山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

2010韓国日記(4)

2010年08月31日 10時19分51秒 | Weblog
 今度の韓国の旅で、テーマとははなれてあれっと思ったことなどをつづってみたい。
① 学校の休み
 韓国の学校は3月1日に新学年がはじまり、7月25日ごろに1学期が終わるそうだ。そのあと8月31日まで夏休み。9月1日から2学期。12月25日ごろから2月初日あたりまで長期の冬休みがある。で、2月いっぱい2学期の続きがあるそうだ。卒業式は2月の20日頃だそうだ。冬休みが長いのにびっくりだが、まあ、冬が厳しいから自然にあわせた制度のようだ。長期休暇が長くみえるが、日本は春休みが2週間くらいあるから、合計すると同じようなものだ。
 日本では、夏休みが短くなってきているが、今年のような人が死ぬような猛暑のなかでは夏休みを十分取るのが日本の気候に合っているとつくづく思う。

② 道路
 韓国は朝鮮戦争で国土が焼けつくしたあとに復興しているので、全般に道路が広く計画的だ。中には軍事用に飛行機の滑走路に転用できるように3キロ以上も直線の道路がつくられている。
 幹線道路は片側5車線などというのが一般的だが、日本にくらべて車線の幅が少し狭いように感じた。面白いのは、バス専用車線が設置されていることだ。しかも一番中央の車線だ。日本でも広い道路では外側の車線をバス専用にしているが、それでも一般の車もどんどん入ってくる。韓国では青線でバス専用を示している。ここは乗り合いバスだけでなく、観光バスも、われわれが乗ったマイクロバスも通ることができる。高速道路でもバスレーンがあり、ソウルから南へ向かうときは渋滞をしり目にスイスイすすんだ。中央車線に行くには横断歩道があり車線にそってバス乗り場と人々が座れる座席が用意されている。Uターンを普通に認めているのも韓国の特徴だ。それと、車は右側通行。

③ 水田地帯
 韓国の夏は田舎の風景がかつての日本の田舎とそっくりだ。特に全羅北道・南道などの穀倉地帯は見渡す限りの緑の水田だ。日本は休耕田が多く、みわたすかぎり緑の水田という風景はもう昔のことになった。でも韓国ではその姿がいまでもそのままだ。
 昔の日本だと思ったのは、田んぼのあぜ道に大豆を植えていることだ。かつて私が田舎にいたころは細いあぜ道にすべて大豆を植えた。でもいまはそんな面倒なことをしている農家は皆無だ。
 それと気づいたのは、川の河川敷も水田にしていることだ。もちろんすべての川がということではない。でも、行っている間にも地域的な集中豪雨があり、その河川敷水田がほぼ水浸しになっているところがいくつもあった。真っ先に水没する可能性があるから大変だ。

④ 松林
 日本では昔は里山に行くと松林がありふれた光景だった。とくに赤松がおおかった。今は、松くい虫の被害もあり、松林はめずらしくなった。ところが韓国では、まず松林だ。あちこちの山でも、村でも、町でも松だ。どんどん植えている。松くい虫被害はないのだろう。道路の植樹も、都市の街路樹も松が多い。日本ではビビって松を植えようとしない。

⑤ 赤土
 韓国の土は赤土がほとんどだ。全羅道など土が見えているところは、茶色ではない、赤レンガよりもあかい色の土だ。一般に日本でも山土は赤土だが、茶色に近い黄土色だ。でも韓国では山土だけでなく畑の土もレンガより赤い。それはびっくりするくらいだ。それは栄養分が少ないということになる。腐葉土をすきこんでいけばそのうち黒くなるだろうが。水田は長年の農業で粘土質が覆って黒土になっているかも知れない。
 見渡す限り緑の大地なのだが、作物をすべてはぎ取ってしまうと、そこには赤茶けた大地が現れる。植え替えの時をむかえたところだけは、緑の風景に似合わないむき出しの赤土が顔を出す。
 
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秋葉市長の広島平和宣言に注目

2010年08月24日 14時54分39秒 | Weblog
 2010年8月6日の平和記念式での秋葉忠利市長の「広島平和宣言」に注目した。広島弁で始まったことでも注目されたが、私は、日本政府への注文の中身に注目した。この日、菅首相が被爆者に対しては「日本こそが核廃絶の先頭に立つ道義的責任がある」と述べたのに、その直後の記者会見で「核抑止力は必要」と平然と発言した。被爆者は二枚舌だとはげしく抗議したのは当然だった。
 広島平和宣言は日本政府のなすべきこととして以下のことを求めた。
「今こそ、日本政府の出番です。『核兵器廃絶に向けて先頭に立つ』ために、まずは、非核三原則の法制化と『核の傘』からの離脱、そして『黒い雨降雨地域』の拡大、並びに高齢化した世界全ての被爆者に肌理(きめ)細かく優しい援護策を実現すべきです。
 また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯に受け止め自ら行動してこそ、『核兵器ゼロ』の世界を創り出し、『ゼロの発見』に匹敵する人類の新たな1頁を2020年に開くことが可能になります。核保有国の首脳に核兵器廃絶の緊急性を訴え核兵器禁止条約締結の音頭を取る、全ての国に核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、選択肢は無限です。」
 特に、「高齢化した世界全ての被爆者にきめ細かくやさしい援護策を」というくだりに注目した。
 被爆者の1割が朝鮮人だった。広島の被爆者の多くが韓国のハプチョンの出身で故郷に帰っている。ハプチョンは慶尚南道の「韓国の広島」と呼ばれる地域だ。援護を受けるには日本に来て申請をしなければならない。高齢の被爆者には不可能なことだ。韓国以外にも居住している被爆者はいるだろう。広く手を差し伸べることが日本の信頼を高める。遅いかもしれないが、でも今からでも遅くはない。
 秋葉市長が問題提起したことに敬意を表し、これが今年の世論になることを期待したい。
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2010韓国日記(3)

2010年08月21日 10時22分04秒 | Weblog
    10韓国日記(3)

8月15日 光州市発 → 珍島(チンド) → 木浦(モッポ)
      珍島では秀吉軍と戦った李舜臣の像が迎えてくれる。干潮のときに打ち上がった秀吉軍の死体を村人が弔ってくれた倭徳山の墓地。珍島は東学農民軍が最後に追い詰められて皆殺しされたところ、ソンヒョンリという土地の天台宗の寺の前の坂道に50体の死体がならべられた現場。丘の上の農民軍の共同墓地。古くモンゴル軍と戦った高麗・三別抄ゆかりの地。旧日本領事館。木浦近代歴史館。
      昼食はイシモチの塩焼きがでておいしい。
8月16日 木浦発 → 韓国縦断・新幹線でソウルへ → 昼食後金浦(キンポ)空港へ → 関西空港

 東学農民軍は、1894年春、地方役人の過酷な取立てに抗して蜂起し、朝鮮半島西南部穀倉地帯の全羅道首府の全州を占領した。これが反封建の第1次蜂起だ。手を焼いた政府は清に派兵を要請、これに対して日本も出兵した。だが、日清両軍が出兵してくると、政府軍と「全州和約」を結び農民軍は即日解散した。農民たちは故郷で改革にとりくむ方向にすすんだ。
 7月23日、日本軍は朝鮮王宮を占領し、国王を捕らえた。その上で、日清戦争におよんだ。8月に入って農民軍指導者達は王宮占領を知り、蜂起の準備をすすめる。日本軍排斥・民族的抵抗の第2次蜂起・第2次東学農民戦争である。10月、農民軍は全羅道から北上。11月には、慶尚道、江原道、黄海道など全国各地で農民軍が蜂起。激しい戦闘をくりかえした。近代的な日本軍に対して、一部は銃をもっていたが竹やり中心の農民軍はかなわず敗北に追い込まれていく。南の端の珍島で最後までのこった農民が殺される。
 広島にある大本営は、東学農民を「ことごとく殺戮すべし」という命令を出していた。日本は朝鮮に宣戦布告はしていない。農民軍の死者は、3万人を優に越え、負傷後死亡した者を加えれば5万人に迫る数であった。日清戦争での日本軍の戦死は1418人で、たくさん出た病死者をくわえて約2万人といわれる。清国軍の死者は約3万人である。農民軍殲滅作戦投入された日本軍は約4千人、死傷者はほとんどなかったようである。『日清戦史』全8巻の中でもわずか3頁しかふれていないという。全貌は隠されてきた。日清戦争中の最大の犠牲者は朝鮮人農民だったことが。
 教科書でも書き方はいびつだ。山川の高校日本史では清国の出兵の要因としての農民戦争という扱いで、農民軍殲滅にはふれない。分厚い『詳説日本史研究』という参考書がある。だがこれは、当時の日本政府の軍事外交方針をなぞる記述が中心で、朝鮮を歴史の主体として十分位置づけない。詳細な記述にもかかわらず、農民戦争については、教科書とほぼ同じもので何も説明しないのと同じだ。日清戦争を始める前提としての朝鮮王宮占領と国王をとりこにした重大な事実も無視している。
 今度の旅行のために、日清戦争期の研究の第1人者で、未発見史料によって日本軍の朝鮮王宮占領を明らかにした中塚明先生(奈良女子大名誉教授)に参加者一同、事前講習をしていただいた。中塚先生は東学農民戦争の事実をもっと学ぼうと調査旅行を毎年のように実施している。中塚先生の諸論文や井上勝生先生(北海道大学教授)の諸論文を勉強させていただいた。

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シャープ亀山工場撤退の身勝手

2010年08月21日 10時18分07秒 | Weblog
     シャープ亀山工場の撤退の身勝手
 『朝日新聞』(2010・8・17夕刊)に重要な情報が載っていた。「窓 論説委員室から」というコラムの「去りゆく工場」という記事だ。執筆は伊藤智章氏。全文引用しよう。

 シャープが、亀山工場(三重県亀山市)の液晶パネルの生産設備を中国企業に売却し、その搬出作業がすすめられている。東海道の宿場町の面影の残る市街地から離れた郊外。林に囲まれた巨大なビルのような工場は、閑散としている。
 「たった6年ですよ」。案内してくれたタクシーの運転手は悔しそうだった。
 同じ敷地内にある液晶パネルの第2工場やテレビ組み立て工場は残る。とはいえ、2004年に操業を始めたばかりで、まだ白く光る第1工場の基幹ラインが無くなってしまう衝撃は小さくない。
 同社が亀山立地を発表したのは02年。「先端技術は国内で」と明快で、日本製造業の可能性を感じさせたものだった。その会社がいま、海外消費地で生産し、売る「地産地消」を唱えている。
 02年当時の知事は北川正恭氏。シャープに破格の90億円補助を打ち出し、市も45億円を上積みした。企業誘致の優遇競争の走りだ。いま、県も市も議会で突き上げられ、県は一部返還を求めた。もっとも総投資額は5千億円を超しており、税増収で「もとはとれた」ともいう。
 しかし、工場周辺はいまだコンビニもほとんどなく、がら空きの単身者用アパートが目につく。世界市場の変化が速すぎ、かつてのように企業城下町や門前町が形成される時間もないのだろうか。
 シャープは堺市にも新鋭工場を置いており、国産主義を捨てたわけではないらしい。とはいえ、企業と街の共存は、難しくなるばかりだ。

 そういえば最近、「亀山モデル」というテレビコマーシャルのことばを聞いていないことに気付いた。県と市であわせて135億円もの補助金を出した。大盤振る舞いだ。「もとはとれた」と県はとりつくろっているようだが、移住してきた労働者の住民税も含めて全体として「もとがとれた」のだろう。シャープだけでいえば、食い逃げなのではないか。金をプレゼントしてあげるだけではなく、工場への道路敷設などさまざまな出費をし、便宜を図っているはずだ。設備投資資金は6年に短縮して減価償却を終えているにちがいない。短期間であっても、もうけだけはがっちりあげて去っていくのだ。本来ならありえない法外なお金をもらって。1年に換算するといくらだ。
 そういえばシャープ堺工場誘致で大阪府と堺市があわせて確か135億円プレゼントしている。
 それにしても大企業の身勝手には驚くばかりだ。地域経済、国民経済に果たす役割を考えているのだろうか。日本経団連などが法人税の引き下げを要求し、民主党もそれに同調している。これを批判すると、企業が法人税の安い外国に逃げていくという脅し文句がつかわれる。だが企業の海外移転の動機で法人税率は大変低い位置づけだということは企業アンケートで明らかになっている。でもこの脅しが使われる。こんどのシャープの動機は「地産地消」だという。先のアンケートでも「地産地消」が第1の理由だった。国民経済よりも企業利潤の最大化がすべてだ。非正規雇用で労働者をいじめるのも同じところからでている。でも「地産地消」とはよくいったものだ。野菜でもあるまいに。
 先の参院選で消費税の増税と法人税の減税が論議の焦点になった。消費税導入の20年間、集められた消費税はそっくり法人税減税の財源にされた。それをさらにすすめようという問題だ。民主党の敗北でいったん立ち消えにはなっているが。それにしても財界の欲張りにはおどろく。
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阿久根市長を尊敬するという人

2010年08月17日 14時48分35秒 | Weblog
 韓国から帰ってきて溜まった数紙の新聞を読んだ。鹿児島県の阿久根市の竹原信一市長のリコール届出が16日にあったとの記事がある。これにかかわって、大阪の橋下知事が「考え方は阿久根市長、大いに尊敬しています」と記者会見で述べている記事もあった(『朝日』10・8・13)。さもありなんと私は思った。
 『朝日』は知事の記者会見を毎回詳細に伝える。意味のないくだらない発言もそのまま載せる。この発言は、くだらないものだが橋下氏と阿久根市長とが政治感覚において同質であることを示す資料としては意味がある。
 橋下氏はまた、大阪朝鮮高級学校について、府独自の授業料助成の執行を保留しているのにくわえて、学校の設置の認可の是非にも踏み込んで検討するとのべている。認可を取り消す、すなわち廃校に追い込むこともありうるということだ。これは前代未聞だ。阿久根市長レベルだ。『朝日』では発言内容をそのまま垂れ流すだけで、ことの意味にふれようとしない。『毎日』は2面政治面で独立した記事にしている。
 『朝日』橋下会見詳報では、100歳以上の所在不明者が大阪市は63人だったことについて、大阪市の区長は行政マンだから細かく把握するのは無理だ、選挙で選んだ区長がくまなく街をまわってやらないといけない、などと述べた。まったく無責任は放談だ。自分が推進する大阪市解体という政治目標にむりやり引き付けようというのだ。『毎日』の平松大阪市長発言にかかわる記事では、63人のうち44人は区役所が以前から所在不明を把握していた。転居か、死亡か届けがなされないまま年月がたつ、あるいは事件性のある行方不明者かもしれない。むずかしい問題だ。同記事では、63人の各区別の内訳ものせてくれている。なんと西成区が45人だ。釜ガ崎に居住して働いていた労働者が身よりもなく年を重ねたあげくの所在不明という姿が浮かぶ。全国から集まってきた人たちだろう。住民票はあっても以前からそこに居住していない人たちだろう。重い背景をもった問題をここぞとばかりに自分の政治運動に利用する、こんな政治家を私はほかに知らない。
 橋下氏は、自分が代表をつとめる「大阪維新の会」が大阪市政改革本部を設け、大阪市の事業仕分けをするという。これに平松市長は、「自治権の侵害以外の何ものでもなく、内政干渉だ」と激しく反発した。「維新の会」の政治活動と知事の仕事とを実際はダブらせている。彼は公職と個人を分けているといっているが、信用できない。事実、12日の会見でも、知事の立場で答えながら、大阪市の所在不明者問題では「維新の会」の政治運動として見解をまくしたてているのだ。さらに府の職員に命じた仕事が「維新の会」に利用されているのではないか。新聞は厳しく監視すべきだ。
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2010韓国日記(2)

2010年08月17日 10時02分04秒 | Weblog
   10韓国日記(2)
東学農民革命、東学農民戦争、または甲午農民戦争といっている農民革命をになったのは、1860年に崔済愚(チェジェウ)がはじめた東学という民衆思想の団体だった。東学農民革命が敗北に追いやられたあと、1906年東学は天道教と名を改めた。
 天道教の総本部の教会をたずねたとき「人乃天の要義」という日本語でかかれた4ページのプリントをもらった。それによって東学=天道教の思想を紹介すると以下のようになる。
 天道教の中心思想は、「人乃天」=「人即ち天」である。「人乃天」という述語で表現したのは天道教(東学)の第3世ソンビョンヒである。彼は、1919年の3・1独立宣言の署名人の筆頭者でもある。タプコル公園(パゴダ公園)に大きい銅像が建っている。
 人即ち天の思想について。無形の天が有形化したのが人間であり、人間と天はひとつである。人間と天はひとつであるからこそ、この世の中でただ人間だけが天を自覚することができる。この思想によって、農民は、主人であり国の支配層である両班(ヤンパン)=貴族階級と自分とは同じ人間であり、平等だと知る。
 「人乃天」は、人間の尊厳性を極大にすることによって、失った人間性を回復し道徳秩序を確立し、人類を救済しようとする新しい思想である。「人乃天」の思想を覚ると人生は虚無ではなく高貴無窮であることがわかる。天は無窮であり、生と死を超越する。人は天であるから、また人間も無窮である。肉身は生死をまぬがれることはできないが、性霊には生死がなく無窮である。3世教祖ソンビョンヒは、その説法で”肉身は人の客体であるが性霊は人の主体だ”と教えた。人間が自身の無窮性を覚るとき、その生活に驚くほどの変化が起きる。世界の人がこの真理を覚る日に、世界は天国になる。
 人間は自己の中に天を抱擁している存在だから、人間は無限の智慧と無限の能力がある。熱心に修練をして人が天と一体になれば、智慧と能力を発揮してあらゆることをなす。人即天という真理を覚ったとき、人は人間の尊厳性に対する高次元の認識をもつことになり、この地上に永遠の天国を建設しなければならないという信念と使命感を呼び起こす。

 1894年の東学農民革命は、生活上の要求にもとづいた農民蜂起にはじまり、反封建の革命運動、さらに日本軍排撃の革命戦争へと発展していった。
 私が不思議に思っていたのは、農民たちが数万人の犠牲者を出しながら、日本軍・官軍との戦争をなぜたたかったのかということだ。農民は土地への要求が強い。その要求がある程度満たされるととたんに保守化して、革命を推進する側から抑える側に転じてしまう。フランス革命などに見るとおりだ。ところが東学革命では反封建農民革命をへて、外国(日本)の抑圧から民族の自立を確保する革命へとすすんだ。農民は保守化しやすい。ところがここではそうではない。
 なぜなのか。その疑問を解いたのが、東学=天道教の思想であった。東学農民革命の指導原理と指導組織が東学=天道教にあった。天賦人権思想にも似た人即天の思想、人の生命力の無窮性の自覚、この世に天国を建設しようという思想に力の源があった。全国的な戦いを組織しえたのも天道教の組織による。封建時代の宗教も、キリスト教にしろ仏教にしろ平等思想をもっている。しかし封建宗教は身分制社会のもとでこの世に平等社会を実現することは論理の枠外で、あの世・来世で平等社会がおとずれると説く。すなわち救いである。ところが天道教は、この世で平等社会を実現しようと説く。ここに地域的要求のレベルを超えた封建的抑圧・搾取そのものへと向かう闘い、さらに民族的自立の確保という普遍的な課題にとりくむ論理とエネルギーが生み出される。
 実際の戦闘のとき、東学農民軍は「侍天主造化定永世不忘萬事知」という13文字の呪文を唱えて進軍した。唱えれば力がみなぎり、鉄砲の弾もよけられるという思いをもったのだ。竹槍中心の農民軍が組織的に勇敢に戦った源泉はここにあった。
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2010韓国日記(1)

2010年08月17日 09時54分23秒 | Weblog
   10韓国日記(1)
 2010年8月12日から16日まで、5日間韓国を訪問している。ここに書くのは、第2の韓国日記である。第1のは、2009年11月にたずねたときに書いたも「韓国日記」と題してこのブログにのせた。
 今回は、「東学農民軍の戦跡を取材する旅」の一員としての韓国訪問だ。メンバーは9人。ガイドは韓末淑さん。韓さんは私より年上だが、頭脳明晰、魅力的な話を提供してくれるすばらしい女性だ。東学農民革命・農民戦争の事績をまなびその跡をたどろうという特殊な旅だから、韓さんも準備をかさねてわれわれを迎えてくれたようだ。彼女がもっているノートと話からそれがうかがえる。ありがたいことだ。メンバーたちも韓国の歴史に造詣の深い人たちばかりで、刺激をうける毎日だ。
 12日。景福宮見学。日本軍は日清戦争開始に先立って王宮を占領、国王をとりこにした場所、また皇后殺害をした場所だ。その後、天道教総本部訪問。天道教とは東学のことで、1906年天道教と改称した。
 13日。ソウルを離れて公州市、全州市へ。日本軍・朝鮮政府軍との大激戦地の牛禁峠、さらに最後の戦いの地テドンサン、再蜂起の地・参礼などを訪問。
 14日。農民軍が本拠地をかまえた白山、最初の蜂起の引き金となったマンソクボ、東学農民革命記念館、無名東学農民慰霊塔、東学革命謀議塔、指導者チョンボンジュンの復元された家。東学をはなれて、世界遺産になっている先史時代の支石墓遺跡見学。
 
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琵琶湖水系

2010年08月13日 20時47分17秒 | Weblog
 8月11日まで4日間、クラブの合宿に滋賀県に来ていた。暑かった。
 けがをした生徒を病院につれていく途中に安曇川(あどがわ)の橋を渡ったときにめずらしい風景をみた。10日は小雨が降り続いていたから橋の上流は水がいっぱいだった。だが、下手の方を見ると、50メートルほど水があるが、その先はまったく水がない。流れていない。伏流水となっている。そこで川が途絶えている風景ははじめて見た。安曇川は典型的な天井川で、周辺の家の屋根が川底と同じになっている。
 川にまつわる話がもうひとつ。運動公園の近くを流れている川を橋の上から眺めたら、無数の子鮎が泳いでいる。やや大きい鮎もいる。琵琶湖に流れ込む川の、安曇川水系の川の鮎はスーパーで売っているような鮎ではなく、ずっと小ぶりだ。この川に漁業権が設定されていなければ、採ってみようと思わず考えてしまうような魚影だ。もちろん川に下りたりはしない。ああ、さすが琵琶湖とつながっている川だと思った。
 
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初めてのインターネット喫茶

2010年08月06日 12時59分59秒 | Weblog
 家の電話がうまく通じなくなって、電話でつながっているインターネットもダメになった。そのため研究会で東京に行っていた間も含めると1週間もご無沙汰してしまった。せっかくこのブログにアクセスしていただいたのに、なんや前の通りやないか!と思われたみなさんごめんなさい。
 そこで大阪ドーム近くのインターネット喫茶に初めて入って、家で二つ書いてきたものを今発信した次第です。座りやすい社長さんのような椅子です。マンガ見てる人、画面見てる人、スプーンで音をたてて皿のカレーを集めながら食べている人、色々です。音楽は流れているが静かで、適度にクーラーが効いていて快適です。
 久しぶりに発信できてひと安心。さあ、自転車で暑い我が家に帰ろう。
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東京の地下鉄、大阪の地下鉄

2010年08月06日 12時57分50秒 | Weblog
 大阪府が大阪市営地下鉄をねらっている。地下鉄の民営化・払い下げが都市間競争に打ち勝つ決め手なのだそうだ。その裏で市民は打ち捨てられる。それを声高に叫んでいるのが、橋下大阪府知事と特別顧問の上山信一氏だ。
 大阪の地下鉄は東京とは違って、急行がない、複線になっていない(?)、私鉄と相互乗り入れができていないなどどいって攻撃している。
 東京で東京メトロの職員に聞いてきた。複線(複々線のことだと思われる)は存在しないが、急行は確かにある。いちばん新しい副都心線などだ。ただし急行といっても、どこかの駅で普通列車が急行を待つ、急行が普通を追い抜いていくという本当の急行ではない。普通を一本間引きすることで成り立つ急行だ。私鉄との乗り入れで郊外へ出て快速になるものもあるそうだ。
 東京のテレビニュースで、東京都が国交省に対して都営地下鉄と国の資金が入っている東京メトロとの運賃などの一体化を申し入れた、これに対し国交大臣が東京都が経営努力をするほうが先だと述べたと報じていた。旧営団地下鉄の東京メトロは1900億円の黒字の蓄積があるのに対して、都営地下鉄は4400億円程度の赤字をかかえているという。メトロは古くからの線が多く経営は良好で、一方、都営地下鉄のほうは新しい線が多く、深い地下での工事などで経営は苦しく、運賃も高い。教訓は無用な新線工事は経営破たんをまねくということだ。東京の地下鉄は多すぎるくらいだ。便利なことは事実だが。
 御堂筋線を複々線にする工事をはじめたら地下鉄の経営は破たんする。上山らの挑発に乗せられてはいけない。大阪はバス路線も本数も多い。この点は東京とちがう。東京はバスが衰退している。大阪の、地下鉄で儲けてバスの赤字を補てんする、全体として市民の足=交通権を確保するという現在の到達点を大切にしなければいけない。思いのほかバスは早い。だから近くを走るバスはお年寄りには強い味方だ。
 橋下氏の政治手法は、小泉元首相とおなじだ。怖い存在だ。いまはもっぱら大阪市を攻撃している。府・市は二重行政で非効率だ、だから大阪都にするんだと。東京都の23区の住民は他の市にくらべて住民福祉という点で優れているのか、知りたい。

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全国民主主義教育研究会2010年度全国大会に参加

2010年08月06日 12時50分42秒 | Weblog
 7月29日から31日まで、東京・筑波大学付属高校を会場に開かれた全国民主主義教育研究会(全民研)の第41回全国大会に参加した。参加者は70数名。こじんまりしてはいるが、報告討論ともにハイレベルの研究会だ。名の通り民主主義の教育を標榜した研究会だ。
政治経済の教科書では、民主主義を民主政治とおきかえているが、民主主義を豊富な内容から遠ざけようとする意図もあるようだ。服部進治さんの指摘では教科書には民主主義という概念が排除され民主政治しか登場しないそうだ。わたしもそんな感じを持っていたが。学習指導要領の指示によるものだ。民主主義は豊富な内容をもつ概念で、民主主義の思想、民主主義の政治制度、民主主義の運動を包含している。世界の民主主義の歴史がこの三つの内容となっている。
大会のパネルディスカッションでの服部さんの発言によれば、全民研第4回大会(1973)は、①民主主義的思想を身につける、民主主義的人間観の確立、②社会科学的認識を育てる、③主権者としての行動能力の育成の三つを定式化した。上の三つに対応するといえよう。民主主義の教育にとって、①②③の三つは「相互に深く関わっており、どれも一つだけでは独立しては存在し得ない」(服部)といえる。全民研の初代会長で哲学者の古在由重は「民主主義とは他人を馬鹿にしないことだ」といった。民主主義思想の根幹をいいあてたことばだ。
全民研は、大会の分科会として、①民主主義思想、②憲法と平和、③学力と授業づくり、④自立と連帯を育てるを設けている。つまり民主主義の教育を会の全体の研究体制としても追及しているのだ。社会科の研究団体ではあるが、生徒の自立と連帯を追及していることが私がこの研究会に魅力を感じたポイントだった。

≪筑波大付属高校は昔風の学校だった≫
分科会の会場の普通教室で、興味深い掲示物を見た。全学年の教育課程表や時間割表、年間行事予定表などだ。なんということはない。ありふれたものだが、学校の基本がわかる。
びっくりしたのは、ここ10~20年全国で吹き荒れている特色作り、学校改編の形跡がまったく見られなかったことだ。小学校までが2学期制を取り入れるという熱狂の時代にだ。筑駒では、3学期制を頑固に守っている。体温を超える日本の夏を学期の区切りにするのは自然の摂理だ。それを無視して2期制にするのは、児童生徒を犠牲にし、導入推進した役人あるいは役人的教員の点数稼ぎ以外のなにものでもない。駒場では選択授業が少ない。上級学年で週に4時間程度だ。実にシンプル。中身のわからない細切れの授業を無数につくって、授業の種類が100種類以上も用意されて興味関心にあった教育!などというふれこみの学校が雨後の竹の子のように乱立している今の時代。一人の教師が5つも6つも種類の違う授業を受け持つ。教師は疲弊する。中身は薄くなり、学力はこま切れ。推進した教師は出世する。しかし駒場は昔の通りだ。授業時間数も昔どおり1日6時間。学校のスタイルにさわやかさを感じた。
ひとつ面白いと思ったのは、予算総会とは別に選挙のための自治会総会が年3回予定されていることだ。なんとこれは、戦後、新制高校が出発し生徒自治会がうまれたときの最初のスタイルなのだ。私がいた北野高校定時制では自治会発足数年を待たずに3期制では活動がこま切れになるとして2期制に移ったのだが、ここ駒場ではどうも3期制自治会のままのようだ。教室で分科会がおこなわれたためにわかったことだ。
校庭のヒマラヤスギなどの樹木も大きく育ち、高さ20~30はあった。それが夕立と風で大きく揺れていた。
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