山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

中国に木を植えに行きます

2016年08月26日 04時55分00秒 | Weblog
 今日から中国・大同市に木を植えに出かけます。NPO法人「緑の地球ネットワーク」のスタデイツアーに参加します。9月1日に帰ります。その間、ブログはお休みします。よろしくお願いします。9月1日には報告第一報を載せます。
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シベリア抑留 スターリンとともに日本の参謀本部の責任追及を

2016年08月25日 22時28分18秒 | Weblog
 8月23日は「シベリア抑留の日」だ。アジア太平洋戦争が終わったあとに、ポツダム宣言に違反する日本人捕虜のシベリア抑留がおこなわれた。命令したのは旧ソ連の指導者スターリンだ。57万5千人が強制労働に従事させられた。そのうち5万5千人が飢えや病気で亡くなった。身元が特定されたのは4万人、収集された遺骨は2万人だ。
実態解明そのものがじつに心もとない。日本政府の姿勢が問われる。日本政府が事実上放置にも近い対応をしてきた背景には、旧日本軍参謀らが日本兵を切り捨てたことがある。
瀬島龍三参謀起案のソ連軍に対する「陳情書」には「極力貴軍の経営に協力する如くお使い願いたいと思います」とされていた。朝枝繁春参謀の報告者には、「在留邦人および武装解除後の軍人はソ連の庇護下に満鮮に土着せしめて生活を営むごとくソ連側に依頼す」「土着するものは日本国籍を離るるも支障なきものとす」と書かれていた。
これらが、8月16日段階では捕虜をソ連領に運ぶことはしないとしていたのを正反対の方向にスターリンが切り替えることを誘導した。だからといって、捕虜の取り扱いを定めたジュネーブ条約やポツダム宣言などの国際法違反の行為が免罪されることはない。厳しくその責任を追及しなければならない。
いっぽうで、満州で多くの日本人を切り捨てたのと同じことを日本兵に対しても、参謀本部は行っていた。瀬島龍三は戦後日本の黒幕として暗躍した人物だ。侵略戦争の責任追及とともに、日本人・日本兵に対する棄民政策にも追及の手を伸ばさなければならない。
わたしの近所の清水博さんもシベリア抑留体験者だった。満蒙開拓青少年義勇軍として満州に送り込まれ、やがて現地で招集され、戦後シベリアに抑留された。若く身体が強健だったので帰還できた。去年、89歳で亡くなられたが、その前に詳細に体験を聞き取りをし、心ある人々に伝えることができたのが、清水さんの反戦の思いを生かすことになった。
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リオ閉会式でなんで安倍がしゃしゃりでるの 汚染水ブロックのウソを詫びるべきだ

2016年08月23日 13時56分58秒 | Weblog
 リオ・オリンピックの閉会式で、オリンピックにふさわしくないものを見せられた。閉会式でリオから東京への引継ぎがリオ市長から小池知事へと行なわれた。これは当たり前の風景だ。
 ところが、東京を紹介する演出で安倍首相がゲームキャラクターに扮して登場した。なぜ首相が大見得を切って登場するのか。オリンピックは都市が主催するもので国家行事ではない。
 こういうところにも安倍を出させよという動きがいろんな形であったに違いない。とにかく安倍の行動、発言のすべてが政権浮揚、支持率を持ち上げることに終始している。サミットという国際会議さえも政権浮揚の道具として利用し、とんちんかんな経済論をふりまいて首脳から呆れられた。呆れられても国内的に政治的に利用できれば、国際的な日本の信用などどうでもいいのだ。
 安倍がリオに行くなら、まずなによりも、IOCの召致会議で「福島の汚染水は完全にブロックされています」と大嘘をいって、IOCをあざむき、世界の人々をだましたことを詫びるべきだった。だが、安倍はウソをついたり、ひとを欺くことを何とも思っていない。
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椎間板ヘルニア奮戦記(6)まとめ2

2016年08月21日 17時03分02秒 | Weblog
椎間板ヘルニア奮戦記(6)まとめ2

2)椎間板ヘルニア、腰痛・臀部痛の原因は何だったのか

 これまでに何度も腰痛になった。17年ほど前には坐骨神経痛になった。スキーで疲れが極に達して症状がでた。起きても寝ても座っても痛くて脂汗を流した。でも割と早くよくなった。それ以後、ものを持つとき気を付けたことで、ひどい腰痛にはならなかった。
 こんどの椎間板ヘルニアは、腰痛と臀部痛だった。腰痛のみの17年前とは違った。椎間板がぐにゅっととび出て神経を圧迫しているMRIの映像を見て、ああこれは最終的には手術かなあと思った。物理的に神経を圧迫しているのだから、それを取り除くのはわかりやすい理屈だ。
 でも最近は、手術をしないのが治療の基本だそうだ。手術しても再発するケースが一定数あるそうだ。一方で、とび出た椎間板が縮むことが大いに期待できるようだ。私の場合縮んだかどうかは、再度のMRIを撮ってないのでわからない。縮むのを期待するだけなら痛み止めを飲んだり打ったりして安静にすればいい。しかしそれでは消極的だ。
椎間板ヘルニアで長年苦しんでいる人は多い。なかなかよくならず、いろんな病院や治療院を渡り歩く人もある。治療にも多様な方法がある。
わたしも痛みの原因と治療法について、インターネットでずいぶん調べた。私の体験から、痛みはトリガーポイントによるという理論にいちばん納得した。トリガーポイントとは、痛みの原因となる筋肉のしこりのことで、神経痛のような激痛やしびれをおこす。筋肉とともに、筋肉を包む筋膜にもしこりを生むようだ。だから筋筋膜性腰痛という。筋肉の緊張を緩めることで、しこりも改善する。股関節周りの継続的なストレッチが効果を発揮した。
 インナーマッスル、体幹筋肉がおとろえて、腹圧が低下することで脊椎を正しい位置に支えることができなくなり、ヘルニアが出て神経を圧迫する。この系統においては腹横筋その他の筋肉を強めれば、背骨や腰が支えられ、痛みやしびれが改善される。腹横筋を鍛えるドローイングが腹圧を高めていると実感できた。ドローイングは腹筋に力を入れて腹をへこませ、背骨にくっつけるような運動だ。
どうしてもわからないことがあった。それは、レントゲンで腰椎の間隔が正常であるにもかかわらず、なぜ椎間板がとび出たのかだ。不思議で仕方なかった。だが、腹筋が弱って腹圧が低下し、腹がせり出すような姿勢になって腰椎が歪んだ結果、椎間板がヘルニアとなって飛び出した。こう考えると理解できる。
 ならば、腰痛改善のためだけでなく、腰痛にならないためにも、日常的に腹筋、とくに腹横筋を鍛えることは大切だ。
去年の椎間板ヘルニアと今年1月に発症した臀部痛との関係はどうなのか。去年は腰痛と臀部痛が並行した。今年は腰痛はなかった。ということは今年はヘルニア再発はなかったということだ。
12月からのヘルペスによる後遺症で左わき腹の筋肉の神経が障害されて信号を発しなくなった。その結果、内臓の重さが左わき腹を圧迫してサツマイモ2本分のでっぱりができた。左右のバランスが崩れ、上半身下半身の統一した動きに破れが生じた。これが腰内部の筋肉に不均等な緊張を蓄積させた。その結果が臀部痛だ。
 一度は克服に成功しているので、二度目の発症には、地道なストレッチとトレーニングをつづければ治ると確信を持って臨んだ。結果はその通りになった。脇腹のでっぱりと腹斜筋の回復よりも痛みの回復の方が早かった。腹斜筋の回復も腹斜筋ドローイングで成功した。
体は微妙なバランスの上に成り立っていることを身をもって知った。だからあまり強くはなくても、様々な部位に刺激をあたえるトレーニング、緊張をゆるめるストレッチが大切だとしみじみ感じている。
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椎間板ヘルニア奮戦記(5)まとめ1

2016年08月18日 16時28分02秒 | Weblog
 椎間板ヘルニア奮戦記の(1)を7月20日、(2)を27日、(3)を29日、(4)を8月13日に書いてきた。これらは時間的経緯をおって、その顛末を書いている。今日からは、全体を見通して、感じたこと考えたことを、まとめとして書くことにする。


1)今の状況から
 この1年余りの経験で、腕にしろ、足にしろ、前と後ろの筋肉が実によくバランスが取れて機能していることを実感した。歩くとき、まず、かかとを降ろして、順次、重心を前に移す。そのとき足先を引き上げる力を少しずつ弱め、逆に踏みつける力を増大させる。その自動調節を神経がつかさどる。幼児でも、力は弱いながらも、この自動調節をみごとに行っている。ところがわたしは、これが不十分だ。パタン、パタンと歩く最悪の状況は脱したが、猫のごとく音もたてずに歩くのは無理だ。
 左下半身の総合力という点でも衰弱がみられる。体幹、インナーマッスルを鍛えるため初歩的トレーニングをいくつかやっている。つま先立ちを50回やって、そのあと大腿部を持ち上げる筋肉、大腰筋をきたえる。右片足立ちをして、左ももを50回もちあげる。ほとんどふらつくことなくできる。ところが、左片足立ちで右ももを持ち上げるときは、うまくいって10数回、へたをすると1回ごとに床に足をつかないと続けられない。体がしゃきっとせずにふらふらする。ふらつきに対して瞬時の回復力がない。これこそ下半身だけでなく上半身も使った自動調節機能が衰えたことを示している。一カ所を鍛えれば治るというものではない。どうしていいかわからない。うまくいかないけど同じことをつづけるしかない。
 左わき腹が破れたかのように、ヘルペスの友禅流しの部分に内臓が飛び出していたのは、ほぼ抑え込んだ。内臓を正常の位置に戻した。ビタミンB12を服用しつつ、腹斜筋、腹横筋を鍛えるドローインをつづけてきた。その結果、神経は回復した。この部分にかぎっては克服できたが、自動調節をともなった運動機能はもとに戻っていない。
 これまでは部分に刺激をあたえ、強化するということばかりやってきた。きっと部分にとらわれない全身的な運動をすることが、現状を前に進めるカギになるのかもしれない。
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オリンピック、選手とコーチどっちが主役か

2016年08月17日 22時55分08秒 | Weblog
 オリンピックのシンクロナイズド・スイミングのデュエットで乾友紀子・三井梨沙子組が銅メダルをとった。2大会ぶりのメダルということでめでたい。テレビを見ていて、あるいは勝利シーンの写真を見て違和感を持った。
 それは2選手よりも井村雅代ヘッドコーチが主役であるかのようなシーンが映されたからだ。卓球など他の競技では見られないことだったから。
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安倍首相、核先制不使用に「反対」して核兵器にしがみつく

2016年08月17日 10時04分46秒 | Weblog
 オバマ政権が核兵器の先制不使用政策を検討していることに対して、日本の安倍首相は7月26日、ハリス米太平洋軍司令官が訪日した際に、北朝鮮に対する抑止力が弱体化するとして反対の意向を伝えたことが明らかになった。安倍首相は先制不使用政策を導入すれば、アメリカに依存している核の傘にほころびが出るという考えだ。
 核なき世界を表明しながら何の効果的な方策も示せなかったオバマ大統領が、核の先制不使用宣言にふみだせば、核なき世界に向け大きな一歩をふみだすことになる。先制不使用宣言は、核廃絶に向けて不可欠の一里塚だ。すべての核保有国が互いに先制不使用を宣言すれば、核兵器は無用の長物になる。
 今度の発言で、安倍首相は核廃絶を本心からは願っていないことが明らかになった。広島と長崎の平和式典で、核兵器のない世界に向けて努力を重ねていくということをいったが、実践の裏づけのない心のこもらない発言だった。
 核先制不使用とは、核保有国に対して、自国・同盟国が核攻撃を受けた場合に限って核兵器の使用をするという政策だ。核先制攻撃はしないということだ。もちろん核兵器を持たない国に対しては使用しないことは大前提だ。
 安倍首相は、核先制不使用を宣言すれば、核兵器開発をすすめている北朝鮮に対する抑止力が崩れると考えている。いざというときには核による先制攻撃もすると常に脅しつづけることが最善だというのだ。でもそれでは、北朝鮮は核開発をやめることはない。脅されているのだからもっともっと核開発を急がなければならないという論拠になってしまう。
 そもそも核不拡散条約の体制は、米英仏露中の5か国だけに核兵器保有権を認めて、これ以外には認めないというものだ。インド、パキスタン、イスラエルなどの未加盟国には何の拘束力も持ちえない。脱退した北朝鮮も同様だ。これらの国は(イスラエルは保有の有無をいわないままアメリカの庇護をうけている)、核不拡散条約は不平等条約だといっている。不平等条約であることは事実だ。
 これらの国に核兵器を放棄させるにはどうすればいいか。自分たちはいいが、あとから核兵器を持つのは認めない、大量破壊兵器をだから認められないといくら言っても何の説得力もない。「絶対悪」(2016広島市長平和宣言)だからすべての国がこれを放棄しなければならない。
 安倍首相の先制核使用を前提とする核抑止は、相手が核兵器を放棄することにはつながらない。5か国のうち先制不使用を宣言しているのは中国だけだ。アメリカが踏み切れば流れが変わる。北朝鮮に対して先制使用はしないと宣言すれば、北朝鮮も対抗戦略として核開発をすすめてきた根拠がなくなる。さらに北朝鮮の政権を攻め滅ぼすことはしない(国連憲章で保障されていること)と約束すれば、北朝鮮も経済負担になっている核開発を放棄することにつながる。
 安倍首相の核先制攻撃戦略は、北朝鮮に核放棄を迫ることに何の役にも立たないし、広島長崎でのほとんど意味のない発言「核不拡散体制の維持・強化」「核兵器のない世界にむけ努力を積み重ねてまいります」にさえそむくものだ。安倍首相は、核兵器禁止条約に背を向け続けるだけでなく、オバマ大統領が検討をはじめた先制不使用に機敏に反対を唱えたことで、核兵器にしがみつく反動政治家として世界に名をとどろかせた。
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天皇と首相の戦没者追悼式発言の落差

2016年08月16日 16時03分48秒 | Weblog
 15日(2016・8)、全国戦没者追悼式で天皇と安倍首相の「おことば」「式辞」があった。あらためてその内容、精神の差にあ然とした。
 天皇は「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」と「反省」を明言している。ところが安倍首相は、4年連続で「加害」と「反省」にいっさい言及していない。それ以前の首相の立場から意図的に後退させた。明々白々な侵略戦争を反省しないのだ。
 さらにこの式は、戦没者に対する追悼式だ。追悼とは死を悼むことで、特定の宗教観である霊、あるいは霊魂を慰めるという行為とはちがう。天皇発言では「数多くの人々とその遺族を思い」「戦禍に倒れた人々に対し」と戦死、戦災死した人々を悼むとしている。
 ところが安倍首相は、戦死戦災死した人々とは言わない。「戦場に倒れられた御霊(みたま)」「御霊に報いる途」など御霊すなわち霊魂を4回も登場させる。これは人が死んだ後も霊魂は不滅だという宗教思想によるもので、神社神道、安倍首相が大好きな靖国神社などの宗教観そのものだ。そのような特定の宗教観にもとづく式辞を総理大臣が述べることは、憲法21条に反する。天皇は憲法を尊重する姿勢を厳守しており、安倍首相は見習うべきだ。
 以上二つの点で、安倍首相の式辞は有害無益な政治発言だ。
 おまけに安倍首相は靖国神社に玉ぐし料を奉納した。高市早苗総務省、丸川珠代五輪相が参拝した。根っからの極右の高市に同道して、新米の右翼丸川が靖国デビューだ。これはオリンピック精神を冒涜するものだ。山本有二農水相、今村雅弘復興相も参拝した。
 靖国神社は、A級戦犯を神として祀り、神社挙げて侵略戦争を賛美し戦争推進をかかげる施設だ。だから天皇は靖国参拝をしない。ここでも安倍内閣の諸氏と靖国派の議員は天皇の態度を見習うべきだ。
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「立憲主義だけでよいのか」という大沼保昭氏 立憲主義を徹底して低める

2016年08月14日 22時31分02秒 | Weblog
 『毎日新聞』2016・8・12の「論点・憲法と民主主義」で東京大学・大沼保昭氏と同志社大学・阿川尚之が大型インタビューに応じている。阿川氏は駐米公使を務めた人だから、安保法制が実現してよかったという立場からさもありなんという論を展開している。
 びっくりしたのは、国際法の大御所大沼保昭教授だ。立憲主義を極限まで相対化し、これが理論家のいうことかと思った。
「立憲主義を守れという人たちは、9条を守れという護憲派とほぼ重なっている」「憲法を守ることを自己目的化するのは間違っています。憲法は国民の幸福のための道具と割り切って考えるべきで、宗教の聖典のように扱うべきではありません」「日本の憲法だけを物神化する議論は独善的で危険です」という。
 護憲派はもちろん立憲主義を守れという。護憲派でなくても立憲主義をくつがえすのは許せないと論を張った小林節教授のような人もいる。憲法学者で安保法制合憲という人は数人しかいなかったし、立憲主義の相対化を公言する人はいなかったのではないか。憲法を物神化するのは独善的だという。たしかに物神崇拝はよくない。多くの人が憲法に祈るような気持ちを持ってはいるが、それは平和主義にしろ生存権にしろ、自民党政権から激しい破壊攻撃にさらされているから。だが祈っているだけではこれは守られない。憲法の平和主義・生存権は世界最先端の内容を持っているがゆえに希望を託した。託すだけではなく、憲法を実質化するための国民運動が営々とつづけられた。1960年代の朝日裁判は生存権運動の金字塔だ。戦後一貫してつづけられた平和運動・原水禁運動は憲法9条を実質化するものだ。だから決して物神崇拝してはいない
 大沼氏は、「安保法制をめぐっては、メディアも政党もひたすら9条の厳格な解釈か、柔軟な解釈か、という議論に精力を注いで」60年安保の時代に逆戻りしたといい、そういう議論にもっていった政党とメディアの責任は大きいという。
 9条を厳格に解釈するのは当然だ。過去の自民党政府はガラス細工ような組み立てで9条を極限まで柔軟に解釈してきた。ところが昨年の安保法制ではこのガラス細工をぶち壊して、もはや解釈とはいえない反対物である集団的自衛権を多数の力で決定した。60年安保に次ぐ国民運動を無視して。9条の下での集団的自衛権が柔軟な解釈で許されるという大沼氏の憲法解釈をもう少し聞いてみたい。立憲主義の危機だと認識した良心的メディアに責任を問うという大沼氏のずぶずぶ、いい加減な憲法論にあきれる。
 「『立憲主義』の主張者たちは欧米中心主義で近代主義的な憲法観にとらわれ過ぎて、憲法とは国民がそれぞれの歴史、文化を踏まえて示す国のあり方なのだという憲法の原点を忘れているのではないか」ともいう。立憲主義の主張者は、日本国憲法の原理は普遍的なもので、21世紀にこそ花開くと考えている。欧米中心主義にとらわれているなどと考えていない。憲法、立憲主義をよりどころに、アメリカの要請による集団的自衛権に対し、これをくいとめようとするのを、欧米中心主義にとらわれているというのは理論というよりも揶揄である。
 大沼氏はさらに、「仮に立憲主義が憲法の重要な柱だとしても、現在の日本国民にとって、『立憲主義対非立憲主義』という問題がどれくらい切実で重要なことなのか」、それよりも将来世代に借金を背負わせている国家財政のことがはるかに重要な課題ではないかという。国家財政問題は重要だ。だが安倍政権はこれを政治課題にから外している。安倍にとって憲法改正がすべてで、そのためには政権の長期安定、そのために支持率の維持、財政規律を踏み外しても政権浮揚のために借金をつぎこむ、これが実態だ。政治目的のために国家財政を破綻させることもよしとする安倍政治。重大な問題だが、立憲主義破壊が憲法体制を土台からくつがえすものだからこそ、切実な問題だと野党やまじめなメディアは訴えた。立憲主義がそれほど切実で重要なことではないというが、切実な問題になりにくい立憲主義を国民的な議論にまで押し上げたのは去年から今年の良識の現れだ。切実な問題だと多くの国民が認めた結果だ。
 大沼氏は、「社会を成り立たせているのは、立憲と民主の原理だけではない」、フランス人権宣言さえ友愛をうたい、日本文化には謙譲の美徳、寛容があり、これを必須のものとして国のかたちを考えなければならないともいう。謙譲や、寛容がどうしたといいたい。復古主義的憲法観にまでとらわれているのか。
 大沼氏は最後に「『立憲』であれ何であれ、一つの価値だけを奉じて突き進んでいくと、対立が先鋭化して、成熟した賢慮が働かない。その意味で安保法制以来の言論空間のあり方について、メディアは深く自制すべきではないか」といった。「奉じて」=うやうやしく捧げ持ってという言葉を使うのが法学者の用語法なのか。立憲主義が抜き差しならない問題として浮上したのは、安倍内閣が憲法解釈の範囲を超えて、9条破壊に乗りだしたからだ。
 安保法制以来の言論空間に大沼氏は不満のようだ。つまり、憲法9条は集団的自衛権を認めるのかをめぐって、憲法学者が多く登場してことが不満なのだ。湾岸戦争やイラク戦争の時のように、憲法論議はさせずに、パワーポリティックスで戦争を論じる国際政治学者に言論空間を独占させたかったのだろう。だが、憲法審査会の公聴会で自民党推薦の参考人までが安保法制は憲法違反といったことから、真正面から憲法論議をしようという空気がマスメディアに広がり、国会論戦でもきびしい憲法論議が展開された。何十年にわたって無視され続けてきた憲法学者がつぎつぎとメディアに登場した。憲法に関わる問題なのに、憲法学者はこれまでないがしろにされてきた。それが本来の姿に戻ったのだ。それが気に入らないのが大沼氏だ。
 憲法にしたがって統治がおこなわれる、憲法は国家権力をしばるものだという原理を立憲主義という。以前は当たり前のこととして、とりたてて問題にされなかったのが立憲主義だ。だが安倍政治の下で、一般国民にも抜き差しならない問題として意識されるようになってきた。大沼氏がいうような、立憲主義をささげ奉ってではなく、多くの国民が近代民主政治の根幹を自らのものにしたがゆえに、たたかいが燃え上がったのだ。
 著名な国際法学者が、このような陳腐な議論をするとは思わなかった。立憲主義だけでよいのかと、近代民主政治の根本原理を低める議論にはまったく同意できない。
 
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椎間板ヘルニア奮戦記(4)

2016年08月13日 23時05分15秒 | Weblog
3)ヘルペスによる逆襲

 椎間板ヘルニア奮戦記(1)を7月20日、(2)を7月27日、(3)を28日に書いたあと、ちょっと日にちがすぎてしまった。今日は、いったんヘルニアを克服したかに見えたのが逆転されたてんまつを書こう。
 15年8月末をもって潮田先生の治療を終わった。左足親指の神経麻痺は除いて腰痛は克服した。以後、9、10、11月と順調に時が過ぎた。ドローイングを中心にストレッチと股関節周りのトレーニングをつづけるとともに、4、5キロのウオーキングをした。
 ところが11月末、背骨にチクチクとした痛みを感じた。湿疹をひとつ発見した。下着に虫がくっついているのか、物干し竿近くまで伸びている銀杏の木から虫が移ったのかなどと考えをめぐらせたが、間違いだった。
 12月1日左半身に5つほど湿疹が広がった。皮膚科に行ったらヘルペスだと告げられた。とりあえず1週間の薬をもらった。夜には幅の広い帯状に拡大した。翌日は、さらに幅広の赤い友禅流しのようなものが背骨から左腹にかけて二本斜めに流れる文様となった。シャツに10個ほどシミが付くようになったが、塗り薬をていねいに塗った。ちょうど1週間で抗ウイルス剤は中止となった。後は塗り薬だけで、きれいになるのを待つだけだった。
 ところが、ヘルペスの後遺症が現れた。左わき腹にサツマイモ状の腫れがあらわれ、これが肥大化していった。横も前も大きく脹れた。ヘルペス症状の腹の内部の神経がウイルスによって障害されて、筋肉がいうことを聞かなくなったのだ。左腹斜筋から腹横筋をつかさどる神経の障害だ。内臓がその重さで横にとびだした格好だ。思えば、わき腹の腹斜筋、横から腹直筋(普通にいう腹筋)の下までの腹横筋が、不随意筋のごとくに自動的に働いて内臓が横に飛び出すのを押さえてくれているのだ。ところがその筋肉を自動的にコントロールしている神経が機能停止した。腹斜筋と腹横筋の一部がだらんとした状態になった。鏡に体を映すと、じつに情けない格好になった。
 皮膚科で説明を受け、神経の回復をたすけるビタミンB12を処方してもらった。回復には数カ月かかるといわれた。ビタミンを飲んで腹筋体操をするようにいわれた。
問題は、1月21日に腰痛が始まったことだ。思いもかけないことだった。徐々に痛みが激しくなった。鍼灸院に行ったら神経痛は1週間でなくなった。だが臀部のこりがつづいた。実感として、これは体のバランスの崩れによるものだとわかった。おもに腹斜筋、一部腹横筋が働かなくなり、その結果、左右のバランスが崩れ、上半身下半身のバランスが崩れた。負荷の結節点がお尻だった。
 毎日風呂に入って温める、ほぐすことに気を付け、ドローインなどのトレーニングをつづけた。その結果、4月からは正常に戻った。
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文化破壊の橋下・松井に関西経済同友会が「大阪府・市の幻術・文化政策に対する緊急アピール」

2016年08月11日 14時31分22秒 | Weblog
 8月4日(2016)関西経済同友会芸術・文化委員会が、「大阪府・市の芸術・文化政策に対する緊急アピール~脱・80円文化政策に向けて~」を発表した。知性や文化とは無縁な橋下・松井府政・市政に対する強烈な批判のアピールだ。言っていることは事実をもとにしているが、松井知事は10日の記者会見で、「府の文化行政の優先度は低くない。大阪へのネガティブキャンペーンでセンスがない」と反論?した。後に見るように優先度は最低だ。80円文化予算がよほど効いたらしく、ネガティブキャンペーンだと筋違いのことを言った。知性や文化やセンスの対極にある松井氏が、センスがないとよくいえたものだ。もっとやわらかくいてほしかったのか。
 関西経済同友会アピールはこういっている。「世界の都市間競争は、芸術文化と地域に固有の歴史文化を融合した創造性による創造都市戦略を競い合う局面に向かっている。しかしながら、現状の大阪府・大阪市の都市づくりの中核となるべき芸術文化振興のための予算は全国で最低のレベル」だと。
 文化庁の「地方における文化行政の状況について」によると大阪府の文化芸術費用(芸術文化事業費、文化施設経費、文化施設建設費)は、府民一人当たり80円(2014年)、大阪市は市民一人当たり814円だ。大阪府は全国最低、大阪市は政令指定都市20市で下から3番目だ。
 国が助成している文化事業の採択は、大阪府は3件、1683万円、全国の1・1%、金額で全国の0・3%。大阪市は申請が0。国の助成文化事業に手も上げない。文化事業をバカにしてやる気もない。野蛮きわまる大阪となりはてた。
 経済同友会は、3つの要望をしている。1)低文化関連予算地域・都市からの脱却。2)国の文化プログラムに積極的に応募申請する、創造都市ネットワーク日本への加盟を。創造都市ネットワークには74自治体が加入しており、大阪市は加入、大阪府は未加入。3)民間のとりくみへのサポート。
 経済力との比較をするとわかりやすい。県内総生産の全国構成比(2014)は、大阪府7・34%(2位)ちなみに東京都18・31%(1位)、愛知県6・97%(3位)、石川県0・89%、高知県0・44%だ。芸術文化費の全国構成比(2014)は、大阪府1・0%、東京都18・4%、愛知県2・6%、石川県5・5%、高知県2・6%だ。
 このまま推移すると、文化の面でも東京の魅力がさらに高まり、東京一極集中がすすむ。大阪は文化最果ての都市、文化さびれた街になることは必定だ。橋下氏はつねに世界の都市間競争に打ち勝つとがなりたてていたが、文化果つる都市に誰が魅力を感じるだろうか。地方の方がずっと文化に力を入れているではないか。石川県はひとつの例だ。金沢などは魅力的な街としてだれもが認めている。それは芸術・文化・伝統を徹底して大事にしてきたことから魅力が発生している。創造都市ネットワークでも注目の成功例となっている。でもやっつけ仕事でうまくいくものではない。精神がないと。
 関西経済同友会が一番問題にするのは、歳出に占める芸術文化費の割合だ。府民一人当たり80円(正確には79・6円)で、歳出に占める比率は、大阪府0・03%(47位)、東京都0・25%、愛知県0・10%、石川県0・82%、高知県0・47%だ。全国最低、正真正銘のビリ。あえてそこまで芸術文化費を削ったのだ。芸術文化に対する憎しみや悪意がないとそこまではいかないと思うがどうだろう。
 松井知事は「他府県の予算には美術館の管理費なども含まれており、単純に比較できない」と反論?した。たしかに大阪府立の美術館はない。だから管理費も発生せず、文化予算は低くなる?ちょっと待て。大阪府にはユニークな「府立現代美術センター」(1974年設立)があったが、橋下知事が2011年度をもって閉館にしたのだ。また大阪センチュリー交響楽団への府の補助金を廃止した。橋下氏はクラシック音楽への無理解と敵意をむき出しにした発言をしていた。金沢市は県と協力をしてオーケストラ・アンサンブル金沢を支えている。橋下氏が就任して最初にやったのが、府立青少年会館の廃止、土地の売却だった。青少年会館は高校生の「総合芸術文化祭典」の会場として、高校生の文科系クラブ・若者の文化のメッカだった。安く借りられる唯一の会場だった。これを情け容赦なく廃止した。
 大阪市においても、文楽技芸員への侮蔑的発言、文楽協会への補助の極限までの削減にすべてが象徴されている。野鳥の楽園であり学習の場であった大阪南港野鳥園の廃止。橋下氏は税金を投入してやることではないと。これでは芸術文化政策の多くは税金を投入してやるべきことではないとなるだろう。柴島浄水場のにあった水道記念館は水道局の事業ではあるが、絶滅危惧種・イタセンパラなど水生生物の育種展示もしており、学習の場であったが、橋下市長は水道局がやる仕事ではないとして2012年4月から休館に追い込んだ。文化の香りのすることに嫌悪感を持つようだ。
 このような都市が21世紀の憧れの都市になりうるだろうか。関西経済同友会の緊急アピールの意義は大きい。
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下痢がつづく

2016年08月10日 22時47分43秒 | Weblog
 中国から帰った翌日の夜から下痢になった。今日で5日になる。軽くなってきたが、全快とはいかない。原因はわからない。
 中国で生水を飲んだら、たちまち下痢おう吐に見舞われることは身に染みて知ってるので、十分気を付けていた。だから不思議だ。日本に帰って冷たいものを飲んだが、それで下痢が続くのも理解しがたい。となると、やはり中国での水となる。歯磨きの時も気を付けていたのだが、より注意が必要だ。
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多民族文化を称賛したリオオリンピックの開会式から考える

2016年08月08日 16時25分22秒 | Weblog
 リオデジャネイロオリンピックの開会式では、ブラジルの多民族共存の素晴らしさを強調したセレモニーに大きな特徴があった。日本出身者を含め、歴史が多民族国家をつくってきたことを表現した。
 ひるがえって、東京オリンピックはどうなるだろう。安倍晋三、稲田朋美、森喜朗らが口を出してくるだろうから、多民族文化ではなく、国粋主義を強調することになりはしないだろうか。神武起源をパフォーマンスの冒頭に入れ込む可能性がある。7世紀、古代天皇国家形成期の支配者が、1260年にいちど大革命がおきるという中国の讖緯設(しんいせつ)を利用して、1260年まえの紀元前660年に神武即位があったというストーリーを作り上げた。
 国際舞台でもしこのようなことをパフォーマンスに組み込むとしたら、世界の恥さらしだ。日本も古来、渡来人によって多くの先進文化を取り入れてきた多民族・複合文化だ。それを安倍・稲田・森らによって改ざんされたらたまったものではない。近代以降でも植民地支配に伴う強制連行を含む朝鮮人の流入によって新たな多民族化がはじまった。だがいま、安倍・稲田らの政治路線とかさなりあうヘイトスピーチの民族排外主義が一定の力をもっている。
 これからの日本は、もっと外国人移民をうけいれる方向にすすまないかぎり、経済の発展もない。すでに人口減少時代に入っている。人口減少の下ではGDPの増大はありえない。アベノミクスを叫んでも成功はしない。すでに失敗している。アメリカにしろヨーロッパにしろ移民がどんどん増えている。そのもとでアメリカ経済の拡大がつづいている。つまり需要の増大だ。日本は人口は減少する、労働者の所得は減る、年金は減る。このもとでは経済の拡大はない。
 だが、現在の日本はシリアなどからの難民申請をことごとく却下している。難民に一番冷たい国になっている。世界の動向に背を向けている。すでに70年も100年も日本に定着し社会を構成し、支えている韓国朝鮮人あるいは韓国朝鮮系日本人を排除する運動が安倍・稲田につながる勢力によって続けられている。このもとで外国人を大量に受け入れるとなると、あらたな外国人差別、排外主義がまきおこる可能性がある。
 ヨーロッパでの右翼政党の伸長は、日本では想像できないほどの大量の外国移民・難民の受け入れによって、その経済的地位を失いかける弱者が排外主義に走る形の右傾化だ。日本の現在の安倍自民党主導の右傾化は、外国人大量受け入れもないのにすすんでいるのだから、ヨーロッパより質が悪い。ナチスの亡霊が21世紀に姿を変えてよみがえるかのような動きが今の日本だ。
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コオロギやセミを売るディープ上海の市場

2016年08月08日 15時11分41秒 | Weblog
 ホテルをはさんでザリガニ食堂街の反対側の住宅街にディープ上海を象徴する市場があった。50メートル四方の3、4階住宅街がまるごと市場になっている。ちょうど鶴橋の市場、この通路をもっと狭くして圧縮したようなものだ。
 ここの特徴は何といっても虫を専門的に扱っているところだ。おじさんが腰を下ろして何かしている。サバ缶のような丸い箱に入っているコオロギを竹串のような棒でつついて元気かどうか調べ、ふたをしてゴムで留める。このような作業をしているおじさんがいた。30個くらいの丸い箱を順次チェックしていた。これはコオロギを闘わせる中国文化の現場だと直感した。よくみると、幼虫くらいの小さいものから、少年コオロギくらいのものなどいろんな大きさのコオロギが売られていた。
 市場の狭い通を歩くと、ところどころでセミの大合唱がふりそそいできた。合唱というと聞こえはいいが、耐えられないほどの騒音だ。テニスボールほどの丸い竹籠に入れて、30個くらいをひとまとめにしてぶら下げてある。自然の状態では30匹のセミがひとまとめにいることはない。だからそのうるささは尋常ではない。
 よく見ると、やや緑がかったセミで羽が小さい。尻をはげしくふるわせて鳴いている。沖縄のやんばるの森で、10月に緑に光るセミを捕まえたことがあるが、なんらかの共通性があるのだろうか。
 市場には金魚や亀を扱う店もある。小鳥の店も。さまざまな虫かごの店も。竹ひごで作ったもので、日本で昔あったものだ。虫を飼うためのさまざまな微小な道具も売っている。
 中国のディープな文化が庶民の市場にあふれている。市場関係者以外にあまり客はいないように思ったが、これで商売がやっていけるのか心配した。
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ザリガニ食堂街のとりこになった

2016年08月06日 20時02分11秒 | Weblog
 上海中心部の日本人がほとんど泊まらないホテルは庶民住宅にとりかこまれていた。3、4階建てのレンガ造りモルタル塗り集合住宅だ。昔の大阪の文化住宅街の通路よりもせまい路地が縦横に走っている。その路地に足を踏み入れると迷宮に入った感覚になる。
 やや広い道路に面した集合住宅の1階は商店になっている。
 車が通れる道路の両側の集合住宅の1階はすべて商店だ。わたしの泊まった華美国際飯店のすぐ近くにはザリガニ料理のメッカかと思われる一帯があった。大きなレストランに行くつもりはなく、街角の食堂で夕食をと思っていたのでちょうどよかった。そこは20~30軒ものサリガニ料理店が並んでいた。最近の上海では人気急上昇中の大衆料理とのことだ。もちろん中華料理だ。
 店の前の台に、ザリガニが山積みにされ、数匹の上海蟹がおかれていた。ザリガニには関心がなかったが、えっ、夏にも上海ガニが?と引き込まれてしまった。一度は上海ガニを食べてみたいと思っていたので1軒目の店で決めた。普通は秋から冬がシーズンだと言われているのになぜ?とおもったが8月にも一部出されるようだ。
 まず、キュウリの漬物と上海ガニを頼んだ。店員さんがなんどもザリガニがおいしいとすすめるので、これも頼んだ。キュウリはたたいて、ニンニクみじん切り、塩、ごま油であえたもののようだ。カニよりも前にザリガニが出てきた。これがびっくり。大皿に山盛りだ。サリガニを辛味スープで玉ねぎ、セロリなどと一緒に炒め煮にしたものだ。
 ひとりにひとつステンレスの四角いトレーと黒酢が用意された。さらにビニールの薄い手袋とティッシュの箱が供された。手袋をしてザリガニにかぶりついて殻を破り、うまみを吸い、尻尾の方の身をたべる。これがヒリヒリするほど辛い。でも甘味もありうまい。くせになってつぎつぎ食べてしまう。そのうち汗がふき出、鼻汁が出る。口と額を拭き、垂れてくる鼻汁をかむ。ときどき青島ビール(12元、210円)を流し込む。身を辛いスープにつけて食べると辛いけどうまい。この辛さは塩辛いのとは無縁。夜、のどが渇くことはまったくなかった。大皿に30尾以上あった。初の上海ガニは、想像以上だった。日本にもいる淡水の藻屑ガニの同種だ。黄色い味噌がクリーミーでおいしかった。ビニールの手袋は鋭い殻で穴が開き、手はヌルヌルになった。
 二日目の夜も、おなじザリガニ食堂街に出かけた。歩いて2,3分。こんどは別の店にはいった。たくさんの中国人客がザリガニをむさぼり食べている。左隣のカップルはザリガニの頭の部分をきちんと並べ積み上げていた。几帳面だ。いや辛さに強く余裕がある証拠だ。汗も鼻汁も流していない。左の客も右の客もどんどんお替りし、大量の残骸をゴミ箱にドサッとなげこむ。あっけにとられる風景だ。わたしは前日の半分の量にした。かわりにシャコ一皿(これも驚くほど多い)とタイラギ貝などをたのんだ。中国人の若者客が多い店なので割と安い。気取った料理の真逆、ヒーヒー、べとべとの料理。偶然の出会い最高。現地の人が一番好むものをいっしょに食べ、大満足の夕食だった。
 
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