山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

教育基本条例案をめぐる権力むきだし、むちゃくちゃなやり方 

2012年01月31日 12時23分20秒 | Weblog
 30日、大阪府市の教育委員会が府市統合本部会議に出席し、府議会に提案されている教育基本条例の修正について議論した。そもそも、なんで府の教育に関わる問題を橋下市長がしゃしゃり出て、場を取り仕切って、自分の政治目標を押し付けるのか。もうルールももへったくれもないむちゃくちゃな事態だ。
 府市統合本部というものも、本来府は府、市は市で独自に政策を検討していくべきもので、話し合い・調整をすべき時はしかるべき会合をもつという手続きをすべきだ。いっしょくたにしてやるのは、自治体としての自立と自律を崩すものだ。実態は、橋下市長が知事をも兼ねていると言ってもいい状態だ。指揮官を一人にするのが大阪都構想だといっていたが、もうすでにそうなった。異常なことだ。
 その場に府の教育委員会が出ていくことも間違いだ。話をするのならば、知事とするべきだ。府教委の話し合いというのが、最初のボタンからかけ間違っている。橋下のずるいやり口の危険性を知らないのか。
 結局、教育委員会は押し切られ、押さえ込まれ、屈服させられた。情けない限りだ。
 それでも、教育基本条例案は違憲・違法のしろものであることは変わりがない。






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1・27橋下記者会見の暴言、暴言を報道しない新聞

2012年01月28日 16時55分51秒 | Weblog
 2012・1・27の橋下市長の記者会見。「橋下市長 高層ビル解禁狙う」という見出しの記事がある(『朝日』)。大きい記事だ。だがこの記者会見での大事な発言がかくされている。
 『しんぶん赤旗』が報じたものだ。

  橋下大阪市長が暴言 「通学代、バイトで稼げ」
  橋下徹大阪市長は27日、記者会見し、大阪市と大阪府で制定を狙う「教育基本条例案」に盛り込むとしている3年連続定員割れの府立高校 の統廃合で、経済的に困難な家庭の子どもが遠距離通学になっても、「通学定期代くらいバイトして稼げばよい」と強弁しました。
  橋下市長は「生徒が集まらない学校をずっと置いておいても仕方がない」とし、「本当にそういう事情があるなら電車代を助成しますよ」 と発言。一方で、「本当に家庭の事情で苦しいというなら通学定期代くらいバイトして稼ぎゃあいい。授業料までただにしてるんですから。 通学代が出せないから地元の高校を残さないといけないなんて、そんな理屈は通らない」と述べました。

 3年連続定員割れの学校をつぶすことを基本にする条例は、教育をかかげる資格のない非人間的条例案だ。教育をしらない新自由主義者の暴挙そのものだ。定員割れをしている高校は困難校が多い。でも家庭的・学力的に問題をかかえた生徒を排除することなく、あたたかく迎えそだてているのだ。地理的にもやや不利なところにある場合がある。でもそれぞれの地域にとってかけがえのない学校なのだ。教育を市場原理でとらえようとすれば、いらない学校ということになるのだろうが、こういうのを「血も涙もない」という。
 近くの学校がなくなれば、合格が可能な遠くの学校へいかなければならない。それでなくても数年前、9学区が4学区にへらされ、学区が拡大した結果、遠距離通学がふえて定期代がかさみ、中退率もふえている。とても子どもの立場に立った教育指針とはいえない。経済的に苦しい家庭の子どもの定期代の問題に、授業料までタダにしてしてるなどの暴言。橋下さん、あんたが授業料出してるんかといいたい。国の政策で実施されたのだ。金に困るならバイトしろというのが、教育基本条例の精神か。政治が上からいうことか。苦しい家庭の子どもはバイトしろというのが行政の公式の態度だとしたら大問題だ。教育基本条例の本質見たりだ。
 それにしても、笑ってしまうのは、大阪市長が大阪府の条例の中身(府立高校)について、知事になりかわって、あれこれとしゃべっていることだ。橋下氏は大阪府と大阪市の一つにして指揮官を一人にする、それが大阪都だといったが、都ができる前にもうすでに両方を束ねる指揮官になっているではないか。
 もうひとつ、不思議でかつ腹立たしいことがある。それは新聞が、たとえば『朝日』が、毎日膨大な紙面を橋下のために提供しているその性格がここに見事に暴露されたことだ。橋下氏の冷酷な、弱い者いじめの(昔からそうだったらしいが)性格が、露呈した重要発言を無視して、つまり橋下氏にとってまずいことは報道しないという姿勢をとっていることだ。情けない。もはや大阪にはジャーナリズムは存在しない。2006年にジャーナリズム宣言をしたのを忘れたのか。権力にすりよってかわいがってもらうことはジャーナリズムの恥だ。橋下氏が知事の時、インドネシア出張に3人も随行記者を送ったときから怪しいと思った。その時の記者の名前が、今も橋下記事に署名されている。
 
 ついでに、超高層ビル解禁がいかに御堂筋の魅力をなくすかは、自明のことだ。あまりの見識のなさには、橋下知恵袋の上山信一も異議をとなえたほどだ。
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最高裁第1小法廷の君が代判決

2012年01月25日 07時54分11秒 | Weblog
 2012年1月16日の君が代処分をめぐる最高裁判決は、あくらつな行政権力にすこしは歯止めになるだろう。3回で免職にするという橋下・維新への断罪でもある。橋下は、「教育公務員も法令や上司の命令に従う立場にあるとはっきりさせるため」というが、自らは、地方教育行政法に違反して、教育行政に介入してさまざまな指示をしてきたことを忘れたのか。さらに「教育基本条例案」は明らかに違憲(第94条)、違法(地教行法)だ。あんたに違法などという資格はない。
 ところで最高裁判決は、ある程度評価できるものだが、宮川光治裁判官の反対意見はなかなかのものだ。その一部を紹介したい。

 「第1審原告らは、地方公務員ではあるが、教育公務員であり、一般行政とは異なり、教育の目標に照らし、特別の自由が保障されている。すなわち、教育はその目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、幅広い知識と教養を身に付けること、真理を求める態度を養うこと、個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うこと等の目標を達成するよう行われるものであり、(教育基本法2条)、教育をつかさどる教員には、こうした目標を達成するために、教育の専門性を懸けた責任があるとともに、教育の自由が保障されているというべきである。」
 「第1審原告らの不起立行為等は、『日の丸』や『君が代」』は軍国主義や戦前の天皇制絶対主義のシンボルであり平和主義や国民主権とは相容れないと考える歴史観ないし世界観、及び人権の尊重や自主的に思考することの大切さを強調する教育実践を続けてきた教育者としての教育上の信念に起因するものであり、その動機は真摯であり、いわゆる非行・非違行為とは次元を異にする。また、他の職務命令違反と比較しても、違法性は顕著に希薄である。
 第1審原告らが抱いている歴史観等は、ひとり第1審原告ら独自のものではなく、我が国社会において、人々の間に一定の広がりを有し、教官が存在している。また、原告も指摘しているが、憲法学などの学説及び日本弁護士連合会等の法律家団体においては、式典において『君が代』を起立して斉唱すること及びピアノ伴奏をすることを職務命令により強制することは憲法第19条に違反するという見解が大多数を占めていると思われる。確かに、この点に関して最高裁は異なる判断を示したが、こうした議論状況は一朝には変化しないであろう。
 第1審原告らの不起立行為等は消極的不作為にすぎないのであって、式典を妨害する等の積極的行為を含まず、したがって、式典の円滑な遂行に物理的支障をいささかも生じさせていない。法益の侵害はほとんどない。」
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蕎麦はむずかしい

2012年01月21日 13時00分59秒 | Weblog
 今日、診療所の帰りに蕎麦屋「凡愚」の前を通った。大正の凡愚はそば通の間では有名らしい。たしかにおいしい。とくに極太のそばをたれにつけて食べるのがなんともいえない。今日は、通るだけで家に帰った。
 暮れに友人たちと信州にスキーに行ったとき、スキーを少しさぼって、長野電鉄に乗って善光寺まで行った。善光寺の表参道は風情のある構えの店が多い。お目当ては、善光寺の門前の蕎麦屋「大丸」だった。7年ほど前に来たとき、偶然入った店で、これが本当のそばの味なのだと感動した。そばの香りが口の中に広がった。その後、東京などで有名なそば屋で食べてもちがった。
 再び大丸でざるそばを食べた。だが、あの香りが広がらないではないか。新そばなのにどうしたのか。はじめて食べた時の感動はどこへ行った。体が感じる力を失ったのか。そばはむずかしいと思う。もう一度香り高いそばを味わいたい。
 
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なんと、スキー1級合格

2012年01月11日 12時52分40秒 | Weblog
 1月7、8、9日の連休に関西勤労協の志賀高原スキーに参加した。2日間の講習付きのツアーだ。3日目の午前に検定がある。宿は、高天ヶ原ゲレンデの目の前の高天ヶ原ホテルだ。バス2台で乗り付けた。メンバーの年齢は小学生から年配者まで、技術的には初心者から指導員クラスまで。
 わたしは、3回目の参加だ。SAJ全日本スキー連盟の検定には、20年前に2級に合格した。そのあと1級を受けたがとても通らないのでやめた。時がすぎ、退職して、もう一度挑戦しようと思い、このツアーに加わった。1昨年は、すぐに1級を受けてもダメだろうと、2級からはじめた。本人は余裕で通ったと思っていた。
 去年はいよいよ1級挑戦だ。はりきって受けたが、全種目69点で完敗した。10人受けて通ったのはひとり。
 今年もさそいを受け、ツアーに参加した。だが、1級を受けるかどうか迷いがあった。講習が始まり、体がほぐれてくるにつれてやる気がでてきた。志賀高原スキー学校の指導員の励ましで、調子がよくなってきた。高天ヶ原、西館山、東館山のゲレンデでさまざまな練習パターンで指導をうけた。講習がおわって、4時からリフト終了まで、指導員クラスの力をもっている実行委員のアフターケアをうけた。スキー学校の先生はやさしくいってくれるが、仲間内の「指導員」はぐさっとくる指摘をする。引きずってきた弱点が克服されていないことを自覚する。
 足に疲労がたまった。1本1本に課題を意識して滑ったこともあるが、足の筋肉が弱ってきたので、夜にはもうパンパンになった。食事の後、もう一度温泉に入り、足をもんだ。足を冷やさないよう、浴衣の下にジャージをはいて早めに寝た。朝にはほぼ疲れがとれた。じゅうぶんストレッチをしてゲレンデにでた。
 3日目、9時半から検定だ。直前にひとつずつおさらいをしておこうと、8時半にクワッドリフトに並んだ。高天ヶ原の上から下へ5本滑った。きれいに整地された朝のゲレンデにガリガリいわせながら筋をつけた。4本目はコブの不整地小回りもやった。コブはえぐれて深くなっていた。おまけに凍って固い。深いコブで片方のスキーがはずれて体が飛んだ。うわっ、縁起が悪い。気をとり直して、広い高天ヶ原のコブ斜面をすべりおりて、5本目は元に戻って気持ちよく終わることにした。
 いよいよ検定だ。2級といっしょにやるが、2級は斜面がややゆるくなるところから出発だ。1級は、急斜面大回り、急斜面小回り、総合滑降、不整地小回りの4種目。去年あった中急斜面大回りがなくなった。受験者は8名。まず大回りだ。ターンとターンをつなぐニュートラルの場面で体を前へ。小回りでは、ひとつひとつ弧をえがくように。総合滑降は自信を持って演技するように。大回り4つ、中まわり3つに検定員の近くは小回りで。最後がコブ斜面だ。去年もコブ斜面はわたしがトップだったが、ゼッケン番号の関係で今年もわたしから滑ることになった。いちばん深いところを避けて、やや浅いコブ斜面が検定バーンにえらばれた。前走が華麗に滑り降りた。すぐに検定員の手が上がった。えい、行くだけだ。リズムを崩さないようにだけ気を付けよう。一度、横長のコブを乗り越えずに横から回ったのでリズムが伸びた。まずかった。でも転倒せずに滑り終えた。ほっとした。去年は、新雪がコブのみぞを隠していたので、転倒者が続出した。転倒したら70点はもらえない。
 すべて終わった。ことしは舞い上がった感覚はなかった。でも無理だろうと思った。ひとつかふたつ70点もらえればと願った。
 12時から、ホテルの大広間で結果発表だ。5級から合格者発表だ。各級、名前が連続して読み上げられる。いよいよ1級ということで、校長の表情も緊張した。1級合格者として読み上げられたのは、あきらかに1級以上の実力がある人だった。合格証が授与された。2級まではまとめて名を呼ばれたので、1級は合格者ひとりだと思った。ところが石原校長は、やや間をおいて、1級合格38番と読み上げてくれた。自分でも今年は手がかりをつくる年だとおもっていた。名前が呼ばれたときは信じられなかった。礼をして合格証とバッジをうけとった。自分がいちばんびっくりした。
 点数は、大回り70点、小回り71点、総合滑降70点、不整地小回り70点、合計281点だった。小回りが71点もらえたのも驚きだった。班のみんなが祝福してくれた。ありがたい。

 なぜ合格できたのか。考えてみると、去年琵琶湖バレイに3回行って、ポールの練習をしたのがよかったのではと思う。30センチほどのポールが設置されているバーンがあり、ここは人も少なく、練習になった。ポールぎりぎりに滑るべく、体を倒してカービングスキーを使い切る練習をした。以前と違うのは唯一この練習だった。これが効果を発揮したのだろう。でもぎりぎりで合格できたのだから、これからが大事だ。
 もうひとつ思うのは、60歳をすぎても進歩、成長することを体験した不思議さだ。もうすぐ64だ。もう駄目だろうと本当は思っていた。でも適切な指導と工夫のもとで練習すれば進歩するのだ。まんざら自分も捨てたものではない。これからも、無理しない程度に滑り込んでいきたい。楽しみながら。
 スキーは年をとってもできるスポーツだ。風を切るスピードの爽快感はたまらない。雪景色はあくまで美しい。自然と一体になる感覚はすばらしい。




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カモが今年も

2012年01月04日 10時43分43秒 | Weblog
 尻無川のほとりを歩いていたら、今年もカモがシベリアから渡ってきてくれていた。尻無川は道頓堀川が大阪港にそそぐあたりの名前だ。この川が港区と大正区の境になっている。わたしの家の近くに高潮にそなえる防潮扉がある。半円形の鉄製の防潮扉が川をまたいでいる。津波がきたら、これをぐーっと90度倒して津波をくいとめる。空に向かって半円をえがいている防潮扉をささえるためコンクリートの構造物が岸から大きくせり出している。
 この防潮扉の根っ子にあたるコンクリートの陰がカモのねぐらになっている。風が当たらなくて安心だ。朝、防潮扉のあたりを見たら、カモが波間に揺れていた。数えると58羽。多い年は80羽にも達する。遠いシベリアからよくこんなところまできてくれた。感謝。淀川ならば葦がはえ、エサも多いだろうが、汚い尻無川では苦労するだろう。でも2月の半ばまでゆっくり羽休めをしてほしい。

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新年、「巨匠今井正の世界」はじまる 「ここに泉あり」を見る

2012年01月03日 23時35分48秒 | Weblog
 九条のシネ・ヌーヴォで、「生誕百年記念・巨匠・今井正の世界」が昨日から始まった。今日「ここに泉あり」をみた。
 1947(昭和22)年の群馬県高崎でオーケストラが歩みをはじめ、苦難をのりこえて一人前になっていく物語だ。新しい演奏家が加入してくるが、ろくに賃金が支払われない、片田舎楽団では音楽技術がのびないなどの問題からの離反も起こる。オーケストラをかろうじて維持できるのは、群馬のさらに山奥の村や学校の演奏にでかけることでだ。トラックに乗り、泥にまみれて山道を歩いて。ハンセン病の療養所(草津の)でも演奏している。草津楽泉園の患者さんが観客として協力出演してくれたのだろう。あまりの困難で解散寸前までいったが、おそらく二度とオーケストラの演奏を聴くことがないだろう山奥の子供たちに演奏をして、その目の輝きを前にふたたび歩みをはじめるのだ。
 映画の中で、群馬県の補助が得られたことも存続発展につながったことがわかる。大阪のある首長は、文化も市場で生き残れないものは消えればいいと言い放つ。その考えで、大阪シンフォニーの補助を切った。こんど大阪市の大阪フィルの補助も切ろうとしている。まだ貧困にあえいでいた時代に、群馬県はオーケストラに補助を出して文化を育てたのだ。そういう意味でも感慨深い映画だ。
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