政府の復興構想会議が6月25日、提言をまとめた。全体が上からの復興という視点であることが納得できない。なかでも一番問題は、地元漁民無視の「水産業復興特区」だ。
宮城県の村井知事が、地元宮城県の漁協・漁民から猛烈な抗議を受けながらも猛然と主張し続けてきたものだ。復興会議がどんな議論の仕方、まとめ方をしているのかわからないが、委員が勝手に発言したものを五百旗頭委員長が委員長権限でまとめたのであろう。多数決をとったとは聞かない。委員のなかには地元民重視の立場の達増岩手県知事もいる。防衛大学校長・五百旗頭氏と防衛大学校・松下政経塾卒の村井氏とがタッグを組んでいるのであろう。
『朝日』6月21日付けに「漁業権開放」の特集があった。村井氏も持論を展開している。わたしは全漁連常務理事の長屋さんの論に納得した。この特集では、3人のうち2人が賛成論であって、今日の復興会議提言記事の解説でも、『朝日』は賛成の立場だ。2006年のジャーナリスト宣言で新自由主義・構造改革推進を反省したかのように見えたが、もとに戻っている。
長屋さんも指摘しているが、いまの漁業権の制度の下でも、企業は参入できる。だが特区論は、企業を主役にしないと漁業は再生できないというのだ。村井知事は人材と資金を呼び込むという。だが呼び込んだ資本による漁業再生は、いくつかの拠点漁港に集中復興をすることになり、他のほとんどの漁港と漁民は打ち捨てられることになる。こんどの震災・津波は全ての漁港と漁民全員が打撃をうけたのであり、彼ら全てを主役にして復興しない限り、復興とは言えない。よそからの資本呼び込みでの選別的復興は悪魔の手法だ。資本呼び込み型の経済開発論が日本全国で莫大な税金を投入して数限りなくやられ、いずれもみじめな失敗をしてきたのは記憶にあたらしい。震災・津波の被害は地元住民=漁民の全てを飲み込んだのだから、彼らを主体にした復興計画でなければ、彼らは利用されるだけになり、みじめな事態をまねくだけだ。
岩手・宮城の漁業は、島の漁港も含めて、資源をまもりながら、港に加工場をつくり女性や年寄りも働く地域ぐるみの産業を形成してきた。ここに経済活動としての意味と強さがあった。だがよそからの資本では一番おいしいところだけを持ち去られてしまうことになるだろう。養殖カキのような細かい仕事は地元の漁民の仕事ネットワークでないとできない。
復興は被害を受けた人たちの幸せのための方法と内容をもつものでなければならない。地元民が主役でなければならない。村井知事が松下政経塾出身だというのに、やはりという思いをつよくする。
宮城県の村井知事が、地元宮城県の漁協・漁民から猛烈な抗議を受けながらも猛然と主張し続けてきたものだ。復興会議がどんな議論の仕方、まとめ方をしているのかわからないが、委員が勝手に発言したものを五百旗頭委員長が委員長権限でまとめたのであろう。多数決をとったとは聞かない。委員のなかには地元民重視の立場の達増岩手県知事もいる。防衛大学校長・五百旗頭氏と防衛大学校・松下政経塾卒の村井氏とがタッグを組んでいるのであろう。
『朝日』6月21日付けに「漁業権開放」の特集があった。村井氏も持論を展開している。わたしは全漁連常務理事の長屋さんの論に納得した。この特集では、3人のうち2人が賛成論であって、今日の復興会議提言記事の解説でも、『朝日』は賛成の立場だ。2006年のジャーナリスト宣言で新自由主義・構造改革推進を反省したかのように見えたが、もとに戻っている。
長屋さんも指摘しているが、いまの漁業権の制度の下でも、企業は参入できる。だが特区論は、企業を主役にしないと漁業は再生できないというのだ。村井知事は人材と資金を呼び込むという。だが呼び込んだ資本による漁業再生は、いくつかの拠点漁港に集中復興をすることになり、他のほとんどの漁港と漁民は打ち捨てられることになる。こんどの震災・津波は全ての漁港と漁民全員が打撃をうけたのであり、彼ら全てを主役にして復興しない限り、復興とは言えない。よそからの資本呼び込みでの選別的復興は悪魔の手法だ。資本呼び込み型の経済開発論が日本全国で莫大な税金を投入して数限りなくやられ、いずれもみじめな失敗をしてきたのは記憶にあたらしい。震災・津波の被害は地元住民=漁民の全てを飲み込んだのだから、彼らを主体にした復興計画でなければ、彼らは利用されるだけになり、みじめな事態をまねくだけだ。
岩手・宮城の漁業は、島の漁港も含めて、資源をまもりながら、港に加工場をつくり女性や年寄りも働く地域ぐるみの産業を形成してきた。ここに経済活動としての意味と強さがあった。だがよそからの資本では一番おいしいところだけを持ち去られてしまうことになるだろう。養殖カキのような細かい仕事は地元の漁民の仕事ネットワークでないとできない。
復興は被害を受けた人たちの幸せのための方法と内容をもつものでなければならない。地元民が主役でなければならない。村井知事が松下政経塾出身だというのに、やはりという思いをつよくする。