オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

タバコがない・・・

2011-04-25 | Weblog

4/25(月)  本当に、本格的に、絶対的にタバコがない。ないのだ。いや、正確に云うと私が吸っているタバコが店頭から、あの憎き自販機からも消えた・・・。

先週の金沢では、駅の売店で買えた。週末の長野では、駅下のコンビで最後の四箱を買うことができた。後は、何処にもなし・・・。仕様がないので他人のタバコをせびる、一年以上前に貰って忘れていた「葉巻」を探し出して吸ったりと、愈々末期的になってきた。

4月下旬になれば、私が愛用するタバコも生産できるだろうと踏んでいたのが思惑違い。こんなことなら、タバコより害が少ないと巷間云えられる、マリファナを解禁しろと、言いたくなるぜ!

どうも自分の嗜好品のこととなると過激になるが、そう云うぐらいに腹立たしい現象である。これが、本格的な停電ともなると何を言い出すか分からん・・・。

人生を煙に巻くより、現実の弁当のことでも考えよう。

で、今朝は残り飯で「焼飯」となった。人参・ピーマン・シメジを刻み、小エビを炒めたオーソドックスな「焼飯」である。

                        

菜もシンプルに干し鯖焼、小松菜とウィンナーの卵とじ炒めである。ちょっと趣向を変えて「タマネギ・シメジ・人参」で「カレー煮」を作る。普段でもカレーを食すことは希だが、どう云う風の吹き回しか、絶対作らないと思っていた物が登場した。これも遊び心か・・・タバコに対してもそれぐらいの鷹揚さがほしいものだが・・・。

              

タバコが愈々、一箱のみ。弁当つくりを終えても、一服するのを躊躇する始末。この弁当、俺のタバコと誰かチェンジしてくれんかいな・・・。私のタバコ、伝統的「ショートホープ」でありんすが・・・。

              

 

 「金沢にて・・・Ⅲ」 

さて、愈々「2011 さくら道 ネイチャーラン」の大詰め。沖山さんとNO44エイド「道の駅福光」で分れた。沖山さんの順位は7番目か、本人は順位のことは全く気にしておらず、目標タイムでゴールすることだけの様子。(因みに、エイドはスタートからゴールまでの間で48ヶ所設けられているようだ)

沖山さんが「五箇山の坂道や、長いトンネルを見てきて」と示唆をくれたことに拠る。田舎町、田舎道や宿場町の跡らしい街を過ぎ、五箇山からの下り坂(こっちは登り)に差し掛かる。下り道を漸う走ってくるランナーと行き交う。

足は伸びず、辛うじて自分の体を膝が支えているようだ。誰も顔を上げようとせず、只ひたすら足元だけを見ている。急な下り坂、勾配の所為、勾配によって体が運ばれているようだ。それに膝がじっと耐えているのか・・・。

やがてトンネルに入った。長い・長い、暗いくらいトンネルであった。車の中、ライトを付けての走行ながら暗い。ようやく出口が近づいた頃、ランナーの姿が壁際に浮んだ。側道は50~60cmか、安全柵も無い暗い中、ゆっくりと歩むが如くに進んでいた。

車中、義妹が云うには「この山は昔、人食い谷と呼ばれた。険しい山道に谷が深く切れ込み、狭い道で人を呑込んだと言われてます。「里人はこの山を越えて年貢を運び、山を越えて安堵したと云います。この険しい山の奥里故に、加賀・前田家の火薬製造所が置かれたそうです」と。

奥山を越えた里が五箇山か。トンネルを抜けると、合掌作りの里は遥か谷の底。九十九折の急峻な下り坂となった。坂道の折れ曲がった辺りには何軒かの集落。丁度、部落総出の清掃日であろうか、ゴミ袋を手にした老男女、いや老人と子供達が目に付いた。

この坂道がランナーを苦しめていた。進もうにも足が上がらない、走ることなど論外、歩むのさえも絶え絶えの有様。前日、午前6時に名古屋城をスタート。既に24時間、いや27時間となるか。高度800mの「ひるがの分水嶺」を越え、零度の夜道を駈けてきた。胸を衝く五箇山の急峻な坂は、精魂尽けとばかりにランナーを遮り立ちはだかっていた。

更に進む、五箇山から白川郷に至る道は歩道がないばかりか、ダム沿いの暗渠、工事中の道。「人は何故走るのか?」この過酷な条件の中。ランナーに、沖山さんに訊きたいと切実に思った。

高々50~60kmであろう、ルートを逆走しただけであったが感歎・驚愕・呆然し、沈黙するのみとなった。

                       

                        白川郷より白山を望む

11:07分、沖山さんがゴールした時間である。このネイチャーランにおける彼のベストは、22時間程ではなかったろうか。それに比べると時間を要したこととなるが・・・彼は云う「予定どおりでした」と。

ランナー達を追いながら、義妹の言った言葉にウルトラマラソンのハードさが凝縮されるのではないか?。『走っているのは、みんなお爺さんばかりだね!』

                       
精魂尽き果て、生気が蒸発・霧消したランナーの姿は、確かにそう映るかもしれない。

ゴール後、メディカルチェック中の沖山さんに「体調は如何ですか?」と、訊く。『走る前より心拍数は安定しています。スタート前は興奮していますから』と、穏かな声が返ってきた。

                               

250km、この全コースを知りたい。桜並木にしたいと積み重ねながら、道半ばで逝った「佐藤良二」さんの想い、昼夜を分かたず駆け抜ける「沖山健司」さん達の思い・・・。

                      

この道を辿らない限り、見えもしない、分かりもしない。その一片の匂いさえも感知できないであろう。

 

                      

 兼六園下の通りに「佐藤桜」と命名された桜木あり。氏の遺徳を偲ぶ表示と塚が建てられている。この日、花びらは惜しげなく空高く舞った。

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