山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

復興構想会議の漁民無視の「特区」反対!

2011年06月26日 09時25分13秒 | Weblog
 政府の復興構想会議が6月25日、提言をまとめた。全体が上からの復興という視点であることが納得できない。なかでも一番問題は、地元漁民無視の「水産業復興特区」だ。
 宮城県の村井知事が、地元宮城県の漁協・漁民から猛烈な抗議を受けながらも猛然と主張し続けてきたものだ。復興会議がどんな議論の仕方、まとめ方をしているのかわからないが、委員が勝手に発言したものを五百旗頭委員長が委員長権限でまとめたのであろう。多数決をとったとは聞かない。委員のなかには地元民重視の立場の達増岩手県知事もいる。防衛大学校長・五百旗頭氏と防衛大学校・松下政経塾卒の村井氏とがタッグを組んでいるのであろう。
 『朝日』6月21日付けに「漁業権開放」の特集があった。村井氏も持論を展開している。わたしは全漁連常務理事の長屋さんの論に納得した。この特集では、3人のうち2人が賛成論であって、今日の復興会議提言記事の解説でも、『朝日』は賛成の立場だ。2006年のジャーナリスト宣言で新自由主義・構造改革推進を反省したかのように見えたが、もとに戻っている。
 長屋さんも指摘しているが、いまの漁業権の制度の下でも、企業は参入できる。だが特区論は、企業を主役にしないと漁業は再生できないというのだ。村井知事は人材と資金を呼び込むという。だが呼び込んだ資本による漁業再生は、いくつかの拠点漁港に集中復興をすることになり、他のほとんどの漁港と漁民は打ち捨てられることになる。こんどの震災・津波は全ての漁港と漁民全員が打撃をうけたのであり、彼ら全てを主役にして復興しない限り、復興とは言えない。よそからの資本呼び込みでの選別的復興は悪魔の手法だ。資本呼び込み型の経済開発論が日本全国で莫大な税金を投入して数限りなくやられ、いずれもみじめな失敗をしてきたのは記憶にあたらしい。震災・津波の被害は地元住民=漁民の全てを飲み込んだのだから、彼らを主体にした復興計画でなければ、彼らは利用されるだけになり、みじめな事態をまねくだけだ。
 岩手・宮城の漁業は、島の漁港も含めて、資源をまもりながら、港に加工場をつくり女性や年寄りも働く地域ぐるみの産業を形成してきた。ここに経済活動としての意味と強さがあった。だがよそからの資本では一番おいしいところだけを持ち去られてしまうことになるだろう。養殖カキのような細かい仕事は地元の漁民の仕事ネットワークでないとできない。
 復興は被害を受けた人たちの幸せのための方法と内容をもつものでなければならない。地元民が主役でなければならない。村井知事が松下政経塾出身だというのに、やはりという思いをつよくする。
 
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福島第1原発・吉田所長にかかわって

2011年06月22日 09時41分20秒 | Weblog
 『アエラ』2011・6・13号に福島第1原発の所長の吉田昌郎氏のことが載っている。
 そもそもは、1号機の海水注入については首相の了解が得られていないという官邸の空気を感じ取って東京電力では海水注入の中断を決定し、現地に命令した。識者の説得で注入を再開したということなのだ。5月21日以降、海水注入中断で事態をさらに悪化させた菅首相というシナリオが新聞で広められた。だがこれが、安倍晋三元首相の流したメールが震源地だった。安倍氏がトリッキーな動きをするのは首相になる前からだが。
 だが、東電本社の中断命令は実行されなかった。社長の命令を無視して注入継続を判断したのが、第1原発の吉田昌郎所長(56)だ。吉田氏の行動は賞賛された。だが彼自身事故の責任者でもある。『アエラ』によれば、吉田氏は現場の男で、東電原子力部門のなかでは傍流中の傍流らしい。
 わたしが注目するのは、現場の責任者として、たとえ社長の命令でも正しくないものには従わないという、見識と勇気である。
 上意下達、命令服従の会社組織にあって、科学的・技術的に間違ったことは拒否するという人物がいたことは驚きだ。だが組織にほんとうに必要なのはこのような見識をもった人なのだ。茶坊主のような人間があふれかえっている今の日本において深く考えるべきことだ。
 歴史をふりかえれば、戦時中、国際法違反の捕虜虐殺命令を拒否することができた人はいたか。国際法と人道の立場にたって。少数ながら銃をとることを拒否した人、あくまで戦争に反対した人はいた。その人たちの存在が、日本の歴史を汚辱の底からすくい上げてくれた。彼らがいなければ日本の近現代史は暗黒だ。
 いま学校では、君が代強制の嵐が吹き荒れている。教員への服従の強制だ。弁護士でもある橋下知事は、思想良心の自由の問題は存在せず、上司の命令に従うかどうかだけの問題だという。組織の統制がきいているかどうかの問題だというのだ。彼の属する大阪弁護士会の見解とは180度ちがう。法律家とはとてもいえない。
 君が代強制が吹き荒れて以後、全国の学校は組織に自由の気風がなくなり、権力者の思い通り、みごとに統制がきいてきた。いま、ひとりひとりを洗い出して、処分をかけ、組織から排除しようとしている。上からの命令の範囲で、その実行の効率についての創意・工夫しかないような組織に変容してきている。上から下ろされる教育政策、施策そのものが、教育の条理に照らして正しいか、児童生徒の発達にふさわしいものかどうかを真正面から議論し、学校組織として自主的に判断するという教育課程編成権があきらかに侵されてきている。本格的教育論がおさえられ、ちまちました技術論にシフトしてきた。
 「訓導(教諭)は校長の命をうけ教育を掌る」という戦時中の国民学校令のもとで暗黒の歴史つまり戦争の片棒をかつぐ教育がおこなわれた。その反省の下で、戦後、学校教育法では「教諭は教育をつかさどる」と定めた。つまり「校長の命を受け」が削除され、上からの命令ではなく、ひとりひとりの教員が真理・真実・教育の条理にしたがって教育をおこなうこととされた。
 橋下徹や石原慎太郎などの権力者が、学校への違法な介入をつよめている。平教員には真理・真実・教育の条理にもとづいて自主的な判断をする人はまだまだたくさんいる。しかし、吉田所長クラスの立場で誤った教育施策を拒否できる人は残っているか。
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自爆営業、被災者を解雇するソニー

2011年06月18日 10時55分12秒 | Weblog
 今日(2011・6・18)の『しんぶん赤旗』に共産党の山下芳生(よしき)議員が参院総務委員会でおこなった質問の記事があった。郵政職場でのパワハラと年賀はがきのノルマ営業についての質問だった。
 リーダーが、「バカヤロー、死んでしまえ」とか「なんでこんなことができないのか、時給をいくらはらっているのか」などと罵声の嵐のようだ。 
 わたしはこの2年、ノルマ営業に協力して年賀はがきを買っている。べつにどこで買おうと出す枚数はおなじなのだが。パワハラとセットで年賀はがきの営業ノルマが押し付けられているという。そこで怒鳴られた挙句、自爆営業に走るらしい。自爆といっても爆弾は持たない。自腹で年賀ハガキを大量に購入して、それを金券ショップに持ち込むのだ。これが大々的に広がるとぎりぎりに出す人たちは、金券ショップで安いハガキを買うようになるだろう。
 山下議員は、ノルマ営業、自爆営業をやめさせるべきだと追及した。片山総務大臣は「自爆営業はあってはならない、根絶させるために強く要請したい」と答えた。

 同じく『赤旗』16日付が、政府の復興構想会議に財界を代表して委員を送っているソニーが、仙台で、期間社員を大量に解雇していることを告発している。期間社員も自宅は被災したのに、長時間かけて出勤し、泥のかき出しなど復旧作業に精をだしてきたのに150人の全員を解雇した。期間社員といっても5年以上働いている。
 ソニーの2010年の内部留保は3兆4088億円、会長の役員報酬は8億2550万円だという。内部留保を被災労働者のためにはきだしてもバチはあたらんだろう。首をきられた労働者は、ソニー労働組合仙台支部に加入して闘いに立ち上がっている。がんばれ!強欲な資本家に負けるな!
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森田敏彦著『戦争に征った馬たちー 軍馬碑からみた日本の戦争 ー』を読む

2011年06月12日 09時49分10秒 | Weblog
 森田敏彦さんの研究をまとめた本が清風堂書店から出た。博士論文が元になっている。森田さんは大阪の元高校教員で私などの先輩にあたる。森田さんが大阪市立中央図書館で新聞のマイクロフィルムを検索している姿に何度かでくわしたことがある。本書には『大阪朝日新聞』がたくさん引用されている。大阪にはない『信濃毎日新聞』マイクロも詳細に調べている。
 森田さんの本は、5月1日の初日に買って、鉛筆で線を引きながらすぐ読んだ。5月連休中にブログで紹介しようと思いながら1ヵ月もすぎてしまった。
 日本陸軍のなかでは軍馬が大きい比重を占め、日露戦争では22万頭以上、日中戦争・アジア太平洋戦争では100万頭近い馬が動員された。「出征」による馬の減少は馬の値段の高騰をまねき、農民の生業を圧迫する。
 軍馬を顕彰・慰霊する軍馬碑は全国に950基を数える。建設時期は日露戦争期と日中戦争期に集中している。地域的には中部日本以東に偏在し、長野、栃木、茨城の3県が群を抜く。
 本書は日本の侵略戦争と軍馬との関係を詳細に描いているが、白眉は「第5章 軍馬碑にこめられた戦争への思いー 日露戦争 ー」と「第6章 軍馬碑にこめられた戦争への思いー 日中、アジア・太平洋戦争 ー」である。長野県に照準をあて、碑文の分析に始まって碑を建てた農民の階層へと光をあてる。博士論文ゆえ細かい事実に付き合わされはするのだが、森田さんといっしょに歴史の真相を究明してゆくのにわくわくさせられる。
 長野県の日露戦争期の軍馬碑は、軍人が使役した馬のためにつくった愛馬碑、社会的経済的に有力な階層の農民が愛馬を供出したことで国家に義務を果たしたという意識をうかがわせる碑などのタイプがある。後者のタイプの碑の建設者のひとりとして長野県山形村の唐澤武十郎という人物を森田さんはとりあげる。唐澤は政治結社・奨匡社(しょうきゅうしゃ)の一員として自由民権運動に加わっている。22歳で山形村の村会議長に選ばれ、傍聴人規則を定めるにあたって女性にも傍聴を認めるよう主張した人物であったという。唐澤武十郎が中心となった日清戦争期の「軍馬塚」には国家の文字がないが、日露戦争期には「軍馬記念碑」に国家の文字を刻むようになった。日露戦争は国あげての戦いという意識が民衆の中にもひろがり、これをつうじて「国民」が形成されていった。戦争への熱狂がでてきた日露戦争期に地方名望家である唐澤武十郎が、愛馬を供出することで「国民」としての義務を果たしたという意識が碑文からうかがえる。国会解説運動で国家のあり方を問うた人物が名望家として「国家」への義務を果たそうとしたところに時代を読む。本書の面白いところだ。
 日中戦争、アジア・太平洋戦争期の軍馬碑の分析、叙述もわれわれを引き込む。名望家による建設は希薄になり、あたかも軍馬が戦場に赴いたかのように碑は刻む。馬の「出征」と記し、飼い主より馬の名前を先に刻む。家から出征者がいないため恥ずかしい思いをしていた寡婦が、馬が身代わりになって「出征」してくれたので村人に顔が立つといっている例など地元紙から丹念に拾い集めている。
 軍馬碑の調査・分析から、近現代の戦争と国民の創出、国民との関係の変容を見事に浮かび上がらせた森田さんの研究は一読に値する。
 
 
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橋下さんはほんとに弁護士?

2011年06月11日 09時04分46秒 | Weblog
 東京の森さんから、君が代起立強制条例にかかわって、「橋下さんはほんとに弁護士?」というコメントをいただいた。森さんのおっしゃるとおりだ。わたしもそう思う。わたしは弁護士の資格を欠くと思っている。  
 強行採決をしたあと、6月8日に橋下知事は府教育委員との懇談をした。教育委員からは君が代起立条例への批判的意見があいついだ。その中で橋下さんからは、人権擁護が使命である弁護士資格と両立しない発言があった。
 東南アジアから教員を迎えた場合、「日本の公務員になるなら(君が代を)起立・斉唱すべきだ」とのべた。教育委員から、「日の丸・君が代」に抵抗感がある東南アジアから教員を迎えることもあると指摘したことに答えたものだ。
 また、「教え子を再び戦場に送らない」とがんばっている教員が子どもたちの信頼を得ていることもあるとして、処分は十分われわれとコミュニケーションをとってほしいと求めた。これに対し、橋下さんは「そういう(起立しない)教員が採用試験でなぜ合格したのか」とのべた。弁護士の言葉ではない。思想・良心の自由は基本的人権の中核なのに。この発言は、憲法が保障する思想・良心の自由に対する挑戦であり、否定だ。教員採用で思想差別しろというのだ。
 橋下さんは、「君が代」起立は思想・良心の問題ではなく、ガバナンス、統制の問題だということをなんども言ってきた。人権の問題は存在しないというのだ。恐ろしい発想だ。これについては大阪弁護士会あるいは日本弁護士会の見解で橋下氏の誤りは100%明らかになっている(うその代名詞である20000%ではない)。
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橋下グループの暴挙

2011年06月05日 12時46分21秒 | Weblog
 橋下グループは今、大阪で暴挙のかぎりを尽くしている。
 法律家でありながら、教員に人権はないといいきる。国の法律を越える違憲の条例。教育委員会の専管事項に平気で踏み込んで条例で縛りをかける。
 さらに議会の定数をいちどに21減らした。ほとんどを定数1にし、1票の格差を拡大させた。少数意見には耳をかたむけず、数の多数が正義だと。議会の閉会直前に定数削減の条例案を上程し、いっさいの審議なしに強行採決。
 議論もせずに決めるべきでないと批判すれば、マニフェストに掲げていたという。では、君が代起立条例はマニフェストに掲げていないのになぜ突如持ち出して強行するのか。
 もう府議会は、議会としての本来の機能を、「維新」という橋下私兵によって踏み荒らされてしまった。審議抜きの強行採決を批判されたのに対して、橋下は、「今までのシャンシャン議会を考えれば、新しい地方議会の第一歩」と胸を張った。普通の人間には考えられない異常な神経だ。審議抜きに強行採決をくりかえすのが新しい政治なのだ。
 マスコミもそろそろ橋下をもちあげるのをやめにしたらどうか。
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内閣不信任案に思う

2011年06月03日 06時24分31秒 | Weblog
 菅内閣不信任案が否決された。菅内閣が東日本大震災の被災者の期待に応えていないこと、福島原発事故の収束への様々な不手際など責任を果たしていないことは明らかだ。
 だが、混乱状態の今の時期に不信任にする、もし可決されてもその後の政権構想も準備していない(谷垣自民党総裁)というのは、これも無責任だ。もし可決されれば、何十日間にわたる政治混乱がつづき、震災復興・原発対応に空白が生じる。
 そもそも、原発事故の一番の責任者である自民党、そして公明党が何の謝罪もせずに、菅首相の原発対応の不手際を声高に糾弾するのはどういう感覚か。そこから見えるのは、とにかく今の政権の傷を深くし、混乱状態をつくって、民主党を分裂させていこうという権力欲にまみれた姿だけだ。
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思想・良心の自由を侵害する「君が代」起立強制条例案

2011年06月01日 13時50分25秒 | Weblog
 橋下「維新の会」が強権支配をねらう「君が代」起立強制条例案について、とても参考になる文章があったので紹介したい。民主法律協会会長の萬井隆令(よろいたかよし)さん(龍谷大学名誉教授)の文章だ。

 大阪府の「君が代」起立・斉唱条例案を読んで、驚きました。条例の目的を定めた第1条は支離滅裂です。
 「国旗・国歌法」の「趣旨を踏まえ」とありますが、1999年の法案審議の国会で、提案した小渕首相らは、国旗掲揚や国歌斉唱は義務づけな、内心の自由まで立ち入って国民に強制はしないとくり返し答弁したはずです。この法律からは、このような条例案はでてきません。
 「日の丸」を第2次世界大戦における侵略のシンボルとして苦い思いを持つアジアの人がいるというのに、どうして「国旗掲揚・国歌斉唱」が「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」ことになると言えるのでしょうか。
 「君が代」が国民主権の日本にとって、本当に国家としてふさわしいのか、過去のことだとはいえ外国侵略のシンボルになった「日の丸」が国旗としてふさわしいのか、私は、いまでも議論の余地はあると考えています。
 社会や政治について、自由に論じられていた先生が、条例に縛られ、処分により強制されて起立・斉唱する姿が、生徒たちに果たして良い影響を与えるのでしょうか。それとも、「日の丸・君が代」については、自由に論じるな、というのでしょうか。
 条例ができれば、学校の管理職は日ごろから教師の行動にこれまで以上に目を向け、卒業式などの式典で起立はしたものの、「斉唱」しないで口をパクパクさせるだけの教師はいないか、監視するようになるでしょう。
 関西電力がかつて、労働者を思想差別で監視し続けたことについて、最高裁は「職場における自由な人間関係を形成する自由を不当に侵害する」不法行為であると断じました。
 教師たちは、どうすれば楽しくわかりやすい授業ができるかを真剣に追求し、それについて自由に発想し、同僚と議論する中で、初めて実りのある授業になるものです。
 教育現場に不可欠な自由闊達な雰囲気が欠ければ、豊かな教育は成り立たなくなります。
 第1条では、「次代を担う子ども」といいますが、心からそう考えるのであれば、条例案を撤回すべきです。
 橋下知事は、たしか弁護士ですから、戦前の天皇制のもとで、国民の自由を奪った治安維持法が猛威を振るい、戦争体制を支えた、それへの厳粛な反省を込めて、日本国憲法が「思想及び良心の自由」を基本的人権として保障していることは知っているはずです。
 この条例案は、その憲法に真っ向から反するものです。橋下知事は、成立前から起立しない教員の懲戒処分や、実名の公表まで口にしているそうですが、もってのほかです。
 知事には、特別公務員として憲法遵守義務があります。もう一度憲法を読み直し、橋下知事自らがこの条例案を葬り去ることに努力すべきです。 (『しんぶん赤旗』2011・5・31)

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