淀川区の市立木川南小学校の久保敬校長が5月17日付けで松井大阪市長にあてて「大阪市教育行政への提言」を送った。ネットでも公開された。勇気ある発言だ。
通信環境を整えないまま、松井市長がオンライン授業を行うとしたため「学校現場は混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている」と訴えている。テレビで紹介されるのは西区の本田小学校と港区磯路小学校だけだ。すべての学校がモデル校と同じではない。放映された磯路の児童の感想文も将来役立つかもしれないと留保付きの評価だ。久保校長は問題が見えていたから、木川南小学校では集団登校をし、朝から授業をした。オンラインはコロナ対策だというが給食は全員で摂るのだからコロナ対策としてはつじつまが合わない。
久保校長は、オンラインを押しつけ対面授業を取り上げることへの批判だけでなく、今の日本と大阪の教育行政の根本をも問題視する。
日本の教育行政を裏であやつっているのは日本経団連と経済同友会だ。経団連の文書を読むと経済財政政策や労働政策にとどまらず教育政策を詳細に書きこんでいる。財界にとって金もうけに直結する分野から20年、30年後の金もうけのために社会の構造変化を要求する、その一番の底にあるのが教育だ。その教育に手を突っ込む。それが「グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力」が財界の求める学力だ。だが、ここ5年、10年という短期間に地球環境危機がポイント・オブ・ノーリターンを迎える。灼熱地獄がすぐそこまで来ている。グローバル経済を日本が勝ち抜き、個人は自己責任社会を国に頼らず生き抜くそんな社会像はすでに陳腐だ。
久保校長は「生き抜く」世の中ではなく「生き合う」世の中を提唱する。そうでなければコロナも気候危機も乗り越えることはできないという。1点、2点を追い求める教育ではない。27日に行われる全国学力調査も必要ないという。その通りだ、調査は数年に一度、抽出調査でいい。統計学的にそうだ。だが今の学力テストはすべての地域、学校を競わせ、競争社会を究極までもっていこうという社会改変のねらいでやられている。これを政治の道具にしているのが維新政治だ。学校と子どもがどれだけいじめられていることか。教育が変質する。
久保校長の文章からは子どもへの愛情があふれている。競争に打ち勝ったものだけを評価するような今の教育風潮に異を唱える。「子どもたちと一緒に学んだり、遊んだりする時間を楽しみたい。子どもたちに働きかけた結果は、数値による効果検証などではなく、子どもの反応として、直接肌で感じたいのだ。1点・2点を追い求めるのではなく」と。
松井市長は20日、記者を前に久保校長を批判した。「世の中いい人ばかりで、もっと競争することよりもみんながすべての人を許容して、そういう社会の中で子どもが生きていければそれは理想。校長だけれども現場をわかっていないというかね、社会人として外に出てきたことあるんかな。」ひどい言い方だ。松井氏のいうのは、どす黒い裏社会を知らないという意味なのか、社会の現実ということなのか。久保校長は子どもの姿を通して、苦しい家庭の現実をよく知り、競争の教育という現実から子どもの虐待、不登校、いじめ、自殺に心を痛めている。「提言」はこの現実から発して突きつけたものだ。
松井氏は「今の時代、子どもたちはすごいスピード感で競争する社会の中で生き抜いていかなければならない」という。だから当然、学校社会も人を出し抜いて競争を勝ち抜くことを訓練する場として設計されなければならない。競争の教育を批判する久保校長は許せないということになる。だが、日本の競争教育が子どもの不登校や生きづらさを生んでいるとして国連人権委員会から是正勧告を受けたことはずいぶん前のことだ。
久保校長の提言に全面的に賛成する。教育は久保氏の言うように是正されなければならない。是正というより元の姿に、教育本来の姿に戻さなければならない。