山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

新聞の選挙報道は公平にしろ

2009年08月24日 12時03分17秒 | Weblog
 新聞の選挙報道はあまりに偏っている。事実上、自民・民主の二大政党しかあつかわない。その他の政党については、まったくの付けたしだ。
 解散によって各政党の議席はゼロになった。何党が何議席とるかは選挙で決まる。それまではゼロであって、各党の扱いにおいて優劣をつけてはならない。これが民主主義の政治制度の根本原則だ。
 以下ような許されるか。公営掲示板を自民・民主にたくさん場所をわりあてる。テレビの政見放送において自民・民主にたくさん時間をわりあてる。選挙公報において自民・民主にたくさん紙面をわりあてる。こんなことが公職選挙法で認められないのは当たり前だ。
 新聞は選挙管理委員会が発行しているわけではない。だが、マニフェストの紹介報道、党首の発言や行動の報道、選挙運動の報道などで、各党を平等に扱うという観点のかけらもない。その差別的扱いには目に余るものがある。民主主義を標榜する新聞の使命は放棄したのか。新聞倫理綱領は忘れたのか。
 これを考える際にヒントになるのが、テレビでの政党討論会だ。NHKだけでなく各局でやっている。自民・民主だけを呼んでやるという不公平なものもあったが、選挙本番になってからは、各党を平等に呼び、均等に発言をさせるように配慮している。新聞も参加する日本記者クラブ主催の討論会も意義あるものだった。その運営方法はじつに公平なもので気持ちよかった。
 これに比べれば、新聞の日々の報道はあまりにひどい。90数%の完ぺきな2大政党制に持ちこむことをこの選挙を通じて実現しようとしている。もうこれは意図的政治運動である。多様な意見の尊重・交流が民主主義社会の基本だ。だがもう窒息寸前だ。
 選挙はまだ行われていない。ただちに公平な扱いをするよう新聞各紙に求める。
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最高裁裁判官の国民審査で×を

2009年08月24日 10時49分50秒 | Weblog
 総選挙では最高裁判所の裁判官の国民審査がおこなわれる。最高裁は全体として労働者・国民の権利を制限する、国家への従属をもとめる役割を果たしてきたので、私はいつも×をつけてきた。
 今日の新聞(朝日)に、今回国民審査にかけられる9人の裁判官の紹介記事があった。また、×印をつけようという意見広告も載っていた。住所によって選挙の1票に不平等があるのは憲法違反だと訴えた裁判で、1票の不平等を容認する判決をだした2人の裁判官に×をつけようというのだ。その2人は、那須弘平裁判官と涌井紀夫裁判官だ。
 もう一つ。先日、私も原告のひとりに加えてもらった自衛隊イラク派兵差止裁判(大阪)の原告弁護団長の辻公雄弁護士から、竹内行夫最高裁裁判官に×をつける運動についての知らせが届いた。竹内行夫裁判官は外務省事務次官から最高裁裁判官に就任した人物だ。竹内氏は、国際法違反のイラク侵略戦争に際して自衛隊派兵を率先賛同した。国際法違反の戦争に手を貸した人物が法の番人だというのは、成り立たない。当然、国民審査で罷免すべきだ。
 最高裁裁判官は内閣が任命する権限を持っているから、自民党政府によって意のままにあやつられてきた。本来、抑制的であるべきなのだが、権力を持つと押さえがきかないのだろう。
 今回の総選挙で自公政権は国民の審判で退場することは確実だ。同時に国民審査においても、わからないから白紙で出す=信任するということはやめて、きちんと批判したいものだ。
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箕面川にオイカワがもどった?

2009年08月19日 09時20分23秒 | Weblog
 山元たけしさんのブログに石橋の近くを流れている箕面川にオイカワがもどったという報告があった。20年前にはいつも橋のうえから群れ泳ぐ姿を見ることができたのに、今年、久しぶりに見ると、4月以後一度もみかけなかった。環境破壊によるのかと思うが、とにかく支流から入ってきたようだ。一安心だ。
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追悼 金大中氏

2009年08月19日 00時14分25秒 | Weblog
 金大中元大統領が、8月18日、亡くなった。85歳。金大中さんは同時代の人という感覚があるので、年齢をみて高齢におどろく。民主化をたたかった苦難の末に、大統領になったのが、1997年だから、高齢のはずだ。
 同時代の人という感覚は、私の世代にとって、金大中さんが東京のホテルで拉致された事件から民主化をなし遂げ、大統領として活躍した時代が、生きた時代と重なるところからくる。重ねるには、彼は偉大すぎるが。
 私にとって、拉致事件の1973年は思いのつまった年だ。事件のことを記憶で書くと、次のようなことだ。白昼、大統領候補がぐるぐるまきにされ、車のトランクにいれられ5,6時間も走って、ある港から小型の船で沖合いに出されて海に沈められる寸前に、米軍のヘリコプターから殺すなとの指示が船に伝えられた。彼が発見されたのは韓国の家だった。拉致犯人の1人は在日韓国大使館の1等書記官の金東雲だった。エレベーターに指紋がついていた。軍事独裁政権の犯行であることは明白だった。日本政府は証拠をのこしている犯人を逮捕し、韓国政府の責任を問い、原状回復を要求する、すなわち金大中氏を東京のホテルに戻させることを厳しく求めるべきなのに、軍事政権と気脈を通じ、犯人逮捕・責任追求・原状回復をついにしないまま、彼の死を迎えた。金大中氏にとって、以後も生命をかけた闘いの連続だった。
 私は、彼の政治活動のなかでひとつだけ同意できない点がある。それは大統領になって、アジア金融危機のとき、金融支援のかわりに、IMF=アメリカの介入を受け入れ新自由主義的な経済政策を全面的に取り入れたことだ。その結果、日本より早いスピードで非正規労働の蔓延する社会になってしまった。この点は同意できないけれども、私は金大中氏の民主主義のためにたたかった生涯を尊敬し、讃える。日本の自民党の権力者に金大中氏に匹敵する人物はいるだろうか。ひとりもいない。逆に、朝鮮の植民地化・アジア侵略の戦争犯罪人が戦後も首相になり、その流れをひく人々が政権についている。ドイツ政府はドイツ人のレジスタンスの人々を顕彰しているが、日本では戦争に反対して殺された共産党員などは、治安維持法による罪をきせられたまま、平和の戦士として顕彰どころが、名誉回復もされていない。韓国では、軍事政権とは絶縁し、民主化をなしとげた。日本では侵略を反省せず戦争に郷愁を抱く人々が日本の保守政界を席巻している。民主化は未完の課題だ。民主党が政権をとってこの課題ができるか注目したい。財界奉仕・アメリカ追随の問題とともに戦争勢力と絶縁することが課題だ。
 1973年が忘れられない年なのは、金大中拉致事件とともに、南米チリの9・11クーデタがあったからだ。アメリカCIAのさしがねで起こされたクーデタによって、アジェンデ大統領を首班とする人民連合政権が転覆された。2001年の9・11でブッシュ大統領は、これは戦争だと叫んだが、9・11の元祖は、アメリカが仕組んだチリの民主的政府転覆のクーデタなのだ。
 話が広がったが、金大中氏の追悼の気持ちからでているということで許してもらいたい。
 
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『幻想の道州制 道州制は地方分権改革か』を読む

2009年08月16日 18時18分20秒 | Weblog
 加茂利男・岡田知弘・鶴田廣巳・角田英昭編著『幻想の道州制 道州制は地方分権改革か』(自治体研究社、2009年2月発行)を帰省のゆきかえりに読んだ。
 前から、道州制について書いた本を読みたいと思っていた。ほかに優先して読むべき本がいろいろあるが、帰省がいい機会だった。これは、確か『日本の科学者』の書評欄で紹介されていたのではないかと思う。
 道州制は、現在の都道府県制を廃止して、9~11程度の道州をおき、市町村もさらに半分に減らすという大改造だ。自民党、日本経団連、そして内閣府がそれぞれ案をまとめている。
 経団連は、道州制を「究極の構造改革」だといっている。ここに本質がある。小泉構造改革、いや橋本6大改革以来すすめられてきた、国民には自己責任を求め、弱肉強食の世の中に根本的に転換する新自由主義改革の総仕上げが道州制だというのだ。小泉構造改革以後の7年で社会がガタガタになったのをさらにすすめ、それを総仕上げしようと狙っているのだ。
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宇都宮健児弁護士の発言

2009年08月16日 17時42分39秒 | Weblog
 今日の『しんぶん赤旗』の1面「発言09」欄に、反貧困ネットワーク代表の宇都宮健児弁護士の発言があった。最も尊敬する弁護士、弱者のために日々奮闘する宇都宮弁護士の発言なので、ここでそのまま紹介したい。

 前回の総選挙以来の4年間、確実に日本社会の貧困化がすすみました。今回の選挙で問われるのは、その総括です。
 確かに、昨秋以降、急激に景気が下降しました。しかし、それ以前は「戦後最長の景気拡大」といわれていたわけです。ワーキングプアの拡大、ネットカフェ難民、毎年3万人を超える自殺者など、みんな、その中で起きたことです、「経済成長すれば国民も豊かになる」という政策ではダメなんだ、ということです。
 「規制緩和」とか、何でも「官から民へ」という「構造改革」の結果、国民生活はボロボロになりました。
 そういう政策の根源は、経済財政諮問会議とか規制改革会議ではないでしょうか。ここには労働者や社会的弱者、経済的弱者の代表はいませんね。日本経団連会長はじめ財界人が参加し、その意向で政策が決まっているんです。
 財界が今回の不況で何をしているかといえば、トヨタやキャノンなど、自分の会社で働く人の雇用すら守らず、真っ先に首を切っている。
 年の瀬に、労働者を路頭に放り出して恥じない。目先の利益しか考えない。国全体のあり方、国民全体が暮らしやすい社会、そういうことを考える資格もモラルもない人たちが、日本の中心にいて政策を決めていること自体が、およそダメなんです。
 こうした総括をすれば、必然的に自公政権は退場ということになるでしょうが、政権が代わるだけではダメですね。その後、どういう施策がされるか、監視し、要求をぶつけていかなければならないと思っています。
 その点では日本共産党の役割は重要だと思っていますし、重要な役割を果たせるような選挙結果を望んでいます。民主党だけで多数を占めると、市民の声を聞かなくてすむようになりますから、危険性があるんです。
 政党が民意に沿うという意味では、選挙制度は全部、比例代表にすべきだと思います。比例定数の削減というのはとんでもない。ファシズムになってしまいます。
 新しい国の形として望むのは、貧困に立ち向かう政治、だれもが人間らしく暮らせる社会です。反貧困ネットワークでは、国が貧困率を測定し、削減目標を立てて包括的な対策をとることを強く求めています。日本は1965年以来、調べてもいないんです。
 GNP(国民総生産)といった経済指標だけでは、国の健全さを表わせない。安心して暮らせる社会の指標として貧困率という指標を持つべきです。それは、貧困削減に取り組む政治的な意思を示すものなのです。
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帰省、墓参、アブラゼミ、山鳩

2009年08月15日 22時16分22秒 | Weblog
 田舎(石川県小松市)に帰省した。両親の墓参りをした。
 大阪との違いで気付いたのは、セミはジージーと鳴くアブラゼミだけだった。大阪はジージーとシーシーの中間の鳴き方のクマゼミが席巻している。型もクマゼミは大きい。
 大阪の街なかでよく見かける山鳩(キジバト)の声を田舎では聞くことができなかった。子供の頃、雨になるとヤマバトが鳴いた。なぜ雨が降るとテテッポッポーと鳴くのかという話を母からくり返し聞いた。その話は、以下のようなものだ。
 山鳩のテテッポッポーは親に反抗ばかりしていて、親がこうしなさいというと逆のことをして、親を困らせてばかりいた。そういう子どもなので、親は自分が死ぬ前に、死んだら墓を砂浜に建てて欲しいと子どもに言い残した。しかし、親は山に住んでいたので、本当は山に墓を建てて欲しかったのだが、山に、というときっと浜に建てるであろうと思って、親は浜に建てて欲しいと言い残した。だが、子どもは親が死んだ時くらいは、言うことをきこうと思い、いわれたとおり、砂浜に墓を建てた。ところが、浜に建てたために、雨が降り海が荒れるような日には、墓が波に洗われそうにる。それからテテッポッポーは雨が降ると親のことを思って、テテッポッポーと鳴くようになった。
 このような話だ。田舎では、雨も降ったのに、テテッポッポーは鳴かなかった。逆に、大阪では、私の住む市岡の零細工場地帯でも、山鳩はつがいでコンクリートの路地を歩き、声がする方向を見上げれば、電線につかまり低い声で鳴いている。完全に都会に住み着いている。いつの頃から、山鳩は都会に出てきたのだろうか。私たちが、出てきたのにすこし遅れて出てきたのだろうか。
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支持表明する、するといいましたか、やっぱりする

2009年08月12日 10時19分00秒 | Weblog
 橋下知事は何ヶ月も総選挙で支持政党の表明をするといい続けてきたが、民主党のマニフェストに自分の意見が採用されなかったので、7月29日、表明しないと態度をかえた。記者につっこまれると、そんなこといいましたかあ、みたいな無責任な言葉でごまかした。記者もいいかげんだから、そこで追及はおしまいなのだが。
 ところが民主党が橋下知事の不満に気を使ってマニフェストにとりいれ、また小沢氏と話し合わせるなどした結果、昨日(8月11日)の民主党支持表明となったのだ。だが、自民党に配慮して、民主党のマイクを握ることまではしないと言っている。
 こけにされたのが自民党だ。橋下氏のいうとおりマニフェストに入れたのに、本気でないと捨てられた。知事候補として抜擢し、与党として支えてきたのに、これでは自民党の怒りは収まらないだろう。マイクを握らなくても、新聞テレビで大宣伝されるのだから、重大だ。信義を重んじる、あるいは義理を大切にするということは橋下さんには縁のない世界だ。やがて自民党関係者と懇談する場面もあるだろう。そのときは橋下さん、いつものように、その時その時の口先三寸できりぬけるのだろう。
 
 
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『それでも日本人は戦争を選んだ』を読む

2009年08月11日 08時30分02秒 | Weblog
 発行されたばかりの、加藤陽子『それでも日本人は戦争を選んだ』(朝日出版社、2009・7・30発行)を読んだ。読む前から一抹の不安があった。それは、同じく加藤さんの岩波新書『シリーズ日本近現代史⑤満州事変から日中戦争へ』を読んだ時に抱いた違和感をふたたび味わうのではないかという思いからきていた。
 加藤さんは東大教授で、1930年代を主に探求している第一線の研究者だ。政策の決定過程について新資料を駆使しながら新しい境地を開いてきている。だが、岩波新書のときに思ったのだが、戦争犠牲者のことを柱に据えて戦争の全体像を描くという研究姿勢でないことからくる違和感と不満が残った。戦争指導者の政策決定についての研究論文ならば何の違和感もないのだが、日本近現代史の通史の中の一冊なのだから期待を裏切られた。南京大虐殺についても、南京事件があったという程度で、日中戦争の叙述では避けて通れない重い問題を完全にパスしていた。南京をパスしつつ政策決定過程に叙述が集中する。
 こんどの本は、ある高校で集中講義をした内容をまとめたもので、本のカバーには「日本近現代史の最前線」と銘打っている。構成は、序章「日本近現代史を考える」、1章「日清戦争・侵略被侵略では見えてこないもの」、2章「日露戦争・朝鮮か満州か、それが問題」、3章「第1次世界大戦・日本が抱いた主観的な挫折」、4章「満州事変と日中戦争・日本切腹、中国介錯論」、5章「太平洋戦争・戦死者の死に場所を教えられなかった国」である。
 日露戦争においては、私は、朝鮮の植民地化と一体の叙述でなければいけないと思うのだが、そうではない。日露戦争だけでなく、日本の近現代史において、朝鮮の植民地支配の問題は、真正面にすえなければならない課題である。当時、社会主義をとなえる人間でも、植民地支配には甘い態度をとる者が多くいたのだから。
 この本では、日露戦争、第1次世界大戦の叙述の柱に、日本の戦略的安全保障というものを据える。「日露戦争への過程を見ると、再び、朝鮮半島の問題が日本にとって悩ましい、島国としての安全保障観をゆるがす問題となって迫ってくることがわかります。朝鮮半島を第三国に占領されないようにせよという、シュタイン先生の警告が、ロシアとの関係で再び問題となってくる。これが今日のお話のいちばん大きなテーマです」(143~4p)。「ロシア側の史料や日本側の史料、これが公開されて明らかになったところでは、どうも、やはり朝鮮半島、韓半島のことですが、その戦略的な安全保障の観点から、日本はロシアと戦ったという説明ができそうです。・・・戦争を避けようとしていたのはむしろ日本で、戦争を、より積極的に訴えたのはロシアだという結論になりそうです」(166p)。
 私が抱いた違和感は、第1次世界大戦の章でさらに膨らんだ。「日本が一貫して追求したもの」という小見出しで「日本が獲得した植民地を考えてみると、ほぼ安全保障上の利益に合致する場所といえますね。台湾…向かいに中国の福建省があり…海上輸送を考えたときに重要ですね。また朝鮮半島と日本の間の海峡は朝鮮海峡で、これはもうシュタイン先生直伝の重要ポイントです」(192p)。ヨーロッパの戦争である第1次大戦に、日英同盟を根拠にむりやり参戦した日本。ドイツがもっていた山東半島の権益と南洋諸島の植民地を横取りするために。だがこれも、日本の安全保障上の利益という観点から位置づける。「太平洋の島々が戦略的に重要な場所であり、それを日本は戦争の勃発とともに占領した。ここまではいいですね。とすると中国の青島を占領するというのは、戦略的にいえばなぜでしょうね。…陸軍は、ドイツ領である青島を攻略します。このとき日本側は、ドイツが敷設した膠済線(こうさいせん)(青島ー済南)という鉄道を占領する。…それでは、このとき日本が山東半島の鉄道を自分のものにしなければならないと考えた理由はなんでしょう。陸軍などは、どのような安全保障上の理由でこの鉄道を欲したのか。……日本は中国になにかあった場合、山東半島の南側の付け根にある膠州湾や青島などに上陸して、そのあとは鉄道で西に進んで、軍隊をバーッと済南まで運んでしまえば、中国の鉄道で天津、北京というルートで北京まですぐ北上できる。それ以前の日本が北京に達するためには、まずは朝鮮半島の仁川に上陸し…というルートをたどるしかなかった」(201~205p)。日中戦争の章でも戦争の犠牲者のことが研究の柱になっていない。南京の文字も出てこない。
 太平洋戦争の章では、戦略的安全保障という観点での叙述はない。戦争をしないこと以外に安全保障はなかったのだから。この章では戦争犠牲者のことが正面にすえられる。だから違和感がなかった。
 あとがきでは、「本屋さんに行きますと、『大嘘』『二度と誤らないための』云々といった刺激的な言葉を書名に冠した近現代史の読み物が積まれているのを目にします。地理的にも歴史的にも日本と関係の深い中国や韓国と日本の関係を論じたものにこのような刺激的な惹句のものが少なくありません。しかし、このような本を読み一時的に溜飲を下げても、結局のところ『あの戦争はなんだったのか』式の本に手を伸ばし続けることになりそうです。なぜそうなるかといえば、一つには、そのような本では戦争の実態をえぐる『問い』が適切に設定されていないからであり、二つには、そのような本では史料とその史料が含む潜在的な情報すべてに対する公平な解釈がなされていないからです。これでは、過去の戦争を理解しえたという本当の充足感やカタルシスが結局のところ得られないので、同じような本を何度も何度も読むことになるのです。」(407p)という一節がある。太平洋戦争の章とこのあとがきで少し心が落ち着いた。
 加藤さんには、太平洋戦争の章の観点で近現代の戦争の歴史を書き下ろして欲しいと願う。
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放送の倫理違反・知事の倫理違反

2009年08月09日 09時43分18秒 | Weblog
 09・8・8の『朝日』に放送人権委員会がTBSの08・10・19の「サンデー・ジャポン」に放送倫理違反があったとして、しかるべき措置を勧告したとの記事がのった。大阪府が道路建設のために保育園のイも畑を強制収用したときに、園児が並んで抗議しているようにみえる映像を流した。保育園は幼児を政治的に利用したと問題にされた。だがその映像は前日に撮ったもので、強制執行の当日は、たまたま登園途中におばあさんにつれられて立ち寄った園児がひとりいただけだった。この件では、右翼の人々が大騒ぎをした。幼児を政治に利用する保育園、理事は9条の会にかかわっているけしからんやつ、などとヒステリー状態だった。TBSは園児が並んだ映像を重ね合わせて全国放送したが、そうではなくひとりだけ写った大阪のローカルニュースもあった。サンデージャポンは11月2日訂正謝罪した。でも園の名誉は相当傷つけられた。マスメディアの力、影響力はとてつもなく大きい。放送倫理委員会に訴えたのは正しい。
 この強制執行のあと、その責任者橋下知事は、テレビに向かって、園児を政治利用するのは一番卑劣な大人だなどと攻撃した。だが、園は園児を政治利用などいっさいしてないことがすぐ証明された。第一、知事の部下が大量にイも畑にいたのだから、園児が整列して抗議行動をしたなどというのはまったくのウソだというのはわかっていたはずだ。TBSは訂正謝罪したが、橋下知事はしないままだ。
 放送倫理委員会は厳しい勧告をした。当然だ。だが知事の倫理は放置されたままだ。知事は、この事件のころ、「知事は責任をとるが、教員は責任をとらない」と教員攻撃もしていた。だが、知事は、いまだに責任をとっていない。(この件では、昨年10月、11月に書いているので、参考にしていただきたい。)
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夏の研究会

2009年08月05日 23時22分42秒 | Weblog
 7月30日から8月1日まで3日間、六甲山で全国民主主義教育研究会の第40回大会に参加した。主に社会科の教職員の研究会だ。でも「自立と連帯」「民主主義思想」という分科会を設けているように単に教科の研究だけを目標にしているのではない。小学校の先生もいる。一般市民もいる。人数はそう多くはないが、質の高さでは他の会にひけはとらない。
 今度の大会では、「北野定時制72年の歴史から見る日本現代史」というテーマで、主にアジア太平洋戦争下の北野夜間中学のことを特別報告という形で発表させていただいた。満足するというより、新たな課題を与えられ、これからさらに勉強しなければという思いを新たにした。
 古くからの友人にも再会し、教え子も聞きにくれてとてもうれしかった。社会科にかかわる多くのみなさんの参加を期待したい。ホームページも開いている。機関誌として「民主主義教育21」を発行している。とても分厚い本だ。本屋にある。なければ注文を。
 民主主義についてのこころざしの高さでは自信をもっておすすめできる研究会だ。今の時代にこそふさわしい。一度のぞいて欲しい。
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合宿で真っ赤に日焼け

2009年08月05日 23時01分05秒 | Weblog
 今年、全日制に転勤し、野球部の顧問になった。顧問といっても監督をしている先生の添え物のような存在であまり役に立っていない。
 8月2日早朝に出発して、今日5日夜帰ってきた。全員元気で何よりだった。私は、3日の梅雨明け以後のカンカン照りで、顔はのつるつるの赤茶色、腕はタラコのようになった。唇も腫れてしまった。しょうがない。
 監督の先生は4つの試合と長時間の練習で疲労困憊だと思いきや、「いや、好きですから」といたって元気だ。学校現場は、このような先生に支えられている。もちろん、別のいろんなタイプの先生が学校を担っている。思うに、現在の学校は、社会がかかえるさまざまな課題を抱え込んでいる。また抱え込まされている。学校はそれに全面的に応えようとまじめに対応している。ヨーロッパ・アメリカ的な学校観からはありえないことだが、日本ではそうだ。それでも学校は非難されている。親から非難されるのは我慢して聞くが、上司が実情も知らずに罵倒するのだけは我慢ならない。とくに教育予算を20%も削って罵倒するのは許せない。罵倒するのは、20%予算を削るという政治目的を達するための手法なのだが、同時に本心からそう思っていることもほぼ確かなので、大阪の教職員の怒りは収まらない。
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かってに道州制推進すべきでない

2009年08月01日 23時53分10秒 | Weblog
 自民党が道州制をマニフェストにかかげたことで、兵庫県の井戸知事と福井県の西川知事が自民党に対して「道州制の議論は慎重にしてほしい」と要望をした。
 これに対し、橋下大阪府知事が、「反対のためだけの反対。反対ばかりでは何も進まない。非常に無責任」と非難した(『朝日』7月31日夕刊)。道州制の実像が明確でないと懸念する井戸知事に対し「非常に行政的な考え方。まずゴールを決めて、中身は後で詰める政治的手法じゃないと改革はできない」「戦略性がまったく見えない」ともいった。
 道州制は財界要求であることは事実だ。地方の住民から道州制を要求する運動は聞いたことがない。関西財界の要望をうけて橋下知事が勝手に知事の座を利用して、政治運動をしているだけだ。府議会で決まってもいない。勝手なことをやめてもらいたい。市町村合併を推進によって、多くの町村が疲弊し、荒廃したという悲しい現実がある。これを知っている地方住民は道州制には賛成しないだろう。自民党の知事であっても、道州制は地方の中でランクがつき、打ち捨てられる県や市町村が取り返しのつかない事態に陥ることはあきらかだ。保守政治家でもそれはわなるはずだ。関西州をつくれば大阪が中心になる。和歌山はじめ大阪からみて周辺部、兵庫でも日本海側や但馬地方などはワリをくうことは見に見えている。
 橋下氏は知事選挙で道州制なんか訴えていなかった。関西財界の要請をうけてやりはじめた。「非常に無責任」と井戸知事らを非難しているが、何が無責任なのかさっぱりわからない。道州制は保守系の知事ならやるのが当然と考えているのだろう。戦略性というが、だれにとっての戦略なのか。住民にとってより近いのが自治の理想の姿だ。道州制は地方分権といいながら、住民には手の届かないものになる。大声で、恫喝すればうまくいくという、いつもの手法はつうじないことをやがて知ることになるだろう。
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