山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

権力追随、癒着とは正反対の今の天理教

2018年08月26日 13時18分15秒 | Weblog
 8月16日付けで戦時体制下の天理教について、エイミー・ツジモトさんの本を紹介しつつ読後を述べた。天理教が侵略戦争に加担したこと、それをまだ謝罪していないことにふれた。教祖中山みきの教えから外れ、弾圧によるとはいえ権力に追従し戦争協力の道を歩んだ。
 現在の天理教は権力に追随、癒着しているか。もちろんしていない。わたしが学生時代お世話になった上谷博先生(天理大学教授)は熱心な信者でありながら、住まいのある滋賀県で権力の不正を監視する活動に携わっていた。
 じつは昨日、定時制の旧職員と旧交を温める機会があって、わたしが担任をした生徒のかかわりのある人が天理教の方の下で里子として育てられ立派な青年になり、働いていることを知った。うれしい話だった。この里親さんはもう30人も育てられたそうだ。頭が下がる。己の利益と権力ばかりを追い求める今の時代に、考えられないことだ。これは中山みきの教えの実践としてのことだ。
 これが天理教の生きた姿ならば、権力追随、癒着とは正反対の地点にある。だが、今の日本で、創価学会という宗教団体が時の権力と一体になり、躊躇するどころかそれを一層進め、平和憲法に反する戦争準備策の片棒を担いでいる。憲法20条は宗教と国家の分離を規定しているが、創価学会の立っている地点は憲法違反そのものだ。
 16日の記事で天理教本部に厳しいことを書いた10日後に、心にしみる話を聞いたので一筆記すことにした。
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カエサル『ガリア戦記』を読む

2018年08月18日 15時58分13秒 | Weblog
 1か月前に、図書館でヨーロッパ関係の書棚からカエサルの『ガリア戦記』を見つけ、貸出延長しながら読んだ。いわずとしれたユリウス・カエサル(英語名ジュリアス・シーザー)(紀元前100ー前44)の名著だ。
 ローマが帝政ローマに移行する直前の共和制ローマの末期の英雄カエサルの武勇伝を自らの筆で描いたといわれる。共和制ローマは、自作農である市民が武器を自弁してローマの兵士となって、イタリア全域からギリシア、小アジア、イスパニアへと膨張していった。武器自弁が市民の証だった。だが、度重なる、しかも遠隔地への出兵は、自作農民には過重な負担となった。土地を失い没落する市民が続出した。共和制ローマの伝統の再興をめざした改革も失敗した。軍は傭兵化し、やがて将軍の私兵となっていった。
 元老院の統治からカエサルを含む3頭政治、そして完全な帝政へと変化する時期・紀元前1世紀の、とりわけ有名な政治家であり軍人なのがカエサルだ。
 描かれるのは、前59年最高位の執政官の任期1年を終えてから前51年まで8年間、ガリア総督としてフランスを制圧するために、武勇を誇る各部族と戦った記録だ。カエサルが総督をしていたのは、北イタリアと今のスロベニア・クロアチア・アルバニア、加えて南フランスだ。これらすべてガリアといった。もちろんフランスの本体もガリアで、カエサルが戦闘をくり返したのは中北部フランスさらにベルギーだった。
 ガリア戦記はまさに戦記だ。騎兵戦、槍や大弓・投石などの飛び道具をつかった戦術はローマ軍も、ガリア諸部族も使う。用意した資材で櫓や防塁を作る。戦いは開けたところで行うが、森から木を伐りだして陣地を構築したりもする。ガリア軍は多人数で順に休息をとりながら攻撃をかけてくるが、人数で劣るローマ軍が不眠不休で疲弊する様子が描かれたりする。だが作戦と士気高揚に優れたカエサルの指揮によって、たいがいの戦闘でローマ軍は勝利する。古代ギリシアで多用されたファランクス(重装歩兵の密集部隊)の戦術はガリア側で1、2度登場するが、ローマはもう採用していない。密集部隊は動きが鈍いので時代遅れなのだろう。カエサルの指揮は機動性に特徴がある。だから人数で劣っても勝利に導くことができる。
 『ガリア戦記』を読んで思ったことを記そう。カエサルは、のちの「来た、見た、勝った」の勝利報告で有名な名文家だ。飾らない、率直な文体は、『ガリア戦記』で十分味わえる。戦闘の様子は実に生き生きと描かれる。いつ書いたのだろうと思うほどルポルタージュ風なのだ。戦闘が一段落した時に書くのだろうが、いくつもの部族の戦闘をまとめてとなると、頭が混乱するだろう。カエサルに付き従う書記がいるに違いない。ローマ軍の内部の武将間のあつれきなども詳しく、そのやりとりも会話形式で描く。相手の部族の動きや考えも書く。地理的な説明もある。
 この文庫本には、川を詳しく書き込んだ何枚ものガリアの地図が付され、部族名も書かれている。だが、あまりにも多い部族と地理関係が頭に落ち着かず、ある戦いの何日後とか、冬が迫るという記述で時間時期の関係は書かれるが、何年のことかが明記されず、読み手は立体的にとらえることができない。とにかく戦闘の連続が生き生きと描かれるが、ローマ軍とガリア全域の力関係、侵略征服の進捗度合いがどうなのか、時間変化と地理的な状況を全体と個別を明らかにしながら描くということをしていない。だから個々の記述はおもしろいが、頭が整理されて読み進むということができない。全体がどうにもわからないまま、がまんして部分部分を鑑賞することになる。だから『ガリア戦記』は同時代史とはいえない。
 『ガリア戦記』は3人称で描いている。多くは「カエサルは・・・」で始まる。「カエサルは」という記述には違和感がつきまとったし、カエサルの文章というよりも、書記の文章ではないかと思い続けた。校正の段階でカエサルが筆を入れたのではないかと。書記が書いたものでもカエサルの作とすることに問題はないが。ローマ軍のガリアにおける活動を国家に報告する文章ではあるが、カエサルの目から見た形で相手の思惑や動きとローマ軍の作戦と戦闘詳報から成っている。ところでこれを何に書き付けたのだろう。エジプトから輸入したパピルスか、羊皮紙か。いずれにしろ膨大な量になっただろう。章と節は、七・九〇という具合に書かれ、章や節の表題はない。おそらく現場で書いた形式そのままに編まれているのだろう。
 カエサルは、執政官などに当選するための酒食の振る舞いなどで莫大な借金を作っていたのを、近い方の属州ガリア総督だけでなく8年間の新しい征服地からも税収をくすねることで、莫大な財産をつくった。だが、そんなことは描かれていない。ガリア征服は、帝政期を望む時期からすでに有力政治家の欲望に引きずられた帝国主義戦争であった。

 カエサルの『ガリア戦記』は長年読みたいというより読まなければと思っていた本だ。世界史で、奴隷制を土台にしながらも、資産を持つ市民は自立して魅力的に動いていたギリシア・ローマを、好んで力を入れて教えていた。カエサルを時代を動かした人物として、その著作『ガリア戦記』も紹介した。だが読んだことはなかった。手に取ってはいただろうが、日々の授業に追いまくられる状況の下では、とても読めなかった。でも、この度読んでみて、これを教材化するのはとても無理だと思った。
 1カ月の猶予が与えられて、ローマとカエサルというテーマで授業するのならば『ガリア戦記』にとりくもうという気になるが、日々の授業と並行しては無理だ。『ガリア戦記』でカエサルの政治、時代の何が浮かぶか。カエサルが各地の総督をして不法に財産を蓄積し、前50年に管轄を踏み越えてルビコン川をわたり軍をローマに進め独裁的な地位をしめたことを象徴する事実が『ガリア戦記』から抽出できない。カエサルの軍功を書き連ねたものであって、ガリア征服の本質をえぐるものはでてこない。したがってこれを読んだあげく、これを軸に据えて授業を組み立てることは無理だとなったら、それこそ目も当てられない。自分で資料を探し出して、特別料理を用意する如く取り組むことは、うまくいけばよいが、破綻することも多い。ギリシア・ローマを見てきたように教えてきたが、まだ行ったこともない。太田秀通さん、弓削達さん、土井正興さんの著作にたよって授業を組んできた。よい導き手に出会えて古代ギリシアローマの本質をとらえることができたと感謝している。それからずいぶん経って、『ガリア戦記』に出くわした。時間の余裕があったから、カエサルを味わうことができた。




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エイミー・ツジモト「満州天理村『生琉里(ふるさと)』の記憶」を読む

2018年08月16日 22時27分16秒 | Weblog
 エイミー・ツジモト「満州天理村『生琉里(ふるさと)』の記憶 天理教と731部隊」(2018年、えにし書房)を読んだ。退職教職員の会の福谷美智子さんに盆の帰省の行き帰りに読みますといっていただいた本だ。
 25年ほど前に天理教やその他の宗教に関心があって天理教、天理ほんみちについて勉強したことがあった。天理教は言わずと知れた中山みき(1798~1887)が幕末に神がかりとなって起こした新興宗教だ。特徴は「ひとは いちれつ みなきょうだい」という徹底した平等主義、底辺の人々を助ける「たすけ一条」の教えにある。だから信者をつぎつぎ獲得していった。
 国家神道を掲げる明治政府は天理教への取り締まりを系統的に続けた。中山みき自身の逮捕・拘留は18回に及んだ。みき亡き後の天理教団は、弾圧に屈し、国家への服従を教義上も金銭的にも様々おこなった。国家への服従はみきの教えへの裏切りだとして、大西愛治郎ら天理ほんみちの分派も生まれた。この本では、弾圧と苦難の歴史のなかでの国家へのすり寄りをくわしく書いていく。とくに主なテーマである満州の天理村の歴史について、その筆は厳しい。
 天理教団は国家の要請を受け、1934年春に満州天理村の起工に入り、11月には第1次43家族204名がハルビン駅の東に入植した。満蒙開拓団の最も早い部類だった。天理村の周辺は常に関東軍が警備した。土地は満州人の土地を安くむりやり買い上げたもので、入植した男たちは軍の演習に従事し、満州人は天理村の土地を耕し、収穫は折半した。開拓者は地主になった。満州天理村は、自らは布教移民の位置づけだったが、実態は土地を取り上げる武装移民だった。天理村は第12次移民まで2000人近くが入植した。満蒙開拓団の総数は27万だから、数としてはごく一部ではある。天理教団だけでなく、日本基督教団はじめ各宗教団体も満蒙開拓の侵略的国家事業に積極的に協力していた。
 天理教団が関東軍から与えられた土地は、のちに建設された「悪魔の飽食」の731部隊と隣接するような場所だった。1938年731部隊の建設が始まると村の男性はレンガ積みの作業に従事した。村の小学校ではペスト菌を感染させるハツカネズミの飼育をおこなった。村の青年が軍に召集され、731部隊に配属された。
 天理教が戦争協力について真摯な総括をせず、何の反省も表明していないことに厳しい批判の目を向ける。浄土真宗大谷派が「親鸞聖人の教えになきことを教えと称して門徒を侵略戦争に駆り立てていった」と厳しく教団の戦争犯罪の罪責告白をしたのを筆頭に、キリスト教も含め伝統教団の多くが自己批判をしている。しかし天理教は教祖中山みきの「人は一列みな兄弟」という教えに背いて戦争に加担したことに向き合おうとしていない。
 著者エイミー・ツジモトは、風間博、相野田健治という二人の協力者を得て、天理教の奥まで切り込む。風間博は教団内部で戦争責任を提起するが相手にされず、排除された。
 新興宗教といわれる各教団は天皇を崇拝しないとして弾圧された。戦争への加担についてどう総括しているのか。この本は、天理教内部からの戦争責任の追及を柱として編まれている。その意味で貴重な作品だ。
 宗教が権力に屈服し、権力と一体となり、さらに権力を行使するようになると、歴史に重大な禍根を残す。戦前の天理教は権力に屈服したが、それを大きく超えるものではなかった。ひるがえって、21世紀の日本で、権力と一体になり、権力を行使するような教団はないだろうか。権力への政治的忠誠が、信心、信仰心の度合いを測るものとしてまかり通る時、それは戦争への道にほかならない。
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翁長さん死去。無念。

2018年08月08日 23時18分25秒 | Weblog
 今日夕方、翁長知事が亡くなった。あまりに急なことだ。残念で言葉もない。これまでどれだけ沖縄県民を鼓舞し、辺野古に基地を作らせない闘いをリードしてきたか。その功績の大きなに感謝するばかりだ。全国の沖縄に心を寄せる人たち、平和を願う人々の心のよりどころだった。残念無念。
 安倍政権の脱法行為の数々ですすめている辺野古埋め立て工事。沖縄県民に金と脅しで屈服を強いるやり方には心底腹が立つ。官房機密費を宜野湾市や名護市の市長選挙でどれだけ不法に流用してきたのか。許せない。使途を公表しなくてよい、領収書はいらないのをいいことに、税金を党派的選挙に使って票を買収した菅官房長官。
 翁長さんの遺志をうけつぐ心ある人々が、涙をぬぐって立ち上がらなければならない。
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安倍首相の平和記念式典あいさつの無力、無意味にあきれる

2018年08月08日 13時33分23秒 | Weblog
 8月6日、広島市主催の平和記念式典での安倍首相あいさつを読むと、核兵器廃絶への意欲のなさ、国際的にはもう何の意味も持たないメッセージにあきれてしまった。
 そのあいさつの特徴は何といっても、昨年核兵器近似条約が国連で採択されたということに言及しないことを軸に話をしているから、時代的緊張感の全くない、緩んだ言葉遊びになっていることだ。しかも核兵器禁止でも、核兵器廃絶でもなく、「核兵器のない世界」の実現へ努力するのがわが国の使命だという。「核兵器のない世界」という夢想的な表現をする問題意識の低さ。夢見心地の世界だ。
 安倍あいさつの核心は、「核兵器のない世界」を実現するためには「核兵器国と非核兵器国双方の協力を得ることが必要です。我が国は非核3原則を堅持しつつ、粘り強く双方の橋渡しに務め、国際社会の取り組みを主導していく決意です」というところだ。
 何を寝ぼけたことを言っているのだ。昔から橋渡しが日本の役目だといってきながら、ずっとアメリカの腰巾着となっていただけではないか。いまや核兵器禁止条約ができているのに、それに敵意をもって禁止条約がかえって「核兵器のない世界」を阻害するとまで言いつのっているのが安倍日本政府だ。橋渡しの役も自覚も捨てているではないか。国連の圧倒的多数の国が賛成したのに、これにあからさまに反対する立場のどこに橋渡しの立脚点があるというのか。今ある橋渡しは、核所有国と核の傘の下でいっしょにとぐろを巻いている国々に、国連の核禁会議に出ようではないかと語りかけることだ。核兵器禁止条約はかえって危険だといって、条約の発効妨害、批准させない働きかけなどをするのは最悪だ。河野外務大臣は、1年中国外に出歩いている。もしかして、核兵器禁止条約発効妨害の工作をしているのではないか、お金をばらまきながら。
 対人地雷禁止条約やクラスター爆弾禁止条約がつくられたとき、これらの残虐兵器にしがみつく国々との橋渡しだといって条約発効を妨害することが考えられただろうか。残虐兵器にしがみつく勢力が廃止運動の先頭に立つまで待つとなると50年や100年では方が付かない。日本の橋渡し論は極悪勢力がやる気になるまで気長に待とうという立場だ。事実上の核兵器推進だ。
 安倍首相の広島発言はとにかく最悪。核兵器禁止条約に一言も触れず、南北朝鮮、米朝の会談という激動にも触れることなく、数年前と同じことを言うのでは指導者としての資格失墜だね。杉田水脈レベルだね。
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憲法擁護を新興宗教呼ばわり、稲田朋美元防衛相

2018年08月02日 22時56分16秒 | Weblog
 自民党の稲田朋美元防衛相がツイッターに憲法擁護を新興宗教呼ばわりするという、国会議員であり元大臣である立場と両立しない、憲法違反の暴言を吐いた(7月29日)。稲田氏は極右団体・日本会議の中野支部の集会に弁士として参加し、弁護士である支部長を「法曹界にありながら憲法教という新興宗教に毒されず安倍総理を応援してくださっていることに感謝!」とツイッターに書いた。
 稲田氏も、杉田水脈氏と同様、安倍晋三氏によって引き上げられ、特別に目をかけられてきた人物だ。憲法尊重擁護は国会議員はじめ公務員の義務だ。それを憲法教などと宗教よばわりする。もう杉田水脈議員といっしょにお引き取り願うしかない。
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なつかしい銀ズイカ

2018年08月01日 14時06分52秒 | Weblog
 昨日、業務スーパーで懐かしい銀ズイカを見つけた。長野県産だった。銀ズイカというが、もちろん銀色ではなく淡い黄色だ。赤いスイカと同じように、シャキシャキとした歯触りもあり、甘みもある。が、その甘みは大人しい。最近のよく栽培されたスイカに慣れた方には、物足りない甘さだ。
 でも、これが伝統の銀ズイカだ。そう売れないとは思うが、大切にしたい品種だ。
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