山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

給付金あっというまに消えそう

2020年07月29日 23時05分36秒 | Weblog
 やっと給付金が入った。旅行に行けたらいいなあと思っていた。
 ところが、いくつか使い道があって、そんな楽しい結果にはならなかった。市民税の支払い、国境なき医師団へのカンパはじめいくつかのカンパは予定していた。さらに例年は貯金から夏と暮れに支払いをしてきた各種民主団体の会費の支払い。以上で9万円をはるかに越した。ああ、これでおわりだ。でも給付金でカンパができ、会費も払えてよかった。
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「大阪モデル」新基準は問題だ。政治的思惑で公衆衛生の基準をゆがめてはいけない。

2020年07月28日 23時10分09秒 | Weblog
 政府が第2波だと認めなくても、すべての人が政府は事実に向き合っていないと思っている。地方の第2波感染もとどまるところを知らない。
 東京だけでなく大阪の感染もひどい。大阪の陽性率が、1週間ほど前13%もあった。いまは9・3%(7月28日)だが、それでも相当なものだ。
  わたしが重大だと思っているのは、7月3日の対策本部会議で「大阪モデル」を大きく修正したことだ。5月5日に「大阪モデル」と銘打って警戒基準をつくって有名になった。政府がもたもたしているときに実情に合った基準をつくったのはいいことだった。それで吉村知事は1カ月に28回もテレビに出て一躍スターになった。
 7月3日の修正は、問題がある。警戒(黄色信号)の基準の数値を大きくした。大きくしたのは厳しくしたのではなく、緩めたのだ。
 5月5日と7月3日の新基準では、こう変化した。(1)新規陽性者の感染経路不明者の前週比1以上が、新基準では2以上とされた。(2)新規陽性者における経路不明者数は5人以上が10人以上に。(3)PCR検査での陽性率7%以上が、新基準では消えた。かわりに7日間合計新規陽性者数120人以上かつ後半3日間で半数以上が基準にくわわった。
 重大なのは非常事態(赤信号)の基準だ。5月5日の旧基準では、(1)(2)(3)の三つを満たせば赤信号となった。だが新基準では、三つ満たせばがなくなり、黄信号が点灯した日から25日以内に患者受け入れ重症病床使用率が70%以上になったら赤信号にするというのだ。
 黄信号も赤信号も基準が厳しくなり点灯しにくくしている。特に赤信号はほとんどあり得ない基準だ。この70%というのは「医療崩壊のおそれがある数値」だというのだ。対策会議で専門家から反対意見が相次いだ。府医師会長は「府民の感染予防の観点から許容できない。赤信号基準は現場の実態と乖離している」と批判したが、吉村知事らは押し切った。現在188ある重症病床の使用率が70%というのは医療崩壊のおそれ水準ではなく、崩壊した後の惨憺たる事態をあらわす。テレビでも現場からの警告が報道されているが、70%までは黄信号のままというのは、明らかに裏がありそうだ。旧基準との乖離がはなはだしい。
 つまり、新基準では赤信号は灯さない、絶対赤信号にはしないという政治的決意表明なのだ。
 ではなんのため?それは知っての通り、11月1日に大阪市廃止構想の住民投票をするためだ。松井市長は赤信号にならない限り住民投票をすると宣言した。市民の間には、コロナの不安がつのり、集まって話し合いも説明会もできないもとで、やみくもに住民投票にもっていくやり方に、大阪市廃止構想への賛否にかかわらず、ここは中止して、コロナが収まってから議論しようというのが共通世論だ。
 吉村・松井氏らは、安倍首相にさえ、衆院解散と総選挙を大阪の住民投票リンクさせようといい寄っている。なぜか。総選挙と同時になると、ハンドマイクが使えなくなるからだ。大っぴらな意見表明の手段を封じようというのだ。前回負けたから。あの、橋下人気絶大の5年前、名もなき市民がハンドマイクで、あるいは手作りビラで意見表明した。それを抑え込んで、コロナが広がろうと、とにかく押し切るというのが吉村・松井戦略だ。
 それでは日本の民主主義もおしまいだ。コロナを収束させて、みんなが安心して議論しようではないか。
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介護保険料の決定通知書がとどいた

2020年07月20日 21時37分48秒 | Weblog
 大阪市松井市長から介護保険料の決定通知書が届いた。
 ふた月で19,300円だ。わたしの課税所得は125万円で介護保険料は年104,637円だ。保険料は第7段階だ。第1段階は生活保護の受給者で年額33,294円。第2から第6段階までが市町村民税非課税だ。市町村民税課税が第7から第11段階だ。わたしは第7段階だから、課税対象者の中では一番下の部類だ。よく公務員は年金収入が高いと言われるが、すくなくとも私は多くないことがここでも証明される。29歳で採用されたから年金は少ない。教員には遅く採用された人が案外多い。
 いい加減なお金の使い方をしてきたから、年金では足りずに貯金を食いつぶしてきた。最近反省しているが、枠の中に収めるのに苦労している。そこで待ちわびているのが給付金だが、申請を出して1カ月半経つのに大阪市からは音沙汰なしだ。神戸や京都はとっくに行き渡ったのに。
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オックスフォードからのセシル・ローズ像撤去、帝国主義・植民地支配・人種差別と「セシル・ローヅと南アフリカ」

2020年07月11日 22時00分50秒 | Weblog
 イギリスのオックスフォード大学オリエル・カレッジの建物正面外壁のセシル・ローズ像が撤去されることになった。カレッジの理事会が6月17日(2020年)に決定した。
 セシル・ローズ(1853~1902)といえば、イギリス帝国主義のシンボル的人物だ。ローズは金とダイヤモンドの投機事業で百万長者となった。ローズが他の長者と異なるところは、その財力を政治的野望に投じた点だ。ケープ植民地の議員、大蔵大臣となり、1890年ケープの首相となった。同時並行で金鉱山、ダイヤモンド鉱山を独占した。
 「セシル・ローヅと南アフリカ」に載せられたローズの帝国主義宣言を引用しよう。
「私は昨日ロンドンのイースト・エンド(労働者区)に行って、失業者大会を傍聴した。そして、私が、そこで、パンを与えよとの絶叫にほかならない幾つかの荒々しい演説をきいてから帰宅したとき、私は帝国主義の重要さをいよいよ確信した。……私たち植民地政治家は、過剰人口を収容するために新領土を開拓し、また彼らが工場や鉱山で生産する商品のために新しい販路をつくらねばならない。……彼らが内乱を欲しないならば、彼らは帝国主義者とならねばならない」
 ローズは、イギリス帝国主義政策の代名詞である3C政策(ケープ・カイロ・カルカッタを結ぶ植民地主義)の主要部分のケープ・カイロ政策を提唱した人物だ。すでにオックスフォード大学時代に、アフリカ全土をイギリスの所有にしたいと書いていた。
 「赤旗」の6月29日付けのコラム『潮流』にオックスフォードのセシル・ローズ像撤去の記事があった。ローズは母校のオックスフォードに多額の寄付を行い、奨学金を設けたことでも知られ、カレッジの正面にキリスト像のように飾られるに至った。しかし、その帝国主義、人種差別主義のゆえに撤去を求める声があった。ときあたかも、アメリカ・ミネソタ州・ミネアポリスで警官による黒人男性ジョージ・フロイドさん殺害事件が5月25日にあった。全米で人種差別撤廃へ大規模な抗議デモがまきおこった。第20代大統領セオドア・ルーズベルトが馬に乗って脇にアメリカ先住民と黒人を従えている像の撤去をアメリカ自然史博物館が決めたという報もあった(6月21日)。人種差別撤廃の声は、アメリカだけでなく世界に広がった。
 ヨーロッパでもその受け止めは真剣だ。欧州議会は大西洋を舞台にした奴隷貿易について、「人道に反する罪」だとする決議を、アメリカの奴隷解放記念日の6月19日に可決した。イギリスでも英国教会(世界的には8500万人の信徒を擁する聖公会という)で歴史の見直しが始まっている。元祖帝国主義のイギリスは奴隷貿易と無関係ではありえない。奴隷貿易で富を築いたエドワード・コルストの像が引き倒され、港まで引きずり捨てられた(6月7日)。この映像は世界に流れた。セシル・ローズ像撤去はイギリスでの、帝国主義・植民地支配・人種差別の歴史への見直しの象徴である。イギリスでも、日本と同じように、植民地支配によって現地にさまざまなインフラ設備をつくった、産業の基盤をつくったからいいことをしたという植民地擁護論がある。しかしそれをのりこえて、植民市支配そのものを根底から問い直す動きが澎湃と沸き起こっていることはさすがだと思う。
 ところで「セシル・ローヅと南アフリカ」は1941年太平洋戦争が始まる年に博文館から「大陸発展叢書」の一冊として発行された。2円50銭。著者は鈴木正四。鈴木正四さんはわたしの指導教授だ。戦時下、羽仁五郎のもとに集まった羽仁シューレ(学派)の一員だった。北山茂夫、小此木真三郎、菊池謙一、井上清他の俊秀がいた。鈴木さんは、東大時代に「赤旗」印刷局の活動で野呂栄太郎の2カ月後、特高に捕らえられ、激しい拷問を受けた。江戸時代に天野屋利兵衛が受けたという伝説のそろばん攻めにも逢った。三角錐を太ももとふくらはぎの間にはさみ、太ももの上に鉄板を重ね(10枚も。江戸時代はこれが石盤)、さらにその上に特高が二人も乗って跳ねる。小林多喜二ら殺された人以外の生き残った人ではもっとも苛烈な扱いを受けた人だ。もちろん、拷問は法で認められてはいない。犯罪だ。
 運動が窒息させられたのち、学問に復帰し、書いたのが「セシル・ローヅと南アフリカ」だ。イギリス帝国主義の植民地支配の政策と手法を具体的に暴いているこの本が、日本の内務省にはよその国への批判としか読み取れなかったのだろう。しかし鈴木さんは、イギリスと南アフリカとセシル・ローズのことしかいわないが、日本帝国主義批判を土台において執筆していた。
 セシル・ローズ像撤去の報に接し、府立図書館で禁帯出の初版(1980年「セシル・ローズと南アフリカ」誠文堂新光社から再刊)を入手し、コロナで人気のない図書館で半日がかりでメモを取った。
 欧米での植民地支配への歴史の見直しが、日本ではすすんでいるか。アメリカの人種差別など日本にはないと言わんばかりの空気だ。植民地支配への反省はあるか。民族差別はないのか。コロナでそれどころではない?コロナは理由にはならない、世界中いっしょだ。

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『声』欄の「兵籍簿、社会で継承」に大賛成。兵籍簿は韓国と同様公開すべきだ。

2020年07月08日 11時31分09秒 | Weblog
 「朝日新聞」7月8日付『声』欄に載「戦争語る兵籍簿、社会で継承」という意見に大賛成だ。父の兵籍簿を県に開示させ、連隊史や従軍日誌と合わせて軍歴の生々しい状況が分かったそうだ。投稿は、「兵籍簿は遺族だけのものでいいのか」「没後一定期間を経れば誰でも閲覧できるようにすべきではないか」という。まったくその通りだ。
 厚生労働省は、個人情報だとして遺族以外には閲覧させない。しかし、一級の歴史資料だ。旧家に残る商売や家事の帳簿、公の税の徴収もすべて個人情報だ。しかし個人情報だから公開はならぬとなったら、学問は成立しない。
 厚労省の方針で行くと、軍歴を綴った日本人の兵籍簿はやがて誰も見ることのない何の役にも立たない遺物となる。国家の命令で戦争に従事し命をも落とした事実が、遺族しか検証できない制度とはなんだ。歴史の検証を阻む意図があるとしか思えない。
 北野高校定時制がなくなるその時、2009年3月に発行した『北野定時制72年史』の本文執筆を私は担当した。その中で「朝鮮人・台湾人生徒の思想調査」の項をおいた。1944年大手前憲兵分隊から植民地出身者の思想調査の依頼が来て、それに学校は回答した。朝鮮人生徒は19名、台湾人生徒は1名いた。そのうち朝鮮人生徒5名は本来卒業にすべき生徒が日本から朝鮮に送られ日本支配下の警察で取り調べ中であった。
 『72年史』ではそこまでであったが、朝鮮人生徒19名は徴兵され、朝鮮軍に入営したはずであった。そこで私はその秋、韓国デジョンの国立公文書館に出向いた。日本から返還された朝鮮人兵の兵籍簿がすべて公開されていた。歴史の検証には欠かせない。非公開を続けるということは、やがて歴史から抹殺することをもくろんでいるとしかいいようがない。
 

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