オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

炒飯

2015-01-09 | Weblog

1/9(金) 早や週末となったが、未だ週半ばの気分である。昨夜は19時半に退社して「ローカーボ」にて、TOKIOと二人で黒田君の弔いと称してグラスを重ねた。その勢いで、閉店間際の「ちょっぷく」に立ち寄り、性悪にも更にグラスを傾けた。帰宅すると、丁度零時を時計は指していた。寒かった・・・。

 

-黒田君のこと―

TOKIOと二人で黒田のエピソードを語り、彼亡きあとの仕事の進め方などについて意見を伝えた。黒田の病気が判明してから一年近いが、初診の折に「余命2~3ヶ月、長くても半年」そんなことを云われたそうだ。彼からその報告を受けた後の休日、心配になって彼に電話を入れたところ・・・。

どうしてるんだ?と、訊くと「今、墓地を探しに歩いているとこですよ、これからもう少し探していきます」と、元気な声が返ってきた。『バカ野郎~何を考えててんだよ、そんなことを急いで。簡単に決めて良い問題じゃねえだろう・・・』そんなことを云った。また、ある時は「今プールで泳いできたとこですよ」と、先走った準備の一方で、生きるための努力をしていた。

その後、東大病院で治療を受けることになった。セカンドオピニオンの結果、NETと呼ぶ膵尾部の癌と判明した。この癌は彼のアップル社のスティーブ・ジョブソンが同じ癌だったそうだ。幸いにも黒田はレベル2とのことで若干ながら安心をしたようだ。肝臓への転移があったので、先ずはこの癌を抗がん剤治療で小さくし(消滅かな)てから膵尾部の手術をする、そんな治療方針だと聞いた。

昨年二月の東大病院での入院は、当初の予定よりも長引き三週間余りであったか。これは、診断結果を下せず、再検査などによるようだった。然し退院後は、抗がん剤の服用を続けながらも至って元気そのもの。こっちが、そんなに運動して大丈夫か?と心配をするほどアグレッシブだった。仕事の方も従前どおりで、病気を伺わすことはなかった。

当人にすれば「体力をつけて、病気に勝」そんな思いだったようだ。それが一転して、体調が悪くなったのは十二月に入ってからだと思う。中旬の沖縄・名古屋への出張中に、異変を感じていたそうだ。腹痛が厳しくなって受診したのは十八日であったか。前日の夕方、辛そうにしている姿を見、『病院に行けよ』と言った覚えがある。

受診後の連絡は「即アウト、即日入院を告げられました」であった。だが、入院後も腹部の痛みは取れず、呻いていたそうだ。強い薬は使わず、復帰を速やかにしたい、そんな思いが強かったようだ。最後まで我慢に我慢を重ね、それでも強くなる痛みと腹水の圧迫、辛い日々がつづいた・・・。

一月三日、彼からのメール「明けましておめでとうございます。猛烈な勢いでガンが進行。医学的処置が不可能に。昨日から終末医療に入りました。」であった。明日見舞いにいきたが、と返信すると「喜んで。なるべく早い方がいいと思う」と返ってきた。

当人は早くても、一月は持つと思っていたようだと聞くが。私は二~三ヶ月は持ってくれるだろうと望んでいた。その上で、体調の良い日にタクシーを使って会社に来て貰い、私物の整理ができればいいが。など、思っていた・・・。亡くなる前夜、十時過ぎに電話で話をしたが、翌朝、七時に急逝するとは・・・・。

電話はクライアント訪問の件で伝えたいことがあって、昼間に私が入れた。その時の声が辛そうだった「腹水を抜いたので、それが痛いんですよ。夕方には落ち着くでしょうから電話します」とのことで切った。その電話が掛かってきたのが、午後十時二十分だ。その時も辛そうな声をしていた。痛みが取れるのを待っていたが、遅い時間になったので連絡を寄越したに違いない。

「くれぐれもComさんに宜しく伝へて下さい。騙すつもりはなかったと・・・」。これは、昨年の最初の入院に際して、病名を秘していたことを指す。クライアントに心配をかけないようにと、胃腸の治療とかと伝へた聞いていた。ここ一年半ほど、黒田君はComさんの仕事がメインであったことから、彼の病状を伝えるために新年挨拶の名目で、私が訪問する手筈を取っていた。このことを最後まで黒田は気にしていた、会いたがっていた。会って、自らからが話をしたかったのだ。

翌朝に掛かった電話も黒田君からかと思ったが・・・奥様からの悲報であった。

我が社では一番の元気者、歩くのもメチャ早くて、背筋を伸ばしてスタスタと歩くので誰も一緒には歩けなかった。7~8年前から自転車通勤を始めたので、彼のために就業規則に自転車通勤を付加した。そんなこともあった。

黒田とチームを組んでいたRIE嬢が、昨晩弔問した。その時に聞いた奥様からの話。彼の最後の言葉は「子供たちが大好き」だったとか。合掌。

 

  - 炒 飯 -

 今朝の弁当は「チャーハン」と相成った。前日同様に碌でもない夢から醒め、弁当メニューを思い浮かべたが・・・、残り飯の始末であった。それに、ロールキャベツぐらいだった。

冷蔵庫の中を漁り、有り合わせの食材を取りだす。チャーハンは、小エビを使ったエビ炒飯にする。これはエビ・カニが鬼門の家人が喜ばぬが、少々であれば大丈夫だろうと判断。ロールキャベツ用のキャベツが、なんとも締まらないが致し方なし。魚は、先日と同じ粕漬けとなった。

              

やたらスタイルのいいアスパラと、ブロッコリを茹でる。豚小間とキャベツの焼肉タレ炒めを追加した。

何にやら手抜きポイが、夢見も悪いし致しかたねえだろう!

そういや、夢と云えばこんな夢だった。
何処か見たことがあるようなゴルフコースの、ショートホールのティ―グランドに居た。同伴者は、なんとなんとMURAI君、IMAI君のW井コンビだった。両君と同じ職場で過ごしたのは、三十数年も前となるが、厚誼はつづいている。

その二人が同伴競技者で、先ずは私からティ・ショット。一体何ヤードあるんだ?見た感じでは100ヤードだな。そんなことを云いながらサンドエッジで打つと、ハーフトップになりグリーン右奥のバンカー縁辺りに止まった。

次いでIMAI君だが。これがああでもない、こうでもないと使用クラブが定まらない。こっちゃイライラしながら見ていた次第。漸く打つと、バンカーにはまった。そしてMURAI君となり、これが珍しくもグリーンにオンした。

これからが問題のシーンだ。グリーン周りで自分のボールを探すと、なんと!バンカー脇に置いたままの板の窪みに入っている・・・。これをこのまま打つか?打てるわけねえだろう!窪みに入りこんで、それも板だぜ!今畜生奴・・・。

球を動かそうにも適当なドロップ場所がない、適当に置いて打ったら、今度は反対側の奥まで転がってしまった。苛々していると、隣のホールから、爺様や婆様の一団がぞろぞろと現れて、ティーグランドへと移動してきたのだ・・・。なんなんだ?これは・・・。

いや~疲れた!疲れる夢だったよ。それもさ、6~7年前にクラブを置いた身だぜ。なんでゴルフの夢で疲れなきゃなんねえんだ?参ったよ。せめて、一富士、二鷹、三茄子のどれかで有ってほしいねえ~。

 

 

 

 

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2 コメント

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ワンオンとは・・・ (巧爺)
2015-01-09 16:48:06
正月早々良い夢を見ましたねエ~。今年もよろしく!!
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雪だろうね・・・ (OYAJI)
2015-01-10 15:04:55
貴兄には良い夢かな、私にとってはショボイが。そっちは雪だろうね~、雪雪、また雪か。雪掻きで体力作りですね。状況の折は、ご一報を待ってます。
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