山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

朝鮮人学徒出陣

2009年05月27日 10時04分58秒 | Weblog
 北野夜間中学の朝鮮人生徒の退学問題について、4月以後、北野高校の図書館の史料を調べさせてもらったりしてきたが、あまり進展はなかった。
 だが、『昭和特高弾圧史』6・7・8巻、『在日朝鮮人関係資料集成』などで手がかりとなるものがでてきた。いずれも特高警察の『特高月報』などの復刻だ。
 つぎに、樋口雄一『戦時下朝鮮の民衆と徴兵』(総和社、2001年)にであった。この本に導かれて、姜徳相『もう一つのわだつみのこえ 朝鮮人学徒出陣』(岩波書店1997年)にたどりついた。姜徳相さんは一橋大学社会学部教授だった方だ。わたしが探しあぐねていたことが、ここに詳細に書き綴られていた。体験者の証言集を大量に発掘、分析され、植民地朝鮮での新聞雑誌はいうにおよばず、膨大な史料を調査した、歴史事実の凝縮した本だ。よくここまで調査できたものだと思った。
 これを力にもう少し勉強してみようと思う。
 
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ウグイスが鳴いた

2009年05月21日 06時25分45秒 | Weblog
 先日、朝、窓を開けていたら、ホーホケッキョという澄んだ音色が聞こえた。びっくりして、家を出て、向かいの市岡抽水場の小さな林の塀の前に立つと、20分以上も鳴き続けた。割と高いところから鳴き声がきこえた。
 ウグイスはいなくなったと思っていたのだが、もどってきたのか、居住区域が狭くなってもじっと耐えていたのか。林は、5M×30Mほどの広さだ。町工場が点在する下町の一角に、あまり人目にもつかない小さな自然だ。ブロックの高い塀と今は人が住んでいない社宅に囲まれており、抽水場だから立ち入り禁止で、もともと人がはいらない場所だった。いまは放置自転車置き場になり、林は、高いトタンで囲まれた。林はぐっと狭くなったが、完全にかこまれた都会の中の安心できる自然になった。
 なんとか、何十年も放置されてきた小さな自然を、ウグイスの棲みかを、今後も大切にしたいものだ。
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京大などが経営者団体に加入

2009年05月17日 08時00分22秒 | Weblog
 朝日新聞(09・5・12)によると、5月11日、京都大、大阪大、神戸大が関西経済連合会に加入した。国立大では初めてのことだという。私立大では慶応大、早稲田大、関西大、関西学院大など11学校法人が関経連の会員になっている。
 04年に国立大学が独立行政法人化されて以降、ついにこんなことをやるようになったかと、私はあきれている。国からの運営交付金は毎年1%ずつ減らされている。そのなかで、人文・社会科学・基礎科学などが冷遇され、産業界と結びつく分野への重点化がすすんでいる。ノーベル賞受賞者もこれに警鐘乱打している。
 京大などはみずからを大企業として位置づけ、経営者団体に加入するにいたった。加入すれば経済界との結びつきがよりつよまり、企業としての格があがると考えるのだろう。産学連携どころが、産学合体の段階に入った。
 教育・研究の論理の衰退、企業利益や経済の論理の浸透がここまできたとの感を強くする。教育・研究の論理とは、真理の探究を最高目標にすることであり、利益とは結びつかない人文・社会科学や純粋科学・基礎科学を重視してきた。すくなくとも1970年代前半までの研究の成果が今度の日本生まれのノーベル賞受賞者4名という成果に結びついた。だが、1990年代以降、日本の大学は文部省の指示のもと、財界との結びつきをより強め、応用科学に特化するように大転換をしている。
 戦時中までの抑圧の時代をぬけでて、学問の自由のもと、国家のための学問、道具としての学問から解放されて、真理探究に邁進し、大きな成果を挙げてきた。だがその道はねじまげられ、ついに大学が経済団体として自己規定するに至った。
 大学の新自由主義的経営、教員の目標管理、評価、大学自体の国による評価は、短期の目標を追い求めるように研究の萎縮をもたらしている。論文をそんなに書かなかった益川さんなんかは今の時代なら排除される。
 やがて道州制導入とともに、経営者団体の会員である主な国立大学は州立大学に移管され、弱小国立大学は廃止される。そんなことが透けて見える。
 
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山宣暗殺の黒幕がわかった

2009年05月17日 06時28分32秒 | Weblog
 1週間前、京都の「山城社会科研究会」において、「戦争に反対した人びと」に関する報告をする機会を与えていただいた。そこで会の中心メンバーの本庄豊さんから著書2冊をいただいた。そのうちの『テロルの時代 山宣暗殺者・黒田保久二とその黒幕』(群青社、2009年4月10日発行)をさっそく読んだ。
 山本宣冶は、いわずとしれた性科学者で労農党代議士だ。治安維持法の最高刑を死刑にする改悪に反対し、国会でただひとり民主と人権の論陣をはって時の政府を糾弾した。だがそれゆえに右翼のテロルの対象となった。
 治安維持法の授業では、山宣の国会での追及をよく使ったが、彼の生涯やテロの犯人について本格的に勉強したことがなかった。『テロルの時代』は、教員であり社会運動史研究家である本庄豊さんが、山宣暗殺の犯人・黒田保久二の生涯を究明するとともに、その背後で彼をあやつった黒幕を特定した労作だ。
 テロリスト黒田は、わずか6年で刑務所を出所。大連、満州に渡って戦中をすごす。戦後、門司で沖仲士などをした。日本に戻った黒田は、黒幕を訪ねたが門前払いされた。その後、失業対策事業で働くようになり、全日自労という労働組合にも所属するようになった。その組合事務所でポツリともらしたことばが、黒幕究明の糸口となった。
 その黒幕とは大久保留次郎。大久保は警視庁特高課長から同官房長、千葉県知事、東京市長となり、戦後は衆議院議員、国家公安委員長をつとめた。テロリストをあやつるに十分の経歴だ。
 恐るべき権力の暗黒部分を日の光の下にひきずりだした本庄さんの執念の調査研究を称えたい。関心を持つ人にこの本を薦めたい。
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橋下知事、府立学校長に圧力

2009年05月16日 21時31分35秒 | Weblog
 大阪日日新聞5月13日付に、5月12日の府教育センターでの府立学校長研修に橋下知事が出席し、「皆さんは教育のプロだが、民意をくむプロではない。僕は大阪府民と接しているのは皆さんの比ではない」と発言したと報じた。
 同じく13日付赤旗新聞は以下のように報じた。「『民意を受けた知事の僕が選んだ教育委員が教育委員会で決めた方針はまさに民意。これに反することなどありえない。府教委の方針は保護者の思いとして受け止めてもらいたい』と強調しました。そのうえで『お金がなくても進学でき、音楽、体育などの力を伸ばせるよう一流の教育を与えるのが府の公立高校の使命、役割であり、保護者のニーズだ』と強調。進学特色校づくりはその一環だとし、府教委の方針に従うよう求めました。参加者は『ニーズは広いのでぜひ現場をまわって把握していただきたい』と感想を語っていました。」
 まず現場の校長は、民意をくむプロではないと橋下氏はいう。そんなプロが日本にいるとは初めて知った。校長よりも父母の気持ちを知っているというのだろうが、それは事実か。小学校1,2年の35人学級なんか役に立たないと廃止を打ち出したのに、父母の100万に達する緊急の署名を前に、しぶしぶ廃止を撤回したのは誰だったか。お忘れになったか。民意=父母の願いをまったくわかっていなかった。父母の願いもわからないし、教育の条理もまったくわからなかった。
 今は、ちょうどPTAの総会が開かれるシーズンだ。役員会、総会などで父母がわが子の教育要求にもとづいて教職員と話をすすめている。橋下知事が、父母の願い=民意について現場の校長・教職員よりも知っているというのは、あまりに傲慢ではないか。彼のいう民意とは、知事選挙の票であり、支持率調査の結果なのだろう。
 また民意で選ばれた知事が選んだ教育委員が決めたことはまさに民意だという。ずいぶん荒い論理だ。橋下氏は、ある意図のもとに特定の教育委員を選任せず別の委員に入れ替えたということを民意の具現としている。だが、まさにこれは東京の石原知事と同じように、教育を知事が自分の意図どおりにしようとするための、布石だということを認めた発言だ。そのような教育委員人事を知事はしてはいけないことは、教育行政の独立からいって当たり前だ。また、民意で選ばれた知事が選任した教育委員をつうじて知事の意図を教育政策として具体化させたことを、とわず語りに言った重要な証言だ。知事の指示=民意が、つぎの段階では教育委員の決定=民意になるというのだが、これは知事の考え、指示にもとづく教育政策が民意だという暴論だ。教育委員会の独立性はどこへやら、もう橋下知事の下請け機関のようになっている教育委員会の現状をふまえての暴論だ。知事の権力から教育は独立しなければならないという原則は頭にないのだろう。また、指郵政民営化の一点で多数を制した自公政府与党が、郵政以外のあらゆることでも国民から支持を与えられたわけではないことを思い浮かべるのも参考になる。
 校長をはじめとする現場教職員は、直接、父母の願い=民意をうけとめて教育活動をおこなっている。それをもっとも大切にしなければならない。現場から教育委員会に意見を言うことができないようでは、大阪の教育はJR西日本のようになってしまう。
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加藤周一『私にとっての20世紀』

2009年05月10日 09時42分59秒 | Weblog
 加藤周一さんの『私にとっての20世紀』(岩波現代文庫)を電車のゆきかえりに読んだ。
 これはNHKがの企画した対談番組の20時間に及ぶ記録を編集してつくられた本だ。加藤周一の20世紀論のすべてがわかりやすい語り口で示されている。やや歯ごたえのある加藤さんの書かれた文章で読みたいという気にもなったが、ゆきつもどりつして読むよりすらすらと読める話し言葉が電車にはぴったりだった。各章の表題は以下の通りだ。
 第1章 いま、ここにある危機
 第2章 戦前・戦後 その連続と断絶
 第3章 社会主義 連戦のかなたへ
 第4章 言葉・ナショナリズム
 第5章 老人と学生の未来
 第6章 加藤周一・1968年を語る
 全編にわたって好奇心をそそられたのだが、特に2,3あげてみよう。
 1章の「199年におきたこと」・・・確かに199年はひとつの画期となる年だった。新ガイドライン法や国旗・国歌法など日本の国家を憲法の定めた路線からさらに変質させる一連の法律が通された年だ。200年春オーストリアでナチ信奉者のハイダーが政権に参画した。ヨーロッパ中から非難が集中した。加藤は、ハイダーの問題は、戦争の事実をごまかしてきたことにあるという。
「オーストリアは風景も、音楽も、美しい国です。しかし2つのオーストリアがある。1つは表面に出ている美術館、オペラ、コンサートホール。それからアルプスのスキーやドナウの谷のぶどう酒。モーツアルトと円舞曲とリヒアルト・シュトラウスの国。それが表面。
 水面下のオーストリアには、ナチの残党がいる。オーストリアは、元ナチの支持者を放逐していないから、いないはずがない。ヴィーンの建物の窓という窓からハーケンクロイツを掲げていた人たちは、どこに行ったのか。今でも隣に住んでいるのです。」別のところでも「オーストリアでは、ヒトラーが入ってきたとき多くの大衆がそれを歓迎した。反対がなかったわけではないけれど、それは少数です。そして戦後、現在までそのような過去をはっきりと認識していないし、正面から見つめてこなかった。」といっている。日本ほどではないが、オーストリアでは亡霊の信奉者が隠然たる勢力をもっていたことを知る。日本は、亡霊自身が戦後、首相はじめ政府の要職を占め、その世襲の2世議員たちが今の日本を壟断している。
 1章の「国連決議なき空襲」。アメリカを含むNATOによるユーゴスラヴィアのコソヴォへの空爆だ。ドイツがこれに参加したことは、私にもショックであった。民俗浄化という大量虐殺が起っているからといって、空爆でそれを鎮めようというのだが、これは明らかな戦闘行為であって、その場合は、国連決議によらなければいかなる戦闘行為も認められない。だが、勝手にやった。人権、人道のために空爆をした。そのために関係のない市民に犠牲者がでて、生活のための施設が破壊された。人道をかかげれば、国際法を無視してもいいのか、軍事介入をしてもいいのかという問題を加藤さんは論じる。
 この本で、私がもっとも関心をもったのは、「第3章社会主義 冷戦のかなたへ」だった。「ソ連邦の崩壊」「19世紀の社会主義思想」「ソ連型官僚主義的社会主義」「プラハの春」「冷戦下における社会主義圏訪問」ほかの項目からなっている。
 スターリン型・ソ連型でない自由な社会主義への実験であったプラハの春。1968年のチェコスロバキアのドブチェク共産党第一書記がやろうとしたのだが、数ヶ月でソ連の戦車によって押さえ込まれた。その現場に加藤さんは駆けつけ、つぶさにみている。チエコの知識人たちは、舞い上がるほどの興奮状態だったようだ。加藤の観察によれば、そこには明らかに社会主義の未来が見えていた。だが戦車で踏みにじられた。加藤はそのほかの社会主義国にも多く訪れている。加藤はプラハの春が戦車で踏みにじられたことで、ソ連・東欧型の社会主義の未来が閉じられたと思ったというが、同感だ。今に至るも、ゆがんだ官僚社会が社会主義だと思われつづけているだけに、残念だ。
 だがあせることはない。社会主義の未来は、政治的民主主義、経済的民主主義の探求の先に必然的につながって登場してくるものだと私は思う。民主主義の究極の形態が社会主義だと思う。ソ連・東欧社会は社会主義ではなかった。
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ウグイスがいなくなった

2009年05月02日 09時56分26秒 | Weblog
 大阪・港区市岡のわが家の前には市岡抽水場がある。後ろには下水処理場がある。両者はセットの施設だ。広い抽水場は蓋かけされ、コンクリートの塀で囲まれている。その元からの土の部分には、たくさん木が生えていた。
 3、4年前、朝、その林からウグイスの声が聞こえた。となりの酒屋のおじさんに尋ねると、以前から春になるとウグイスが鳴いているということだった。中小の工場がたくさんある、こんな下町にもウグイスがいたとは。感動した。
 ところが去年も今年もウグイスの声が聞こえない。というのは、蓋かけ抽水場全体が撤去自転車の管理地にされ、ウグイスの林が3分の1くらいに切り縮められ、トタンで囲まれてしまった。まさに囲い込みだ。ウグイスはどうも裏の下水処理場のあたりに引っ越したようだ。
 代わりに最近気付いたのが、この小さな囲い込み林にある20メートルくらいの大きい木の、枝が5つに分かれたところにカラスの巣ができたことだ。悠然と2羽のカラスが飛んでいる。カラスが住み着いたことは、私にとってはうれしいことだ。と言うのは、裏の下水処理場辺りから飛んでくるヒヨドリの大群にさんざん白木蓮の花が食いちぎられてきたからだ。ヒヨドリはカラスを怖がる。もしかしたら来年の白木蓮はきれいに満開するかも知れない。楽しみだ。
 これを書いていたら、窓の下から、キジバトの低く「デデッポッポー」と鳴く声が聞こえてきた。あっ、キジバト(山鳩)がきた。飛び去った後、下におりて見ると小枝を寄せ集めてある。もしかしたら今年、巣を作るのかな。過去に3回ほど巣を作って、ずっと卵をあたためていたことがあったが、ヒナはみたことがない。北野高校のクスノキの枝にキジバトが巣をつくったこともあったが、卵をあたためていたはずなのに、ヒナは見当たらなかった。不思議だ。まあ、わが家に巣作りをしてくれたら、脅さないように、玄関ドアの音を立てないように気をつけよう。
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奨学金の申し込みに対して、励ましか、脅しか

2009年05月02日 09時47分32秒 | Weblog
 新学期で学校には活気があふれている。担任の先生は超忙しの連続だ。だが担任だけでなく、今年は各学年の奨学金係の先生も大変な日々を送っている。
 いっしょに異動してきた先生もこの係りになり、学校ではまったく教材研究をする時間がない。各種奨学金の個別相談、書類記入指導、受付、点検、報告文書の作成。なにしろ人数が多いから大変だ。大阪府育英会の奨学金は、年額で、府立高校の授業料14万4千円分プラス10万円だ。
 その先生が、大阪府の奨学金の添付文書に書かれていることには違和感を覚えると、見せてくれた。
 それは、「生徒及び保護者の皆さんへ」という文書で、「悪質な滞納者の逃げ得は許さない!『滞納ゼロ作戦』展開中」と太字で書かれている。
 本文の中には、
○ 奨学金は、修学に必要な資金を貸付ける制度ですから、学校卒業後には、返済の義務が生じ、生徒本人から返済していただきます。生徒から返済されない場合には、連帯保証人である保護者が返済しなければ返済しなければなりません。
○ 借りたお金を返済することは当然のルールです。もし、正当な理由なく返済されないときは、法的措置(裁判所への支払い督促の申立て、強制執行)などをとる場合もあります。
とある。
 大阪府育英会 会長橋下徹(名前は毛筆書き、やや子どもっぽい字)と書かれ、顔写真もある。
 ○で書かれていることは、間違ってはいない。返済するのは当然だ。学校でも返済すべき総額をきちんと伝えている。
 では、現場の教職員がどこに違和感を覚え、ちょっと違う!と思うのは何なのか。それは、「逃げ得は許さない!」と、生徒を返済する能力がありながら返さない悪徳人になりうると仮定して、脅しともいえることを書いていることだ。○で書かれた本文も、逃げ得は許さないのトーンで書かれているように見受けられる。そうではなく、生徒を励ますことと奨学金制度の意義を訴えることを中心にすべきだ。最後の○には「この制度が将来にわたって持続でき、一人でも多くの後輩たちに利用していただけるよう、確実な返済をお願いします。」と書かれているが、はっきりいってこれを丁寧に書けばいい。
 脅しの手法には、違和感を覚える。
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