本へは地球の自転と逆向きに飛ぶので、行きより早く関空についた。行きも帰りも機内食はバラ寿司だ。缶ビールを2本飲んだ。だからあっという間に時間がすぎた。
 関空では荷物を受け取るのは乗っていた人全員だ。行きのインチョンでの荷物受け取りの2倍はいるという感じだ。
 荷物をうけとり、関空快速ですわって帰る。1時間あまりで弁天町駅につくはずが、JRで多い人身事故が運悪くおきた。文句は言えない。格差・貧困で痛めつけられた日本の現実を、帰った途端に見せ付けられた。予定より遅れて帰り着いた。 後日、調査のまとめと今後の課題をノートに書いた。世話になった松田皓平先生に報告の手紙を書いた。初めての外国ひとり旅だったが、人々の親切にささえられて、無事に帰ることができた。調査も完了し、おまけに庶民の街探索、学校潜入など思わぬ経験をすることもできた。(完)
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韓国日記(15) 帰国へ

2009年11月30日 22時15分56秒 | Weblog
 迎えのワゴン車がホテルに来るのが3:20。それまでの40分、ホテルの喫茶でコーヒーをのんだ。8000ウオンのコーヒー。この4日間で一番の割高だ。
 椅子に座って、コーヒーをのみながら、この日記を書いた。路上でも書いたが、さらに書き足した。
 時間が来て、ワゴンに乗って、インチョン空港に向かった。空港の近くでみやげ物店に連れて行かれた。そこでキムチを買った。買うように仕向ける仕組みがうまくできている。説明と試食、自社の品物間の比較しかできない状況の中では、買うしかなくなる。
 私は最後にキムチを買おうと思っていたのだが、余計に買うことになったかも。これは、飛行機の荷物室に入れないとだめだ。客室に持ち込むことはできない。
 空港では案の定、コンビニで買ったチューブ入り歯磨きが没収となった。歯磨きを持っていたがゆえに、怪しまれて、すべてのポケットのなかのものを出せといわれた。むっとしたが、しかたない。小銭が床に散らばった。運が悪い。慌てずにゆっくり拾う。
 インチョン空港のなかは広い。免税店が並んでいる。ミョンドンなどの免税店で注文した品物を受け取る店もある。
 私は、無料インターネットコーナーで、インチョン空港からアンニョンハセヨと書いた。ホテルでは何度やっても、さっぱりダメだったのに、インチョンではうまくいくのはなぜか?
 日本へは地球の自転と逆向きに飛ぶので、行きより早く関空についた。行きも帰りも機内食はバラ寿司だ。缶ビールを2本飲んだ。だからあっという間に時間がすぎた。
 関空では荷物を受け取るのは乗っていた人全員だ。行きのインチョンでの荷物受け取りの2倍はいるという感じだ。
 荷物をうけとり、関空快速ですわって帰る。1時間あまりで弁天町駅につくはずが、JRで多い人身事故が運悪くおきた。文句は言えない。格差・貧困で痛めつけられた日本の現実を、帰った途端に見せ付けられた。予定より遅れて帰り着いた。 後日、調査のまとめと今後の課題をノートに書いた。世話になった松田皓平先生に報告の手紙を書いた。初めての外国ひとり旅だったが、人々の親切にささえられて、無事に帰ることができた。調査も完了し、おまけに庶民の街探索、学校潜入など思わぬ経験をすることもできた。(完)
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韓国日記(14) 庶民の街で最後の昼食

2009年11月30日 21時39分50秒 | Weblog
 11月4日、最後の昼食だ。ホテル裏の庶民の街を探索していると、八百屋から坂道をすこし上った所に、屋台風に店先があけっぴろげな小さな店に入った。
 巻き寿司と天ぷらをたのんだ。のり、ねぎ、天かす入りのスープがついてきた。途中でつぎ足してくれた。天ぷらは、いも、タコ足、はるさめを束めたもの、青とうがらし。2度揚げしてくれた。それをハサミで切って出してくれた。だし汁をつけて食べた。青とうは部分によって、とても辛い。おでんもある。例によって串は、35センチはある。これほど長くなくても困らないのに、なぜかどこの店もこの長さだ。立ち上がって四角に仕切ったおでん鍋をのぞくと、「おでん?」と聞いてくる。1本たのんだ。日本のおでんが出発点なのだろう。いろんなものをおでんダネにすれば人気がでるだろうに、かたくなに薄いはんぺんを折り曲げたおでんに韓国中がこだわっている。なかなかの頑固さだ。3分の2を食べて、残りを広げてみたが、薄いけど大きい練り物だ。
 巻き寿司1500、天ぷら2000、おでん500、計4000ウオン。
 路上で、おばさんが野菜を売っている。立ち止まってのぞくと、青とう、にんにく、豆などだ。八百屋では豆をさやのまま売っていたが、おばさんはすわって、籠のなかの豆をむいて、つるりとした大きい豆を出す仕事を淡々とつづけている。買ってもいいけど野菜は入管でひっかかるかもしれない。
 こんなにごちゃごちゃと、八百屋、露店が雑然と入り混じる一角とは別世界のビル群がすぐ近くに迫っている。ふたつの世界が両立しているのがいい。18階建てのビル建設現場をのぞいた。高さは49・8メートル。総ガラス張りのビルだ。その向い側には、時代遅れのバイク修理屋があった。油まみれのつなぎを着たおっちゃんがいる。狭い店は、部品で足の踏み場もない。修理の注文もなさそうだ。そういえば、バイクの数は日本より少ないように思う。圧倒的に乗用車だ。
 大通り以外は信号がないので、注意が必要だ。路上駐車もおおい。
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韓国日記(13) 真昼間、ホテル裏の庶民の街をを探索

2009年11月30日 18時04分00秒 | Weblog
 ホテルの12階の部屋からは、片側5車線の大通りの裏側がみえる。目の下は電飾華やかな飲食街だ。健全な飲食街だ。ここを離れるとマンション群が視界をおおっている。18階建ての一群がSumsongサムソン・グループだ。101、114号棟の数字が見える。
 11月4日、昼前にホテルに荷物をあずかってもらい、チェックアウトして外に出た。昨夜の公園に行くと、じつにきれいな公園だ。日本にもよくある、街中の公園だ。銀杏、けやき、もみじなどの木がたくさんある。ビルの谷間のオアシスだ。健康運動具もすえつけられ、お年寄りがゆっくりと運動している。昨夜の軍事演習がウソのようだ。
 兵隊が走り去っていった坂道の方を登っていくと、古い住宅街、そして背の高いマンション群にぶつかった。そのマンションは現代グループだ。HYUNDAI210などと書いてある。マンションと細い道路をはさんで塀と門があった。のぞくと運動場だ。小学校のようだ。入って、階段状の観覧席に上着を敷いて、そのうえにすわった。6年生くらいの児童が、グランドを何週も走っていた。体育の時間だ。体操服ではなく、普段着のままでやっている。男子は走り終わり、女子がまだつづけている。女の先生が走り終わった子を確認していた。
 12:15にはみんな校舎にひきあげた。チャイムは鳴るのかな?この学校はホテルの12階から見えた。レンガ張りで、緑の三角屋根のきれいな建物だから、きっと学校だろうと思っていたら、やっぱりそうだった。グランドのすみにシンボルのような大きなケヤキの木があった。少し紅葉だ。砂場に、高いのから低いのまで5段階に鉄棒が並んでいる。反対側のすみには、ジャングルジムがある。日本の昔の小学校にあった(今もあるかな?)ろくぼくもある。ろくぼくとは器械体操の用具のひとつで、数本の柱に十数本の棒を横に通したものだ。戦前の日本では軍事的な観点から特に腕や肩を鍛えることが重視され、器械体操的な体育授業がやられた。今は球技が中心になっているが。その名残かもれない。
 眼鏡をかけた6年生風の大きい子が携帯を見ながら、こちらの門から帰っていった。ほかの子供もぼちぼち帰っていく。5人ほどの女性が、運動場で子どもが出てくるのを待っている。運動場を通路として使う人もいるのでごちゃごちゃだ。12:40をすぎたら、集団でぞろぞろ出てきた。でも、多くは向うの出口から帰っていく。
 韓国はランドセルの風習がないようだ。みなリュックだ。女の子はほとんどズボン。日本でも小学校はズボンが多い。いろんなタイプの防寒着を来ている。今日は給食なしで帰る日なのだ。
 空が雲におおわれて寒くなってきた。冷えてきた。私も校庭を斜めに横切って外に出よう。子どもも帰るピークだ。
 向うの入り口(出口)というのは、正門だった。先生が立って見送りしていた。
 校門近くに子ども相手の店が2つあった。ひとつをのぞくと、おもちゃ屋で、カードゲームの各種カード、小型のプラモデル、さわってみたら紙粘土のようなもの、サッカーボールまでつるしてあった。坂を下りて、周辺をぶらぶらした。サムソン・マンションは団地を形成していた。団地内も道路が整備されている。114号まである。14棟なのだろう。18階だ。現代(ヒュンダイ)は20階、101、212号棟がみえる。
 大通りに出た。斜め向かいに緑がかったガラスなのに黄金色をおびて輝くロッテビルが2棟みえる。大通りから引き返して、ごちゃごちゃした飲食街でまだ回っていないところを回る。
 昼間、街中をあるいて気付くことは、道路を掃除している老人たちの多さだ。チリトリとホウキをもっている。ゴミ車を押している人もいる。みな文字を書いたチョッキを着ている。ボランティアか、いくらか補助金がでるのか?
 八百屋が3軒あった。季節柄、臼のようにお尻が張った白菜が山積みだ。大根もキムチに欠かせない。ところがこの大根は日本のすらりとした大根とちがい、超ずんぐりだ。短くて、どてっと下が太い。じょじょに細くなるのではなく、太くてそれでおわり。店には、青とうやネギその他いろいろある。とにかく全面展開の八百屋!という感じだ。
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韓国日記(12) 軍隊の訓練を目の前で見る

2009年11月30日 15時57分50秒 | Weblog
 11月3日、夕食の店をさがしてぶらぶらしている時、小さな公園があったので近寄った。5年前の夏、ソウル市庁舎の近くに何泊かしたとき、朝の中心部の公園には、実にたくさんのホームレスの人がベンチを占領して寝ていた。ベンチは日本のように、一人ずつ区切るように手すりをつけて寝れないようにまではしていないため、ホームレスでいっぱいだった。当時の日本(大阪)の公園ではブルーシートの花盛りだった。
 このマッポのあたりではどうか関心があったが、地図に載るような大きい公園はなかった。偶然小さな公園を見つけたので近寄ると、3人の兵隊がいた。迷彩のつい立をいくつか立て、紐のついた看板も立てていた。
 食事のあと、再びこの公園に立ち寄った。
 何と、兵隊の数は50人くらいに膨れ上がっていた。たばこを吸っている者、座る者、それぞれリラックスしていた。公園の外の道路で、2人のおばさんが、私にさかんにしゃべりかけてくる。内容はわからない。銃をもった格好をして、バンバン!という。訓練するのだと、私に訴えかけてくる。「はいはい、訓練ね」と答えた。すぐには動きがなさそうだし、長丁場になりそうなので、あとで出直すことにして、いったんホテルに帰った。おばさんたちも帰った。
 1時間あまり後の10時半に、公園にいくと空っぽに見えた。ああ、あのまま居ればよかったと思いつつ、公園のなかに入ると、2人立っている。迷彩のつい立もある。公園は暗い。2人だけかと思いながら奥のほうまですすむと、15人ほどが立っていた。すると上官らしき人が、あずまや風の公園の休憩所の台の上にのって話を始めた。
 私は、昼の中学校にあったのと同じ運動器具が備え付けられているそのひとつに乗って腰をひねったり、ベンチにすわったりしながら眺めた。兵隊たちは、整列もきちんとしていないし、だらだらしている。足をゆする者、上体がふらつく者、さまざまだ。
 すると、別の15人くらいが入ってきた。私は兵隊のいない方の入り口近くに移ってベンチにすわった。ここは街の明かりが届いて、すこし明るい。ところが、15人のグループが私の目の前に移動してきた。公園の外に出ようかと思ったが、そのまますわっていた。兵隊たちの足をみるような姿勢でやや下を向きながら、ときどき顔を持ち上げて全体を見回した。上官(といっても若い)は、何本か綱をかけてあった看板の横に立って、縄の結び方の講習をはじめた。実用的な講習のようだ。一番近い兵士は私の1・5メートルのところにいる。私のベンチから7、8メートルの公園入り口にコートを着た女性も見ている。
 兵隊の顔を見るとじつに若い。徴兵されたばかりの若者たちだ。さっきと同じように休めの体型の者、両足をそろえている者、ひざをゆすっている者、上体をゆらゆらさせる者もいる。ほとんど全員がズボンのポケットに手を入れている。寒いが耐えられないほどではない。私は手を出していた。寒いということもあるが、ポケットに手を入れないと所在ない、落ち着かないということもあるようだ。
 講習が途中なのに、また別の15人くらいがどかどかと入ってきて中止になった。赤い点滅棒と白い指揮棒をもった上官が大声で指揮すると、全員が4列縦隊になって、銃をかまえて整列した。私のすぐ左が先頭で、右へつづいた。
 うわっ!どうしたのか!と、見るでもなく見ていると、そのうち私に近いほうの2列が、まず隊長を先頭にして公園から小走りで出ていった。あとの2列もつづいた。最初からいた兵隊は、迷彩のつい立などを片付けている。
 私は公園をでて、ホテルの方へ向かった。もう兵隊たちの姿はなく、最後の兵隊が追いかける姿だけが残っていた。
 韓国は徴兵制がある。その姿を目の前でみた。

 
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韓国日記(11) 農村風景、さんま定食

2009年11月28日 16時04分47秒 | Weblog
 デジョンからソウルへのKTXからの車窓風景は、町もあるが、ほとんどは農村だ。新しく直線的に通した線路だから農村部ばかりを通る。窓からの風景は、日本の風景と見間違う。稲を刈った後の田んぼは、日本そのままだ。そしてその向うに里山がある。里山と里山の間に棚田もある。ソウル・デジョン間は、日本では大阪・名古屋間だが、農村風景はいいものだ。
 ホテルに帰って、初日に買ったチリワインがまだ6割は残っているので、チーズで呑んだ。その後夕食のため街に出た。ホテルの裏の方だ。昨日、一昨日はすぐ裏で食事したのだが、ホテル12階から見えるのはそれよりずっと奥のほうだ。観光の数十人の客が入れるような大きな店はなく、地元の人中心の店ばかりだ。すごい数の店だ。ある程度見て回って、さんま焼き、さば焼きと書いてある店に入った。さんまとビールを注文した。さんまだけかと思ったら、例のとおり、突き出し風に、中皿に白菜キムチ、大根キムチ、例のおでんのもっと薄いものの炒め物、寒天、味噌汁、ご飯がでてきた。そしてさんま2匹。さんまのつけだれの醤油はやや甘い出汁醤油に緑色のわさびだ。ビールは飲んだ。寒天以外はなくなったが、ご飯はのこっている。すると、おばさんが、キムチ?と聞くのでうなずくと、空の3つの皿をもっていった。すぐに元のように盛った皿が並べられた。満腹だったが、これだけ揃えられたら、食べざるをえない。すべて平らげて、精算。ビール3000、さんま6000、計9000ウオンだった。客は私のほかに20人近くいたが、みんな韓国人だ。9000ウオンがすぐにはわからなかったが、おいしいというと喜んでくれた。From Japan,Osakaというと、おばさんは外まで付いて来て、店の表で魚を焼いていたおじさんに、オオサカ!オオサカ!という。おじさんが立ち上がり、手袋をとって、大阪といいながら、私に握手をしてきた。大阪とゆかりがあるのだろう。
 道端の露天で柿を3つ買った。熟した柿だ。昔の日本では渋柿を熟して甘くしたものを食べたし、また売っていた。懐かしかった。みかんも売っていた。ぶらりと入った中規模の食品スーパーでは、キューピーマヨネーズが韓国製より3倍の値段で売られていた。日本酒や日本の菓子などもある。じろじろ見て回っただけなので、よその店の調査員と思われてもいけないので、みやげに、韓国のかっぱえびせんの小袋が4つ入ったのを買った。
 ここからホテルへ帰るとき、ちょっと横道にそれた。そこで大変なものを見てしまった。
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韓国日記(10) 歌謡大会

2009年11月28日 14時10分06秒 | Weblog
 地下鉄のユソン温泉駅からデジョン駅について、長い長い階段を上ると、なつかしいメロディが聞こえてきた。地上に上る手前のやや広い場所で、歌謡大会をやっている。ミキサー、アンプを備えて、白髪男性のうまいアコーディオン伴奏で10年前の若い女性が歌っている。韓国語だが、日本の演歌かと思う歌だ。つづいて背広で赤いネクタイの中年男性が、おなかに手をあてて、あるいはこぶしを握って歌った。
 次が、ラメの入ったミニのニット・ワンピース、黒タイツ、ブーツ、黒帽子、すべて黒づくめの、これも10年前の若い女性だ。低い、15センチばかりの舞台から下りて、50人あまりの客に近づいて歌う。女性の歌は、とりわけ日本演歌風だ。声を張り上げるとこなんか。京唄子の若い時みたいな美人だ。人気がある。2曲目も唄いだした。もしかしたら日本の曲の韓国版なのかもしれない。なんか聞いたことがある。おじさん、おじいさん客たちの手拍子は、人々によってまちまち、バラバラだが、喜んでいる。
 思い出した。そうだ。天王寺公園の横の通路でかつてやっていた演歌天国のノリだ。マイクを置こうとしたら、アコーディオンのおじさんが、もう一曲唄えという。で、3曲目に入った。手拍子がバラバラで合っていないのが、味があっていい。各自それぞれが楽しんでいる。すぐそばの駅の部屋で衣装を着ているようだ。女性はその部屋にかけこんだ。かわりに白いエナメルの靴、縞のズボン、黄とベージュの縞の服の男性が登場した。見事に演じている。それを横目に見て、先の人気の女性歌手にノートにサインをしてもらった。チョ・ユン・ソエという人だ。歌を聴きながら、ノートにこんなことを書いていたら、記者かなんかと間違えられた。
 歌謡広場から地下商店街がつながっていた。なんばの虹の街風だ。いや船場センターービルの風景だ。食べもの屋はなく、衣類、靴、カバン。だが1番多いのが携帯電話の店だ。韓国の携帯は、表に画面があって、ずらして使うタイプだ。韓国の若者が電車で使っているのもこれだ。端まで歩いたら、やはり衣類の方が多いと思ったが、出発点まで引き返しながら数えると、100店以上はあると思われるなかで、携帯の店は21店もあった。携帯天国だ。こんなに多くて商売が成り立つのか?
 ふと気付いたことがある。地方都市デジョンでも、そのまたはずれの観光地ユソン温泉のどこにも、シャッター通りがないことだ。寂しそうな風景がない。なにか賑わっているなと感じたのは、このことなのだ。考えさせられる。
 ソウルへ帰ろう。でないと、真っ暗になる。新幹線で45分だ。普通の急行だと1時間50分もかかる。デジョン駅でKTXの切符を買った。15分後のはSold Outだという。しかたなくその後のを買う。ファーストクラス?と聞くので、あわてて、ノーノー!。21400ウオンを払う。
 広い駅ロビーにある店をみて回る。日本風の握りも定着している。いなりずしもある。デパ地下でもあった。ホットドッグ、Cup Coffeeの店をみたら、丼を食べている客がいる。よく見ると、あのおでんもあるではないか。
 韓国でおでんというと基本は1種類だ。あとで生野区のコリアタウンで教えてもらったのだが、いわしのすり身を薄くしてあげたものをおでんという。これそのものをどういうのかと聞いたら、おでんというのだと教えてくれた。大阪のコリアタウンの「おでん」よりも、韓国の「おでん」の方が少し薄い。韓国のは、B5の半分くらいの薄いはんぺんを縦に3つに折り、それをじゃばらに折り曲げて、串に刺し、スープで煮る。この串が長くて、30センチはある。しかも太い。日本の串というとつまようじ程度の太さだが。これをねぎの入った醤油だしにつけて食べる。スープは別にくれる。
 このおでん、3日の朝、地下鉄の政府庁舎駅を出たところで、自動車の屋台で売っていた。若いサラリーマン4人と黒いスーツの女性2人が、長い串のこのおでんを食べ、スープをコップにいれて飲んでいた。私もついさそわれて、食べた。1本食べたら500ウオンだった。おじさんがスプレーでダシ醤油をかけてくれた。うまかった。2本食べた。スープは薄味だがうまい。ついでにアルミホイルにつつんだ、細めの巻き寿司も買って食べながら、政府庁舎に向かった。計2500ウオンだった。屋台の夫婦は、言葉が通じないので、ジャパニーズ?と聞いた。はい、日本人!というと、日本人!といってくれた。
 ソウルは日本人観光客があふれているが、、デジョンでは、日本人など見かけることはないだろう。顔ではすぐには見分けがつかない。まくし立てても、??という顔をしているのを不思議がる。
 ユソン温泉にも日本人が行くのだろうか。日式と看板に書いている店があるのだから行くのだろう。でも、デジョン駅の観光案内所をのぞいたが、日本語のパンフレットはひとつもなかった。しかし日本でも韓国語の案内パンフは置いてない。
 気がついたことがある。韓国の国鉄?KTXは、改札がない。降りるときもない。だから、切符はもったままだ。切符が増える一方だ。KTXは全車指定だがら、改札の必要はないのだ。車内検札もない。でも一応車掌が通るから、見てはいるのだろう。
 
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韓国日記(9) ユソン温泉の街をぶらり

2009年11月23日 07時06分56秒 | Weblog
 学校近くの小さな韓国サンドイッチ店に入った。女の人が一人でやっていた。客はいない。サンドイッチの写真を指差して注文したが、女主人はさかんにまくしたてる。だが全くわからない。私を韓国人だとおもってのことだろう。味付けとか、何をはさむかといってるのだろう。薄切りパン2枚を鉄板で焼いて、目玉焼きとチーズ、ハムをはさんだものだ。やや甘い。コーラ245㍉ℓとあわせて1500ウオンだ。安い。すこし遅い昼食で、おなかは落ち着いた。
 ふたつ隣のおもちゃ屋には、なつかしいフラフープが置いてある。思い出したのが先の学校の食堂の外壁にSECOMのシールが貼ってあったことだ。こんなところにも進出しているのかと。
 もうすこし行くと、もうひとつ学校があった。すべり台や、シーソー、遊具があるので、小学校に間違いない。だが、250メートルのアンツーカーのトラックをそなえた立派な運動場だ。こちらは、植木の垣根にくわえて金網もある。児童の様子はわからない。小学校の駐車場には30数台の車が置かれている。先の中学校には40台近くの車があった。先生が通勤に使っているのだ。日本でも地方は車通勤だが、大阪では厳しく制限している。でも私がいま勤めているところも含め、通勤には不便なところも多い。
 時間もすぎたので、駅に戻るべく引き返した。ここは儒城(ユソン)温泉と言うところで、観光地だ。中くらいのホテルも軒を並べている。またレストランも多い。団体相手のレストランだ。これがやたら多い。いずれも看板がけばけばしい。なかには日式と書いた店もある。日式のところはきまって活魚の水槽が置いてある。
 そうこうしているうちに、地下鉄へ入る階段にたどりついた。デジョンから随分はなれたところだから、なにも地下鉄にしなくても、と思うのだが。デジョンから12番目の駅だ。梅田からだと池田をこえてしまう。でも新しく鉄道を通すとなると、道路の下に通すしかないのかもしれない。地下鉄駅に着いたのが3:10。
 晴れて暖かかったのは、温泉の露天につかっていたときと、中学校訪問(侵入)のときだけだった。駅につく頃には曇ってきて、またたくまに震え上がるほど寒くなった。
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韓国日記(8) 学校に侵入

2009年11月23日 06時09分58秒 | Weblog
 9階建てくらいの大きいホテルの温泉を出て、街をぶらぶらしながら、歓楽街を通り抜けると、学校があった。学校には塀がない。垣根がわりの植木はあるが、門扉はない。5階建て校舎につづいて体育館がある。その1階が食堂になっている。
 ちょうど生徒がいっぱい食事をしていた。出てきた生徒に値段はいくらかときいたが、わからないという。よくみると給食だった。金属製の四角い盆に5つのくぼみがあり、大きいくぼみはご飯、あとはおかずだ。野菜、赤いソースののもある。生徒が残飯を箱に入れ、箸と盆を重ねて、外へ出てくる。男子でも食べ残している子もある。先生も同じ食事をしている。先生は比較的若い。
 また生徒にシニア・ハイスクールかときいたら、分からないという風で、ある女生徒がミドル・スクールだという。メドウ・スクーと発音するのですぐにはわからなかった。中学校だ。韓国では小学校から英語をやっている。そのため英語の塾にも通う子がいる。どこからきたのかときくので、Japan, Osakaと答えた。日本人が珍しい感じで人だかりとなった。どこへ来たのかというので、デジョンのGovernmennt Complex(政府合同庁舎)、Researchなどと答えたが、ええっ?という顔つき。and sightseeingと付け加えた。
 男子生徒がNihonjin!というので、はい!にほんじん!と答えると、わわっと喜んだ。主に応対をしてくれた女生徒に、この学校の名前を英語と韓国語で書いてくれとノートをさしだすと、すらすらと、Daejeon Jangdae Middle Schoolと書いてくれた。ハングルではもっと早く書いてくれた。私はへたな英語?のやりとりをを終えて、ありがとうをいって、アンニョンハセヨ!というと、えらい喜んでくれた。後ろにいた男子もアンニョンハセヨ!、私もまたアンニョンハセヨ!といって手をあげて別れた。
 そのあと、食堂の前の駐車場のうしろ、道路わきのベンチに腰掛けて、この日記を書いた。授業が始まったようで静かになった。1:40だ。日本より時程が遅い。ぽかぽかした陽気だ。
 勝手に入り込んで、話しかけてよかった。先生が何人も通りすぎたが、何もいわれなかった。日本だったら、どなた様ですか、なにかご用事ですかと聞かれるだろうし、門扉があって入りにくい。門で番をしている学校もある。
 食後、生徒はサッカーに興じていた。グランドはサッカーコートが1面とバスケットコートだ。3オン3のバスケットも楽しんでいる。面白いのは、手前のバスケットのゴールは1本のポールにゴールが4面ついている。これだと360度4組が一度に遊べる。よく考えた優れものだ。校庭の木の中には日本風にきれいに刈り込んだものもある。
 バスケットの奥に、運動用具が5種類10台すえつけられている。腰を回転させるもの、足を踏むもの、腕の筋肉を鍛えるものなど。外からぶらりと入った外国人が、足を台に乗せて、腰を左右にひねったり、腕をきたえたり(20回した)している風景は、我ながら妙な感じがした。
 学校をぐるり一周した。入り口のようなものは6箇所もあり、そのうち正門らしき学校名を書いたコンクリのあるところは幅20mくらいの広さだった。生徒の自転車はわずか40台。いずれもマウンテンバイクだった。学校敷地は中学校としては日本より少し狭いか。最初ここへきたとき、小学校かと思ったのは、塀もなく、低い植木程度しかないあけっぴろげな学校風景に、昔の田舎の小学校を思い浮かべたからだった。
 こんなことを書いていたら、2時をすぎてしまった。急に腹がへった。
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韓国日記(7) 温泉につかる 

2009年11月23日 05時41分06秒 | Weblog
 11月3日は、政府記録保存所(National Archives)の職員のご協力により早々と調査は終了した。10:30には何もすることがなくなった。
 そこで、政府庁舎駅から4つ向うの儒城温泉駅にむかった。ユソン温泉という。日帰り入浴しようと思った。一番大きなホテルに日帰り入浴用の温泉センターがあった。料金はたしか5000ウオンだった。タオルは無料貸し出し。湯船はいくつかあり、露天風呂もある。露天風呂に足湯があり、椅子が並べてある。足だけつけていても、岩に囲われているので寒くない。ここはもちろん天然温泉だ。
 洗い場にすわると、日本ではプラスチックか木の椅子だが、ここでは花崗岩の椅子だ。動かない。据え付けの四角い石にすわる。頭を洗ってふと右をみると奥にあかすりのベッドがふたつある。囲ってあるが、入り口は戸がないので見える。一人の男性がやってもらっている。あかすりをしている方はといえば、大きな手袋風のものを手にはめて男性をこすっている。浴室での重労働ださぞかし汗をかくだろう。だからなのか、あかすり従業員はなんと素っ裸だ。海水パンツくらいはけばいいのに、何もつけていない。なんかしまらない感じだ。
 客は、平日の昼なので年配者が多い。充分あたたまってので、出た。さっぱりして街に出た。
(昨日、何時間もかけて書いたのを載せようと、投稿をクリックしたのに消えてしまった。くやしくていやになったのだが、それでは終わらないので、分割して書き直すことにした)
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韓国日記(6) 韓国土産、ビール禁止の店

2009年11月16日 01時38分42秒 | Weblog
 11月2日(月)午後。記録保存所での用事を終えたあとの日記がない。記憶をよみがえらせて韓国日記の続きを書こう。
 政府記録保存所(国立公文書館)をでて駅までぶらぶら歩くと、銀杏並木がきれいだった。日本で人気の銀杏並木だ。日本にいると勘違いしそうだ。地下鉄政府庁舎駅で昼食。中華の店だった。
 この日は、デジョンからそのままソウルに戻った。新幹線を降りて、駅前へ出るとやけに寒い。あっ!ダウンのジャケットがない!しまった。電車にわすれた。居眠りして、リュックは抱えていたのだが、ダウンはひざから滑り落ちたのだ。駅に着いて、あわてておりるとき足元に落としたのを気付かずに降りてしまった。
 ボケがすすんでいる。でもしょうがない。安物の随分古いものだからもういいだろう。日本ならば駅に連絡して次の日、何処そこの保管所へ取りに行くというところだが。
 夕方の寒風はこたえる。ソウル駅の扉をでてすぐの、まだ敷地内にいくつも並んでいた衣類の露店でおばさんがすすめてくれたマフラーを買った。45000ウオンだった。かっこよく首に巻いてもらった。その巻き方はもうわからなくなったが。
 駅と地続きのスーパー・ロッテマートにはいった。とても広い。肉は日本のような霜降りではない。私がよく行く大阪市立中央図書館の横のスーパー・コーヨーは薄切りも焼肉用もほとんどが霜降りだ。でもそれが本来の姿ではないことがよくわかる。キムチのコーナーは鶴橋、御幸通りと同じだ。種類豊富。ワタリガニのキムチもある。がまんがまん。
 野菜はといえば、綺麗に洗ってそろえたものもあれば、泥つきヒゲつきの人参、不ぞろいの大束の菜っ葉といろいろだ。その場でメモして歩くのも失礼かと思い、これは記憶しておこうと思ったことはたくさんあるのだが、思いだせない。でも特徴的な野菜としては、大根が、日本での主流の大根のように、先が細くなっておらず、いきなり丸いお尻のまま尻尾もなく終わってしまう。いうならば、ナスビの形の大根だ。石川県で太くて短い、げんすけ大根というのがあったが、それに近いか。御幸通りのコリアタウンではチョンガ大根と書いていた。青首だ。キムチに適しているのだろう。あれっと思ったことはいくつもあったが、忘れてしまった。
 魚は、日本ほど執着しないようだ。イシモチとかタラは民族の好みの魚だと思うが、鯖や、さんま、いわし、イカなどもあった。どれも近海でとれたもののようだった。刺身の盛り合わせもあった。だが、マグロ中心の日本とは風景が異なる。レストランで刺身、さらに活け魚の料理をだす店は、「日式」と大書きしているから、韓国と日本の食習慣はあきらかにずれがある。
 さらに回っていると、ラーメンのコーナーがある。種類豊富だ。袋入りからカップめん、激辛を予想させるもの、あっさり牛肉スープなど食欲をそそる。土産に買う人もあるようだが、かさばるのでダメだ。
 海苔のコーナーは日本人とおぼしき人がいっぱいだ。色んな種類、値段もさまざま。比較していくとたくさん入ってそうなもの、安そうなものへと流れていく。でも、海苔はあまり安いと、すけるほど薄いもの、塩がきつく、油もしつこいものがあるので要注意だ。日本人客は土産用にたくさん買う。あまり安いのもよくないな、どれにしようかと値段の高い海苔の前で思案していると、店員さんがこれが一番美味しいですよといってくれたのが、手にとっていたものだった。それを5パックも買った。1980ウオン×5個=14900ウオン。これがバッグとリュックをパンパンにする結果になった。二日目に土産を買うとは思ってもいなかったのだが、スーパーに出向くこともないかもしれないと思い、ホテルも連泊なので思い切って買った。懐かしいロッテガーナチョコも10個買った。8000ウオン。安い土産だ。あと日本より安いなあと思って、コチュジャンと中華の豆板醤・オイスターソースを買った。わざわざここで買わなくてもということはわかっていたが。つい。しめて、35370ウオン。3000円弱だ。
 沢山買ってどうやって持ち帰るのか、日本人女性客に聞いてみると、これがびっくり。韓国に来るときは大きいスーツケースの中がほぼ空で、そこにぎっしり詰めて帰るというのだ。なるほど、かしこい!。おぬし、やるなあ。私は、結婚した娘が保管場所としてわが家に押し付けている大きいスーツケースをみて、こんな大きいのはあかんと思い、3泊分の着替えと必要な書類が入ればいいと小さなバッグにした。買い物ツアーという発想が全くないので、思いつかなかった。先の女性は、各種食材をいっぱい買って、ぎっしり詰めて帰るのだそうな。
 マッポのホテルへ戻った。夕食はホテル裏の飲食街へ。小さい店に入った。ここは写真入りのメニューがあったので分かりやすい。キムチチゲをたのんだ。店員が辛いよという表情をしたが、いい、いいとうなずいて答えた。でも半端じゃなかった。韓国流儀で定食セットとして白菜キムチ、大根キムチ、寒天、薄いすり身の天ぷらの炒め物がついて、ご飯、小さいなべにぐつぐつと沸騰して出てきたキムチチゲ、さらにたくあんだ。このたくあん、日本のように2切れではない。いっぱいだ。あっ、ビールビール。ビールを!注文したが女店主は首を横に振り、手で×印をするではないか!ああ、なんということだ。一巻の終わり。日本なら、まずお飲み物は?とくるのに。禁酒か、この店は。酒がいちばん儲けが大きいのに。
 しかたがない、食べよう。キムチ、そしてご飯。まだぐつぐついっているチゲのキムチをはしでつまんでふーふーいいながらたべる。やがて頭からタラーリ、タラタラっと汗が流れはじめる。白菜キムチの皿が空になったら追加してくれた。チゲの豆腐も食べる。また汗が流れる。食べ終わるまで止まらなかった。他の客は別のものを食べている。ビールがないのは変ではないらしい。注文もしない。汗をふきつつ、お金を払ったが、たった4000ウオン。330円。
 店を出て、今日はコンビニではなく、おじさんが一人でやっている小さな食品雑貨の店に入った。屋台や道端の露店も元気に商売をしている韓国にあっても、敬遠されそうなお店を応援しようと思い入った。色んなものが通路1本の狭い店内に雑然と並べられている。通路というほどのものではない。2・5メートルで行き止まりだ。350㍉ℓの缶ビールとネットに3個入ったゆで卵、カップラーメンを買った。4800ウオン。
 ホテルに帰って、プシュッといい音をたてて缶をあけた。これがないとおさまらない。ゆで卵をひとつむいた。なんと、身が殻より随分小さくなっている。これは年季の入ったゆで卵だな!煙を使わずに燻製したようないい色をしている。噛みごたえもいい。なかなかのものだ。ビールがうまい。いや、赤ワインの方が合うなあ。ワインに無煙燻製玉子。1個たべて、あと2個は持ち帰った。もうひとつという気は起きなかった。
 この日もビールとワインを飲み、満足して眠りについた。ベッドで日記を書こうと思いつつ寝てしまった。
 
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韓国日記(5)

2009年11月15日 15時25分53秒 | Weblog
 11月2日、朝6:05に起きる。外は真っ暗。しばらくNHKのBSを見る。6:40でも外は暗い。車はライトを付けている。風呂に入る。出て外を見ると空は明るくなっていた。7時だ。
 おにぎり2個食べる。ひとつは甘い肉みそ入り。美味しい。日本人向けだ。もうひとつは辛みそがたっぷり。食べているうちに、おにぎりの下から出てきて薬指、小指がみそまみれになった。美味しいが辛い。でもクセになりそうだ。買ったのはおにぎりの棚のうち、残りの少ない、すなわちよく売れていると思われるものを買った。やはりこれが韓国人の人気おにぎりなのだ。わかるわかる。明日は、残りの多いのを買ってみよう。
 7:30にホテルを出たが、外はあまりに寒いので、あわてて部屋に戻って、ダウンのジャケットを着た。ダウンといっても中国製の格安品でしかも古く、繊維のすき間から羽がときどき出てくるしろものだ。
 地下鉄入り口にいくと、消防署員が並んで、防火のティッシュを配っていた。韓国の地下鉄は深い。今日は乗り間違えないようにしなければならない。2回乗り換えの線はやめて、1回乗り換えだが遠回りの線にした。いったん漢江の川底をもぐってソウル駅から遠ざかってそこから1号線にのりかえて地上を走って川も鉄橋を通りソウル駅に着くルートだ。8:20頃ソウル駅に着いた。地下鉄ソウル駅は大混雑だ。階段を上る人も下りる人もぎっしり。
 今日は月曜日だ。仕事だ。サラリーマンはバリッとしたスーツ姿だ。服装には金をかけているという印象だ。昨日の休日の服装とはずい分ちがう。
 地下鉄の車両で化粧を始めた女性がいた。日本ほどではないが、忙しい朝のことだ。仕方がない。受験生風の若い男は、音楽を聴き、ハングルの携帯メールを激しく打ちながら、10枚ほど破ってきたのだろう、試験に出る英単語をやっていた。1号線の混み具合は、大阪の御堂筋線だ。
 次は新幹線KTXのソウル駅に向かう。ソウル駅は飛行場ターミナル風のつくりだ。パイプで支えられた円い高い天井。デジョン(大田)までの切符を買う。21400ウオン。8:35に買って乗り込むと中はガラガラ。出発は8:50、半分くらいの乗車率か。ソウル駅は上野駅の感じだ。全車の始発駅。阪急梅田駅、南海難波駅のようでもある。となりに座った女性は、テーブルを出して、パソコンを始めた。途中でCheonan Asanという駅に9:22着。デジョン着は9:45.
 デジョンから地下鉄に乗る。10:00~10:30かかって7つめの駅で降りる。政府庁舎駅だ。運賃1000ウオン。切符は丸いプラスチックのチップだ。これを改札にあてて入る。出るときには硬貨投入口のようなところに入れて出る。
 地下鉄から出ると広々とした街だ。1993年の万博の跡地を使って拓いた町だからだ。政府庁舎と書いた側に出たがわからない。男の人に政府記録保存所の文字を示してもわからないという。次の若い女性は、「私もここは今日初めてです」と日本語でいいながら、タクシー運転手に聞いてくれた。運転手も分からない。3人も運転手が集まってくれ、庁舎の住所を見て議論の挙句、あっちだと指差してくれた。若い女性が建物が見えるところまで、走って私を誘導してくれた。礼をいって別れた。親切な人だ。私も困った人がいたら親切にしてあげよう。
 政府庁舎の入り口でパスポートと引き換えに入館証をもらった。うろうろしていると日本語ができる職員に出会い、記録保存所に連れて行ってもらうことができた。ついでに、保存所の職員に大まかに用件を伝えてもらった。保存所ではYunさんという女性職員が応対してくれた。彼女は流暢な英語で話すのだが、こちらはあわれなほどへたくそ。そこで彼女は紙に書いてくれた。あとは筆談だ。
I need your project plan or proposal about your study ということだった。調べに行ったテーマについて、大阪教育文化センターの機関誌に求められて書いたものと大阪歴史教育者協議会の大会で報告した文書のコピーをとってもらい了承を得た。また身分証の提示も求められたが、これはたまたま職員証を胸ポケットに入れていたので助かった。
 Yunさんに朝鮮人生徒の思想調査にかかわる史料を示し、大体のことを理解してもらって、韓国政府が公開している「日本政府作成 日帝時朝鮮出身軍人軍属名簿」に朝鮮人生徒の名前が含まれていないか調べたい、載っていれば軍歴なども知りたいということをなんとか伝えた。史料は漢字で書かれているので、警察や憲兵隊が朝鮮人生徒を取調べしたことも大体分かってもらえた。
 彼女は、私が調べるので、結果はホテルの部屋に電話するといってくれたのだが、私は直接ここに出向いてききたいといったので、次の日の朝、また記録保存所にくる約束をして、約1時間で失礼した。12:15になっていた。
 私は、日本の公文書館のように史料を借り出して、自分で山のような冊子を1枚1枚めくって調べるものだと思っていた。だから帰る日も含め3日間通って夕方までその作業をするつもりだった。ところが、韓国政府は、その軍人軍属名簿を入力していて、パソコンで調べることができようになっていたのだ。ただ日本政府から日韓条約締結時に提供された資料はすべて日本名なのでそれをハングルにして登録してある。持参した史料をもとに検索する、しかも同姓も多いのでそれほど簡単なことでもない。
 ついでに、ここで翌日11月3日(火)、結果をうかがいに再度記録保存所を訪ねたことにもふれておこう。3日、また新幹線55分、ホテルをでて2時間半。記録保存所に9時半についたら、Yunさんはもう結果をそろえて待っていてくれた。
 結論は、卒業留保・退学となった5人の生徒については載っていなかった。だが、1年下の生徒の名前があった。その方の資料をいただいた。
 3日間では終わらないだろうと思っていた調査が、あっけなく完了した。彼女は追加して何か手助けすることはありませんかと、また紙に書いてくれた。私は、何を頼もうかと考え、いいよどんでいると、彼女は気を利かして、日本語ができるスタッフを呼んでくれた。来たのは若い女性職員だった。私はすこし詳しく内容を話し、理解を得た。追加してお願いすることとして、5人の朝鮮人生徒の本籍を現在の地名におきかえてもらえないか頼んだ。植民地下の地名は、現在ずいぶん変わっているようで相当困難な作業だとのことだった。私は本籍の地名で訪ねることも考えているというと、それは無理だといわれてしまった。とにかくお世話になるしかない。
 Yunさんと若い女性職員にお礼をいって事務所をあとにした。お2人には大変親切にしてしていただいた。英語を充分理解せず、表現がつたなく、イライラしつつもにこやかに対応してくれたYunnさんありがとう!
 とにかく、あたって砕けろの精神で、行ってよかった。前の日に、朝鮮史の専門家である府立高校の先輩教員の松田皓平先生にあって、朝鮮人生徒のハングル記名もふくめいろいろ教えていただいた。思い切って行くのが一番と励ましてもらった。多くの方の援助で、ひとつの調査は終わった。

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韓国日記(4) 地下鉄・ホテル・夕食

2009年11月15日 09時32分49秒 | Weblog
 今回も現地で書いた走り書き日記より。
 ソウル4日間フリープランのうち安いところということで、一番の繁華街ミョンドン周辺をさけて、麻浦(マッポ)というところのホテル(ベスト・ウエスタン・プレミア・ソウル・ガーデン・ホテル)だ。だが、豪華ホテルだ。中心から離れるといっても、もちろんソウル市内。ソウル全体からみれば、中心部の部類だ。片側5車線のホテル前道路は交通が激しい。
 ロッテ百貨店からホテルへ行く際に、地下鉄で行ったのだが、乗り換え時に間違えて、反対方向に行った。どうもおかしいと思って、降りて、反対ホームにいた女性に、マッポ!マッポ?というと、この方向にのるといいと、指差してくれた。今度は間違えないぞと、駅の名前(ホームの看板に小さい漢字の表示もある)を必死に確認しつつ乗っていると、ひとつ手前で彼女が、次だよといいに来てくれた。降りるときに礼をして降りた。親切な人はいるものだ。
 地下鉄の切符を買うとき、看板はすべてハングルなので、さっぱりわからない。だが、切符の販売機はすすんでいて、日本語という表示を押すと、日本語で指示してくれるので、難なく買うことができた。1500ウオンだった。日本円に換算するには12で割ればいい。以前は10分の1だったが、いまは12分の1になっている。10分の1から少し引けばいい。
 親切な女性に助けてもらったのとは別の時のことだが、ホームに入るとき、反対側に入った。だが向かいのホームにわたる階段がない。仕方なしに、改札にいくと、端に、HELPのボタンがある。押した。しかし、駅員は来ない。もう一度おしても音沙汰がない。仕方なく、客に、「すみません」と日本語で話しかけた。HELPを指差して言っても、わからないという風に通りすぎる人。だが、若い女性が聞いてくれ、HELPを押す、そしてバーを自分で開けて出て行くのだと教えてくれた。いくら待っても、駅員は来ない仕組みになっている。なんだ勝手に出れる仕組みか!とびっくりとなっとく。そういえばどこにも駅員はいない。ホームにはプラスチックの壁があり、電車のとびらにあわせてホームの扉もひらくようになっている。大阪でも新しい線はそうなっているが。それと、ソウルの地下鉄の座席はねずみ色のプラスチックで、ひとりずつお尻を乗せる形ができている。一番寒い日にはその座席は暖かくなっていた。
 6:40頃、夕食を食べに、ホテルの裏の飲食街へでた。庶民的な店が派手な看板を出している。ひとあたり歩いて、その中のとりわけ庶民的な店に入った。ひとり!と人差し指をあげると、奥のテーブルに案内された。4人ないし6人掛けのテーブルが5つある小さい店だ。ほぼうまっている。壁のメニューはすべてハングル。写真のついたメニューはなし。他の客が食べている、大皿の赤い麺やトッポギの入ったのを指差して、これを!と注文。
 白い壁は黒マジックやボールペンで落書きだらけ。LOVEなどと書いてある。柱はというと、白いマーカーでこれまたびっしり。店の中すべてが落書き。見ると客はみな若い。ビールを注文しているのは私だけ。そのうち、明らかに高校生と思われる6人組もすわった。注文は私と同じもの。韓国の高校は夜まで授業をやっているから、今頃帰り道かなと思ったが、よくよく考えると今日は日曜日だ。
 一人前でも大皿ででてきた。インスタントラーメンに冷麺の麺も少し入っている。その上にトッポギとワンタンの皮のようなものをたたんで油で揚げたようなものの半切り、すり身の薄いはんぺん、冷麺の麺を豚の血とともに腸に詰めて蒸したものを小口切りにしたもの、ゆで卵がのっている。色は朱色から赤。辛いかと思えばさにあらず。意外と甘い。でもあとでピリリとくる。これに、長四角の平天の入ったねぎスープと小皿にたくあんがびっしり。たくあんは残してしまった。(これから毎日、たくあんに付き合うことになるとはこのときは予想していなかった。)ボリュームがあるので、客はこれ以上はあまり注文しない。となりの20代の4人組は韓国巻き寿司とレバー煮、レバーのパテみたいなのを塩をつけて食べていた。
 代金は、麺・トッポギの甘辛煮が4000ウオン、中ビンビールが3000ウオン、計7000ウオンだった。600円弱だ。日本人客など初めてという感じの店のおばさんは、指で7を示してくれた。若者用の庶民的な店での夕食だった。コンビニでチューブ入り歯磨き(これは帰りの空港の検査で取り上げられることになる)、ひげそり、おにぎり2個(朝食用)、水ペットボトル(大)とお茶1000㍉ℓを買った。しめて7250ウオン。
 韓国のホテルの多くは歯磨き歯ブラシ、かみそりは置いてない。資源節約温暖化防止のためという。シーツも、連泊の人には、ベッドメイキングだけでシーツは取り替えなくていいという人はこのカードをベッドの上に置いてくださいと書いてあった。これも同じ趣旨だ。朝ホテルをでるときカードを置いて出た。シーツは取り替えなくても綺麗だ。
 
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韓国日記(3) デパ地下のフード天国

2009年11月07日 17時42分43秒 | Weblog
 免税店もあるロッテ百貨店の地下は、まさにフード天国だった。ここは、10人用と20人用のテーブルが並んでおり、計150人くらいが座って食事ができる。それがもう1箇所ある。店は、日本のデパ地下のようにお持ち帰りの店とともに、その場で調理した料理を皿やどんぶりで提供する店もたくさんある。客はそれを買って思い思いにすわって食べる。食べ終わったら食器を店に返す。カップル、家族づれがほとんど。日本人は少ない。1人ですわっている日本人はほかにいない。
 昼もすぎて腹が減ったので、私は買った韓国風握り寿司を食べようと思ったが、席がないので、小さい階段横のすわるのに適した大理石に陣取った。向かいにも叔母さんがすわって食べている。そこで寿司を食べながら缶ビールを飲んだ。魚はエビ、アナゴ、白身、かにカマ、アボガドだ。シャリにはゴマがかかっている。ロール寿司も入っている。カップ入り味噌汁も。甘いソース、ピリ辛ソースのかかっているのもある。店ではワサビソースをくれた。袋の端を切って、握り寿司にかけて食べるとワサビの風味がひろがりうまい。ワサビソースは驚きのいい発想だ。上からかければ勝手に広がる。一点だけ辛いということはない。味噌汁は日本の味噌とは味が違う。麹の味が強い味噌汁と思った。
 席に余裕があったので、寿司は食べ終わったあとだが、すわった。水をのむコップで赤ワインを飲んだ。ノートをとりだして、フード天国の風景を記録しはじめた。この日記は、フード天国でかきつづったものだ。走り書きで、ひらがなが多い。
 両隣と向かい、斜め向かいの客の食事風景のレポートだ。せっせと書いていても日本語なので何を書いているのかわからない。それをいいことに見たことをドンドン書く。
 やはりカップルが多い。斜め前のカップルは、韓国風に、大きいコップにストローをクロスしてさしこみ、2人でいっしょにジュースを飲む。なかなかほほえましい。2人づれは、カップルはもちろん、女同士でも、2人でつついて食べる人が多い。高校生or大学生カップルは、大きい皿のナポリタン・スパゲッティ?を同時に箸をつっこんで食べている(スパゲッティと思ったのはあとで間違いとわかる)。
 さっき見た店では、日本の魚の練り物のテンプラと同じものをつくっていた。すり身をのばしてその上にウインナーを乗せ、細長いヘラですり身ともにくるくると回して油に入れ、ウインナ天をつくっていた。石橋商店街の有名なおじさんのすり身の天ぷらと同じ技だ。
 日本人旅行者が必ずといっていいほど訪れるロッテ百貨店だから、回転寿司もあるし、回転しない寿司もある。牛丼・天丼・カツ丼の店もある。うどんもある。天むすなどのおにぎりもある。餃子の店もある。各種ギョウーザ、具もいろいろ、ドカンと大きいのもある。韓・和・洋・中となんでもある。
 いま座った目の前の韓国人老夫婦は、おじさんがビビンバと大根キムチ、おばさんがお重に入った和風定食。定食は、ごはん、キムチ、茎わかめの細切り、福神漬け、炒め物、たくあん、竹輪・すり身・紅しょうがの天ぷらなど。ごはんがすごい山盛りだなと思っていたのだが、すこし食べると底が見えた。なんとすごい上げ底だった。小皿にワサビ醤油。金属の箸でごはんを、スプーンで汁を順調に食す。おばさんは、紅しょうがの天ぷらを食べて、ウン?という表情をして、半分をおじさんのビビンバの上にのせた。紅しょうがの天ぷらこそ大阪名物だ。朝の薬丸のテレビでやっていたが、番組メンバーも食べてびっくりしていた。おばさんもびっくりして、半分しか食べなかった。内が朱、外が黒のウルシの椀に入っているのは平べったいうどんかと思ったが、そうではないらしい。席を立って、その和食を確めに店に行くと、「和風おでん弁当」となっていた。味は和風かな?その店では各種和風弁当の写真があった。
 右横にすわった若い女性は、ピザをナイフ・フォークで、コーラとともに食べている。斜め前にすわった若い女性は、私が買ったパック寿司店のサーモンの握り8貫セットを食べている。ワリバシで。8貫といってもやや小ぶりだ。その横に座った女性は、日本のうな重のうるしの折に入った定食を食べている。この店は木のスプーンだ。本当にうなぎ?かどうかはわからない。私の横にすわったカップルは、鉄板にのったデミグラスソースかけ焼き飯定食(串えび焼きのせ)。スープ・キムチ・たくあん付き。男性はどんぶりに入った太焼きそば定食。
 おじさん夫婦が席を立った後、すわったのは若い女性2人づれ。野菜・魚介・チーズのクレープ包みピリ辛ソースかけを小口切りをパンとともにカプチーノを飲みながら食べ始めた。左斜めに30代カップルが。女性は韓国冷麺、男性はチゲ鍋定食ごはん、カクテキ・黒豆付き。
 私の右の席がひとつ空いていた。そこに日本人の中年女性が2人来た。テーブルの角にもう一つ椅子をもってきてすわった。2人とも焼きうどんを食べ始めた。とたんに、「あ~!辛い~!」と悲鳴をあげた。豆腐・緑や赤の野菜、肉が入っているが辛いらしい。これにもたくあんが3枚のせてある。大皿いっぱいの量だ。これがもしかしたら、あのイタリアンなのかもしれない。
 後ろをふり返ったら、年配の韓国女性。ワタリガニの入ったスープ定食のようだ。私のすわっている20人のテーブルのとなりのテーブルに、アメリカ人風の男性2人すわった。ひとりはもやしラーメン、左手で金属箸をうまくあやつっている。つれの男性は例のスパゲッティ・イタリアン?をワリバシを短くもって食べている。
 左手に中年女性2人がすわった。ビニール袋から寿司パックをとりだした。ひとりは小さいロール寿司の上にサーモンがのったロール寿司サーモンのせだ。もう1人のは、わたしの食べたのと同じ。パックは日本でよく使われている、角ばって、蓋を取り外すのに手間取るあれである。ワサビソースの袋をあけてかけている。とびっ子、アナゴの薄切り、青のりロール、ごまロールなども。
 斜め前に家族連れ。大きい豚肉のかたまりに玉ねぎソースを掛けたものをプラスチックナイフ・フォークで切り分けている。母と子どもは、大きい紙のお椀に入ったおでんだ。すり身の揚げ物ばかりだ。
 目の前にカップル。女性は鉄板焼き飯定食、エビ串焼き、牛肉串焼き乗せ。男性はハンバーグ定食、ハンバーグにキャベツの千切り、カクテキ、キューリの漬物、オムライス。2人でつつきながら食べる。あちらのアメリカ人風の男2人は、アイスクリームを食べ始めた。アメリカ人的?右に女性がひとりすわる。大きいどんぶりに、平べったいシューマイの皮をちぎったようなものに野菜とだし。はしとスプーンで食す。左斜め前の若いカップルは、スパゲッティイタリアンの色そっくりの焼きうどん。いままで何人もが食べている。日本女性が辛いと悲鳴をあげたあれだ。若い2人はウンウンとうなづきながら食べている。うまいのだろう。
 今日は、役所が開いていないので公文書館も休みだ。特にすることもないので、ロッテの地下で長い時間をすごした。日本でいえば、阪神デパートの雰囲気に近い。でも日本のデパートはカウンターのある店はその場で食べれるが、多くは持ち帰りだ。でもここは、何でも食べられる。私のようにワインを飲んでいても文句をいわれない。おもしろいシステムだ。
 もう退席しようと思っていたら、目の前にカップルがすわった。例のスパゲッティ風焼きうどんだ。よく見ると、スパゲッティよりやわらかそうだ。昔のやわらかいイタリアン風だ。この人のはキムチも青菜も入っている。トマト風味の赤ではなく、韓国コチュジャン、ヤンニョンジャン、赤唐辛子の赤い色の細焼きうどんなのだろう。食べていないので推測をたくましくする。
 もう出よう。人の姿、食する風景をながめるのは、なかなか楽しい。ノートにその風景をダラダラと書きつづけている。まさか自分の食事風景をメモされているとは誰も思わない。ごめんなさい。
 高校生風の女性2人が、また例の赤い焼きうどんを持ち込んだ。ああ、また席を立てなくなった。こうなったら、この味を確めないと、無責任になるなあ。え?誰もそんな責任を負わせていない!そ、その通りです。以上、現場日記より。
 長く居座った席を立って、この赤い焼きうどんの正体を突き止めようと見て回った。それはやはり、韓国ピリ辛焼きうどんだった。その店では、客が具を選べるようになっていた。ラーメン鉢を渡されて、そこに青菜やピーマン、赤ピーマン、きのこや、もやし、キムチ、豆腐など好みのものを入れていく。だから赤と緑のピーマンのスパゲッティかなと思ったのも無理はない。店員はあまりのせていない客には勝手に野菜をのせてこぼれそうな野菜をぎゅっと押さえつけ、それに肉をのせ、うどんをのせて、上から7種類の調味料をかける。赤い辛味調味料もたっぷり。これを料理人にわたす。料理人は、直径1・5メートルもある丸い鉄板の上にこれをのせ、スープをかけ回す。使う道具は1メートル以上の長さのヘラだ。ケーキのナイフがグーンと伸びたものを想像すればいい。それで材料を丸い鉄板に広げる。日本の焼きそばのコテでは及ばない。日本刀で材料を広げ、集め、また広げを繰り返している感じだ。すべての材料に熱が通る。で、最後に集めて大皿に盛る。これが、赤い色をしたスパゲッティ風韓国焼きうどんだ。店員さんにうどん?と聞いたらうん!と答えてくれた。日本の焼きそば、焼きうどんのようにパサパサではない。皿には赤い汁にじむ。
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韓国日記(2) 韓国訪問の目的

2009年11月07日 17時11分46秒 | Weblog
 (1)に韓国に行った目的を書いてなかった。3月ごろに書いたかと思うが、北野夜間中学に在籍した朝鮮人生徒に対する憲兵隊特高係の思想調査と学校の退学問題について調べている。その一部として、朝鮮人生徒の日本軍への特別志願、徴兵について調べている。朝鮮人への徴兵制は1944年に実施された。朝鮮人軍人軍属は24万人に達する。その名前については、日本政府は、個人のプライバシーとして明かさない。だが、1965年の日韓条約の締結交渉のなかで、日本政府は5万人分の軍人名簿・軍歴などを韓国政府に渡した。韓国政府はそれを公開している。その名簿の中に北野夜中の生徒が含まれていないか調べに行った。行ったところは、韓国政府記録保存所だ。日本では国立公文書館にあたる。
 政府記録保存所は、ソウルから南へ新幹線KTXで55分のデジョンというところにある。ここは1993年に開かれた万博の跡地を利用して研究機関・大学などを集めた計画的な新興都市だ。その一角に政府合同庁舎があり、その中に記録保存所もある。
 
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