山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

鶴橋はおおにぎわい

2009年12月31日 04時30分18秒 | Weblog
 昨日昼、鶴橋に行った。テールスープ定食など食べて、市場をぶらぶら。ところが実はぶらぶらするスペースが通路にないくらいのおおにぎわい、大混雑だった。ご存知のとおり、鶴橋市場(環状線鶴橋駅から東側一帯)は通路が狭い。一番狭いところは、すれ違うのが精いっぱいという通路もある。駐車場はどこも満車で、大分離れた所に入れて歩いた。
 テールを2袋、ずいきの干したの、くるみを買った。すいき・胡桃を買った店では、サムゲタンセットを売っていた。ひな鳥とそのおなかにいれる朝鮮人参やなつめなど色んなものをセットにしている。店の人が客につくり方を説明していた。
 ガラスケースの裏では4,5人が肉をさばいている牛肉の店、ゆであがったばかりの一抱えもある豚肉を大ぶりに切り分けている豚肉の店、韓国海苔巻きを巻き各種チヂミを焼いている店。みな製造直売だ。見ながら匂いをかぎながら、楽しむことができる。肉やチヂミの店が多い一角を離れると衣料品も豊富だ。店構えは小さいが数が多いので楽しい。
 全国どこの商店街もシャッター通りになっているが、ここ鶴橋はシャッターがみな開いている。なぜか。大型スーパーがない。鶴橋は東西・南北それぞれ200メートルくらいのほぼ正方形の、車が通れない通路で結ばれた零細商店の一大集積地だ。この地域は周辺もふくめて大きい工場がないので、その跡地が大型スーパーになるということがないのが幸いしたと思う。魚が群れをつくって自分たちを守っているように、零細商店が片寄せあって、ものすごいエネルギーを発揮している。今の日本の一般的な行き方とは逆の、実に昔風のやり方が新鮮で魅力的な街だ。地元だけでなく、よそからも詰め掛けるくらいになっている。
 大阪の人には鶴橋がどんなところかは常識だが、他県の人にも是非立ち寄ってほしい。
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聖域に手をつけないと改革はできない

2009年12月30日 05時28分42秒 | Weblog
 12月25日に10年度予算案が発表された。高校授業料の実質無償化や子ども手当などでは部分的に自民党政治の枠を突破した。
 だが、税収減のもとで新規国債発行が大幅に増え、44兆円にも達する。
 肝腎の点で、自民党政治の枠から抜け出せない。大企業・大資産家減税をつづけたままでは財源問題をクリアできず、借金財政をひどくするばかりだ。支出では、軍事費減らすどころか逆に増えている。ここに切り込まないでどこを削るのか。自民党政治の聖域部分に手をつける気がない。これでは前にすすめない。
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社保庁職員525人解雇は不当

2009年12月30日 04時41分18秒 | Weblog
 社会保険庁が09年末で廃止になるのにともなってということで525人の社保庁職員が分限免職=解雇になった。このうち懲戒処分を過去に受けたことを理由に解雇されたのは125人だ。
 まず、日本年金機構は年金事務の素人を大量に採用する一方、政府は年金事務の専門家を解雇するという不条理を強行した。この間、退職した職員の数は相当なものだろう。それでなくとも複雑な年金事務がこれからゆきづまるのは目に見えている。社保庁の一般職員を攻撃すれば気分がすっとするというのはまことに浅はかだ。年金積立金を運営や建設費などに使っていいというとんでもないことを決めたのは自民党政府だ。そして莫大な金を自民党有力者の地元でリゾート施設建設などにつぎ込まされた。くいものにされたのだ。この肝心なことを追及せずに、だれかの年金記録を見た職員のことなどが大問題にされてきた。あげくは専門家集団を解体して、民間に?
 つぎに、懲戒処分を受けたものを解雇するのはあたりまえだと、みのもんた氏はじめテレビはいう。懲戒解雇にあたいする犯罪などをしたのか。先ののぞき見の人も解雇される。懲戒解雇に値することをしたのなら、そのときに解雇しなければならないし、できたはずだ。だが解雇に至らない軽微な懲戒だったのだ。懲戒処分を受けたということは、そこでけじめがついたということだ。それを再び懲戒処分する、しかも労働者にとって死を意味するほど重い解雇を言い渡すというのは、まったく理不尽だ。日本弁護士連合会は違法な二重処分だと批判している。けりのついたことをむしかえして、さらにひどい仕打ちをするということだ。これでは法はないに等しい。
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民間人校長採用で事前連絡?

2009年12月26日 01時16分36秒 | Weblog
 府立高校の民間人校長に採用された中原徹弁護士について、橋下知事の特別秘書が採用担当の教育長や別の幹部に事前に連絡していたことが問題になっている。12・25の報道では、府庁に寄せられた意見では圧倒的に批判意見が多かった(54:3)。
 情実採用したとは決して思わないが、批判をうけるのは当然だ。そもそも民間人校長制度自体が問題だ。
 それは置くとして、私が不思議に思うのは、アメリカ在住とはいえ日本の弁護士が、教育公務員が兼職をしてもいいかと問い合わせてきたことだ。また知事の特別秘書が、それを教育長らに問い合わせたことだ。議員など特別職の公務員ではないのだから、兼職できないのは当たり前ではないか。常識だ。普通の教員や公務員は兼職はダメだが、校長はもしかしたらいいと思っていたのか?
 府の職員も賃金がだいぶ減らされて、生活が苦しい人も多い。それでも、自由に使える休日にアルバイトをして生活費を補てんするすることは、認められない。
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橋下知事、豊中市長選挙に介入

2009年12月25日 23時52分42秒 | Weblog
 伊丹空港の存廃をめぐって、橋下知事が12月24日、「豊中市長選が勝負になる。最終的には選挙で市民に訴えていくしかない」「将来、空港を残すことが地元の不利益になる。政治家の感覚として断言できる」と語った。
 国交省、関係自治体、関経連との協議で伊丹廃港をひっこめたはずだが、豊中市長選でまた持ち出している。自分に批判的な市長をひとつひとつつぶしていくのも目的のようだ。豊中市長がたとえ廃港賛成になっても、肝心の伊丹市・兵庫県が強硬に反対すれば思うように行くわけではない。
 しかし、府知事にある人物が自分の住んでいる市のこととはいえ、知事として介入するのはやりすぎだ。選挙で市民に訴えるというなら、知事をやめて市長選挙にでたらいい。
 4ヵ月後のことだから、もう意中の人がいるのか。そうでなくともこんな発言をすることで知事にすりよって立候補の名乗りをあげるひとは必ずでてくる。
 空港を残すことが地元の不利益になると断言するが、地元の不利益は騒音問題だ。でも9時以降の飛行差し止めで一応最低ラインはクリアしている。地元豊中の不利益とは何を意味するのか、感覚だというだけではさっぱりわからない。
 知事が介入して最大の争点にするといいだしたのだから、争点のひとつにはなるだろう。市長選で廃港賛成とならなかったら、こんどは本当にひっこめるのか。
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韓国映画・「牛の鈴音」

2009年12月23日 17時23分43秒 | Weblog
 韓国のドキュメンタリー映画「牛の鈴音」を観た。韓国で空前の観客動員をした映画だ。年老いた農民夫婦と30年も働き続けた牛との物語だ。物語といっても何の変哲もない農作業の日々を描くドキュメンタリーだ。
 おじいさんは、不自由な体をおして毎日、田や畑へ向かう。牛の歩みも遅い。おじいさんは機械を使わず、農薬をまかないから、除草に驚くほど手間がかかる。
 毎日のように牛に食べさせる草を刈る。牛に農薬のかかった草を食べさせるわけにはいかないと、農薬を拒否する。おばあさんは、除草剤を使え、私は農作業がつらいと抗議するが、おじいさんは頑固だ。
 おじいさんの顔にきざまれた皺は深い。とても存在感がある。どんな名優でも演じることは不可能だ。河瀬直美監督が、奈良の森を舞台にした映画で有名な賞をもらったのを以前見た。そこに登場するおじいさんは、もちろん俳優が演じているのだが、老けたつくりにしているが妙に体が力強くなまめかしく、違和感があった。「牛の鈴音」のおじいさんは片足がやや不自由だ。それを押して、はいつくばりながら農作業を続けてきた長年の苦労が、頭から足の先までにじみだしてる。40年も生きた牛は老衰で死ぬ。おじいさんも病を得る。
 静かな映画だ。ナレーションがない。音楽もない。音は、おじいさんおばあさんの会話だけだ。といってもおじいさんはほとんど相手をしないから、おばあさんの一方的な愚痴がつづく。牛の首につけた鈴の音がここちよく画面に響く。うぐいすの鳴き声も。それに画面の色がいい。田植えから稲刈り。里山にかこまれた農村の風景が実に色あざやかだ。
 静かな映画だが、ひきこまれる。ゆったりした気持ちを取り戻させてくれる。
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マイケル・ムーア「キャピタリズム」とパナソニックにすりよる最高裁

2009年12月20日 11時07分24秒 | Weblog
 マイケル・ムーア監督の最新作「キャピタリズム(資本主義)」をみた。
 いきなり住宅ローンを延滞した家に、強制執行だといって保安官がドアをぶち壊して入ってくるシーンから映画は始まる。あらかじめカメラが室内で待ち構えていてその乱暴なやりくちをあばく。権力がハゲタカ資本主義の手先になっている象徴的なシーンだ。
 だが振り返れば、日本でも最高裁判所が巨大資本のつっかえ棒になっている。パナソニックプラズマディスプレイの偽装請負を告発後、不当解雇されたとして、元請負会社社員の吉岡力さんが雇用確認を求めた裁判が、09年12月18日あった。大阪高裁は吉岡さん勝利を宣告した。だが最高裁はこれをくつがえした。吉岡さんは、偽装請負に対するたたかいのシンボル的な立場にあった。偽装請負や3年の派遣期限が来ても直接雇用をしない違法企業に対するたたかいの最前線にあった。すこしずつ扉を開いてきたのだ。ところが、最高裁ははっきりと資本の横暴に加担した。実態への関心が薄く、形式論にふけり、法には精神がないかのようだ。映画「キャピタリズム」と重なる。零細企業むけの高利の商工ローンの取立て確認を裁判所につぎつぎと申立て、追い込んでいった悪徳弁護士たちと裁判官のことも頭に浮かぶ。
 ブッシュ政権の下で資産を巨大にふくらませた大資産家たちが、リーマンショック後、70兆円にも及ぶ公的資金をまたもや山分けしようとするのを告発する。一方では130万の住宅が抵当として取り立てられている。長年働いてきた労働者が工場から追い出される。パイロットさえも300万円くらいの低賃金でこきつかわれる実態。会社が社員に生命保険をかけ、社員が死ぬと会社が儲かる強欲資本主義。
 映画の終盤でたたかいにたちあがった労働者の姿を描く。会社を占拠した労働者を警察が弾圧にきたが、追い詰められた労働者のあまりの怒りにたじろいで撤退する姿が映し出される。
 アメリカ資本主義の姿は日本資本主義の姿でもある。ことしも年末派遣村が必要とされるかもしれない。映画は、革命歌「インターナショナル」で終わる。日本語のインターナショナルよりも英語のはテンポがいい。
 労働者必見!!年末おすすめの映画だ。 
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知事、共産府議を「核武装論者」よばわり

2009年12月14日 07時54分38秒 | Weblog
 『朝日新聞』09・12・12の大阪市内版に、「知事、共産府議を『核武装論者』」という見出しの記事が載った。
 府議会で共産党の小谷みすず議員が普天間の県内・国内たらいまわしでなく即時国外撤去を主張した。これに対し、橋下知事が「小谷議員が核武装論者だと初めて知りました」と決めつけ、「僕らはアメリカの原子力潜水艦、原子力空母に守られている。その核の傘を撤去せよと言うのは、自分たちで核を持てということ」と述べたというのだ。
 発言に対し、他の会派や府幹部も「勝手な決めつけで、極めて不適切、知事は何言ってんだ」と批判している。
 共産党が核廃絶に取り組んできたことは自明のことなのに、全く逆の核武装論者よばわりするのはどういう考えなのか、と思う。
 橋下氏は思いつきで気ままな発言をし、人を振り回すことで常に中心に位置する、位置したいという人だと思う。
 しかし公人だから責任をとるべきだ。ただちに謝罪をすべきだ。
 
 あとで考えてみると、橋下氏は、直感的に自分の発想を小谷議員にあてはめ、これで揚げ足をとってやっつけられると思ったのだろう。
 彼は、いわずと知れた核武装論者だ。今はアメリカの核の傘があるからそれでこと足りるが、これを撤去すると当然自前の核武装をすべきだと考える。小谷議員が普天間国外撤去をいったのをとらえて、それは自前核武装論なのだとやりこめたのだ。やりこめたつもりだったのだ。だが小谷議員は核廃絶の立場だから、こんな変な論理は成り立たない。
 付け加えていうと、普天間国外撤去は(まだ残念ながら)核の傘撤去ではない。この点でも橋下知事は勘違いをしている。
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マニフェストが図書館にない

2009年12月05日 17時11分58秒 | Weblog
 『朝日』12月4日夕刊のコラム「窓 論説委員室から」に貴重な指摘があった。
 公約ではなくマニフェストが花盛りのいまどきの選挙。新政府成立後の国会において、民主党は、政策の根拠をマニフェストに書いてあるからということが多かった。
 政治分析の基礎資料として、歴史資料として不可欠のこのマニフェストが図書館にないというのだ。選挙中は、図書館にこれをおくと、不特定多数への文書回覧にあたり、公職選挙法に触れるというのだ。すべてのマニフェスト・公約を図書館が収集して不特定多数に回覧することは民主政治にとって、有益なことではないのか。民主主義の常識と公職選挙法は感覚が違う。
 マニフェストの配布は、選挙管理委員会が候補者に一本与えた選管の旗の周りでしかできないのだ。だからあちこちの駅前でとか、地域全体で配ることはできない。住宅地に配るのも旗を立てて移動しながらということになる。まるでひと筆書きみたいだ。しかし選挙期間は短い。マニフェスト配布制限は、マニフェストが登場しない頃はなかった。とにかく日本の公職選挙法は制限することばかりに熱心だ。民主党はデモクラシーを党名にした政党だから、こんな表現の自由ばかりをしばる法律を改めて欲しい。
 あらゆる文書を収集保存し、研究に役立て、後世に伝えるのが仕事の図書館が選挙のマニフェストに手が伸びていないというのは、憂うべきことだ。ただちに是正しなければならない。
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警察・検察・裁判所一体になってビラ配り弾圧

2009年12月05日 15時09分05秒 | Weblog
 最高裁は、11月30日、葛飾でのビラ配りを犯罪だとした事件で、被告荒川庸生さんに有罪判決をくだした。この判決によって、21世紀の日本が人権後進国だということを世界に知らしめることになった。
 私はこの判決報道をよんで、怒りとともに、このような低レベルの判決しか書けない裁判官に哀れを感じた。歴史の発展方向すなわち人権と民主主義に背をむけた判決は、歴史から断罪されるだろうし、その前に国際社会からも非難されるだろう。
 立ち入り禁止を書いていたのにビラ配りでドアまで立ち入ったから住居侵入罪で有罪だということだが、そんな形式的なことでいいのか。弁護団は、憲法の表現の自由、参政権、国際人権規約の観点から論証をつくしてきたはずだ。にもかかわらず、これらを真正面から検討もせずに、住居侵入だと断じるその精神は、人権・民主主義の不理解をあらわしており、終戦直後の横浜事件での裁判官とよく似ているではないか。また、足利事件で菅野さんを獄にとじこめた裁判官の姿にもダブって見える。
 ピザや不動産のビラなど、新聞折込より安く上げるために、多くのビラが配られる。ビラを配ったことでこのように断罪された例を聞いたことがない。荒川さんを警察に通報した人も、それを受けて逮捕した警察も他のビラ配布と明らかに差別して狙い撃ちしたのだ。しかも、凶悪犯罪のように法的限度の23日間も拘留して取調べし、家宅捜索までした。100%の政治的弾圧だ。住居に立ち入ったというが、犯罪目的で入ったのではない。しかも共用区域にだ。目的は、区議会報告を配るためであって、推奨されこそすれ、23日も拘留されて取調べを受ける筋合いではない。このような異常な捜査そのものを裁判で検討することが求められるのに、裁判所はこれもおこなわず、警察・検察に迎合している。
 イラク戦争以来、政治ビラ配布につぎつぎと弾圧が加えられている。表現の自由という憲法上もっとも尊重されるべき権利をいちじるしく低いものにした。
 荒川さんが配った区議会報告は、議会制民主主義をすすめていくうえで大切なものだ。議員の歳費・政務調査費の金額がよく問題にされるが、そのお金を使って区議会報告を作成して配ることは、議会政治、民主主義の実践そのものではないか。政務調査費などは、ついこの間まで使途は問われることなく、どんな使い方でもまかり通っていた。そうした状況のもとで、議会報告をするのは最もあるべき使い方だ。だが、新聞折込で配るには莫大な費用がかかる。一度くらいならば折込もできるかもしれない?が(無理かな)、9月議会、12月議会と各議会ごとに丁寧に報告をしようとすれば、ボランティアをつのって無料で各家のドアポストや、集合ポストに配るしかない。この行為は、議会での議論の姿を市民に還流し、次の議会に市民の声を届けるための重要な行為である。もっともっとやるべきことで、共産党だけでなく、各党がかならずやるべきことだ。その民主主義の実践としての行為を犯罪だとしたこの判決の精神の狭さ、前近代性を問題にせざるをえない。
 これまで新聞折込で配っていた市政報告を、最近は、財政難からアルバイトをやとって歩いて配る方式をとりいれている自治体が現れている。先の衆議院選挙で選挙管理委員会が配った選挙公報も配布を請け負った会社?がアルバイトをやとって歩いてポストに配っている。これと、共産党のビラとどう違うのか。市政報告や公報は犯罪でなく、共産党のビラ配布を犯罪だとするその違いはどこからでてくるのか。
 日本は国際人権規約選択議定書を批准していない。日本は、国際的な人権条約のうち、数でいえば批准していない方が多い。1948年のジェノサイド(集団殺害)条約も批准していない。
 国連自由権規約委員会から、日本は勧告を受けている。国連自由権委員会は、公職選挙法での戸別訪問禁止、文書配布の制限、表現の自由・参政権への制約について、さらに政治活動家と公務員が郵便箱に政府批判のリーフレットを配布したことで逮捕されていることに懸念を表明している。
 新しい政府の下で、人権規約選択議定書の批准が求められる。批准されれば、荒川さんは、最高裁によってふみにじられた人権を回復するために、国連自由権規約委員会に申立てができる。国際人権規約B規約からすれば、今度の最高裁のような判決は成り立たない。
 政治ビラを配ることは、民主主義の実践にとって不可欠のことだ。これは推奨すべきことであって、断じて犯罪ではない。
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