昨日、朝から学校にいって仕事した。学校がこの3月でなくなるので、72年の歴史を書くという仕事が課されている。最後の卒業生を送り出すとともに、北野定時制が戦時中・戦後はたしてきた役割、生徒のすがたなどを記録に残すことが、学校としての最後の仕事になるのでとりくんでいる。
家ではどうしても、重たい課題から逃げて、いくつもの新聞をすみからすみまで読むとか、あとまわしにと思っていた雑誌や本に手がのびる、さらには寝転んでテレビをみるということになる危険がみえみえだったので、学校にいった。全日制も試験直前で、中学生への講演会があったようだが、生徒がおらず静かだった。
何より、天気がよく、空気がきれいだった。
淀川通りの小ぶりの銀杏がもう山吹色になっていた。十三公園の銀杏は本数も多く、なかなかの見ごたえだ。まだ黄緑から黄色に移るものもすこしあって、全体として若い黄色だ。十三公園は係員が毎日きれいに落ち葉を掃除する。わたしは、何日間かそのままにして、散歩する人に黄色いじゅうたんを楽しんでもらうようにして欲しいなと前から思っているのだが。几帳面に掃除をしてくれている。
学校にも20本近くの銀杏がある。いちばん古い木は、山吹色で、葉っぱももうすかすかといったらいいすぎだが、やや少ない。すかすかというのは、木の元気が衰えたということだろう。回りがコンクリで覆われたことも影響している。京都御所にも銀杏の巨木があるが、元気がなく、葉っぱがすくない。昔、圧倒的な重量感とびっしり敷かれた黄色いじゅうたんに感動したが、今はその面影はない。
学校の銀杏は、校舎建て替えのとき、それぞれ20メートルはある木を10メートルくらいに切って、枝も切って、丸坊主の、幹だけにしてしまった。でもそれから7年くらい経つので、枝も出て、ようやく形になってきた。でも枝はみな“つんつんして”上を向いている。全体として紡錘形をしている。ところが、十三公園の銀杏はどっしりと、垂れかかった綿アメのようなものまである。銀杏の枝がのびて垂れている。“つんつん”とはえらい違いだ。
こんな具合で、遠出もできず、情けない身の上だが、身近でもすばらしい秋を感じることができた。原稿は夕方までで1項目できた。資料を読んで発酵させてという時間が要るから、あまりあせらずに発酵を待つゆとりがもてて、土曜はなかなかいい。
家ではどうしても、重たい課題から逃げて、いくつもの新聞をすみからすみまで読むとか、あとまわしにと思っていた雑誌や本に手がのびる、さらには寝転んでテレビをみるということになる危険がみえみえだったので、学校にいった。全日制も試験直前で、中学生への講演会があったようだが、生徒がおらず静かだった。
何より、天気がよく、空気がきれいだった。
淀川通りの小ぶりの銀杏がもう山吹色になっていた。十三公園の銀杏は本数も多く、なかなかの見ごたえだ。まだ黄緑から黄色に移るものもすこしあって、全体として若い黄色だ。十三公園は係員が毎日きれいに落ち葉を掃除する。わたしは、何日間かそのままにして、散歩する人に黄色いじゅうたんを楽しんでもらうようにして欲しいなと前から思っているのだが。几帳面に掃除をしてくれている。
学校にも20本近くの銀杏がある。いちばん古い木は、山吹色で、葉っぱももうすかすかといったらいいすぎだが、やや少ない。すかすかというのは、木の元気が衰えたということだろう。回りがコンクリで覆われたことも影響している。京都御所にも銀杏の巨木があるが、元気がなく、葉っぱがすくない。昔、圧倒的な重量感とびっしり敷かれた黄色いじゅうたんに感動したが、今はその面影はない。
学校の銀杏は、校舎建て替えのとき、それぞれ20メートルはある木を10メートルくらいに切って、枝も切って、丸坊主の、幹だけにしてしまった。でもそれから7年くらい経つので、枝も出て、ようやく形になってきた。でも枝はみな“つんつんして”上を向いている。全体として紡錘形をしている。ところが、十三公園の銀杏はどっしりと、垂れかかった綿アメのようなものまである。銀杏の枝がのびて垂れている。“つんつん”とはえらい違いだ。
こんな具合で、遠出もできず、情けない身の上だが、身近でもすばらしい秋を感じることができた。原稿は夕方までで1項目できた。資料を読んで発酵させてという時間が要るから、あまりあせらずに発酵を待つゆとりがもてて、土曜はなかなかいい。