たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

大御霊神社に行ってきました。

2019-11-04 08:34:39 | 美濃、尾張、三河の神社とレイライン
すでに、大御霊神社については、ご紹介していますけど、訪問をしていないので

なんか、心に引っかかっていました。

ようやく、訪問が出来ました。






以前の、記事はこちらです。

地図を載せておきます



裸祭りで有名なのは、尾張大国霊神社  (国府宮)こうのみやと地元では呼んでいます。

大御霊神社は、その別宮といわれています。歩いて数分のところにあります。



国府宮です。こちらの方が圧倒的に有名です。







ストーンサークルが、あるらしいです。本殿の隣にあるとのこと

見えません・・・


さて、どちらの神社が最初の地でしょうか?

レイラインを見ると、大御霊神社からの夏至の日の出が、

犬山市にある大縣神社の本殿にピタリとヒットするのです。




しかも、秋分、春分の日の出が東谷山の尾張部神社古墳にヒットです。

以前の記事でご確認ください。


春分、秋分の日の出のラインは年によって少しずれるようですので、

そのうちのどこかかもしれません。


この大御霊神社の場所を選択した理由は、レイラインで決めたとしか考えられませんね。

それらのことから推測すると、この大御霊神社の初代は、

大縣神社の初代である「朝廷別王」の息子ということも考えられますけど、当時はただ単に中継地点だったのかもしれません。



この「朝廷別王」の「別」とは、たしか天皇にはなれないという意味と

どこかで聞いたことがあります。

ということは、かなり天皇に近い存在と考えていいのではないでしょうか。

そのことについては、これ以上踏み込むだけの資料がないのでここまでとしておきます。



話が少しそれますけど、倭姫が伊勢に行く途中に中島宮という場所が出てきます。

当時の、神社らしきところはそれほど多くはないでしょう。

この、大御霊神社がその場所ではないかと推測します。

他にも候補地はいくらかあるようですので、何とも言えませんけど

朝廷別王の息子と倭姫は「いとこ」の関係になるのです。

かなり現実味があるのでは。。。























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