山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

なかなかいい、『赤旗日曜版』8月31日号

2014年08月30日 11時30分59秒 | Weblog
 今週の『赤旗日曜版』(2014・8・31)がなかなかいい。いちばん真ん中の見開きのページに「時代を生きた女性たち 『花子とアン』家族が語る素顔」の記事がある。ドラマのモデルの柳原白蓮の娘の宮崎蕗苳(ふき)さん、村岡花子の孫の村岡恵理さんが登場し思いを語る。貴重な写真が二枚ずつとご本人の写真があり、見ごたえがある。
 もうひとつ。「大企業のもうけの場に 安倍流農業『改革』」の記事。安倍農業改革は、➀農業委員会の公選制を廃止し任命制にする、②農地を所有できる農業生産法人の規制を緩和して農業従事者が一人いればいいとする、③農業協同組合の解体からなる。
 農業・農地を大企業のもうけの草刈り場にしようというのだ。今は農業をしないものは農地を所有できない。だが最初だけ農業をするふりをすればあとはやり放題ができるのが安倍農業改革だ。北海道平和ツアーにいったとき、共産党公認で農業委員に選出されている高島さんのお話を聞いた。彼は安倍農業改革がやられたら、大企業が農地を買い占め、やがてそこは産業廃棄物の処分場になるだろうといったのが耳に残っている。全国各地に産廃の山ができる。
 三つめの注目記事は、大阪弁護士会長・石田法子さんの登場だ。7月6日、集団的自衛権と秘密保護法廃止の6000人の集会を主催したその立役者だ。弁護士会がここまで踏み込んで行動したことに注目が集まり、多くのひとを励ました。その次のページの映画監督・降旗康男さん(「ぽっぽや」「少年H」など)のインタヴューもいい。
 ということで、『赤旗日曜版』お見逃しなく。
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よしず、すだれが売れ残っている

2014年08月30日 10時55分33秒 | Weblog
 昨日、コーナンへ行って気づいたのだが、やはり、よしずとすだれが大量に売れ残っている。どうしたことだろう。
 2年、3年前にはよしずが夏の初めにはもう売り切れていた。そのときは追加の入荷予定はないと書いてあった。中国の天津産のよしずだ。売れるということで次第に大量に注文するようになってはいるだろう。しかしコーナンは倉庫がなく売り場の品がすべてだから次々入荷して売れ残っているというわけではない。何度か見てもいつもそのまま残っているから。
 そこで思うのが、今年の夏は気候がやや落ち着いているからではないか。落ち着いてという表現は不謹慎、まちがいだ。広島など集中豪雨が猛威をふるっている。気温がやや低めかなと思う。今日も風がさわやかだ(午前11時)。調べると、1月から8月29日までで、大阪市で35度以上の猛暑日は5日だった。30度以上の真夏日は55日あるがこれは当たり前としてがまんしよう。
 今年は暑い、なんとかしようと、よしずを買いに走る人がすくなかったのは事実ではなかろうか。
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注目、諏訪哲史の「再び人殺しの国に」

2014年08月29日 10時06分27秒 | Weblog
 「毎日新聞」の集金の時にもらう冊子『毎日夫人』(2014・9、№656)の巻頭エッセーに注目した。作家諏訪哲史さん、1969年名古屋市生まれの芥川賞作家の文章だ。

 「再び人殺しの国に」
 1人を殺せば殺人者だが100万人を殺せば英雄だ――チヤプリンが「殺人狂時代」で述べる台詞。防御や報復や聖戦など、いかなる理由があろうと人を殺したものは人殺しで、殺した国は人殺しの国だ。死刑執行者も人殺しであり、善人が「やむを得ず」殺人を犯しても悪には変わりない。やむを得ぬ殺人や仕方のない戦争など、言葉のごまかしに過ぎない。殺人に善はありえず、殺せばそれは悪である。
 かつて人殺しの国であった日本はこれを猛省し、「永久に殺さない国」を作った。人類史上最高の平和への宣誓憲法。これを頑なに墨守することで、他国から怨みを買わず、テロの標的にもならない国を作ってきた。
 「殺さなかった時間」の実績を、先人たちが凄まじい忍耐と覚悟で、あたかも鍾乳石を作る雫のようにひたむきに、今日まで積み上げてきた。それを現代の無能者が反故にして、「他国と同様、日本も殺すんだってとこを示そう。周囲を黙らせるために機会があれば一発お見舞いしろ。日本は本気で戦争をするんだってところを見せておくんだ」と主張し始めた。幼稚な虚勢意識。シンナーを吸う不良中学生にも劣る恥かしい誇大妄想である。
 集団的自衛権に賛成する者は、自分と自分の家族を「反対者よりも先に」戦地へ赴かせられるはずだ。しかし現実は、自分や家族の代わりに他の国民、つまり国費で雇われた自衛隊員たちが賛成者である自分より前に殺し合いに行ってくれる。好戦的な賛成者どもは「自分と家族の命を国民の代わりに戦地へ差し出します」と一筆誓書せよ。卑怯者にはそれができまい。
 右の頬を打たれても左の頬を差し出す気概があるからどちらの頬も打たせずにきたのが戦後の日本の生き様、鬼気迫る精神力なのだ。
 積極的平和主義?平和のための海外での武力行使?それが今より平和を損なうことだとなぜ解らないのか。好戦論者によって損なわれるのは僕ら戦争反対論者なのだ。

 「右の頬を打たれても左の頬を差し出す気概があるからどちらの頬も打たせずにきたのが戦後の日本の生き様」、日本国憲法第9条の真髄を表現したことばだ。
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大衆理容で散髪

2014年08月24日 11時01分15秒 | Weblog
 頭がぼさぼさになってきたので、市岡の交差点近くのいつも行く大衆理容で散髪をした。安保破棄大阪実行委員会の50年史の第1次の原稿準備がはかどらず時間がないのだが、見た目にも風采があがらなくなってきたので、思い切って行った。早くいったのに8番目だった。時間もったいないと思いつつ50分待って順番が来た。仕上がりは30分。早い。
 ここに散髪のことを書こうと思ったのは、女性(年配の)が二人も来ていたからだ。美容院ではカットとシャンプーで5000円はするらしい。もっと安いところもあるようだが、男の大衆理容に行きついたということだ。男の洗髪なしで1400円、洗髪ありで1900円だ。帰りに料金表をみたら、女性のカット・顔剃り1800円となっていた。
 料金表にも載せているのだから、どんどん女性も散髪屋を利用したらいい。腕は確かだ。
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田舎から届いた冬瓜

2014年08月22日 15時06分28秒 | Weblog
 盆に墓参りに田舎へ帰った時に、話題になった冬瓜を兄が送ってくれた。じゃがいももいっぱい段ボールに入れて。
 この冬瓜はお店で売っている冬瓜とは違う。普通はあざやかな緑色の、細長い枕のような形をしている。ところが田舎の冬瓜は、モチをつく臼のような形、あるいは大阪の「がんこ寿司」のキャラクターのおっちゃんのようなエラの張った四角い顔、それよりもわかりやすい寅さんの顔のような形をしている。だから普通の冬瓜のように横に寝てはいない。しっかり座っている。頭のてっぺんからツルが出ている形だ。色は緑ではなく粉を吹いて白っぽい。表面に小さく細いトゲがいっぱいあって、農作業をしない手にはそれが痛い。
 料理の仕方は、普通の緑の冬瓜と同じだ。緑のよりも固い。大きいけど、実の厚さは同じだから、真ん中の種が詰まっているところは大きく空洞になっている。鶏そぼろあんかけなどが代表的な調理法だ。冬瓜自身は自己主張をしない野菜だから、工夫次第でいろんな使い方ができる。
 ところで田舎では、冬瓜のことを「かもり」という。「かもうり」が縮まったものか。 
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シリアでの日本人拘束、その実態は

2014年08月19日 11時25分38秒 | Weblog
 内戦中のシリアで日本人男性・湯川遥菜(はるな)さんが、「イスラム国」というイスラム過激派組織に拘束された。シリアの日本大使館は全員ヨルダンに退避しているため、16日(2014・8)ヨルダン大使館が現地対策本部を設置した。湯川さんは、「日本から来たカメラマン」といっていたようだが、事実はちがった。
 自衛隊への納入業務に携わっていた湯川さんは、今年1月、日本で民間軍事会社を設立していた。その営業のための下調べとして2度目のシリア入りだったようだ。捕まった時は銃をもっていた。とても、カメラマン、ジャーナリストとはいえない。
 民間軍事会社(PMC)はイラク戦争でその存在が有名になった。イラク派兵で二番目に多いのはイギリスか、民間軍事会社かといわれるくらい多かった。戦争の民営化だ。新自由主義、民営化の先進国アメリカは、刑務所さらに戦争も民営化した。兵站、後方支援といわれるものに民営化を導入した。
 何がよくて戦争の民営化をするのか。まず人件費が少なくて済む。賃金も安いし、社会保険も、年金もいらない。次に、死んでも戦死者に数えられない。だからアメリカ国内での反発をおさえられる。軍人が死んだら遺体を奪還して冷蔵保存し、本国へ輸送する。不満が起きないように遺族年金をしっかり払わなければならない。PMCの傭兵ならば、死んでも遺体を沙漠に放置できる。大阪のジャーナリスト・西谷文和さんの本には、遺体袋にいれただけでヘリコプターから沙漠に投げ捨てられた写真がある。
 三菱重工業、IHI(旧石川島播磨重工業)、川崎重工業、小松製作所、新明和工業など古くからの軍需企業だけでなく、戦争の民営化に目をつけて、あらたに戦争に寄生して金儲けをしようという人間があらわれたことにおどろいた。
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戦後69年の8・15を新聞はどう迎えたか

2014年08月16日 21時38分17秒 | Weblog
 今年の8月15日ほど、どういう姿勢で迎えるかが問われた年はないだろう。いわずと知れた7月1日の安倍内閣の集団的自衛権行使容認の閣議決定をふまえて、8月15日を位置付けることが欠かせないからだ。
 14、15と墓参のために石川県の田舎へかえった。15日朝、地元の新聞『北國(ほっこく)新聞』が8・15をどう迎えたかを知ろうと新聞を手に取ってびっくりした。1面トップが「命ある限り戦友 共に生還、金沢で余生」という見出しの記事だ。南方の激戦地から生還した90台の二人の元兵士が平和の尊さをかみしめ、命ある限り戦友の思いを胸に刻んでいるというものだ。
 2面の社説が大変な代物だ。「終戦記念日 確かな平和外交のために」という題のわずか760字の短文のものだ。ちなみに『朝日』は1800字、『毎日』は2080字だった。新聞がこの日をどう迎えるかは、社説の構え方にあらわれる。『北國新聞』の社説はあまりにちんまりして、まったく意気込みが感じられない。
 問題は内容だ。枕詞として「平和の尊さをかみしめ」という語はある。「戦火に散った300万人以上もの人たちの霊を弔い」アジアの国々に犠牲を与えたことを反省しと書いている。だが深まりはない。北海道新聞が8・15をめぐって掘り下げたキャンペーンをしているのとの落差は大きい。知性の差というべきか。ジャーナリズム精神の有り無しか。
 「霊を弔い」というのは特定の宗教的立場であって、新聞が社説で主張すべき言葉ではない。全国戦没者追悼式でも、天皇は「追悼の意を表し」と無宗教的立場で式辞をのべている。ところが安倍首相は、御霊、御霊と連呼している。あきらかに特定の宗教的表現だ。ちなみに浄土真宗は、霊の存在を認めないし、したがって慰霊行為はしない。
 『北國新聞』社説は、まえがき部分を除いた本論をすべて集団的自衛権行使容認にあてている。「閣議決定を行った安倍政権に対して、中韓両国側から軍国主義の復活とか右傾化といった批判がなされ、国内でもそれに同調する向きがある。それは正しい批判であろうか。」という。集団的自衛権行使容認を批判する国内世論を中国韓国に同調する動きとしてとらえる思考方法は、かつて米ソ対立の時代の右派ジャーナリズムのそれと同じで、前時代の遺物だ。中国韓国の顔色をうかがって発言する流れがあれば教えてほしいものだ。中韓両国がものをいうずっと前から、国内世論が沸騰していた事実ひとつとっても、まったく成り立たない妄言だ。
 「社説」は国際環境変化として、「力で国境を変える新帝国主義の到来という表現が誤りとはいえない事態が中国やロシアによってもたらされている。」と指摘する。『北國新聞』が帝国主義という用語をつかうことに新鮮なおどろきを覚えた。帝国主義は、19世紀末以降の、領土や資源を求めて他国を侵略する政策とその国家をさす。かつてのソ連は社会帝国主義というべきもので、そのあとを引き継ぐロシアが帝国主義的様相を示しているのは事実だ。『北國新聞』がロシアと中国を新帝国主義という新しい規定をしたのは注目すべきことだ。では、21世紀においても現役の帝国主義として君臨してイラクに侵略し(国連憲章違反)、他国の政権を倒し(国連憲章違反)、民間人を大量殺害した(戦時における文民の保護に関するジュネーブ条約違反)アメリカのことをアメリカ帝国主義と指弾しているのか。「社説」は「イスラム過激派の動きも形を変えた帝国主義の一種といえるかもしれない」と国家と政治運動との区別もしない混乱ぶりを示している。社会科学的にはまったくの音痴だ。
 「社説」は、「力を振りかざす大国から、小国はいかに身を守るか。その手立てとして国連憲章で認められているのが集団的自衛権であることをまず知っておきたい。」とのたまう。個別的自衛権は正当防衛的なものだが、集団的自衛権は自国は攻撃されていないのに、他国を助けるとして戦争を行うものだ。これは国連憲章をつくる過程で原案にないものをアメリカが押し込んでつくった。
 歴史的に集団的自衛権行使として行われた軍事行動はいくつあるか。国立国会図書館『レファレンス』(№696、2009年1月)の松葉直美氏の論文によれば、以下の通りだ。
 1)ソ連/ハンガリー(1956年)、2)アメリカ/レバノン(1958年)、3)イギリス/ヨルダン(1958年)、4)アメリカ/ベトナム(1965~75年)、5)ソ連/チェコスロバキア(1968年)、6)ソ連/アフガニスタン(1979年)、7)アメリカ/ニカラグア(1981年)、8)リビア/チャド(1981年)、フランス/チャド(1983年、1986年)、9)アメリカ・ヨーロッパ諸国・アラブ諸国/クウェート、10)ロシア/タジキスタン(1993年)、11)アメリカ/アフガニスタン(2001年)
 その多くはソ連のハンガリー侵攻、チェコスロバキア侵攻、アフガニスタン侵略、アメリカのベトナム侵略、ニカラグア侵攻に見られるように侵略戦争を糊塗するために集団的自衛権の名が利用されていることを我々は知らなければならない。
 戦争を放棄している日本が、他国に武力をもって介入する、戦争に助っ人として参加することが許されないのは、もとより明らかだ。
 「社説」が、「政府与党が限定容認する集団的自衛権の本質は、防衛のための抑止力強化にあり、戦争をするためのものではない。軍国主義の復活であるはずはなく、右傾化批判も的外れであろう。」とまでいう。集団的自衛権行使容認を秘密保護法、教育への国家的しめつけと重ね合わせると、安倍内閣が軍国主義復活を着実に進めているのは事実ではないか。またこれを右傾化といわずしてなんというか。安倍首相自身が右傾化批判を何が悪いと開き直っているではないか。
 これまで憲法制定以来ずっと集団的自衛権は行使できないという立場をとってきたのを180度転換したのは、戦争ができる国へ方向転換した以外の何物でもない。安倍首相は戦争はしないといっている。当たり前だ。真正面から戦争をするというはずがないではないか。これまでの近代の歴史の中で、侵略するといって戦争した国はひとつもない。みな自衛のためだという。アジア太平洋戦争の時も日本は自存自衛すなわち自衛のための戦争だといった。だが近代以降、日本の戦争はすべて他国の領土へ攻め込んで戦争をした。すなわち侵略戦争だ。
 戦争をしない、戦争をするためのものでないなら、そもそも集団的自衛権行使を認めるべきでない。
 歴史的転換点となった今年の8月15日を、深く思考することなく、安倍政権になりかわって憲法破壊を弁解、擁護することばを並べるのは、新聞のあり方としてなさけない。知性が感じられない。
 『北國新聞』は、7月1日の閣議決定に賛意を示した数少ない地方新聞だ。『福島民友』『北國新聞』『富山新聞』の三つだけだ。あとはすべこれを批判した。三つというが実際は二つだ。『富山新聞』は金沢にある『北國新聞』が製作・印刷・発行し、配達集金だけ富山でやっている「地元」新聞だ。部数は少ない。
 金沢はいい街だが、『北國新聞』の存在の分だけその文化的価値が下がっている。
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野呂栄太郎、小林多喜二の碑を訪ねる

2014年08月14日 10時34分07秒 | Weblog
 大阪安保の北海道平和ツアーでは野呂栄太郎と小林多喜二の記念碑を訪ねた。野呂栄太郎(1900-1934)は『日本資本主義発達史』を書いたマルクス経済学者で日本共産党の指導者でもあった。北海道長沼町出身で北海中学、慶応大学に学ぶ。子どもの時のけがが元で隻脚となったため札幌1中も、東大も入学をゆるされなかった。ひどい障碍者差別だ。結核の病身をおして活動し、研究をすすめたが、スパイの手引きで検挙され、品川署で激しい拷問をうけ、状が悪化し、権力の手で命を奪われた。野呂の支援者が土地を提供してつくられたのが、長沼町の野呂栄太郎碑だ。200坪くらいの土地にたくさんの木に囲まれて碑が建っている。略歴を記した碑もある。
 小樽では小林多喜二(1903-1933)が建てた小林家の墓、多喜二碑を訪ねた。小樽は多喜二が小樽商業学校、小樽高等商業(小樽商大)に通い、北海道拓殖銀行で働き、かずかずの小説を書いた街だ。だから今も残っている拓銀(今はホテル)でも、小説「不在地主」にかかわるレンガ倉庫(今はレストラン・海猫屋)などゆかりの建物には多喜二との由来を書いた説明板が建てられている。それにしても小樽は石造りの建物、倉庫が多い。有名なもの以外にあふれるほどの石造建築が残っている。小樽の街の様子は、ずいぶん近代化してはいるが多喜二の『転形期の人々』に書かれた情景を思い起こさせる風景だった。小高い丘の上から小樽の街が一望できる場所にある多喜二碑は彫刻家・本郷新の作による巨大な碑で、書物を開いた形になっている。赤みがかった石を積みあげてできている。多喜二は1933年2月20日、特高のスパイの手引きで捕まり、築地署でその日のうちに拷問のあげく殺された。悪法の治安維持法によって裁判を経て死刑にされたのではなく、即日、私的に死刑にされた。警察権力による殺人だ。いまもって殺人者は処罰されていない。
 わたしはいずれも初めての訪問だった。
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昆布森のカキは最高

2014年08月12日 07時44分03秒 | Weblog
 夏に北海道に来たのは初めてだった。帯広駅前のホテルに泊まった。夜連れ立って屋台の街にでかけた。その端の店に入った。十勝の純米酒とカキをたのんだ。昆布森産のカキということだった。生でレモンをかけて食べたが、これがおいしい。大ぶりで、クリーミーでとろけるようだった。能登の岩ガキにならぶものだった。
 北海道厚岸のカキが最高だと今まで思っていたが、これをはるかにこえる。名前の通り、昆布の森の海で育つカキがおいしくないわけはない。カキとは別物といってもいいカキだった。白貝というこの地方の貝もたべた。ハマグリの親戚という感じだ。
 帯広の屋台は、道路に面した建物の外側部分を調理場にし、客席を道路にせり出して設営する。上下水道が完備されているので生ものも出すことができる。まるっきりの屋台ではないから、料理の範囲が広がる。大阪では広い歩道で屋台を出したりすると、2日目くらいに警察に撤去を命令される。
 こんな屋台は若い料理人が独立する近道としていいなあと思った。研究有の帯広式屋台だ。
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50回目の矢臼別平和盆踊りに参加

2014年08月11日 07時44分52秒 | Weblog
 大阪安保破棄実行委員会の北海道平和ツアーに初めて参加した。北海道東部の矢臼別(やうすべつ)自衛隊演習場のなかで開かれた平和盆踊りに参加するのがひとつの目標だった
 戦後、矢臼別の原野に開墾に入った86戸の農家をおそったのが自衛隊の演習場設営だった。原野の開墾は、木を切り、根を掘り起こす作業のくりかえしだ。電気も水道もない無収入、掘立小屋生活での苦労の連続だ。
 1953年に入植してどうにか牧場経営ができるようになったところに自衛隊基地設置がもちこまれた。1962年から63年春にかけてはげしい買収工作がおこなわれた。苦しい経営、重なる借金にあえぐ人々の頭を札束でたたいた。結局残ったのは、川瀬氾ニさん杉野芳夫さんの二人だけだった。川瀬さんは、「苦労してどうやら暮らしのめどがついた矢先に、こんどは演習場をつくるから出ていけだ、こんなことは許せない」と憤った。
 1965年に第1回矢臼別平和盆踊りが始まった。演習場は2万町歩。そのどまんなかにあるのが川瀬牧場、杉野牧場だ。演習場は南北10キロ、東西28キロの日本一の巨大自衛隊基地だ。演習場は別海町、浜中町、厚岸町にまたがる。いまは米軍も陣取っている。
 杉野さんはのち離農し、その土地も川瀬さんがひきついだ。川瀬さんは、馬の飼育をしていた。馬は自衛隊演習場になった農場も自由に走り回った。だが自衛隊は有刺鉄線で牧場を囲い込んだ。1991年、川瀬さんは、かまぼこ型の牧舎(D型ハウス)の屋根に「自衛隊は憲法違反」の文字を大書した。いまも鮮やかに主張し続けている。衛の字は隷書体だ。
 こんど泊まったのは、D型ハウス2号舎で、別名矢臼別ホテルという。旅程表にも矢臼別ホテルとなっている。川瀬さんを支援する人々が泊まる場所だ。すでにハウスの内側は柱と梁で二階建てに改造され、畳がしかれている。こんどは200もの樫布団が1,2階にびっしり敷かれた。
 矢臼別平和盆踊りは来てみてびっくりなのだが、牧場がとりあげられて50年もたち、完全な原野に逆戻りした演習場のただ中だから、泊まり込み覚悟でないと無理だ。参加者の多くはテントで泊まる。だから運動場の広さの盆踊り会場の外側に広大なテント村が出現する。
 盆踊りの準備はたいへんだ。まず会場とテント村の草刈だ。アブと蚊の大群に悩まされながらの作業だ。祭りのやぐらも電柱くらいの太さの柱でつくるしっかりしたものだ。これとは別に屋根付きの舞台も設営する。舞台では各団体・グループの演奏がおこなわれる。
 2009年川瀬さんが死亡。妻普実子さんは96年没。すでに1989年、三重県から浦舟三郎・栄子夫妻が移り住んでおり、川瀬牧場はひきつがれた。2004年には札幌から渡辺佐知子さんも牧場住民となっていた。第50回平和盆踊りも、浦さん、渡辺さんが参加者を迎えてくれた。盆踊り翌朝の集会で、原野での一人での生活大変ですねという問いに、浦さんは、自然のなかでの生活は思うより豊かです、植えて10年もたった農場のブルーベリーも出荷できるようになったとのこと。朝6時からの川瀬牧場めぐりツアーで浦さんの家の畑で100人余りがブルーベリー収穫体験をした。甘くてなかには酸味ののこるブルーベリーをいっぱいほおばった。まだ若い渡辺さんは、虫の動きにも目が行くようになり、あらたな世界がひろがって充実した生活をしていると語った。川瀬さんのたたかいと川瀬牧場はしっかりとうけつがれている。
 9日、18時時から鉄板をかこんでジンギスカンでビール。舞台がはじまり、8時前に花火。本物の花火だ。頭の上いっぱいにひろがる。音が腹にひびく。値段が高いだろうに大丈夫かと心配しつつ、大玉の連発を楽しんだ。100発くらい上げたのではなかろうか。つづいてかがり火に点火。柱を組んで三角にした巨大篝火だ。12時ころまで燃え続けるのだからその大きさを想像していただけるだろう。火柱が空高くまでのぼった。花火が終わると盆踊りだ。やぐらをかこんで何重にも踊りの輪ができた。北海盆歌だ。CDではないから、休みなしでえんえんと演奏がつづく。仮想大会もかねていて盛り上がる。9時までのぶっつづけノンストップ盆踊りだ。手と足の動きがそろった踊りができるまで時間がかかったが楽しかった。そのあとは深夜までの舞台演奏だ。やぐらでも舞台でもトランペット奏者松平晃さんの演奏があった。30回近い常連の出演だそうだ。
 参加者は900人くらい。都会からはもちろん、町からもかけはなれた原野の自衛隊演習場のなかにぽっかり浮いている解放区川瀬牧場での平和盆踊り。じつに50回目だ。記念すべき大会ということで、ものすごい人数だ。
 前夜祭ふくめてあしかけ3日の盆踊りになぜこれほど多くの人をひきつける力があるのか。準備からあとかたづけまではさらにたいへんだ。生活まるごと、自衛隊基地に土地は渡せない、理不尽は許せないとたたかいつづけた川瀬さんのいきざまが人をひきつける力になっているのだろう。
 川瀬さんのたたかいは、安保条約の下、着々と強化され、いま集団的自衛権体制づくりへとすすんでいる現在、確実にひきつがれ、どっしりと根を張っている。

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ソニーのノートパソコンVAIOは最低

2014年08月07日 11時55分20秒 | Weblog
 昔のパソコンに比べて最近のはすぐにこわれる。ひどいのが、2年ほど前に買ったソニーのVAIOだ。毎日これを使っているのだが、ほとほといやになる。
 というのは、キーで指示していないのに、画面が勝手に変わるのだ。いちばん多いのが、字の大きさが、100%から85%、50%、10%へとくるくる変わっていく。大きくなったりもする。そのたびに元に戻さなけれなならない。ところがすぐに小さくなったりする。かんしゃくをおこして、パソコンをたたいたことがどれだけあったか。
 関係のない画面に変わることもたびたびだ。わたしよりパソコンに詳しい娘が家に来た時になんとかならないかときいてもわからないという。
 キーを押していないし、指でカーソルを動かしてもいないのに、勝手に表示が変わるソニーパソコンは最低だ。
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教員の定年前退職、中学校で43%という驚異の数字

2014年08月07日 09時02分35秒 | Weblog
 8月4日(2014)、文部科学省が2012年度の学校教員統計調査を発表した。新聞報道という形で注目されたのは、精神疾患で退職、休職した人の数だ。退職は国公私立学校で969人(前回09年951人)、休職が4960人(11年5274人)だった。
 私が注目したのは、公立小中高校の退職者の定年退職と定年前退職の割合だ。公立小学校の12年度の退職教員数は1万8007人(定年退職67%、定年外33%)、公立中学校8684人(定年退職57%、定年外43%)、公立高校6302人(定年退職70%、定年外30%)だ。
 定年前退職が驚くほど多い。わたしの表現では定年までもたないということだ。定年まで勤めること自体がたたかいになっている。多くの人は経済的な理由で早く辞めることはできない。でも辞める人が30%から43%になっている。結婚している女性の場合、辞めるハードルが少しは低いといえる。
 びっくりするのは、中学校で定年前退職が43%にも達していることだ。半分に近い。中学校での教員としての勤務がいかに荷が重いか、ストレスが強いかを示している。経済的には辞めないほうがいいが、辞めざるをえないのだ。うつ病など精神疾患が教員に多いことには、最近関心があつまっている。しかし、精神病になる前にリタイアしている人が相当いることにも注意を向け、分析する必要がある。
 労働時間調査で、教員が長距離トラック運転手とともに労働時間が長い代表としてあげられてきた。ようやく最近、世間的にもこれが知られるようになった。そこでは授業・生徒指導関連の時間に比して、報告書作成・部活動などの時間がふえていることが指摘されている。報告書などは適当にやって、授業の教材研究に力を集中することが大事だ。報告書を適当にすると評価が下がるだろうが、いい教員になるためにはそれくらいの度胸がないとダメだ。
 はっきりいって、精神疾患になる、もうこれ以上つとめられないというところに追い込まれるのは、授業、生徒指導でのあまりのストレスのためだ。だけどみんながそうなるわけではない。教員としていちばん力を入れ、アイデンティティを感じる場面で自分が否定されるのは、ズシンときて、肉体的疲労をもつくりだし、見えない重石が残る。事務作業のためにストレスを抱え込むことはない。上からの事務作業の指示に忠実なあまり、自分ですべてを背負わなければならない授業研究がおろそかになることで、結果的にストレス過重になるのだ。逆に授業がうまくいくと、心が晴れ晴れ、うきうきし、充実感がみなぎる。でもいつもいつもそうとは限らない。そんな甘くはない。
 よく予備校の自信満々の名物講師が宣伝材料としてでてくるが、みんな同じ方向を向いた羊の群れを相手にしている授業だということを押さえなければならない(授業内容の深さは認めるが)。これがてんでんばらばらな方向を向いた生徒相手では、まずある程度同じ方向を向かせることが必須条件だ。落語のまくらのようなものでみんな前を向かせられるなら簡単、実際は授業の中身でじょじょにひきつけ集中させる。これがうまくいけば大したものだ。テレビでも超有人の予備校講師の人が茶髪の青年をあいてに授業をした番組があったが、ひきつけることに完全に失敗した。結果、授業の様子はほとんど放映されなかった。テレビの有名人が現れて、最高の持ちネタをぶつけても、ヤンキーはびくともしない。以前、NHKで各界で名を成した人達が、出身の小学校に出向いて授業をする番組があった。各界の達人が自分の得意な分野で授業し、しかも学校の先輩だから、みんな集中して授業をうけていた。見ていると、先生である有名人たちは、ひどく緊張していた。得意分野のとっておきのネタであっても、緊張するのだ。
 教育困難が広がると教員のストレスは蓄積する。うまくストレスを流すことができる人は持ちこたえることができる。わたしは、いやな思いやストレスを心の中で小さく包んですみっこに隠しておいて、いま大事なことに集中するような心の持ちように自分を仕向けるようにした。でも、いやなことやストレスを気にしないでおくことができず、常に頭によみがえるような心の持ち様の人はつらい毎日を過ごすことになる。
 教育は、生徒との信頼関係の構築につきる。報告事務作業に埋没して、信頼を築く場面を減らすことは非教育的だ。日本では部活動にとくに中学校では相当時間をついやしている。それが好きでしょうがない人には楽しみだが、そうでない素人には純粋に労働だ。でもこれが生徒との関係構築に大きな力を発揮している。今はほとんどの中学生が部活動に所属し、顧問との濃密な関係を結んでいる。これもあって先進国ではめずらしく、公立中学校で比較的安定した学校教育がおこなわれているのだ。
 少年の凶悪犯罪の率も他の先進国に比べて極端に少ない。以前の日本と比べても、終戦直後や1960年ごろに比べて、大きく減っているのが事実だ。特異な犯罪が起きてはいるが(特異な凶悪犯罪は戦前にもたくさんあった。古い新聞を見るとわかる)少年の凶悪犯罪は減っている。
 生徒指導が困難でも、職場の雰囲気、教職員間の関係が円滑であれば、持ちこたえることができる。これは多くの学校の歴史が示している。ところがここ10年余り、文科省や教育委員会からの管理統制が極端なところまですすんでいる。まず報告書の量にあらわれている。ところによっては毎時間ごとの授業案を出させるところもある。一方で学校の権限(=校長の権限)を縮小している。大阪の中原教育長のように、卒業式では校長教頭は教員の口元調査に神経集中という異常事態をつくり出した例まである。余裕のない、潤滑油のない機械のような状態に学校がつくりかえられた。職員会議で挙手採決することも府教委は禁止するという。すべて校長の一存。たくさんの、さまざまな顔を持つ生徒、日々違う表現をする生徒相手の教育活動と校長独断は本来むすびつかない。生きた教育を殺す組織形態だ。これがあらたに教員を追い詰めることになる。かつての、教員の力を引きだし、それを結び合わせる、民主的な職場体制の時代には、その職場態勢で多くの教員がささえられた。ところが今、権力はそれを嫌悪し、断ち切り、ばらばらにした。重荷をすべて個人で抱える体制につくりかえられた。あらたな質の教育困難が待ち受けている。
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スイカの煮物

2014年08月07日 08時45分17秒 | Weblog
 どこかの旅番組でスイカの煮物を出してたのを思い出してつくってみた。
 スイカの白い部分の緑の皮を削ぎ、残った赤い実も切り取る。出汁で煮て塩だけで調味する。7分ほど煮て、火を止める前にミョウガを縦に細切りしたものを入れる。冷めてから食べる。
 薄い割に、冬瓜に比べて実は固く、独特の歯ごたえがあってなかなかおいしい。
 スイカの皮は、昔は漬物にすることがあった。昔のスイカは白い部分が分厚く、漬物に適していた。しかし、品種改良で白い皮の部分がどんどん薄くなり、今は漬物にしようという意欲さえわかなくなった。
 そんなときに煮物というのは新しい発見だった。
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理研CDB副センター長、笹井芳樹氏自殺

2014年08月05日 16時04分34秒 | Weblog
 今日(2014.8.5)9時、神戸市の理研先端医療センターで、理研発生科学総合研究センター(CDB)副センター長の笹井芳樹氏(52)が自殺しているのが見つかった。遺書もあった。
 笹井氏は小保方晴子氏の論文不正を見抜くことなく、執筆指導し、共著者に名前を連ねることでネイチャー掲載へ誘導した。
 スタップ細胞が存在しないことはもはや専門家の共通認識となっている。笹井氏は、実験データにさかのぼって検証することなく、論文執筆協力にはしり、あわよくば世界に打って出るということを夢想して墓穴を掘った。
 多くの専門家の実験によって、ねつ造はもはや動かしがたくなり、笹井氏は日に日に追い詰められていったのだろう。もはやありえないものを求めて、小保方さんに11月まで実験を続けさせるという理研の問題処理も、笹井氏もかかわった決定だっただろうが、結果的に死へと導いたのではないか。
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菅原琢・東大准教授の「政権に関与してこそ護憲派」論に、異議あり!

2014年08月05日 11時31分15秒 | Weblog
 『朝日新聞』7月31日(2014)付けの「論壇時評・あすを探る」に東大准教授で政治学者の菅原琢氏の論説が載った。菅原氏の専門は政治過程論、計量政治だ。各種選挙の計量的分析には、事実にもとづいたものだけに納得できる部分が多い。
 だがこんどの論説は氏の政治的意見をのべたもので、憲法学との共通の理論的土俵を持たない、憲法学からの批判を単に無視することをきめこんだ意見開示だ。
 菅原氏が主張するのはこうだ。
  
 憲法学者の通説と裁判所の判例がしめす憲法解釈はしばしば対立する。最高裁が示した解釈が、司法や政治・行政の場で意味を持つ。今回の憲法解釈の変更は訴訟リスクが待ち受けていると憲法学者の木村草太氏は指摘した。
 仮に最高裁の判事全員が集団的自衛権の行使を認めない立場なら、解釈を確定するために15人の裁判官のうち8人を交代させる必要がある。2017年3月までに8人が70歳の定年を迎えるるから、自民党はあと1回衆院選に勝利すれば、お墨付きを確実にできる。
 これは政権党の横暴ととらえる人も多いだろうが、これはまさに憲法に規定された民主的手続きの帰結である。政権は、時代の変化や自身の好みに応じて条文の解釈を変更できる。複数回の選挙に勝てばそれを追認する最高裁をつくることもできる。以上は、憲法が学説や権威によってではなく民主主義により守られ、作られていることを意味する。
 したがって、集団的自衛権行使容認の解釈を覆したいならば、政権に入る必要がある。さらに最高裁に同調者を送り込めば確実だ。
 選挙制度が少数派にいちじるしく不利であるのは言い訳にしかならない。少数派なりの戦略で政権にくみし、じょじょに変えていけばよい。妥協を嫌い政権から逃げていては、護憲も何も絵に描いた餅でしかない。

 いまの日本の憲法をめぐる激しい対立と、9条の会に見られるような草の根からの護憲運動、日本国憲法を世界に広げようという世論をみるとき、この論説には激しい違和感をおぼえる。安倍自民党の側からは、うん、もっとも、そのとおりと称賛されるだろう。
 このひとは世論や世論調査についても研究している。安倍内閣の閣議決定に、8月の読売調査では「集団的自衛権を限定的に使うようになったことを評価する」41%、「評価しない」51%、共同通信では「集団的自衛権行使容認に賛成」31・3%、「反対」60・2%と、政権に厳しい世論動向をその論理構成にいっさいかかわらせていない。
 政権党が長年やってきた最高裁裁判官の送り込みを民主的手続きだと肯定する。手続き的に問題はないとしても、政権政党の目的遂行に役立つ裁判官人事が、真に司法の独立に資するものとはとうていいえない。それを手続き論レベルで民主的というのは、その民主主義の権力主義的な色彩を浮かび上がらせるものでしかない。
 時代の変化によって条文の解釈が変わることは否定すべきではない。たとえば憲法13条は、個人の尊重、幸福追求権を規定した条文として、新たな社会問題を解決するために、環境権やプライバシーの権利などを生みだす役割をはたした。ただしこれは、日本国憲法が人権を第1義とする憲法であることの必然であった。ところが、集団的自衛権行使容認は、憲法9条のどこからも出てくる余地のないものだ。解釈の変更という形をとって、9条を根底からくつがえすものだ。菅原氏は、これを憲法上ゆるされる解釈だという前提に立っている。
 ここでいえるのは、菅原氏は立憲主義をその理論の内部に取り込んでいないことだ。憲法は憲法学説や権威(たとえば内閣法制局がつみあげた9条解釈)によって憲法は守られるものでないというのは、権力の恣意的暴走を容認するものだ。憲法は民主主義によって、氏によれば憲法破壊的解釈を最高裁の入れ替えで確定することによって、憲法はつくられるというのだが、まさに麻生副総理が「ナチスのあの手口に学んだらどうかね」(2013.7.29)というその手口も民主主義だとして今も肯定するものだ。
 安倍内閣の解釈を覆したければ、政権に入る必要がある、または少数派であっても政権にくみし、じょじょに変えていけばよいという。ここではナチスの手口的立憲主義破壊が問題にもならない。原則があいまいなまま政権に与することがどういう事態をもたらすかは、安倍内閣の公明党ですべてが物語られている。
 妥協を嫌っては護憲も絵に描いた餅だというが、憲法手続きによらない実質改憲を強行する権力と妥協して護憲が実現できる筋道を教えてほしい。
 憲法に立憲主義があるのに、菅原氏の理論には立憲主義が取り込まれていないという欠陥だけでなく、広範な国民の草の根からの憲法擁護運動を理論に位置づける枠組みを持っていない。だから日本の生きた政治分析はできない。朝日の論説も現実とは遊離した論の組み立てでしかない。
 それと、菅原氏は、最高裁の裁判官は集団的自衛権行使容認か否かで判決を出すという前提でこれを書いているが、憲法9条の解釈だけでなく、その前に立憲主義がの立場から判断するという自明の推論を放棄している点で受け入れられない。
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