山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

病室から梅沢富美男さんにあこがれる

2018年03月30日 23時21分57秒 | Weblog
 梅沢富美男、御年67歳。わたしより若い。梅沢さんは最近、ライザップのコマーシャルで世間をにぎわしている。75・4キロの体重が体重が62・5キロまでになったそうな。ウエストも100センチから78センチに。ウエストはなかなか減りそうにないのに78とは驚異の数字だ。腹をへこまして写っているのではない。体脂肪率も27・9から19・5だ。
 梅沢さんは脂肪を減らして筋肉をつけたのだから理想だ。去年の9月から5、6か月の成果だ。長期間続いたのは、専門のトレーナーが栄養とトレーニングを管理してくれたからだろう。もちろん梅沢さんのやる気、努力が主だ。高額なお金を必要とするライザップは、われわれとは世界が違うが、かといって、意志の弱い人間がひとりでやり抜くのは大変だ。ダイエットの戦いに負けた累々たる屍をみよ。
 梅沢さんは体形が変わったため、スーツ20着と女形かつら14面をつくり直したそうだ。かつらはひとつ60万円もするという。(『週刊文春』3月29日号から)梅沢さんは日本中のジジイどもをびっくりさせてやろうと思ってとりくんだそうだが、そう、じじいはびっくり仰天し、梅沢さんにあこがれている。でも、こう暑い日がつづき桜も満開になるとビールのコップをあおり、焼酎も、純米酒も飲みたくなる。一方でトレーニングはしんどい。月曜日から頑張ろうという気になる。 
 わたしは今、入院中だ。1か月前に心不全で入院したのにつづく2試合目だ。先月見つかった、冠動脈の先の枝が細くなっているのをステントで広げる手術をした。4日間コースだ。
 先月の10日間入院では、1500Cal食で正味5キロ減った。これは脂肪の減少もあるが、入院で運動しないことによる筋肉減も含まれる。だが今度は1670Calだ。ご飯はどんぶり飯だ。めし屋の中めしの量だ。だから体重は増えもしなかったけど減りもしなかった。。
 年をとって長期入院すると足腰が弱って、一気に衰弱する。わたしもその恐怖を感じた。ジジイのあこがれ梅沢さんを見習って、少しは自宅トレーニングを復活したい。 (3月29日病室にて)
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佐川証人喚問、自民丸川議員が佐川お助け質問

2018年03月27日 12時59分48秒 | Weblog
 27日午前、まず参院で佐川証人喚問がおこなわれた。自民丸川議員がトップを切って行った質問は佐川氏をよいしょする質問ばかり。
 「安倍首相からの指示はありませんでしたね」「昭恵夫人からの指示はありませんでしたね」と誘導する質問に、「ございません」と予定通りの答え。佐川氏は、その他の上層部からの指示も一切なしと答弁。全部自分どまりで、自らトカゲのしっぽになることを宣言した。
 丸川氏は、佐川氏が「契約成立で資料は廃棄しました」「ございません」などとと去年答弁していたことが虚偽答弁だったことはもう明白になっているのに、丸川氏は、佐川さんは原理原則を言っていたのであって、文書の取り扱いの規則で言えば廃棄することになっているということですかと質問。あきらかに佐川よいしょだ。去年佐川氏は、「廃棄してございます」といっていた。規則の範囲では廃棄となっているという答弁ではなかったと思う。佐川だけでなく丸川質問のいかがわしさも究明しなければならない。丸川氏は財務省とすり合わせをしてちょうちん持ち質問をしたのは明らかだ。
 ついでに、丸川質問で答弁する前にNHKが「ございません」などとテロップで回答を出していたのはむちゃくちゃだ。
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アメリカ・フロリダ州の高校での銃乱射事件の深層と新しい動き

2018年03月27日 12時02分34秒 | Weblog
 2018年2月14日、アメリカ・フロリダ州パークランドのマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で高校生ら17人が射殺される悲惨な事件が起きた。
 当然のごとく銃規制の声があがったが、一方で、事件は精神障碍者によるものだとして、個人の資質に問題をわい小化させる動きがでた。トランプ大統領は、学校の教師に銃を携行させ、ボーナスも払うといった。全米の学校の教師に、全員ではないとしても銃を持たせるとなれば、莫大な数の銃が売れることになる。この案は全米ライフル協会(NRA)が従来から主張していたものだ。NRAとトランプが組んで、悲惨な事件をさらなる銃商売のチャンスにしようというのだから、あきれてものが言えない。
 そもそも、銃で武装することが人の権利だという独立時の自由観が、21世紀にもそのまま流通していることが問題だ。自ら武装して命を守るというのだが、銃を持っている相手から自らを守るためには先に撃つことが必要になる。だが相手が自分を撃つことが明白かどうかはわからない。1992年、ルイジアナ州に留学中の高校2年生服部剛丈さんが、ハローウインのパーティーで、訪問先を間違えてベルを鳴らし、さらに近寄ったたところその家の主に撃たれ死亡する事件が起きた。自己防衛だと思い込んで撃つことは、正当防衛だとは決して言えない。銃で命を守るというのは神話だ。
 教師に銃を携行させて、殺人者が撃ってきたら応戦させるとはどういうことか。これは教師に警察官の仕事も背負わせるということだ。教師の仕事はそれぞれの教科の、小学校ではいくつもの教科の授業をすることだ。加えて在校中の児童生徒の安全を確保することだ。毎日授業するためには、それ相当の準備時間が要る。授業の時に教室に行けば済むというものではない。教師に銃を携行・応戦をさせるためには、銃の訓練を積まなければならない。教材研究の時間を奪って銃の扱い、逮捕術を訓練するとは本末転倒だ。

 3月3日の「朝日新聞」にノーベル賞経済学者のクルーグマンのコラム「銃乱射から見える闇、米社会に巣くう妄信」が掲載された。アメリカでは、殺傷兵器を買うより、運転免許を取る方がはるかに難しい。自動車には多くの安全基準が課され、制限速度や飲酒など厳しい交通ルールがある。銃よりはるかに厳しい自動車でも、州によって車の安全に大きな差があり、最南部からグレートプレーンズ(中西部)にかけて「交通事故死ベルト」ともいえる事故死の多い州がつらなっているとクルーグマンは言う。それが銃器死の多い地域と、トランプ支持とも一致するという。
 低所得者向け医療保険制度=メディケイドの拡大を拒否した州ともかなり合致する。銃を規制しないのは、公教育を解体する指向、高齢者向け医療保険制度=メディケアの社会保障からの格下げ指向と通ずる。国家の原初的な機能である銃犯罪の取り締まりも、銃を持った善人が警察機能にとって代わるのを理想とする。
 このようなことを志向する保守系党派が、あらゆる場面であらゆる手を使って、公共的なものを切りちぢめ、社会や国家存立の根源的な要請さえも、自分で身を守る権利を奪うものだと攻撃する動きを広げているとクルーグマンは指摘する。彼は、アメリカの銃にまつわる狂気は、近代社会の始まりにトーマス・ホッブスが記述したはるか昔の社会へと駆り立てるものだと断じた。その通りだと思う。
 ホッブスは、人間の自然状態は「万人の万人に対する闘争」だと表現した。自然状態の社会から近代への過渡期たる絶対主義、これを打倒した民主主義革命を経てわれわれの時代へつながる。だがそれは封建主義、絶対主義への対抗として自由主義が社会の理念だった。半封建的自由放任。弱肉強食だが自由が社会を浸した。アメリカ銃社会の理想郷はここにある。だがそれから200年以上経っているのだ。時代錯誤もいい加減にしろといわなければならない。
 自由主義は格差を生む。これを放置できない段階にまで至って、ドイツ・ワイマール憲法において(ロシア革命の労働者弱者保護に促迫されて。やがて腐り、反対物に転化していく前の若いロシア革命の成果)、弱者保護の社会権規定が登場した。その直系の直弟子が日本国憲法だ。安倍首相は先日も、日本国憲法をGHQ憲法だとそしっていたが、ポツダム宣言もつまびらかに読んでいない首相がそんなこと言える立場にないだろう。
 安倍首相がアメリカの押しつけだという日本国憲法が、アメリカ憲法をはるかに超えているのが社会権、特に生存権規定だ。これは日本の憲法研究会の鈴木安蔵らが「健康で文化的な生活を営む権利」を憲法草案に書いた。これが帝国議会で修正案として出され、「最低限度の」が挿入されて可決された。押しつけでもなんでもない。GHQ民政局の人たちは、アメリカ法の世界の人だったので、自由権規定については鈴木たちの草案に様々な注文を付け、日本政府に提示した草案でも詳細な規定をおいたが、生存権については関心を示さず、つまり理解を越えていたがゆえに、GHQの草案には取り入れなかった。だから日本国憲法25条は、鈴木たちの発案により、日本独自のものとして輝いている。逆にアメリカ憲法には、古くからの自由権規定のみにひきずられ、生存権規定をもたない、いまや遅れた憲法となっている。銃の自由をふりまわす、古い放任社会を理想とし、民主的にコントロールされた弱者を包み込んだ福祉社会を嫌悪する風潮がいまだまん延する社会をつくっている。安倍氏らは、9条25条など日本国憲法の先進性に学ぶべきだ。
 クルーグマンは、アメリカの銃にまつわる狂気は、ホッブスの時代へ社会を逆もどりさせようとする動きと一体だという。共和党、キリスト教福音派の宗教保守などが銃規制、医療保険・教育からあらゆる公共的なものに敵意を向けている広範な社会運動であることを教えてくれた。古い自由放任社会を理想とし、新しい新自由主義を看板にアメリカ社会と世界を席巻しているアメリカグローバル資本の動きと軌を一にしている。
 となると日本との接点が浮かび上がってくる。さすが日本では銃に甘い意見は見られないが、それ以外の弱者保護、労働者保護を取り払い丸裸にしようという資本の欲望が丸見えではないか。「働き方改革」=働かせ方大改悪法案にそれが表れている。

 ダグラス高校の生徒たちは、大量殺人が可能な半自動ライフル銃が簡単に街で買えること、全米ライフル協会から献金を受けている政治家を批判して行動した。生徒たちの呼びかけで、3月24日にワシントンはじめ全米各地で「私たちの命のための行進」が行われた。ダグラス高校の生徒たちも1600キロ離れたワシントンまでバスで移動した。ワシントンの集会には80万人、全米で100万人が参加した。参加者は抜本的な銃規制に動かない連邦議会に対し落選運動を主張し、ライフル協会に「何人子どもを殺すのか」と繰り返した(「朝日新聞」「赤旗」)。
 共和党など右派がいっさい動かず、逆に銃規制の運動を誹謗・攻撃しているもとで、高校生の機敏な動きは希望だ。秋の中間選挙までこの運動がつづいていけば、連邦議会議員への大きな圧力になる。クルーグマンが指摘した古い自由放任社会への根深い衝動に抗して、若者の大規模な動きが起きていることに期待したい。   (3月7日、26日記)
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親しい仲間川口一夫さんを失う

2018年03月22日 22時46分15秒 | Weblog
 昨日、長年親しく付き合ってきた先輩であり、仲間であった川口一夫さんの通夜に出席した。享年77歳。亡くなったのは2月20日朝。
 川口さんとのお付き合いが始まったのは、1975年4月、箕面高校に社会科の非常勤講師として行ったときに声をかけてもらった時からだ。川口さんは箕面のあと、箕面東、そして北野定時制に勤めた。先に私が北野高校定時制に転勤していたところに、1年後だったか、偶然川口さんが異動してきた。その付き合いは川口さんが定年を迎えるまで長くつづいた。もちろんその後もだ。
 川口さんは5冊の本を自費出版した。『三本綱物語』、『大鰻の小太郎』、『二重柿物語』、『少年の四季』、あと各所に書いたものをあつめた随筆集だ。随筆以外は、ふるさと宇和島市津島町の方言で書かれている。題材はすべて、ふるさとの少年時代の明晰な記憶にもとづいている。定時制の生徒に、退職したら『淀川夜間高校物語』を書くと言っていたが、これは成らなかった。
 川口さんは、食糧供給が途絶えるときでも生きていける人だった。山に入れば自然薯を掘り、タラの芽はじめ食用植物を次々見つけた。淀川に行けば投網を打った。定年後故郷に帰った後は、岩松川の漁業権を取り、川漁師になった。もちろん畑作業はお手の物で、故郷に建てた家の近くに畑をもち季節季節の作物を作った。定時制の教師時代、北野高校の家庭科の第2新館の裏に手ごろな空き地を見つけ、ここを開墾した。立派な畑にして、サツマイモはじめ数種の野菜を収穫した。それらは文化祭に提供してにぎわいに寄与した。北野は学校のぐるりを大きな銀杏の木がとりまいていた。実のなる木もたくさんあった。粒は大きくはなかったが収穫は多かった。しかし皮を処理するのに臭くて手間がかかり、学校の塀の際に捨てたときは腐臭に困った。私の家に持ち帰って処理をしたこともあったが、銀杏を乾かすまでは大変な仕事だった。
 組合の北大阪支部で春の行事の音頭を取ったのはいつも川口さんだ。淀川や京都の松尾の川辺でバーベキューをした。ありふれたバーベキューよりも、川口さんは山野草のてんぷらに力を入れた。タラの芽、タンポポ、カラスノエンドウなどのてんぷらに舌鼓を打った。ある年、淀川で投網を打って、一投目は大きい手長エビを手に入れたが、これは調子がいいと投げた二投目大きい石をひっかけて網はみごと破れた。松尾では龍谷大学のたくさんの学生が火をつけようとするが、全くダメ。そこで川口さん先頭に、われわれが手ほどきをし交流したこともあった。
 川口さんは組合活動家であり、安保破棄実行委員会の有力な活動家だった。国語教育や生活指導のテーマで様々な研究会、組合教研に参加し、自ら実践報告をし、人をさそった。安保破棄実行委員会では、紅鮭や日高昆布はじめさまざまな品を売って、活動資金を得るとともに、運動のつながりを広めた。ひっこみがちな私とは違って、川口さんは人との間に垣根をつくらず、どんどん人の懐に飛び込んでいった。川口さんの実家は魚屋だったこともあり、包丁さばきがうまかった。組合の集まりの時に、腕を振るってくれた。イワシのおから寿司は川口さんの手でしか作れない。新鮮なイワシと酢飯の代わりにおからをつかう。大人数で食べられるおでんは定番だった。
 定年後、2、3年講師をしたが、故郷への思い断ちがたく、宇和島の実家近くに家を建てて移り住んだ。移住後は、ふるさと通信『二重柿の里通信』を月1回発行し、地元宇和島ばかりか、大阪の私たちにまで郵送してくれた。畑や川の様子、ふるさとの伝統行事、小学校の子どもと行事の様子などあらゆることを拾い集めて、B4表裏の新聞にして書き残した。2,3年前に終刊となったが、川口さんはふるさと宇和島に旋風を巻き起こした。平和運動、9条の会、年金者組合では愛媛県全体の中心になった。
 川口さんは、仲間への気配りの人だった。旅をすれば、真っ先に旅先からハガキを出し、季節季節に電話で様子を伺い、何かことがあれば手を差し伸べ動いた。友人たちの退職など節目には当人を囲む会を企画するなど、思いやりの人だった。受け継がなければと思いながらも、なかなか実践できないことだ。川口さんがやったように、すこしは真似ていきたいものだ。
 川口さんのあまりに早い死は残念極まりない。でも川口さんの生き方から刺激を受け学ぶことで、力がわいてくる思いがする。だから悲しいだけでない。川口さんは、行動的に生き抜いた人だ。
 川口さんのふるまいに学んで、『川口さんを偲ぶ文集』をつくりたい。通夜の後、10人が居酒屋に移動して、川口さんの思い出を語りながら、宮武さんの提案で文集をつくることになった。宮武さんは、川口さんと愛媛の同郷で、高校の組合では中心的な活動家だった。簡素でも思いのこもった文集をつくりたい。川口さんへのお礼だ。
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佐川といっしょに安倍もやめろデモに参加

2018年03月18日 17時47分58秒 | Weblog
 3月18日日曜日、朝10時出発の「大阪怒りの緊急朝デモ」に参加した。うつぼ公園に着いたときはもうデモが出発していた。最後尾に付いた。若者が計画したデモだった。ラップ調のコールはリズムがよくて心地よかった。御堂筋も南御堂あたりからは人通りが多くて面白かった。600人くらい。
 「佐川といっしょに麻生もやめろ」「佐川といっしょに安倍もやめろ」「森友問題、維新が発端」「松井は出てこい」「官僚がんばれ安倍に負けるな」「公務員がんばれ維新に負けるな」「勝手に改ざんやるわけないやろ」
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大阪府大・大阪市大の法人統合の野蛮

2018年03月17日 13時03分04秒 | Weblog
 2018年2月23日、大阪市議会で継続審議中の府大・市大の法人統合関連議案を維新の会と公明党の賛成で可決した。やっぱりというか、案の定というか、公明党が最後に維新にすり寄って可決となった。府議会では昨年11月すでに通っている。来年4月に法人統合、2022年4月に大学統合の予定だという。
 橋下前知事・市長が、府立病院と周産期・産科の市立住吉病院が二重行政だといって市立病院をつぶした。府立体育館と市立体育館も二重だといってつぶそうとしたが、府立は大相撲の3月場所の会場なので、当たり前だが、つぶせなかった。府立図書館と市立図書館も二重だ、無駄だといって、野蛮人のごとく攻撃した。公務員攻撃に酔いしれた維新支持者は歓喜したが、さずがにつぶすのに失敗した。府立図書館は東大阪市にあるのに、二重だというのだ。私の質問に、東大阪にあろうが、岸和田にあろうが、府立と市立の施設が並立すれば、それを二重行政というのだと大阪市は公式に回答した。
 府立大学と市立大学も二重の象徴だと当初から攻撃した。しかし一つしかない首都大学東京よりも府大・市大への出費は少なかった。お金の無駄論はつうじなくても押し通した。とにかく破壊したいという衝動に突き動かされてつきすすんだ。このしつこさは世界でも例を見ない。すぐに屈服した府大当局は、忖度して早々と理工系以外の学部講座のリストラをすすめてきた。統合以後も、金もうけに直結しない学部をリストラするのが目的だ。真理の探究も学問の自由も、大学の自治もくそもない。維新知事・市長直轄のイエスマン理事長に権限を集中させて、好き放題をやろうというのだ。
 人口数十万以上の県庁所在地で、県立大と市立大がないところはないだろう。これを二重行政だといってやり玉に挙げている県はない。誇りでこそあれ、無駄だと攻撃する人は他県にはいないだろう。自治体立大学として最も古い部類の両大学の歴史と学問的実績を無視する野蛮さにはほとほとあきれる。府大・市大が二重だというなら、国立の大阪大があるのだから、三重行政はやめて、大阪大に一本化するのが、財政効率が一番いいではないか。なぜそれをいわないのか。(3月4日記)
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一条三子『学童集団疎開』を読む

2018年03月16日 21時09分42秒 | Weblog
 埼玉県の高校で2016年まで教鞭をとった一條三子さんの『学童集団疎開』を読んだ。昨年末から新聞の書評で取り上げられ注目された本だ。
 学窓集団疎開については、これまで体験記を含め、ずいぶん多くの書物が刊行され、、研究もすすめられてきた。ところが一條さんの研究は、これまでの、疎開学童の側、送り出す側からの研究に対して、受け入れる地域の側から学童疎開をとらえ直した点に新しさがある。両者あいまって全体像が明らかになるが、その道が開かれた。
 わたしがとくに注目したのは、集団疎開の再疎開のてん末についてだ。理由も示されないまま、より遠くの地域、他の県へ再疎開させられるケースがたくさんあった。一條さんは、千葉・茨城・静岡からそれぞれ岩手・秋田など遠隔地への再疎開をとりあげ、それが軍の要請によるものであったことを明らかにした。温泉地の旅館を宿舎にしていたのが追い出され、あとに陸軍病院が入り、国民学校は予科士官学校や被服廠が入った。
 わたしが大阪について調べたところでも、国民学校ばかりか中学校でもことごとく軍に接収され、学校はいつのまにか兵営になってしまった。
 一條さんは、重要都市が戦争維持能力を失い、疎開を受け入れた(学童だけでなく工場移転を含め)地域社会がすべてを負う戦時体制のことを、総力戦最末期の「地域社会戦時体制」と呼ぶことを提案している。
 わたしと同時期に埼玉の高校に勤めていたことだけでも親近感を覚えた。さらに関心の重なるところもあって、意欲をかきたてられる思いがした。
                                                        (3月3日記)
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病院食で体重がぐんぐん減った

2018年03月15日 12時21分12秒 | Weblog
 今度の入院で体重が激減した。入院するとき、裸で70・9kgもあった。これが実は、うっ血性心不全で胸に水がたまっていた体重だった。68キロくらいだったのが、どんどん増えた。変だなと思っていた。原因は、心房細動からくるうっ血性心不全だった。入院する前の4日ほどは、苦しくて寝られなかった。とくに上向きでは苦しいだけだった。
 レントゲンでは、肺の下3分の1くらいが水浸しで写っていなかった。すぐ利尿剤が処方され飲んだ。すると翌日までに、プラスチックの大きな壺に薄い色の尿がいっぱいなった。尿をためるようにいわれた壺で容量は3・5リットルだった。純粋の尿を除いても2~2・5ℓはある。それだけの水が胸から横隔膜の間にたまっていたのだから、苦しいのは当たり前だ。一升瓶を胸に乗せて寝るのはそれはしんどい。次の日から俄然楽になった。
 入院した翌朝、体重は70・9から68・15(ジャージを着たままで)まで激減。以後、66・75(-400)⇒66・05(-700)⇒65・40(-650)⇒64・85(-650)⇒65・75(-100)⇒64・15(-600)⇒63・55(-600)と、ぐんぐん落ちた。水がさらに抜けたのもあるだろうが、食事のカロリーが少ないことによるものだ。
 病院食の特徴の第1は、量が少ない、とくに晩ごはん量が昼より少ない。第2に、油を使った料理がほとんどない。揚げ物は金輪際ない。朝はパンだが、付いてくるのはリンゴジャムのたぐいだ。ダイエットのために入院するのもありかなと思う。青菜の柔らかいお浸しか煮物が必ず付く。しかもこれが機械で切って冷凍にしたものと思われる菜だ。カレイに似たオヒョウのような魚、あるいは鰆がよくでてくるが、甘辛く煮るのではなくうすい塩味が多い。ほおばって食べたらあっという間になくなるので、すこしずつよく噛んで、味わって食べた。その結果が63・55への激減だ。
 退院後も体重を維持すること、毎日体重、血圧、脈拍を記録すること、もし1週間で2kも増えたならばすぐ病院に来ることを言い渡された。退院翌日1キロ増えたが、以後なんとか64キロ台の半ばを維持している。
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理財局に責任を押し付ける麻生、麻生の応援団の田崎史郎、八代弁護士

2018年03月13日 13時22分24秒 | Weblog
 森友文書改ざんについて、麻生太郎財務大臣は12日、書き換えは佐川理財局長の国会答弁に合わせて、理財局の一部職員によって行われたもので、最終責任者は佐川理財局長だと断言した。これは自分と安倍政権に責任が及ばないようにうまく仕組んだ筋書きだ。
 理財局の佐川氏より下の職員が佐川氏の指示を得ることなく勝手に改ざんをした、後で知った佐川氏にその監督責任をとらせるという構図だ。だが決裁文書の改ざんを上司にお伺いを立てることなく勝手に改ざんするというのは1%もありえない。じつにずるい、しかし素人でも見破れるシナリオだ。
 ところがこれを積極的にもちあげる評論家が出てきた。安倍首相と親しくお食事をするお抱え評論家の田崎史郎氏と、もうひとりが国際弁護士の八代英輝氏だ。理財局の官僚が自分たちの組織を守るために、佐川局長にも相談せず、勝手に組織の論理で改ざんをしたのだと田崎・八代官邸お抱え評論家は麻生のことばをなぞる。
 局長佐川氏が改ざんに関わっていたら、その監督責任が麻生大臣におよぶ。だからその前で防御するために、佐川の部下が勝手にやって、その責任を取って佐川が処分されたのだと。こんな子どもだましが何日続くか。
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安倍昭恵「いい土地ですから、前にすすめてください」 森友改ざん文書おどろきの内容

2018年03月12日 17時08分00秒 | Weblog
 森友問題で財務省が改ざんした文書には、おどろくべき内容があった。改ざん、削除のあまりの量におどろく。テレビでの報道で知るだけだから不十分だが。
 安倍昭恵氏が、籠池氏、近畿財務局といっしょに豊中の現地に行って、「いい土地ですから、前にすすめてください」といったのが削除されている。財務局の職員を前に昭恵氏が「前にすすめてください」といったのだ。首相夫人がその権威を背景に、行政に介入したその証言だ。これでもうおしまいだ。
 また、籠池氏の素性について、日本会議大阪の代表だといい、その日本会議国会議員連盟の会長が平沼赳夫議員、副会長が安倍晋三首相、特別顧問が麻生太郎副首相・財務大臣と記されている。籠池氏を粗末に扱えないということだ。
 籠池氏の小学校建設用地の案件が超特別なものであることを元の決裁文書は明瞭に語っていた。だから国家に莫大な損害をあたえても、あえて言うとおりにすすめなければならないということを書いているのだ。
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横柄、つけあがった安倍が逆転瀬戸際、公文書改ざんで一気に追い込まれた

2018年03月11日 15時30分49秒 | Weblog
 森友問題をめぐる安倍お友達政治・国家の私物化問題はほぼ詰みの段階に入った。安倍政治の国家の私物化、民主政治・立憲主義の破壊は極限に達した。朴槿恵政権を毎週の大衆行動で逮捕にまで追い込んだ韓国民衆の白黒はっきりさせる性分に比べ、日本人の甘い性格は、去年の総選挙でも安倍派に3分の2を与えた。だが安倍政治の腐った本質がどうにも隠しようがないところまで露呈した。
 安倍首相は2月5日、衆院予算委員会の立憲民主・逢坂議員の質問に、勝ち誇ったようにまったく場違いの国会の私物化ともいえる発言をした。「朝日新聞」が昨年5月9日に、近畿財務局に籠池氏が「安倍晋三記念小学校」と書いた設立趣意書を出したと報じたのが後に「開成小学校」だったのをとらえて「裏どりをしない記事というのは、これはもう記事とは言えないんです。ほとんどちゃんとした品質をなしていない」と批判した。
 翌6日「朝日」は、検証記事を載せた。財務省が学校名を黒塗りし説明を拒んだことから籠池氏に確認して報じたと。籠池氏が「安倍晋三記念小学校」として寄付を集めていたこともあり、やむを得ないことだと思う。
 だが安倍氏は、フェイスブックに「哀れですね。朝日らしい惨めな言い訳。予想通りでした」と投稿した。2月13日の予算委員会では、「朝日」を「日本のまさに誇りを傷つけたわけであります」とまで非難した。安倍氏は右翼代表として、先頭切って「朝日」攻撃をする。異常なことだ。全国の右翼に相当なことをやってもいい、心おきなく朝日攻撃をしろという号令のようなものだ。
 右翼の批判の論理は、勝手にひとつ設定した論点を否定することで、問題のすべてが否定されたかのような論理展開をする。南京大虐殺や慰安婦問題でもこのやり方が数限りなくくりかえされた。学問的説得的に反論しても、あいかわらず同じやり方をくりかえし、理性的な論争というものが成立しない。安倍氏も「朝日」をやりこめる一点をつかんだと、意気揚々やり玉にあげ、安倍氏の政治私物化批判の朝日記事は一事が万事ことごとくウソだといいたいのだ。しかし、「朝日」のこの1年の奮闘は十分称賛に値する。
 安倍氏が高揚感を持って「朝日」批判をしてから1か月も経たないうちに、「朝日」から世紀に残るスクープが安倍氏に飛んできた。3月2日の「森友文書 書き換えの疑い」との記事だ。「朝日」はやられたからやり返すという考えでないことはわかっている。そんな根性ではジャーナリズム精神からはずれてしまう。公安警察からネタをもらって、加計問題で真実を語った前川喜平氏を陥れようと図った「読売新聞」とは違う。
 森友公文書改ざん問題は、尋常な問題ではない。三権分立を破壊し、議会制民主主義の土台をくつがえす問題だ。1年間にわたって、行政府が立法府をあざむき続けたのだ。戦後、憲法体制の下で初めての事態だ。これは佐川や麻生辞任で済む問題でない。内閣総辞職以外に決着点はない。
 安倍氏は、森友加計問題はもう過去の問題になったとばかりに、3月末に安倍流9条改憲案で自民党をまとめ、「働かせ方大改悪」を目玉法案として強行し(偽造資料でとん挫してはいるが)、9月には総裁3期目を突破し、11月頃に9条改憲発議をやって、歴史に名を残そうと意気揚々として、憎っくき「朝日」攻撃をした。前途洋々の1年を構想していただろう。
 ところが森友加計問題は、時間が経てば問題性が薄れる性質のことではない。しかも安倍氏自身のお友達優遇、国家の私物化が極まったことにことの本質がある。安倍政治は、籠池や加計だけでなく、財界というお友達の要求に応えて様々な怪しげな審議会をつくり、保守政治とはいえ積み上げてきた政策的土台を一気にくつがえす規制緩和をやる。異常な政治に踏み入れたのが安倍政治の5年余りだ。
 近畿財務局のまじめな労働者が、公文書改ざんの汚れ仕事をやらされ、公務員としての正義感をズタズタにされたあげく、自殺した。佐川・昭恵証人喚問を必ずやり、国家の私物化、議会制民主主義破壊を正し、安倍首相を断罪しなければならない。

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近畿財務局の担当者が自殺

2018年03月09日 14時24分28秒 | Weblog
 森友学園疑惑の近畿財務局担当者が、神戸市の自宅で7日に自殺した。大阪地検に取り調べをうけたあとに自殺したようだ。ついに犠牲者がでた。財務省は、朝日新聞の指摘をウソだ、誤報だと一切言えずに、ごまかしつづける。つまり、公文書の改ざんをしたのが事実だから、ごまかすしかない。真正の文書を出すことを決断できるのは、首相官邸の指示しかない。財務省の幹部に決断を迫るのは無理というものだ。
 そこで近畿財務局で安倍昭恵を忖度して汚れ役を一身に背負ってきた人物がついに命を絶った。痛ましいことだ。安倍権力犯罪の犠牲者だ。
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退院しました

2018年03月08日 22時13分15秒 | Weblog
 このブログを断りなくお休みして日にちが経ちました。実は体調が悪く、ついで入院生活を送っていたのです。苦しくて眠れない日が続いていました。上を向いてはまったく眠れず、体を起こしてうとうとするという状態でした。2月26日月曜日、5年前に心筋梗塞の手術をしてもらった掖済会病院に受診しました。で、翌日入院となりました。
 うっ血性心不全でした。レントゲンでは肺の下3分の1が写っておらず、水浸し。心電図では心房細動。血栓が脳に飛ばなくてよかった。利尿剤を飲んで、心房細動を鎮める薬も処方された。飲む水分は1日1000ミリℓ、排出する尿をプラスチックの壺に蓄える。すると翌日には尿が壺いっぱいになった。壺には3.5リットル入る。飲んだ分は純粋の尿になるとして、2.5が胸にたまった水ということになる。これだけの水を胸に乗せていたのでは苦しくて眠れないのは当然だ。
 その後も、利尿剤は効いた。おまけに私向けの病院食は減塩、低カロリー。隣の人は朝から小さめのどんぶりご飯なのに、私は小さいロールパンふたつ。昼はまあまあなのに、夕食は量がぐっと減る。栄養士さんの説明では、1日の総カロリーは1500kカロリーで、夜は摂取量が少ないのが健康的だと。がまんの入院生活10日間で、70・9kgから63.6まで減った。実に7.3kg。行動制限もされて、安静が命じられていた。だから足腰が衰えた。
 薬も効いて心房細動も落ち着いたので予定通り10日間で退院となった。退院前に、カテーテルによる心臓の血管の検査をした。検査とはいっても手術と同じ部屋で大々的に行う。静脈ではなく動脈からカテーテルを入れるから難しい。静脈は体の表面近くにあるが、動脈は内部を流れている。そこに差し込むのはどのようにやるのか。わからない。造影剤を入れて血管がモニターに映るのを見ながら病状の説明を受けた。前に入れたステントの状態は良好だがその先で血管が細くなっているところがあるので、あとで治療する必要があると言われた。
 カテーテルを抜いてから先生は15から20分ほど挿入した肘を強い力で圧迫し続けた。でないと、動脈だから血が噴出するらしい。止血したところに固い固形物を押し当て、伸び縮みするテープで看護士さんが力いっぱい巻き付ける。でようやく終了。
 入院中に家族だけでなく、昔の親しい仲間、大阪外大2部の仲間が見舞いに来てくれた。悪いなあと思いながらもとてもうれしかった。昔の仲間は心から、なんでも許し合える間柄だ。昼ごはんも忘れて、昔話から最近の活動状況まで話し合った。
 退院してからは、1週間で2k増えることがないように言われている。やせ我慢の入院ダイエットから抜け出して、同じ体重を維持できるか心もとない。でも少しは努力しないと。
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大阪府大・大阪市大の法人統合の野蛮

2018年03月04日 13時03分04秒 | Weblog
 2018年2月23日、大阪市議会で継続審議中の府大・市大の法人統合関連議案を維新の会と公明党の賛成で可決した。やっぱりというか、案の定というか、公明党が最後に維新にすり寄って可決となった。府議会では昨年11月すでに通っている。来年4月に法人統合、2022年4月に大学統合の予定だという。
 橋下前知事・市長が、府立病院と周産期・産科の市立住吉病院が二重行政だといって市立病院をつぶした。府立体育館と市立体育館も二重だといってつぶそうとしたが、府立は大相撲の3月場所の会場なので、当たり前だが、つぶせなかった。府立図書館と市立図書館も二重だ、無駄だといって、野蛮人のごとく攻撃した。公務員攻撃に酔いしれた維新支持者は歓喜したが、さずがにつぶすのに失敗した。府立図書館は東大阪市にあるのに、二重だというのだ。私の質問に、東大阪にあろうが、岸和田にあろうが、府立と市立の施設が並立すれば、それを二重行政というのだと大阪市は公式に回答した。
 府立大学と市立大学も二重の象徴だと当初から攻撃した。しかし一つしかない首都大学東京よりも府大・市大への出費は少なかった。お金の無駄論はつうじなくても押し通した。とにかく破壊したいという衝動に突き動かされてつきすすんだ。このしつこさは世界でも例を見ない。すぐに屈服した府大当局は、忖度して早々と理工系以外の学部講座のリストラをすすめてきた。統合以後も、金もうけに直結しない学部をリストラするのが目的だ。真理の探究も学問の自由も、大学の自治もくそもない。維新知事・市長直轄のイエスマン理事長に権限を集中させて、好き放題をやろうというのだ。
 人口数十万以上の県庁所在地で、県立大と市立大がないところはないだろう。これを二重行政だといってやり玉に挙げている県はない。誇りでこそあれ、無駄だと攻撃する人は他県にはいないだろう。自治体立大学として最も古い部類の両大学の歴史と学問的実績を無視する野蛮さにはほとほとあきれる。府大・市大が二重だというなら、国立の大阪大があるのだから、三重行政はやめて、大阪大に一本化するのが、財政効率が一番いいではないか。なぜそれをいわないのか。(3月4日記)
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