北欧の国デンマークの映画である。
この国は、行き届いた社会福祉(医療費無料)、教育レベルも高い「世界一幸せな国」を標榜している。
そのデンマークに限らず、どこの国でもありうるような、しかし怖ろしい話だ。
トマス・ヴィンターベア監督の紡ぐ物語は、観る者にあまりに切なくはないか。
人の普段の日常の繰り返しを想うとき、そのありふれた平凡な生活の中で、さりげない少女の嘘が男の人生を破壊するとしたら・・・?
これは、私たちの身辺で、いつでも起こりうる出来事だ。
この作品は、人間が、閉鎖的な社会で気づかぬうちに陥ってしまう、深く暗い闇を見つめる。
もし自分が、主人公の立場であったらと考えると、ぞっとする話だ・・・。
デンマークのある小さな町・・・。
緑豊かな美しい町が、悲劇を際立たせている。
教師だったルーカス(マッツ・ミケルセン)は、離婚と失業の試練を乗り越えて、やっと穏やかな日常を取り戻し、いまでは幼稚園の教師の職に就いていた。
恋人もいたが、一人息子のマルクス(ラセ・フォーゲルストラム)とは、隔週の週末にしか会えなかった。
そんな彼がある日、親友テオ(トマス・ボー・ラーセン)の娘クララ(アニカ・ヴィタコプ)の作り話がもとで、変質者の烙印を押されてしまう。
幼稚園に通っているクララは、ルーカスのことを慕い、ささやかなプレゼントとキスを贈ろうとするが、ルーカスは教師として園児との間にけじめが必要と賢明な判断をして、せっかくの贈り物を受け取らない。
そのことに、クララは傷つく。
彼女は反射的に軽い気持ちで、ルーカスから性的ないたずらをされたと、幼稚園の園長に言いつけてしまうのだ。
園長は少女の言葉を全面的に信じ、父母会に報告したことから、この話はあっという間に狭い町中に広まってしまった。
クララの両親はよく喧嘩をし、年の離れた兄はかまってくれない。
そんな寂しい子供にとって、ルーカスは自分を気にかけてくれる優しい人に映った。
そして、ルーカスにかまってもらいたい一心から、嘘をついた。
町の住人達はおろか、親友のテオまでが幼いクララの言葉を信じ込み、身の潔白を説明しようとするルーカスの声に耳を貸そうとしない。
仕事も親友も信用も失ってしまったルーカスは、小さな町で孤立していく。
彼に向けられた憎悪と敵意はますますエスカレートし、息子のマルクスにまで危害が及ぶ事態に心を痛めながらも、ひたすら耐え続けるルーカスだった。
・・・クリスマスがやって来た。
追い詰めらられたルーカスは、単身ある決意を胸に、テオや町の住民たちの集う教会へと向かった・・・。
町の人たちの敵意は増幅し、暴力にまでエスカレートする。
食料品を買いに行ったスーパーでは、売ることを拒否され追い返される。
人々の冷たい視線にさらされながら、無実の人間の誇りと尊厳だけは失うまいと、ルーカスは必死で耐える。
全ては、子供のたわいない嘘がきっかけであった。
北欧の至宝とまで呼ばれる、マッツ・ミケルセンの眼差しに込められた力と表現力は、さすがである。
カンヌ国際映画祭主演男優賞に輝いただけのことはあり、彼の渾身の演技から目が離せない。
さらに、6歳のアニカ・ヴィタコプが、クララ役で披露する天才的な演技を観ていると、この映画そのものを観る者の、良識と勇気が問われている気までしてくる。
大人の関心を引くためにつくり話を手段として使うことは、幼い子供にはありがちなことだ。
子供は嘘をつかないという、デンマークという国の大前提もわからぬではない。
クララの父親までが、「娘は絶対に嘘はつかない」と言い切る始末だ。
変質者の汚名を着せられたままで、ルーカスは追い詰められていくのだから、怖ろしい話である。
この作品は、「子供は嘘をつく」と主張している。
子供は、お話を作り、しばしば大人を喜ばせ、大人に関心を持ってもらおうとして嘘をつく。
ヴィンターベア監督も認めているように、クララは言ってほしいと期待されていることを言うのだ。
子供は、例えば同じ質問を繰り返されると、想像の一部を答えるようになり、それが本当に起きたことなってしまうことがあるのだ。
架空と現実との区別がつきにくくなってしまうようなことが・・・。
トマス・ヴィンターベア監督のデンマーク映画「偽りなき者」は、小さな町で民衆の敵のように断じられた主人公の困惑を描きながら、ドラマの終盤まで全く気が抜けない。
上映時間があっという間に過ぎて、観終わった時に初めて妄想から覚めたような・・・。
楽しい映画ではないし、また楽しいだけが映画でもあるまい。
とても辛い映画だが、見応えのある作品に会えた気がする。
社会派の上質なヒューマンドラマである。
[JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点)
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日本でも,世界中のどこでもあり得る話です。
そう言うときに理性的な判断を下せる人間でありたい,そう願っています。
そのことがドラマになる例もありますから、特段、目新しいというような素材を扱っているわけではないのですが、本編はよくまとまっている気がします。
子供の心理、大人の心理を描いて・・・。