山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

テレビ政治の落とし穴

2008年10月18日 09時55分44秒 | Weblog
 門真の保育園の畑の行政代執行の件で、子どもが泣いたのがテレビで放送され、問題になっている。「子どもが笑う大阪」をかかげたのに「子どもを泣かせた」橋下知事ということで注目されたのだが、これに対し、いや、子どもをつれてきて利用した保育園が悪いという流れもつくられている。
 橋下知事も、17日、「園の所有者は園児たちの涙を利用して阻止しようとした。一番卑劣な行為だ」と批判した。これに対し、園は「子どもには畑がなくなることも避けてきた。涙を利用したととられるのは心外」と話す。
 実際は、祖母に連れられて通園途中に畑に立ち寄った園児が一人いたが、5分ほどいただけで祖母がすぐに保育園に送ったというのが本当のようだ。(朝日新聞17日付・夕刊)
 知事は、園が子どもを集団でつれてきて、政治的に利用したから卑劣だというのだろう。だが、私が画面を見た限りでも、子どもは一人だった。子どもは一人で、おばあさんが連れて立ち寄ったのであれば、園が子どもの涙を利用したというのは成り立たない。これは大事な点だ。
 だが、私が関心を持ったのは、なぜ橋下知事が過剰に反応して、事実もあやふやなまま一番卑劣などといったのかということだ。自分の命じたことによって、子どもが泣いてテレビで広く知らされたことへの過剰反応だ。政治家は普通、自分の政治行為の正当性を説明するだけでとどめるのが格が上だとみられる。政治家でもない人を卑劣とまでいって自分を正当化するのは、やはり、はしたない。
 ここでいえるのは、橋下氏がこれまでテレビを十二分に利用して、その上にのっかって政治をしてきたが、今回は初めてテレビで失敗したということだ。橋下氏は、小泉郵政選挙と同じようにテレビを引き連れて政治をしてきた。その際、公務員・教育委員・教員をやり玉に上げ、テレビの前でこれらを攻撃することで、視聴者の支持を獲得してきた。議会で議論する前に、テレビ世論で多数派を形成し、異議を差し挟めない状況をつくる、政治的多数決をテレビの舞台でおこなうというやり方で、成功してきた。我々教育現場では、太田知事時代から予算をへらされてきたのに、橋下政治で一気に20%も学校予算が削られて、疲弊しきっている。しかし、そのことはテレビはもとより新聞も知らせてくれない。たかだか、どこかの教員が投書したのがたまたま採用されて、現場の実態の一部が新聞にのる。しかし、こんなもの橋下応援の大合唱に対して何の力もない。これが大阪の橋下政治と現場の関係だ。
 テレビを100%利用しつくしてきたのに、今度はじめてテレビで失敗した。テレビの落とし穴にはまった。テレビ政治は民主主義の危機だ。テレビの圧倒的な力で世論をどうにでも操作できる。しかしテレビカメラは子どもの存在に敏感に反応した。テレビのあつかいに精通した橋下知事もこんどばかりはしっぺ返しをうけたといえよう。
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