山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

私がブログを開設した理由

2008年10月12日 10時49分32秒 | Weblog
 私がなぜブログを開設したか。
 私はもともとインターネットを好ましく思っていなかった。とくにネット右翼が南京や従軍慰安婦などであまりにひどい言辞をもてあそび、2チャンネルなどでの言論のルールをわきまえない横暴に嫌悪感を覚えていた。
 だが、そんなことにひきずられて避けていてはいけない、自らもブログを開くことで長い目で見て社会進歩に役立つのではないかと思い立った理由は2つある。
 ひとつは、かつての小泉劇場、いまは橋下知事のテレビ政治の現実を前にして、このままではいけないと思ったことである。橋下氏は、テレビをひきつれで行動し、小泉氏とおなじくカメラを意識して短い刺激的なことばで視聴者に食い込みつづけた。公務員を敵として設定して、困窮生活をしいられている多くの人をテレビを通じて同調させた政治手法は、小泉郵政選挙とまったく同じだ。事実、あまりテレビを見ない若者にくらべ、1日中テレビをつけている年配層の橋下支持が高かった。こうして、橋下氏が思いつき的に政策案のようなものを打ち上げ、テレビで浸透させて、テレビ世論のレベルで政治的決定が整うというスタイルをつくりあげた。まさに、新しいテレビ政治である。一見、世論にうったえ、世論を大切にしているかのようにみえるが、これは、民主主義とは縁もゆかりもない。そこでは多様な意見の交換が徹底して排除され、仕組まれた舞台に市民は受動的に組み込まれるだけである。
 この手法がこれからさまざまな場面で展開されるだろうし、テレビ政治がいっそう広まる危険性が強い。これは、日本の民主主義を考えるとき座視できない重大問題だ。
 これに対抗するに、テレビ、マスメディアに対し、法によって割り当てられた電波を、世論を操縦するために利用するようなことは許されないという運動を広げることは当然やらなければならない。
 テレビ、とくにワイドショーに取り込まれていない青年層が橋下政治では比較的冷静であることを考えると、テレビを少しでも相対化する、テレビの地位をさげる
ことが、どうしても必要だと思う。そのために、私が、自ら発信する人間にならなければと思ったのだ。私だけでなく、多くの心ある人が積極的な発信者になることを願う。もちろん、さまざまな方法で発信しているとは思うが、インターネットを通じた発信はこれから可能性がうんと広がることは明らかだから大事だと思う。
 第2に、韓国の青年の政治的自覚とインターネットとが強くむすびついてることを知って、日本のこれからは韓国とと同じ方向に必ず行くと確信したことがある。
 アメリカ産牛肉輸入問題がきっかけになり、反政府運動が青年を中心に大変な盛り上がりをしたことは、日本のマスコミも詳細に報道した。韓国の青年が政治的意見を集会やデモという形でで表現することに躊躇しない人たちだということは、5年ほど前韓国に行ったとき、ソウルでイラク戦争反対のデモに沿道から随行した経験からすごく感じた。韓国では、今年の何十万という大集会の組織者となったのがインターネットでの結びつきだった。韓国では95%の人がネットをやったというNHKのレポートがあった。多くがネットシチズン、つまりネチズンだ。韓国がなぜそうなのかはわからないが、日本もかならずそうなる。そのときに、多くの心ある人がネットをつうじての系統的な発信者として実績を積み、訓練されていなければならないと思うのだ。
 以上のことから、私は、自らブログを開いて、名前を公表した上で、責任ある意見を発信する活動をしようとおもったのだ。思っていたけど、学校の72年史を書く仕事の重圧があって踏み切れずにいたのだが、9月15日、佐伯祐三展を見に行って、妙に心が軽くなり、今日からブログはじめようと思い立った。幸いにも、以前からのgooメールの関係で、NTTのgooは無料でブログ開設を手助けしてくれたので、展覧会を見たその日にブログを開くことができた。「佐伯祐三展を見に行こう」というのが最初の文章だ。いとも簡単にすべりだした。
 韓国の青年は、集会の現場から動画映像さえも発信した。私にはでない芸当だ。10月5日、東京明治公園での、人間の使い捨てをゆるすなというスローガンで4600人の青年が集まったのは、韓国とは規模が違うが、これからの日本にも希望があることを示した大事件だった。だがテレビは無視、朝日新聞は1行も報道しなかった。テレビ・新聞にかわって、集会の動画映像を流し、市民記者がルポを発信するようにしなければならない。なにしろ、NHKの真横の代々木公園で6万人の反政府集会をやっても1秒も報道しないのだから。インターネットを使った映像報道で、意図的な操作をするテレビの地位を引き下げなければならない。
 ただ、発信するものについては、責任と倫理がもとめられる。ネット右翼の事実にもとづかない懲りない発言とは全く別の世界をつくろう。時とともに信頼を広げる活動を、それぞれが細々とでも着実につづけることが大切だと思う。

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2 コメント

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信念 (イクーニャ)
2008-10-13 09:15:29
 先生がそんな深い信念のもとにこのブログをはじめられたとは。。。
 さすが、山上先生です。

 今の高校生世代は簡単にインターネットを利用したりブログを開設しています。誹謗中傷やいじめの温床になったり、犯罪に利用されたり。マイナスなイメージもありますが、ある意味では、強力なメディアですよね。

今後も頑張ってくださいね。(記念誌も大変だと思いますが
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ぼちぼち (山上俊夫)
2008-10-14 07:55:19
 イクーニャさんありがとう。
 大きいねらいをかかげましたが、到達はたいへんなことです。
 まあ、ぼちぼちをやるしかないですね。楽しみながらやることを心がけます。
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