たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

松岳山古墳

2024-07-15 04:42:06 | レイライン
松岳山古墳
大阪府柏原市国分市場1丁目6−21




国分神社(柏原市)を通り抜けた山の上にあります。

夏祭りのようで、何人かの人が準備中のようです。

古墳を見るには、許可が必要とのことなので、氏子さんと思われる方にお聞きすると

入口まで案内していただきました。



頂上まで、登ると



ありました。



立石ですね





穴をアップ


蚊が多いので、早々に退散です。

案内してもらった方にお礼を言うと、「子供のころは、あそこでよく遊んだもんです」とのこと。


レイラインです


なんと、中山大塚古墳の近くの西殿塚古墳からの春分の日のライン上に

松岳山古墳 と、仲津山古墳の二つの古墳が浮かび上がります。

どういう関係なのでしょう?

仲津山古墳(仲津姫命 仲津山陵)は、大和川の下流にあります。




春分の日のラインは特定しにくいので、難儀しました。

おそらく、このレイラインでいいかと思います。

西殿塚古墳は、今までノーマークでしたのであらためて考えてみましょう。

西殿塚古墳(継体天皇皇后 手白香皇女 衾田陵)


中山大塚古墳の北東350mのところにあります。

資料を見ると、時代が 「3世紀後半に築造された古墳時代前期前半の古墳と考えられます。」

と書いてあります。そうすると、手白香皇女衾田陵とは考えにくいです。

そして、時代ももう少し後かと思われます。300~350年ぐらいでしょうか。

こちらこちらを参考にしてください。

中山大塚古墳の被葬者は、サタヒコの母親 (河上摩須郎女命)と思います。

いろいろと調べていると、なんと、中山大塚古墳、燈籠山古墳、西殿塚古墳は、きれいに並ぶのです。青色の線です。

左上に伸びているレイラインは、夏至の日の入りのライン。大和神社を通ります。



右上に伸びている黄色いレイラインは夏至の日の出のライン。

何処へ向かうのかというと


広沢神社(広沢天神)です。ここは、サタヒコの最初の妻である、アジサハヒメ(アメノウズメ)

が、祀ってあるところです。

レイラインの測量者も、アジサハヒメも、サタヒコの母親 (河上摩須郎女命)もみな同じ

丹波から来ていることを考えると、納得がいきますね。

さて、中山大塚古墳、燈籠山古墳、西殿塚古墳が並ぶ青色の線は、何処を通るのか?

色々調べましたけど、わかりません。


さて、順を追って考えましょう。

まず、燈籠山古墳、西殿塚古墳の被葬者は、中山大塚古墳の被葬者の子じゃないのかな?

というより、西殿塚古墳の被葬者はヒバスヒメでは?

燈籠山古墳は、ヒバスヒメの兄弟かも?

そして、松岳山古墳 は、ヒバスヒメの子。

仲津山古墳は、そのまた子。つまり、中山大塚古墳のひ孫になると思う。

佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)とされていますけど、地理的に無理があると思う。



なぜなら、この付近は、古い土地で、崇神天皇や垂仁天皇が住んでいたところです。

ヒバスヒメは、岐阜からここに連れてこられたのでは?

倭姫、景行天皇はここで育っていると思います。

その場所を、岡山から船団を率いて、サホヒコと、サタヒコが攻めていった場所と思います。

ですから、その場所にヒバスヒメの古墳があるということは考えにくいのです。

西殿塚古墳の墳頂には吉備(岡山) で制作されたとされる特殊器台が確認されているとのこと。

いかがでしょう?


































コメント
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