山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

中山国交相の人権侵害

2008年09月29日 23時57分34秒 | Weblog
 中山前国交相は、かねてからウルトラ右翼として、問題発言をくりかえしてきたが、このたびの発言はそれを上回るものだ。
 成田の新滑走路建設に反対した住民を「ごね得というか、戦後教育が悪かった」
 外国人観光客の誘致策との関係で「日本は単一民族」
 「私はこれから日教組を解体する。小泉さん流に言えば日教組をぶっ壊せ」
 これまでも、従軍慰安婦=戦時性奴隷とされた女性を侮辱して何の反省もしない中山氏がこんどは上の発言だ。
 基本は、人権侵害これに尽きる。日本は日本と言うものができる以前からアイヌ民族がいた。現在は、朝鮮人、さらに中国人、いまはブラジル人やその他の民族の一部が日本国籍を取得して、朝鮮系日本人や韓国系日本人などとして日本人の一部を構成している。映画「靖国」をとった監督も、中国系日本人なのだ。民族は異なるがれっきとした日本人だ。だが、中国人、中国人と言う。日本を単一民族と言うのは、日本の歴史上一度も存在しない。
 日教組を解体するというのは、結社の自由、労働者の団結権を否定する暴論だ。およそ、基本的人権を理解しないひとの発想だ。近代民主社会の市民とはいえない。これが公務員である国会議員、大臣であること自体、問題にされなければならない。法的に認められた存在であり、教職員個々の団結権と言う人権の行使によるものであり、これを解体するということは、この人権を抹殺するという宣言である。人権への挑戦状であり、断じて容認してはならない。
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橋下知事の盗撮はやはり違法行為

2008年09月28日 07時35分40秒 | Weblog
 橋下知事は、国際児童文学館とその他7つの施設で私設秘書にビデオの隠し撮りをさせたことについてなんら反省しないどころか、府議会という公式の場で、「謝罪するつもりは全くありません。むしろ当然の行為だと府民からよろこばれています」と発言した。
 民主主義社会の市民としてのモラルもないし、違法行為の認識が全くないあきれた発言だ。「当然の行為だと府民からよろこばれている」といって正当化しようとしているが、支持する府民がいるからといって、違法行為はなくならないし、正当化の根拠にはならない。ましてこの件についての府民からのメール61件のうち44件が批判的だったのだから、なにおかいわんや、である。
 この件に関し、法律家の団体である民主法律協会が、9月19日声明をだしているので引用しよう。
 「そもそも、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由が憲法13条によって保障されていることは、最高裁判所の判決でも確認されているところである(最高裁判所大法廷昭和44年12月24日判決)。橋下知事が行った秘密録画(隠し撮り)は、憲法で保障された個人の権利を侵害するものとして厳しく非難されるべきである。
 さらに、大阪府個人情報保護条例7条1項は、『あらかじめ個人情報を取り扱う目的を具体的に明らかにし、当該目的のために必要に範囲内で収集しなければならない』と定め、同条2項は、個人情報は『適正かつ公正な手段により収集しなければならない』と定め、同条3項は、個人情報を収集するときは、原則として本人から直接収集しなければならないことを定めているところ、橋下知事の行った秘密録画(隠し撮り)は、これら府条例の定めにも明確に違反するものである。個人情報の適切な管理と、不当な収集を禁じた同条例の執行に責任を負うべき機関の長である府知事が、率先してその条例を踏みにじり、府民の個人情報を侵害することは、法令に基づく行政という法治国家の根本原則に背くものであって、まことに許し難い。」
 「また、橋下知事は、『民間なら当たり前』と述べたと報じられているが、労働省『労働者の個人情報保護に関する行動指針』(平成12年12月)において、使用者が職場内で労働者をビデオカメラ等でモニタリングを行う場合には、原則として『労働者に対し、実施理由、実施時間帯、収集される情報内容等を事前に通知するとともに、個人情報の保護に関する権利を侵害しないよう配慮する』ことが求められており(同指針第2・6・(4))、民間企業においてもビデオによる隠し撮りは原則として許されないのであって、橋下知事の発言は不見識も甚だしい。」
 これをよめば、橋下知事の違法行為は明白である。
 橋下知事は、府議会で、直接視察では本来の姿がみえないという理由をあげて、盗撮という違法行為が許されるかのような発言をした。だがこれは、へ理屈でしかない。労働省の指針でも、事前通知と権利侵害への配慮をいっておりなりたたない。第一、府の条例を知事だからふみにじっていいのか。率先して守らなければならないのに、自分は特別だと思っているのか。自分勝手な理由をつければ、法はふみにじっていいのか。
 盗撮とともに、盗聴が問題になった。教育委員会職員の行為だが、この職員は自ら申し出、反省している。停職1ヶ月の処分となった。この職員は、盗聴した相手のグループのなかのひとりの女性がセクハラにあっていると思い込んでいたらしい。橋下知事にならえば、これは盗聴を正当化する立派な理由になる。だが、そんな手前勝手は通らない。結果として厳しい処分が下った。
 一方、橋下知事はどうか。処分されたか。処分どころか、反省もしないし、当然の行為だと居直っている。
 法は万人に等しく適用されなければならない。それが法治国家の原則だ。権力者はへ理屈をつければ法に従わなくていいとするなら、それは封建社会か、独裁国家だ。
 この盗撮問題は、政策のあれこれの判断の問題ではない。違法行為を許すのかどうかの問題だ。まして法を守る先頭に立つべき人間の違法行為だ。厳正な処分をすべきだ。ちょうど、中山国土交通相が辞任した。この中山氏応援団に知事の中で唯一(報道に接するかぎり)名乗りをあげた橋下知事だが、中山氏にならって辞任すべきだ。
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全国学力調査の本当の目的・橋下知事の応援

2008年09月27日 10時18分55秒 | Weblog
 文科省の全国学力調査の本当の目的が、思わぬ形であきらかになった。
 元文科相で麻生新内閣の国土交通相となった中山成彬氏が語った。
 「大分県の教育委員会のていたらくなんて日教組ですよ。日教組の子どもなんて成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力は低いんだよ。私はなぜ全国学力テストを提唱したかと言えば、日教組の強いところは学力が低いのではないかと思ったから。現にそうだよ。だから学力テストを実施する役目は終わったと思っている。」
 実にわかりやすく、貴重な証言だ。文科省の「実施要領」には、当然のことながらそんな裏の目的は書かれていない。
 そういう目的をもって実施された学力調査の結果、日教組の強いところは学力が低いということがわかったというのだ。だから学力テストの目的は終わったと。さっさとやめたらいい。毎年60億円も使うのだから。
 わかったという因果関係はほんとにそうなのか。新聞にかかれているとおり、まったく事実誤認だ。日教組が強いという秋田県が小学校の1位、同じく福井県が中学校の1位。中山氏は、そうとう思い込みが激しい人のようだ。事実を調べすに印象でものを言うようだ。
 ウルトラ右翼として名高い中山氏。おなじく中川昭一氏そして大将の麻生首相とメンバーがならぶとすでに韓国や中国からは警戒心がわきおこっているのもうなずける。
 それにつけても、わが橋下大阪府知事。さっそく、中山氏の応援団として出てきた。「本質をついているような発言じゃないですか」といった。これでは、中山氏と同じだ。事実を調べもせずに、思い込みだけで発言する。公の人間として責任をとるということを考えないのか。公人としてはもちろん、私人としても公に発言する場合は責任を自覚するものだ。私は教員だから仕事の面では公の人間だ。橋下氏は公の場で教育委員会のことを「クソ野郎」といった。教員がPTAの場で生徒の○○のクソ野郎というようなものだ。私たちからすると、考えられないし、ありえない。また私人としてブログで発言する場合でも、意見は意見だが、事実に間違いがあっては、外に向かった発言としては失格だということを己にいいきかせている。橋下氏にはそれがなさそうだ。
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佐伯祐三展をみよう・その3、田舎で法事・その2

2008年09月25日 01時04分00秒 | Weblog
 イクーニャさん、コメントありがとう佐伯祐三展、入り口で待たされたとは、1週間前とは大変な違いですね。多くの人が、ああ、見逃したら後悔すると、あせってきたんですよ。いや、ほんとに後悔しますよ。この機会に見ないと。これからも他の都市に巡回するかもしれないけど、新幹線で見に行くとなると、それは大変ですから。大阪在住者は、早く行きましょう!
 平松大阪市長が、橋下知事の血も涙もない教育・福祉切捨てに力を得て、相当なことをやるといってるので、今回は間に合った美術館入館も、地下鉄・バスの敬老パス制限とあわせて取り上げられるかもしれないので、お母さんが今回見に行かれたのは、よかったですね。
 ところで、佐伯祐三展では、小出楢重(こいでならしげ)の作品が3点ほど展示されていた。小出は、市岡中学(現市岡高校)の出身で、佐伯とともに大阪にゆかりの画家だ。作風は、佐伯とはちがい、重厚、執拗にカンバスに絵筆を積み重ねていく。対象となる題材も日本女性などすこぶる日本的だ。でも見る人は、どっしりとした作品の重さを受け取ることになる。イクーニャさんもいうように、佐伯は、その作品から、行き急いだことをひしひしと感じる。才気煥発の才能も見て取れる。この展覧会では、佐伯と小出の対比を見ることができるのも、刺激的だ。ぜひ、見に行こう。市民の誇るべき財産だから。
 話しは変わって、昨日、田舎での法事に出席した。
 お経二つ(観無量寿経、阿弥陀経)のあと蓮如上人の御文(おふみ)の五条目の一部が読まれた(田舎では五条といっていたが五帖かも)。
 蓮如(1415-1499)は、本願寺中興の祖といわれ、吉崎御坊を建立し、越前、加賀に強力な教団を確立した。
 法事で読まれた御文の該当部分を和とじの本から書き写してきたので紹介しよう。カタカナで書かれた部分をひらかな、現代かなづかいにし、濁点と句読点をつけた。
「そもそも男子も女人も、罪のふかからんともがらは、諸仏の悲願をたのみても、今の時分は末代悪世なれば、諸仏の御ちからにては中々かなわざる時なり。己によりて阿弥陀如来と申し奉るには、諸仏にすぐれて十悪五逆の罪人を我たすけんという大願をおこししまして、阿弥陀仏となり給えり。この仏をふかくかくたのみて、一念御たすけ給えと申さん衆生を我たすけずば、正覚ならじとちかいまします弥陀なれば、我等が極楽に往生せし事は更にうたがいなし。このゆえに一心一向に阿弥陀如来たすけ給えとふかく心にうたがいなく信じて、我身の罪のふかき事をばうちすて仏にまかせまいらせて、一念の信心さだまらん輩(ともがら)は十人は十人ながら、百人は百人ながら、みな浄土に往生すべき事さらにうたがいなし。このうえには、なおなおとうとく、おもいたてまつらんこころのおこらん時は、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と時をもいわず、ところもきらわず、念仏申すべし。これをすなわち仏恩報謝の念仏と申すなり。あなかしこ、あなかしこ。」
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田舎で法事

2008年09月23日 23時51分42秒 | Weblog
 秋分の日、石川県小松市の田舎でおこなわれた叔父叔母の法事に出席した。
 行きは米原回り、帰りは湖西線の日帰り。福井・石川の田んぼは、ほとんどすべて稲刈りが終わっていた。びっくりしたのは、北陸トンネルをすぎると、田んぼは一面白い花で覆われていた。そう、そばの花だ。そば畑は5分走るとまた姿を現すというテンポで見ることができた。休耕田をそば畑にしたのだ。稲にくらべればそばの生産性は低いが、休耕田の活用法としてはいいと思った。越前そばを売り出すには最適だ。食料は日本の大地からをを実践している。そばも輸入品が多いから、ここをモデルに日本そばを復興を!
 叔父の33回忌、叔母の17回忌の法事である。ここは一向一揆もあった浄土真宗の本場である。信者団体である講も活動している。真宗大谷派(東本願寺)の勝光寺の新住職ともう一人の僧と二人で読経をおこなった。観無量寿経と阿弥陀経の二つの読経がおこなわれたので、足がしびれるには充分であった。そのあと、蓮如上人の御文(おふみ)の一部が読まれて終わった。御文は文語体ではあるが、まだ普通のことばで書かれているので、聞いていてもまあわかる。読み上げられた御文の該当箇所を次回紹介しよう。書き写してきたので。
 そのあと、足を崩して少しリラックスした格好で、住職の説教を聴いた。実は、6月にも住職の説教を聴いた。何人もが涙を流して聴いた。先回は、中村久子さんのという女性が、両手両足を失いながらも生涯を生き抜き、親鸞の教えに深く傾倒して生を終えたその生きざまを語り、生かされ、生き抜くことの意味を話された。
住職はまだ若いが、よく勉強をつまれた方であると思った。今回は、多田富雄さんの『寡黙なる巨人』という本を示され、多田さんの生きざまから学ぶものを話された。
 すべて終わって、マイクロバスで小松の街のホテルで食事となった。昔ならば、家で魚屋の仕出し料理に家庭料理で食事をしたものだが、今は、ホテルでとあいなった。となり村の魚屋もなくなり、金はかかるが、楽に終えることができるのでこういう形が広がったようだ。親族がそれぞれ故人の思い出を語り合った。
 
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学力調査結果公表の陥穽

2008年09月21日 17時30分05秒 | Weblog
 橋下大阪知事が全国学力調査結果を市町村教委が公表するように、激しい圧力をかけている。「このざまはなんだ」「あのクソ教育委員会」と罵詈雑言の連続だ。おかんに怒られたと、シュンとしたのかと思ったら、先日のフジテレビで「クソ教育委員会とはいっていない、教育委員会のクソ野郎といった」というのだ。なにも反省していない。大体、いい年をして、母親にしかられるということ自体、わたしには想像できない。
 問題の学力調査結果公表だが、文科省は、府県教育委員会は市町村の結果公表は行わない、市町村教育委員会は公表の判断はできるとしている。だが、大前提として、「序列化や過度な競争につながらないよう十分配慮」すべきだと念をおしている。
 制度上は公表できることにしているが、各市町村がつぎつぎ公表すれば、全国の学校が序列と競争の渦に巻き込まれるのは必至だ。すでに今年の調査に向けて、教育にあらざる特訓をしている市や学校が全国にあるではないか。
 そもそもこの学力調査に当たって、府教委や各市教委は、子どもたちに結果を公表すると、事前に説明していたのか。そんなことはしていない。府教委も市教委も序列化や過度な競争は避けなければならないということを重視して、公開に否定的であった。これは、子どもたちとの約束と解釈しなければならない。
 ところがここで、政治的圧力に屈して、とくに橋下知事の教育予算で差をつけるという脅しに屈して、府教委につづいて各市教委が公開へと転じるなら、子どもたちとの約束をふみにじることになる。このことの意味は大きい。
 子どもも人権の主体である。子どもとの約束があったという認識もなく、政治的な場でことがすすめられるおぞましさをなんと表現すべきか。
 教育委員会よ、しっかりしろといいたい。
 自分に従うか、従わないかで教育予算に差をつけるというのは、公平を旨とする民主主義の否定である。子どもの世界にあって、力の強いものにへつらうことを当然視することは、もっともやってはいけないことだ。正しいといってきたことを投げ捨て、力に屈服するのを子どもたちの前で演ずる、まさに、支配と服従の世界だ。
 教育をつかさどる教育委員会が、子どもたちとの約束、力の支配に屈しない勇気、これら一連の事態の中に潜む本質に思いがいたらず、公表へとなだれをうって態度を変えるなら、それは政治的な屈服にとどまらず、倫理的敗北、教育の敗北となる。
 相手の態度によって予算に差をつける橋下知事の政治手法は、その対象が教育であるだけに、悪質さはきわだっている。このような忌むべき手法をふりかざす人物が、教育への介入をつよめることにいいしれぬ危機感を覚える。
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佐伯祐三展を見にいこう・その2

2008年09月21日 02時37分10秒 | Weblog
 佐伯祐三展でこんど気に入ったのが、「立てる自画像」だ。
 1924年、第1次パリ時代の初めの頃の作だろう。赤いシャツ、黒いズボン、長髪、パレットと絵筆をもった青年画家が立ち尽くしている。立ち尽くすというより、さまよい歩いて、一瞬立ち止まったなかにみえる決意の姿か。顔はかき消されている。風景はリアルではなく矮小化されている。書き消された顔と、絵筆とパレットを放さない両手。声高ではなく、ひそかに立てつつある決意の姿であろう。  これで思いだすのが、松本竣介(1912-1948)の「立てる像」だ。戦時中に苦しい中で画家として自立していった人だ。戦争賛美の絵筆をとらなかったことで、わたしは彼を尊敬している。松本竣介の「立てる像」を見たのも、この大阪市立美術館ではなかったか。20年ほど前であろうか。「立てる像」も画家としての決意の姿であった。見るほうが立ち尽くす絵だ。
 佐伯の「立てる自画像」のカンバスの裏には「夜のノートルダム」が描かれていて、表裏の絵が両側から鑑賞できるようになっている。だが、表裏が逆さまに描かれているため、「夜のノートルダム」は上下逆になっているのを見ることになる。
 それにしても、佐伯祐三没後80年展は110点もの彼の作品が展示されており、必見である。そのなかで、大阪市立近代美術館建設準備室が所蔵している佐伯の作品は50点ほどもある。大阪市民の誇るべき、貴重な財産だ。
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佐伯祐三展を見にいこう

2008年09月20日 01時01分49秒 | Weblog
 このブログ開設の最初の記事を佐伯祐三展のことにできたのはうれしい。10年前の生誕100周年展にも行き、私自身彼の絵が好きで、画集も買っていたこともあるし、また多くの人、とくに大阪の人々に好かれている画家だから。
 前回すこしふれたノートルダムについて。
 10年前と同様、ノートルダム3点が展示されている。ひとつは、わが北野高校所蔵のノートルダムだ(私は定時制の教員で、佐伯祐三は夜間中学が誕生する前の北野中学校の生徒であった)。もうひとつは、夜のノートルダムだ。これは裏に別の絵が描かれていて、展覧会では、夜のノートルダムが逆さまに展示されている。3つ目は、やや緑がかった色調で統一されていて、三つのなかでは一番いいかなあと思った。
 ノートルダム3作は、主題とがっぷり四つに組んで、大勝負をした形跡が十分うかがえて、われわれを十分納得させてくれる。他の作品とはちがう重厚さを感じさせる。それでも、北野高校蔵のノートルダムをよくみると、これは北野高校図書館主催の展示会(毎回、高橋先生の尽力による)でもじっくり眺めたのだが、ノートルダム自体と執拗に格闘しその跡はもりあがった絵の具からうかがうことができる。
 だが、前回も書いたように、この北野のノートルダムもよくみると、教会以外の部分はカンバスの地肌がみえる。このアンバランス、執拗なノートルダムとそれ以外の部分への無関心(いい過ぎ)のアンバランス。だがもう少し考えてみると、カンバスを全体として完成させることに執着するのではなく、主題であるノートルダムとの格闘をカンバスにのせることに集中したのであろう。
 北野高校蔵のノートルダムは、図書館によって、全日制の生徒は3年間のうち一度は見ることができるように展覧会が催されている。今度の全国巡回の展覧会のように、ノートルダムはお出かけしていることが多いので、いつでも見せることはかなわない。今年1学期の校内の展覧会(手塚治その他多くの資料を展示した)でノートルダムを鑑賞した。
 ぜひ多くの人に、とくに大阪の人に鑑賞してほしい。見ないともったいない。百点もの佐伯祐三作品をまとめて鑑賞できるとは、こんな幸せはないではないか。
 いやなことが多いこの時代に、いい展覧会をじっくりとみよう。そしてエネルギーを蓄えよう。
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修学旅行下見と橋下知事改革

2008年09月19日 11時38分23秒 | Weblog
 9月16,17日と修学旅行の下見にいってきた。1泊2日の修学旅行は、小学校?
 いや、じつは定時制高校の修学旅行だ。北野高校定時制だ。じつはじつは今年で北野定時制は廃校になる。72年の歴史を閉じる。最後の修学旅行だ。
 高校の修学旅行は4泊5日が標準だが、本校では、今は1泊2日でやっている。お金がかかるのが第1、仕事でながい日程がとれないこともある。21000円2日間。添乗員なし、教員がすべて案内する。だから、電車の乗り降り、歩く道を全部頭にいれる、迷わず小旗をもって?案内するのだ。駅から施設、施設から乗船場などの時間もはかった。それをもとに、細かい動きを組み立てなおした。
 どこにいくのか?
 伊勢志摩方面。スペイン村、鳥羽観光(鳥羽湾めぐり、イルカ島、水族館、真珠島)。ホテルは、今までの修学旅行で一番かなと思ういいホテルだ。部屋からの眺望は最高!リアス式海岸の英虞湾がわが庭のようだ。いつまでみても飽きない。夕方もいいが、朝がまたいい。生徒が満足することうけあいだ。よかった。
 大阪では修学旅行が、あらたな問題の種になっている。悩まされている。
 それは、橋下知事の贈り物のせいだ。贈られるというより、じつはふんだくられるのだが。
 橋下知事の「大阪維新」策によって、修学旅行、宿泊研修、クラブの全国大会などに引率付き添い旅費から、日当・食費がけずられてしまった。支給されるのは、交通費と素泊まり料だけ。食事は家でもとるだろうというのだ。だが、家で安く食事するのとはちがう。今までは一日2200円の食費がでていた。しかしこれで3食はまかなえないので、日当2200円もあてていた。しかしこれからは完全もちだしだ。ふんだくられるといったほうがいい。なぜなら、宿泊行事は生徒と「同じ釜の飯を食う」ということに意味があるから、ともに食事することは欠かせない。
 食事時間も勤務時間である。生徒指導の大事な場面だ。事実上24時間勤務に近い。だが、府が食費をださないことによって、食事時間に勤務を命じられなくなった。付き添い教員はホテルのレストランからはなれて外に安いものをさがしにいっても違法ではなくなった。
 しかし生徒をほったらかして、外へ行く教員はいない。ということは、食事代を自腹をきって払うことになるのだ。他校で聞いた宿泊行事の例では、8000円もちだした、10000円なったという話しも聞く。8000円、10000円はらって仕事をさせてもらうという関係になる。日に3度の食事時間2~3時間の賃金が、マイナス何千円なのだ。宿泊行事では、食事時間はれっきとした勤務時間だ。道理にあわない。
 橋下知事の「教育日本一」政策の中身はこんなものだ。これが日本一への確実な一歩だと信じて疑わない、いいだしたらいうことをきかないという特性をもつ橋下知事のもとで、これからどうなるのか。
 こんなことがまかり通ったら、日本全体の労働者が出張の度に大損するというとんでもない時代になる。
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佐伯祐三展

2008年09月16日 00時17分43秒 | Weblog
 今日15日、ふと思いついて、天王寺公園にある大阪市立美術館に行った。パリで夭折した天才画家といわれる佐伯祐三(1898ー1928)の没後80年記念展を見るためだ。
 佐伯祐三の写真をみると、芥川龍之介の顔がうかぶ。広い額にするどい目、かきあげた長い髪。
 30歳で亡くなった。若くして発揮したその才能はすごいと思わずにはいられない。短い生涯を行き急いだかのように、その画風はあまりにも急いだ気持ちがそのままあらわれている。
 祐三展では、1)東京美術学校時代からパリに行くまで、2)第1次パリ時代、3)帰国時代、4)第2次パリ時代、5)最後の3ヶ月、の構成だった。
 わたしは、一般に人気のある4)、5)の時期よりも2)の時期が好きだ。パリの街並のポスターや広告を好んで題材にえらんだものが特徴でよく知られる。その文字はおそらく実際以上に強調されている。この時期、4ヶ月でなんと100枚も描いているのだ。1日1枚といっていい。考えられないスピードだ。だからカンバスの地肌が見えているところがある。それはなにもこの時期だけでなく以前の、たとえば有名なノートルダムでも、教会はたんねんに塗こめられているのに、バックの空には塗られていないところがいくつもある。
 このことで思ったのは、筆が早い、決断が早い、もうこれで完成という彼の姿勢だ。わたしなど絵は好きだがろくに描けない。描いても技術がないのでどうにもならない。でも、佐伯はすぐれた技術・才能をもっているので、さっと描いても最高レベルまで達している。このことが大きいのだろうが、わたしからみて未完成といったら失礼だが、もう次の作品へと筆をすすめる、その気の早さには理解しがたいところがある。
 帰国時代に、わたしの住んでいる大阪・市岡で蟹の絵を30分で描いたというのが展示されていた。才能を示す筆致だ。そのあとその蟹をたべてしまったという。川口教会近くの住友倉庫あたりの安治川での船を描いた数枚は力感がありいいなあと思った。
 帰りに、複製を2枚買った。
 そういえば、いま寝ている部屋のかべにあの有名な「郵便配達夫」が押しピンで貼ってある。10年くらい前だろうか、祐三展で買ったものだ。
 もう画集というか展覧会の本は買わないのだが、ふと、きたない居間の本棚に近寄ってみると(視力が弱いので)、なんと生誕100年の祐三展の画集があるではないか。今日買った絵が、そのときの本の表紙をかざっている。なんとなんと。
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