山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

沖縄県民を侮辱する百田、百田と同類の安倍自民

2015年06月28日 11時55分37秒 | Weblog
 百田尚樹は沖縄侮辱発言の翌日27日、ツイッターで、「私が本当につぶれてほしいと思っているのは朝日新聞と毎日新聞と東京新聞です」と追加発言をした。また同日、福岡で講演し、「公開されていない内輪の席での会話を報道された。テレビやラジオの発言なら言い訳は通用しないが、飲み屋でしゃべっているようなもの。飲み屋では何でも言う。『あいつ殺したろうか』って。これ殺人未遂になるのか」などと弁明した(『毎日』28日付)。
 自民党本部で青年局長が中心になって開いた「文化芸術懇話会」が飲み屋なのか。政権中枢の人間、あと国会議員ばかり。冒頭部分だけかもしれないがテレビカメラも入って撮影している。国会議員を相手にに発言することが公の発言でなくて何なのか。一般人が入場していないからといって、無責任に誹謗中傷に及ぶ、あるいは言論弾圧を推奨する発言が責任を問われないわけがない。NHK経営委員という公職にあったときも、今回と同レベルの発言をくりかえしていた。下手な弁解をするな。
 こんなこともいっている。「もともと普天間基地というのは田んぼの中にあった。周りに何もなく、民家はあったが、田んぼの中にあった。基地の周りにいけば商売になるということで、みんなどんどん年十年もかかって基地の周りに住みだした。もういまや街の真ん中に基地がある。だからもちろん騒音がうるさいのはわかるが、『そこを選んで住んだのは誰やねん』といいたくなる。」
 妄言もはなはだしい。もともと普天間基地の地域には多くの人が住んでいた。集落があり、学校もあった。銃剣で排除され、基地のために土地を奪われたが、戻ってくるのはあたりまえだ。その後人口が増え基地をぎっしり民家が取り巻くようになった。基地がなければもっとゆったりしているのに。基地の中には今も墓がいっぱいある。宜野湾市は、基地内に宅地が620、墓地が542あったことを確認している。集落を描きこんだ古地図も残されている(『赤旗』28日付)。「そこを選んで住んだのは誰やねん」というが、もともと住んでいた人が住んで何が悪いねん。あんたの妄言のネタ元はどこか、明らかにしろ。
 百田はこうもいう。「基地の地主さんは年収何千万円。だから、その基地の地主さんが六本木ヒルズとかに住んでいる。だから基地が出ていってしまったらえらいことになる。」
 1000万を超す地代を受け取っている人はいるだろう。ヒルズに住んでいる人がいるかもしれない。だがそんな確かかどうかわからない情報を百田はどこから仕入れるのか。可能性としては反基地闘争を敵視している公安警察が違法な手法で情報を入手し、それが安倍の側近民間人・百田に提供されたとしても不思議はない。
 百田はまた「沖縄は本当に被害者なのか。そうではない。例えば左翼がうまいことをいう。沖縄の米兵がレイプ事件を犯したことが、過去何例もある。だが沖縄に住む米兵が犯したよりも、沖縄県全体で、沖縄県自身が起こしたレイプ犯罪の方がはるかに率が高い。こういうことは絶対言わない。」
 米兵のレイプは何件ではない、何百件だ。沖縄県民のほうがレイプを起こす率が高い、はるかに高いと、どうしていえるのか。沖縄県警の発表でもあったというのか。証拠を示せ。とんでもない中傷だ。
 百田の「文化芸術懇話会」での妄言は、文化や芸術とは縁もゆかりもない。安倍自民党のお友達の文化人とはこのレベルだということだけは、あらためて確認できた。
 安倍首相は、「党の正式な会合ではない」といって何の責任も取らない、知らぬ存ぜぬを通そうとしている。だが党の役員が政権幹部や議員をあつめてやった会合に首相・党首がなんの責任も感じないということがありえようか。自民党は木原・青年局長(熊本1区)を更迭して、沈静化を図ろうとしている。
 27日放映のテレビ朝日系「朝まで生テレビ」で戦争法案を討論する予定が、与党からは一人も出席せず野党とコメンテーターだけの議論となった。番組が30人以上の自民党議員に出席依頼をしたが、一度は承諾してもみんな取り消したという。公明党も同調した。法案を提出している与党議員が、こわくて討論できない状況に陥っているのだ。ここに戦争法案が、立法事実もなく、憲法にも違反し、立憲主義をくつがえすものであることを問わず語りにあらわしている。末期的症状だ。もう法案を撤回するしかない。
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百田の暴言を報道しないNHK

2015年06月28日 11時55分27秒 | Weblog
 自民党の安倍腰ぎんちゃく議員が開いた「文化?芸術?懇話会」で作家の百田尚樹が大阪弁でしゃべった暴言をNHKのニュースは報道しない。自民党議員が「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番」と発言したことは報じたが、安倍首相のご推薦でこの2月までNHK経営委員をしていた百田の暴言については発言内容どころか一切をカットした。あまりの偏向ではないか。これでは何が起こったのかわからない。
 籾井体制のNHKでは最低限の事実さえも報じない。
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安倍お友達の百田尚樹、『沖縄2紙』つぶせと民主主義破壊の暴言

2015年06月26日 09時54分18秒 | Weblog
 論戦では完全に追い詰められぼろぼろになっている安倍政権。だが数だけはもっている。これをたのみに国会を95日間も延長した。現憲法下では最長だ。権力の横暴をとどめるための会期制の原則をふみにじるものだ。
 理論的な破たん、立憲主義をくつがえしていることが一般国民にも知れ渡ってきているもとで、あせった自民党がとんでもない人物を助っ人に呼んだ。百田尚樹だ。
 安倍首相に近い若手40人が25日(2015・6)、「文化芸術懇話会」を開き、戦争法案に国民の理解が広がらないことに対し、助言を求めた。百田氏は「国民に対するアピールが下手だ。気持ちにいかに訴えるかが大事だ」「沖縄のふたつの新聞はつぶさないといけない。あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」などと暴言を吐いた(『毎日』6・26)。
 国民は、戦争法案が憲法に違反していないかどうかを注視しているときに、気持ちに訴えることが大事だという。求めているものが違う。感情に訴えて引きずって行こうというのだ。いつか来た道だ。百田らしい。
 『琉球新報』と『沖縄タイムス』は、真のジャーナリズムに値する新聞だ。あと東京新聞くらいか、一般紙では。中央政界におもねることなくたんねんに事実を追っている。戦争反対の運動もきっちりとりあげる。ほとんどのマスコミは、エジプトや中国の反政府運動は詳細に報じるのに、日本の反政府運動は存在しないかのような扱いをする。そういう環境の中で運動をし世論を獲得するのは至難の業だ。
 沖縄2紙をつぶさないといけないとは、報道・表現の自由をつぶせということで、基本的人権・民主主義を破壊する行為だ。おまけに、沖縄の一部が中国に占領されれば間が覚めるというのは、本心では占領されたらいいと思ってるのだ。沖縄県民のこころを全く分かっていないし、気持ちを逆なですることをわかっていない。沖縄は、すでに、現に、アメリカに広大な土地を占領されているのだ。百田はそれがわかっていない。「陸戦の法規慣例に関する条約・規則」に反して、アメリカは現地の法を守り、住民の財産をうばってはならないと国際法で決められているのに、それを無視して県民の土地を銃剣とブルドーザーで奪って基地をつくった。だから反基地闘争がつづいているのだ。
 安倍の一番のお友達文化人がこんなレベルだ。安倍・百田に日本国民は付き従っていたら、地獄の戦場へ行かされる。
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安倍お友達の百田尚樹、『沖縄2紙』つぶせと民主主義破壊の暴言

2015年06月26日 09時54分18秒 | Weblog
 論戦では完全に追い詰められぼろぼろになっている安倍政権。だが数だけはもっている。これをたのみに国会を95日間も延長した。現憲法下では最長だ。権力の横暴をとどめるための会期制の原則をふみにじるものだ。
 理論的な破たん、立憲主義をくつがえしていることが一般国民にも知れ渡ってきているもとで、あせった自民党がとんでもない人物を助っ人に呼んだ。百田尚樹だ。
 安倍首相に近い若手40人が25日(2015・6)、「文化芸術懇話会」を開き、戦争法案に国民の理解が広がらないことに対し、助言を求めた。百田氏は「国民に対するアピールが下手だ。気持ちにいかに訴えるかが大事だ」「沖縄のふたつの新聞はつぶさないといけない。あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」などと暴言を吐いた(『毎日』6・26)。
 国民は、戦争法案が憲法に違反していないかどうかを注視しているときに、気持ちに訴えることが大事だという。求めているものが違う。感情に訴えて引きずって行こうというのだ。いつか来た道だ。百田らしい。
 『琉球新報』と『沖縄タイムス』は、真のジャーナリズムに値する新聞だ。あと東京新聞くらいか、一般紙では。中央政界におもねることなくたんねんに事実を追っている。戦争反対の運動もきっちりとりあげる。ほとんどのマスコミは、エジプトや中国の反政府運動は詳細に報じるのに、日本の反政府運動は存在しないかのような扱いをする。そういう環境の中で運動をし世論を獲得するのは至難の業だ。
 沖縄2紙をつぶさないといけないとは、報道・表現の自由をつぶせということで、基本的人権・民主主義を破壊する行為だ。おまけに、沖縄の一部が中国に占領されれば間が覚めるというのは、本心では占領されたらいいと思ってるのだ。沖縄県民のこころを全く分かっていないし、気持ちを逆なですることをわかっていない。沖縄は、すでに、現に、アメリカに広大な土地を占領されているのだ。百田はそれがわかっていない。「陸戦の法規慣例に関する条約・規則」に反して、アメリカは現地の法を守り、住民の財産をうばってはならないと国際法で決められているのに、それを無視して県民の土地を銃剣とブルドーザーで奪って基地をつくった。だから反基地闘争がつづいているのだ。
 安倍の一番のお友達文化人がこんなレベルだ。安倍・百田に日本国民は付き従っていたら、地獄の戦場へ行かされる。
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6・23沖縄の「平和宣言」と大阪のデモ

2015年06月24日 21時32分02秒 | Weblog
 6・23は沖縄戦で組織的戦闘が終わった日だ。摩文仁の丘では「沖縄全戦没者の追悼式」が行われた。
 翁長知事は平和宣言で、「かつて沖縄では、史上まれにみる熾烈な地上戦が行われました。20万人余りの尊い命が犠牲となり、家族や友人など愛する人々を失った悲しみを、私たちは永遠に忘れることができません」とのべるとともに、現実の沖縄の問題に切り込んだ。平和宣言の大半を、今の沖縄が背負っている苦難について述べ、普天間飛行場の「『その危険性除去のため辺野古に移設する』『いやなら沖縄が代替案を出しなさい』との考えは、とうてい県民には許容できるものではありません。」「政府においては、固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古へ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます。」と宣言した。参列者からは拍手が起こり、指笛がなった。いっぽう、安倍首相があいさつに立つと「帰れ」のヤジが飛んだ。これが県民の率直な気持ちだ。
 去年の4月28日、サンフランシスコ講和条約によって沖縄が日本から切り離され、アメリカの植民地とされた屈辱の日(4・28)を、安倍首相・安倍内閣は国家的な祝いの式典で迎えたのだ。県民はアメリカの植民地にされたのにくわえて、これを祝うという新たな屈辱をうけた。
 同じ日、大阪では「STOP安倍政権!戦争法案阻止!6・23府民集会」がひらかれた。さわやかな初夏の夕暮れに、扇町公園から梅田新道、西梅田まで「戦争法案を廃案にせよ」「若者を戦場に送るな」「辺野古基地建設反対」の声をとどろかせた。全国でも集会デモがやられた。4000人と発表があったがもっと多いと思った。ヘルニアをわずらってろくに歩けなかったわたしも、久しぶりに復帰した。デモの最後尾が会場をでるまでに1時間もかかったらしいから、人数はもっと多かったと思う。
 沖縄にとって6・23は20万の命を奪った沖縄戦の日、日本全体にとっては安倍首相の祖父の岸信介首相によって新安保条約が批准された日だ。その安保を土台にした日米軍事同盟は世界規模の戦争法をもとうとしている。すでに安保条約の枠を飛び越え、安保条約さえも踏みにじっているといわざるをえない地点に立っているのだ。憲法9条の日本に復帰したはずの沖縄は、安保条約の日本になげこまれ、地球の裏側まで米軍とともに戦争をする最新鋭基地を受け入れよと恫喝されて、現在に至る。翁長知事がきびしい平和宣言を発したのは当然だ。
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都会にカエルの合唱

2015年06月22日 22時05分10秒 | Weblog
 大阪・港区の片すみで、ここ10日ほど毎日、夜9時頃からカエルが鳴いている。わたしの家の前から聞こえる。向かいは市岡自転車保管所だ。もともと抽水場で廃屋となった市職員住宅が一棟あり、大きな木もある。その周辺からカエルの合唱が聞こえるのだ。
 カエルといえば田舎の田んぼを思い出す。水たまりのないところでなぜカエルが発生したのだろう。不思議だ。でもなつかしい。
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労働者使い捨ての派遣法改悪案衆院通過、日本社会を破壊する悪法

2015年06月19日 21時28分50秒 | Weblog
 派遣労働者を使い捨てにする労働者派遣法改悪案が衆院厚生労働委員会、衆院本会議で自民・公明の賛成で通過し、参院に送られた。
 派遣労働者の受け入れ制限をなくし、3年ごとに人を交代させれば無限に派遣労働者を使える。基幹社員以外はすべて派遣に置き換えることも可能だ。おそろしい。安倍首相は、世界で一番企業が活動しやすい国をめざすと公言していたが、まさにその通りの法律だ。
 労働者はどんどん正規が派遣におきかえられる。労働者の権利は奪われ、賃金は減らされる。労働者全体の所得がへれば、購買力が落ち込み、GDPの6割を占める個人消費は減少する。そうなると設備投資の志向も減退する。経済成長は望むべくもない。高度成長期の経済モデルとは正反対の方向へ着実に手を打っている。日本社会の破壊の方向だ。これが日本経団連、独占大企業の理想社会なのだ。これが自民・公明の政治の方向なのだ。おそろしい発想だ。だれがよろこぶのか。自民党・公明党に投票した人に聞きたい。これが、あなたの子どもが大人になるときの理想の世の中ですか。
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労働者使い捨ての派遣法改悪案衆院通過、日本社会を破壊する悪法

2015年06月19日 21時28分50秒 | Weblog
 派遣労働者を使い捨てにする労働者派遣法改悪案が衆院厚生労働委員会、衆院本会議で自民・公明の賛成で通過し、参院に送られた。
 派遣労働者の受け入れ制限をなくし、3年ごとに人を交代させれば無限に派遣労働者を使える。基幹社員以外はすべて派遣に置き換えることも可能だ。おそろしい。安倍首相は、世界で一番企業が活動しやすい国をめざすと公言していたが、まさにその通りの法律だ。
 労働者はどんどん正規が派遣におきかえられる。労働者の権利は奪われ、賃金は減らされる。労働者全体の所得がへれば、購買力が落ち込み、GDPの6割を占める個人消費は減少する。そうなると設備投資の志向も減退する。経済成長は望むべくもない。高度成長期の経済モデルとは正反対の方向へ着実に手を打っている。日本社会の破壊の方向だ。これが日本経団連、独占大企業の理想社会なのだ。これが自民・公明の政治の方向なのだ。おそろしい発想だ。だれがよろこぶのか。自民党・公明党に投票した人に聞きたい。これが、あなたの子どもが大人になるときの理想の世の中ですか。
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18歳選挙権で民主主義を前進させよう

2015年06月17日 22時07分01秒 | Weblog
 17日(2015・6・17)、参院本会議で改正公職選挙法が全会一致で可決された。18歳選挙権が成立した。普通選挙権の歴史からは重要なできごとだ。だが日本の18歳選挙権はあまりに遅すぎた。
 わたしが現代社会や政治経済の授業で18歳選挙権の問題を取り上げたのは30年も前のことだ。当時の生徒の反応は、自分は大人になりきっていないので選挙権はまだいらないというのが半分を占めた。これは今の高校生も同じ傾向だろう。だが、高校を出て働く者も一定数いるし、多くの青年がアルバイトをして、本格的に税金を納めるようになる。その税金の使い道を決めるのが国会や地方議会の最大の仕事で、その議員や首長をを選ぶ権利が与えられるのは当然ではないか。また労働基準法などでは18歳未満を特別に保護しているが、18歳からは大人扱いをしている。こういう観点からわたしは18歳選挙権をは全世界、そして欧米先進国でも共通の流れだと生徒たちに伝えた。でも政治の世界では、18歳選挙権など見向きもされなかった。
 こんどの年齢引き下げは、憲法改正をねらう自民党などの動きからでてきたものだ。国民投票ができる年齢を18歳以上に引き下げる国民投票法改正が昨年8月になされた。その付帯決議に選挙権年齢の引き下げももりこまれた。これをうけたプロジェクトチームに共産、社民以外の各党がくわわり提案となった。共産・社民は憲法改正とリンクした動きへの警戒を表明していた。もともと共産党は創立以来18歳選挙権を掲げていたし、社民(社会)党も古くからそういう立場だったろう。採決では両党とも賛成した。
 1925年の男子普通選挙権、1945年の女性も含む20歳普通選挙権につぐ、わが国民主主義史上画期的な前進だ。これで18,19歳の240万人が新たに有権者になる。
 ここでにわかにいわれるようになったのが、学校での主権者教育だ。まさににわかにだ。これまではどうだったか。教育基本法には政治教育が一つの条文をおこして、政治教育は尊重されなければならないとされたきた。ところが学校は特定の政党を支持し、または反対するための教育をしてはならないとあるのを利用して、何十年にもわたって政権与党が政治教育への抑圧を系統的にやってきた。その結果が、欧米に比べて極端に低い日本の若者の政治関心ををつくりだした。政治教育への抑圧だけでなく、ここ20年、安倍首相や稲田自民党総務会長らを中心とする極右運動が歴史教育への介入抑圧を強めてきた。これについては教科書問題などでご存じの通りだし、中高校の授業内容にまで介入し、最近は大学の講義にまで攻撃をくわえている。これで政治教育をちゃんとしよう、主権者教育をやろうといってもまゆつばだ。安倍晋三の許す範囲のものが想定されているのだ。
 学校運営自体が教育の専門家としての教員の裁量権を切り詰め、校長が独裁的に決める運営がおしすすめられている。主権者として民主主義の力量を身につけましょうといっても、その教員自身がものもいえず、決定に参加できない学校において、なんの魅力があろうか。教員自身が民主主義の実践者でなくて、口先だけの民主主義にどんな輝きがあろうか。生徒に民主主義をいきいきと伝え、主権者たれというためには、自らがそうでなければならない。抑圧に負けることなく前進してほしい。退職教員も、国民も、次代の主権者をそだてる民主主義教育、主権者教育にエールを送ろう。
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砂上の楼閣「集団的自衛権は砂川判決が根拠だ」 

2015年06月16日 14時52分58秒 | Weblog
 戦争法案は憲法違反だとの、憲法学者の指摘をうけて、弁明に回った政府自民党はいっそうの混迷に陥っている。
 安倍首相はドイツで8日、砂川事件最高裁判決(1959年12月)が「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」とした部分をとりあげて、これが憲法の基本論理だとし、集団的自衛権行使の新3要件もこの論理が貫かれており、合憲だと語った。9日、政府は論理的整合性に関する見解を発表したが、そこにも59年の砂川判決をとりいれている。
 11日、衆院憲法審査会で、高村自民党副総裁は、過日の参考人質疑に腹を立て、砂川判決に全面的に依拠する発言をして、他党の意見も聞かずに途中退席した。もともと昨年7月の閣議決定に向けて、最高裁も集団的自衛権を認めてきたと砂川判決をもちだして合憲性を証明しようとしたのが高村副総裁だ。だがあまりの荒唐無稽さに閣議決定には盛り込まれなかった。ところがこのたび、これをむしかえしたのだ。安倍首相もだ。砂川最高裁判決では、憲法は自衛の措置を認めており、個別的・集団的自衛権の区別はしていない、したがって集団的自衛権を排除していない、ゆえに新3要件による集団的自衛権行使は合憲だというのだ。とんでもない屁理屈だ。風が吹けば桶屋が儲かると同列の理屈だ。
 砂川最高裁判決には集団的の「し」の字もでてこない。米軍駐留の違憲が争われた裁判で、集団的自衛権は全く検討の対象になっていない。俎上に載せていないから排除していない、ゆえに合憲への道をつけたものだというのは大阪のヒトラーなみの頭でないとでてこない。高村氏は弁護士資格をもつというが、弁護士にもいろんな人がいる。
 10日の特別委員会で共産党宮本議員が、8日の政府見解が引用した砂川最高裁判決では集団的自衛権は一切議論になっていないではないかと追及した。これに対し横畠法制局長官は「(判決は)集団的自衛権について触れていない」と認めた。
 15日の特別委員会で、中谷防衛相が民主党寺田議員への答弁で、集団的自衛権の「武力行使新3要件は砂川判決そのものを根拠としていない」と認めた。荒唐無稽な論理をとることはできないと判断したのだろう。
 安倍内閣の戦争法案は合憲だという論拠はくずれた。
 憲法違反だとする憲法学者の数はますます増えている。憲法学者だけでなく、地方公聴会でも(高知)、陳述人6人のうち5人が「大きく逸脱した憲法解釈の変更は許されない。政府は撤回すべきだ」などと批判。6人のうち高知県知事ひとりだけが、政府方針への支持を表明しつつも十分な議論の必要性を訴えた。もはや憲法違反の法案は撤回しかない。違憲の法案を数を頼りに強行することは立憲主義を否定するもので許されない。
 ところがだ。法案には反対してもいい、採決に応じてもらえれば、強行採決との汚名を着せられないと考えて、維新をとり込もうと陰謀をめぐらせているのが安倍首相だ。安倍・菅=橋下・松井改憲タッグが動き出した。
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砂上の楼閣「集団的自衛権は砂川判決が根拠だ」 

2015年06月16日 14時52分58秒 | Weblog
 戦争法案は憲法違反だとの、憲法学者の指摘をうけて、弁明に回った政府自民党はいっそうの混迷に陥っている。
 安倍首相はドイツで8日、砂川事件最高裁判決(1959年12月)が「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」とした部分をとりあげて、これが憲法の基本論理だとし、集団的自衛権行使の新3要件もこの論理が貫かれており、合憲だと語った。9日、政府は論理的整合性に関する見解を発表したが、そこにも59年の砂川判決をとりいれている。
 11日、衆院憲法審査会で、高村自民党副総裁は、過日の参考人質疑に腹を立て、砂川判決に全面的に依拠する発言をして、他党の意見も聞かずに途中退席した。もともと昨年7月の閣議決定に向けて、最高裁も集団的自衛権を認めてきたと砂川判決をもちだして合憲性を証明しようとしたのが高村副総裁だ。だがあまりの荒唐無稽さに閣議決定には盛り込まれなかった。ところがこのたび、これをむしかえしたのだ。安倍首相もだ。砂川最高裁判決では、憲法は自衛の措置を認めており、個別的・集団的自衛権の区別はしていない、したがって集団的自衛権を排除していない、ゆえに新3要件による集団的自衛権行使は合憲だというのだ。とんでもない屁理屈だ。風が吹けば桶屋が儲かると同列の理屈だ。
 砂川最高裁判決には集団的の「し」の字もでてこない。米軍駐留の違憲が争われた裁判で、集団的自衛権は全く検討の対象になっていない。俎上に載せていないから排除していない、ゆえに合憲への道をつけたものだというのは大阪のヒトラーなみの頭でないとでてこない。高村氏は弁護士資格をもつというが、弁護士にもいろんな人がいる。
 10日の特別委員会で共産党宮本議員が、8日の政府見解が引用した砂川最高裁判決では集団的自衛権は一切議論になっていないではないかと追及した。これに対し横畠法制局長官は「(判決は)集団的自衛権について触れていない」と認めた。
 15日の特別委員会で、中谷防衛相が民主党寺田議員への答弁で、集団的自衛権の「武力行使新3要件は砂川判決そのものを根拠としていない」と認めた。荒唐無稽な論理をとることはできないと判断したのだろう。
 安倍内閣の戦争法案は合憲だという論拠はくずれた。
 憲法違反だとする憲法学者の数はますます増えている。憲法学者だけでなく、地方公聴会でも(高知)、陳述人6人のうち5人が「大きく逸脱した憲法解釈の変更は許されない。政府は撤回すべきだ」などと批判。6人のうち高知県知事ひとりだけが、政府方針への支持を表明しつつも十分な議論の必要性を訴えた。もはや憲法違反の法案は撤回しかない。違憲の法案を数を頼りに強行することは立憲主義を否定するもので許されない。
 ところがだ。法案には反対してもいい、採決に応じてもらえれば、強行採決との汚名を着せられないと考えて、維新をとり込もうと陰謀をめぐらせているのが安倍首相だ。安倍・菅=橋下・松井改憲タッグが動き出した。
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憲法の上に戦争法案をおく暴挙

2015年06月14日 22時49分54秒 | Weblog
 中谷元防衛相は、5日の衆院特別委員会で憲法の上に法案を置く暴言を発した。「安全保障法制はどうあるべきか与党で議論をいただき、現在の憲法をいかにこの法案に適応させていけばいいかという議論を踏まえ閣議決定を行った」と。わたしはテレビでも見たが、彼は下を向いて原稿を見ながら発言していた。意図した発言だった。
 憲法98条は、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と定めている。
 集団的自衛権行使の法案が先にあって、それに合わせて憲法の解釈をねじ曲げて適用する行為が、憲法98条違反であることは明白だ。中谷防衛相は10日、委員会で「撤回し、訂正したい」と前の発言を撤回した。しかし、戦争法案に合わせて憲法を適応させたという事実はそのまま残っている。そのための違法な解釈変更の山が築かれている。
 発言を憲法98条に違反するとして撤回するならば、法案自体を撤回すべきだ。当然の論理の帰結だ。
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近江商人の里、北国街道をめぐる旅

2015年06月13日 15時56分49秒 | Weblog
 6月9~10日(2015)、退職者の会で近江商人の里、北国街道をめぐる旅をした。比較的近いの中型バスで9時出発。湖東湖北はこれまで何度か訪れたが地元のガイドさんの説明をうけて歩いたのは初めてだった。
 まず五個荘。日野、近江八幡とならぶ近江商人の出身地の一つだ。金堂地区の豪商の邸宅をいくつか見学した。白壁、板塀にかこまれた屋敷にはいくつもの土蔵、庭園、屋敷に引き込まれた用水。堅実な生活を偲ばせるつくりながらその規模は大邸宅だ。この地区の財力を示すのが浄土真宗の寺院建築の大きさだ。だが後で気づいて不思議に思ったのが、各邸宅には、私の田舎の貧しい農家にさえ必ずあった仏壇がなかったことだ。ここが仏間だとの説明を受けなかった。1981年に「伝統的建物群保存地区」に指定されている。地域の努力が想像される。近江商人といえば、売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」の商法だ。今の独占大企業、ブラック企業に言い聞かせたい商売の基本だ。安倍内閣が日本経団連の要請を受けてごり押ししている「労働者派遣法改正案」のどこにこの精神があるか。
 食事のあと、金亀酒造にいった。主人の懇切な説明には初めて効くことも多かった。これまで能勢の秋鹿酒造、西宮の白鹿酒造の見学をしたが、秋鹿での驚きをしのぐ新鮮さがあった。日本酒は発酵をすすめればアルコール度数がどんどん高くなり、それに応じて辛口になるということをはじめて知った。利き酒では、精米率80%、60%、50%、40%のもの(すべて米・米麹・水のみの純米酒)がふるまわれた。精米率と味の関係を順に確かめることができて、ありがたかった。わたしは精米率が高ければよりおいしいと単純に考えていたが、80%のものがコクが強く素朴な味わいがあって気に入った。同じくいいと思ったのは、40%のもの(純米大吟醸)で全く雑味がなく、すっきり、淡麗な味がした。両極端だった。80%は度数17度で甘口に留めてあった。帰りに、火入れをしてない「長寿金亀 白80生原酒」を買った。720ml、1300円余りだった。
 このあと2、3回目の彦根城見学。最近国宝に指定された松江城を含む国宝5城のひとつだ。ここの石積みには、牛蒡積みと落し積みがあることをこのたび知った。牛蒡は根菜のごぼう。石の大きな面を内側に、小さい方を表面に出して積む方法だ。外見的には粗雑に見えるが、堅牢な造りとなる。野面積みの一種だ。表門から登ったところにある天秤の形をした天秤櫓(てんびんやぐら)の石垣の右半分が牛蒡積みで、左が落し積みだ。落し積みは江戸後期の方法で、菱形状の石を落して積むので重さでしっかり組み合わさる。重い石を琵琶湖から内堀まで舟で運んだとして、そのあと引きずり上げるのはどうしたのか。丸太を並べて修羅のようなものに乗せて引きずったのか。琵琶湖に面した長浜ロイヤルホテルに宿泊。温泉だった。
 翌日。長浜(これも何度かの訪問)の街、北国街道の街並みをガイドさんに案内してもらった。勉強になる。北陸までつながる街道の街だ。浄土真宗大谷派(東本願寺)の大通寺の大きさにはびっくり。門前町は江戸時代の雰囲気を残す。浄土真宗では長浜教区は多くの門徒をかかえる強力な地区だ。それをみごとに表現する寺だ。その山門も東本願寺や知恩院の山門とまではいかないが、それに次ぐくらいの大きさだ。見事なのはそこにはめこまれた彫刻だ。欄間というと薄っぺらだが、立体的な彫刻群がすごい。躍動的で繊細。その技量は、長浜曳山祭りの山車(曳山)の建造と補い合いながら継承されたのだろう。
 長浜といえば曳山祭り。13基の曳山の4畳半の舞台の上で子供歌舞伎が上演されることで有名だ。街のあちこちに背の高い収蔵蔵がある。曳山博物館をじっくり見学。曳山の見送り幕(背面につるす垂れ幕)には16世紀のベルギー製のものもある。京の祇園祭の見送り幕と半分すつにした片方が使われているのもある。
 じつはわたしの故郷の小松(石川県)にも曳山子供歌舞伎がある。「お旅まつり」という。ウィキペディアでは京の祇園祭をまねたものとしているが、地元でもいっているように長浜の曳山と子供歌舞伎を取り入れたものだ。長浜子供歌舞伎は1742年の台本がある。小松では1766年に子供歌舞伎が始まったとされる。小松の商人が北国街道を長浜やさらに京などの「旅」へ出向き、その文化を持ち帰ったのだ。とくに長浜の曳山子供歌舞伎に魅了されたのだろう。
 昼食は長浜浪漫ビールで。初めての地ビール昼食。二種類の長浜ビールはおいしかった。たまにのむ昼のビールはなんともいえない。そのあとは高月町の渡岸寺(どうがんじ)まで足を延ばした(バスで)。有名な国宝・十一面観音像がある寺だ。195cmヒノキの一本づくりだ。9世紀前半平安初期の作と考えられている。十一面観音が左手に水瓶もち、右手を長く下げて、左腰に重心を移し、右足を前に出すか出さないかの一瞬、右手を差し伸べようとするする姿を立体表現している。後ろから見ると、ウエストがくびれ肉感的な姿だ。記念に写真を買った。
 高月町雨森では、江戸前期、儒学を学んで対馬藩に仕え、日朝交流につくした雨森芳洲の書院を尋ね、芳洲庵で事績の詳しい説明を受けた。朝鮮文化を研究しことばにも通じた芳洲は、何度も朝鮮通信使に江戸まで随行した。平和外交の歴史に学ぶところが大きい。小堀遠州の菩提寺の孤蓬庵も訪れた。
 湖東湖北は何度か訪ねたが、ガイドの案内、関係者の説明を聞くのと聞かないのでは大違いだ。ましてツアー企画担当者の思い入れがあるから、頭がパンパンになるほど内容豊富だ。だらっとした旅行(これはこれでいいが)とはちがう満足感がのこった。
 わたしは2月から椎間板ヘルニアになり、最悪の時は10mしか歩けなかった。ところがこの旅行では、両日とも、一万歩以上歩いた。不安もあったが歩き通せて自信になった。帰ってからの反動もなかった。ただ完全に回復したわけではない。自分では60%だと思っている。治療と訓練がまだつづく。
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労働者派遣法改悪案の強行採決をゆるすな

2015年06月12日 22時17分38秒 | Weblog
 今日(2015・6・12)、衆院厚生労働委員会で渡辺委員長が自民・公明・維新3党だけで委員会開会を強行した。ねらっていた今日の採決はできなかったものの、来週中にも強行採決しようとしている。これに手を貸したのが、安倍・菅と昵懇の間柄の維新だ。
 派遣法改悪案は今国会の審議でも、労働者に生涯派遣を強いるなど問題点が噴出した。全労連、連合などすべての労働組合、多くの国民が反対を謳えている。派遣法改悪案には、全国52の弁護士会のうち、41弁護士会が反対の意見書などを出している。
 これまで2回廃案になったものを、そのまま出し続けるのは異常だ。派遣労働者にとっても、正社員にとっても、改悪法案は百害あって一利なしだ。
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自民党が長谷部氏の前に本命としていた佐藤幸治教授も批判

2015年06月07日 10時01分40秒 | Weblog
 衆院憲法審査会で自民公明推薦の参考人としてよばれた長谷部恭男教授が、政府自民党の思惑とは正反対の意見を述べて、自公政府提案の「安保法制」が本当は憲法に違反する「戦争法案」だということが一般国民にも分かりやすい局面をつくった。
 昨日(2015・6・6)「立憲デモクラシーの会」が東京大学でシンポジウム「立憲主義の危機」をひらいた。1400人がつめかけ第3会場まで用意する盛況だった。そこで「世界史の中の日本国憲法」と題する基調講演をしたのが佐藤幸治京都大学名誉教授治だった。佐藤氏は政府の司法制度審議会会長や法制審議会委員などを歴任した憲法学者だ。わたしは著名な憲法学者の佐藤氏が政府の委員にどっぷりつかっていることに違和感をおぼえていたが、こんどのシンポジウムで本来の立ち位置を明確にしたことで少しすっとした。佐藤氏は「第2次大戦の悲劇への反省から、戦後世界では基本的人権の保障と、戦争を立憲主義の反するものとして、平和国家をめざすことがグローバルスタンダードとなった。日本国憲法もそれを具現化している。」「憲法は押し付けられたとして改憲を主張する人たちに大変怒りをおぼえる」とのべた。(『赤旗』『毎日』2015・6・7)
 自民党は衆院憲法審査会にこの佐藤教授をよびたかったが、日程調整がつかずことわられたあげく、長谷部氏に頼んでひどい目にあったと思っているのだが、佐藤氏が招へいに応じたとしても同じ結果だったことがわかった。佐藤氏も長谷部氏も政府の委員として権力のつっかえ棒的な役割をにない、自民党などとの付き合いが深くなっていたのだろう。だから自民党は自分たちのことをおもんぱかっていいように演じてくれるだろうと踏んでいた。しかし、いま安倍自公政権がやろうとしていることは、政府に取り込まれたと私が思っていた人も、これをみとめれば憲法学者としての生命を失うようなな問題で屈伏を迫ったのだ。あたりまえのことだが、憲法学者としての研究を総否定する発言を安倍自公政府のためにすることはない。
 菅官房長官は、「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と強がっていた。わたしは集団的自衛権は憲法9条の範囲内だというまともな憲法学者はいないと思う。いてもそれは、安倍首相のお友達の「自称学者」だけだ。安倍首相がNHKに送り込んだ籾井、百田、長谷川などと同レベルの人物だ。たくさんいるというが、じつは3人(八木秀次、西修、百地章)だ。いっぽう「安保関連法案に反対する憲法研究者の声明」の呼びかけ人・賛同者は189人だ。
 自民党はこんどはそのお友達の極右「憲法学者」を呼ぶしか手がないだろう。そうなると政府の法案を憲法学とは言えない乱暴な議論で応援してもらうことになり、そうではないまともな憲法学者との間で議論の質が明瞭になる。法案の本質がわかりやすい形で提供されることになる。
 
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