たまにはぼそっと

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倭姫命伊勢に行く その 12 佐紀陵山古墳のレイライン

2021-10-26 08:05:38 | レイライン
佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん)は、倭姫の母親である、
ヒバスヒメの眠る古墳とされています。


しかし、幕末まで神功皇后陵とされていたそうです。

明治の初めに垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命陵に治定替えされ、現在にいたっているとのこと。

作られた時期は、4世紀後半~5世紀前半とされているようです。

愛知県春日井市にある高蔵神社からの冬至の日の入りのラインに大仙古墳(仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵)

があることは、以前書きました。見てみましょう


そのラインが、日葉酢媛命陵、の近くを通るのです。
書き込んではありませんけど、その左側の古墳は、佐紀石塚山古墳(成務天皇陵)です。



高蔵神社から、日葉酢媛命陵まで、直線距離で約 131km。そのせいで、誤差があるのでしょうか

神功皇后陵も、近くにあります。

何処が関係しているのかわからないですね。

でも、日葉酢媛命陵から冬至の日の入りを見ると


悩ましいですね。

まず、大仙古墳(仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵)は、佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)からの冬至の日の入りと

考えて、良いと思います。

そして、高座神社からのラインは、日葉酢媛命陵、成務天皇陵、

もしくは神功皇后陵に関係するとしか言えませんね。

ですから、以前書いた 高座神社→仁徳天皇陵 のラインは、2つのラインで出来ていると考えるのが

正しいのかもしれません。

気になるのは、高座神社と、日葉酢媛命の関係です。その理由が分からない。

一応、父親の彦坐王と弟のサタヒコが関係しているので理由が何もないわけではありませんけど、

少し弱い。日葉酢媛命は、高座神社に行ったことは無いのじゃないかな。

日葉酢媛命薨去は、306年頃と思いますので(44歳ぐらい)もしそうなら、古墳の製造年も4世紀前半になると思います。

さらに、仁徳天皇との関係も世代がだいぶ違います。

いかがでしょうか?












コメント
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