山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

森友・加計・桜を不問にする自民4候補。安倍政治から一歩も出ない

2021年09月29日 15時43分16秒 | Weblog
 岸田文雄氏が自民党新総裁に決まった。その前々日、「『桜を見る会』を追求する法律家の会」が総裁選4候補と各党代表に送った公開質問状の回答を公表した。岸田文雄、高市早苗氏は無回答、河野太郎氏はなんと質問状自体を受け取り拒否。野田聖子氏は「丁寧に説明すべき」と回答。
 森友・加計・桜は安倍政治のシンボルであり行き着いた結果だ。近代民主政治の基本原則である立憲主義破壊で集団的自衛権行使に踏み込み、強権政治の道をつきすすんだ。そして平気で、政治と税の私物化をした。それをどうするのかj問われて逃げる、拒否するという体たらくだ。
 共産党志位委員長、立憲民主党枝野幸男代表、社民党福島瑞穂党首、れいわ新選組山本太郎代表は徹底究明を表明した。公明党山口那津男代表は「見守る」、維新の松井一郎代表と国民民主党の玉木雄一郎代表は無回答だ。
 安倍政治の本質への見解を問う質問にどういう態度を示すかはこれからの政治の、総選挙のリトマス試験紙だ。
 もうひとつ。辺野古新基地建設の埋め立てで、軟弱地盤ゆえの設計変更申請に伴う沖縄戦犠牲者の遺骨を含む土砂使用計画に対し、遺骨収集団体「ガマフヤー」が総裁選4候補と各党に送った公開質問状への態度がそれぞれの質の見極めになる。
 総裁選4候補は無回答。日本共産党、立憲民主党、社民党、れいわ新選組の野党4党は計画に反対の回答。国民民主党、日本維新の会は無回答。公明党は与党として計画を立てたのに、変更申請が認められれば国に説明を求めるというのだ。アベスガ政治がどれだけ沖縄を痛め続けてきたか。菅氏が官房長官として「粛々と」といってすすめてきたその鉄面皮を忘れることができない。
 自民4氏は、安倍菅政治の重要閣僚として、党の幹部としてその中枢にいたのだから何も変わるはずがない。もし変えるというなら懺悔をした後でないと信用できるものではない。

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自民党内の選挙を国民的行事に祭り上げて世論を誘導する

2021年09月26日 22時43分01秒 | Weblog
 9月29日自民党総裁選挙が行われる。9月3日に菅首相が政権投げ出しを表明したことに伴う党内選挙が行われる。
 その選挙は党内規定に従ってしっかり実行すればいいだけだ。問題は、国民的大行事であるかのようにマスコミが大騒動に仕立て上げていることだ。今の国会議員の体制の下では、次期自民党総裁は国会において次の総理大臣に選任されることは事実だ。だが次の総選挙で自民党総裁が総理大臣になるということは予定された事実ではない。
 この20日余りのテレビの異常は過去の記憶にない。4人の候補者それぞれの個人のプロフィールに始まって、にわか作りの政策らしきものがさも素晴らしいかのように持ち上げられる。しかも、かつて主張していた内容が安倍前首相への忖度から別物に置き換えられる。噴飯ものとしかいいようがない。コロナ禍の対策でも野党がくりかえし求めてきた対策を持ち出したりするが、それなら、一番必要だった時期に何故主張し実行してこなかったのか。アベスガ強権政治のシンボルの森友・桜・日本学術会議への反省と是正の意志表明はいっさいない。これではアベスガ政治そのものではないか。この20日あまりのテレビ騒動は、何か新しい政治が生まれるかの幻想を作り出す世論操作でしかなかった。もとよりアベスガ政治の下でぬくぬくとしてきた候補者たちのお祭り騒ぎで何か新しい民主政治が生まれると妄想するのはあまりにもお人よしだ。
 ここで放送法に立ち返って、テレビの一連の姿勢を検証しなければならない。放送法第4条では、政治的に公平であること、報道は事実を曲げないことが定められている。公平ということは自民党内の4人の候補者を公平に扱うことではない。この総裁選は菅氏の辞職表明に伴うもので総選挙に直結するものだ。現時点ではちょうど1か月後に衆院選の公示となる。
 この20日余り、総裁候補の家庭内の事情にまで立ち入って紹介して好印象を引くように仕組まれた番組、個々人の政策がさも素晴らしいもののようにしつらえる。しかも許せないのはその政策への批判が一切ないことだ。これほど政治的な問題にもかかわらず、公然とした批判の場面が設定されないことが意図的だ。反体政党の側からの批判、討論がない政策などほとんど漫画としかいいようがない。批判にさらされない政治ほどいかがわしいものはない。そんな場面設定をしているテレビ局は政治報道をする資格がない。
 だが問題は生易しくはない。すべてのテレビ局で、毎日、アベスガ強権政治への検証はいっさいなしに、自民党政治持ち上げのお祭り騒ぎを続けてきた結果、自民党支持率は10ポイントも上がった。10ポイントは1000万票に相当する。
 いや、もとより政治報道などしているつもりはないというだろう。そのとおりだ。やっているのは政局報道だけだ。政治的には無意味のというより悪質な政治的意図を持った自民党持ち上げの政局報道だ。これだから日本のテレビ、そして同等の新聞もジャーナリズムとしての資質が問われる。
 暗澹とした気持ちになる。テレビ局への批判を集中しよう。総裁が決まれば総選挙に事実上突入する。自民党持ち上げなどふざけたことを許さない批判をテレビ局に収集する必要がある。

 
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山添参院議員、10か月もたって軽犯罪で書類送検

2021年09月20日 22時56分52秒 | Weblog
 共産党の山添拓参院議員が埼玉県長瀞町の秩父鉄道の線路を横断したことで、埼玉県警によって9月16日、書類送検された。軽犯罪法違反。山添氏によると、ことは何と10か月前の昨年11月3日。鉄道撮影のため、秩父鉄道を横断した。その間たった1秒。列車がいないことはもちろんだ。写真で見ると、山添氏が横断したところは、地域住民が生活の利便のために線路を横断しやすいようにコンクリートを敷いて、簡易横断道路となっている。単線だからまさに1秒で渡れる。山添さんも生活道路の一部と誤解したというのは十分理解できる。地域住民が日常的に利用している生活道路なのだ。
 ところが山添氏が撮影をして帰ろうとしたところ、警察官がぬっと現れ、軽犯罪法違反だと告げたというのだ。日々、生活のために横断している人々は違反ではないのか。法律違反行為で、危険だ、他人の土地を横断したらいかんというなら、渡ろうとするときに、渡ったらだめですよと注意するのが筋だろう。それが警察の仕事だろう。
 だが警察は、隠れて観察していて、帰ろうとするときに姿を現して違法を告げた。卑怯というしかない。防止する意識はゼロ、逆に違法な横断をするのを待ちに待って、やった~とばかりに姿を現したのだ。もし教員が児童生徒の未熟な逸脱行為を未然に食い止めようとするのではなく、隠れて観察していて、逸脱行為をしてしまった後に、なにしたんやとばかりに生徒をつるし上げるのにそっくりだ。もしそんな教員がいたとしたら即刻、懲戒処分にかけなければならない。警官でもそうだろう。
 地域住民はとがめないのに、共産党議員だから狙い撃ちにする。なんともいいようがない気持ち悪さ、公明正大さのかけらもないいやらしい動き。ときあたかも、警察庁長官に中村格氏が就任した時と重なる。中村氏といえば、安倍前首相のちょうちん持ち山口敬之が伊藤詩織さんに性暴力を働いたことで逮捕状が出ていたのを握りつぶした人物だ。安倍菅政権の人事のシンボル的なケースだ。気に入らない学術会議委員は理由も示さず任命拒否、忠実な番犬は最高のポストにつける。9月14日の閣議決定だ。
 埼玉県警はたまたま秩父の現場に遭遇したのではない。共産党議員の趣味まで調べ上げて、鉄道撮影に山添さんが出かけるまで尾行の日々を費やして、ついにというかやっと、住民が作った簡易歩道を通行する現場をとらえた。全体の仕掛けは公安調査庁がつくり、現場は秩父なので埼玉の警官が配置されて網にかかるのを待ったのだろう。前川喜平さんの場合でも少女買春行為をするに違いないと膨大な人数を投入して網を張って、陥れようとした。しかし前川さんは買春などしていないからその謀略ぶりが逆にあらわになった。
 八代国際弁護士が、共産党は綱領に暴力革命と書いていると選挙直前にデマを流して選挙妨害行動に出たのとも実に時期的に符合している。選挙が近づいた今まで、膨大な人数と金を投入して手に入れたものを温めた末に、いまこそチャンスとばかりに持ち出したのだろう。実にどす黒い芝居だ。
 鉄道横断が危険なら、注意するのが警察の仕事だ。埼玉県警は現場に「危険なので横断しないでください」という看板をだしたのかどうか知りたい。10か月もあったのだからきっとあると思うのだが。警察の主任務が共産党の活動に打撃を与えることでなく、国民の安全にあることを願う。日々目にする警官は暑い中、市民の安全のために頑張っているのを思うと、こんなやり口には暗然とする。
 山添議員は、11月3日、任意同行に応じた。渡ってはいけない場所という指摘には素直に従い事情説明し、反省も表明して上申書を出した。書類送検に当たっても事実を明らかにし、軽率な行為を反省し、二度とこのようなことのないようにすると表明している。
 










 



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八代英輝弁護士誤り認めず、確信犯

2021年09月16日 10時36分03秒 | Weblog
 TBSの「ひるおび」でコメンテーターの八代英輝弁護士が野党共通政策に絡んで、「共産党は暴力的な革命というのを党の要綱として廃棄していませんから、よくそういうところと組もうという話になるな」と発言した。普通の市民ならこんなデマをいうはずもないし、もつかない。政権寄りの田崎史郎氏ならいうだろうか。決していわない。
 共産党はTBSと八代氏に抗議し、撤回謝罪を求めた。多くの識者も抗議の声をあげた。TBSは13日、「日本共産党の綱領にそのようなこと(暴力革命)は書かれていませんでした。訂正しておわびします」と謝罪した。
 しかし八代氏は「私の認識は閣議決定された政府見解にもとづいたもの」で「一方、日本共産党はそれをたびたび否定していることも併せて申しあげるべきでした。申し訳ありませんでした。」「今後はより正確に、バランスに配慮し、言葉に責任をもっていきたい」と述べ、綱領に書かれていないとはついにいわなかった。 
 八代氏は、「共産党は綱領に暴力革命を書いていてそれを廃棄していない、そんなところとよく組むな」といったのだ。綱領に書いていたのかいないのか肝心の点に触れない。実にずるい。悪質だ。閣議決定に沿って発言したというが、その閣議決定でさえも綱領に書かれているとはいっていないのだ。八代氏は導きの閣議決定さえ飛び越えて綱領に書いてあると断定した。そして共産党はたびたび否定しているからそれも申し添えるべきでした、すいません、でことを済まそうというのだ。とんでもない。TBSと同様、綱領に書いてあるかどうか一度読んで、答えろ。検索すれば一瞬で綱領はでてくる。





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八代英輝・国際弁護士コメンテータ、反共フェイクをテレビで振りまく

2021年09月11日 10時17分31秒 | Weblog
 国際弁護士でもある八代英輝コメンテーターが、TBSの昼の番組で反共フェイクを振りまいた。野党共闘が話題になったときに、八代氏は「共産党は暴力的な革命というのを、党の要綱として廃棄してませんから。よくそういうところと組もうという話になるな」とのべた。
 この人物、元裁判官でもある。基礎的な教養と人格を疑う。党の要綱とはいったい何?綱領のことか。暴力革命を綱領で掲げているというのだが、何を見てそんなことをいっているのか。これではフェイクコメンテーターだ。
 今度の総選挙は、このままでは自民党が政権を失うかとの危機の下、菅氏が身を引いた。4年前の総選挙で安倍氏が、北朝鮮と少子高齢化をとらえて国難突破選挙だと国民に誤った誘導をした。こんどこそ、自民党は言わないが、コロナ対応に現れた空前の国難を前に、真の国難突破選挙だ。
 野党と市民連合はその危機を民主的に打開すべく協議を重ね、9月8日「野党共通政策」を発表した。その肝心な時に、八代氏は公共の電波を使って、共産党は暴力革命の党だとフェイクをまきちらした。野党共闘にケチをつけてあしをひっぱろうという魂胆だ。これまでも彼は政権の番犬、体制べったりだとは思っていたが、あまりにお粗末、百田尚樹レベルではないか。
 テレビはそのほとんどが体制派だ。体制擁護はいくらいっても下ろされることはない。体制批判発言で下ろされた人は多くはないが確実にパージされる。
調子に乗るにもほどがある。



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菅首相退陣

2021年09月08日 23時36分15秒 | Weblog
 菅首相が退陣表明に追い込まれた。支持率低下が止まらなかった。国民から見放されたことの表れだった。
 菅首相の声は国民にとどいていないと1年いわれつづけた。委員会答弁でも記者会見でも官僚や秘書が書いた文章を棒読みするばかり。棒読みのあげく、大事な部分を読みとばしても気づかないままだった。表明会見も不十分な説明で身をひるがえす。無責任だとの批判を背に浴びながら。自分のことばで語らない。たまに自分のことばの時でも温かさがないからいっしょだ。
 もともと、7年半も官房長官として安倍強権政治の番頭をつとめてきた。官房長官時代のことばは、とりわけひどいものだった。「それは当たりません」と切り捨てることばばかり。意見は違っても、かみ合わせて議論しようという気が全くなかった。切り捨てることで権力の怖さを見せつける、そこに心地よさを感じていたのだろう。根っからの権力者だ。民主主義の政治家とは縁もゆかりもない。東京新聞の望月衣塑子記者に対する威圧的な態度は象徴的だ。
 菅首相の権力むき出しの姿勢がきわだっていたのが沖縄への向き合い方だった。自民党の政治家でも以前は、沖縄は戦争において、また戦後も日本の犠牲となったことへの後ろめたさをともなった理解と寄り添う姿勢をもっていた。ところが、菅氏は「私は戦後生まれで沖縄の歴史は知りません」などと平気でしゃべった。体験したかどうかが理解の分かれ目ならば、およそ歴史は一切理解不能ということになる。歴史や人の痛みに思いを致すということが、政治家にとってもっとも必要な徳だ。辺野古の埋め立てを「粛々とすすめる」と沖縄県民の気持ちをはねつけてきた姿勢は必要な徳の正反対だった。
 菅氏のこの基本姿勢が首相在任1年の間、ずっとにじみ出ていた。



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「中国共産党、その百年」を読んで、中国共産党を考える

2021年09月01日 09時42分38秒 | Weblog
 石川禎浩さんの「中国共産党、その百年」を読んだ。比較的平易な文章で読みやすく書かれている。石川さんは京都大学の人文科学研究所教授だ。
 書評風の感想文ではなく、わたしの中国共産党への抱いてきた思い、現在の評価等について書いてみたい。年初以来、いくつも感想文を書きたい書物があったが、荷が重く課題を果たせていない。しかしこの本については、読んだ後もういちどメモを取り、書こうと思った。でも最終、自分の中国共産党についての考えを書くこととした。

①今年は中国共産党創立100年だ。中国ではマルクス主義の文献がその多くを日本経由で、日本語からの翻訳で導入している。マルクス主義の導入と革命運動の進展は順が逆になっている。日本は、天皇制を中軸とした絶対主義的ともいえる強固な支配体制が確立していた。徹底した弾圧体制が敷かれていた。一方中国は、1911~12年孫文の辛亥革命で封建王朝の清が倒れ、国民革命の道が始まるが、袁世凱など軍閥支配へとねじ曲げられた。孫文が中国国民党を組織し国民革命推進をはかる中、1921年中国共産党が発足した。24年、国民党に共産党員が入党する形の国共合作が成立し、中国共産党は国民党とともに国民革命をすすめる役を担った。順調に党員も拡大していった。
 徹底した弾圧下の日本と思想警察もなく統一国家への国民革命を民族挙げて進めている中国とのあいだで、マルク主義と革命運動のおかれた歴史的条件はまるで違っていた。
 中国で「共産党宣言」が日本語版からの重訳で出版されるのは1920年、党創立の1年前である。日本では、1904年に堺利彦が幸徳秋水との共訳で「平民新聞」に、1906年に堺が「社会主義研究」第1号に全文を載せた。
 中国でマルクス主義への研究と理解が初発の段階で十分ではなかったことはその歴史的条件によるが、革命後70年余経ってどれほど進展したのかは責任がともなう。

②わたしのこれまでの中国への関心は、日本帝国主義の中国侵略、日本軍による蛮行とこれへの中国人民の抵抗にあった。とくに南京大虐殺に大きな関心を抱いてきた。南京には何度も訪れ、紀念館見学、生き残った方々(幸存者)からの聞き取り、虐殺現場となった水辺や女性への暴行が行われた金陵女子学院への視察などを行った。
 日本では、90年代半ばから歴史修正主義の逆流が仕組まれてきた。その中心は安倍前首相だった。これに呼応したのが藤岡信勝らの自由主義史観グループだ。その最初の歴史修正テーマが南京大虐殺だった。その後、慰安婦、沖縄集団自決などに拡大した。真理の探究ではなく、特定の政治目的のために歴史に接近し、それを偽造するのだから、学問レベルではすぐに決着がついてしまう。しかし真実の前にこうべを垂れるという姿勢がない彼らは、証拠を示されても何度でも同じことを繰り返す。学問ではなく政治運動をしてやっているのだから。歴史修正主義の教科書をつくり、これを自民・維新が権力を握っている地方で教育委員を入れ替えし、思い通りに教科書採択して子どもに押しつけた。一時相当の広がりをみせたが、良識の反撃で押し返している。
 わたしは、南京については、読めもしないのに中国語の研究書もいくつも買ったりもした。

③革命後の中国党史については、反右派闘争、大躍進と人民公社、文化大革命、改革開放から法の不備を放置した格差拡大容認、天安門から香港に至る人権・民主主義抑圧について関心を持っている。
 1949年、国共内戦を制して中華人民共和国の宣言がなされた。毛沢東は1956年、「百科斉放、百家争鳴」を提唱し自由な議論を推奨するが、翌年、右派への反撃を命じた。反右派闘争だ。毛沢東は抗日戦争中から、整風運動といって、自己批判と毛沢東への屈服を表明する思想運動をしていた。石川さんによれば、1951年には上海では年に1000~2000人を処刑しなければ右派を抑えられないと、4月だけでも285人を反革命の罪で銃殺刑にしていた。毛沢東は、右派の割合は5%だと規定した。スターリンと相通じる、特定の指導者にすすんで服従する恐怖の組織体制づくりを身につけ徹底していった。
 1956年には、200~300戸による高級合作社、1958年には「大躍進・人民公社」政策により、8000~1万戸レベルの農業集団化をすすめた。強引な集団化はソ連で失敗の前例があるが、毛沢東への追従の下、主観主義的な「大躍進」は誇張した成果報告が集まるばかりで、その実は無残なものだった。飢餓栄養失調は1000万レベルの命を奪った。
 これに対し、政策転換(調整政策)をはかったのが劉少奇だった。市場経済の一部導入、農業税引き下げ、自留地耕作等で生産意欲を刺激した。その結果60年代前半は経済は成長した。
 ところが、これへの歴史的猛反撃をしくんだのが毛沢東だ。1966年からの「文化大革命」だ。社会主義の仮面をかぶりながら堕落させるのがフルシチョフ、劉少奇だと。劉は党内最大の実権派だとし、「造反有理」をかかげて、青少年をたきつけ、大々的な党攻撃を組織した。8回にわたり、毛語録をかかげた100万単位の紅衛兵を天安門にあつめた。多くの有能な幹部、知識人が攻撃され、人格的な屈服を強いられ、命をも落とした。
 文化大革命というから、社会主義の運動も新たな段階に発展したかのようにいう風潮が日本のマスコミでは吹聴された。だが実質は毛沢東による暴力的な奪権闘争でしかなかった。社会主義ともマルクス主義とも無縁の野蛮で非人間的な権力闘争だった。石川さんは資料が不十分で十分究明ができていないという。
 わたしは文化大革命といえば忘れられない思い出がある。1967~68年頃、中国の書物を扱っている書店に勤めていたある友人が顔を青黒く腫らして登校するようになった。彼の会社にも文革が押し寄せ、毛沢東への屈服を強いてきた。それを拒否した彼は、毛派社員から暴行を受けるようになった。
 それと忘れられないのが「四つの敵」論だ。中国人民には4つの敵がある、アメリカ帝国主義、ソ連修正主義、日本軍国主義、日共宮本修正主義集団がそれだというのだ。あめりか、ソ連に加えて日本軍国主義はかつて侵略された経験から軍港主義化の危険を増大させている状況を見て、警告的に規定したのはわかる。ところが日本軍国主義の復活に正面から闘っている日本共産党を中国人民の敵だというのだから理解に苦しむ。これが毛沢東の世界の情勢把握なのだ。もしかして日本向けに特別に4つの規定をしているのかと思ったりもしたがそうではなかった。世界で4つの敵だという。理解不能、主観主義的な情勢分析だ。

④1976年毛沢東は死亡し、文革は終了した。1983年から行政単位としての人民公社は廃止された。
 1978年、文革を生き延びた鄧小平が「改革開放」政策を出した。劉少奇の調整政策ところではない、全面的な市場経済の導入だ。国家統制による製剤運営ではなく、市場システムを利用して経済運営するのは、社会主義経済のあり方としてありうる。ソ連式計画経済が非効率、官僚主義の温床となり、経済運営には適さないことは歴史的に証明されている。だから市場システムを利用するのは正しい。だが、市場経済が100%資本主義経済となってしまっては、社会主義はごまかしとなる。現実の中国はほぼそのごまかしの姿となっている。資本主義とは永続的な利潤追求、自己増殖の運動だ。内部に自己を規制する動機も装置もない。
 市場は、原材料や部品の調達を適切に行ううえで有効なシステムだ。ただ、過剰生産や在庫などの問題を生む。しかしそれもやがて市場は解決する。必要なのが資本主義のシステムへの人間的な規制だ。労働者の保護、資源の浪費規制、環境保護、利益隠匿規制、法人税・累進課税・相続税などで所得の再分配を制度化することなどが不可欠だ。企業経営の形態では、国営企業、集団企業、株式会社、個人企業など各種ある。
 限りなく国営をふやしていって社会主義が完成すると考えていた時期もあったが、現実的ではない。資源の制約や自然保護、生命・安全などにかかわる分野は国有の意義はおおきいが、要は企業がいかに暴走しないかが重要だ。
 鄧小平が「改革開放」を導入するとき、まず先に豊かになれる人が豊かになり、ついであとからそれにつづくという説明をしていた。わたしはそれを牧歌的にとらえて、一度に全員というわけにいかないから一部が先に2階に上がり豊かになる、ついで順次残った人が2階に上がるという計画だととらえていた。ところが先に豊かになった者が、それを資金にどんどん利益を増大させる。資本主義全面展開だ。豊かに鳴った者が、貧しい者の手を引いて2回に上げる仕事をするというシステムは構想されていなかった。
 いまや、中国が世界1、2の格差社会だということは周知のこととなった。昔ながらの内陸部農村の貧困がある一方で、大都市の資本家の富裕ぶりは世界轟いている。
 結局、鄧小平には経済発展しか頭になく、社会主義の理想は忘れられていたのだろう。毛沢東の極左主義、主観主義が社会主義とはもちろんいえないが振れ幅が大きい。
 社会保障については、現在、健康保険、年金制度が整えられつつある。かつては人民公社や国有企業が自己完結的な単位としてそれらの機能を程度に問題はあろうが担っていた。
 中国が格差社会となっている最大の問題はザルのような税制だ。日本の法人税に当たる企業所得税は日本より安い25%だ。消費税に当たる増値税はモノで16%、サービスで6%だ。個人所得税は3~45%の累進課税だが(日本は5~45%)、問題はその捕捉率だ。労働者は源泉徴収だが、高額所得者の所得はザルから抜け落ち不当な蓄財が放置される。2017年の日本の税収34兆円のうち所得税は11・6兆円34・37%だ。中国では2017年税収276兆円のうち個人所得税は19兆円6・93%しかない。一般労働者は税率の低い中低所得者が多いということもあるが、主な原因は高額所得者の捕捉率が低いことによる。日本でも抜け道や優遇策で高額所得者の実質税率が低いことが問題になっているが、世界第2の経済大国の所得税の徴収額がこのように貧弱なことは偽りの社会といわざるを得ない。
 加えて中国には、相続税・贈与税がない。封建社会の税制だ。相続税・贈与税の案はすでにあるが、高級官僚、党幹部、資本家の妨害で実現する見通しはない。世代を超えて蓄財がすすみ、格差はさらに拡大し固定する。 
 自由の問題に目をつぶるとしても、平等こそが名前だけでも社会主義を自称する根拠だ。そこが完全に崩れている。理念も実態も。19世紀的国家資本主義としかいいようがない。中国共産党は共産党とはもういえない。マルクス主義をかかげる資格はない。
 毛沢東の時代は極左主義、鄧小平以後は社会主義を放棄した資本主義的強肩国家に変質した。初期のころからマルク主義の研究・探求が弱いとみていたが、建国後は多くの時期が極左主義にとらわれた国家建設だった。後半はマルクス主義なき経済至上の強権国家建設だった。
 わたしは抗日戦争中の共産党が指導する八路軍の「三大規律、八項注意」、とくに農民のものは針一本、糸ひとすじも盗らないという行動規範が農民の信頼を得、中国革命を成功に導いたと思っている。その原点はどこへいったのか。ところがなんと、習近平の下、抗日戦中の逸話が中国共産党100周年記念の思想教育の教材として持ち上げられている。長征の途上、貧しい農民の家に一夜の宿を得た紅軍女性兵士が自らの携帯用の布団をお礼に差し出そうとするのを農民は断る、それならと布団を半分に切って渡したという話だ。共産党の紅軍と農民の間であったことだろう。だが古い逸話を今持ち出して子供たちを教育するのは間違っている。その逸話は党幹部や官僚に対して教育すべきものだ。抗日戦でかかげた理想を今どのように実践しているのか、どこまで到達したか、理想に反しているならどこに問題があるのかを明らかにすることが幹部の仕事だ。

⑤習近平指導下の中国は、大国主義、覇権主義の道をつきすすんでいる。南シナ海、東シナ海での覇権主義は目をおおうばかりだ。その根拠に国際法的には何の意味もない、議論の相手にもされない「九段線」なる海洋権益線をふりざして国際法違反の行為をくりかえす。「一帯一路」政策も、港湾や道路建設を借款と工事をセットですすめることで借金で縛り付ける新植民地主義的な手法も行っている。
 中国本土ではもはや思想言論の自由は圧殺されている。ウイグル族や香港へのあらたな弾圧は猖獗を極めている。香港2制度の国際公約も国際人権規約も
カエルのつらにしょんべんだ。マルクス主義をかかげるなど恥ずかしくてできない地点に立っている。












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