来年9月からの新学期についての提案(2020年5月5日)
山上俊夫
学校休校にともなう児童生徒の学力保障について提案をします。
ここ1週間、休校が延長されることが不可避という情勢の下、9月新学期という案が相当の重みをもって受け止められています。9月はもとより新学期なので、新学年というべきかもしれませんが、実際には新学年は4月に始まっていますので、とりあえず9月新学期といういい方をします。
根源は新型コロナの蔓延ですが、休校については安倍首相の科学的根拠にもとづかない独断専行が問題を深刻化させたと思います。詳しくはブログ「山上俊夫・世界と日本あちこち」に書いたことですが、2月27日の安倍首相の全国一律休校宣言が、間違いのもとです。19県しか感染者がいないもとでの一律休校要請の愚。政治的パフォーマンスでしかありません。河野元幕僚長が正しかったと擁護しましたが、政治実験として貴重なものだったということです。また4月7日の緊急事態宣言にもとづく休校についても、わたしは反対しました。それは児童生徒が感染源になっていないということでした。しかし休校が実施され、富山県で生徒の感染者が出る下で事態は変化しました。
現在、緊急事態宣言が5月末まで延長された時点で、以後の方向性について、早急に討議しまとめる必要があります。
すでに、4月1日からある高校生による9月新学期開始署名がつづけられ。多くの賛同を得ています。4月には大阪市立高校生による別の署名も行われています。
私の意見は、来年9月新学期説です。その根拠は以下の通りです。
・問題の基本は、児童生徒の学ぶ権利、学力をいかに保障するかということです。
・その点で、現在の休校は、この権利、学力保障を成しえていません。コロナ感染危機の下でやむを得ない措置ですが保障はできていません。児童生徒は、学校から宿題をもらって自学自習をしています。概ねとりくんでいるようですが、授業抜きに課題を課されるのは過重な負担です。すべての児童生徒が本来の目標に到達しているとはとてもいえないでしょう。対面授業でやるのとは、その成果に大きな開きがあります。また学習習慣、生活習慣という点でその乱れが懸念されます。
・IT機器をつかっての授業も提唱されますが、その恩恵を被るのは、一部の私学とさらにごく一部の公立校の特定科目です。しかもすべての家庭の子どもが十分なIT環境にあるわけではありません。ここに今すぐ期待するのは夢物語です。さらにそもそも個別バラバラなIT授業が全員参加の授業とはその教育理念と成果において大きな差があるのは当然でしょう。
・現在の学期を不動のものとして、来年の3月までにすべてのカリキュラムを終えるというというのが文科省と全国の教育委員会の共通の考えです。現在の制度上、これを放棄することはできません。しかし3月で終わるというのは、児童生徒の権利侵害がつきまといます。
つまり、3月というまとめの月を奪われたまま、新学期に入り、2カ月間実体のない新学期がつづいています。6月からの再開の保証はありません。北海道で第2波が襲っています。このままでは夏休みはすべて授業、冬休みも短縮、さらには土曜日も授業ということになります。尋常ではない緊張状態になります。そうしないと予定されたカリキュラムを消化できません。
しかしこれは夏を軽く見すぎです。ほとんどの学校でクーラーが設置されているからできると思われがちですが、クーラーが効くには密閉空間でなければなりません。窓を開け放って日本の酷暑の中で授業などできるはずがありません。小学校1年生が、満足に授業に集中する作法も身に着けていない児童が、真夏の教室でシャンとしているでしょうか。
教育課程の一部をやらなくてもいいという方針にすればいいという案もあります。これなら、3月までに形式的に1年の課程を終えたといい繕うことはできます。でもインチキです。教科によってはやらずに繰り延べすることが大きな弊害をもたらさないこともあり得ます。しかしこれは、学力保障を放棄したということです。児童生徒にとって、何年にもわたって学力遅れをかかえこむ重大な事態です。
・年間10カ月、210日の授業日でおこなうカリキュラムを8か月でおこなうことは不可能です。あからさまに削るか、形だけやったことにして詰め込むか、どちらかしかありません。いずれにしろ、このまま突き進むのは、児童生徒の学ぶ権利をないがしろにする以外の何ものでもありません。
そこで浮かび上がるのが、今年度は、4月新学期は維持しつつ来年8月までの長期学年とし、来年9月に新学年入学とする案です。6月から学校再開できれば、実質12か月、大変余裕のある授業ができます。学力の遅れ、格差の広がりをとりもどす、ひとりの落ちこぼれも出さない授業が可能になります。北海道のような第2波の危険性にも対処できる時間的余裕が手に入ります。思いがけなく夏休みを2度経験できます。学校行事の季節移動は工夫しなければなりませんが、3月までの詰め込み方式に比べれば、豊かな行事を取り組むことができ、学校のよさを子どもたちは実感することでしょう。
わたしは、これをチャンスに留学にスムーズに連結することを重視するという立場はとりません。あくまでも、児童生徒の学習権保障がすべてです。ここからずれたとき誤謬が生じます。
5月1日にこの下書きを書いたのですが、今日、事態の推移に合わせて修正して発表します。今日5日、「東洋経済」オンライン5月4日付けに都留文科大学の石田勝紀氏が、私の考えと同じ提案を発表しておられるのを見つけ、心強く思いました。
児童生徒の学力保障、学習権保障という基本を一歩も踏みはずすことなく事態に対処することが重要です。