山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

反省!車の運転

2013年01月29日 11時14分34秒 | Weblog
 昨日、駐車場でバックで入庫する時、ナビの画面で見ながらやっていたら、ギギッと音がした。あっ、しまった、と思ったがあとの祭り。降りてみたら、車のバンパーをこすってしまった。
 相手の人に謝罪し、保険の代理店に来てもらって対応したが、がっくりだ。
 原因は、ナビ画面で隣の車との距離を見たことの誤りだ。画面では相当幅があるように見えるが、実際は数センチだったのだ。
 教訓。自分の目で見ること。
 ナビ画面では線がでるが、これはタイヤの線であって、それより車体はふくらんでいるので接触してしまうのだ。このことを頭にたたきこまなければならない。
 
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小倉さんの番組出演・橋下氏はぐらかすばかり

2013年01月29日 09時47分20秒 | Weblog
 1月29日、小倉さんの「とくダネ!」に橋下大阪市長が出演した。40分ぐらい独演した。控えめな質問ばかりだったが、それでも橋下氏はまともに答えず、はぐらかしと同じことの繰り返しだった。
 とくに、問題を起こした教員をいれかえれればいいんじゃないか、部活動の体罰と体育科の中止とはイコールではないというような質問にははぐらかしに徹していた。重大な事態を引き起こしたのだから生徒受け入れを止めて断ち切らなければ治らない、生徒や保護者の意識改革、スポーツ界全体の意識改革が必要だ、部活動をどう立て直すか真剣な議論を始める、体育科のカリキュラムをどう作り直すかこれが大事だ、というようなことをいい、問題を拡散させる議論に終始した。
 わたしは高校多様化の先頭を走った大阪市教委の方策(体育科など)自体には否定的だ。早い段階で特定の分野に閉じ込めるような学力論には反対だ。橋下氏は府立の体育科の後に市立の体育科ができたといっていたが事実は逆だ。
 それはそれとして、政治家が予算権限まで振りかざして教育に介入することには断固反対だ。
 生徒受け入れを断たなければ立て直しができないのか。そんなことはない。重大事件だからこそ、認識の甘かった生徒も本当のことに気づいた。橋下氏が部活の体罰はいけないと気付いたと同じときに私も気づいたといった生徒発言を前に聞いた。その橋下氏が、生徒は体罰容認の意識は変わっていないから入試中止で断ち切るのだという。橋下氏は生徒の意識がすぐに切り替わっては困るのだ。問題を大きくし、自分中心に事態が展開する状況を永続化する、ここに彼の政治手法の核心がある。
 ここまで大問題になった桜宮の部活動は体罰をしないだろうし、できない。体罰をした顧問をはずす。校内で、毎日の活動報告体制をあらたにつくる。生徒中心に、本来の自主活動として、自主運営の部活動にしていく。そうすれば体罰は入り込む余地がない。直ちにできる。実態調査を継続しつつ、体罰根絶策をただちに実行する、さらに追加策があればそれも実行する。そうすべきだ。
 しかし橋下氏は大問題だから、これからじっくり新しい部活動方針を議論しつくっていく、同じ考えの生徒が入学しないように断ち切らないと同じ事の繰り返しになる、その後に学科のカリキュラムふくめどうしなければいけないか検討していくという。あわよくば、教育委員会制度の否定、大阪都構想と結合させて市立高校を全部やめる(今日すでに言っていた)というところに持っていこうとしている。しかし、高校は府県の仕事ではあるが、大きい市は、市の格として高校を持つのはあたりまえだ。高校運営を投げ出すような志の小さい市に大阪市はなりさがろうとしている。
 視聴者からの質問で、桜宮の生徒が罵声を浴びせかけれらたり、自転車に嫌がらせをされるなどのいじめ被害を受けているとの訴えに、橋下氏は完全にはぐらかしをした。こんないじめは、橋下氏が生徒・保護者らも体罰容認で責任があると言いつのって、だから生徒募集を中止するくらいやらないと立ち直らない、それくらいひどいとテレビで言い続けたことの直接的被害だ。その被害の訴えに逃げを決め込んだ。
 番組の終了時に、小倉さんは、まだ納得できないが、市長の公務があるので今日は終わったといった。3000を超すファクスが寄せられたそうで、橋下氏への賛否ひとつずつ意見が紹介された。賛成意見は話をきいてよくわかったというぬるいものだったが、批判意見は、橋下氏の政治介入をも批判するきびしいものだった。
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桑田真澄さんの体罰否定論に納得

2013年01月26日 10時17分40秒 | Weblog
 昨日(2013・1・25)、NHKで体罰問題について桑田真澄さんのインタヴューが放送された。自らの体験、指導者である現在の立場からの発言だけに説得力があった。一点のあいまいさもない体罰否定にすがすがしい気持ちになった。
 体罰で技能は向上しない、言葉で伝え、自分に考えさせる。自分の中での葛藤こそが原動力だ。愛情から発して体罰をする気持ちはわかるが、体罰はしてはいけない。体罰はかんたんかもしれないが、指導ではない。昨日まで体罰していても、今日からやめればいい。大リーグでは体罰ない。何よりスポーツは楽しくなければいけない。
 桑田さんの意見はきれいごとすぎるという反論もあるが、体罰をうけた子どもの時の体験と、大リーグでの経験、指導者としての経験からの実践的なものだ。しかも筋が通っていてゆるがない。

 昨日の『赤旗』の投書欄に、スポーツ指導者だった畠田さんの意見が載った。府立高校の組合役員を私といっしょにやったひとだ。今は退職者の会でいっしょだ。畠田さんは府立高校ではめずらしい自転車競技部を長年指導し、全国大会に何度も出場し、優勝選手もだした。プロの競技選手も輩出した。畠田さんは、強豪校の監督が試合後に選手をスリッパでたたいているのを見て、いたたまれず、後で意見をしたことも書いていた。畠田さんの指導が、体罰をしない指導が、学区内からしか生徒が入学しない条件のもとでも、十分成長することを証明している。

 体罰を常用する人は、人権意識自体に問題がある。人権意識とまで言わなくても、人としてのやさしさだ。桑田さんは人に対するリスペクト(敬意)が大事だといっていた。人を見くだす横柄さと人を尊重する姿勢とは正反対だ。
  
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駆け込み退職誘導しておいて批判

2013年01月26日 08時50分08秒 | Weblog
 文部科学省が1月末や2月末に退職する教職員の数を調べて発表している。国家公務員の退職手当引下げをした政府が、地方自治体に同様の引き下げを求めたことから起きたことだ。それでも2月1日や、3月1日で引き下げをしない県がほとんどだ。引き下げた県で駆け込み退職が起きている。いちばん多いのは2月1日引き下げの埼玉県で123人だ。これを利用して教職員批判がやられている。埼玉県知事の発言がそうだ。
 3月末まで在職するのは本来の姿だ。だが生活の実態はひとそれぞれだ。葛藤の末に、駆け込み退職するのだろう。100万円前後も減らされるのを我慢して、倫理だけで行動せよというのは酷だ。
 2月1日から減額するというのは、その前に退職を誘導するという経済効果をもっている。それを見通してやっているはずだ。減額ではなくて、増額する場合も誘導効果がある。今年やめる人には退職金を増額するという方法をとれば退職を増やすことができる。それと同じ効果をもつ。だから、埼玉県上田知事が、自分で退職を誘導しておいて、批判するというのは、まったくばかげている。
 総数では教員よりずっとすくない警察官の方が駆け込み退職が多いが、ここにはあまり批判の矛先がむかない。
 現場が困るのはその通りだ。だが解決法はある。簡単だ。退職した人を、即、再任用することだ。同じ仕事をしてもらう。給与も少なくて済む。
 
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異変の兆候か?

2013年01月25日 09時04分48秒 | Weblog
 身近な自然にちょっとした異変がおきている。
 新年早々から、黄緑色のメジロが来てくれるのはうれしい変化だ。ところが、家から100mの港区と大正区の境に流れている尻無川(道頓堀川の下流)に毎年60羽以上来ていたカモが1羽もいないのだ。津波を防ぐ尻無川水門のかげに寄り添うようにいるはずなのに、何度見ても1羽もいない。どうも変だ。そんな目でみると、淀川にあつまる渡り鳥も少ないように思えてきた。
 道頓堀~尻無川の異変なのか?あるいは、自然に大きい異変がおきている、その兆候なのか?
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生徒の声を無視し、橋下の恫喝に屈した大阪市教育委員会

2013年01月23日 09時29分23秒 | Weblog
 1月21日、大阪市教育委員会議がひらかれ、桜宮高校体育科・スポーツ健康科学科の入試中止し、同じ定員120人を普通科に振り替えることを決めた。橋下市長が内々に入試中止を市教委にいったのは11日らしいが、われわれが知ったのは15日の月曜日の連休明けだ。1週間で中止が決まった。生徒も保護者も圧倒的に入試中止に反対した。入試中止と体罰禁止とがイコールで結ばれる問題ではないからだ。多くの人が、ちょっと待って、おかしい!と直感的に思った。
 中止決定に至る道のりは、脅しの連続だった。入試を求める中学校長会に対し教育者失格と暴言、校長全員を外部の人間に入れ替えるという脅し、入試中止をしなければ予算執行を凍結するという脅し。いずれも教育法違反の脅しだ。体罰禁止をいいながら、その手法は暴力的ともいえる強制の手段を使うという矛盾。
 教育委員会議当日も、橋下氏が最後の「要請?」をしたうえで、橋下氏が退席して教育委員会議へと移行した。入試中止に反対したのは長谷川教育委員長のみ。事務局のトップで委員でもある永井教育長はすでに橋下氏の意を受けて、中止後のすすめ方を準備して臨んでいた。会議後、大森委員は「頭の中に市長がいる」と述べたそうだから、教育委員会の独立性は存在しない。
 中止決定後、8人の生徒が記者会見し、「市長から納得できる説明はなかった」「(橋下氏がすばらしい決定といったのに対して)何故すばらいしというのかまったくわかりません」と入試中止を批判した。生徒の意見にはこんなものもある。バスケットなどのクラブには体育科だけでなく普通科の生徒も入っているのに、流れを断ち切るといって体育科を入試中止にするのは筋が通らないというのだ。そのとおりだ。橋下氏はこれに対して生徒に毒づいた。「入試を中止したら体罰がなくなるのかと?どんな頭の構造をしているのか。入試を中止しただけで体罰がなくなるわけじゃないですよ。体育科のまま入試をやっていたら何のメッセージも伝わらないじゃないですか」といった。
 本音が出ている。入試中止はメッセージを伝える手段なのだ。在校生・保護者、受験生へのメッセージであるとともに、教育行政を支配するメッセージであり、政治家としてのメッセージでもある。体罰をしたら入試も中止するくらいのことをやりますよというメッセージだ。
 だが、入試中止と体罰根絶は関係ない。橋下氏自身がそれを認めた。入試中止しなくても体罰をなくすことはできる。体罰をした教員の処分と異動、職員会議で真剣な議論をし、全教員が体罰をしない意思表明をする、そして学校として体罰をしない宣言を発するということだ。
 入試中止に賛成する教育評論家もいるが、橋下氏は部活動の体罰についてだけ禁止を言い出したのであって、部活動以外の体罰は今も認めている。橋下氏は、知事・市長の5年間にわたって体罰を容認しあおってきた責任をとっていないし、謝罪もしていない。


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映画「レ・ミゼラブル」を見る

2013年01月21日 00時01分11秒 | Weblog
 先週、映画「レ・ミゼラブル」をみた。2時間半をこえる作品だと知ったのは、映画館を出て、時計を見てからだった。ミュージカル仕立ての映画なので、映画の展開はややゆっくりめという印象はある。
 原作はヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』。パンひとつを盗んだことから19年も監獄にとじこめられたジャン・バルジャンの話しだ。1815年、ナポレオン没後の王政復古から1830年の7月革命、7月王政の時代までの18年が物語の背景となっている。最後は1832年の反乱で蜂起した民衆が1日で敗北するところで終わる。不勉強のためわたしは1832年6月5日~6日の蜂起は知らなかった。ユーゴーはあえてみじめに失敗した放棄を舞台に選んだのだろう。
 映画は19世紀のパリの下町を、そして貧民街とそこに生きる人々の様子を克明に見せてくれた。勉強になった。ただ狭い街路に築くバリケードは私がイメージしていたとおりだった。
 時代は、1848年の2月革命で第2共和政が確立する前で、共和制をもとめる青年の蜂起はこっぱみじんに打ち砕かれる。映画の最後を革命歌の大合唱がつつむというのが、1848年の革命へとつながる時代表現にふさわしかった。
 わたしは、この映画の後半をみながら、現在の日本を思った。国会の中で改憲派が圧倒的な議席をしめたという現実を思った。2001年小泉竹中による新自由主義の反革命がはじまり、野田・松下政経塾内閣、そして安倍内閣プラス維新の会という流れ。冬の時代を重ね合わせて観た。
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橋下市長の横暴をゆるすな!入試をやって生徒を受け入れよ!

2013年01月18日 08時51分36秒 | Weblog
大阪市教育委員会 橋下市長の教育介入、いや、教育支配が目に余る。入試中止を言い出したかと思ったら、生徒・保護者の声に押されて教育委員会も今度ばかりは市長に服従しない可能性がでてきたので、橋下氏はさらに暴走をつよめた。
 市教委が入試中止を拒めば、入試関係予算を凍結するといいだした。大阪市教委にきいたら240万円だそうだ。その内訳は入試要項と願書の作成費だ。しかしこれらはもう印刷済みだ。印刷代も払っているはずだ。凍結すると橋下さんは脅しをかけているが、どうしようというのか。それにしても橋下氏は、自分の考えを押し通すために、思いつきで後先考えずにものをいう人だ。
 橋下氏は、全教員の異動を市教委に要求し、絶対条件として、校長・教頭・運動部の全顧問を異動させよ、従わなければ人件費を執行しないと明言した。運動部の全顧問というと教員のほとんどになる。体罰教員にしかるべき処分をして異動させることは当然だ。だが体罰をしていない教員も異動させる必要性はないし、これからの学校再建の中心になるべき人を追放するのは反教育的だ。第一、人事異動の計画がほぼ固まりかけている今になって、あらたに50人以上を追加異動させることは、人事作業を振り出しに戻すことになる。桜宮の教育は停止するだろう。
 従わなければ人件費を執行しないということは、賃金を払わないということだ。雇用契約をむすんでいながら賃金を払わないとは、ブラック企業のナンバー1になること確実だ。人件費を執行しないというが、どの範囲なのか、桜宮の教員か、教育委員会のメンバーか、全教職員か。市長に予算権限はあるとはいえ、議決された人件費予算を執行しない横暴がゆるされるのか。腹立ちまぎれの言いたい放題がエスカレートしているとしか思えない。普通の首長ならば、いう内容を精査したうえで発表するものだが、橋下氏はおかまいなしだ。どんなに変な内容であれ、マスコミに注目されることが主要命題で、それで人気をとり、勢力を拡大してきた。
 市立23校では異動の範囲が狭く、市の管理能力を超えていると橋下氏はいうが、東大阪市立日新高校、岸和田市立産業高校は、そしてすべての私立高校は管理不能ということになる。そんなばかなことはない。
 いうことなすことばかなことばかりだ。
 「原因究明せずしてなぜ新入生をうけいれられるのか」ともいっているが、体罰自殺の原因は特定教師の暴力にあることははっきりしている。その他の教員が体罰をしていたかどうかは、職員会議の場で全員が表明すればいい。それと並行して、学校として非暴力宣言を準備する。当然全員が責任を負う。新入生を受け入れるためにこれらは早急にすすめなければならない。政治的介入を排して。
 
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体罰問題の解決はかんたん

2013年01月18日 07時15分06秒 | Weblog
 ひとりの生徒を自殺にまで追い込んだ桜宮高校の体罰暴力問題。その教師の行為は人権の否定そのものだ。このような事態は二度と起こしてはならない。ではどうすればいいか。
 橋下市長のねらう入試中止はすじちがいで、有害無益だ。受験生を不安と混乱におとしいれるだけだ。
 体罰問題の解決は、体罰をしなければいいだけだ。それだけ。体罰をしていた教員は深く反省をして、二度としないと態度表明をすること。職員会議でこの問題を真剣に議論すること。そのうえで学校として、生徒・保護者に体罰をしないと宣言すること。以上だ。
 
 体罰問題の解決はなぜ簡単なのか。それはいじめ問題とくらべればはっきりする。いじめは減らすことは可能だが、なくならない。いじめは子どもの集団のありかた、子どもの人格形成の問題など不十分さを前提に考えれば、なくすといってなくなる性質の問題ではない。だから、いじめ問題はむずかしい。教師にとってもっとも難しい教育課題だ。
 一方、体罰は教師がやらなければなくなる。前に書いたように、わたしが勤務した北野高校定時制では、いっさい体罰はなかった。
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橋下市長の教育介入極まれり  入試中止まで公言

2013年01月17日 09時35分21秒 | Weblog
 橋下大阪市長の教育介入が極限に達している。桜宮高校の体育科の入試を中止せよ、廃校や体育科の廃止も含めて検討する、来年は校長全員を外部から採用したいと言い出した。教育委員会そこのけそこのけ橋下がとおる。すでに大阪市教育委員会は、橋下氏が言ったことはすべて、ははーっ、おおせのとおり、とばかりに全部受け入れている。教育行政を政治権力から切り離してきた戦後教育の基本原則は大阪では崩れている。
 橋下氏のいっていることは正しいか。
 橋下氏は遺族と面会して、これまでの体罰容認の自分の認識が甘かったと反省したという。橋下氏ほど、体罰容認推奨を言い散らしてきた政治家はいない。これまでどれほど悪い影響をふりまいてきたか。もし本当に反省しているなら、上にならべたような支配者意識まる出しの発言など出ようがない。本当に反省しているなら発言を控えるのが筋だ。彼の体罰論の中で、気味が悪かったのが、いうことをきかなければもみあげを持って体を引っ張り上げるくらいはいいというものだ。数ある体罰のなかで初めて聞いたものだ。ちょっと変質的な匂いがした。
 受験の1か月前になって、入試の中止を教育委員会に押し付けるのは正気の沙汰ではない。中学生は受験先を決め、合格に向けて努力をつづけている。それを奪う根拠がどこにあるか。
 橋下氏はいう。「クラブ活動のあり方を考えるなら保護者や生徒の意識も変わってもらわないといけない。このまま入試をすれば、同じ意識で生徒が入ってくる」「こんなところでそのまま入試をやったら大阪の恥。入試をやめて、生徒、保護者で考えないと学校なんてよくならない」

・保護者生徒の意識が変わらないといけない?
 保護者や生徒がみんな体罰容認ですか。体罰を求めて入学してくるのですか。そんなことはないでしょう。
・このまま入試をやると体罰容認の生徒が入ってくる?
 そういう生徒がもしかして一部にいるかもしれません。そういう生徒がいたとして、その入学を阻止するために入試を中止するのですか。体罰をしなければいいだけじゃないですか。
・入試をやめて、生徒・保護者で考えないと学校はよくならない?
 入試をやめないと、考えられない?どうしてですか、橋下さん。生徒・保護者が悪者のようですね。
・このまま入試をやったら大阪の恥?
 これまで体罰を推奨してきた橋下さん、あなたの言動が大阪の恥ですよ、入試中止発言も含めて。亡くなった生徒の保護者と2時間面談して、初めて部活動での体罰暴力は悪いと悟った橋下さん。そんな人に、このまま入試をやって体罰容認の生徒が入ってくるようでは学校がよくならないといわれたくないですね。入試中止に賛成している人はいますか?配下の松井知事くらいじゃないですか。生徒・保護者でそのとおりといった人はいますか。橋下さんの体罰否定も、部活動ではよくないというだけで、あとは肯定ですからむちゃくちゃですね。

 
 桜宮の体罰問題を解決するには、部活動の指導体制を刷新すること、学校の体制を刷新することでできる。断言できる。ただ、自殺した生徒を支えられなかった問題については、生徒のなかでの話し合いを深める必要がある。
 
 橋下氏は、校長全員を外部採用にするとも言いだした。教育行政に対する越権行為で許されない。ことしも外部からも募集したがあまり優秀な人がいなかった。それはそうだろう。現に働いているところを捨てて、校長に応募することが私には信じられない。会社も必要な人を手放すはずがない。過去に、民間人校長で府立高校に来た人の中には人格的にも教育見識でも問題のある人がいた(全部とは言わない)。校長室で教頭に暴力をふるっていた民間人校長もいた。
 橋下氏は、こんどの体罰自殺問題をつかって、法を踏み越えて、教育についても市長の専決体制に持っていこうとしていることがいよいよ明らかになってきた。

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橋下市長 桜宮・体罰自殺「大失態だ」といいながら、体罰禁止のスローガンが最大の原因だと発言

2013年01月11日 11時08分52秒 | Weblog
 桜宮の事件発覚直後の橋下氏の発言で、わたしは彼が体罰容認を改めたのかと思ってしまった。まったくお人よしだった。反省。彼の本性が簡単に変わるはずがない。
 8日、体罰があることを前提に事後のフォローをどうするかの対処が重要で、そこができていない、教育委員会も事後の対応がぬるい、だから自分が取り仕切るという。
 何をバカなことをこの人はいうのか。
 
 10日、さらに本音を展開した。
「正直僕は、クラブ活動の中でビンタをすることは、ありうると思っている」「きちっとルール化できていなかったのが問題だ」
「全国大会を目指す桜宮高校の体育科では、保護者も含め、ある程度のところは教育的な指導だという暗黙の共通認識があったのではないか」「にもかかわらず教育委員会が体罰禁止とか、手をあげることは絶対にありえないという、うわべっ面のスローガンで事にあたっていたことが(事件の)最大の原因」
「これは議論が出ると思う。”手をあげることを前提とするルールをつくるのか”ということになるでしょうかど、それはそれでまたそのときに批判を受けながら議論していけばいい」(『赤旗』10日付。『朝日』『毎日』にはこの発言は不掲載)

 まあこんな具合だ。彼が体罰容認、いや推進の論者だったことは、過去の発言をみれば一目瞭然だ。今度の事件で体罰を否定するどころか、これを認めたうえで、体罰禁止をいう教育委員会が事件の原因だという。よくいうよ。たしかに教育委員会の姿勢は中途半端だ。だからよくない。ところが橋下氏は、体罰禁止などといわずに、これを認めたうえでルールをつくれ、体罰のルールをつくれというのだ。体罰禁止の教育法をくつがえし、体罰は教育の方法でないという教育の原理をくつがえそうというものだ。
 体罰・暴力は、軍隊にその源がある。支配服従の関係のもとではびこるのが体罰・暴力だ。明治時代から学校軍事教練をつうじてもちこまれ、陸軍現役将校の学校配属(1925年)以後、体罰・暴力教育は全面展開した。戦後、教育の民主化で体罰は禁止された(学校教育法)。
 わたしは、体罰は根絶すべきだと考える。体罰は教育の方法ではない。体罰に手を染めるとやめられなくなる。
 橋下氏は、体罰を認めてルール化するという。体罰禁止を叫んでいてもこんな事件が起こるのに、認めるとなれば、体罰は花盛りになるだろう。体罰には、やりだすと止まらないという中毒性がある。これは旧日本軍の実態が証明している。何発まではいいと、橋下式ルールをつくれば、そこまではやりたい放題となり、体罰のすそ野は富士山のごとく広がるだろう。すそ野が広がれば山も高くなる。天下御免の体罰天国となる。


 
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人権意識の欠如が体罰を横行させる

2013年01月10日 16時34分05秒 | Weblog
 桜宮高校の体罰は、自殺前日に複数回たたいたという顧問の答えとは異なり、生徒本人が母親に「今日もかなり殴られた。30~40発くらい」と告げたように、きわめて悪質だ。暴行傷害だ。
 しかもその前年にも、バレー部の顧問が倉庫や更衣室で約250回体罰を加えたことで停職3か月の懲戒処分を受けていた。にもかかわらず同じことが常態化していたのだから深刻だ。人権意識がなかったといっていい。問題が教職員全体で共有されなかったといっていいだろう。
 体罰はしないと決意すればできる。わたしは、1997年4月、北野高校定時制に転勤した。始業式で生活指導部長の先生が生徒に対して、「本校では先生は体罰はしない、生徒間のもめごとでの暴力も絶対認めない」と宣言した。わたしはその教育姿勢に感銘をうけた。学校として生徒に宣言したのだから、全教員がそれを守らなければならない。あくまで言葉をつうじて指導すると決意したのだ。言葉が、気持ちがつうじないこともある。それでも言葉をつうじて指導すると決意したのだ。
 桜宮高校でも他の高校でも、全校生徒を前にして、体罰はしないと宣言すればいい。そうすれば体罰問題は解決する。処分されない程度にすればいいという抜け道も塞ぐことができる。そのためには職員会議で真剣な議論がなされなければならない。

 『毎日新聞』(1・9)は橋下市長の発言を以下のように伝えた。
 橋下市長は、自殺をまねいた背景として「子どものSOSをきっちり受け止めるチャンネルが整備されていない」と指摘。一方で、「僕が8子どもに)手をあげることもある。親がそうだから学校現場でも(体罰は)ある。そうなったときに事後フォローをどうしないといけないのかだ」と話し、体罰が存在するとの前提をもとに、体罰が起きた後の生徒への対処方法が重要との認識を示した。
 また、いじめや体罰などの問題が起きた際に、市長が教育委員会に指揮命令を出せるような条例案を検討するよう指示したことも明らかにした。

 二つ問題がある。橋下氏はあいかわらず体罰容認だということ。事後のフォローが大事というのはいままでいわれてきたことだ。だがそれでは問題はなくならない。もうひとつは、市長が教育委員会を指揮命令する条例をつくるというのは、日本の法体系を否定するものだ。
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桜宮高校での体罰、体罰にともなう自殺問題

2013年01月09日 10時55分26秒 | Weblog
 大阪市立桜宮高校で、バスケットボール部の主将の男子生徒が顧問から体罰を受け自殺するという痛ましい事件が起こった。
 わたしの経験では、約30年前、勤めていた府立高校で深刻な体罰があり、教員の中からこれを問題にし、真剣な議論を経て体罰を克服したことがあった。当時は今よりずっと体罰が横行していた。学校の内部からこれを問題にしていくことは大変勇気のいることであり、教育的見識と力量が問われることである。
 こんどの桜宮のケースは部活動指導での体罰なのでやや閉じられた世界であること、いい成績を上げていることから口をさしはさませない雰囲気があったであろうと推測できる。
 しかし内部から克服する動きがなく、このような悲惨な事態を招いたことは深刻に総括しなければならない。ことは人権中の人権、命にかかわることである。教育の原理原則に体罰はない。効果があったからいいではないかというのはごまかしだ。体罰というのは怒りにまかせてなぐる、たたくのがほとんどだ。こんどのように常態化している場合はなおさらだ。
 教育はあくまで言葉をつうじておこなうものだ。言葉がつうじない幼児の場合に、危険なことをわからせるために手をたたくなどは例外的にありうる。それでも、言葉かけをつうじて成長するので、1歳半くらいになれば、してはいけないことを言ってきかせることはできる。言葉がつうじ、信頼関係が確立されていれば、体罰の入り込む余地はまったくない。
 日本のスポーツ界では、暴力をともなう上下関係の中で育ち、指導者になったらそれを繰り返すという風習がかなり根強く残っている。このことも問題にしなければならない。
 ところで、橋下大阪市長が教育委員会にまかせられない、自分がやると乗り出してきた。橋下氏はこれまで、教育は2万%強制だといい、体罰も一部容認する発言をしてきた。自分の子どもも、ぐうの音もでないほど投げ飛ばしたと自慢していた。これまでの姿勢を改めたのであれば、それはいいことだ。
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安倍首相 慰安婦問題を否定するあらたな動き

2013年01月07日 23時52分18秒 | Weblog
 安倍首相が昨年末、産経新聞のインタヴューで1993年の河野官房長官談話、1995年の村山首相談話を見直す考えを示唆した。植民地支配と侵略戦争に対する日本政府の謝罪を見直そうというのだ。両談話は重要な到達点だが、これで十分とはいえない。
 安倍首相は前に首相をした時も07年3月、慰安婦については「強制性を裏付ける証拠はなかったのは事実」だとし、同じ内容の質問主意書答弁を閣議決定した。これに対し、韓国、中国にとどまらず、アメリカ、オーストラリア、シンガポール、オランダ、カナダ、フィリピン、台湾などの政府・議会が抗議の声明、決議を出した。
 安倍氏のいうのは、「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった。狭義の強制性を裏付ける証拠はなかった」、だから慰安婦は強制されたものではなく、商売としてやっていたのだから問題にされるいわれはないというものだ。安倍内閣政府答弁書では、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という部分がそれにあたる。強制連行の指示文書は見つからないというだけのことだ。終戦時に戦争責任を問われる可能性のある文書は焼却命令がだされたので見つかる可能性はないだろう。それをいいことに慰安婦制度全体を免罪しようというのだ。しかしそれは通らない。
 河野談話は「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。」とのべている。
 つまり、政府が1年9か月かけて調査した結果をまとめた河野談話では、軍の関与、強制性を認めている。さらに、内閣官房副長官の石原信雄氏は、「強制的に慰安婦を集めろという文書がないかということで調べたわけですが、出てこなかったわけです。それで、その点は河野談話には当然入っていないですね。」「各省から何人かが出かけて、元慰安婦の人たち16人にお会いしたんです。(略)その報告の内容から、明らかに本人の意に反して連れて行かれた人、だまされた人、普通の女子労働者として募集があって行ったところが慰安所に連れて行かれたという人、それからいやだったんだが、朝鮮総督府の巡査が来て、どうしても何人か出してくれと割り当てがあったので、そういう脅しというか、圧力があって、断れなかったというような人がいた。」とのべている。文書はないが、証言が証拠となっている。
 安倍発言・安倍政府答弁書は、強制連行の通達文書がなかったからいわゆる慰安婦問題は存在しないというもので、その論はぜい弱なものだ。募集における強制性を示す通達の存否のみを問題にするのだが、慰安婦制度のなかのある1点のみをとりあげ、そこに問題がなければ全体も問題がないという論立てだ。だがこんな子供だましの論にはまりこむ人が結構いるのはなげかわしい。慰安婦制度は、慰安所の設営・管理、慰安婦の募集・移送・管理全体に日本軍がかかわっていたかどうかが問題であり、慰安婦に居住の自由、外出の自由、使役を拒否する自由、廃業の自由が認められていたかが問われる。
  
 安倍首相がまたしても同じ妄言を繰り返そうとしている。だが、より大きい国際的批判がまきおこるのは目に見えている。
 『赤旗』(2012・1・6)が、2011年11月4日付ニュージャージー州『スターレッジャー』紙の慰安婦問題を否定する意見広告に、安倍首相が賛同していたことを報じた。これは07年6月14日付『ワシントン・ポスト』の意見広告と同じ内容らしい。これに国会議員39名が賛同者となっている。閣僚としては、安倍首相のほかに、古屋圭司公安委員長、稲田朋美行革担当相、下村博文文科相、新藤義孝総務相が含まれている。
 義家弘介自民党議員名もある。ヤンキー先生を売りにしている人物だ。この人は一応社会科教員だっただけに、その堕落ぶりにおどろく。家庭の不幸から非行に走り、北海道の北星余市高校で更生し、養家の力で大学に進み、のち北星余市で教員となった。義家氏の更生のために心血をそそいだ担任の先生らの思いで出身校に招かれたのを、のちにみごとに裏切り、自民党議員になって、いま慰安婦問題はなかったという歴史修正主義の先頭に立っている。なんという知的堕落。義家氏の「ヤンキー先生」の本は2003年当時読んで、不思議に思った1点があった。それは実の親に縁を切られたあと、養い親となり余市高校、明治学院大学まで行かせてくれた義家さんに対する感謝の気持ちが一言も書かれていなかったことだ。この疑問は、余市高校で彼をすくい上げ、教師として招いた先生たちの気持ちを裏切って、横浜の教育委員に、そして自民党議員へと成り上がっていったその姿をみて解けた。恩になった人を平気で踏み台にする。組合の集会の講師として大阪にも呼んだりしたが、そこでいったことと180度ちがう位置にいま立っている。5年ほど前にある研究会で北海道の高校の社会科の先生と同室になったとき、義家氏のことが話題になり聞いたことがある。それは北海道の研究集会で義家氏が講師としてきたときに、社会科教育の内容で質問したところがその答えの質の低さにびっくりしたということだった。つまり肝心の社会科の中身があやふやだったのだ。彼は、いまや自民党の教育問題の専門家だが、慰安婦問題で極右集団に加わるのだからその歴史認識の程度、勉強の程度も知れる。
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新春の鳥たち

2013年01月04日 09時55分44秒 | Weblog
 新春の我が家に小鳥があいさつにきた。大阪市内、準工業地域にある我が家。真っ先にきたのはスズメだ。しめ縄を大晦日に買って家の玄関扉にくくりつけたら、元旦の朝、スズメがきた。しめ縄には米の穂がふたつついていたので、これを目ざとく見つけて食べに来たのだ。床にはもみ殻が散らばっていた。2日でもみはなくなった。これを縁にたびたび来てくれたらと思う。近年スズメが減っているというから、もっと身近に見ていたい。
 常連はヒヨドリだ。大きい体でギーギーと鳴くのでいやでも目に付く。貪欲で花を食べ散らかし、ふんをいっぱい垂れる。
 初めて見たのが、メジロだ。ウグイスかなと思ったが、色があまりにも鮮やかな黄緑だった。ウグイスはもっともっとくすんだ、茶色のまじった色だから、調べてみたらメジロだった。初めてのお客さんだ。咲き始めたロウバイの蜜を吸いに来たようだ。
 スズメ、メジロよりはすこし大きい、黒と白の色鮮やかな鳥もいっしょにとまっていた。名前はわからない。
 大親分のヒヨドリが来たら、これら小さい鳥たちは席をゆずってどこかへいってしまった。ヒヨドリはもっと遠慮しろよ。
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