徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

ああ、「0ベクレル」の食卓よ!―放射能まみれの日本列島の食の崩壊―

2011-11-02 16:15:00 | 寸評

秋の深まりとともに、冬の便りもちらほらと・・・。
木枯らしに乗って、厳しい冬を迎える、東北の人々の怨嗟の声も聞こえてくる。

大丈夫なのだろうか。
いま、放射能汚染食品が、日本の津々浦々にまで流通している!
消費者は、神経質にならざるを得ない。

暫定規制値が問題になっている。
規制値以上は問題で、規制値以下は問題ないのか。
とんでもない話である。
こんなことがマスコミで喧伝され、人々は食の不安に脅かされている。
それに、日本の規制値は、かなり高めの甘過ぎる設定で、世界の‘非常識’といわれるほどお話にならないそうだ。
放射性物質というのは、本来食品から検出されないことが正常なのであり、当たり前の話だ。
たとえ微量であっても、放射性物質が検出されれば、それは消費者が食品を購入するうえで、重要な判断基準になる。

スーパーマーケットの食品売り場で、生産地がどこか確かめている人を見かける。
食品には表示されているものもあるが、表示されていないものもある。
たとえ表示されていても、嘘であるかもしれない。
表示がなければ、どこの産物かわからない。
産地の解らないものや、表示の疑わしいものは買い控えたいという、消費者の心理が働く。

暫定規制値が問題となる食品は、お米、飲料水、肉、魚、野菜等々、全食品に及ぶ。。
規制値の調査が、実態としては地方自治体がやっていて、この数値がまた極めてあいまいときている。
全てが、正確とは言えないから厄介なのだ。
面倒なことであっても、すべての食品において、放射性物質の数値は正しく公表すべきだ。
内閣府(食品安全委員会)も、科学的な根拠のないままに、生涯の累積線量の基準(100ミリシーベルト)を大ざっぱにまとめている。
こんなものが、こんな数値が、果たして本当に信ずるに足る数値かどうか。

2011年3月11日以降、放射能汚染は、拡大の一途をたどっている。
全く、とどまるところを知らない。
そして、放射性物質は絶対に無にはならないということだ。
福島原発から漏れたと思われるセシウムは、静岡で検出されたと思えば、九州でも、さらにはヨーロッパでも検出されている。
日本は、陸も海も汚染にまみれているとみるべきだ。
魚だって、北海道や日本海だからとて安心はできない。
私たちは、安心できる食材を買って、美味しいご飯を食べたい・・・。
だが、それは今や幻想になりつつある。

2011年3月11日の前までは、美味しい安全な食事は、日本では当たり前のことだった。
今後は、暫定規制値以下だからと、少しだけ暫定規制値を上回ったものも交じって、食品は全国に流通していく。
多分、間違いなく・・・。
現に、規制値を大きく上回った牛肉が大量に流通し、学校給食にまで紛れ込んで、子供たちが食べてしまった。
神奈川県でも、横浜市で販売されたものは、すべて完売されてしまったのだ。
日本国民は、この許しがたい現実を漫然として受け入れ、わかっていながら、これからも汚染(?!)された食材を親子そろって食べ続けていかなくてはならないのだろうか。

「暫定規制値以下=(イコール)安全」では、決してない。
このことは、極めて重大な意味を持っている。
食材を買うか買わないかの判断は、誰からも押しつけられるものではなく、消費者自身がするものだ。
国は、消費者の判断材料となる、正確な情報公開に務めるべきなのだ。

福島の新米が、厳しい検査の結果、放射能の数値がほとんど暫定数値以下であったと発表し、出荷には‘問題ない’と言い切った!
暫定規制値以下の場合、数値を公表していないケースがほとんどだ。
だから問題ない、直ちに健康被害はないといわれても、到底安心などできない。
規制値以下でも、堂々と公表すべきなのだ。
放射能暫定規制値は、「0」でなければ、本当の安全とは言い切れない!
このことが重要なことなのだ。
政府の発表やマスコミ報道といえども、まことに残念なことだが、にわかには信じがたいことだらけである。
何故なら、そちら向きの‘御用達科学者’たちは、いまだに原発賛成派、推進派(!)の集まりだからだ。

日本の放射能汚染は、もう際限がない。
除染はもちろん必要だが、除染した放射性物質をどうするかが、また厄介な難問だ。
それをどこに埋めようが、どこに保管しようが、永久(?!)に消滅することはない。
この問題についても、解決の糸口すら、見えてこない。

たとえば、新米について・・・。
現在行われている放射性物質の検査は、何が何でも出荷したいと考えている生産者のため、生産者の動揺を抑えるためであるというのが第一義で、本来の「消費者のため」というのは、二の次になっている感がある。
国民は、だまされてはいけない。
いま、スーパーの店頭に並べても、利口な消費者は不安要素が少しでもあれば、それを買わない。
それを知っているから、売れないものは売れない。
だから、スーパーの方でも仕入れに難色を示しているようだ。
したがって、生産地の倉庫で、暫定規制値以下だから「安全」といわれながら、出荷を待つ在庫が滞っているという話だ。
生産農家にとっては、大変お気の毒なことだが、国がいい加減で、消費者の信じられるような本当のことを言わないから、こういうことになる。

国民は、もはや汚染から逃れることができない。
残念だが、汚染された国土で、食材を生産し、流通させ、消費することの、重い現実を受け止めざるを得ないところに来ている。
私たち日本人は、原発事故の被害者として、放射能で汚されてしまったものを食べるしかない。
何としたことか。
問題は、内部被曝だけで基準を超えるといわれており、さらには外部被曝の問題もある。
次から次へと、過酷な現実が重くのしかかってくる。

このような異常な事態になって、国民の間で、気が狂うほどの大パニックが起きないことが、不思議なくらいだ。
しつこいようだが、規制値以上は危険でそれ以下は安全だなどということは、絶対にありえないのだ。
国民の側にいる科学者は、誰もがそう言っている。
政府の言っていることは、安心して耳を傾けられることではない。
嘘をついているのでないか、とさえ思える。
これまで、原発は安全だと騙され続けてきた国民にも、それなりに責任があるかもしれない。
何事も事なかれ主義の政府は、騒ぎを大きくしたくないから、なるべく安全だということを宣伝したいだけだ。

3月11日を境に、私たちの住む世界は、全く(?!)変わってしまった。
このことを、強く認識せざるを得ないし、そう思うしかないではないか。
もはや、日本は今までの日本ではない。
地球もまた、今までの地球ではなくなりつつある。
いまの日本は、戦争状態みたいなものだ。
国家が潰れてしまうかもしれないほどの、悲劇の中にいることを、現実の問題として捉えなくてはいけない。

もともと、ちっぽけな世界一の地震国に、原発を54基も作ったことが誤りだった。
自民政権と東電の責任は、重大だ。
思うに、原子力というのは、国家の犯罪ではないのか。
これは、大罪である。
いまこういう事態に至って、その恐るべき犯罪の全貌が、姿を現そうとしているのではないか。
それも、まだ始まったばかりだ。
人類は、人類の作ったもので、滅びへと向かっていく・・・。
・・・ああ、私たちが希求してやまない、「0(ゼロ)ベクレル」の食卓を囲む日は、もう二度と来ないのだろうか。

 


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2 コメント

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放射能汚染は (霜葉)
2011-11-02 17:53:54
もはや実害です。政府は基準以内(たまたまオーバーしなかったもの)は安全と言い、マスコミも同調してますが、地場産業を守りたい自治体の腰の引けたサンプル検査に任せるため、10月になってからもシイタケ、茶、干し柿、ナメコなどや7月に基準値55倍のセシウムが検出されホームセンターから撤去された園芸用腐葉土が、10月に農業高校生が購入し調べたらやはり基準超過など、仕入れ業者や需要家が検査して発覚する例が後を断ちません。半年以上たってもこのような状態を見せつけられれば誰も安全などと思わないでしょう。根本は政府の指導、徹底力が無いことと原子力関連の学者の無力と思います。
日本に住む限り、この放射能と付き合わざるを得ませんが、特に幼い子を持つ親なら、極力安心と思える食材を選ぶことは止むを得ないでしょう。
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日本人は・・・ (Julien)
2011-11-04 17:11:00
本当に、これからは、放射能と嫌でも付き合わざるを得なくなりました(!)。
まことに、無念ですが・・・。
ここに至って、それでも原発を一刻も早く再稼働せよと騒いでいる人たちは、命より原発が大事なのでしょうか。
原発に、絶対安全など絶対にありえないのに・・・。
大変な国になってきました。
国や県や市町村が、私たちを守ってくれることなどありえないのですから、自分の身は自分で守るしかありませんね。
それが、私たちに残された道でしょうか。
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