イギリスのオックスフォード大学オリエル・カレッジの建物正面外壁のセシル・ローズ像が撤去されることになった。カレッジの理事会が6月17日(2020年)に決定した。
セシル・ローズ(1853~1902)といえば、イギリス帝国主義のシンボル的人物だ。ローズは金とダイヤモンドの投機事業で百万長者となった。ローズが他の長者と異なるところは、その財力を政治的野望に投じた点だ。ケープ植民地の議員、大蔵大臣となり、1890年ケープの首相となった。同時並行で金鉱山、ダイヤモンド鉱山を独占した。
「セシル・ローヅと南アフリカ」に載せられたローズの帝国主義宣言を引用しよう。
「私は昨日ロンドンのイースト・エンド(労働者区)に行って、失業者大会を傍聴した。そして、私が、そこで、パンを与えよとの絶叫にほかならない幾つかの荒々しい演説をきいてから帰宅したとき、私は帝国主義の重要さをいよいよ確信した。……私たち植民地政治家は、過剰人口を収容するために新領土を開拓し、また彼らが工場や鉱山で生産する商品のために新しい販路をつくらねばならない。……彼らが内乱を欲しないならば、彼らは帝国主義者とならねばならない」
ローズは、イギリス帝国主義政策の代名詞である3C政策(ケープ・カイロ・カルカッタを結ぶ植民地主義)の主要部分のケープ・カイロ政策を提唱した人物だ。すでにオックスフォード大学時代に、アフリカ全土をイギリスの所有にしたいと書いていた。
「赤旗」の6月29日付けのコラム『潮流』にオックスフォードのセシル・ローズ像撤去の記事があった。ローズは母校のオックスフォードに多額の寄付を行い、奨学金を設けたことでも知られ、カレッジの正面にキリスト像のように飾られるに至った。しかし、その帝国主義、人種差別主義のゆえに撤去を求める声があった。ときあたかも、アメリカ・ミネソタ州・ミネアポリスで警官による黒人男性ジョージ・フロイドさん殺害事件が5月25日にあった。全米で人種差別撤廃へ大規模な抗議デモがまきおこった。第20代大統領セオドア・ルーズベルトが馬に乗って脇にアメリカ先住民と黒人を従えている像の撤去をアメリカ自然史博物館が決めたという報もあった(6月21日)。人種差別撤廃の声は、アメリカだけでなく世界に広がった。
ヨーロッパでもその受け止めは真剣だ。欧州議会は大西洋を舞台にした奴隷貿易について、「人道に反する罪」だとする決議を、アメリカの奴隷解放記念日の6月19日に可決した。イギリスでも英国教会(世界的には8500万人の信徒を擁する聖公会という)で歴史の見直しが始まっている。元祖帝国主義のイギリスは奴隷貿易と無関係ではありえない。奴隷貿易で富を築いたエドワード・コルストの像が引き倒され、港まで引きずり捨てられた(6月7日)。この映像は世界に流れた。セシル・ローズ像撤去はイギリスでの、帝国主義・植民地支配・人種差別の歴史への見直しの象徴である。イギリスでも、日本と同じように、植民地支配によって現地にさまざまなインフラ設備をつくった、産業の基盤をつくったからいいことをしたという植民地擁護論がある。しかしそれをのりこえて、植民市支配そのものを根底から問い直す動きが澎湃と沸き起こっていることはさすがだと思う。
ところで「セシル・ローヅと南アフリカ」は1941年太平洋戦争が始まる年に博文館から「大陸発展叢書」の一冊として発行された。2円50銭。著者は鈴木正四。鈴木正四さんはわたしの指導教授だ。戦時下、羽仁五郎のもとに集まった羽仁シューレ(学派)の一員だった。北山茂夫、小此木真三郎、菊池謙一、井上清他の俊秀がいた。鈴木さんは、東大時代に「赤旗」印刷局の活動で野呂栄太郎の2カ月後、特高に捕らえられ、激しい拷問を受けた。江戸時代に天野屋利兵衛が受けたという伝説のそろばん攻めにも逢った。三角錐を太ももとふくらはぎの間にはさみ、太ももの上に鉄板を重ね(10枚も。江戸時代はこれが石盤)、さらにその上に特高が二人も乗って跳ねる。小林多喜二ら殺された人以外の生き残った人ではもっとも苛烈な扱いを受けた人だ。もちろん、拷問は法で認められてはいない。犯罪だ。
運動が窒息させられたのち、学問に復帰し、書いたのが「セシル・ローヅと南アフリカ」だ。イギリス帝国主義の植民地支配の政策と手法を具体的に暴いているこの本が、日本の内務省にはよその国への批判としか読み取れなかったのだろう。しかし鈴木さんは、イギリスと南アフリカとセシル・ローズのことしかいわないが、日本帝国主義批判を土台において執筆していた。
セシル・ローズ像撤去の報に接し、府立図書館で禁帯出の初版(1980年「セシル・ローズと南アフリカ」誠文堂新光社から再刊)を入手し、コロナで人気のない図書館で半日がかりでメモを取った。
欧米での植民地支配への歴史の見直しが、日本ではすすんでいるか。アメリカの人種差別など日本にはないと言わんばかりの空気だ。植民地支配への反省はあるか。民族差別はないのか。コロナでそれどころではない?コロナは理由にはならない、世界中いっしょだ。