九条のシネヌーヴォで、小雪さん主演の「信さん―炭鉱町のセレナーデ」を見た。1ヶ月ほど前、NHKに小雪さんがでて、彼女自身のことや映画のことを語った。偶然その番組をみて、映画を見たいと思っていた。今日が最終日だった。
監督は平山秀幸さん。1963年から70年ころの、まだ貧しい時代のとくに貧しい福岡の炭鉱町が舞台。小雪演ずる美千代は小学生の息子・守をともなってふるさとの炭鉱町に帰ってきた。洋服を仕立てて生計を立てる。いじめられた守を助けてくれたのが信一(信さん)だ。信さんは悪さもして親からせっかんを受ける。守の友人にいつもいじめられていた朝鮮人の子がいた。日本人には手を出すなという父親の教えを守って、この子はじっと耐えていた。
守は高校へ行くが、信さんは炭鉱で働く。労働争議もあり、スト破りもある。信さんは守の美しい母に思いを寄せる。ところが炭鉱の爆発事故で多くが犠牲になった。信さんも亡くなった。炭鉱は閉山に追い込まれる。人生がもみくちゃにされる。友人の朝鮮人の子は高校でもいじめと暴力をうけたが耐えた。だが最後にいじめっ子をうちのめし、故郷を去る。人が去った町は商売が成り立たない。卒業した守と母も去る。
小雪は田舎の炭鉱町ではとびぬけた美人だ。役者がそれぞれいい。小店をあきなう中尾ミエの役どころもいい。いい味をだしている。朝鮮人の父親が岸部一徳、信さんのは母が大竹しのぶ。いつもの大竹のイメージではなく、夫も子どもも炭鉱事故で失うという辛酸をなめつくす母を演じる。
子役がまたすばらしい。地元の子どもたちだそうだが、昔の子どもをじつに自然に演じている。朝鮮の子の小学生時代と高校時代を演じた2人とも、民族差別への怒りを表にあらわさず、耐える生活をよく表現した。
炭鉱町では目立った母子と友だちを中心に、時代の人間と生活をリアルに描ききった。リアリズムという言葉を思い出させた。漫画を原作にしたような大げさな映画が多い中で、久しぶりに心にしみる映画だった。
監督は平山秀幸さん。1963年から70年ころの、まだ貧しい時代のとくに貧しい福岡の炭鉱町が舞台。小雪演ずる美千代は小学生の息子・守をともなってふるさとの炭鉱町に帰ってきた。洋服を仕立てて生計を立てる。いじめられた守を助けてくれたのが信一(信さん)だ。信さんは悪さもして親からせっかんを受ける。守の友人にいつもいじめられていた朝鮮人の子がいた。日本人には手を出すなという父親の教えを守って、この子はじっと耐えていた。
守は高校へ行くが、信さんは炭鉱で働く。労働争議もあり、スト破りもある。信さんは守の美しい母に思いを寄せる。ところが炭鉱の爆発事故で多くが犠牲になった。信さんも亡くなった。炭鉱は閉山に追い込まれる。人生がもみくちゃにされる。友人の朝鮮人の子は高校でもいじめと暴力をうけたが耐えた。だが最後にいじめっ子をうちのめし、故郷を去る。人が去った町は商売が成り立たない。卒業した守と母も去る。
小雪は田舎の炭鉱町ではとびぬけた美人だ。役者がそれぞれいい。小店をあきなう中尾ミエの役どころもいい。いい味をだしている。朝鮮人の父親が岸部一徳、信さんのは母が大竹しのぶ。いつもの大竹のイメージではなく、夫も子どもも炭鉱事故で失うという辛酸をなめつくす母を演じる。
子役がまたすばらしい。地元の子どもたちだそうだが、昔の子どもをじつに自然に演じている。朝鮮の子の小学生時代と高校時代を演じた2人とも、民族差別への怒りを表にあらわさず、耐える生活をよく表現した。
炭鉱町では目立った母子と友だちを中心に、時代の人間と生活をリアルに描ききった。リアリズムという言葉を思い出させた。漫画を原作にしたような大げさな映画が多い中で、久しぶりに心にしみる映画だった。