山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

東京にきています

2014年07月28日 15時35分31秒 | Weblog
 昨日から東京にきている。お茶の水にある中央大学の記念館で開かれている全民研(全国民主主義教育研究会)の大会にきている。お茶の水のホテルでこれを書いている。同室は藤本幸宣さんだ。かつては真宗大谷派の僧職にあり教職にもついていて、9条の会の呼びかけ人の小田実さんと親交をむすびともに活動をした人だ。今は車いす生活となったが、頭脳明晰、舌鋒するどく反動勢力を批判する。そのお供で来ている次第だ。ついさっきまで、近くのうどん屋兼居酒屋でいろいろ意見交換していた。
 東京だけでなく大阪でも教育行政の反動化はすさまじく、これをモデルに安倍政権は全国に波及させようとたくらんでいる。
 この反動攻勢は個々の教育実践の力で打ち破れるものではないが、政治・社会・教育の民主化をまとめて展望する議論をしたいものだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「STAP事件:日本の科学は大丈夫か?」シンポジウムに参加

2014年07月27日 22時51分06秒 | Weblog
 今日(2014.7.27)、日本科学者会議京都支部主催の「STAP事件:日本の科学は大丈夫か?」シンポジウムにこの問題の素人であるにもかかわらず参加した。京都工芸繊維大学で13:00から17:30ひらかれた。30人の出席だった。直接の専門ではなくとも、わたしを除けばほとんど理系の研究者のように見受けた。
 司会は、京都工繊大・前田耕治氏。日本科学者会議京都支部代表幹事の富田道男氏のあいさつのあと、3氏が各50分の持ち時間で報告と質疑応答をした。 
 報告1「STAP事件がもたらした衝撃」二木杉子氏(大阪医科大学)
 報告2「STAP論文の不正は何故見過ごされたか」宗川吉汪氏(生命生物人間研究事務所)
 報告3「『STAP細胞』研究不正を引き起こした日本の学術研究体制」兵藤友博氏(立命館大学)
 そのあと、報告者と参加者による討論。討論の司会は左近拓男氏(龍谷大学)

 これらの報告を要約する能力はわたしにはない。印象深く傍線を引いたり、メモをした中から宗川氏の報告にかかわるものをすこしだけ記してみたい。
 小保方「ネイチャー」論文の根幹は、細胞を「選択」することによってではなく、初期化「誘導」によって、細胞分裂がすすんで分化した細胞から初期化した細胞=STAP細胞が出現したというもの。その際、マウスの脾臓のTリンパ球をpH5.7の液に25分ひたして培養する。
 ところが、STAP細胞作製の手順書論文どおりにやっても再現実験はだれも成功しない。弱酸性処理をしても初期細胞への「誘導」は観察されていない。じつは、マウスに内在する初期細胞(Museミューズ細胞)をつまみ出していた、「選択」していたにすぎなかったであろう。Muse細胞は東北大・出沢真理氏らの発見の多能性幹細胞で、吉川氏は「STAP細胞はほぼMuse細胞であることはまちがいない」と断言した。小保方氏が若山教授に既存のES細胞をだまして渡し、これでキメラマウスをつくらせ成功だとした。
 この点に関し、今日27日21時からのNHKスペシャル「調査報告STAP細胞”不正の深層”に迫る」で、理研小保方研究室の冷凍庫に留学生がつくった大量のES細胞が保管されていることが初めて明らかにされた。
 「ネイチャー」はなぜウソを見抜けなかったか。「ネイチャー」編集部は世界的権威である笹井芳樹氏、若山照彦氏を信用して掲載した。
 笹井・若山氏はなぜウソを見抜けなかったか。これが最大の問題だと宗川氏。
 そのほか、「科学者の理性を失った理研」や「なぜこんな事件が起きたか」など重要な論題があった。
 二木氏も「研究者の大半がSTAP細胞自体がねつ造だという意見だ」とのべた。早稲田大学提出の博士論文も話題になった。早稲田の調査委員会が博士論文に値しないと結論付けながら、博士号は取り消さないという意味不明の報告をしたことにもきびしい批判が出た。
 
 シンポジウムでは、理研の問題性、科学者が真理の探究者から、お金と名誉の追及者になる倒錯現象、政府・財界・学者ムラによる科学者支配、独立行政法人「改革」、国の科学技術基本計画による差別的研究費配分、大半の若手研究者が任期制雇用のあるいはそこにも到達できない悲惨な生活問題など、重要な指摘と議論が交わされた。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橋下職員思想調査問題、しぶしぶ中労委に従う

2014年07月26日 11時18分49秒 | Weblog
 橋下大阪市長は7月25日、2012年に実施した3万人の職員への思想調査について、中央労働委員会が不当労働行為と認定した問題で、しぶしぶ従うと表明した。中央労働委員会の命令の取り消しを求め提訴する議案が、市議会で自民・公明・民主・共産各党の反対で否決されたことにより命令に従うといったのであって、すすんで非を認めたのではない。
 アンケートは、政治家の演説会への参加の有無、誰に誘われたか、組合加入の有無など思想調査そのもので、思想良心の自由、団結権、参政権の侵害だった。それを職務命令で提出させた。橋下氏の人権件感覚の欠如、労働組合への敵愾心の度合いを示していた。一方で、労働委員会とは別に職員が市長相手に起こしている裁判については、なんら反省せず同じ主張をくりかえす旨を表明した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHK経営委員・百田尚樹氏、違法な番組介入

2014年07月25日 10時51分06秒 | Weblog
 22日(2014.7.22)にあったNHK経営委員会で「ニュースウオッチ9」で大越健介キャスターの発言にいちゃもんをつけていた(『朝日』7.25)。大越氏が「在日コリアン1世の方たちというのは、1910年の韓国併合後に強制的に連れてこられたり、職を求めて移り住んできた人達で、大変な苦労を重ねて生活の基盤を築いてきたという経緯があります」と発言したことに異議を唱えた。「在日韓国・朝鮮人を日本が強制連行したといっていいのか。間違いではないか」「日韓併合後に強制連行はなかった。NHKとして検証したのか」などと述べたという。
 百田氏の、「強制連行は間違い」「韓国併合後に強制連行はなかった」というのは、これこそ完全な間違い。百田氏こそ信仰告白的な偏見を事実にもとづいて検証すべきだ。ただし自分好みの偏見本でではなく、広く歴史学の成果に学ぶべきだ。
 それにしても、この百田という人物の頭の凝り固まりぶりにはおどろく。この問題にしろ、南京大虐殺にしろ、まじめな研究書は一冊も読んでいいないのだろう。だのに、恥かしいような言説をふりまく。およそ知識人とはいいがたい。
 彼は自分がNHK経営委員ということの自覚がはたしてあるのだろうか。経営委員は、番組の編集について干渉してはならない旨が放送法で定められている。安倍首相がお友達だということで、なにも怖くないのだろう。しかし完全な違法行為だ。
 百田氏の罷免を求める。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橋下維新 大阪都構想協定書決定、つぎは独裁的専決処分

2014年07月24日 12時21分43秒 | Weblog
 7月23日(2014.7.23)、橋下大阪市長ら大阪維新の会は維新委員のみの法定協議会で大阪都構想の協定書を決定した。
 橋下大阪市長らは、1月31日以来、維新以外の各党のたび重なる開催要求を5か月間はねつけてきたのに、7月3日以後あいついで維新の委員だけで法定協議会を開いた。たまたま維新が多数を占める府議会議会運営委員会で6月27日、自民・民主の委員を維新にさしかえた。さらに7月3日法定協議会がはじまる1時間前に、再度議会運営委員会を開いて公明党の委員もさしかえた。それは大阪市議会が、法定協議会が正常化されるまでは委員をださないと決めたので、そのままでは法定協議会が成立しなくなるということでやったことだ。これに対し、府議会議員の過半数の57名が臨時議会の開催をもとめている。府議会の議席数に応じて委員の選出をするよう求めてのことだ。本来の議会制民主主義だ。
 府議会でも市議会でも、野党による臨時議会招集の要求がでているが、松井知事も橋下市長もこれを拒否している。20日以内に開かなければ、法律(地方自治法)違反だと、新藤総務相がいったのに対して、松井知事は「法に反しているとは思っていない」、橋下市長は「形式的には法律に抵触するが違法ではない」といった。
 地方自治体の長が法にもとづき議員の4分の1が請求した臨時議会を招集しないという事態は法の想定範囲を越えていた。鹿児島の竹原信一・阿久根市長(2008~10)が議会を開かず、専決処分をくりかえすという違法行為をうけて、法改正がおこなわれ、長が招集しないとき予備的に議長に招集権を与えた。
 その議長による10日間の招集期限が7月26日だ。維新議長もぎりぎりまで粘るから、その間に都構想案を固め、法定協議会で決めてしまおうというのだ。26日は休みなので25日招集となった。そのため、橋下氏は各部署に対して本来の仕事はさておいて、都構想の仕事最優先でやれと指令し、協定書の絶対納期は20日と命令していた。20日は市長の臨時会招集期限でもある。市議会議長は25日招集を決定した。
 松井・橋下氏は協定書を9月の府会・市会に提案する。橋下氏は23日、野党に「12月31日まで期限を与えた」「議会承認を前提に修正はうけいれる。何の議論もしなければ我々に与えられた権限を使う」と報道陣に話した。さらに昨日の法定協では、大阪市を特別区に再編することと17年4月の移行目標を除き府議会と市議会の修正提案に積極的に応じるという文書をくばった。2つの条件以外は何でも受け入れるというのだ。自らの横暴によって可決の見込みはゼロになっているもとで、もういちど公明党を取り込もうという考えなのだろう。従前の法定協では、自・民・共の意見には聞く耳もたないという態度、公明に対しても不誠実に終始したのに、あっさり専決処分で突破したら阿久根の竹原信一の2代目になるということで、秋波を送ったつもりだろう。でも橋下氏の思い通りにはいかない。議会では、さまざまな問題が指摘され、結局否決されるだろう。採決しないという道も指摘されている。
 いずれにしろ、それでは住民投票に持ち込めない。そこで、橋下氏が「与えられた権限」だという専決処分をうまくつかって住民投票にもちこもうとしている。しかし、長の専決処分を定めている地方自治法179条では、議会が成立しないとき(在任議員総数が定数の半分に満たない場合)、特に緊急を要するため議会を招集する時間的余裕がないことが明らかであるとき、議会において議決すべき事件を議決しないときに認められるもので、橋下氏の権限などではない。噴火で全村避難した三宅村や除雪費用を上乗せしなければならない緊急事態でもない。議会は成立し、時間的余裕はあり、議決せずに放置してもいないものを専決などできない。
 ずるいことでは天下一品の橋下氏だから、否決で廃案になったあと、ちょっと修正してこれを専決処分するか。または、これが一番可能性がつよいと考えるのだが、否決廃案になった後、またしても市長を辞職して、議会ではなく市民に決める権限があるなどとわめいて市長選挙に訴える。当選すれば専決が市民の投票で認められた、議会は市民の意思とかけ離れているといって堂々と専決処分をし、4月の統一地方選挙で住民投票をおこなう。これがわたしの見立てだ。
 かつて橋下氏は竹原・阿久根市長を礼讃していた。その阿久根市長とまったく同じでは一般市民にもばかにされるので、すこし手法を変えて、しかし同じ専決処分をする。結局、阿久根・竹原のあとをなぞっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「もういいかい ハンセン病と3つの法律」を見る

2014年07月22日 16時53分20秒 | Weblog
 2012年に公開された高橋一郎監督「もういいかい ハンセン病と3つの法律」を大阪・九条のシネヌーヴォで見た。2年遅れだが見てよかった。143分のドキュメンタリーだ。
 ハンセン病そのものと3つの法律「癩予防ニ関スル件」(明治40年)、「(旧〉癩予防法」(昭和6年)、「(新)らい予防法」(昭和28年)によって、患者が強制収容所というべき療養所に隔離され、そこで強制労働で酷使され、患者が死んで一掃されることを理想とした恐るべき歴史を告発した映画だ。子どもを生まないように断種の強制、堕胎、まれに出産に至った場合の嬰児殺し(殺人)なども証言で明らかにされる。
 ウイキペディアでは、初代長島愛生園所長・光田健輔氏は癩撲滅に生涯をささげたというが、特効薬プロミンが日本でも使われた1947から何年もたった1953年のらい予防法制定を積極推進し強制隔離政策をすすめた。山奥まで患者をさがしまわる無癩県運動推進にもかかわった。その光田氏は1951年文化勲章を手に入れている。
 今回この映画が上映されたのは、ハンセン病患者運動に献身してきた谺雄二(こだまゆうじ)さん、神美知宏(こうみちひろ)さんが、この5月に相ついで亡くなったことから企画された。
 8月1日(金)まで上映している。11:30、18:30の2回上映。あと10日あまり。ぜひ見ていただきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

校長も望まない、学校の非民主的運営の押し付け

2014年07月18日 11時42分27秒 | Weblog
 『朝日新聞』2014・7・18夕刊に「職員会議で挙手禁止?」というコラム記事がのった。大阪府教委が、校長のリーダーシップ強化のため、職員会議での挙手や採決禁止の方針をきめ、8月下旬までに校内の内規を見直すよう全府立高校に求めている、しんと静まりかえる職員会議、そんな学校に子どもを通わせたいとは思わない、という記事だ。
 校長のリーダーシップというが、そのモデルとなるのは大阪市立巽中学校の、教育の条理に反するわがまま勝手な校長なのだろう。府教委は、「教職員の意見を聴取する場合、選挙またはこれに類する方法は取らない」「人事委員会のように実質的に校内人事を決定し、校長・準校長が追認することは認められない」、職員会議について「教職員による挙手・投票の実施を原則とする…ことがあってはならない」などとしている。
 いったい、府立高校校長会からそのような要望がでていたのか。はっきりいって、これは校長の裁量権を不当に侵害し、その仕事を困難にする以外の何物でもない。府教委がまた無理難題を押し付けてきてこまっているという、校長の声を聴いた。多くの校長がそう思っているだろう。校長を府教委の管理下にがんじがらめにするものだからだ。校長のリーダーシップというが、たんに教職員をおさえつけ勝手な独裁的な手法をとるだけで、リーダーシップとはいえない。教育のリーダーシップとは、教育への見識によって全職員をひきつけまとめあげるものでなければならない。職員会議の民主的運営と十分な議論をつうじて、教職員の合意が形成される方向へ、また校長と職員の意見が一致する方向にすすんでいく。その努力が日々つづけられなければならない。民主的学校運営とはそのようなものだ。これまで職員会議では必要な事項では採決がおこなわれてきた。しかしそれは一票でも多い多数決をよしとしたものではない。これは政治的な多数決だ。教育現場では、合意形成を何より重視し、採決をすれば大方の賛意をえられるまで議論をつくすことを大切にしてきた。けっして採決は校長の権限を奪うものではなかった。
 ところがこれをくつがえせというのが府教委の方針だ。大阪維新の会・松井知事・橋下大阪市長の教育介入、その推進者である中原徹教育長の押し付けけそのものだ。校長の要望ではない。校長を府教委のも足元に縛り付けるものだ。学校教育法で「教育をつかさどる」と定められた教育の専門家である教員の総合的な教育力を萎えさせる方向だ。
 戦時中の学校がその目標、到達点となるだろう。安倍反動政治と対をなす教育・学校体制だ。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

納得いかない、小保方氏論文「早稲田大学調査委員会」報告

2014年07月18日 10時10分44秒 | Weblog
 7月17日(2014)、小保方晴子氏にかかわる「早稲田大学の博士学位論文に関する調査委員会」の報告が発表された。あまり詳細な記述はなく少々おどろいた。しかも、委員会の委員長は小林英明弁護士で、他の委員4名は早稲田大学教授・医学博士などと職名のみが記され氏名は不詳だ。じつに不可解な文書だ。結論は、不正はあったが学位取り消しにはあたらない、というものだ。
 
 小保方氏の論文について、「『最終的な完成版の博士論文を製本すべきところ、誤って公聴会時前の段階の博士論文草稿を製本し、大学へ提出した』
と認定した。」「著作権侵害行為等にあたるとされたのは、製本・提出すべき論文のとりちがえという小保方氏の過失によると認定した。」という。
 大事な博士論文をとりちがえて草稿を提出するというのはありえないことだ。もし間違えて送ったとしても、真正の論文が手元に残るのだからすぐ気付くはずだ。論文の著者に対する公聴会審査は2011年1月11日であり、正しいとされた本当の論文提出は2014年5月27日である。2014年2月に問題発覚してからでも数か月して正しい論文を提出したことになる。これは過失によるとりちがえとはいえない。

 「『本件博士論文には、上記のとおり多数の問題箇所があり、内容の信憑性及び妥当性は著しく低い。そのため、仮に博士論文の審査体制等に重大な欠陥不備がなければ、本件博士論文が論文として合格し、小保方氏に対して博士学位が授与されることは到底考えられなかった』と認定した。」
 審査体制がしっかりしておれば、博士号が授与されることは到底考えられない論文だったというのだ。

 ところがである。
 「早稲田大学における学位取り消しの要件は、『不正の方法により学位の授与を受けた事実が判明したとき』である。」ということで、「不正の方法」を検討する。「『著作権侵害行為、及び創作者誤認惹起行為は不正行為にあたる。』と認定した。但し、『不正の方法』といえるためには、不正行為を行う意思が必要と解釈すべきであるため、過失による不正行為は『不正の方法』に該当せず、『不正の方法』に該当する問題箇所は、序章の著作権侵害行為及び創作者誤認惹起行為など、6箇所と認定した。」というのだ。
 過失による不正は「不正の方法」にならないが、それでも、序章の盗作など6カ所は「不正の方法」よる不正だと認定した。

 ところがところが。
 「不正の方法」と「学位授与」との間に因果関係が必要だが、「『上記問題箇所は学位授与へ一定の影響を与えているものの、重要な影響を与えたとはいえないため、因果関係がない。』と認定した。その結果、本件博士論文に関して小保方氏が行った行為は、学位取り消しを定めた学位規則第23条の規定に該当しないと判断した。」というのだ。

 まったくむちゃくちゃな論理だ。本来なら博士号が授与されることは到底考えられない論文で、不正の方法で学位授与を受けたことが判明した場合に学位取り消しがなされるが、この論文は不正の方法による不正が6カ所数十ページあるとはいえ、不正の方法による不正は学位授与へ重要な影響を与えたとはいえず、因果関係がなく、学位取り消しに該当しない、というのだ。何度読んでも論理的につながらない。法律家的文章によるごまかし文だ。調査委員会が平気でこんなことを発表するその神経をうたがう。早稲田大学の信用を失墜させるあらたなパフォーマンスだ。
 
 報告書は最後の付言で、小保方氏に対して、盗作・剽窃は研究者の論文では決して許されない、学位取り消しに該当しないと判断したことはこのことの重要性を決して低めるものではないといい、早稲田大学に対しては、ひとたび学位を授与したら取り消すのは容易ではない、学位審査者はその重みを十分認識すべきであると苦言を呈する。おとがめなしにしたから、以後注意するようにということだ。
 やった方も、これを調査した方も、同じ程度であることだけは確かだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりの秀一らあめん

2014年07月17日 12時30分23秒 | Weblog
 昨日(2014.7.16)久しぶりに、吹田の秀一らあめんにいった。その道では知る人ぞ知る店だ。昨日もラーメン通の人たちがきていた。韓国麺にも通じる細めしこしこの自家製麺。スープは煮干しすっきり。魚粉これでもかとは対照的。
 ご主人が誠実な人でものごし柔らか。店員さんにも客に接するのと同じ態度だ。以前、JR大阪ガード下の新梅田食堂街の有名な焼き鳥店・平八に入った時、それほど年を取ってない若主人と思しき人が、アルバイトの男子店員に暴言を吐く、小突くなどのパワハラの限りを尽くしていた。気分が悪くなって早々に店を出ことを思いだす。
 秀一のご主人はわたしが北野定時制につとめていたころ、ラーメンの屋台をひっぱって仕事をしていた。校門の外で食べたこともあった。
 昨日はこのご主人と懇意のT君と会うために秀一らあめんにいった。T君は北野定時制で4年間担任をした教え子だ。少し障害があるが、いまは作業所でクッキーをつくって働いている。毎日の生活が楽しいといってくれた。この3月までは障がい者枠で府庁に臨時職員として勤めていたが期限がきて作業所にもどった。1年に2、3度、秀一らあめんでラーメンをたべて近況などを聞く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『朝日』耕論「先生は聖職か?」によせて

2014年07月16日 16時48分21秒 | Weblog
 7月15日(2014)『朝日』に「先生は聖職か?」というオピニオン記事があった。猛烈に忙しい日本の先生の仕事について論じた特集記事だ。教育ジャーナリスト・増田ユリヤさん、教育評論家・尾木直樹さん、精神科医・真金薫子さんの意見が掲載された。
 尾木さんは、先生の仕事は真正面から人生と向き合う仕事だという。そのとおりだ。ほんとに向き合えた時によろこびを感じる。悩みや困難の方が日常だが、ときにそのようなことがあるとやっていたよかったと思う。尾木さんは、学校組織がフラットなナベブタ型からピラミッド型に近づき、同僚意識がそこなわれ、教員組織の良さが失われていると指摘する。そのとおりだ。自民党などは企業組織と同じものにつくり合えようとごり押ししてきた。日本の教員組織のフラットさがこれまで教育力を発揮してきた。
 注目したのは精神科医の真金(まがね)さんの意見だ。教育はがんばる人ほど燃え尽きやすい、精神的な病気で休職する割合は民間企業にくらべて多い、一般にストレスで多いのが職場の人間関係だが、先生の場合多いのは指導上の悩みで、人は自分にとって大事なことがうまくいかないときほど大きなストレスを感じる、子どもの行動変化により子どもの気持ちを学習に向けるため昔より大きなエネルギーを要するなどを指摘している。
 発展途上国型の教育は韓国、中国も含めて、一般に暗記詰込み型で、生徒は先生のいうことは素直に聞くべきだというモラルがゆきとどいている。これが先進国型になると、暗記詰込み型からの脱却が求められる。生徒のモラルは多くの国でくずれている。日本でもそうだ。でも日本は先生の努力で何とか持ちこたえている。よく先生の教育力量が落ちていると政治家やマスコミがいう。だがこの言説ほどあやしいものはない。何ら実証されていないからだ。真金さんがいうように、子どもの側の学ぼうという意欲・姿勢が必要だ。学ぶモラルだ。日本の50年前がいまの中国だ。それでも逸脱する子どもはいたが。みんな同じ方向を向いた学習集団相手の授業がすいすい行くのはあたりまえだ。それにくらべて今の先生はというのだが、今の生徒は四方八方好きな方向を向いている状態で、これをひとつの方向に向くよう自覚を持たせることからやらなければならず、心労は大きい。よく公立の教育はダメで、私学はいいという言説もある。進学特化の私学は同じ方向を向いた生徒だけをあつめて教育しているから効率があがる。誰でも受け入れることが前提の公立中学校の苦労は並大抵でない。50年前とはちがう。それでもよく頑張っている。持ちこたえている。アメリカやイギリスなどの公立学校とくらべて段違いだ。犯罪に走らない率でも、学力到達度でも格段の差だ。
 先日、労働者教育をやっている関西勤労協の副会長の槙野理啓さんにあった。元府立高校の教員で組合運動でもいっしょにやった仲だ。槙野さんに労働学校の講義や講演をいくつやってるか聞いたところ、月に20から25だといった。わたしが「25も、それは大変やねえ」といったところが、彼は、「いや全然大変なことない」とあっけらかんとしていった。そうなのだ。学ぼうとして集まった労働者のための学校で授業することは、苦痛でもなんでもなく、よろこびなのだ。普通の教師も、ときにうまくいった授業で得たよろこびが、苦痛や困難をのりこえる原動力となる。
 授業に集中しない、おしゃべりをする、さらに授業をひっかきまわす単純な授業妨害、手下に指図してやらせるいじめと一体になった授業妨害。小学校では進学塾に通う一部児童が学校の授業を息抜きの場にしてあそぶ、勉強についてゆけない児童とタッグを組んで学級崩壊にみちびく。一番指摘されるのは中学校での大変さだ。学校秩序を維持するため部活動が重視され、専門でもない部活指導をし休日も引率指導する。相当な体力と気力がないともたない。中学校が一番大変だと私は思っていたが、こんな指摘もあった。中学を退職した直後、進学校でない高校の非常勤講師を学期途中からたのまれてやったがしんどかったという。中学校で悪ガキを相手に先頭にたってやってきたが、高校の方が大変かもというのだ。というのは、中学校は7割はまともな生徒で、一部問題生徒がいるが、全体が向いている方向性によって勉強の秩序は維持されている。しかし、進学校、準進学校でない高校では、その先生は午後の授業ばかりを持たされたこともあったが、輪切り序列制度の下でクラス全体が勉強への意欲を欠いた状態では、中学校よりもずっと大変だったというのだ。なるほどそうか、と思った。わたしは進学校、準進学校以外の高校しか経験していないのでそれを当然の前提にしていたが、学習集団のあり方、質が重要だ。その集団の学力が高いかどうかではない。
 先の槙野さんが、学ぶために集まった労働者の授業は疲れないといったのはわかる。そんな授業ならいくつでもやりたい。精神的な疲労、打撃が肉体的な疲労を蓄積する。やがて心身の変調をきたす場合もある。でも多くの人は心身ともタフであまり文句も言わずに乗りこえている。
 生徒がもちだすさまざまな問題に対処するには生徒との人間関係、信頼関係の確立が決定的だ。尾木さんがいう人生と向き合う関係を築くことができれば問題は解決へ向かう。そのためには時間がかかる。一朝一夕にはいかない。生徒の生活の背景にも共感的に対応することが求められる。保護者との協力関係も重要だ。
 生徒との関係が大変になっているのに、先生をかこむ環境はこれを支えるというより、すきあらば狙い撃ちするという状況になっている。戦後ずっと続いてきたフラットな職員組織が会社組織的ピラミッドへと変えられた。もっと頑丈なピラミッド構造にして教員は命じられたことを忠実に実行する忠犬にしようとしている。物言わぬ教師だ。にらまれたら怖いからと教科書から一歩も出ないちんまりとした授業ばかりになる。集団的自衛権、憲法9条の世界的価値を語り、生徒の前に自分を意見をさらけ出して、どう思う?考えてみろと、知的な刺激を与える教師がいない学校などつまらない。進学の数値目標達成にだけのめりこむのが上等で、人生にはたらきかける教師はへたをすると処罰の対象になりかねない。教育基本法で政治教育が規定されているが、長年の政治教育抑圧が効きすぎて、政治的音痴の青年を輩出しているのが日本だ。世界の青年とのかい離がこの点でいちばん大きい。
 教師への抑圧と監視。とくに大阪では、維新政治家、これと結んだ教育委員会幹部、産経新聞、一部住民。これらが一体となって沖縄戦を深く扱えば介入・糾弾する、これでは真実から目を遠ざけ、気骨ある教師は育たない。テスト期間中に12時前に久しぶりにと外へ昼食に出かけた教員をみつけて告発する、勤務時間中ではあるが放課後、校門外でたばこで一服した教員を告発する。こんな具合だ。いつもは昼休みを取れないのをテストで11時ごろ生徒が帰ったので外へ出たのだが、昼休を前倒しするのは合法だ、生徒をほって出歩いたというのだろうが、本来労基法上は昼休みは何をしてもいい。御堂筋をみるがいい。みんなそぞろ歩きをしている。試験中以外、外に出ないのは学校だけだ。昼休も生徒指導をし、次の授業の準備をしているから。これは労基法違反。勤務時間中に外でたばこを吸った教員にさかのぼって数十万円も賃金の返還を求めた教育委員会。でもたばこを吸える昼休がとれなくて、一息ついた時間に吸ったら、違法行為として処罰。でも早朝から、7時、8時までの時間外勤務には賃金を払わない(教特法という法律では4%=月6.4時間分をつけるかわりに残業代は払わないとなっている)。時間外勤務からたばこの10分を引いたらどうなるか。
 そんなこんなで、自由な教育活動はできなくされ、つまらない監視は唇にまで及んでつよまるばかり(その教育長はいい大人なのに眉毛を抜いたり剃ったりして細くする)。とくに大阪は不人気になって(賃金も全国最低ランク)、先生が集まらない。教員はおだてればむちゃくちゃ仕事をする。残業代など問題にもしない。意義のあることにはすすんで働く。しかし今はその逆をいっている。大阪は。これを全国に広げる安倍自民は。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりに、映画

2014年07月15日 22時42分10秒 | Weblog
 昨日(2014・7・14)西区九条のシネヌーヴォで「泥の河」をみた。小栗康平監督の全作品を上映していたのを知らずに、駆け込んだ感じだ。全作品といっても全部で5作品しか作っていない。超寡作の小栗康平監督だ。30年前劇場で見て、その後ビデオで2回は見た。でも映画館で見るのはちがう。忘れていたシーンがあれこれ出てくる。田村高廣がいい。藤田弓子も。子役の二人もいい。
 今日は、大阪駅のステーションシネマで本木克英監督「超高速、参勤交代」を見た。いわきの小藩が、幕府からのいじめで5日で江戸に参勤せよという無理難題を、創意工夫とハプニングで切り抜ける痛快活劇コメディだ。おもしろかった。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早朝の安治川岸壁

2014年07月13日 10時35分10秒 | Weblog
 今日はめずらしく5時に目が覚め、便所にいったあと、サンダル履きで外に出た。私の家は大正区との境を流れる尻無川の近くにある。港区を横断して、此花区との境を流れる安治川まで往復した。尻無側は道頓堀川が海に流れこむあたりの名で、安治川は大川(旧淀川)が海に流れ込むあたりの名だ。安治川の岸壁は住友倉庫をはじめとした倉庫群が並んでいる。500メートル川上には弁天埠頭がある。かつては関西汽船と加藤汽船の二つが張り合って別府航路などを出していた。いまは廃墟となっている。
 安治川岸壁には休日ということで釣り人でにぎわっていた。エサは生きたシラサエビでブクブクで空気を送り込んで生かし、すこしづつ撒き餌をする。チヌがつれているらしく、みなシラサエビだった。水面は黒かったが、岸壁の角のところでみると1メートルくらいの透明度があった。以前よりいいみたいだ。
 安治川をはさんだ向かいはユニバーサルジャパン門前のホテル群が目の前だ。夏には花火をやるから、安治川岸壁で見るのもいいと思った。岸壁を端まであるいてすぐ引き返した。家に着くころには雨模様になった。釣り人のおじさんたちはどうしただろうか。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市立デザイン研究所の学生募集に橋下氏いちゃもん

2014年07月10日 09時33分42秒 | Weblog
 全国唯一の公立の工業デザイン専門学校の学生募集をつづけることに橋下大阪市長がいちゃもんをつけた。
 大阪市立工芸高校(阿倍野区)の卒業生が引き続き2年間教育をうけるための専修学校として大阪市立デザイン教育研究所がもうけられている。工芸高校はレトロなデザインの名建築校舎を持つ。
 大阪市教育委員会は、橋下氏の圧力に押されて2014年度以降の学生募集を停止するとしていたのを、卒業生らの反対が強く、昨年7月1年延期にしていた。その後も存続運動がつづいたことから、この度、2015、16年度入学募集をつづけることを7月8日決定した。
 これに対し、橋下氏は9日、「僕は承知していない」「教育委員会が大きな政治方針を無視した形で決定をした。もう一度再考してもらわなければいけない」として関連予算の計上を認めない方針を表明した。
 橋下氏の教育介入は常軌を逸している。すべてを自分の思い通りにしないと気が済まない。すでに大阪市教育委員会は橋下氏のしもべになりさがっており、ほとんど彼のいうとおりのことをやっている。教育行政が一般行政から独立したものだという戦後政治制度は大阪では完全にくずれている。ところが、より高度の教育をするための専攻科的学校を継続することを橋下氏の意に反して決定したら、この通りだ。
 教育委員会がいったん決めたものであっても、強い教育要求のまえに継続をきめたのはいいことだ。教育の条理に従った決定だ。工業都市大阪に必要な工業デザイナーを育成する事業を大阪市が自前でやってきた伝統にささえられたものだ。
 ところが橋下氏は、歴史、文化、伝統を破壊することに自らのの存在価値を見いだしている。人間の共同社会を破壊し資本の餌場にする新自由主義的文脈でのみ存在価値があるのが橋下政治だ。
 もともと市には高校の設置義務がない、多くの市立高校をかかえるのは無駄だという橋下氏。まして専攻科的専修学校などとんでもないというのだろう。高校はすべて府立に移管をめざしている。だが大阪市が多くの高校を設立したのは、都市の文化的な格を示すためのものだった。全国の主要都市がそうだ。唯一大阪市がそのレベルから降りるというのだ。大阪市立大学も無駄、府立大学と統合し学部も削る。国際児童文学館しかり、文楽協会しかり、大阪センチュリー交響楽団・大阪市音楽団しかりだ。大阪府市民が誇りとしてきたものに嫌悪感を示し、攻撃の矢を向ける。
 こんな橋下氏に好き勝手させていたら、大阪は無残な姿になってしまう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

保護者から更迭要求がでている民間人校長と学校組織のありかた

2014年07月09日 13時50分28秒 | Weblog
 大阪市立巽中学校の民間人校長北角裕樹氏(38)は、職員や保護者とのあつれきが絶えず、更迭要求運動がつづいている。元日経新聞記者で13年度民間人公募で採用された。
 生徒の写真を1000枚も撮ったり、修学旅行のラフティングで生徒をボートから突き落とし、その上から乗って川に沈めたりと、問題行動をおこした。あとで「ふざけすぎた」と弁解したそうだ。また教頭を土下座して謝らせるところに追い込むなど、独断的な学校運営でPTAが更迭要求をしている。
 14年3月20日頃、大阪市教委は北角校長を更迭する方針を固めたとの報道があった。ところが5日後、橋下氏が低投票率とはいえ再選されたあとにひらかれた教育委員会議ではこれがくつがえされた。北角氏が、巽中学校では校内人事を教職員が投票で決めているのは問題だとさわいだことが評価されて、くつがえったといわれている。
 だが、小学校では少ないが、高校では多くが、また中学校でも一定数の学校で教職員が校内人事に参加することがやられている。教務部長や生活指導部長をはじめとした部長選挙がおこなわれ、校長はとくに問題がなければこれを任命する。校長の任命権限が妨げられているわけではない。むしろ校長の意思と全職員の意思が一致して人事がすすめられていることが大切だ。なぜなら教育は全人格的なチームワークの仕事だからだ。校長が職員の意思と相反することをおしつけてもうまくいかない。教育は、教育の条理に従っておこなわれなければなりたたない。
 さらに各学年の担任の決定もとても重要なことだ。校内人事委員会が希望を聞き、調整をして人事案をつくる学校も多い。生徒の状況をふまえて、学年主任を中心にどういう学年チームをつくるか神経をつかうところだ。
 ここに異議を唱えて人事委員会の作業をストップさせ、あたかも違法な学校運営がされてきたかのようにいって問題を持ち出したのが北角氏だ。マスコミは違法でないものを違法かのようにさわいだ。橋下市長や、安倍首相に親和的な読売テレビのキャスター辛坊治郎(株式会社大阪総合研究所代表)がこれをとらえて、校長の人事権を教員が侵している異常事態などとさんざん攻撃した。しかし教育の必要上おこなわれてきたことで、これによってチームとしての教育力がよりよく発揮されてきたのだ。
 前年度中に新年度の体制をつくるのと相前後して、前年度の総括をし、新年度の方針をきめる。教務、生活指導(生徒指導ともいう)、進路、保健など各部で、各学年でこれをおこなう。とくに新たに発足する新1年生の学年団では、緊張とともに夢をふくらませて学年の方針をきめる。これらをやり上げたうえで新年度をむかえる。ここへ向けて全教職員の意欲をあつめることが学校運営で大切なことだ。その全体のリーダーになるのが校長だ。ところが自分の好みで人事をいじるのは教育のためにはならない。校長の人事権をふりかざすのは真のリーダーとはいえない。
 学校を企業組織に置き換えようという欲望が安倍首相や橋下市長らにはつよい。企業経営者=校長の考えひとつで、特定の方向に組織をうごかし、命令と成績で組織をしめあげる、これを理想の組織と考える傾向がはやっている。経営者=校長が命じて、社員=教員がその通り動く。しかし学校は商品販売の組織ではない。さまざまな家庭環境、成育歴と個性をもつひとりひとりにあった対応、指導をしなければならない。命令ですべてが処理される世界とは正反対なのだ。これはひとりあるいは2、3人のこどもを育てる親たちが日々実感していることだ。まして何十人も相手にする教員が上からの一律の命令だけでことがすむはずがない。教員が生徒の様子をすくいあげて、教育目標との関係で、つぎの具体的指導をどうするかを協議し、あらたな実践へすすんでいく、そういうのが教育活動だ。
 教員が人事にかかわるのは、学校全体の運営にもかかわる全体的な視野を要請されることで、教員の資質を引き上げる大切なことだ。これをまとめあげるのが真のリーダーとしての校長の役割だ。威張りたいだけの人は教育のリーダーにはなれない。
 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪市、校長公募若干の見直し

2014年07月07日 22時32分50秒 | Weblog
 橋下徹市長が強引に教育介入して13年度から実施した民間人公募校長制度は、セクハラ、パワハラなどを働く人物が続出し事実上破たんした。11人中6人が問題行動をおこした。14年度は35人を予定したが応募者が前年の928人から143人に激減したため、22人だけ合格としたが2人が辞退。結局20人合格とせざるをえなかった。ところが13年12月末、その20人のうち7人が辞退した。橋下市長は、「公募で辞退者がでることは普通のことで、13人が決意してくれたことのほうが僕には重要だ」と強がって見せた。『朝日』7・7夕刊では12人採用となっているからもうひとり辞退があった。
 問題校長が半数に迫ったことでも、そうでない人の方が多いなどと、橋下氏特有のああいえばこういうという言い方でごまかしをはかった。そういうことをいうならば、問題生徒を引き離して指導する案を自慢げに説明したが、生徒の問題行動比率の方が低いではないか。橋下肝いりの民間人校長制度自体に問題があることは明らかだ。だが制度に問題はない、選び方が悪かったと問題をそらす。橋下政治の腐臭を感じて集まる人物はどんな選び方をしても同じだろう。
 大阪市教委は、校長公募について選考の見直し案をかためた(『朝日』同)。こどもや教育にかかわった経験(PTA活動、見守り活動、学習支援など)を条件に加える。仕事の経歴を詳細に求める。教員出身と民間出身の枠は事前に設けないなどだ。
 すでに大阪市教委は教頭になる人が足りなくなって困っている。なる資格のある人は数千人いるのにだ。民間人校長が横入りで校長の席を占領するし、従来からの市教委メンバーの校長横入りもあるので、教頭で苦労して校長になる道が極端に細くなったので、みんな嫌気がさしてしまったのだ。
 わたしは、校長は全員公募という制度に大反対だ。教育のリーダーの選び方にふさわしくない。すでに教育のリーダーでなくなっているというのが現実だが。なりたい人よりも、なってほしい人に校長をやってもらうことが教育のためになる。なりたい、なりたいと群がるひとから選んでもろくな人がでてこない。これは大阪市の事実が示している。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする