オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

渡し船&二色弁当

2017-12-11 | Weblog

12/11(月) 今日も深夜に目覚めてから眠れなくなった。目が覚めたのは午前二時、エアコンを点けたまま寝たのが悪かったか、体が汗ばんでいた。こういうのを自業自得と云うんだろな・・・・。

早目に蒲団に入るとよくある現象ともいえるが、かといって翌日の午後あたりになると眠気がやってくる。こっちは暇なものだから始末が悪いのだ。てなことで、本日も眠くなるはずだ。その頃合いに外出でもして眠気を避けるか?。

今日の弁当は一つ、家人の弁当のみだったので蒲団から出たのはゆっくり。眠れないままに夢現の中で時間の過ぎるのをまち、弁当作りのタイムリミット七時になって蒲団を出た次第。

菜の方もご飯も、昨夜の残りものがあった。とは云え、なにか作らねば落ち着かない。そこで「小松菜の煮浸し」「小松菜と胡麻卵炒め」、夕飯の手巻き寿司で少量残っていた鯛&ホタテとウインナーをバターソテーした。これに昨夜の「鶏煮」が加わる。が、これだけじゃ面白みがない・・・・・。

                          

そこで、ご飯の上に挽肉と卵のソボロを乗っけて二色弁当にすることに。暇なOYAJが思いつきそうねイージーさだが、ちょっと見、奇麗じゃないか?な。お味の方も?ながら・・・・・。

                      

 

12月9日の土曜日、生誕祭であった。祭りは余計か。今更、誕生日なんて一年の内の一日、生きてりゃ巡ってくるに決まっているものを、どうこう思いもしない。所詮あの世への一里塚、着実に近づいたことを再認識するだけのことだ。

近づいたことを実感した上で、その準備でもすればいのだが、所詮はものぐさOYAIだ。思うだけのことさ・・・・。

そんな誕生日ながら、暇な土曜日の夕に近所の魚屋を覗くと小鯛を売っていた。その安さに魅かれて「鯛めし」を炊くことが浮かんだ。幸いにも魚屋だ、市場と違って願えば鱗も内臓も始末してくれる。面倒が省けると云う算段である。

家人はこの日も仕事に出ていった。飯を作っても罰は当たらんと、持ち帰った鯛二匹で「鯛めし」を、ご丁寧に土釜で炊くことにした。この週、鯛めしは三度目になる。手慣れ過ぎて面白くないぐらいだが・・・・。

木曜日の朝、出勤前に炊き。昼のランチ会で炊きと、この夕は三度目。ともなれば新しい仕掛けや工夫があってもいいものだが・・・・なんにもなし。

鯛を洗い、熱湯を掛けて臭みをとる。と云うのも、この鯛は下関産とあったが養殖か天然物か?活け締め鯛ならこんなことはしないのだが。この鯛に軽く塩を振って焼いた。

米は三合弱を洗って水切りをしておいた。飯を炊く出汁は、鯛のアラで摂ったのが一番だが、小鯛なのでそのまま炊きこむことにしたのだ。程々に焼いた鯛を、塩・酒・醤油に昆布を敷いて更に白出汁を加え、土釜に入れて炊いた。今回は、薄揚を刻んで入れてみた。

炊きあがった頃合いを計り、十五分ばかり蒸らす。丸々二匹、釜から一旦取りだして頭やアラ、骨を丁寧に覗いて、身を釜に戻して混ぜる。たったこれだけのことだ。

                          

出来栄えや如何に?だが、ご飯をもう少し固めにしたかった。土釜で炊きこみをやると何故か、軟らかめの飯になってしまうのだ。土釜の所為か?。

目出度くもあり、目出度くもなしの誕生日はこんなことをして遊んでいた。歌姫、橋本葉子(誕生日が一緒)さんからは、田町のレストランBARに出演するのでと誘われていたが、冥途への行く末を考える時なんのでと断った。が、家に居ると出歩くのが面倒になるのだ。ボートレース場だけは別格だが。

随分と長~く生きてきたものだ。もう渡し場の直ぐそばまで来ているはずだが・・・、で思い出したのは、既に渡し船に乗ったことだ。乗って向こう側じゃなく、こっち側に来てしまったことだ。先週の、そう「矢切の渡し」だ。

                       

柴又から矢切へ。じゃなくて、矢切から柴又へ渡っちまったからね。東から西へ、北から南へと。これじゃあ、あっち側に行けない。反対だもの。神様が、改めて向こう側へ渡れと云うまで待つしかないか・・・・。そんなことを思う一日であった。

 

 

 

 

 

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