たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

 倭姫命伊勢に行く その2 中島宮

2021-10-14 07:02:24 | レイライン
  犬山から船で行くときの中継地(中島宮)は何処でしょうか?

その前に、当時の木曽川は今と流れが違うようです。

詳しくはわかりませんけど、大江川の流れがそれに近いようです。

以前少し調べましたので、参考までにこちらをどうぞ。



中継地点(中島宮)は何処かと言うと

大御霊神社です。

どんぴしゃりのレイラインです。


もう一つレイラインがあります。  とりあえず、今年(2021)の秋分の日のラインです


尾張部神社古墳を通ります。

ここは、彦坐王の最初の古墳。後に、白鳥塚古墳に移動します。(おそらく、子であるサタヒコ =猿田彦によると思います)

「大御霊神社」とは、この二つのレイラインが重なる場所なのです。

重要な場所です。

最初は、サタヒコの子が居たかもと思いましたけど、そのような情報は今のところありません。

丹後の竹野川流域の、誰か(伊福部氏と思うのですけど)がこの地を引き継いで、

その後に、「国府宮」となったのでしょう。

もう一つ、大御霊神社から見た夏至の日の出が、大縣神社になっています。

これはどういうことかと言うと、

本宮山山頂→冬至の日の入り→「大御霊神社」→夏至の日の出→大縣神社ということ。

日の出は太陽が出始めたときで、日の入りは太陽が全部隠れたときなので、太陽一つ分の時間のずれが出来ます。


それが、本宮山山頂と、大縣神社の場所のずれになります。


時間については、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
サタヒコが倭姫を伊勢に連れて行ったのが

「垂仁天皇の22年に「飯野ノ高宮」で4年間天照大神をお祀りした」(倭姫命世記)

大縣神社が出来たのが

「垂仁天皇27年に、本宮山の山頂から現在地に移転した」(社伝)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この二つの年代をそのまま鵜吞みにすることは乱暴かもしれませんけど、

そのまま鵜呑みにしますと(←おいっ!)・・・5年の差つまり、当時は今の1年に2回年をとるので

2年半の時差が出ます。

以上のことから、妄想すると・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
垂仁天皇の22年に犬山から伊勢に向かい、2年かけて内宮と外宮を建て、その半年ぐらい後に

サタヒコは犬山に帰ります。途中、大御霊神社で夏至の日の出を観測してそこに大縣神社を

建てることにする。そして、犬山の東之宮古墳の埋葬者であろう、尾張大印岐(おわりのおおいみき)

の娘の真敷刀俾命(ましきとべ)を妻にして、そこに住む。生まれた子が「玉姫」おそらく

玉姫=みやずひめでしょう。

サタヒコと真敷刀俾命の婚姻はすでに伊勢に行く前に決まっていたのかもしれませんね。


倭姫とは関係がありませんけど、新しくレイラインを発見しました。

少し前に、仁徳天皇陵のレイラインをご紹介しましたけど、その改訂版になりそうです。

近いうちに載せたいと思います。



何度も書きますけど、このレイラインの測量技術はどうやっているのか分かりません

でも、すごい技術と思います。  水平線から見た日の出日の入りです。

おそらく、航海の時に使う星を読む技術ではないかと思うのです。

それが、仁徳天皇の時代にも技術が継承されていることに驚きます。

でも、現在はどうなんだろう?

その道に詳しい人のお話を聞きたいなぁ。








コメント
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