山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

心が貧しい橋下知事

2008年10月10日 01時50分31秒 | Weblog
 9日の朝日の夕刊に「橋下流に秋風?」という記事があった。その最後の部分、自民党ベテラン府議の「橋下改革の痛みが徐々に具体化し、橋下フィーバーは落ち着いた。やっと冷静な議論の土壌ができつつある」という発言に注目した。だが、土壌はできつつあるが、橋下知事の人間性が変わらないから、自民党などが彼を甘やかすのをいいかげんやめてほしいと痛切に思う。民主党なんか、7月議会で結局賛成に回ったから、彼になめられっぱなしだ。文句をいいながらすり寄ってくると。
 国際児童文学館は議会の合意ができつつあるのはよろこばしいことだ。府立高校の非常勤職員350人の首切りをやめ教育条件を改悪させない課題でも、是非合意を形成してほしい。教育条件を切り下げて教育がよくなる?橋下知事の教育日本一のための秘策、それは金を大幅に削って教育条件を切り下げることなのだ。これを本気でやっているのだから、もうこれはインチキ祈祷師の世界だ。
 現場で苦闘している教職員にとって、橋下知事の教育への一言ひとことが、気持ちを逆なでする。彼の高校時代の同級生もたくさん教員として頑張っている。何の栄達も求めず、児童生徒の成長をわが喜びとして、そのためだけにつくしている。ときには、神経をすりへらす日々がつづく。でも児童生徒のわずかの変化を糧としてはたらいているのだ。彼は、高校の同級生や同窓の教職員がおどろくほどたくさんいることを知らないはずはない。彼は、その人たちのことを心に思い描いて発言をしているのだろうか。
 彼の教職員への憎悪はすさまじい。どこからでてくるのだろうか。何億という収入を手に入れ、若くして最高権力者に成り上がって、その場から、別に光が当てられなくとも毎日子どものためにつくしている教員をなぜこれほどまでにさげすむのか。
 8日の夕刊に小さな記事があった。塩谷文科相が学力調査の「学校別結果公表はあってはならない」といったことに対し、彼は「学校別を出すのは全然問題ない」「おかしいですよ。論理がむちゃくちゃ」と憤ったというのだ。
 ええっ。よくいうよ、と思った。もう口から出まかせ。もともと全国学力調査の実施要領には、「学校間の序列化や過度な競争につながらないよう十分な配慮が必要である」とういう大前提があり、学校別の公表を禁じているのだ。そんなことも知らぬ顔で、子どもの心に傷がつくということに思いを致すこともなく、自分の気分のままにどんどんやれとあおりたてる。自民党議員のいう冷静な議論もあったものではない。論理がむちゃくちゃはどっちのことか。
 さらに、「教員の評価につながるから、公表したら教員が大反対闘争を起こすので、(文科省は)いろんな理屈をつけて公表を抑え込んでいる」といった。教員がこの問題で心を痛めるのは、まさに、序列化と競争が激化することなのだ。競争のなかで低位におかれた子どもの気持ちを分かることが、教育のまず出発点だ。それが分からないものは教育に口をだすべきでない。彼は、エリートで、勝って勝って勝ち抜いて成り上がった人だから、勝てない子どもの小さな悲鳴に耳をそばだてるやさしさがないのだろう。
 教員は序列と競争の激化の弊害を憂えて公表を批判しているのに、彼は、教員の評価につながるから反対しているのだと断定した。どこかでそれが証明されたのか。彼はそれを実証できるのか。事実に基づかない全くの憶測に過ぎない。教職員の日々の熱意を一顧だにせず、悪意でもって人をみる。根拠のない断定は、人を陥れるやりかたであり、心の貧しい人のやることである。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする