山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

小学校長の松井オンライン批判は親・子どもの願いと教育の条理に沿うもの

2021年05月21日 17時00分17秒 | Weblog
 淀川区の市立木川南小学校の久保敬校長が5月17日付けで松井大阪市長にあてて「大阪市教育行政への提言」を送った。ネットでも公開された。勇気ある発言だ。
 通信環境を整えないまま、松井市長がオンライン授業を行うとしたため「学校現場は混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている」と訴えている。テレビで紹介されるのは西区の本田小学校と港区磯路小学校だけだ。すべての学校がモデル校と同じではない。放映された磯路の児童の感想文も将来役立つかもしれないと留保付きの評価だ。久保校長は問題が見えていたから、木川南小学校では集団登校をし、朝から授業をした。オンラインはコロナ対策だというが給食は全員で摂るのだからコロナ対策としてはつじつまが合わない。
 久保校長は、オンラインを押しつけ対面授業を取り上げることへの批判だけでなく、今の日本と大阪の教育行政の根本をも問題視する。
 日本の教育行政を裏であやつっているのは日本経団連と経済同友会だ。経団連の文書を読むと経済財政政策や労働政策にとどまらず教育政策を詳細に書きこんでいる。財界にとって金もうけに直結する分野から20年、30年後の金もうけのために社会の構造変化を要求する、その一番の底にあるのが教育だ。その教育に手を突っ込む。それが「グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力」が財界の求める学力だ。だが、ここ5年、10年という短期間に地球環境危機がポイント・オブ・ノーリターンを迎える。灼熱地獄がすぐそこまで来ている。グローバル経済を日本が勝ち抜き、個人は自己責任社会を国に頼らず生き抜くそんな社会像はすでに陳腐だ。
 久保校長は「生き抜く」世の中ではなく「生き合う」世の中を提唱する。そうでなければコロナも気候危機も乗り越えることはできないという。1点、2点を追い求める教育ではない。27日に行われる全国学力調査も必要ないという。その通りだ、調査は数年に一度、抽出調査でいい。統計学的にそうだ。だが今の学力テストはすべての地域、学校を競わせ、競争社会を究極までもっていこうという社会改変のねらいでやられている。これを政治の道具にしているのが維新政治だ。学校と子どもがどれだけいじめられていることか。教育が変質する。
 久保校長の文章からは子どもへの愛情があふれている。競争に打ち勝ったものだけを評価するような今の教育風潮に異を唱える。「子どもたちと一緒に学んだり、遊んだりする時間を楽しみたい。子どもたちに働きかけた結果は、数値による効果検証などではなく、子どもの反応として、直接肌で感じたいのだ。1点・2点を追い求めるのではなく」と。
 松井市長は20日、記者を前に久保校長を批判した。「世の中いい人ばかりで、もっと競争することよりもみんながすべての人を許容して、そういう社会の中で子どもが生きていければそれは理想。校長だけれども現場をわかっていないというかね、社会人として外に出てきたことあるんかな。」ひどい言い方だ。松井氏のいうのは、どす黒い裏社会を知らないという意味なのか、社会の現実ということなのか。久保校長は子どもの姿を通して、苦しい家庭の現実をよく知り、競争の教育という現実から子どもの虐待、不登校、いじめ、自殺に心を痛めている。「提言」はこの現実から発して突きつけたものだ。
 松井氏は「今の時代、子どもたちはすごいスピード感で競争する社会の中で生き抜いていかなければならない」という。だから当然、学校社会も人を出し抜いて競争を勝ち抜くことを訓練する場として設計されなければならない。競争の教育を批判する久保校長は許せないということになる。だが、日本の競争教育が子どもの不登校や生きづらさを生んでいるとして国連人権委員会から是正勧告を受けたことはずいぶん前のことだ。
 久保校長の提言に全面的に賛成する。教育は久保氏の言うように是正されなければならない。是正というより元の姿に、教育本来の姿に戻さなければならない。


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民主主義を泥沼にぶち込んだリコール署名偽造、責任者たちを断罪せよ

2021年05月20日 15時01分54秒 | Weblog
 愛知県知事リコール署名偽造事件ので署名運動の事務局長の田中孝博と妻、次男、事務局員の4人が逮捕された。田中は日本維新の会愛知5区支部長・衆院候補(当時)だ。
 この田中容疑者の弁解は支離滅裂、とうてい信用できない。頭にタオルを巻いた田中が、指5本を使って偽造署名簿への指押印に励んでいた姿が目撃されている。同様に責任がある河村名古屋市長は、「(田中容疑者らに対する)監督責任はない」「私もちゃんと選挙で選ばれとる」と弁解した。平気で責任逃れをし、選挙で選ばれたら犯罪が帳消しなるというのだ。あきれた言い訳だ。
 田中を愛知5区支部長・衆院候補者にしていた維新の副代表の吉村大阪府知事は、「党として関与しているものではない」田中個人がやったことだといって責任逃れをしている。維新ほど多種多様な犯罪者を輩出している政党は他に例を見ない。だが党として責任をとったことはない。
 日本の民主主義をこれほど無残な姿にした犯罪を絶対にうやむやにしてはいけない。
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松井市長は教育に介入するな、害悪しかない

2021年05月19日 09時18分27秒 | Weblog
 大阪市の松井市長は5月17日、小中学校の授業を24日から復活すると発表した。ちょうど1カ月前はオンライン授業にするといって学校を混乱におとしいれた。緊急事態だからオンライン授業にするといったのに、緊急事態が続いているのにやめる。そこには保護者、教職員の不満、批判の爆発がある。それともうひとつ。5月27日の文科省の全国学力テストがおおきい。テストにそなえてにわかテスト対策をさせようというのだ。
 最悪だったのは独裁政治家安倍晋三の去年の全国一斉休校だが、松井オンラインはそれに次ぐものだ。子どもたちの学習習慣を崩し、学習の遅れをきたした弊害は大きい。なにしろ3時間目に登校し、4時軒目だけ授業、給食を食べて下校。あとはオンライン授業というが、モデル校とされた学校以外は全児童生徒が双方向で授業できるわけがない。通信容量が足りなくて、持ち回りの状態だった。つながったとしても、教育委員会のつくったビデオを流す程度。あとほとんどの時間はプリント学習だ。先生はプリントづくりで精一杯。3時間目はプリントの答え合わせ。対面授業をすればすべての時間が双方向だ。どうせ給食には全員揃うのだからコロナ対策は理由にならない。全員にタブレットを支給したから、ここでオンライン授業をぶちあげて、政治パフォーマンスをしようという思惑だったのだろう。去年の雨合羽を数十万枚集めた1周年記念だ。
 子どもの中には楽でいい、自由時間満載だと安きに流れる傾向もある。しかしある中学校では、校長がちゃんと登校するのとどっちがいいと生徒に問うと、大半の生徒が登校してちゃんと授業する方がいいと答えた。そこで、表向きはオンライン授業をやっていることにして、家庭の都合で登校したい生徒は学校に来てよいとなっているのを援用して、全生徒が朝から登校して、通常通りの対面授業に切りかえた学校もある。正しい判断だ。こどもの人格形成、学力伸張の観点からあたりまえのことだ。
 維新松井市長は、学校教育に介入する独裁ぶりがひどい。非教育的、反教育的なことを得意満面になってやる。コロナの菅首相のやり方でも専門家の意見を真に尊重することが求められる。教育は政治権力からの自立が法的に保障されてきたが、維新政治になってから、橋下以来あしざまにののしり、あれこれと指図してぐちゃぐちゃにした。教育委員会は教育の条理に反する介入には毅然とすべきなのだが、維新政治が長くつづいた結果、矜持も気概も亡くしているようだ。外部からの公然とした批判が大事だ。
 
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政府、入管法改定案を取り下げた、廃案に!世論の勝利

2021年05月17日 15時42分53秒 | Weblog
 今日(5月18日)、政府は入管法改定案を取り下げた。廃案となる。人権侵害法案に反対を続け世論を喚起してきた関係者に敬意を表したい。とりわけスリランカ人で入管施設内で事実上殺されたウィシュマさんの家族の努力が大きい影響を与えた。ウィシュマさんの取り扱いは戦前の治安維持法下の監獄と変わらないひどいものだった。病人が治療してほしいと訴えるのを、ウソをついている詐病だといって受けさせないのは虐待以外の何ものでもない。人が死ぬのを平然と監視していた、それが現代日本の国家の姿なのだ。その日本政府が国連の人権委員会の理事国だというのだからおどろく。
 昨日、ウィシュマさんの遺族が名古屋入管の佐野局長と面会し、死の経緯の説明を求めた。部屋の監視ビデオを開示を求めたのに対し、「保安上の理由」だといって拒否した。ウィシュマさんが死に至る姿そのものが入管の保安を揺るがすというのだ。保安を理由にするのは許せないと思うのだが、しかしこれは真実を語ってもいる。入管の人権侵害=人を死に追いやっても当然と考える、これが入管の保安なのだ。それをくつがえすビデオは見せられないのは権力犯罪の証拠だからだ。
 ウィシュマさんが囚われていた部屋の視察は遺族だけに認め、弁護士と国会議員には認めなかった。国会の国政調査権へのあからさまな敵対だ。ビデオは見せない、部屋の調査もさせないで法案審議だけはすすめよというのは、民主主義のかけらもない。国会審議の前提を欠いたまま強行採決に持ち込むことは、世界への恥さらしだ。
 このまま強行突破すれば、支持率急降下の菅内閣と与党の立場が崩壊に向かうことに気が付いたのだろう。ついに法案を取り下げた。もとより人権侵害推進法を国会に持ち出してくること自体がまちがいだ。去年の検察庁法改定案撤回に続く民主主義と世論の勝利だ。
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世界に恥をさらす日本の入管制度

2021年05月17日 14時03分11秒 | Weblog
 政府・与党が入管法改定案の強行採決をねらっている。難民申請を入管が2回却下すれば強制送還できる制度にするのだ。日本の難民認定率はなんと0・4%。この改定案に対し、国連人権理事会から再検討を求める書簡が届いているのに、政府は知らんぷりだ。日本は人権理事会の理事国だというのに、恥ずかしい限りだ。今はもう、日本は国連中心主義ということを言わない。いわなくなってもう長い。
 スリランカ人のウィシュマ・サンダマリさん遺族代理人弁護士の高橋済さんの解説(赤旗5月17日)が教えてくれる。ウィシュマさんが名古屋の入館施設で亡くなった=見殺しにされたのが3月。ウィシュマさんは嘔吐や吐血、食欲不振などで体重が20キロも減り幻聴もあって危険な状態だったにもかかわらず、医療措置を取ることもなく放置した。医師の仮放免の勧めも記録には載せなかった。森友事件の改竄と同じだ。ウィシュマさんの収容状況を撮影したビデオの開示も政府は拒否したままだ。ウィシュマさんの治療をの訴えを入管は「詐病」と決めつけていた。病状を観察すれば一目瞭然なのに。治安維持法下の監獄と同じではないか。
 2007年以降入管施設での死者は17人にのぼる。ウィシュマさんのように医療を受けさせず、放免を許さずに死に至らしめたのが17人だと。そもそも入管制度は司法手続きの外にあるかのような、入管庁が警察・検察・裁判所・刑務所を勝手に僭称しているようなシステムだ。根本的な民主化が必要だ。8月15日にポツダム宣言を受諾して降伏しても、なお10月に至るまで治安維持法を振りかざしていた旧権力の姿とおなじだ。
 日本がさまざまな指標で先進国で亡くなったことが明らかになっているが、一番肝心な人権において、21世紀の暗黒ともいうべき事態を隠したまま人権抑圧をさらにすすめようというのだから正気の沙汰ではない。


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大阪市は実体のないオンライン学習なるものをやめ、ちゃんと授業せよ

2021年05月11日 10時07分11秒 | Weblog
 大阪市は松井市長の思いつきで小中学生のオンライン学習を提唱し、1週間後の4月26日から実施している。しかし教育課程の編成権は校長にあるから、しっかりした学校ではいい加減な指示には従わず従来通りの対面授業をしている。大阪市以外の市では対面授業だ。雨合羽並みの思いつきで大阪市の子どもと親はふりまわされ、迷惑を受け、子どもの学習が遅れている。
 わたしの近所の小学生は、従来通り8時きっかりに各四辻に集まり集団登校している。孫の学校はオンラインで、親が面倒を見れない家庭の子は登校する。孫は登校組だが、全体は3時間目から給食までが全員がそろう。午後はまたオンライン。これの初日は何年も前から準備しているモデル校がなんども放映され、さもうまく勉強ができるのかと思わせたが、実態は全然ダメ。勉強は遅れっぱなし。はっきりいって、教えてもらわずのプリント学習に終わっている。容量の関係で全校・全員はもとから無理だというのだ。できた場合でも、出来合いの録画をみるという程度。
 先生はいるのだから、しかも給食中心に全員登校させるのだから、朝から5,6時間目まで対面授業すればいいのだ。何の不都合もない。オンライン授業でいい格好をしたいだけではないか。子ども、親のことを第一に考えない結果がこれだ。











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医療崩壊の大阪、救急車呼べど来ないまま死亡

2021年05月08日 10時11分23秒 | Weblog
 大阪の医療は崩壊している。だが吉村知事は医療崩壊を認めない。責任問題に直結するから。テレビで芸能をあつかう井上公造さんも強い調子で「医療崩壊だ」といった。
 自宅待機者=自宅療養者=自宅放置者が13650人(5月6日)、入院調整中3300人(5月5日)、死者はついに50人(5月7日)に達した。新しく導入された指標の入院率(感染者のうち入院できた割合)は10%だ。10人にひとりしか入院できていない。これをひっぱく、極度の逼迫?という認識ですませていいのか。9人を放置しているのに医療崩壊でないとはどういう神経か。
 吉村知事は、災害レベルの医療崩壊だと認めて、国に医師の派遣を求めているのか。求めていない。極度にひっ迫、すなわち極度に余裕がない状態だが、まだ崩れていないから、災害救援を求める段階ではないというのだろう。10人の患者の9人を放置して見得を切る場合ではない。テレビに出ることばかりに執着するのはやめろ。テレビ局は政治パフォーマンスの場を提供するな。
 昨日聞いたことだが、表には出ないが恐ろしい事態がすすんでいる。浪速区で5月6日、自宅で倒れた高齢者が救急車を呼んだが、何時間たっても救急車が来ないまま死亡したというケースがあった。コロナの救急車の行き場がないのは周知のこととなったが、そのあおりで、一般の救急患者が搬送してもらえない事態となっている。コロナ患者は集計されるが、それ以外の救急患者、重症患者への非人間的な扱いは表に出ない。大阪府はこれもきちんと集計せよ。




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