山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

現状は医療崩壊ではなく医療逼迫か

2021年04月30日 12時45分53秒 | Weblog
 昨日(4月29日)報道ステーションで大阪の医療の現状を富川さんは「医療逼迫」といった。わたしは、「えっ、ひっぱく?!」とおもわずうなった。逼迫とはゆとりがない状態をいう。どこを見ていっているのか。調べてみると、他の報道機関でも逼迫と表現している。「赤旗」は医療崩壊と事実のまま書いている。
 10000人が自宅待機を強いられ、救急車に何十時間も閉じ込められ、ついに1日に44人も死亡し、第4ステージのがん患者が手術を1カ月も先延ばしにされる、これが医療崩壊ではなく単なるゆとりのない状態だというのか。
 医療崩壊と規定したくない、断定したくないというはっきりとした意思がそこにはある。吉村知事が頑として医療崩壊を認めないのに通じる。政治責任が生じることを認識したうえで、あえて現状を緩くとらえようということだ。現状認識がゆがんでは対策にもゆがみが生じる。
 ジャーナリズムの精神にもとるといわざるをえない。

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大阪はムチャクチャ、コロナ自宅放置10000人、維新政治の異常

2021年04月27日 09時27分22秒 | Weblog
 大阪は医療崩壊しているのに、知事は「僕としては医療崩壊してないと思う」といって、テレビ番組に出つづけている。吉村自ら何日は〇〇テレビに出ますから見てくださいと宣伝している。コロナを自分の政治資源として利用しているのだ。夕方のテレビの場合、その日の感染者数という手土産を持って出演する。その番組で初発表するから、他のマスコミは後追いに走る。コロナ情報をもてあそぶな!苦しんでいる患者を冒涜するな!
 自宅待機を求められる感染者がついに1万人を突破して10665人になった。8000台から9000台だったのについにということだ。玉川さんは自宅療養ではない自宅放置だというが、その通りだ。最高47時間も救急車に閉じ込められた例が紹介された。病院はもちろんホテル療養(ホテルも事実上放置だ、ただ家族感染の危険が取り除かれるだけだ)にも移れない。6時間以上救急車は20件も。
 もうひとつ維新政治がむちゃくちゃだ。去年はコロナのさなかに赤信号を緩めて住民投票に持ち込んで、負けたのにそれでも蒸し返して、維新公明多数の議会で強行したのが今年だ。市長室にサウナを持ち込み、職員にパワハラをくり返した池田市の富田・維新市長がついに辞意を表した。ただし選挙は高齢者を危険にさらすから、辞職はワクチンが終わってからと先延ばしを主張。ところが不信任されたら議会解散して自らも辞職して大々的な選挙に持ち込むという。解散して大きな選挙にしたら高齢者がより大きな危険にさらされるではないか。すべてが自分勝手なへりくつだ。
 おまけに殺人未遂だ。梅村維新参院議員の公設秘書が車ではねてさらに車から降りて足で蹴りつけたというのだから質が悪い。梅村議員は謝罪、おまけに橋下テレビタレントも謝罪。犯罪者続出は橋下時代から今も、維新の属性のようだ。もう消えてもらうしかない。
 
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吉村知事、医療崩壊の自覚もなく、責任もとらない。子ども・親を困らせるオンライン

2021年04月24日 11時06分11秒 | Weblog
  昨日、ニュースで吉村大阪知事は、医療崩壊の事態について問われ、「僕としては、医療崩壊ではないと思う」と平然といってのけた。どういう神経か。
 実態を部分的にではあるがニュースで知る府民にとってはこれが医療崩壊でなければ何が医療崩壊なのか頭が変になりそうな事態だ。コロナ陽性で自宅療養(=放置)が九千数百人になり、入院療養調整中が2600人余り、中等症の病院で重症化しても重症病床への転院の見込みもないまま、また自宅待機中に死亡する人が続出しているではないか。1日で15人、20人とコロナ死をしている。救急車が数時間から24時間も入院先が見つからない状況が続いている。これを医療崩壊といわずして何というのか。
 コロナの急拡大まん延が、一般診療、救急診療を圧迫している。吉村知事は平然と、不要不急の手術は延期してほしいと呼びかけている。不要不急でない手術がどこにあるのか。知人からの報告によると、大腸がんで第4ステージに入っている人の手術が予定されていたのに、1カ月も延期になったという。がんは進行しないのか、待ってくれるのか。コロナに膨大な医療者が投入されるため、他の救急治療、末期患者の治療が放棄される事態がすすんでいる。命の選別が進んでいる。これを医療崩壊といわすして何というのか。
 これを問われて、「僕としては・・・」と苦渋の表情も浮かべず「医療崩壊ではない」という。菅首相ですら、昨日の緊急事態発出に当たって、「こういう結果になったことについて、大変申し訳なくおもう」と謝罪した。吉村氏はひとことの謝罪どころが反省の弁もない。むしろテレビカメラの前では、新たな政治アピールの場だという臭いふんぷんで強い姿勢を示す。強い姿勢が維新の基本だから。ヒトラーしかり、トランプしかり、橋下徹しかり。強い姿を見せつけることが大衆をひきつけると。
 政府も吉村府政も医療崩壊を招いた責任は重大だ。去年からPCR検査を徹底して、無症状者も見つけ出して保護することをやりぬくべきだと多くの人がいって来た。政党では共産党志位委員長がなんどもことあるごとに、また共産党とは関係ないがモーニングショーの玉川さんも最近はもう嫌になったというほどくり返してきた。基本中の基本だ。玉川さんはPCRを徹底した中国は10数パーセントの経済成長をしたじゃないかと数字をあげた。人口当たりのPCR検査数は世界で140番台だ。ワクチンが来ればなんとかなると思っていたのか、しかしワクチンはオリンピックのずっとずっと先だ。
 もうひとつ問題は、松井市長が突然オンライン授業に切りかえるとぶち上げ、反発を受けて翌日は撤回、しかし3日目には折衷案を。結局大阪市だけが、朝2時間自宅でオンライン、その後登校し授業と給食、午後は家へ帰りオンライン。各家庭は不満爆発だ。親は仕事を休んで対応しなければならない。小学生はとりわけ大変だ。現場をあずかる先生たちは、また松井が馬鹿なことを言いだしてと思っているだろう。コロナの病院に役に立たない雨合羽をのキャンペーンに似ている。府下でも冷静な市町村は松井みたいなことはしない。通常通り学校で授業する。音楽で合唱しないとか要点を抑えれば大丈夫だ。京都、兵庫もまともだ。
 もちろん、基本として教育課程の編成権は学校にある。法的にそうなっている。維新政治の下で破壊されてきているが、しっかりした校長と教職員のいる学校は編成権は学校にあるとの立場から、全員登校させ、授業すると決めた学校は大阪市内にもたくさんあるのだ。市長や教育委員会より学校がしっかりしている。上からの素人考えの押しつけほど迷惑なものはない。

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吉村知事、得意満面の解除の反省なしに、3度目の緊急事態宣言要請

2021年04月20日 09時45分11秒 | Weblog
 大阪の医療崩壊は目を覆うばかりだ。コロナ重症者が重症病床数をはるかに超えた。中等症病院が重症者をかかえどうしようもなくなっている。旧国立大阪病院、大阪市大病院が救急搬送受け入れをしなくなった。脳梗塞、心筋梗塞、交通事故患者はどうすればいいのか。多くの医療者を釘付けにするコロナの拡大の余波による被害は命の選別に直結した。
 2度目の緊急事態の際、感染者が落ち着いてきた2月半ばには、吉村知事はすでに宣言解除に前のめりになっていた。そして2月末をもって、待ってましたとばかりに得意満面の表情で解除した。わたしは、そして多くの人も、もちろん専門家も、もうすこし様子を見て、もっと抑え込んだ方がいいのにと思った。
 案の定だ。そのあと、全国に例のない急拡大だ。その要素には新型株がある。とはいえ、政治的アピールを優先させた前のめりの責任は大きい。それでも吉村氏は「(解除要請の)判断自体が間違っていたとは思っていない」(「朝日」20日付け)という。4チャンネルの「報道特集」でこれを問われたのに対してもはねつけていた。在版テレビ局はこういう問いそのものを立てようともしない。吉村知事のポチだから。
 解除後、時を置かずに急拡大した事実があるのに、「間違っていたとは思わない」とどの口が言えるのか。言うなら、証拠を示すべきだ。
 吉村知事は去年の緊急宣言以来、テレビの前で政治をしている。去年は、住民投票を目標に、国はあてにならないと「大阪モデル」、「大阪モデル」改定と赤信号緩和、「イソジン」がコロナに効くとテレビを引っ掻き回す、そんなに効くなら今こそイソジン配るべきだ、そういえば今も20万着積み上げている雨合羽でやる気をアピールした市長もいた。今年も大阪のテレビ局を思い通りにもてあそんでいる吉村氏。大阪の感染者数は出演したテレビで発表してるそうだ。だから各局が出てくれと懇願する状況だ。感染者数は府として公式に一斉に発表すべきもので、出してくれたテレビにまず提供してあとは遅れて知るというやり方は悪質だ。まさに維新の橋本氏以来のテレビ政治だ。コロナの危機的な時にそんないやらしい手法をもてあそんではいけない。
 維新吉村氏のテレビ政治は、去年11月の住民投票、住民投票の結果を覆す広域一元化条例強行、そして9月には想定される解散総選挙を見越して維新の支持率をあげるための吉村氏の行動だ。吉村氏は日本維新の会副代表、大阪維新の会代表だ。知事の立場を最大限利用して維新という党の政治宣伝に奔走しているのが実態ではないのか。
 まずテレビで感染者を発表するといういやらしいやり方をすぐにやめよ。コロナを利用するな。そんなやり方はダメですよという人は周りにいないのか。

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約束やぶって汚染水海洋放出

2021年04月16日 16時49分00秒 | Weblog
 菅政権は4月13日(2021)、東電福島第1原発の放射能汚染水を処理した後のトリチウム汚染水を海洋放出する方針を決定した。これは2015年に政府と東電が「関係者の理解なしには、いかなる処分も行わない」という約束を文書でおこなっているものを破る暴挙だ。これでは民主政治は成り立たない。
 トリチウム(3重水素)は水として体外に排出されるが、体内に取り込まれ長期に残留する場合は、内部被ばくがつづく。半減期を迎えて崩壊する時にDNAを傷つける可能性も報告されている。
 海洋放出するといっても、政府は40年もかかるというのだ。500倍に希釈して流すから、十分安全だという。しかし500倍流せば同じだ。漁業者はこれからも陸上保管を続けよと要求している。正当な要求だ。
 ここには裏がある。じつはトリチウムを除去する新技術が開発されているのだ。2018年、近畿大学を中心とする研究チームがトリチウム水を除去する技術開発した。直系5ナノメートル(ナノは10億分の1メートル)以下の小さな穴を無数に開けたアルミ製フィルターを通すとトリチウム水だけが穴に残り通常の水は通り抜ける。水はH₂O、トリチウムはH₃Oで分子の大きさの違いを利用した除去方法なのだろう。フィルターは過熱することで残ったトリチウム水を回収でき、装置はくりかえし使えるそうだ。
 ただ大規模な実用化にはさらなる研究が必要だ。ところが政府はこれを応援していないらしい。何を考えているのか。海洋放出をすると前々から決めているから、方針を曲げるわけにはいかないということだ。バカ丸出した。当面陸上保管を継続して、この新技術を全面バックアップするのが一番の解決策だ。

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映画「生きろ 島田叡——戦中最後の沖縄県知事」を見る

2021年04月13日 11時31分58秒 | Weblog
 第七芸術劇場で佐古忠彦監督の「生きろ 島田叡(あきら)——戦中最後の沖縄県知事」を見た。「アメリカが最も恐れた男 その名は、カメジロー」をつくった佐古監督の作品だからこれは見るべしと思って行った。
 戦時中までは知事は官選、官僚だった。沖縄は戦後はアメリカの軍政となる。沖縄が地上戦に突入することが必死の1944年(昭和19)11月18日、牛島満司令官は「県民指導要綱」を出す。そこには「第一方針 六十万県民の総決起を促し・・・軍官民共生共死の一体化を具現」とあった。住民も軍と一体化して戦えということだ。その最後の姿が集団死だった。住民を保護すべき官=行政も軍事作戦推進を仕事とする。
 最後の官選知事・島田叡は1945年1月12日大阪府内政部長から沖縄県知事への異動発令を受け、家族と別れて、31日着任。前任知事は12月末に空路上京し帰らなかった。その主な部下も出張を理由に東京へ行った。役人にあるまじきと評されるが、自分第一の考えから軍との共生供死を拒否した行いだった。
 島田は死を覚悟して、沖縄県民の命を背負う道を選んだ。まず県民の食糧のためアメリカが制海権をにぎるなか台湾から米を確保した。だがまたたく間に米軍上陸、地上戦となる。日本軍は県民の命を守ることは眼中になく、本土決戦のための時間稼ぎが作戦思想だった。県庁も壕を転々とした。日本軍が住民の壕に入り込み、食糧を奪い、幼児を殺害するなど暴虐を尽くした。
 島田は6月15日県庁解散を決断した。それは「軍官民共生共死」を遮断することだった。島田は住民には投降を促すことばをかけた。県庁輸送課職員だった山里和江さんは、軍司令部に向かう島田の最後の姿とことばを覚えていた。「君たちは最後には手をあげて出るんだぞ、敵は女子供にはどうもしないから絶対に友軍と共に行動するんじゃないぞ、手をあげて出るんだぞ、とおっしゃって軽くわたしの肩を押して出ていらっしゃいました」と証言している。
島田の影響を受けた住民は集団自決することなく生き延びた。
 沖縄戦から75年、アベスガ政治の下で理想とされる官僚像と島田とは対極にある。21世紀にあって、権力中枢のためにウソをつき、公文書を偽造する官僚と、共に死ぬことを強要された下で、住民の命を守るために公然と生きろと叫んだ島田叡。これから日本の指導層になるであろう青年にぜひ見てもらいたい映画だ。


 
 

   
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テレビは吉村知事持ち上げをやめよ!

2021年04月02日 17時19分44秒 | Weblog
 去年以来、テレビの吉村大阪知事のもち上げはもう1年になる。うんざりだ。菅首相と違って、紙を見ずに当意即妙に語る吉村氏は見栄えがする。武富士の弁護士をやっていただけあって口はうまい。テレビは己が能がないことを脇に置いて、楽に使えて時間を消費できる吉村氏を連日のように使った。
 しかし政治家のテレビ登場は慎重であるべきだ。政治家は当たり前のことだが己が政治目的に、とりわけテレビ登場を最大限利用する。それで成功したシンボルが小池百合子氏だ。テレビは政治に利用されてはいけない。メディアは第4の権力といわれる。ミャンマーや中国・香港のようにむき出しの暴力で人々を抑えつける権力ではなく、人々をよろこばせ、楽しませて一定の政治目標に誘導することができる柔らかい権力だ。固い権力はメディアを手中に収めようと絶えず策を弄しているし、内部から権力にすり寄る指向が常にある。新聞はジャーナリズム精神が一応看板としてあるのであからさまなことはできないが。ただし安倍・菅コンビが公安を使って読売・ナベツネと組んで、自らの危機のときに前川さんをおとしいれようと仕組んだ大謀略があった。一方テレビはジャーナリズム精神などどこ吹く風だ。面白ければいい、視聴率を稼げればいいというのがすべてを支配しているのだろう。国民の共有財産である電波を法の下で使用させてもらっているのに、国民、視聴者を操るような態度だ。放送法第4条は、「政治的公平」「真実をまげないこと」が定められている。だがテレビは政治誘導に手ごたえを感じ、楽しんでいることがありありだ。その例が、小池百合子都知事とその党であり、大阪の橋下府知事以降の維新の会持ち上げだ。1千万あるいは1千万に近い都民府民がみごとにあやつられてきたこの10余年だ。いま10年を振り返ることはしないが、コロナの国民的災厄の下で、大阪では相当のゆがみが生じている。
 この1年、吉村氏の顔と声がテレビに出なかった日はない。ニュースにとどまらず、番組に出演、しかも各局をはしごすることもまれではなかった。その政治効果は大変なものだ。小池氏があっという間に東京都の政治を己が手に掌握したのに似て、大阪でもずっと維新とテレビの蜜月が大阪政治をあやつってきた。
 ご存知のとおり、2020年は大阪市廃止をめぐる住民投票の年だった。コロナ被害が燃え盛る下で投票どころではない、顔を突き合わせて議論することができないのに、議論が大前提の住民投票などすべきでないという世論が強かった。しかし吉村・松井氏は前年以来盤石の態勢で準備を重ねてきた投票を何としてもやるためにあらゆることを利用してきた。その中心がテレビだ。テレビに吉村氏が(松井氏がではなく、事実松井氏は出なかった)出つづけることで吉村支持率が75%にもなった。すでに前年脱法的な知事市長途中辞任入れ替え選挙をすることで支持を頂点にまでもっていき、府議会でも過半数を制した。あまりの突風的政治結果に、公明党も自民府連(のち大半は正気に返ったが)も気が動転してすすんで屈服した。公明党が反対した前回住民投票の票差1万票は、維新人気にくわえ公明党が一体になったことで盤石の体制となった。さらに4月以来つみあげた吉村テレビ人気を横滑りさせれば住民投票は圧勝間違いなしとなった。
 だから、維新吉村・松井氏は何か何でも11月1日投票はやりたかった。コロナ「大阪モデル」という看板も、何もしないできない菅政権に比べればよくやっている感ありありだ。だが新モデルに切りかえる時、赤信号が出るようなモデルでは住民投票がふっとんでしまう、だから万が一にも赤信号が出ないように基準を緩めに緩めた。命にかかわる問題を政治的に曲げたのだ。このときテレビは批判したか?吉村氏と手を切ったか?あいかわらずの蜜月だった。放送法第4条は大阪には及ばなかった。さらに8月、株式市場がひらいている時間にイソジンなど何種類ものポピドンヨード液をテレビ画面に並べて、イソジンがコロナに効きます、府立病院医師の研究発表ですなどと、いかがわしい研究発表ショーを全テレビを使ってやった。テレビは見事に利用された。これをテレビは反省したか?その形跡はゼロだ。
 テレビと吉村の蜜月の下、9月7日、住民投票投開票は11月1日と選管が決定した。市民がだした結論はご存知の通りだ。維新の最高の布陣にもかかわらず、維新関係者が圧勝を信じて疑わなかった住民投票で大阪市をなくすなの思いで結集した市民が勝利した。しかも投票率が下がった下で前回より差を広げて勝利した。民主主義の勝利だった。
 以後もテレビは吉村氏との蜜月を是正しよいうとしない。コロナは第3波から、今第4波に入っている。吉村氏が第3波での緊急事態宣言を全国の先頭を切って解除する時の見得を切った姿を忘れてはいけない。だえず注目を浴びることを計算に入れている。だがどうだ。早すぎるとの意見が多くあったにもかかわらず先頭を切った。その結果が今、第4波の波頭にいるではないか。そしてマン防を早くとこれまた注目をあびようとしている。恥を知るべきだ。大阪のテレビは蜜月故、うんともすんとも言わないが、東京発の電波は批判も口にするようになった。
 大阪のテレビは恥を知るべきだ。カッコつけ、人気取りに走る吉村にいつまですりよるのか。真面目にコロナの報道をする気があるのか。あるのならば去年の段階では神戸の取り組みを詳しく紹介すべきだった。一番成功している和歌山こそ番組に招いて根掘り葉掘り聞くべきだった。コロナに向かう真面目さが足りない。広島方式という成功例もある。これらは検査を優先、徹底する医学の基本に忠実なところばかりだ。
 バラエティ番組も吉村氏を相も変わらず招く。政治家をテレビで使うのはその政治効果に加担しているということを常に考えるべきだ。放送法第4条の要請だ。法を守れ、もうすこし考えろ。
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