「大阪市廃止構想」の5つの区のうち「湾岸区」という名称はもともと西区だったが、最終段階で橋下の指示で「湾岸区」とされた。これが当該地域の住民には不評だ。橋下は住民説明会で、「湾岸区は英語ではベイエリアといい、この名前は世界で通用するんですよ」となだめにかかった。
問題はこの構想そのものの危険性だ。西淀川区、此花区、港区、大正区、住之江区の西半分を「湾岸区」とすることの気味悪さは、じつは名前だけでなく本質的に危険なのだ。
大阪市の全戸に配られた「特別区設置協定書について(説明パンフレット)」の15、16ページに「特別区と大阪府の事務の分担」が載っている。16ページには特別区と大阪府の仕事の分担がくわしく書かれている。
わたしが問題にしたいのは、大阪市が市の仕事として大きい比重を置いてきた「消防・防災」だ。大阪市廃止後は、「消防・防災」のうち「消防」は大阪府が担い、「防災」は特別区が担うとなっている。ここに大阪市廃止分割構想の最悪の危険がひそむ。
地震・津波はいつ起きるかわからない、しかし遠からず必ず起きる。わたしの住んでいる港区市岡地域は海抜マイナス2メートルだ。市岡は戦後の盛り土かさ上げ事業の枠からのぞかれたため、大変なマイナス地域だ。かさ上げされた港南中学校の敷地との境界は4メートルくらいの段差がある。港区の他の地域はかさ上げがなされたためマイナス1メートルからプラス2メートルだ。
戦争末期の大阪空襲で、市岡の一部をのぞいて港区のすべてが焼けつくした。戦後、ジェーン台風で湾岸地域が何週間にもわたって水没する被害を受けた。戦後の区画整理とともに、土地のかさ上げが課題となった。区画整理は国が支援する事業であったが、かさ上げはそうはならず、結局大阪市単独の事業となった。でも単独事業であってもやりぬく気概を大阪市はもっていた。市の財源をこの湾岸地域につぎ込んだのだ。かさ上げは、もう建物が建っている場合はこれを動かして盛り土をし、その上に家を戻すという大変な工事だった。だがこれをやりぬいた。
こんな歴史を持つのが大阪市の湾岸地域だ。「大阪市廃止構想」はこの「防災事業」を特別区=「湾岸区」の仕事だと区分けした。その基準は、「住民に身近な事務」は特別区に、「広域的な事務」は大阪府にというのだ。「防災」は身近だが財政的に貧弱な特別区に担える仕事ではない。「消防」もとても住民に身近なはずだ。2年前、わたしの隣の家が火事を起こし、わが家も大きい被害を受けた。その際、救急車で大きい病院に搬送されて死ぬような経験をしたわたしにとって「消防」は身近だ。
わたしは「消防・防災」という自治体にとって大きな仕事が、ぞんざいに扱われ、その仕事を放棄するに等しい制度設計になっていることに激しい怒りを覚える。「住民に身近な事務」をする特別区に巨大地震・津波をも視野に入れた防災事業などできるわけがない。とりわけ財政力が弱い「湾岸区」に押し付けられても最初からお手上げ状態だ。戦後営々とつづけられた防災事業は、大阪市があってこそできたものだ。その大阪市を廃止して、財政力の弱い「湾岸区」にこれをゆだねるというのは、歴史をしらない橋下らのアホのすることだ。防災を大阪府にゆだねるのがいいというわけではない。もとより大阪府は防災を任務としている。そこに組み込むことは、大阪市がやっていたことを無きものにすることで何の意味もない。
結論は、大阪市を廃止しないで、大阪市全体で湾岸地域の防災事業にこれからも取り組むという方向しかない。巨大地震が控えていることが科学的にも明らかになっているもとではとくにそうだ。大阪市を廃止解体する構想は、防災事業からの全面撤退でしかない。この問題でいえば、府と市の「二重行政」大いに結構。やってやりすぎることはない。でも話し合い協力して、効率よくやることで湾岸地域住民の命と安全が確保される。逆に、大阪市を廃止することは、防災事業を事実上なくすことで、住民の命と安全を投げ出すことだ。これは地方自治体の存立の趣旨を放棄することで自殺行為だ。
湾岸地域に住む市民は、「湾岸区」という名称の胡散臭さのレベルをこえて、「大阪市廃止構想」が自分たちの命と安全を投げ出す「構想」なのだとわかる必要がある。
問題はこの構想そのものの危険性だ。西淀川区、此花区、港区、大正区、住之江区の西半分を「湾岸区」とすることの気味悪さは、じつは名前だけでなく本質的に危険なのだ。
大阪市の全戸に配られた「特別区設置協定書について(説明パンフレット)」の15、16ページに「特別区と大阪府の事務の分担」が載っている。16ページには特別区と大阪府の仕事の分担がくわしく書かれている。
わたしが問題にしたいのは、大阪市が市の仕事として大きい比重を置いてきた「消防・防災」だ。大阪市廃止後は、「消防・防災」のうち「消防」は大阪府が担い、「防災」は特別区が担うとなっている。ここに大阪市廃止分割構想の最悪の危険がひそむ。
地震・津波はいつ起きるかわからない、しかし遠からず必ず起きる。わたしの住んでいる港区市岡地域は海抜マイナス2メートルだ。市岡は戦後の盛り土かさ上げ事業の枠からのぞかれたため、大変なマイナス地域だ。かさ上げされた港南中学校の敷地との境界は4メートルくらいの段差がある。港区の他の地域はかさ上げがなされたためマイナス1メートルからプラス2メートルだ。
戦争末期の大阪空襲で、市岡の一部をのぞいて港区のすべてが焼けつくした。戦後、ジェーン台風で湾岸地域が何週間にもわたって水没する被害を受けた。戦後の区画整理とともに、土地のかさ上げが課題となった。区画整理は国が支援する事業であったが、かさ上げはそうはならず、結局大阪市単独の事業となった。でも単独事業であってもやりぬく気概を大阪市はもっていた。市の財源をこの湾岸地域につぎ込んだのだ。かさ上げは、もう建物が建っている場合はこれを動かして盛り土をし、その上に家を戻すという大変な工事だった。だがこれをやりぬいた。
こんな歴史を持つのが大阪市の湾岸地域だ。「大阪市廃止構想」はこの「防災事業」を特別区=「湾岸区」の仕事だと区分けした。その基準は、「住民に身近な事務」は特別区に、「広域的な事務」は大阪府にというのだ。「防災」は身近だが財政的に貧弱な特別区に担える仕事ではない。「消防」もとても住民に身近なはずだ。2年前、わたしの隣の家が火事を起こし、わが家も大きい被害を受けた。その際、救急車で大きい病院に搬送されて死ぬような経験をしたわたしにとって「消防」は身近だ。
わたしは「消防・防災」という自治体にとって大きな仕事が、ぞんざいに扱われ、その仕事を放棄するに等しい制度設計になっていることに激しい怒りを覚える。「住民に身近な事務」をする特別区に巨大地震・津波をも視野に入れた防災事業などできるわけがない。とりわけ財政力が弱い「湾岸区」に押し付けられても最初からお手上げ状態だ。戦後営々とつづけられた防災事業は、大阪市があってこそできたものだ。その大阪市を廃止して、財政力の弱い「湾岸区」にこれをゆだねるというのは、歴史をしらない橋下らのアホのすることだ。防災を大阪府にゆだねるのがいいというわけではない。もとより大阪府は防災を任務としている。そこに組み込むことは、大阪市がやっていたことを無きものにすることで何の意味もない。
結論は、大阪市を廃止しないで、大阪市全体で湾岸地域の防災事業にこれからも取り組むという方向しかない。巨大地震が控えていることが科学的にも明らかになっているもとではとくにそうだ。大阪市を廃止解体する構想は、防災事業からの全面撤退でしかない。この問題でいえば、府と市の「二重行政」大いに結構。やってやりすぎることはない。でも話し合い協力して、効率よくやることで湾岸地域住民の命と安全が確保される。逆に、大阪市を廃止することは、防災事業を事実上なくすことで、住民の命と安全を投げ出すことだ。これは地方自治体の存立の趣旨を放棄することで自殺行為だ。
湾岸地域に住む市民は、「湾岸区」という名称の胡散臭さのレベルをこえて、「大阪市廃止構想」が自分たちの命と安全を投げ出す「構想」なのだとわかる必要がある。