10月23日、岡田克也外相が、閣議後の閣僚懇談会で、国会開会式での天皇の「お言葉」について、「陛下の思いが少しは入ったお言葉をいただくような工夫はできないか考えてもらいたい」と提起した。岡田氏の記憶では、大きな災害の時の1回をのぞいてすべて同じあいさつだからだという。
でも、そもそも国会での開会式で天皇が「お言葉」を述べるのが、憲法上の規定にあるのか。当然そんなものはない。旧貴族院の議場であった参議院には天皇の御座所が特別に高いところにあり、そこから国民代表である国会議員に対して「お言葉」を述べることが、国民主権の原理に合致するのか。根本が問われなければならない。
民主党という民主主義を冠した党名なのだから、天皇の「ご臨席をあおいでお言葉を」という民主主義に反することはこの際やめにするというのならわかるが、岡田外相のいうのはその逆だ。民主党の、岡田外相の民主主義観を問いたい。
そういえば、民主党のマニフェストには、衆院議員の定数のうち、比例代表を大幅に減らして単純小選挙区制に近づけるという、とんでもないファッショ的なことを書いている。
さらに、民主党鳩山内閣は、国会改革と称して、重大なことを計画している。脱官僚ということで官僚の国会答弁を禁止する法改正をするというのだ。でもそれでは、国会の国政調査権、行政監督権が侵害されることになる。憲法上の問題にかかわる。官僚をも問いただすことが必要な場合があるわけだし、第一、かのフランス革命の時の人権宣言に、官吏の行政行為の監督が人民の権利として宣言されていることを思えば、歴史を220年逆転させることになる。法律で禁止などしなくとも、大臣が自分で答弁すればすむことだから、なにもいじることはない。
加えて、国会の委員会の定数削減、委員会の定例日の廃止を考えているという。委員会の定数を減らして少人数で効率的な審議をしようというのだろうが、明らかに議会制民主主義の形骸化だ。また、定例日審議を廃して、どんどん審議日をいれ、すいすいとやろうというのも議会制民主主義を崩すものだ。時間をかけて、日数をたっぷりとって徹底審議することが、議会制度、そして民主主義の原則だ。民主党の民主主義観に大いに疑義を覚える。もうすぐ国会が始まるが、衆議院での代表質問を民主党はしないらしい。環境問題などでいい方向性を打ち出してはいるが、充分監視しないととんでもないところに行く危険性もひそんでいる。
でも、そもそも国会での開会式で天皇が「お言葉」を述べるのが、憲法上の規定にあるのか。当然そんなものはない。旧貴族院の議場であった参議院には天皇の御座所が特別に高いところにあり、そこから国民代表である国会議員に対して「お言葉」を述べることが、国民主権の原理に合致するのか。根本が問われなければならない。
民主党という民主主義を冠した党名なのだから、天皇の「ご臨席をあおいでお言葉を」という民主主義に反することはこの際やめにするというのならわかるが、岡田外相のいうのはその逆だ。民主党の、岡田外相の民主主義観を問いたい。
そういえば、民主党のマニフェストには、衆院議員の定数のうち、比例代表を大幅に減らして単純小選挙区制に近づけるという、とんでもないファッショ的なことを書いている。
さらに、民主党鳩山内閣は、国会改革と称して、重大なことを計画している。脱官僚ということで官僚の国会答弁を禁止する法改正をするというのだ。でもそれでは、国会の国政調査権、行政監督権が侵害されることになる。憲法上の問題にかかわる。官僚をも問いただすことが必要な場合があるわけだし、第一、かのフランス革命の時の人権宣言に、官吏の行政行為の監督が人民の権利として宣言されていることを思えば、歴史を220年逆転させることになる。法律で禁止などしなくとも、大臣が自分で答弁すればすむことだから、なにもいじることはない。
加えて、国会の委員会の定数削減、委員会の定例日の廃止を考えているという。委員会の定数を減らして少人数で効率的な審議をしようというのだろうが、明らかに議会制民主主義の形骸化だ。また、定例日審議を廃して、どんどん審議日をいれ、すいすいとやろうというのも議会制民主主義を崩すものだ。時間をかけて、日数をたっぷりとって徹底審議することが、議会制度、そして民主主義の原則だ。民主党の民主主義観に大いに疑義を覚える。もうすぐ国会が始まるが、衆議院での代表質問を民主党はしないらしい。環境問題などでいい方向性を打ち出してはいるが、充分監視しないととんでもないところに行く危険性もひそんでいる。