山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

『不良少年』(1956年)を見る

2012年05月31日 09時25分36秒 | Weblog
 谷口千吉監督の『不良少年』をシネヌーヴォで見た。心が重くなる映画だった。原作は『お菓子放浪記』の西村滋。
 菅原謙二演じる西村は少年院の先生。西村自身戦災孤児で少年院出だった。11回も脱走したが恩師石坂先生に助けられ更生し、同じ境遇の青年によりそって一人前にして社会に送り出そうと努力するが次々と裏切られる。生徒は反抗するばかり。
 卒業生を尋ねても、まじめに働いている男もいれば、体を売っている教え子(銀子)もいる。卒業生同士で結婚している二人も、キャバレー勤めの男は妻に売春をさせている。西田は説得を続けるがあしらわれてしまう。西田は銀子をたずね、上等なウイスキーを何倍もあおるうち銀子と一夜をともにしてしまう。そこへ警察にふみこまれ、留置場へ。少年院の生徒にもそれが知れ、ますます反抗がつよまる。脱走する4人を追いかけ、戻るように説得しても、逆に棍棒でなぐられ泥の沼になげすてられる。少年4人は意気揚々とひきあげる。その中心は、かつての西田そっくりな反抗をする光一だ。光一に力をいれればいれるだけ反抗してきた。だがラストで、光一は、やがて満潮になると泥に沈んだ西田は死ぬと気づき、走って沼に向かう。
 最後に、希望の先を示してはいるが、心が重たく沈んだ気分で座席を立った。わたしも教員をしてきたので、生徒との信頼を築くことに努力してきた。だが映画では、信頼を築く働きかけ、更生のための援助がことごとく裏切られる。それだけ戦災孤児たちの心がすさみ、社会から裏切られ捨てられてきたことを表していた。とはいえ、気持ちが通じず、実らない努力に、映画の上でのこととはいえ、気持ちが落ち込んだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育破壊の大阪市教育条例、一部私立高校の水増し入学に対する調査

2012年05月26日 10時18分49秒 | Weblog
 大阪市議会で、5月25日、「教育行政基本条例」を維新と公明党で、「職員基本条例」を維新・公明・自民で可決した。日本共産党とOSAKAみらい(民主系)は反対した。自民党は教育条例には反対した。前年は反対したのに維新にすり寄った公明党の党利党略がきわだつ。大阪兵庫の公明立候補の小選挙区で維新が候補者を立てないようにとの取引が裏にあることはすでに報じられている。
 25日の『朝日』に「大阪の私立20校定員オーバー」という小さい記事があった。私立高校95校のうち20校以上で在校生の人数が収容定員を上回っていることがわかった。募集定員を100人以上こえて入学させた学校は昨年は17むし校、今年は25校。校舎や運動場の広さ、教員数から府が認可した定員を守らない学校が20校を超えるという。一方で、私学の35校と府立の17校が定員割れだ。府私学課が現地調査にのりだしたという内容だ。
 認可定員を無視し、運動場にプレハブを建てて生徒を押し込み、経営拡大に走る一部私学経営者の横暴は目に余る。心ある私学関係者からは去年の時点で強い批判がでていた。そもそも橋下前知事が授業料一部無償化とセットで私学経費助成をへらした。以前は小さい学校は多めに出していた。学校としての機能を果たすためには小さくてもすべてを整えなければならないから。だが橋下氏は生徒の人数に応じた助成に変えた。その結果、たくさん入学させればさせるほど助成がふえ、入学生がへればたちまち貧窮するという構造になった。これははっきりとした政治的狙いのもとにやったことだ。教育を弱肉強食の世界にするのだ。一部私学が定員をこえて入学させた分、他の私学と府立が定員割れをおこす。起こさせる。府立は3年連続定員割れで廃校にする。府費の大幅削減が実現する。
 だが、定員割れをした私学や府立高校は必要ない学校か。とんでもない。橋下・維新は、よく質の高い教育を提供するという。質の高い教育とは何か。彼らがいうのは進学エリート教育を意味しているようだ。だから定員割れをおこす困難校といわれる学校はダメな学校というわけだ。だが、こんな鼻持ちならないエリート主義、露骨な差別主義は気分が悪くなる。私がかつて勤めたのは北野定時制だ。すでに、つぶされて何年もたつ。ダメな学校の代表なのだろう。しかし定時制でも、全日制の困難校でも、定員割れでも頑張っている私学でも、未来の日本を支える市民を育成すべく全力で教育している。ダメな教育などない。進学で成果を上げる、グローバルエリートを育てるのが素晴らしくて、問題行動を起こす生徒にかかわる、はでな成果などと無縁な教育はダメな教育とどうして言えるのか。すべての人間、すべての子どもは平等ではないか。一人一人がかけがえのない命であり、将来の社会を支える市民なのだ。すべての子どもに等しくしっかりした教育を保障しなければならない。橋下氏は英語などで成果を上げた学校に莫大な金を支給する制度をつくった。金をもらった一部私学は帰国生徒をあつめてやっているのだからうまくいくのはあたりまえだ。
 私はこの記事で注目したのは、府の私学課が「教育環境の悪化を防ぐため、各校の現地調査に乗り出した」というくだりだ。去年から問題になり、批判があったのに、私学課は去年、手も足も出せなかったのだ。つまり橋下が怖くて、調査さえできなかったのだ。かつては、定員を上回って入学させ教育環境を悪化させた私学は、翌年ペナルティを課された。ところが橋下氏によって、悪いことをする私学は咎められもせず、たくさん金をもらえるというとんでもない制度に変えられた。
 ペナルティとまではいかなくても、調査を始めたというのは行政の、公務員の良識がまだ残っていることのあかしだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ジャコ萬と鉄』を見る

2012年05月24日 09時29分38秒 | Weblog
 九条のシネヌーヴォで女優・八千草薫さんの夫の故・谷口千吉監督作『ジャコ萬と鉄』(1949年)を見た。すごい迫力でドラマチックな映画だ。白黒映画の傑作のひとつだろう。『ジャコ萬と鉄』という題名は知っていたので、おそらく過去に映画評を読んでいたのだろう。
 三船敏郎にくわえ、月形龍之介、進藤英太郎らかつての時代劇のスターが主役だ。
 北海道のにしんの漁場(ぎょば)での、強欲な親方と出稼漁夫(やんしゅう)との葛藤が描かれる。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橋下市長、歴史修正主義の展示館つくり歴史教育に介入はじめる

2012年05月12日 09時15分49秒 | Weblog
 橋テ下大阪市長は、5月9日~11日にかけて、自らの任期中に近現代史を学ぶ施設をつくるといいだした。「新しい歴史教科書をつくる会」の会員・元会員(障碍者差別の家庭教育条例案の震源地である高橋史朗氏と思われる)らの意見も反映させて「両論併記」の施設をつくるというのだ。家庭教育条例の動きとかさね合わせて、この動きをみなければならない。彼そして彼らの思想運動を現実化させようと動き出した。新自由主義・自己責任の破壊政治から、さらに復古思想・憲法改悪へ全面展開だ。
 橋下氏は、知事になるずっとまえから人権を攻撃する文章を書いていた。また、高校で南京大虐殺を教えられたが、人から本を紹介されて読んだら南京は大嘘だったとわかった、高校では嘘を教えられたとテレビで放言した。橋下氏は、南京事件研究の開拓者であり、立派な業績を残した故・洞富雄(ほらとみお)早稲田大学教授の本を同時に読むべきだった。早稲田出身者で南京について発言するなら、洞教授の研究を知らずにものをいうのはあまりにさびしい。
 知事・市長が教育に介入するのは、違憲違法であることはくつがえしようがない。しかしマスコミは、この根本問題には関心をむけない。だから世間的には違法が違法とも思われない。で、ついに歴史教育に介入をはじめた。

 ツイッター「朝日新聞・橋下番記者」から橋下発言を、以下紹介しよう。
「しっかりした歴史教育が必要」「両論併記にしたらいい。つくる会とか育鵬社とか、自由社のメンバーの方々にも入ってもらって。というのは学校の教育現場で育鵬社の教科書、全然採択しない」「教科書採択の仕組みはおかしい。教委が最終決定権をもっているのに、なぜ下のほうの研究会で教科書のしぼりこみをやるのか」「こういう仕組みはおかしいので教委には突っ込んでいきます。教育現場が育鵬社の教科書を使わないというのなら、ひとつの判断としてありかもしれないが、検定を通って指導要領の範囲、法律の範囲内で認められている育鵬社の教科書やそういう考え方もしっかりと子どもたちにださないといけない」
「(学習施設では)東京裁判についても、今いわれている見解とそれから逸脱しない範囲内でいろんな情報も子どもたちに見てもらう」「しっかり太平洋戦争と日中戦争の違いも含めて。僕は今の教育には本当に不満をもってますから。政治側の方でしっかりそういう情報提供できる館を金かけてやろうと思います。任期中に何とか完成させたいですね」
「(ピース大阪は)リニューアルではなく、一回ゼロにして新しいモノをつくると考えています」
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シネヌーヴォで淡島千景特集(6月1日まで)

2012年05月11日 22時40分34秒 | Weblog
 今年2月に亡くなった淡島千景の追悼特集を大阪・九条のシネヌーヴォでやっている。平日でも結構な入りだ。淡島千景の魅力によるものだ。以前、同じシネヌーヴォで豊田四郎監督特集をやった際に、『夫婦善哉』(豊田四郎監督・森重久彌共演・1955年)をみて、淡島千景という女優の魅力に強くひかれた。
 今度、『女の一生』(中村登監督・上原謙共演・1955年)、『新・夫婦善哉』(豊田四郎監督・森重久彌共演・1963年)、『早春』(小津安二郎監督・池部良共演1956年)、『喜劇・駅前旅館』(豊田四郎監督・森重久彌共演、1958年)を見た。
 『夫婦善哉』と『新・夫婦善哉』は8年離れているが、正・続にあたるものだ。船場のだらしないぼんぼん(森繁)を淡島千景演じる臨時雇いの芸者蝶子が支える。淡島千景が、芯が強く、愛らしいというより男を引き付けて離さない魅力をもった女性をみごと演じている。森繁との相性がぴったりだ。織田作之助原作だが、時の軍国主義を排した男女の物語にしているところがにくい。
 『女の一生』の原作は、山本有三が1932~33年に『朝日新聞』に連載したもの。淡島千景演じる女性の一生の物語。医師の資格もとった才媛の主人公が教授との不倫の子をもうけ、苦難の子育てをする。のち教授と結婚。大きくなった息子は左翼運動に走り逮捕・留置場へ。息子の考えを理解しようと本を求め勉強する母となる。山本有三は戦後、憲法制定の時、新憲法を口語にしようと運動し、口語化の作業に従事した。山本有三については『路傍の石』しか知らなかったが、『女の一生』によって、はじめて戦後の活動と結びついた。
















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

維新の会の本質露呈・家庭教育支援という差別条例案

2012年05月06日 10時29分57秒 | Weblog
 大阪維新の会・大阪市議団が「家庭教育支援条例案」を議会に提案する動きをしている。その内容があきらかになり、批判が噴出している。条例案全文は、自由法曹団大阪支部・大前治弁護士が入手公開している。
 これは、維新の教育支配を家庭教育にも広げようという狙いだ。第1条(目的)で「保育、家庭教育の観点から、発達障害、虐待等の予防・防止に向けた施策をさだめる」とし、第15条で「乳幼児期の愛着形成の不足が経度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であることが指摘され、また、それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる」と定める。18条では、「わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防・防止できるものであり、こうした子育ての知恵を学習する機会を親およびこれから親になる人に提供する」という。その具体化として特定の思想にもとづく「親学」を推進し、副読本を配布する。首長直轄の「家庭教育推進本部」を設け、「推進計画を」策定する。さらに中学生から大学生に保育所・幼稚園での体験学習を義務化する。
 この条例案策定の中心になったのが西成区選出の辻淳子維新市議団副団長だ。『赤旗』によれば、「親学」は「新しい歴史教科書をつくる会」元副会長・「日本教育再生機構」理事の高橋史朗氏が提唱してきたのだと維新市議団が認めたという。実際は、親学だけでなく、全文を提供したのではないかと、わたしは思う。その証拠は、「前文」の最後の文章が、「このような時代背景にあって、本県の未来を託す子供たちの健やかな成長のために、私たち親自身の成長を期して、本条例を定めるものである」となっている。なんと、「本県の」となっているのだ。「本府の」いや「本市の」とすべきところを、埼玉県の教育委員もした高橋史朗氏がおもわず「本県の」と書いてしまったのだろう。高橋氏が全国運動にするための条例案を、「大阪維新の会」がそのまま使ったのが真相ではないか。
 内容は、ネットでもきびしく批判されているように、低劣極まりないものだ。発達障害への非科学的・差別的見解を法制化するもので独裁・維新の本質が露呈された。ナチスを彷彿とさせる。
 辻淳子氏は「誤解を与えて申し訳ない」といったそうだが、だれも誤解などしていない。よく理解している。よくわかった。橋下維新の会代表は、市議団がやったことで自分には関係ないというような言い訳をしている。学校はマネジメントがなっていないといって教育をひっかきまわし、口元まで調査したのに、自分の党のマネジメントができていない。それよりなにより、障害を抱えた人や関係者への侮辱条例だ。
 これでも維新に期待する人がいるのだろうか。非人間的のひとことに尽きる集団に将来を託すのか。これでも、テレビ・新聞は橋下維新を持ち上げるのか。監視を強めようではないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

決められない政治なるものが憲法問題か

2012年05月05日 09時52分37秒 | Weblog
 遅ればせながら、『朝日』5月2日オピニオンのページの憲法学者・樋口陽一さんのインタヴューを読んだ。勉強になった。これまで樋口さんの本からはずいぶん学んだ。とくに『人権』(三省堂・1996)は舐めるように読んだ。
 記事の書き出しが、「大震災、原発事故、そして決められない政治。社会に行き詰まりを感じるなかで、憲法が障害だという意見も出ている」だ。これが今年の憲法についての問題意識なのだ。とくに「決められない政治」を憲法問題にしていることが、今の重大問題だ。
 「決められない政治」論は、橋下大阪市長のいう「決定する民主主義」論とつながっている。橋下氏の政治は、選挙で多数をとれば白紙委任をされたと考え、あとは自分のいうことが民意であり、どんどん決めていいという。民主主義に反する民主主義論だ。
 この橋下政治との対比で、民主党野田政権が何も決められないことを問題にし、さらにこれを憲法の統治機構に原因がある、だから一院制、首相公選制にしないと解決しないという議論がふりまかれる。これも橋下氏の主張にそったものだ。全体として新たな切り口の改憲論だ。
 だが、野田政権が決められないというが、その中身は税と社会保障の一体改革が決められなさそうだということだ。消費税増税がスッときめられないことに、マスコミ各社はいらだっているのだ。そもそも税と社会保障の一体改革そのものがとんでもないもので、社会保障充実のために消費税増税だと思ったら大間違いで、社会保障は自助が基本で削るけど消費税は増税するというもの。大衆課税・逆進税の消費税がすいすいと通ること自体ありえない。反対世論もふえている。
 ねじれ国会になっているからなおさら通りそうにない。ねじれを生むような政治制度が悪いというのだろうが、ねじれをつくったのは国民の意思なのだ。民主党が構造改革の弊害を取り除くといって多数を占めたのに、それをなげすてたために国民がねじれをつくったのだ。悪いことをスイスイ決められるよりは、悪いことを決めるのにもたもたしている方がまだましだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思想調査のつぎは入れ墨調査・橋下

2012年05月03日 15時05分37秒 | Weblog
 橋下大阪市長は、1日、全職員37000人対象に刺青調査を始めた。人目にふれる可能性がある場所への入れ墨については、記名のうえ、人体図に大きさ形を書き込む。拒んだらペナルティーだという。人目に触れない場合は、任意回答だそうだが、部位・大きさ・入れた時期などを答えさせる。
 人目にふれる入れ墨した職員がいたら、上司が確認をして対処したらいいことだ。見ればわかる。見えないところにしている場合は、とりたてて問題にすることではないではないか。わたしは入れ墨はきらいだし、以前、生徒から入れ墨しようと思っていると相談をうけたとき、きびしく反対した。入れ墨へのハードルが低くなっている現在、入れている職員がいることは否定できない。だからといって、全職員に答えさせるというその神経がおかしい。見たら分かるのだから、現場できちっと対処すれば済むことだ。
 橋下氏は、とにかく職員は全部コントロールしないと気が済まないのだろう。職員が住民の声を聞いて仕事に生かす、すなわち職員の権限の範囲で民意を反映する、民意を語ることは許さないと言明している。仕事から思想に至るまで、支配下におきたいのだ。旧憲法下の統治者像そのものだ。人権侵害であり、気持ち悪い。こうなると、つぎは全職員の性癖調査もするにちがいない。

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

規制緩和が人を殺す

2012年05月02日 03時37分58秒 | Weblog
 関越道での7人が死んだ重大事故は規制緩和の結論だ。陸援隊というバス会社は数十件の法令違反の疑いがあるらしい。河野運転手は日雇いだった。超距離バスは正規雇用でないとダメなのに。運行指示書もなく、勤務開始時のチェックも、運行中の報告書もなかった。休憩時に運転手はハンドルに伏せって寝ていた。
 ここまでのいい加減なバス会社が横行するのは運行料金が買いたたかれているからだ。それも規制緩和によって参入が自由になり、雨後のたけのこのようにバス会社が増加し、過当競争から違法なバス会社もはびこる。それを利用して安いツアー料金を売りにする旅行会社が幅をきかす。安ければいいという風潮は安全と命をないがしろにする。最後は乗客の命が差し出される。ここまでひどい結果には普通はいたらないが、労働者の人間らしい労働はうばわれ、生活は破壊されている。バス労働者全体に広がっている。タクシーの規制緩和によって、タクシー労働者の極度の低賃金、生活破壊が広がったのはもっと以前だ。
 それにしても、国交省が1日670キロ、9時間運転までを合法としていることが問題だ。昼でも670キロは人間の体力・脳の働きの限界だ。夜ならば破たんする。営業は余裕をもったあたいでなければならない。人間の限界まで営業可とするのはとんでもない。産業革命の時代へ逆転だ。9時間運転は670キロにピッタリ符合する。実際の労働時間は、9時間運転に加え、出社・車両点検・出発地での待機から客を乗せるまで、降ろしてから点検・帰社までを入れると13~14時間労働になるだろう。
 労働者を非人間的労働においこんだ結果が今度の惨事だ。労働者を人間的労働の範囲にもどせ。一人乗務を禁止せよ。買い叩きををやめろ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする