徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

所在不明の高齢者は何処に―家族の絆も、行政も―

2010-08-22 09:00:00 | 寸評

厳しい残暑が続いている。
朝に夕に、降り止まぬ蝉時雨・・・。
それも、心なしか元気がないようにも聞こえる。

いま、日本に100歳以上の高齢者は4万391人もいるといわれる。
さらに、これを65歳以上で見てみると2900万人にもなる。
100歳以上の高齢者の内、行方不明者は、わかっているだけでも281人いるといわれる。
1000人に7人が行方不明者だ。

実の子供でさえも、親の存在を知らない。
生死すら知らない。
そんな馬鹿げたことが、当たり前のようになっている。
どんな事情があるにせよ、親をほっとけるものだろうか。
人は、ひとりでは生きてゆけない。
誰もが支えあって生きている。
子が親を敬い、親を心配し、面倒を見るというのは自然だし、当然のことだとは、107歳で天寿を全うした、あのきんさんの息子さん(79歳)の言葉である。

近年、家族関係の希薄が話題になる。
子供や親族に迷惑をかけられないと、人知れず自ら姿を消すケースもある。
周囲の人間の無関心や冷たさもあろうが、本人自身も人との関わりを避けていたとすれば、自己責任もある。

金さんは、生前よくこう言っていた。
 「年寄りはね、みなさんに可愛がってもらわなければだめ・・・」
人と人との関わりは、生きていくのに欠かせない。
人と関わることで、疲れたり、迷惑をかけたりかけられたり、仲たがいするすることだってあるかも知れない。
それでも、人から離れず、人と関わることは大切だ。

よくおしゃべりをして、昔からの先人の知恵を教えるのが年寄りの務めだと、元気なお年寄りは言うのだ。
そのためには、親、兄弟、親戚、近所付き合いを大事にすることだ。
何かあれば、お互いに助け合う。
ひとりの方が気楽だとはいうけれど、本当はひとりくらい淋しいものはないはずだ。
ひとりでいなくなる人は、本当に寄る辺のない人なのだ。
家族とは、本来あたたかく、ありがたい存在だ。
だから、できるだけ身近にいてほしいし、いてあげたい。

それなのに、100歳以上の高齢者の所在や生死がわからないなんて・・・。
神戸では、847人の内、何と105人以上ものお年寄りの所在がわからずに、困った困ったとわめいている。
国内最高齢の113歳を上回る、114歳以上が書類上は18人もいるのに、お役所は確認作業すらしていなかったのだ。
これは、どうしたことか。
仰天の調査結果(報告)が、各地で続々と判明している始末である。

市役所や区役所は、住民票を管理しているだけで、何もチェックしていないし、本人の生死の確認作業もしていない。
それで、担当職員は平然と言うのだ。
 「一体、どこへ行ってしまったのでしょうかねえ?」だって・・・。

お役人は、住民についてはサービスの対象と見ていないのか。
所在もつかめないで、住民サービスができるわけがない。
デスクで書類とにらめっこしていたって、何がわかるというのか。
“足”で調べなくてどうするのか。
国勢調査にしても、アルバイト(?)まかせだ。
自らは動こうとせず、親方日の丸で、すべてが上から目線だ。

住民票といえば、地方行政の基本の「き」だ。
いかにずさんな仕事をしているか。
高齢者はどんどん増え続ける。
その中には、どこにいるかもわからぬ人も含まれる。
すべての役所がそうだとは言わないが、神戸の場合など、老人をほったらかしのまま仕事もしていなかったということではないか。
行政の根幹を揺るがす問題で、担当職員は民間なら全員辞職ものだ。
公務員は、「公務」を全うしてこそ公務員なのだ。

警察庁には、行方不明で亡くなった人の資料が、1万7000人分もあるそうだ。
その中から、あるいは身元のわかる人も出てくるかもしれない。
おざなりの調査では、問題は解決しない。
家族の所在も知らなくてどうするか。
捜索願いも出ていない。
そこに浮かび上がってくるものは、何か。
寄る辺なき家庭の崩壊と、周囲との関係も断ち切られた、孤独な人たちの存在だ。

人と人との絆、家庭の絆のいかに希薄なことか。
個人個人が、いまこそ何が出来るかを考えるべきだ。
といっても、いまの世の中、誰もが自分のことを考えるだけで精一杯だ。
わかっていても、他人のことまで気配りをしている余裕すらない。
誰が、こんな世の中にしてしまったのか。

行政の、明らかな怠慢は許しがたい。
一方で、地域のネットワーク構築を掲げて、高齢者の見回りを制度化して頑張っている住民活動もある。
行政があまりにも頼りないからだ。
行政が行き届かない点もあるだろう。限界もあるかも知れない。
そこをどうするか。

これは東京都の例だが、08年度だけで、65歳以上の高齢者の孤独死は2111人であった。
この頃、近所に救急車が停まったりすると、もしやと気になってならない。
連日の猛暑で、熱中症で倒れる高齢者もあとを絶たない。
豊かな生活を送ることのできる人は別格として、電気、ガス、電話もなく、貧窮、劣悪な環境で、生活保護からも見放された、孤独な高齢者たちが大勢いるのが現実だ。
やがて、高齢行方不明者の予備軍となって、どこかに消えていくことになるのだろうか・・・。


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2 コメント

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でも・・・ (茶柱)
2010-08-22 21:10:23
確かに大きな問題だと思いますけど、でも・・・。
あまり騒ぎすぎると今度は「住民確認事業」とか言い出してまた税金を投入して「形だけの公益法人」を作って天下りをし始める気がして・・・。

日本の官公庁はこういうことで「税金をかすめ取る悪知恵」だけは働きますから・・・。
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どうして・・・ (Julien)
2010-08-25 22:11:17
お役所というところは、自分の足で確認調査をするとか、ということをしないのでしょうか。
いっかな、自分で動こうとはしませんからね。
そんなことで、住民の生死が確認できますか。
仕事をしていると言えるのでしょうか。
怠慢の一言です。
だから、戸籍上では、文久生まれの人が今でも生存している(?!)ことになるのです。
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